FC2ブログ

この者に天のご加護を・・・

失われたもの、失われ行くものの記録

「台風の中心気圧」


台風が発生するその動機は「寒気」だと言われている。
熱帯の海上に現れるごく小さな寒気に拠って生じる気圧差を卵として生じる低気圧、これが熱帯低気圧となり、温められた海面から生じる水蒸気をエネルギーとして発達した低気圧の形、これを日本では台風と表現する。

2020年9月2日に太平洋上で熱帯低気圧から台風へと勢力を拡大した「台風10号」この中心気圧は915hpまで低下し、さほど勢力を落さず九州西岸を北へ向かって、かすめて行く可能性が高い。

暴風域は280km、強風域は500km、通常台風の風速域は半径で表現されるから、この台風は暴風圏500km、台風の全体像としては1000kmに及ぶ、巨大勢力の台風と言える。

単純に中心気圧だけを取るなら、これまでも海上では900hpを下回る気圧の台風も存在した。
1979年10月6日に発生した台風20号は、その後10月12日、沖ノ鳥島南東海上で870hpまで中心気圧を下げ、日本に上陸した時で965hp、そこから温帯低気圧になって、オホーツク海上で950hpにまでまた気圧を下げた。

これだけではなく、日本が戦後気象観測を開始した1950年以降でも、900hp以下の中心気圧まで発達した台風は12個も存在する。
ちなみに沖ノ鳥島で870hpを観測した台風20号の気圧は、ハリーケーン、サイクロン、台風など、あらゆる低気圧中で最も低い中心気圧であるとされていて、いわば地球最強の低気圧だった。

今般2020年9月2日発生した台風10号、これが大きな勢力となった原因に付き、気象庁、他一般気象予報士は、日本近海の海水温の高さを最大要因と解説するが、例えば前出の台風20号が発生したのは10月である。

また地球温暖化の影響を唱える者も多いが、1950年以降で中心気圧が900hp以下にまで発達した台風のほとんどが、1980年以前に発生している。

この事から台風の勢力拡大の要因として、確かに海水温の高さはその一つの要因では有るが、これだけでは無い事を認識しておく必要が有る。
低気圧の勢力、エネルギーの本質は「拡大する速度」の影響が大きい事を憶えておくと良いだろう。

また一概に地球温暖化に拠って台風が巨大化しているのではなく、統計を見ても解るように1950年から1975年の25年間に集中して、900hp以下の低気圧が発生している事から、台風の勢力が大きくなる傾向は地球温暖化以外の要因を持っている事は明白な訳である。

こうして日本近海の海水温が上昇してくる原因は、地球温暖化や気温の高さより、むしろ海流や海の中深部、深層部に何らかの変化が出てきている可能性を考える必要が有り、特に北海道付近にここ数年停滞している暖水域などを考えるなら、大規模な地殻と地球表層部付近の変化が、発生し始めている可能性を排除してはならないと思う。

では気象庁門前払い、識者嘲笑の素人気象研究人の台風10号予測を始めよう。

台風10号は気象庁の予測通り進んでいく。
おそらく西の海上を北へ縦に上がって行く形になる為、九州全域と愛媛県西部、山口県西部が暴風圏航行危険半径に入る。

台風が九州に接近時の中心気圧は935hp、九州西岸を通過しきった時期でも960hpくらいの勢力を維持し、この間中心付近の平均風速は55mm/秒、最大瞬間風速は75m/秒を記録する。
この範囲が九州全土と愛媛県西部、山口県西部に及ぶ。

風の強い状態は、暴風圏に入ってから少し風が収まるまでに16時間、木造家屋は全壊に至らなくても、70%程で屋根が吹き飛ぶ、ガラスが割れるなどの被害を被る。
この為、九州で木造家屋に住んでおられる方は、9月6日3時までに貴重品を持って、鉄筋コンクリートの施設、或いは知人親戚などの家屋へ避難する必要が有ります。

こうした場合、政府は実際に被害が出ていなくても「緊急事態宣言」を出して、住民を安全な場所へ避難させる措置を取る事が望ましい。

また電柱は殆どが倒れるか、傾斜する可能性が有り、電気、ガス、水道のライフラインは甚大な被害を被り、最短でも4日くらいは使えなくなる可能性が有り、単体、若しくは少ない数で立っている木は、南西方向に開けている地域では全て倒壊するか、折れる。

南、南西に山が無い地域、橋の上では10トントラックでも横転し、一般的な乗用車は横転して飛ばされる。
この為、自動車は南西方向に山が見える所、或いは大きな鉄筋の建物の影に移動しておく必要が有るが、周囲の建物が密集している場所では、逆に煽り風でひっくり返される事から注意する。

自転車などは屋内に入れておかないと、後に交通障害の元になり、台風通過後の市街地道路は、落ちた瓦や屋根材が散乱して自動車の通行ができなくなる。
同様の事は主要幹線道、国道でも発生し、飛ばされた建物などに拠って塞がれた道路は、倒壊した樹木などと同様、撤去作業が終わるまで、自動車が通行できる範囲は限られたものになる。

コロナウィルス感染リスク回避と緊急避難措置は両立しない。
ウィルス感染は後に治療の余地は在るが、避難を怠って死亡したりし、後遺障害を被る恐れが有る場合は、ウィルス感染阻止を優先してはならない。

行政機関、消防や警察機構も暴風圏航行危険範囲に入っている時は、外へ出てはならない。
二次災害や二次被災に拠って被害を大きくするだけになる。
人命は尊いが、妻や子供の事を考えて耐えるしかない。

商業施設では、屋根が全て飛ばされた状態を想定して、商品や機材を頑丈な壁面付近に集めて保管し、南から西の方角に有るガラスには全て板を打ち付けるか、或いはビニールテープなどを貼って補強しておくことが望ましい。

台風通過後は大きな施設で残っている所を基地にして、そうした基地の数を増やしながらそこへ救援物資や医療品を供給する仕組みを取る事が望まれる。

更に台風の右後方には雨の領域が出易い事から、強風域の右下、場所的には関西から関東までの範囲で大きな雨が降り易く、この地域は水害に供える必要が有り、同様に台風の右後方には竜巻が発生し易い。
関西から岡山、広島、島根、鳥取、四国の太平洋側では竜巻にも警戒しておく必要が有る。

