「謎の爆発音」

2021年4月26日夜、北海道札幌市付近で発生した「謎の爆発音」に関して、当初地震学者が地震波とは違うと所見、そこから火球、隕石の突入音との推測を出した。

これに対して天文学の専門家、天体観測の研究家は、これだけ広範囲に爆音が聞こえたとするなら、火球にせよ隕石にせよ、夜にも拘わらず、全く発光現象が観測されないと言う事態は、あり得ないと言う意見が出された。

そこから話題はジェット機の加速振動ではないかと言う予測に移行し、一時は姿も見えず加速振動音だけが聞こえると言うステルス性に鑑みるなら、他国の領空侵犯、国防の危機説にまで発展したが、京都大学が震動波形から、ジェット機の加速震音説を否定し、文字通り「謎の爆発音」と言う事なってしまった。

こうした場合の原因特定には「排除法」が有用で有り、まず付近で花火大会や工事現場で発破「爆発粉砕」が使われていないかったかを確認し、次に気圧配置から雷雲、突発性強風の発生がなかったかを確かめる。

その次に飛行機やジェット機の加速に伴う衝撃波の可能性を考え、次に火球や隕石の突入音を考えるのが順序だが、これ以外にも「謎の爆発音」となる可能性としては「空気振動」が在り、この場合の原因は飛行機の加速震動、遠隔地火山噴火に伴う現象の2つが存在する。

実はこうした謎の爆発音や、地震計に観測されない震動や振動音は、石川県能登半島、富山県西部では珍しい現象ではなく、かなり高い頻度で発生していて、その80%は飛行機の加速振動音となっている。

国防危機説を唱えた軍事専門家は、こうした爆発音から、ステルス戦闘機やジェット機の加速振動音を想定したようだが、普通の航空機でも高度や気象的条件に拠って、震度2くらいの空気振動と「ドーン」と言う衝撃音を発生させるケースは少なくない。

また札幌の爆発音は陸地での観測証言が多く、海域では聞かれなかった事から、一部の気象予測専門家は空気の温度に拠って、温度が低い海域では音が伝わらなかったのではないかと所見しているが、この手の謎の衝撃音の観測が、石川県のケースでは夏よりも初冬が一番多い。

この事からこうした衝撃音は空気の温度よりむしろ、気象的条件、例えば低気圧が接近する前日等の気象的条件に拠って観測される場合と、そうではない場合に分岐するものと考えた方が良いのかも知れない。

能登半島では過去、1か月の間に41回「謎の爆発音」を観測した年が在り、これらはそのどれもが飛行機の加速振動音かどうかを特定できなかった。

更には飛行機の加速振動音も、隕石の突入も明確に否定が確認されたケースが、2000年から2020年まで12回存在し、この内8回に付いては、4日から7日後に九州南部、南西諸島の火山噴火が発生していて、この時の空気振動波形態は隕石突入時の衝撃波形にとても近いケースが有る。

「謎の爆発音」は決して珍しい現象ではなく、その原因は花火、発破、雷、飛行機、隕石などの突入に拠るもの、火山噴火に伴う前触れ現象が考えられると言う事であり、この中で最も多いのが飛行機の加速振動音、次が火山噴火に伴う空気振動と考えられる。

石川県の事例では「ドーン」と言う爆発音の後、震度3クラスの振動を観測したケースが、この20年で16回存在する。

京都大学には申し訳ないが、北海道で観測された衝撃波形は隕石の突入時だけではなく、火山噴火前兆に伴う空気振動波にも、似たような形が在る事をご記憶頂いて、後の研究に生かされん事を希望する。

ちなみに大きな地震に伴う音の前兆現象の場合、「ドーン」と言う音は1回で終わることはなく、時間的等間隔を措いて複数回に及び、「ゴー」と言う風の音のような場合でも、それが観測される時間はかなり長い。

1回、数秒と言う単位での「謎の爆発音」では、大部分が飛行機の加速振動音、残りの更なる原因不明の爆発音は、1週間以内に発生する、300km~500km離れた地域の火山噴火、何らかの地殻変動と言う可能性が在る事を記録して措く。

[本文は2021年5月15日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]
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「近似代数計算」

