「ネットショップ○○の方から来ました」

流石に師走ともなれば1年間「まあ良いだろう」「俺は頑張った」「仕方ない事だった」と、自らの傷に絆創膏を貼って逃げてきた、その怠惰の付けが回り、朝から晩まで大忙しの状態、そこへ1本の電話がかかって来る。

「くそー、誰だこの忙しい時に電話などしてくる奴は・・・、と思いながらも、はい○○でございます。お電話有り難うございます」などとしおらしい言葉で電話に出ると、何と相手はここ10年近く出店させて頂いているネットショップ○○SE様との事だった。

「しまった、そう言えばこの1年、忙しくてネットシップ用の品を作る事が出来ず休眠状態だったが、それを叱責されるのか・・・」
一瞬そんな嫌な予感がよぎったが、意外にも其のネットショップが、契約販売店向けに高性能Wi-Fi契約を募集しているとのご案内だった。

「○○SE様が、Wi-Fiですか?」
「そうです、○○SE契約者の皆様にこうしてご案内をさせて頂いております」
「25mまで電波は届きますし、万一の場合を考えて更に接続用のWi-Fiをもう一台お付けして月額3600円です」
「しかも半年間無料、半年後には解約も自由です」
「それはお得ですね、しかし25mは短くないですか?」
「とても強力なんです」
「そうですか・・・・」

忙しさから早く電話を切りたいと言う焦り、それに僅かな契約ネットショップの放置状態に対する引け目、それが相まって「まあ、3600円くらいは仕方ないか」
で、「はい、解りました」と返事をしてしまった・・・。

程なく聞いた事もない名前の契約会社から電話がかかってきて、そこでは最初の会社が出していたネットショップ○○SEの名前が全く出て来ず、しかもWi-Fiは1台が3600円、それが2台セットでその他各種保証を付けると月額18000円との事だった。

半年間お試しキャンペーンで、其の期間が過ぎたら解約も自由で、本来なら違約金10000円なのですが、それも会社がキャッシュバックし、最初の1カ月は料金無料サービスです、との事だった。

最初の電話だと月額3600円の半年使っても無料の条件から、一挙に月額18000円になり、しかも先に払った分をキャッシュバックと言う信じられない条件変更になり、それでも実質半年無料で使えれば安いか、そう考えた私はここでも大した考えもなく「ああ、良いですよ」と言う適当な返事をしてしまう。

やがて本日仕事に関係ない3本目の電話、今度は発送会社のp社を名乗る女性が、住所と連絡先の確認を始めたが、ここに至って「何か変だな・・・」と感じた私は、「これは〇〇SE様の契約ですよね?」と言う確認をするが、相手の女性オペレーターは何故か其の返答を濁してしまい、最後はもう一度契約会社から説明させていただきますので、暫くお待ち下さいとの事だった。

程なく先ほどの契約会社の担当者から電話がかかってきて、ここで「これは〇〇SEの契約ですよね」ともう一度確認するが、担当者はわが社のWi-Fiはとても優秀ですとは言うものの、○○SEの契約だとは言わない。

どんなに優秀な機材を作っている会社の商品でも、其のファーストアポイントが、契約者の錯誤を利用したものだった場合、全ての信用は失われる。
キャッシュバックも、半年間無料も全てが覆ってしまうし、そもそも高性能Wi-Fiの電波範囲が25mと言うのも、何となく頂けず、ここですべての契約をキャンセルしたいと言うと、こちらの話も聞かずにWi-Fiの性能の良さを説明するばかりになった。

「ん・・・・、気持ちは解るが、これ以上続けると○○SEへ確認のメールを送り、消費生活苦情センターへも連絡する事になる」
「因みに電話の内容は全て録音されているから、もうこのくらいにして頂けないか」と言うと、やっと承服したのか、電話は切れた。

10年ほど前からプロバイダー契約代理店が良くやっていた手だが、「NTTをご利用されている皆様にご案内をさせて頂いております」と言われれば、田舎の高齢者や、お茶くみから掃除、電話のコールセンターまですべて自分1人でやっているような、山奥の個人事業主など、だますのは容易い。

