「いつか冷たい雨が」・最終話



「ああ、ここはあの土手じゃないか・・・」
「それにしても良い天気だな・・・」

木村はあの夏の日に歩いていた土手の道の下に立っていた。
そして土手の上には、よく見れば一人の女の子が立っていて、その女の子が着ている水玉模様のワンピースには見覚えが有った。

「あれは由香里のいっちょらいのワンピースじゃないか・・・」
「由香里か・・・・」

木村は土手の上に立つ女の子にそっと声をかけ、その声に女の子は振り向いた。

「あっ、お兄ちゃん、お帰り」
「由香里、すまなかった・・・」
「何言ってるんだよ、お兄ちゃんは凄かったよ・・・」
「やっぱり由香里の自慢のお兄ちゃんだよ・・・・」
「さっ行こう、父ちゃんも母ちゃんも待ってるよ」

由香里はそう言って手を差し出した。

「ああ、行こう・・・」
木村が由香里の手を取ろうとしたその時だった。

「ちょっと待って」
何故か薄いグリーンのスカートに白いブラウス姿の知らない女が後ろから声をかけてきた。

「あっ、お姉ちゃんだ」
その女に親しそうに手を振る由香里・・・。

「君は誰だ・・・」
「失礼ね、1年間も同棲していて私の事憶えていないの?」
「君は・・・、あっそうか、あの家の・・・」
「思い出した?」
「あなたもいなくなったし、あの世界も面白くないから付いて来ちゃった」

「ねっ、ねっ、お姉ちゃんも一緒に行こう」
「大曽根のおじいちゃんが肉を持ってきてくれたから、今夜はカレーなんだよ」
「そうか、かあちゃんのカレーは最高だもんな」
「よし、行こう・・・・」

由香里は右手に木村の手を握り、左手には女の手を握って、そうして3人は土手の道をゆっくりと家に向かって歩いて行った。

夏の日差しがため池の水面に反射し、それはあたかも煌めくように、輝くように眩しい景色の中、3人の姿は少しづつ小さくなり、やがてかなたの道に消えて行った・・・。


文字ドラマ「いつか冷たい雨が」はこれで終了致しました。
あちこちで没になったものを文字ドラマと称して長々と読ませてしまいました事、
深くお詫び申し上げる次第です。

尚、これより以降は通常の記事形態に戻ります。
これまでのように週1、2回の記事更新になるかと思いますが、
引き続きご縁がございましたら、記事を訪ねて頂ければ幸いです。
有難うございました。
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「いつか冷たい雨が」・42話

「やはりこれは合衆国政府が絡んでいるんだな・・・」

カショスが指定した場所に着いたヤノシュを待っていたのは海兵隊の特殊ヘリだったが、その後輸送機に乗り換え、更に太平洋艦隊の艦上で別の輸送機に乗り換えさせられたヤノシュは、翌々日の早朝には横須賀に到着していた。

今や民間の飛行機はよほどのことがない限り飛んでいない。

大方の海外移動は時間はかかるが船になっているにも拘らず、3日以内とはおかしなことを言うと思っていたが、これでカショス、いやその後ろにいる合衆国政府が如何に木村暗殺を急いでいるかを知ったヤノシュは、早々横須賀基地でロイター通信社の身分証明を受け取ると、そこから今度はまたヘリコプターで荒川避難所の隣の避難所へと向かい、そこからは海兵隊のジープで荒川避難所の近くまでやってきていた。

「チッ、雨か・・・・」

荒川避難所は元々5階建ての小さなホテルで、この建物の中で殺すのは逃走経路にリスクが出る。
従ってやはり建物の外から狙うのが理想的だが、この雨では木村が外に出る機会は少なくなる上、カショスの注文は顔を狙うなだ・・・。
となると角度が必要になる。

「厄介だな」

カショスは噛んでいたミントガムを包み紙にくるみ、ポケットにしまうと、取りあえず避難所の玄関が視角に入る、壊れて傾いたビルの4階部分に場所を確保し、携帯で横須賀基地に連絡して逃走車両の配備をを依頼したが、30分程してそのビルの後ろ側に到着したジープは、さっき自分をここまで連れてきたジープだった。