一般的にコンピューターや電子演算、計算機器におけるデータの正確さは、それが導き出される結果精度に反映されると考えられているが、例えばごく簡単な方程式の解が簡単ではない場合も存在し、こうした現実からカオス理論が発生した。

また我々が住む地球にそもそも「正確な数値」が存在するのかどうかも疑問である事に鑑みるなら、ある意味我々が絶対と信じている数値もまた、近似値と言う事ができるのかも知れないし、一筆書きで有名なオイラーの研究から端を発した「位相幾何学」などの解は、大きな幅を持っていたりもする。

そうした中で我々が一般生活を営む中には「近すぎて見えない」、或いは「細かく見過ぎて現実が見えない」と言う場合も多く存在する。
レントゲン写真ではピントがしっかり合っている写真では見えなくて、ピンボケした写真で疾患部位が見えてくる場合も存在する。

そこで考えられたのが閾値(しきいち)以下のデータを「0」と換算し、近似値計算に拠って、複雑な多項式近似的因数分解を容易にする方法だった。
これは実に画期的な発見だったが、多項式近似値因数分解が容易になるだけではなく、「解の因数」すら求められる場合が有る事が知られていた。

「佐々木建昭」筑波大学教授等が理研に在籍した時の研究だったが、カオス理論や位相幾何学の分野に匹敵する発見であるにも関わらず、その後あまり応用されていないのは極めて残念としか言いようがない。

閾値や限界点の位置を変えて「0」で計算し、元の設定限界点に拠る結果と比較する過程には、多くの発展的課題も含まれていたし、誤差が避けられない数値計算と、厳密である事を要する数式計算と言う、相反する概念の融合は、カオス理論の初期、秩序が混沌に向かう過程、或いは答えが一つではない位相幾何学との、現実的な関連性まで予想させてくれたものだった。

エドワード・N・ロレンツの観察的カオス証明は、絶対的に見えるものの始まりが非絶対性を示していたし、オイラーの等式(Euler's identity)などは近似代数計算で現れる「解の因数」と極めて近い匂いがしたものだった。

「近似代数計算」(approximate algebraic calculation)
いい加減な数値といい加減な数値を乗じたら正確な数値が現れ、正確な数値と正確な数値を乗じて行くと答えが不透明になっていく・・・・。
この世界は実に面白い・・・。

「時系列的整合性の欠如」2

酒と女には気を付けろ、宗教や政治、応援している野球団の話はするな・・・。

今から40年前、自分が商いを初めた時、師匠とも呼べる方から言われた事だが、野球団がサッカーチームに変わったくらいで、今も変わらずこうした教訓は普遍的な命題と言えるだろう。

だが酒と女はともかく〈こう言う言い方をすれば差別と言われるのかも知れないが…笑〉宗教や政治、サッカーチームの話題は何故忌避されるのかと言うと、ひとえに敵を作らない為であり、世の中には色んな宗教が在り、政治団体も各種存在し、サッカーチームもあまた存在する。

この中で客、若しくは顧客がどんな嗜好なのかが判らない多方向営業の場合、相手がどんなサッカーチームを応援し、どんな宗教観を持ち、政治信条なのかは判らない。

応援しているサッカーチームくらいは聞きだす事ができるが、政治信条や宗教観はなかなか聞き出しにくく、容易に聞き出せた時は、下手をすれば勧誘されるかも知れず、顧客であればそれを断り辛く、安易に勧誘に乗ってしまうと、それに敵対する政治団体や宗教団体関係者の顧客を失う可能性がある。

それゆえこうした思想的な事、嗜好などに対して中立、白紙状態が理想とされるのだが、同様の事は好きな食べ物や飲み物にも言え、客や顧客の前ではこの類の自己主張は忌避するのが望ましいのである。

そしてこうした商いの上の不文律が、公的に必要とされる機関が報道の世界であり、ここでも特定の団体や嗜好へ傾倒した発言をすると、そこには個人的干渉が入る為、ニュースは事実のみを伝え、それを伝える者は自身の嗜好や感想を織り交ぜる事を忌避する事で、報道の正確性が担保される。

一方大衆はこうした報道機関の報道を視聴していると、どの報道機関も内容が同じである事から、そこに何か他との違いを探す傾向が出て来て、それは報道以外の部分にまで及ぶ。