日本の木造建築物の瓦が飛散する限界風速は最高でも57m/秒で有り、ガルバリウム鋼板、トタン屋根の強度はこれより低い。
また90cm×90cm以上の面積がある窓は、例えアルミサッシでも、60m/秒以上の風に耐えられるかどうかは解らない。

台風内部では、これまでに調査した被害傾向から、例えば中心気圧が960hp程でも、細かい竜巻が発生しているケースが多く見られ、台風通過中は高潮の恐れも出て来る。
それゆえ、勢力が少しばかり弱まったと言っても、警戒を怠らないようお願いします。

天の禍に対しては、最大限の準備をしたら、後は祈るしか有りませんが、どうか誰も命を失わないように・・・・。

スポンサーサイト



「台風10号の予測」

2020年9月1日現在、小笠原諸島付近で発生している熱帯低気圧に関して、ECMWF(ヨーロッパ中期予報センター)とJTWC(アメリカ・ハワイ米軍合同台風警報センター)は日本時間の2020年9月2日未明には、同低気圧が台風に勢力を拡大するものと予測している。

また日本南岸の海水温と上空のジェット気流の関係から、台風が日本列島の中西部海岸から日本海へ抜けるコースを想定しており、現在は1006hpの中心気圧は、東海から九州東部海岸へ達する9月6日夜には、中心気圧920hp、中心付近の最大風速は50m/秒以上、最大瞬間風速70m/秒、強風域は500kmから600km 、暴風圏250㎞の猛烈な勢力になるものと予想されている。

一般的にはヨーロッパやハワイで日本の気象の予測精度など、いい加減ではないかと考えてしまいがちだが、この精度に付いては参考までに言うなら、日本の気象庁が把握している情報の70~80%の情報をデータ入力して予測していると考えた方が良く、日本の気象庁程の緻密さは無くても、大まかな参考としては十分な精度と考えた方が良い。

JTWCは主に太平洋に展開するアメリカ軍の気象予測機関であり、日本の気象庁よりは勢力や規模を大きく予測する傾向に有る。
これは1960年くらいまでは実施していた台風の中心気圧を実測しない為である。
1960年代以前までは戦争上の必要から中心気圧まで観測していたが、朝鮮戦争終了と共に、極東アジアに措ける気象予測精度の必要性が薄れた為、観測が簡略化されている為と言われている。

またECMWF(ヨーロッパ中期予報センター)は「European Centre for Medium-Range Weather」の省略だが、ヨーロッパ22か国が加盟する合同気象予測センターで、本部はイギリス・レディングに在り、世界の公的機関で最も長い10日先までの気象予測を行っている。

傾向としてはJTWCは軍事だが、ECMWFはどちらかと言うと、ビジネス戦略の為の予測に傾いているかも知れない。
しかもこちらの予測精度はとても位相的である。
或る時は全く誰も及ばない事まで予測する事が有るものの、外す時もJTWCよりは僅かに大きくなる。
これはJTWCと同じように、何が必要で何が重要性が無いかと言う事なのだが、場所と時に拠って重要性が変化している事が起因しているだろう。

これ等や他にフランス、ドイツ、スイスなどの気象専門機関の予測を総合すると、現在小笠原に存在する熱帯低気圧は、9月6日夜にかけて、日本の東海から九州北東部の、どこかの地点から日本に上陸する可能性が高くなっている。

考え方として、こうした各専門機関の進路予想のばらつき幅が、今の段階に措ける進路予報円と言う事になるかも知れない。

この熱帯低気圧、9月2日の時点では台風10号と呼ばれているだろうが、進路予測で大きな影響を受けるのが海水温の高さで有り、今のところ日本南岸で30度以上の海水温地域が、先に行って東京湾を舐めているような舌の形で存在している事から、この中を非常に遅い速度で北西に向かうものと見られている。

そして日本に上陸する直前の9月6日夜には中心気圧920hp、中心付近の最大風速は50~60m/秒、瞬間最大風速は70m/秒、暴風圏250km、強風圏500km~600kmの猛烈な勢力になっている恐れが有る。

台風の進行方向の右側、航行危険範囲に入る地域では9月5日から風が強まり、右側下部には雨雲が連なる。
また台風の中下部では、中心付近から離れた台風の外縁付近で竜巻が発生し易い。
日本人がこの100年で数回しか経験した事の無いで有ろう、強風と竜巻の被害を被る恐れが有る。
中心付近が通らなくても、例えば伊豆を中心付近が通過しても、関東平野では瞬間最大風速が50m/秒以上の風が吹く恐れが有る。

今後の日本の気象庁の発表には充分注意してお過ごし頂ければと思う。

猶、現在台風9号が通過中の西日本各地の皆様には、台風の進行速度が遅いため、不安な夜をお過ごしと思いますが、くれぐれも強風の中様子を見に行くなどの事の無いよう、避難を継続してください。

また北海道函館では何万匹ものイワシが死んで打ち上げられていますが、こうした場合、海流や海水温の関係で酸素欠乏状態になった為と言う見解が一般的です。

しかし、期限や直接的因果関係は明確でないですが、例えば関東大震災などでも横浜では大量のイワシが川を遡ってきて、それを皆ですくっている時に大きな地震が発生しています。
北海道南部、東部の方々は他にも通常と違った事が起きていないか、充分注意してお過ごしください。

「総理辞任に鑑みて」


安倍総理の辞任を考える時、もし今年に入ってからのコロナウィルス騒動が無かったら、2年前にヘリコプターマネー政策を終了させる事が出来ていたら、今回のように体調不良は有ったのかな・・・・。
そんな事を思ってしまう。

第一次安倍内閣の最後に鑑みても、安倍晋三と言う人間は、問題が山積して解決能力を失うと、一挙に弱気になり病気になる。
ある種登校拒否のの子供みたいなもののような気がする。
本当に体が悪いなら議員すらも辞職するはずだが、それは無くて総理だけ辞めるは、逃げたと言われても仕方がないし、事実政界の寝業師と言われた「三木武吉」らの在り様に鑑みるなら、如何にも政治を軽く観ているようにしか感じられない。