昭和の時代には消防署の〈方から〉来ました、と言って消火剤が3分の1しか入っていない違法消火器を売りつける商売が流行し、平成ではNTTご利用の皆様にご連絡をさせて頂いております、と言う巻頭句でブロバイダー契約がさらわれ、令和に至ってはネットショップをご契約されている皆様に、ご案内をさせて頂いておりますと言って、高額高性能?なWi-Fi契約が売られている様だが、巧妙と言えばそうとも言えるが、何となく時代が変わっても芸がないような、そんな気もしてしまう。

こうした言語用法は明確に法的処分対象にはならないが、敢えて客の錯誤を誘う方法で在り、もし仮に契約会社が善良な場合は、こうしたアポイント会社を使わない方が賢明だ。

事業をする上で、組織の能力は、其の組織で一番能力のない者の能力をして上限となる。
どんな素晴らしい商品でも、其の売り方が怪しければ、商品はその怪しさの範囲を出る事が出来ない。

まあしかし、自分に落ち度がないかと言えば、かつてネットショップ運営会社から電話がかかってきた事は一度もなく、しかもこんな原始的な手にやられるとは、忙しさを言い訳にできない愚かさと言える。

自分の能力のなさを嘆くのが、正しい在り様と言えるだろう・・・。

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「YouTube上の経済論議」

お問い合わせの件に付き回答します。
正直この程度の事にお答えしなければならないのかと言う思いも有りますが、今後の事もございますので、記事にさせて頂きました。

まず私は「ひろゆき氏」も「赤木レイア氏」も存じ上げない為、今回ご案内頂いた配信のみを拝見させて頂き、この記事を作成している事をご了解下さい。

結果から申し上げますと、経済学的知識に付いては、この両者の程度はほゞ同程度かと思います。
「ひろゆき氏」の日本が為替介入に費やした予算を、国民に配布すれば良いと言うご意見は、どうも為替を錯誤されているようで、まるで9兆円がどぶに捨てられたかのような認識をされているようですが、正確には其の以前、ドルに対して高かった時の円と安くなった時の円の差額が損失になるので、9兆円全てが無駄になる訳では有りません。

この意味では何の脈絡もなく、国民に現金を配布する思想とは全く次元の異なった話ではあります。
唯、現状の日本銀行の金融緩和政策は、何の脈絡もなく国民に紙幣をばら撒いているのと同等の効力を持っているので、この状況下で為替介入しても全く意味は在りません。

為替介入が円安に対して何の効果もないと言うご意見に付いては、其の通りと言えますし、一般大衆の経済や為替に対する認識としてはこのようなものではないかと思います。
経済に関心のない一般大衆の考えと言うものは「現実」ではなく「望み」です。

「こうあって欲しい」「こうなれば良いな」が事実や現実の上を走って行きますから、其の事が事実で在るか現実であるかと言う事は、こうした「望み」や民衆の考え方の下に圧せられるのが、世の常と言うものではないかと思います。

これに対して激しく其の間違いを指摘されている「赤木レイア氏」の配信ですが、例えば「ひろゆき氏」が100間違えているとしたら、「赤木レイア氏」もまた80くらいは認識不足ではないかと思います。

まあ、そんなには変わらないと思います。
五十歩百歩と言う所ですが、「赤木レイア氏」は為替介入が何の為に行なわれ、それが何なのかと言う事を理解されていない様に思います。

氏は同配信中、外貨をどんどん放出すれば良い、そしたら余計儲かると仰っていますが、基本的に為替介入で利益は出ません。
自国通貨が安くなった時、為替介入が行われますから、価値の上がった外貨で易い円を買う訳ですから、為替介入直前の総資産と比較すれば、為替介入後の総資産は必ず減少します。

また外貨保有額の総量と言うのは、其の国家の経済的な力の象徴でもあります。
日本のように資源もなければ食料自給率も低い国家の通貨は、最後の担保となる要件が薄く、外貨発行当事国がこの逆の状態で在るなら、経済は常に外貨発行当事国の国情、政策に拠って左右されます。

其の為、外貨発行当事国の通貨を多く保有する事は、其の保有通貨に拠って外貨発行当事国へのプレッシャーとなり、ここに経済的な力の均衡、若しくは不利な状態からの浮上効果をもたらします。