「距離210m、何とか行けるか・・・」
特殊スコープを装着した愛用のライフルを組み立たヤノシュは、ファインダー越しに避難所の玄関に照準を合わせた・・・・。


「最近雨が多いわね・・・」
智美は避難所の窓から外を眺めるが、暗雲が垂れこめた空が続き、気温も5月と言うのに3月中旬並み、それにどこからともなくドーン、ドーンと言う雷のような音が聞こえ、どう考えても明るい感じにはならない・・・。

「昨日倉木さんから連絡が入って、富士山の噴火はやはり後3日くらいは何とかなるらしい」
智美の隣で加藤が話しかける。

そこへ小杉一尉が木村を訪ねてやってくるが、加藤から木村は事務所にいる事を聞いた小杉一尉は、慌てて事務所に向かって行った。
やがて小杉一尉と2人でフロアまでやってきた木村は、調味料などが不足している事から、千代田区避難所にある物資倉庫まで行ってくるから、智美に加藤と2人、留守番をしていてくれと言うが、ここでまた智美の悪い癖が始まる。

「私も行きたい・・・」
「外は雨だし、それに遊びに行くんじゃないんだぞ」
「いいえ、小杉さんと2人で何か美味しいものでも食べに行くのかも知れない・・・」
「そんなことは・・・」
「冗談よ、どうせすることもないし私も運ぶの手伝うわ」

智美はそう言うと先に玄関に向かって歩き始めた。

「仕方ないな・・・」
木村は小杉一尉の方に顔を向けると少し苦笑いした。

小杉一尉が乗ってきていたヘリコプターは、瓦解した近くの公園をブルドーザーで整備した所に置いてあったが、そこまでは200m程歩かなければならなかった。
そこで玄関で傘をひろげた3人は小杉一尉を先頭に、木村と智美が後ろに並ぶ形で外に出たが、小杉一尉は自衛隊の迷彩服、そして木村と智美は深いグレーの防災服を着込んでいて木村が黒のブーツ、そして智美は白いブーツ姿で、傘の色は全員が黄色だった。

「どっちだ・・・・」
これをファインダーから覗いていたヤノシュは一瞬智美と木村のどちらが木村なのかに迷う・・。
しかしファインダーの倍率を上げたヤノシュは僅かに黒いブーツを履いた奴が背が高い事に気がつき、顔は見えなかったが迷彩服の男の後ろに並んでいる背の高い方の奴に、その胸に照準を合わせた。

そして動きを予測しながらゆっくりと引き金を引く。

「もらった・・・」

ヤノシュがそう思った瞬間だった。
何とファインダーの中の男はスッと傘を上げたかと思うと、こちらを見て微かに微笑んだのである。
「馬鹿な、あの距離からこちらのライフルの銃口が見える筈もない、奴は何で笑うんだ・・・・」

「ねえ、ついでだから本当にみんなで何か美味しいものでも食べに行かない・・・」
智美は木村が隣にいる事から少しはしゃいだように木村に話しかける。
が、しかし、次の瞬間「パシュ」と言う音がしたかと思うと、智美の隣の傘が傾いて、木村は片膝を付き、そのまま横向きに倒れていった。