例えば報道以外の場面でいつもニュースを読んでいるキャスターが、どこかの小さな定食屋でコロッケをうまそうに食べていて、幼い頃の最高のごちそうがコロッケだったと言う具合で、彼か彼女の出自が大変厳しいものだった事などが判明すると、それで何が分かったかと言えば何も分からないが、でも何かが分かった気がするのであり、以後はまずそのキャスターの報道を先に観るようになる。

「時系列的整合性」とは、その個人が生涯を通して、或いは長く変化させない普遍性を持った思想、形態、嗜好、思考の事を言い、1カ月前に言った事と現在言っている事が全く正反対だった場合、多くの人間はその対象者を信用できなくなるが、これが初めから忌避されていれば、事象に対する態度が予め存在しない為、信用が担保される。

しかし、これだと他と同じであるから、大衆はそこから「時系列的整合性」を探そうとするのであり、その「時系列的整合性」が好ましいものと思われれば、それに拠って「時系列的整合性」が忌避された部分でも人気が上がっていくのである。

こうした傾向が危機的になってきたのは、何と言ってもインターネットの普及で在り、双方向通信は、一般ネットユーザーに自己主張をの機会を与えたことから、初期媒体だった「ブログ」等の世界では、金太郎飴状態の報道形態より、自分の事を主張する形態、「時系列的整合性」がもっぱら記事に書かれて行った。

また記事を書く者は、その反応を気にするようになり、やがて「ナイス」や「いいね」でそれを測る形態が蔓延し、ここからネット内で「善」と「悪」が明確化する傾向が出てくる。

「ネットユーザー」の支持を多く集める「善」や「正義」「愛」に対して「悪」がくっきり区別されるようになり、その好ましいノマド「分岐点的かたまり」がもてはやされることから、皆がそちらに集中し、個人の「時系列的整合性」より、その好ましい部分、「善」「正義」「愛」の扱いが重要性を持ってしまう社会となって行った。

やがてフォロワーなどの制度が発生し、ブログからFacebook、Twitter、YouTubeと言う具合に発展していく過程で、言語は簡略化され、これに伴い「善」や「正義」「愛」はより先鋭化され、それを外れたものは全て「悪」となって行き、本来「時系列的整合性」の面では正しくても、それが現段階の「善」や「正義」「愛」に拠って拒否されてしまうようになった。

結果として、炎上やフォロワー数の激減などに繋がる為、発信者は「時系列的整合性」を無視しても、大衆が集まる側の事しか主張できなくなるのであり、この傾向にアプリケーションを提供する会社も、訴訟案件などが出てくる可能性もある為、「善」に拠る規制を大きくし、情報の多さから「時系列的整合性」が無視された状態が一般化して行った。

簡単に言えば、個人がその思う事が言えず、大衆が支持する平板な事しか言えない社会になってきたのであり、ここでは過去「善」で在ったものも、今の段階ではそれに優先する事情がある場合、過去の「善性」は無視され、統一した小さな今の「善」から外れる意見は「悪」とされてしまうのである。

この事は、それまでの「善」が逆転を受ける事はもとより、「時系列的整合性」をも「悪」に落とし、また思想的にグレーの状態も「悪」に落とすため、表面上は綺麗な話に囲まれながら、その下では「闇」を増やして行く。

「闇」はまた貧困を呼び、こうした貧困が増加すると、その内の何%かは心的破綻者を生じせしめ、綺麗な言葉に囲まれた社会に、ある日突然「信じられない事」が発生してしまうのである。

唯、こうした現時点の善性、正義、愛と言ったものは、それが過去になるに従って、その他多くの「時系列的整合性」の中に組み込まれて行く為、時間経過と共に「時系列的整合性」を復活させるが、それが復活した時には既に新たな善性や正義、愛が支配している為、遥か遠くの過去の小さな事でしかなくなり、連続して「時系列的整合性」が無視よりもっと悪い状態、予め欠如した状態で流れて行く。

人間の社会は多くの「善い人」の「善い考え方」で誤った方向に動いて行く。


最後に恐れ多いが、冒頭の「師」の言葉に足して、私も自身の教訓として心得みたいなものを残させて貰おうかな・・・。

人は他者の喜びを共有しない。
自身や親族の自慢話はどんな小さなものでも人前では語らず、どちらかと言えば少し貶めておく。
嬉しい時は悲しい顔をし、苦しい時は笑う。
褒められた時には、その褒めた分の対価を自身が失い、貶める者は、その貶められた分だけ、褒めた者より信用できる。