外貨保有額の多きは、其の国家が外貨発行当事国に対する影響力の拡大と言え、広義では「相互確証戦略」に準ずる効果を持ち、1975年に発足したG7、この前進段階のG5から日本が加盟出来たのは、こうした為替に措ける影響力が大きくなった事が要因と言える。

分かり易く言えば、外貨を放出すればするほど、国力が失われたと同等の効果が発生し、外貨発行当事国に対する影響力を失って行く事を意味する。

日本の金融緩和政策と為替介入は相対する効果のものだが、ちょうど笊に水を入れているのと同じで、片方で紙幣をどんどん印刷し其の価値を下げながら、其の一方で保有外貨を放出して価値のない円を買っても、円安は止まらない。

自国通貨が高騰している時にも為替介入はできない訳ではないが、自国通貨が高い時は貨幣の金利を安くしていく方策が一般的で、自国通貨が安い時は為替介入か金利を上げる方策の2種の改善策が在る。

しかし金利を下げるか、金利そのものが無い状態での為替介入は無意味となり、この場合は自国通貨の下落が止まらず、海外から入って来る物資、資源はすべて高騰する事となり、其の高騰した部分が輸出で得られる利益、市場で企業が得られる利益に相当して行く。

原理的にはデフレーションでは国民に広く薄く国富が分散し、インフレーションでは政府と企業に国富が集まっていく。
力が分散された状態は弱体化したように見え、力が集中した時は強固に見えるが、国民が力を求めるか、或いは現在の安定を求めるかで、デフレーション、インフレーションに対する印象は変化し、一般的にインフレーションが好まれるのは、企業と政府が強くをこれを求めるためである。

現状のインフレーションは唯のインフレーションではなく、ロシアのウクライナ侵攻に拠る世界的経済制裁、中国の思想重視政策への変遷等に拠って、需要に供給が追い付いていない「動脈硬化」のような状態であり、長く続くと世界は保守的になり、更にブロック経済化が進み、これに拠って地域紛争や戦争勃発のリスクが増大する。

岸田内閣の経済政策は先に辞任したイングランド「リズ・トラス」首相のインフレーション時の金融緩和と同じなのだが、片方は辞任に追い込まれる健全性が在り、日本ではそんな話も出て来ない。

このままでは若年労働者や子供を持つ女性の生活から先に苦しくなっていく。

政治家とは、それを目指した時点で愚かななものであり、無能な者と言える。
だから大衆はこうした無能なものを育て、自身の意見をこうした愚か者を遣って実現していかねばならない。

政治家の多くは投票する価値もない者ばかりだが、選挙と言う権利を遣ってこれらの者達をコントロールし、自身の幸福につなげなければならない。
遠い道だが、国民はこれを目指さねば、偉大な政治家が現れて、幸福な時代が訪れる事など絶対無い。

お問い合わせを頂きまして、有り難うございました。

「無制限金融緩和からの脱却」

もし其の国家の経済が閉じた状態で、人口に対する資源、食料自給率が100%であると仮定するなら、インフレーションが発生する原因は経済の拡大、人口の増加と言う事になり、逆に同条件でデフレーションが発生する場合は、人口の減少、経済が収縮して行く事を示す。

インフレーションは政府と企業に富が集まり、デフレーションは民衆に富が分散され、この状態はどちらにしても長期連続すれば経済が頭打ちになり閉塞感に繋がり、必ず是正しようと言う機運が発生する。

またインフレーションでは通貨供給過多で在る事から、自国通貨は他国通貨に比して下落し、デフレーションでは通貨供給が需要に対して少ない状態である事から、自国通貨は他国通貨に対して価値を上昇させる。
インフレーションもデフレーションも其の構造原理は単純なものなのだが、これは冒頭の条件のように入力データが安定しているからであり、実体経済はこのように簡単ではない。

インフレーションに関して、あらゆる物資、食料の自給率が100%の国は存在せず、鎖国状態の国家も存在できない。
この事から、世界を席巻するインフレーションは内在要因ではなく、常に一部、若しくは全てが外的要因に拠って発生する為、冒頭に掲げた原理だけ観ていては必ず判断を誤る。

