2010/05/31
マリオネット
「おい、あれを持ってきてくれ」その言葉に彼の2人いる秘書の1人は別室へ入って行き、程なく紫の風呂敷に包まれた四角い物を持って出てくる。
そしてその風呂敷包みは眼前の机に置かれると、今度はもう1人の秘書がその風呂敷の縛りを解くが、少し解けたところで、この事務所を訪れている訪問者はその中身に気が付き、思わずそわそわ落ち着かなくなる。
「行けるな・・・」
コンピュター付きブルドーザーこと、元内閣総理大臣田中角栄(故人)は幹事長時代、自分が国会議員に出馬要請した有名人候補の一瞬の表情から、その有名人が自分の出馬要請を受けるかどうかが分ったと後述しているが、そのやり方はまず、机の上に金を山のようにして積み上げ、それで「お願いします」と頭を下げる方式で、これはどの有名人でも同じだったらしい。
そして田中角栄はこの方法で、出馬要請を断る者はいなかったとも語っていて、ついでに有名人やスポーツ選手は一番選挙運動に金がかからないとも豪語していた。
またこれはオフレコで語られたものが、田中角栄の死後、流出したものだが、有名人やスポーツ選手に政治が分るのかと聞いた記者に対して、彼はこう答えている。
「そんなものは初めから期待していない、どちらかと言えば少し(頭が)足りないくらいの方がちょうど良い・・・」
なかなか現実的な言葉だが、つまり田中角栄は有名人やスポーツ選手などに、初めから政治的能力やセンスなど必要ない、むしろコントロールしやすいと言う点では、少し頭が弱い方が理想的だとも言っているのだ。
確かにまったく無名だと例えどんなに優秀であろうが、その候補の名前を売り、宣伝して顔を売って、なお組織票を動かさなければならず、組織票は既存議員にとっても重要な票であることから、そんな苦労をすることなく、黙っていても票が集まる有名人やスポーツ選手は金がかからず、大体がこう言う言い方をしては悪いが、一芸には秀でていても世間を知らない、言わば人間的にすれていない人たちは、それから後当選してからもコントロールはしやすかったのだろう。
また政治は数だ、優秀な政治家だろうが、理想に燃えようが燃えていまいが、利口だろうがそうでなかろうが、1人は1人で、この1人の積み上げが派閥であり、党であり、そして政治であることに変わりは無い。
こうした考え方が正しいかどうかともかく、田中角栄にとって、端末の国会議員など所詮数の一部に過ぎなかったことが、ここから伺えるが、そうした彼のやり方はその後他の公明党や、社会党などの野党にまで及んで行ったことは確かで、以後日本の国会には有名人が多数立候補してくることになる。
だがこうして政界入りした有名人や、スポーツ選手たちがその後どうなったかと言うと、これは結構悲惨なものがあり、やがて数回当選して知名度が落ちてくると、また新しい有名人やスポーツ選手を擁立し、比例代表選挙では、当選3回の有名人が新人より遥かに下の順位になっていたりするが、派閥や党に少しでも逆らえば、と言うより「おぼえめでたき者」でなければ、すぐに外されていく運命でもあった。
そして尚かつこう言う有りようは、私の個人的な見解ではあるが、非常に後進国的なありようであり、また政治的混乱の多い地域での様相と類似するものがあり、即ちこうした政治的な傾向を許す国民の、政治に対する見識や成熟度の低さを感じるのである。
本来政治は広い視野を持ち、国家国民のことを考えられる者がその地位にあるべきもので、数であれば何でも良い、人気が有って票が集まれば誰でも良いと言うのであれば、それはもはや政治ではなく、ただの衆愚でしかない。
それ故政党もそうだが、むしろ政治家を選挙で選ぶ民衆も、こうしたことをくれぐれも心に留め、政治家を選ぶ姿勢が求められる。
無論有名人だからスポーツ選手だから、政治的能力は無いとは言わないが、有権者は本当に自身の未来を付託するに資する者を見極めることが大切であり、有名人だから、スポーツ選手だから、その人物に政治的能力があるとは思わないほうが良い。
民主党の小沢幹事長は、冒頭の田中角栄の元で政治を学んだ男だ。
「数は力なり」を、「金は力なり」を身に沁みて理解している男であり、そうした意味から今度の参議院選挙の民主党候補予定者を見てみると、なかなか趣き深いものがある。
ここからは私の推測だが、やはり小沢幹事長は有名人を説得するにあたり、田中角栄と同じように大枚の選挙資金を積んで、それで説得に当たっているだろうが、今回少し学習したことがあるのではないだろうか。
それはスポーツ選手だが、例えば1970年代まではスポーツ選手は現役引退後もコマーシャルや講演活動などで、そこそこ金を持っていたから、少ない金額では政界入りを断られただろうが、現代のスポーツ選手は「金が無い」ことを知ったのではないだろうか。
長引く景気の低迷でスポンサー企業を失ってきたスポーツ選手は、オリンピック選手でもその活動を継続することが、かなりの負担になっている可能性があり、そうしたことから、例えば柔道の谷亮子選手を参議院議員候補に擁立するに当たり、小沢幹事長が谷亮子選手の柔道選手としての活動も支援することで、彼女を説得したと言う噂が流れるのである。
こうしたことが事実なら、柔道を何としても続けたいと願う、谷亮子選手の情念は百歩譲って理解できたとしても、それでは参議院議員は柔道を続けるための道具かとの疑問は拭い去れず、ここにやはり、田中角栄と同じような「数」の思想が伺えるのだが、同時にオリンピック選手と言うものの資本力の低下が透けて見えるように思うのである。
言いたくは無いが、金銭的に苦しいスポーツ選手は、スターなどの有名人より更に金をかけなくても簡単に説得に転び、選挙で票が集まり、しかも党所属議員数は増やせる、いや民主党小沢派の数が増やせる・・・、と思ってはいないだろうか、またこうした小沢幹事長の有りようを見て、「おー、これはうまい手だな・・・」などと他の政党は思っていないだろうか、そこが心配である。
また一般に力が落ちてきたテレビ業界、映画産業、この影響でタレントなど有名人のギャラも乱高下している風潮があり、場合によってはお買い得な有名人も存在し始めている。
お誘いがあれば喜んで、と言う者も増えているだろう。
景気の低迷は、長引くと政治の低迷にも繋がる恐れがあることを、我々は憶えておかなければならないように思う・・・。
ちなみにマリオネットとは「あやつり人形」のことだが、これは説明の必要が無かったか・・・・。