ふと隣を見た智美は木村がいない事に気がつき、そして慌てて少し遅れた所に転がる木村に駆け寄った。

「なんなのこれは・・・・」
「どうしたの・・・」

傘が外れてしまった木村の上に雨滴が次から次落ちてきて、胸から出る血がその雨で薄まっていく。
苦しそうな呼吸の木村、その頭を智美は抱きかかえた。

「どうしてなの・・・」
「あなたが一体何をしたと言うの・・」
「智美さんの胸は・・・、意外に大きかったんだね・・・」

木村は少し笑って、小さな声で言った。

「そうよ、あなたを待って、待って、待ってたのよ、胸だけじゃないのよ、全部あなたのものなのよ」

「ああ、暑い・・・」
「今日は良い天気だな・・・」
「何言ってるのよ、今日は雨じゃない」
「木村さん、木村さん、起きて!」
「ああああー・・・・」

智美の顔にはどこからが雨で、どこからが涙かわからないほどに涙が流れ、その冷たい雨の中、木村は智美の胸の中で微かに笑いながら息絶えていった・・・。

「いつか冷たい雨が」・41話

昭和56年夏・・・・。

もうすぐ夏休みになろうかと言う時だった。
小学5年生の木村直人は元々眠りが浅く、朝日が少しでも窓から入ってくると目がさめてしまう、そんな子供だったが、それはおそらく2つ違いの妹、由香里も同じだったに違いなかった。

その日も朝早くから目が覚めてしまった直人は、何故か家の中が異様に静かな事に気が付く。
いつもならもう母ちゃんが台所にいるだろう、父ちゃんも印刷機を回す準備を始めているだろう、そんな時間だった。
でも家の中はまるで誰もいないかの様に静まり返っている。

「かあちゃん・・・」
直人は母親を呼んでみた、だが返事どころか静寂は更に深まるばかりだった。

「とうちゃん・・・」
直人は今度は父親がいるはずの仕事場で父を呼んでみたが、そこにも誰もいなかった。

そこで直人は仕事場の隣にある印刷用紙の倉庫の戸を開けてみたが、その倉庫の小さな窓から入る光が映し出す光景は、子供ながらにいつかその日が来るのではないか、そう恐れながら暮らしていた、まさにその光景だった。
母の足は地面から30cmも離れて宙に浮き、その奥にはやはり父の足が地面から同じように30cmも宙に浮いた状態で、首からはまるで操り人形のように紐がつながっていて、その先は倉庫の屋根の骨組みに結ばれていた。

「にいちゃん、父ちゃんと母ちゃんどうしたの」
倉庫の戸口に立っていた直人のところへ、いつの間にか妹の由香里も起きてきていたのだった。

「かあちゃん・・・」
由香里はぶら下がっている母のスカートの裾を引っ張るが、母の目は固く閉ざされたままだった。

「由香里、よせ・・・」
直人は何故かそこでスカートの裾を引っ張っていると母が苦しいのでは無いかと思って、友加里の手を引っぱった。

そして由香里の手を握り、隣の電器店の玄関の戸を叩いた直人は、そこの店主と共にもう一度家に戻って、やがて警察がやってきて父と母が地面に降ろされるのを黙って見ていた・・・。

後で分かった事だが、この倉庫のスチール棚の上には「直人、由香里、ごめんね」と書かれた母の遺書が、父がいつも大切にしていた懐中時計と共に置かれていたらしく、簡単な葬儀が終わって叔父さんの家に引き取られる事になった時、隣家の電器店の店主がそれを直人に手渡してくれたのだった。

日本がバブル経済を迎える少し前の、景気が大きく落ち込んだ時だった。

1985年のプラザ合意によって、また当時の自民党中曽根政権が実施した法人税の42%から30%の引き下げ、所得税最高税率70%から40%の引き下げ、物品税の廃止などの措置が出てくる以前の1981年から1983年は、小さな町工場や商店などが軒並み不況の嵐に見舞われ、高利貸しやサラ金などに追われ、自殺者、夜逃げなどが続出した時期だった。

直人の両親も小さな印刷会社を経営していたが、この不況のためローンで購入した機材の返済ができなくなり、また納入先の倒産などによって代金の回収ができず、サラ金から金を借りてやり繰りしていたが、その返済も滞るようになり、毎日毎晩人相の悪い男たちが家に来て、両親がいつも土下座して謝っていた事を知っていた直人は、おぼろげながら、いつか父ちゃんも母ちゃんもいなくなるのでは無いか、そんな事に怯えながら暮らしていたのである。

叔父の家に引き取られた直人と由香里、どうやら両親は叔父の家からもお金を借りていたらしく、叔母はいつも「金も返ってこないのに、その上たんこぶ(子供のこと)まで引き取ってどうするんだよ」と、叔父に話していた。