これが何を意味しているかと言えば、原因が自国の外に在るなら、例えば為替介入などしても全く効果は無いか、其の効果は数日しか適用されないと言う事であり、1ドルに対し既に150円まで加速された円の下落は、日本銀行の為替介入が在っても、近い将来の1ドル160円越えを阻止できない。

自国通貨、日本の場合は円だが、円がドルに対して安くなったと言う事は、それだけアメリカに比して日本の国力が下っているという事であり、この点ではよく「良い円安、悪い円安」の議論が存在するが、原理的に良い円安と言うものは存在しないか、よほど特殊な好条件の一時期を言うのであり、其の国家が一度滅亡の危機に瀕して回復してくる時期などを指し、其のような条件は100年~数100年に1回しかない。

基本的に自国通貨が他国通貨に対して下落して行く時、それはその国家が力を失っていると判断されたと言う事である。

日本は2014年からModern Monetary Theory「MMT」がアベノミクスに拠って推進された。
「新貨幣論」「新貨幣概念」とも言って、何か最新の経済論のように思えるかも知れないが、1930年代、世界恐慌に対応した現実論から始まっていて、MMTはこうした歴史的な危機状態の緩和策を理論付したに過ぎない。
本質は「無制限金融緩和」国家が債権を紙幣の印刷で賄う、「財政ファイナンス」である。

ちょうど資本主義が行き詰ると、共産主義的なものが理想的に見えてしまうのと同じように、古いものが一巡しただけの事だった。
世界的にも経済危機に際してMMT理論に傾斜した経済政策が採られていくが、この理論は鎖国、自給率100%と言う仮定での話なので、これを採用して行くと、経済政策が国家方針を引っ張ってしまう。

世界は保守色を強め、経済的な対立が増えて行く結果が、今日のロシアのウクライナ侵攻であり、中国の経済と政治の覇権争い、言い換えれば習近平の文化大革命的逆行を引き起こしている。

第二次世界大戦以降、国際社会は経験から、無制限金融緩和がこうした傾向に陥る事を学習していた。

為に中央銀行の政府からの独立を原則とした国際秩序を打ち立てたが、困窮した状況はいとも簡単にこうした枠を壊し、それがまるでインテリジェンスのようにもてはやされたが、それを遣うのが人間である以上理論通りに収まるはずもなく、ましてや日本などの資源のない国、食料自給率の低い国家がこれを採用すると、MMT最大の弱点であるインフレーションの抑制が効かなくなる。

日本のインフレーションは常に外的要因で発生する為、全てを国家が管理してインフレーションを抑制する事は不可能なのであり、結果として通貨下落の幅が輸出による利益幅を超えてくると、日本は生産し販売するごとに対外赤字を増加させ、国民が気付かない間に国も人も貧しくなって行く。

円が114円の時と160円の時の落差は46円、1ドル対してこれだけ多くの物、サービスを提供しなければならなくなり、ついでに何か物を作る時に海外から材料を買えば、こちらでも1ドルに対して46円多くの円を渡さねばならなくなる。

日本は為替介入に拠ってドルで円を買い支えながら、企業は其のドルの取引に拠り、少し以前より5割近く多くの円をを放出して行く。
為替介入など「気分」の問題でしかない事が理解できるだろう。

日本の円急落の要因は、其の多くがロシアのウクライナ侵攻に拠るものと、それに付帯した経済制裁、そして中国の「0コロナ政策」「経済重視から思想偏重政策」への方針転換、そしてコロナ感染症に拠るものだが、こうした危機に対し、脆弱な無制限金融緩和政策を続けてきた事が最大の要因と言える。

世界各国はこうした無制限金融緩和の付けを払いながら正常な経済状態に戻そうと血の涙を流している。
アメリカは企業マインドの落ち込みを恐れながらも、FRBが大幅な金融引き締めを継続しているし、広義ではイギリスのトラス首相の辞任〈2022年10月20日〉もそう言う事になる。

個人的にはイングランド女らしい容貌のトラス首相のファンだったが、彼女の打ち出した大幅減税は少しまずかった。
これは金融緩和と同じ事なので、イギリス経済の再建には逆行するものだった。
だが、こうして自身の政策が実現できない事を理解したら「辞任」すると言う在り様は評価できる。
日本の政治家も見習って欲しい部分ではある。