現実には6月18日時点で、あらゆる問題の解決方法を失っていたし、その後はもう病院へこれ見よがしに通ったり等、辞任に向けたストーリー作りだったように思う。
国家の首長が本当に具合が悪い時は、内政上も外交上もこれは秘せられるのが普通だから、敢えて早い時期から病院通いがリークされる場合には、スケジュールに向けたストーリー作りだったと考えられる訳で有る。

「病気で総理はできませんが、国会議員はできます」と言えるほど、心身喪失で判断もできない者でも務まるのが国会議員なのかと言う話である。
言葉の整合性が無く、どこかでは何かをなめている、これまでの在り様と何ら変わらない。

自身が批判される、或いは自分の名誉を守るために病院への通院をリークするのではなく、批判は覚悟の上で懸案となっている問題の1つでも、2つでも解決の道を付けて引くのが、国民の負託を受けた政治家の在り様だと思うし、その意味ではもはや負の遺産となってしまった政府の日銀侵食くらいは、しっかりけりを付けて欲しかった。

ひたすら幼児性が抜けないまま大人になって、周囲からおだてられその気になって2度も総理までやってしまったが、彼は戦後の総理の中では最低の総理と言える。
こうした引き際の幼稚さもそうだが、期限の定めなく日本銀行の中立性を侵した行為は、第二世界大戦中、統帥権まで独占した東条英機に匹敵する暴挙だった。
この1点でも安倍内閣の評価は戦後最悪の汚名を冠せられるものだ。

それともう一点、こちらは安倍総理の評価とは全く関係ないが、彼は地震に縁の有る総理で、第一次安倍内閣の時も選挙で完敗し、挙動が疑われ始めた頃を挟んで、能登半島地震、中越沖地震と言う大きな地震が発生するのである。

これは昔から言われている事だが、大きな政変の時は大きな地震が来ると言う伝説は、科学的根拠を持たないが、現実的には多く重なってきている。
阪神淡路大地震、東日本大地震発生時は、自民党が政権を失っていた。

それとこれも昔からの伝承だが、気温が高い年は大きな地震が来易いとも言われている。
全ての地震の数を把握できない限り、統計的にどうこう言う事は出来ないが、少なくとも1700年代以降の大きな地震では、比較的気温の高い現象が在って、大きな地震に至っている傾向がある。

科学は因果関係を好むが、この世の事象は全て合理的因果関係だけでできてはいない。
全く関係のない者同士でも因果関係が出てくる場合も存在する。
高温と地震は僅かかも知れないが、因果関係が有る事は理解できるかも知れない。

しかし政変と地震はどう考えても繋がらないが、だからと言って100%因果関係を拒否できるものでもない。
現実にそれが在って、何かが発生するなら、ここにどんなに関係性が認められなくても、因果関係は成立する。

既に総理辞任と言う大きな政変と、日本列島の高温化現象と言う、過去から言い伝えられている大きな地震発生を疑うべき現象が2つも揃って出てきている。
律令の時代なら、こうした事も配慮して自身の進退を決めるのが為政者と言うものだったのだが・・・。

一応、警戒すべきなのではないだろうか・・・・。

「終戦詔書」

                  「詔   書」
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ニ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主権ヲ排し領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦巳ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戦局必スシモ好轉セス世界の大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルニミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ為ニ裂ク目戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受ケヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ亦誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ慈クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ将來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

     御 名 御 璽    
昭和弐拾年八月拾四日
     

                 「詔書解説」
私は世界の情勢と現在のわが国の現状を考え、非常の措置でこの混乱を収拾したいと思うので、国民皆に発表します。

私は政府を通してアメリカ、イギリス、中国、ソビエトに対して共同宣言(無条件降伏)を受け入れる事を通知した。

そもそもアメリカ、イギリスに宣戦を布告したのは日本国民とアジアの安定の為、世界の共栄の為であり、これは天皇家伝統の精神であり私の基本的な精神である。
決して他国の領土や主権を侵すものではなかった、しかし戦争が始まってからもう4年経ったが、陸海軍の兵士、将校、一億国民がそれぞれ最善を尽くしたにも拘らず、戦局は思わしくなく、また世界の大勢もわが国に不利にはたらいている。

しかも敵は新しく大量殺戮が可能な残虐な爆弾を使い、罪の無い国民を殺害しているに及んでは、とても信じられない事である。
尚も戦争を続けるか、わが民族滅亡、ひいては人類文明をも叩き壊すようなことになれば、私は世界の人々や天皇家の祖先に対して、何と言ってお詫び出来るだろうか。
これが私が政府を通して無条件降伏に応じざるを得なかった理由である。

私は日本と共に東アジアの解放に協力してくれた国々に対して、残念とも言う事ができない。
また国民に対しては戦陣で死に、職場で死んだ者、及び其の遺族のことを想うと五臓が引き裂かれるれるようである。
更に戦争で傷を負った者、家や職業を失った者の厚生に至っては、私のとても心配なことである。

今後日本の苦難は計り知れない、国民の気持ちも良く分かる。
しかしこれも時の運である。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、世界の平和の為に道を開こうと思う。

私はここにいて、この国が存在し続け、国民皆の心と共に在る、決して激情したり取り乱したりして混乱を招き、世界の信用を失うようなことのない様に戒める。
どうか国を挙げて家族助け合い、この国の不滅を信じて、厳しく道は遠いが総力を上げて将来の建設に努め、道を踏み外さず強固な意志でこの国の繁栄の礎を築き、世界の発展に遅れない様にしてください。

国民の皆さん、私の気持ちを分ってください。

        昭 和 天 皇   印


この詔書は、文面の前半と後半では大きな違いがある。
どうしてかと言うと、前半の半分は政府、軍部関係者が作成したものだからであり、後半の半分は昭和天皇が8月14日の御前会議でお言葉にされたものを、文面にしているからである。
昭和天皇はご自身の事より、国民の事をより深く案じておられた事が伺える。

第二次世界大戦が終結して75年、日本が太平洋戦争にひた走って行った最も大きな契機は、蒋介石(しょうかいせき)率いる「国民政府軍」との和睦に失敗した事だった。
ここから中国に措ける戦闘状態の収拾が付けられなくなった日本は、戦争をコントロールできなくなって行った。