[本文は2022年7月10日、アメブロに掲載した記事を再掲載しています]



「鉞(まさかり)を研ぐ子供」・Ⅰ

ある村の近くの山で炭焼きを生業としている男があった。
だがこの男の暮らしは貧しく、食うや食わずの毎日で、既にもう何日も食べるものを口にしておらず、その日も朝から村へ炭を売りに行ったが、炭はいっこうに売れず手ぶらで帰るしかなかった。

そして激しい徒労感から男は家へ帰って眠りに就いたが、ふと目が覚めてあたりを見回すと、すっかり傾いた陽の光が戸口を明るく照らし、そこには男の子供がただ黙って鉞(まさかり)を研いでいる姿が見えた。

「おまえ、そんなところで何をしている」
男は子供に尋ねるが、それに振り向いた子供は今まで研いでいた鉞を持って男にこう言う。
「これで殺してけろ」

そして子供と幼い妹は近くにあった丸太を枕に、そこに横たわる。
漠然とその光景を眺める男、一瞬頭の中がクラクラと来たかと思うと、次の瞬間、男の手に握られていた鉞はこの兄妹の首めがて振り下ろされていた。

人間はその年齢にならなければ、その経験をしなければ決して学べないし、理解できない事と言うものがある。
少年の頃、いや今もそうかも知れないが、我が根幹を為したものは「柳田国男」と「和辻哲郎」の著書だった。

だがこの二人の中でも取り分け私に衝撃を与えたのは「柳田国男」が著したこの冒頭の話だった。

確か、東北地方の昔の実話だったと記憶しているが、「遠野物語」でこの話を始めて読んだのは高校生くらいだったと思う。
だがその時は確かに悲惨なことでは有るが、それほど大きな思いはなかった。
この話が衝撃を持って自身に迫ってきたのは、結婚して5年目くらい、長男が4歳くらいのときだった。

妻の心臓病が見つかった時、入院生活になったことから、暫く自分と幼い長男、それに2歳くらいだっただろうか、長女の3人暮らしになった時期があり、ある日スーパーへ買い物に行った時の事だった。

菓子でも買ってやろうと思い、「何かほしいものはないか」と長男に尋ねたが、彼は珍しく「何も要らない」と答えた。
長男のこの言葉に何か不自然なものを感じ振り返った私は、そこに不安げに、そしてどこかで遠慮しているような長男の姿を見て、一瞬にして「柳田国男」のこの話を思い出した。

「あー、親とは、子供とはこうしたものだったのか・・・」と思ったものだ。
そして家へ帰り、子供達が寝静まった頃、夜遅くにもう一度「柳田国男」のこの話を読み返した私は号泣したことを憶えている。

貧しさは罪か、さにあらず。
しかし人間の世は幾ら努力してもどうにならない理不尽の上に立っていて、それは僅か船板一枚を挟んだその下は海の如くに広がっているものである。

追い詰められてその最後の瞬間に有っても、子はその生死の何たるかを知らずして既に親のことを思い、親もまたその子を思うとしても、眼前に広がる現実の前に幼き命はその先を絶たれる。

だが誰がどのようにしてこうした在り様を裁くことができようか。
およそ法と言うものには限界があり、その奥は言葉の無いものでしかそれを裁くことができない、いやそもそもこうした在り様に裁きなどが入り込める余地すらないように思えてしまう。

キリスト教の教義では幼き子供とその両親があった場合、究極の選択では両親が生き残ることを是としているが、その理由は若い両親ならまた子供が作れるからである。
が、そんな簡単な、そんな薄いもので人の命を、親子をはかることが出来ようはずも無い。

                     「鉞(まさかり)を研ぐ子供」・2に続く

[本文は2011年3月27日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

「東日本大震災への思い」



2011年3月11日は忘れることができない日だった・・・。

前年から高い気温が続き、多くの魚の異常はその数年前から続きながら、何も発生していなかった為、2010年、私は「何か大変なことが起こる」と、幾度となく記事を書いた記憶がある。