インフレーションを抑制しようとして金利を上げれば企業利益が圧迫される。
放置しておくと民衆が食べられなくなる。
これを抜け出す方策は通貨金利を上げる事だが、既に1ドル150円まで下がり、それ以降も下る要因しかない円の価値を上げるには、少なくとも3%前後の金利が必要になる。

アメリカと同じように一挙に0.75%上げるも良し、若しくは次の段階では其の金利を0.5%に戻し、それから様子を見て0.75%を追加する、または0.35%上げて0.25%に戻すなど、4回から7回程金利を上げ下げしながら、最終的に3.18%の金利に落ち着ける方策が望ましい。

市場に期待と絶望の「慣れ」を与えながら金利を上げていくこの方法は、1979年第24代日本銀行総裁に就任した「前川春雄」が採った金融引き締めだが、第二次オイルショックに拠る強烈なインフレーションを絶妙に金利操作しながら切り抜け、世界的なインフレーションからいち早く日本を離脱させ、その後日本は空前の好景気を迎える事になった。

今の日本には1984年頃のように経済を拡大させる力は無い。
どんな手を打っても「少し楽になった」程度かも知れないが、それでも岸田内閣と黒田日本銀行総裁を放置して措いたら、確実に日本経済は破綻する。

コロナ政策が終わって日本の観光が賑わってきているが、これも1ドル150円だと、日本人が日本で円で物を買うのは構わないが、外国人に物やサービスが買われると、日本は往復で損失を出しながら物を売っている事になる。

観光業者が出した利益は、国民の物価高騰と言う薄い負担が集積されて成立しているのであり、これでは国家国民は富まない。
我々は景気の為、企業利益の為、税負担の為に生きているのではない。

インフレーションの時は消費すればする程損失になる。
こう言う時は静かにしているのが民衆としての定石で在り、政府や各行政区がコロナ対策後の消費を期待し、各地で観光客を呼び込んでいるようでは、我々国民の未来は暗い。

こう言う時は贅沢を控え、我慢する事を学ぶ良い機会とも言える。
「質素倹約」は人間の全歴史を通して重きを措かれるべき価値観だと、私は思う。



「市場に流出する税制」

われわれ一般大衆は基本的に生涯に措いて得られる所得(恒常所得)と将来世代への遺産、つまり子や孫へ残す遺産などを考えて、現在の消費や貯蓄を決定している。
だがここで政府が一定の政府支出増加に伴い、その資金調達として公債の発行、若しくは増税によって資金調達をはかろうとしたとしよう。

そしてこのパターンでは政府支出が増大したと言うことは、国内景気が今ひとつと言う状況でもあることから、増税よりは気軽な、公債発行によって資金調達をはかろうと言うことになり、公債が発行されたものとしようか・・・。

この時合理的に物事を考えるなら、政府が発行した公債はその元金と利子の支払いが未来の増税になることを理解しなければならないが、その原理は簡単だ。
足りなくなったから、公債を発行するのであって、その支払いはいつになったら終了するのかと言えば、政府が発行したものには終了点がなく、例えば相当景気が良い時期があったとしても、それが税収から得られた場合は「予算」となり、基本的には予算には貯蓄しておいて返済にまわす、と言うような思想が存在してない。

つまり毎年使い切りが原則であり、景気が良ければそれに応じた要求が民間から発生してくる。
それゆえ、本質的には政府が発行した公債はいずれの時期かに措いて、増税と言う手段でしか償還できないものなのである。
そこで一般大衆は自分と子孫の税負担の増加に備え、消費を増加させない、保有した公債は資産にはならず、未来に措いて起こってくるであろう「税負担の為の貯蓄」と言う考え方を持つのが正しい。

つまり公債発行は、それが行われた時点で未来に措ける増税を意味していて、この点で言えば現在の増税も、未来に措ける増税も同じことになり、こうしたことを運命論的に考えるなら、公債の発行は一般庶民の生涯所得に影響を与えない・・・。

これが古くは「リカード」(D.Ricardo 1772~1823)によって提唱され、「バロー」(R.J.Barro)が定式化した「リカード・バローの中立命題」、若しくは「同価定理」「公債の中立命題」「ネオ・リカーディアンの同価定理」と呼ばれる理論である。