この責任の1番大きなものは「関東軍」と「日本陸軍」だが、それと並行して経済を優先させる財閥の在り様も、決して軽いものではなかった。
今、日本や世界の経済優先主義、保護主義的な経済環境に鑑みるなら、第二次世界大戦前夜と全く変わらない様相と言える。

私達が今、手にしている平和は、決して無償で天から降って来たものではない。
多くの人の血と肉に拠って、贖(あがなわれた)ものである事を忘れてはならない。
先人の苦難を偲び、平和と慈しみの心を深く養い、以て自身の幸福が国家の繁栄となり、やがては世界の繁栄となる事を、ここに祈念する。

8月15日の終戦記念日に際し、昭和天皇の終戦詔書を掲載させて頂いた。

「広島、天気は晴れ」

このまま降伏と言う事態になれば、政府責任者は戦争犯罪人として死刑になるかもしれない・・・。
いやその前に国民総玉砕を主張する過激分子たちに暗殺されるかも知れない・・・・。
だがもう良い、どうなっても構わない・・・。

「佐藤尚武」駐ソビエト大使は溢れる涙と、胸の奥からこみ上げる熱い塊を感じながら、それでも東郷外相からの電報(ソビエトに引き続き仲裁依頼を継続する旨)を押し戻す進言電報を起草した。

ポツダム宣言受諾を巡って日本がソビエトに仲介を頼んだ背景は、余りにも身勝手な理屈だった。
すなわちポツダム宣言を受諾するにしても、日本国内で降伏と言う現実を納得させる方法がない。
特に陸軍などは戦争継続を主張していて、このまま降伏したとしても、戦闘を平和的に収束させる力、統制が既に政府、軍部にもなかったのである。

また民主主義のイギリス、アメリカに対し、社会主義のソビエトは確かに対立関係にあり、そうした意味でアメリカと戦争をしている日本には協力的なのではないか、とする日本の思惑は理解できない訳ではないが、7月24日、ソビエトは駐日大使を既に山形県酒田港から船で帰国させている。

ポツダム会談のさなか、こうしたソビエトの動きは、冷静に見れば既に結果が出ていたことを示しているが、それでも僅かな望みに頼らざるを得なかった日本、決定的な意識の欠如はポツダム宣言の意味を理解していなかったことである。

ポツダム宣言は国際関係における明確な意思の表明であり、これに対する答えはイエスかノーであり、交渉も間接的回答も求めてはいないのであり、そこには日本国内の情勢により、降伏の体制を整えさせてくれれば降伏する、と言うお優しい配慮など望むべくも無いことだった。

1日の決断の遅れは後悔や懺悔ですむものではない、日本が滅亡する。
この事を、この時点で切実に理解できたのは、駐ソビエト大使「佐藤尚武」をおいて他にはいなかっただろう。

8月2日午後3時、原爆攻撃を実行するテニヤン基地の第20航空隊は、8月6日、日本に「完全なる破壊」すなわち原子爆弾第1号を投下する予定命令を受けていたのだった。

第1目標は広島、もし目視による爆撃が気象条件で困難な場合は小倉、更に長崎の順に目標を変更となっていたが、この時の日本は例年にない寒気の影響を受けていて、梅雨は終わってようやく夏の暑さが訪れ始めていたとは言え、列島西半分の天気は相変わらず、ぐずついたものとなっていた。

テニヤン駐在の第393飛行大隊は、連日B 29を飛ばし日本上空を偵察していたが、広島方面の空は目視攻撃には適さない日が続いていた。
しかし8月5日の朝、気象データは翌日の広島の空は「晴れ」と言う予報を出した。
運命の日がやってきたのである。

直径71センチ、全長3メートル、重さ約4トンのウラン型原子爆弾が組み立てられ、原爆投下機に指定された機体番号「44=86292」のB29に搭載され、整備員たちは大きな爆弾にクレヨンで思い思いのコメントを書いた。
「健闘を祈る」、「ヒロヒトに不運が訪れるように・・・」などである。

機体整備と原爆搭載準備は8月5日午後11時には終り、従軍牧師の祈りの後、出撃前の食事が続いたが、その献立はオートミール、リンゴ、バター、ソーセージ、生卵、パンにコーヒーだった。

8月6日午前1時37分、気象観測用のB29が3機出発、それぞれ広島、小倉、長崎に飛び、上空の状況を後続の原爆搭載機に知らせてきた。
原爆搭載機の乗員はポール・チベッツ大佐以下11人、大佐は搭載機に「エノラ・ゲイ」の愛称を与えていたが、この名前は彼の母親の名前である。

この他に原爆装置に関する科学者4名、原子爆弾を含めて積載重量は65トンに達していたが、この積載重量は通常より7・2トンも重いもので、そのせいもあって「エノラ・ゲイ」は滑走開始から予想外に浮力がつかず、滑走路の先端付近でやっと離陸する。
8月6日午前2時45分のことだった。

エノラ・ゲイは硫黄島上空で夜明けを迎え、午前7時25分、四国の南東付近に到着。
その時先行して広島上空を観測していたB29「ストレート・フラッシュ」からモールス符暗号電文を受信した。
Y2、Q2、B2、C1・・・下の層の雲量2、中層の雲量1もしくは3、上層の雲量1もしくは3、第1攻撃目標爆撃可能・・。

「エノラ・ゲイ」は上昇を開始、午前8時38分、高度9970メートルにまで達すると水平飛行に移り、午前9時15分に第1目標の広島に原爆を投下する計画だったが、日本時間では8月6日午前8時15分のことだった・・・。

この日は月曜日、しかもこの時間は出勤時間でもあっただろう。
街には仕事に出かける人達が行き来し、家では主婦が洗濯、朝ごはんの後片付けをしていたに違いない、学校では元気な子供たちの声も響いていただろう。

8月6日午前7時9分、広島県北部に突然サイレンがなり響く。
大型機3機が豊後水道、九州、国東半島を北上してきたからだが、目標機はすぐに南下し始めたので、この警報は午前7時31分に解除、3機の内1機は広島上空を横切って姿を消していった。
このB29は先行していた気象観測機だが、勿論そうしたことは日本側には分からない。