そしてやがてそうこうしている内に妹の由香里がだんだんご飯も食べなくなり、痩せて行き、学校を休んで寝込む事が多くなって行った。

病院へ連れていってもらおうと言っても、叔父夫婦に遠慮しているのか、「なんでもない」と言い、それから更に言葉が少なくなって行った由香里、ある日学校が早く終わった為、いつもより早く早く叔父の家に帰った直人は、この日始めて由香里が何で体を壊していったのか、その理由を知る事になる。

家に帰って自分と由香里に与えられた部屋の戸を開けた直人は、そこで従兄弟の貴博が妹の下着を脱がせ、足を広げさせて、いたずらしている場面に遭遇するのである。

「やめてくれ、やめてくれ」

直人は思わず高校を卒業したばかりだが、家でブラブラしている貴博に飛びかかって行ったが、所詮子供の力ではどうにもならず、弾き飛ばされた上に「この事を両親に言ったら家に居られなくしてやるぞ」と脅されてしまう。

その晩、直人は由香里の手を引いて、由香里のランドセルも持って叔父夫婦の家を出る決心をする。

「家に帰ろう・・・」
「兄ちゃんがきっと何とかするからな」
「うん」

由香里はそう言って歩き始めたが、やがて1kmも行かない内に体力が無くなり歩けなくなった。
直人は由香里を背中におぶって歩き始める。
叔父の家から自分の家まではおよそ10km、しかもその家は両親亡き後差し押さえられていたのだが、そんな事を幼い兄妹が知る由も無かった。

そして3kmも歩いただろうか、幾ら軽くなってしまったとは言え、由香里を背負ってランドセルを持った直人の足は少しずつ遅くなる。
ちょうど右手に農業用のため池が有って、そこの高い土手が道になっている所にさしかかった時だった。
由香里が細い声で背中から直人に話しかける。

「にいちゃん、ありがとう」
「オレはもうだめだ・・・」
「何を言っている、もう少しだ頑張れ」
「にいちゃん、オレを殺して・・・」
「由香里、家に帰れば薬だってある、にいちゃんどんな事をしても助けてやるからな」
「にいちゃんだけでも家に帰ってな・・・」

そう言うと由香里はさっきまで直人の首に回していた手を離し、はずみで直人の手からは友加里の両足が簡単に外れていった。

「由香里ー!、由香里ー!」
「ああぁぁー・・・・」

暗い土手の上で妹の名を呼ぶ直人の声が鳴り響いていた・・・。
翌日、由香里はその農業用のため池の中で、半分沈んで横たわっていた。

直人11歳、由香里は9歳だった。

「いつか冷たい雨が」・40話

「木村さん、お願いですから避難してください」
「そうよ、木村さんがいなかったらこの先この国はどうするの」

加藤と智美はこの荒川区避難所に残ると言う木村を必至に説得していた。
またこれから暫く後には小杉一尉もヘリコプターで迎えに来ていたが、木村はここを動こうとしなかった。

「見てみるが良い、ここに避難している人たちはイラン、バングラディッシュ、韓国、ブラジル、中国、フィリピンなど世界中からから日本に来ている人たちだ」
「そして日本のボランティアは言葉が通じない、文化や風習が違う、或いは謂れの無い偏見から誰もこの避難所に残ろうとはしなかった」

「事情が有って本国にも帰れない人もいるだろう」
「私は彼らにここに避難していれば大丈夫だと言った」
「その私がここから避難してしまえばどうなる」

「小杉一尉、ここの加藤さんと智美さんを乗せて、那須の事務局まで避難してくれ」
「木村さん、あなたはこれから先も日本が必要とする人だ、小さな義理のために大義を失うような事ではあなたらしくも無い」