中でも「猛暑と地震の因果律」は2010年8月に書かれたものだったが、高い気温と地震の関係、政治的混乱と地震の関係を書かれたこの記事は、数人の人が事前に紹介していてくれていた為、東日本大震災発生直後から「予言が当たった」として、今の言葉言うなら「バズった」

以後、高い気温と地震の関係に関するサイトが増えてくるのだが、その始まりは2010年からなのである。
しかも、私は地震を予知したのではなく、完全に外していた訳で、何かが来ると思いながら、日本と言う列島構造上の基本である日本海溝を全く考えていなかった。

かつて阪神淡路大震災のおり、やはり私と同じように地震を研究していた先輩が、神戸に住んでいて、こんなにも色んな事が在ったのに、大地震を予見できなかったと涙をこぼしていた事が思い出された。

こんなにも色んな現象が現れ、相当なものがやってくると思っていながら、最も基本的なものを見ていなかった。
福島や宮城の人に申し訳ない気持ちで一杯になったものだった。
馬鹿だ、狂人だ、山師だ、詐欺師だと言われても良い、何でもっと大騒ぎしておかなかったのかと悔やんだものだった。

そして私は某中央新聞の記者と連携し、被災地がこれからどう言う余震に見舞われるのか、どう身を守れば良いのかを共同で発信して行ったが、その際キーワードとなるものが「どんな辛いことが有っても春になれば必ず花は咲き乱れ、大地は緑で覆われる」だった。

このキーワードの始まりは1974年に放送されたテレビドラマ「日本沈没」の主題歌で、五木ひろし氏が歌っっている「明日の愛」の中に出てくる「花は咲く、春になれば、地の果て続く限り」を元にしていて、演歌が大嫌いだった私が唯一、小学生の時に聞いて涙が流れた曲だった。

こうした記事を書いたのが2011年3月16日の事からだったが、それから1か月後、「花~は、花~は、花は咲く」と沖縄音階で楽曲を作った者がいて、これをNHKが取り上げて行った経緯には、その余りにも軽薄な在り様に反吐が出る思いがした。

絆だ、愛だ、復興だと言うものが、その地域にどう言う影響を及ぼすか、能登半島地震や中越沖地震後、それらの地域がどうなったかを見れば、東北が同じような目に合う事は明白だった。

関東大震災では、東京が火の海になった翌日には、既に廃材でバラックを建て、雑炊を売るものが出てくるし、当時の写真の中には、周囲の人を気にする事もなく、水たまりで裸になって体を洗う若い女性の姿も写っていて、「生きよう」とする自主性に満ちた力がみなぎっている。

また政府も被災して死亡した人を搬送する為に、生き残った民衆を使っている。
それもボランティアなどと言う中途半端なものではなく、金やコメを払って雇用していくのである。

援助とは難しいものだ・・・。
補助金も同じだが、常に底上げしてくれるものが在ると、その分人間は力を失う。
そして復興予算が終了した時には、街並みは映画のセットのように美しくなり、カラー舗装の道路は実に素晴らしいが、誰も人がいなくなるのである。

東北の人たちは震災に拠る絶望より、その後の復興事業と「優しさ」にこそ絶望した人も多いだろう。

福島原発付近は放射性物質の半減期から、後20年はそこには住めない。
迫ってくる過疎と経済的沈降、目立つ者だけが優遇されて行く復興事業、それらの前に今まさに人災を被っているかも知れない。

こうした日本海溝そのものの動きに関して、余震や付帯地震の傾向は最低でも60年、場合によって200年程同じ傾向が続くと推定される為、現在のような地震が多い状態は、恐らく60年は続く可能性があり、範囲は全国に及びます。
毎年震度7、6の地震が平均2回~3回、震度4、3は日常茶飯事と言う形が常態化するでしょう。

でも、春になれば同じ場所から、去年と同じ草が芽を吹き、花をつける。
それはまるで陽が昇り、沈むの如く、当然であるかのように静かに、確実に花を咲かせる・・・。

2021年3月11日、東日本大震災が発生してから10年の節目を迎えるに際し、亡くなられた方々とその遺族の方々には、あらためて追悼の意を表します。

尚、当時書いた記事の内、今の時代に最も必要であろうと思われる記事を、掲載して措きました。
「鉞(まさかり)を研ぐ子供」、2011年3月27日の記事です・・・。


プロフィール

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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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