当時の広島市の人口は312000人、総戸数76000戸、警報が解除されると広島市の街には会社、工場、学校へ出勤する人、疎開作業隊も作業を始め、編制中の本土決戦部隊に入隊しようとする者などが、いっせいに動き出していた。

「エノラ・ゲイ」は科学データ観測機と写真撮影機を後方に従え、広島市に接近、午前8時15分30秒、ウラン型原子爆弾を投下した。
広島では、原爆搭載機の接近には全く気づかず、上空に爆音が聞こえ、B29の姿が見えたときには全市が廃墟と化していた。

そして広島市民が最後に見たのは激しい閃光で、その後発生してきた強烈な爆風や空気ショック、赤い火焔を見た者は一瞬死の訪れが遅れた者達だったが、それとて僅かな時間の差に過ぎなかった。

15000戸の家が一瞬にして吹き飛ばされ、街は焼け焦げた死体で覆われ、その殆どが全裸体になっていて、男女の区別さえつかず、僅かに残る靴で軍人か民間人かを判別できただけだった。
激しい爆風に続いて発生した火災は、僅かに生き残った者にまで更に追い討ちをかけ、約57000戸の家を焼いた火焔地獄は、慈悲の欠片もなく人々をなめ尽くした。

広島市の被害は市内の60%、約44平方キロメートルが廃墟と化し、死者行方不明者20万人、重軽傷者は31000人に及んだ。
そしてこうした事態にもかかわらず、日本政府が状況を把握できたのは翌日の8月7日、それも原子爆弾に関する声明を出したトルーマン大統領を伝えた、サンフランシスコ放送のニュースで、始めて事態の深刻さを理解したのだった。

戦後アメリカは戦争終結への道は原爆投下以外になかったことを力説、またポツダム宣言に対して日本が取った態度が「無視」だったことをその理由としているが、日本に対する原爆の投下は、その効果が絶大であることを、あらためて世界に知らしめたのも事実だった。

その事は戦後、戦勝国が先を争って核開発を行って来たことでも明白であり、いかなる言葉を持ってしても、その後ろに隠れた思惑を覆い隠すことはできなかった。

確かに核兵器は「神の力」かも知れない・・・・。

が、それを使った時はどうなるか、神の如くに、まるで虫けらのように人の手足をもぎ取り、ゴミのように焼くことの恐ろしさ、同じ肉体を持ち、同じように心を持った者を、これほどまでに容易く殺戮することの恐ろしさ・・・。
神が持つ力は絶大なら、その責任もまた無限の責任があることを我々は憶えておくべきだろう。

最後に核兵器が使われてから既に70年以上の歳月が流れた。
その本当の悲惨さを知る者は年々少なくなってきている。
日本がどう言うところから今日までを立ち上がってきたのか、また「神の力」が使われた結果がどうなったか・・・。
8月6日に際して、今一度思いをめぐらせて頂ければと思う。

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、20万人の人が一瞬にして死んだ。
今日の日本の礎(いしずえ)となった祖先の苦難を思い、この平和が無傷で手に入ったものではない事を忘れず、平和を愛する心を深く養い、原爆の犠牲となった人達に敬意を現す為、本文を寄稿させて頂いた。

文 責  「The Times of Mirabilla」 Tadashi-Aasada

「夏の日の霧」

2020年7月31日、鹿児島県奄美名瀬市の市街地では、原因不明の「霧」が発生し、通常視界確認距離が20kmほどの同地の視界は3kmほどとなり、この現象は早朝に始まり、7月31日の夜まで続いた。

また同様の霧は奄美市瀬戸内町などでも発生しており、奄美市では広い範囲に渡って終日原因不明の霧に包まれたものと考えられる。

通常気温差から早朝などに霧が発生する事は珍しい事ではないが、この霧が広い範囲に渡って1日続く現象はとても珍しい。
気象学的も中々説明の付かない現象と言えるが、可能性としては黄砂の影響と言う事が考えられる。

しかし7月31日と言う時期、事前に低気圧の通過もなく風は穏やか、前日から当日まで降雨は全く観測されていない為、黄砂の粒に水蒸気が付着して発生する霧の可能性はとても低い。

午後3時頃からは同じ奄美市の和泊町でも、霧の為に視界は10kmまで下がったが、この事から霧は広範囲に持続的に発生していた事が伺えるのである。

当日奄美地方の気温は最低気温26度、最高気温32度で有り、昼間ここまで気温が上がりながら晴天の中、霧が発生し続ける現象はあまり例が無い。
気象庁でも原因は全く不明と見解している。

これと同じ現象が過去になかった調べていると、同じものではないかも知れないが、「大日本地震資料」記載事項中、1802年(享和2年)11月15日に発生した佐渡地震の記録が残っており、この中で「広島」と言う人が独自に地震の研究をしていて、彼が残した資料の中にこのような記述が有る。

今日、この地の者が私を訪ねて来て、不可解な天気に付いて尋ねた。
曰く、辺り一面朦朧(もうろう)として、四方見渡せず、霞が山の中ほどから下を覆い、しかし頂きは見えている。
雨とも言えず、風とも言えず、実に怪しい天気だが、こんな天気を見るのは初めてだ。

これに対して広島氏はこう答えている。
それは・・・、子供の頃父から聞いた事が有る。
「それは地震が来る時のしるしだ・・・」

この後、2人は慌てて宿に帰り、宿の主に避難するように告げ、自身らも急いで山から離れるように逃げて行った。
そして4里程(16km)の道を走って逃げている途中、M6・6の地震が発生し、彼らが泊まっていた宿は山崩れで押し潰されてしまうのである。

またここからは日本地震予知クラブ初代会長、亀井義次(かめい・よしつぐ 故人)氏が1996年7月に発行した「地震予知いろはがるた」の中の記述だが、前出の広島氏はこの佐渡地震の後、佐渡の金山を訪ね、そこで坑夫達から聞き取り調査を行っている事が記されている。

その中で広島氏は、この間の佐渡地震では金山でも坑道が崩れ、多くの人が犠牲になったのではないかと坑夫に尋ねるのだが、意外にも、坑夫は全員地震前に避難していたと答えるのである。