だが国債の持つ性格はこれを金融資産と考えた時から、或いは紙幣を発行する側である中央政府銀行、日本で言うなら日本銀行が国債の買取をした時点で「リカード・バローの中立命題」から外れていく。

簡単に言うなら「税が市場に流出」していくのであり、政府が出した国債と言う債務は政府自体が利益活動をしていない事から、債務返済方法は将来の増税しか無い。

しかしこれを日本銀行が買い取った場合はどうなるかと言えば、債務を出した側が紙幣も印刷していて「泥棒が警官をしている」のと同じになってしまうのであり、これでもたらさせるものは通貨の信用不安と言う事になる。

その結果日本通貨は対外的な信用を低下させ「円安」と言う側面を持つが、これで発生してくるものは「物価の上昇」であり、通貨供給量を増やすと言う事の半分の効用は物価の上昇を意味するが、これによって増やされた通貨供給量の流れは水田に水を引く形と同じである。

流れの上から順にそれが個人や企業によって自身の所に蓄積される事から、一番下の方へ行くと殆ど何も残らない現象が発生する。

つまり一番大多数を占める一般庶民には通貨供給量の増加による物価上昇と言うマイナスは有っても、更に半分を占めるはずの「賃金の上昇」が無いか、有るとしても僅かになり、結果として一般庶民は「物価上昇」と言う負担だけを受ける事になる。

無論全ての国債を中央銀行が買い取る事は不可能で有るから、これに伴って健全な部分である「リカード・バローの中立命題」に従った「消費税増税」も実行されるが、日本の現在の国債に対する返済計画はこのように「市場に流出した税制」と、「健全な税制」の両方から健全化しようと言う方式が採られている。

従って政府が行う財政出動の償還は、一つは増税によって賄われるが、国債の買取が中央銀行によって為されている現実は、物価上昇と言う「市場調達増税」でも償還が為されている事を意味し、現在日本政府が行っている政策は「消費税増税」以外に「市場操作による税調達」が加わっていると言う事になるか、或いは物価上昇と言う現実はリアルタイムだが、賃金上昇が未来に対する希望の場合は「博打」を打っているに等しくなり、この間の負担は後に還元されない。

また国債の買取は政府による市場の干渉で有り、これを行ったら本来市場が持つ自然な動向に対してまでも政府が責任を持たねばならず、よって経済を社会主義化してコントロールする事は、ある種自然災害を人間がコントロールできると豪語しているような愚かさが付きまとい、必ず破綻する。

「リカード・バローの中立命題」から外れた通貨供給量の緩和がもたらす事の意味は、必要な資金がもう正規の手段では集められない状態に有る、「破綻した状態」であると言う事で、ここで発生してくるものは「貧困社会」の特徴的な傾向で有る「貧富の差」である。

元々国債はそれを買える資金が潤沢な者に取っては金融資産的な意味合いが有り、それを負担して行くのは国民と言う性質のもので、この図式から始まって貧富の差が出易い性質のものだが、この償還を市場に頼ってしまうと増税以上の国民負担を強いる事になる。

我々は「景気浮揚」や消費税増税だけを見ていてはいけない。

日本国債の中央銀行買い取りと言う行為は税制の市場流出、若しくは税制と市場が曖昧になる事を意味していて、これは事実上税制の際限の無い市場への流出の第一歩、泥沼化が始まった事を示している。



[本文は2013年9月28日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

「為替介入」

2022年9月14日黎夜、鈴木俊一財務大臣は、急激に下落して行く日本円の為替相場に対し、「あらゆる手段を講じる」と発言し、円下落に為替介入も辞さない事を示唆したが、少しお疲れか、若しくは何らかの勘違いをされていたようで、こうした発言の直後、為替介入の凡その時期も示さないし、そのような事は一切公にしないものと発言した。

が、これは流石に経済学部に在籍する学生でも知っている基礎的な知識の不足なので、鈴木財務大臣の発言を訂正、補足しておく。

為替相場で自国の通貨が下落してきた時、対策は大まかには2つ存在する。
一つは下落している要因対象通貨の自国保有分、または其の相対国家と協調して自国通貨に対し、値上がりしている通貨を市場に放出する方法、これを為替介入と言う。