坑夫曰く・・・。
「大体地震が有る前には地面の気が上がって、坑道全体が霞に包まれてしまう」
「この前の時(地震の時)も地面の気が上がって、坑道の中は腰から上が見えなくなったくらいだ」
「地震の3日前から1人だって坑道には入らないさ・・・」

何でもかんでも地震に繋げる事は避けねばならないが、過去の事例に近いものが有るときは、その時に起こった事象を一応は警戒する必要が有るのかも知れない。
奄美地方の霧は、もしかしたら付近に発生する火山噴火、大地震の前触れ現象の可能性を完全排除できない。

夏の真昼の霧で他に近いに現象としては、高温に拠って植物が排出するトルエン成分の霞が有るが、この霞は視界を半減、或いは10分の1にまで下げるほどには至らず、しかも遠くからは青く見えるを倣いとする。

何も起こらねばそれで良いが、周囲に変わった事、説明の付かない現象が発生した時は、それが物理的に説明が付かない事を確認した後、注意を怠らない事が自身と家族を守る、一番基本的な防災意識と言うものでは無いかと思う。

「令和・中央集権の崩壊」

全ての原因はこの人の拝金主義から始まった気がするが、2020年8月1日、WHOのテドロス事務局長は、コロナウィルス・パンデミックの影響が今後数十年続くと発表した。

初期段階、これはパンデミックでは無いと言っていた彼が、今や恥ずかしくもなくパンデミックを公言している姿は、どうも納得いかないものが有るが、それ以上に異様なのは日本政府、首相周辺の異様な沈黙である。

既に第2波と言うより、2020年4月の非常事態時よりも感染者増加率が上昇し、今や首都圏だけではなく地方にまでそれが及び、4月のそれが非常事態なら今はもう超非常事態にも関わらず、Go toキャンペーンを推進し、どんどん旅行へ行ってくださいと言う方針を撤回もしない。

アクセルを踏んだけど前方には障害物が見え、今度はブレーキを踏まねばならなくなった。
にも関わらずアクセルを解除せず、ぼーっとしているのでは、障害物に衝突してしまう。
国家為政にも自動ブレーキアシストが標準装備されている、とでも思っているのだろうか・・・。

誰の目にもGo toキャンペーンは即時中止し、再度非常事態宣言を出さねばならない状況で有り、休業補償を想定するなら、休業要請の為の統一基準を設定しなければならない事は明白と言える。

この時期に国会が閉会だからと沈黙しているのでは混乱は深まる一方だし、既に政府はGovemment(ガヴァメント)の様相を呈していない。

国民の不幸は政策の失敗に有るのではなく、失敗した政策を継続しなければ信用を失うと思ってしまい、方針転回できなくなる為政者の心の卑屈さに因が有る。
そしてこの因は為政者が成立した時の「専横」を始まりとする。

少数意見や反対意見に対する自身の対応から疑心暗鬼に陥り、動けなくなるのだが、この原理は比較的簡単なものだ。
反対意見、少数意見を権力や多数決で徹底的に叩き、敵にしてしまうと、次は反対意見や少数意見だった者たちから、徹底的に叩かれると恐れる為、一度動き始めた政策は例えどんなに間違っていようが、絶対変更できなくなるのである。

本来政治の世界では、日本の為と言う視点なら敵も味方もないのだが、最初に少数意見者の声も反映しておけば、万一政策に誤りが有った時でもすぐにこれを正す事はできるが、ここで意見を巡って対立し、敵となった者たちを排除してしまっていると、方針転換時には自身そのものが誤りだった事になってしまう。

少数意見や反対意見を排除した度合い、敵視した度合いに応じて、政策に誤りが出た時は、自身存続の恐れが生じてしまう。
これを「ミラー効果」と私は表現しているが、実に自分がやった事に比例して、自分がそれを恐れる事になる訳である。

安倍政権は味方と敵のはっきりした政権だった事から、当然ミラー効果は大きく働き、政策の失敗は許されない状況になり、強行突破しているから、政策方針の転換はできない訳で、手立てもなく逃げ回るしかないのだが、ここで起こってくるものは権力の散逸である。

つまり権力が宙づりになってしまい、分散して四方八方に散らばってしまう事になり、ここに中央集権は終焉を迎える。
まさに歴史が繰り返してきた通りの道を、今の日本は歩んでいる。

天皇や大将軍、幕府の権力が散逸して行く過程に同じな訳であり、次に起こってくるものは地方勢力の台頭で有る。
政府が決めないなら、各都道府県が独自に決定して行くしかなく、嫌が上にも地方権力が上昇して行く。

東京都、沖縄、名古屋、岐阜、大阪が独自基準を模索して行く図式は、まさに中央集権国家から戦国時代に突入する過程と全く同じなのである。

だからこうして中央政府が手立てを出せない時は、各行政府が独自に努力、結束して台頭し、既存権力を突き崩せば良いのである。
既に自民党は死体も同然だし、野党に至っては悪鬼、欧米風に言うならゾンビ状態だ。

日本は今無政府状態なので、各行政府が中央政府を脅して動かし、新しい秩序を構築すれば良いのである。

浦賀に黒船が現れ、対処方策を失った幕府に拠って社会が混乱した図式と、コロナウィルスに拠って対処指針を失い、混乱を招いている令和2年の日本政府の図式は、同じに見えるが・・・。



「安倍総理の贖罪像に関して」



韓国の京郷新聞が報じた7月25日付けの記事で、ソウルから遠く離れた植物園の中に、慰安婦像に土下座する安倍総理を模した像が製作され、8月10日に韓国国会議員を招請し、大除幕式が開催される事が伝えられた。

これに対して日本政府、韓国政府も話題沸騰になっているが、基本的に田舎の少し頭のおかしいオヤジが、エロい像を作って展示したのと何も変わらない。
その程度の話なので、騒ぐ必要はない。

楚王編纂古典易法、いわゆる孫子兵法の元になったものだが、この中では敵の策を封じる策として、その効果の遺失に関する対処法が残されている。

それに拠ると、敵が仕掛けた策は効果が出る事に拠って成就するゆえ、策を成就させない事に拠って策を封じると有り、「離間の計」(敵同士を仲たがいさせる策)に対する返し策は、揺ぎ無い結束を見せる返し策が1つ、2つ目はわざと離間の計に騙されたふりをして、敵をおびき出し殲滅する法となっている。

またこの2つを二重に組み合わせれば、返し策は見破られないとも記されているが、そもそも離間の計は敵陣地、敵国に対し、そこへ送られた文書若しくは噂を基本とする為、今回のように日本に送られてきた何かが存在せず、韓国で日本に対する侮辱が行われた場合は、「おびき出し策」と見做す事ができる。

簡単に言えば、兵糧が少なく決着を急いでいるのに、敵が中々出てきて戦おうとしない時、罵声や侮辱的な言葉を浴びせ、敵を戦場に引きずり出す戦法に同じで有る。

この場合の対処法は「無視」して余裕を見せる事で策が封じられ、やがて兵糧が切れて来ると、その侮辱を繰り返していた方が、撤退せざるを得ない状況に追い込まれる。

日本がこうした場合に採る戦法は、全くの無視か、或いは「芸術や創造の自由は保障されている。何を作るかは個人の自由だ」と見解し、ついでに安倍首相自身が「中々素晴らしい、いつか見に行きたい」とまで言えば完璧な返し策になる。

日本の度量が全世界に示され、ついでに安倍総理のきつ~い、しかしシュールなジョークセンスは高い評価を受け、韓国の品の無さが国際的に深まる結果を生む。
「おびき出し策」に対し、返し策で敵にダメージを加える事ができる。

その上で8月に日本企業資産の売却が実行された時点で、日本が韓国に貸し付けている資金の引き上げと、貿易に関する日本の通貨保証を全て撤廃すれば良い。
今回の侮辱や、自衛隊艦船に対するレーザー照射事件は、日本がそれだけの報復をするに資する充分な根拠になる。
国際社会の理解が得易くなる。

今回の事件は、基本的には田舎オヤジの暴走なのだが、社会と言うものは「どう見えるか」と言う事が事実の上に立つ。
8月に徴用工裁判に拠って、日本企業の資産売却が迫っている韓国は、これを実行すれば日本の反発は必至だから、それを何とか日本側に責任転嫁したい。

そこで日本に対してこれを言えば逆らう事が難しい、慰安婦像を使って安倍総理を侮辱し、8月の日本企業資産売却を言葉で押し切ろうと考えたのではないか、そう言われても仕方ない状態になっているので、ここで騒がず、とぼけた事を言って相手にしなければ、その効果は全くなくなる。

ついでに国際社会としては「いくら何でも韓国のやり方はひどいのではないか」と言う雰囲気が醸し出され、その逆に日本のリベラル振りは評価が高まる。
次の機会から韓国はもし国内に同じような暴走が発生したら、政府の責任で止める必要まで出て来てしまうのである。

実際は田舎オヤジの暴走なのだが、これを韓国政府の責任にし、しかもこれを使って韓国を貶めるなら、日本は騒がない方が良い。
反対に大騒ぎすると、単なる田舎オヤジの暴走が韓国全体の利益に繋がってしまう事になる。

人間関係もそうだが、敵となるか味方となるかは時と状況に拠って変化する。
敵の時は敵なりに、味方の時は味方なりに利を得る事をためらってはならない。

日本政府には是非、こうした古典兵法も一度使ってみる事をお勧めしたい。

「無知に起因する大発見」



日本内閣府中央防災会議は2017年に「地震予知は無理」と見解したが、この以前の1995年、中央防災会議の前身である気象庁の「地震火山予知連絡会」が「地震予知は不可能」と見解している為、1995年以後で地震予知は可能と見解した事実は存在しないから、2017年の見解は1995年の見解を記憶している者にとっては、「今頃何を言ってるの」だった。

だが、多くの人が1995年の見解を知らない、或いは記憶していなかった為、この時初めて日本政府が地震予知を否定したと錯誤する結果に至った。
つまり知らないからこそ、政府がやっとはっきりした見解を示したのかと言う事になったのだが、実は過去の経過を知らずに、同じ内容の見解をしてしまったと言う、情けない話だったのである。

同様の事は前記事でも書いたが、「宏観地震予知」でも出現してきている。

1973年、中国の国家主席「毛沢東」は地震被害が発生した事から、地震予知を国家政策に挙げ、1975年までに自然現象の変化や異常情報を集めて、2つの大きな地震の直前に住民を避難させると言う快挙を実現した。

この時中国政府が集めた情報は、異常現象の集積だったのだが、中国政府はこれを「情報の科学的分析」としたものの、日本で言う所の観測機器などに拠る「科学的解析」とは異なる為、日本でこうした中国方式と日本の科学方式を区別するために「宏観地震予知法」と言う言葉を使って区別したのが「宏観地震予知」と言う文言の始まりである。

従って日刊ゲンダイデジタルやウキペディアで記録されている「宏観異常現象」なるものは、何の歴史もない2020年に作られた単なる「造語」に過ぎないにも関わらず、中国から由来した言葉たと言う記事が出てくるのだが、「宏観地震予知法」と言う文言が正しいのであり、「宏観異常現象」と言う言葉は、その言葉が既に「異常現象」と言うレベルかも知れない。

またやはり同じように「週刊新潮」2020年7月2日付け記事、同社2020年7月5日配信の「地震予知を可能にする電離層前兆現象」と言う記事に出てくる京都大学教授の見解も、とても稚拙だと思う。

まさに無知に拠る大発見、大はしゃぎだが、同記事に出てくる「串田嘉男」氏は、おそらく過去の事を話したがらなかったと思う。
同氏は1980年代後半からFM波の異常を研究していて、地震予知の世界で一世を風靡したが、2005年頃には地震予知から身を引いて、本来の超新星発見の世界に戻ったのは何故か・・・。

「関東大地震」を外したからである。
千葉県東方沖の地震を「首都直撃大地震」と予測して外れ、当時地震予知に関わる機材購入予算の関係から、広く地震予知情報を提供する替わりに、資金援助を受けていたからである。
ここからネットで非難を浴びて大炎上し、串田氏は地震予知から身を引いた経緯がある。