もう一つは自国通貨の金利を上げる方法であり、こうした対策は追い詰められてからだと効果は薄いが、どちらかと言えば通貨金利を上げる方策より、市場の為替介入の方策が効果は薄い。

また株式市場、為替市場も「現在」を反映して動いていない。
両者とも「マインド」「予測気配」で動いている為、こうした市場は「現在」を「過去」に換算して「未来」を「今」に動いている。

市場に介入すると言う事は「マインド」を与える事であり、この意味では「雰囲気」を提供する事と言える為、財務省、日本銀行は「市場介入するかも知れんぞ」と言う事を、遠巻きに表現しなければ市場介入の効果は出なくなる。

秘密裏に行う市場介入は、為替相場介入効果を滅失させてしまう。
「市場介入は秘密裏に行うもの」とした鈴木財務大臣とは裏腹に、日本銀行は2022年9月14日の段階で、既に「レートチェック」を開始している。

「レートチェック」とは日本銀行が市場関係者に意見を聞くリサーチであり、こうした日本銀行の行動が漏れ伝わり、市場には近い内に為替介入が入りそうだと言う予測が働き、相場が動くを期待する、そう言う「ここだけの話」的な日本銀行の「噂流し」なのである。
勿論実際に相場の介入が在るかどうかは分からず、唯の噂に終わるかも知れないが、こうした「雰囲気」「マインド」の流布こそが市場介入効果なのである。

鈴木財務大臣は、財務大臣として基礎的な知識の有無が疑われる発言を、勢いよくやってしまった訳だが、弁舌強勢、趣旨優柔不断の岸田総理をはじめとして、日本の政治家に基礎知識を期待するのは酷だったか・・・。

また、基本的に日本円の下落は為替介入では改善しない。
一時的に円相場は少し上がるも、数日も持たない。
長らく無制限金融緩和をやっていると、為替市場介入と言う小手先でも、相当の覚悟を以てやっているかのように感じるかも知れないが、対外的には水鉄砲の玩具から、水が発射されたくらいの影響でしかない。

せっかく血を流しながらも、非常事態金融緩和から離脱を決めたアメリカ経済は、何が悲しくて金融緩和を続ける日本円を助けなければならないのか、むしろ日本こそこうした機会に金利を上げて頂きたい、そう思っているアメリカは、円相場に対して協調介入は在り得ない。

日本単独の為替介入になるばかりか、日本円が下落しているのはドルに対してだけではない。
無制限金融緩和から離脱しようとするアメリカ、ヨーロッパEUのユーロも金利を上げている為、日本円は全方向に対して下落している。

其の上にロシアのウクライナ侵攻、中国のコロナウィルス感染0政策が存在し、これらが改善されてくる日は近い。
爆発的に発生してくる需要、それに見合った世界的な生産体制の準備を考えるなら、それを緩やかに流していかなければ、各国ともインフレに潰されてしまう。

既に始まりつつある経済拡大、これに対応する政策を始めつつある世界市場、日本政府と日本銀行はこうした流れに逆行している為、円だけが沈んできているのであり、これを為替相場と言う小手先でかわす事は出来ず、ましてや財務大臣が、市場に分からない様に為替介入すると言った時には、日本経済の終焉を感じてしまう。

1970年代石油危機の折にも、物価高騰は政府の責任だと、民衆は政府をやり玉に挙げていたが、今から思えばあれは可哀そうだったなと言う思いがする。
2022年の政府に鑑みれば、遥かに勉強もしていたし、真剣に取り組んでいた。
あれは政府のせいではなく、国際情勢のせいだった。

今もこうした通貨下落、インフレは対外的要因に拠って、もたらされている事は変わらない。
しかし其の幾ばくかを政府、日本銀行の対面主義、虚栄心、愚かさが担保しているような在り様には腹が立つ。
他人が愚かなのはまあ良いとして、その愚かさに自分が巻き込まれるのは耐えられない。

[本日は特に記事掲載の予定は無かったが、2022年9月14日、鈴木俊一財務大臣の記者会見を拝見し、余りの愚かさぶりに本稿を寄稿した]

[未推敲ゆえ誤字脱字、文章の稚拙さにはご容赦頂きたい]

プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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