当時私はとてもこの事を残念に思っていた。
外しても良い、そう言う事に対しても寛容性が無ければ、地震予知などやっていられない。
外れて良かったじゃないかと言える社会の醸成を強く望んだものだった。


電離層のFM波の検証は1980年代後半から各大学でも多くの検証が為された。
だがその結果は的中率60%とするもの、30%とするものと言う具合に安定した統計が採られなかった。

そもそもこれだけ多くの地震が発生していれば、偶然に重なる方の確率もかなり高くなるため、その精度を推し量る事が出来ないのである。
また単純にFM波が遠くまで聞こえると言う事で有れば、私の住んでいる能登半島では、日に拠って北海道から、福岡までのFM放送が聞けたが、それと地震の因果関係は認められなかった。

電離層のFM波の異常は震度3も震度6もそれほど大きな差異を示さない。
この事から統計を取っても大地震ばかりを予知する事は出来ず、震度3や4の地震など、被害重視で考えるなら予知する必要もない。

結果として常に今日も明日も地震が来ると、騒ぐだけになってしまうのである。

こうした経緯を京都大学の教授は知っているのだろうか・・・。
私が知る東京大学をはじめとする各大学の物理学や理学部の教授は、しっかり過去から系統付けて調べていて、尚且つ慎重だった。
「すぐに地震が予知できるようになりますよ」などと言う軽口は叩かなかったものだ。

もう少し「畏れ」と言うものを学んだ方が良いと思うし、こうした軽率な記事を簡単に印刷許可し、或いは配信許可する出版会社のデスクの質と言うものにも疑問を感じる。

せっかくの大切な研究に混乱を与える者は、反対説を唱える者ではなく、無知なるがゆえに熱狂的な支持者、その舞い上がった行動、これに拠って引き起こされる研究の攪乱なのである。

電離層FM波異常の地震予知は、1990年代に1度脚光を浴びたものの、その予知方法、民間から予知に対する対価として資金を調達する手段共に、挫折例がある事を知ってか知らずか、或いは故意に書かなかったのかは解らないが、正確に申告していない。

またもし知らなかったと言う場合は、過去の失敗例を知らずに、あたかも自分が最先端の地震予知を行っていると言う愚かさがあり、これでは国家予算調達以前に、出発点から別の大きな問題点を抱えている事になる。
話にならない。

「地震は絶対予知できる」と言う者は嘘つきか、愚か者だ・・・。

https://news.yahoo.co.jp/articles/17d4cf61a40cdef7a4901b099c73863d7e60e575




「宏観異常現象と言う表現は成立しない」

「ウキペディア」と「日刊ゲンダイデジタル」の記事及び資料の一部に誤りがあるのでここで訂正しておく。

「宏観異常現象」と言う表記が使われているが、同表記は言葉の意味としての整合性を欠き、猶かつ「日刊ゲンダイデジタル」では中国由来の言葉としているが、中国でこの言葉や漢字が使われた経緯は存在しない。
異常現象の宏観と言う表現は用いられていない。

そもそも中国では共産党革命に拠って、過去の地震予知に関する資料は全て廃棄、または焼却処分され、従って毛沢東の共産党政権以後、こうした言葉が日本に入ってくる時は「科学的予知」とされていた。

当時中国では「宏観地震予知」を「科学的予知」と表現していたのであり、「宏観地震予知」及び、「宏観」と言葉は日本で割り当てられた言葉で有る。

「宏観」と言う言葉は「より広く」と言う意味で有り、一般的に整合性と客観性、物理学的な説明が付く事象を一つのスケールとすると、これを超えて神秘的なもの、伝承や物理的説明の付かない事象を含めて観測する姿勢を「宏観」と呼ぶのである。

異常現象は初めから物理的整合性を予見できない意味を持ち、最初から特殊性を持つ言語で有り、異常と言う言語が初期に入っているなら、初めから「宏観」の意味は包括されている。

従って「異常現象」に「宏観」は無いのであり、「宏観異常現象」と言う表現は「より広く異常現象」、「より広い異常現象」と言う事になる。
このような表記は言語としての整合性を持たない。

「宏観」と言う言語の意味は決められた枠より外を含めて、と言う事だから、これの相対は「通常」や「科学的観測」の事であり、「異常」は初めから通常や科学的観測の外である事から、重複表記である。

「日刊ゲンダイデジタル」が中国由来としたのは、1975年から1978年前までの中国の地震予知を拠り所としたのかも知れないが、この時中国政府と同研究機関は、この予知方式を「科学的予知」としていた。

流石にウキペディアでは中国由来と言う表現は見られなかったが、「日刊ゲンダイデジタル」では堂々と「中国由来」と表記されていた。
如何に何も調査せずに記事を書いているかが明白であり、このような事では同メディア記事の信憑性は、極めて薄いと考えられても致し方ないと思う。

中国に措ける宏観地震予知は、古くは天文と気象、奇譚、英雄伝、歴史書として記録されたものであり、共産党革命で失われたこれらの資料を多少保存したのは、太平洋戦争で中国に進出していた日本軍だった。

それゆえ今日至って迄、「宏観地震予知法」資料を最も多く有しているのが日本なので有り、日本に措ける地震予知法の記録は、1000年前から記録が残っている。

最も盛んだったのは江戸時代であり、紙と墨が一般商家や豪農でも使えるようになった点が一つ、江戸時代は大きな地震や火山噴火が多かった点が二つ目の理由である。

「宏観」は「広く観測する」だから、この次には「何を」が続き、もっぱら地震の前兆現象に対して使われた事を始まりとし、その使われるようになった歴史も100年と言う単位を超えていない。

それゆえ「宏観」と言えば「地震予知」が続き、基本的には気象庁や大学の研究機関などが為す、科学的地震予測に相対する方法の地震予知の意味で使われる。
元々幽霊などを目撃したなどと言う、異常現象までも包括するものではなく、「科学的観測」以外の「地震予知観測法」を指していた訳である。

「広く、異常現象」では、言語として成立しない。
「宏観異常現象」と言う使い方は誤りであり、中国から由来された言葉ではない。
「宏観地震予知」或いは「宏観地震予測」などの運用法が正しい使い方である。