小杉一尉は珍しく少し興奮したように木村を見つめた。

「大義、大義とは何だ、逆らう事もできない立場の人に、しかも命がかかっているかも知れない時に、その小さな義理を守れない者がどうして大義など口にできようか・・・」
「小杉一尉、そうは思わんか」
「しかし・・・」
「大丈夫だ、私は幼い頃からどこかで先の事が頭に浮かんでくる時が有って、ここにいても無事な事が分かるんだ」
「それに現実にはもう日本の公債買い取りは終わっている」

「先ほど最後の200兆円の買い取りを白河さんと川上さんにお願いしたところだ」
「後は富士山が噴火を始める直前でも直後でも良い、日本の公債が日銀によって全て買い取られたことを発表すれば、それで円は一時的に暴落し、ヨーロッパ経済は破綻する」

「そしてその円が暴落した時期は交換証券でしのぎ、やがて世界の資金や物資の行き先が、どうしても日本しか無いことに気が付く頃にまた円に戻せば良い、その事は白河さんも川上さんも、小澤総理も承知している」
「日本は勝ったんだ」
「後はこれから先続く寒冷化した地球でどう生きて行くか、その力を個人個人が試されるんだ」

「私は多くの者を殺してしまった」
「大曽根先生、それにその犯人となった男の妻を、また173万人もの東京都民を見殺しにした」
「子供から親を奪い、多くの人の夢を叩き壊した」
「それは木村さんのせいではないわ」
「そうだろうか、私はこの国など滅んでしまえと思っていた、みんな死んでしまえと思っていた、だからこれは私の責任なんだ」
「・・・・・・・・」

「よし分かった、俺も残る」

加藤は木村の肩に手を乗せるとニヤッと笑った。

「このまま木村さんを置いて行けば俺が組長から殺される」
「それにたまには火山灰とやらを見てやろうじゃないか、なあ」
「あんた、大曽根さんを乗せて避難してくれ」

加藤は小杉一尉の方へ智美を押した。

「・・・・・・・」
「私も残る・・・」
「智美さん、君は避難するんだ」
「万一の事があっては大曽根先生に申し訳が立たない」
「いやだ、残る、一緒にいたい・・・」
「智美さん・・・」

「私も・・・、ここにいます」
残ると言って聞かない智美の言葉の後に小杉一尉もポツンと呟いた。

「どうやらみんな強情者の大馬鹿者だったようだな」
「そうと決まればさっさと晩飯の支度でも始めようぜ」
加藤はフッとした笑いを浮かべると小杉一尉の肩にも手をかけた・・・。

自分の命より大切なものは有ると思うか?
私は有ると思う、いや有ると信じているのかも知れない。
そしてそれは永遠がどうのこうの、愛がどうのこうのと言う小賢しいものではなく、瞬間なのだと思う。

その一瞬、僅かな時間でも、どんな劣悪な環境に有ろうとも、この男と一緒にいたい、この女と一緒にいたい、またこの男のためなら、この女の為ならと思う、そこに生きている意味があるのではないか、そう思う。

昼間トン汁を作ってイスラム教の人たちには不評を買った木村たち、夕飯の炊き出しには「魚肉ソーセージすき焼き風ごった煮」を作って自身らも食事を済ませると、他のボランティア達と事務所で待機していたが、ここのボランティアは主に日本語が通じるフィリピン人が多く、彼等彼女等はこんな時で有ってもどこか陽気だった。

木村はそんな人たちの中に有って、もしかしたら家庭とか、家族と言ったものを見ていたのかも知れない・・・。

やがて外の様子を見ようと席を立った木村、その後を智美が追うが、それに更に付い行こうと席を立つ小杉一尉を、加藤が笑って引き止めた。

「寒くはないか・・・」

非常口から外に出た木村は後ろにいる智美に気がついていたのか、振り返ることもなく智美に声をかけた。

「大丈夫・・・」
「あと少し、あともう少しで全部終わる」
「ねえ木村さん、初めて会った時の事を覚えてる?」
「ああ」
「いろんな事があったから随分むかしの事のみたいね・・・」
「そうだな、もう10年も前のような気がする」

「わたし、ついこの間39歳になったのよ」
「そうか、そう言えば君の誕生日、聞いてなかったな」
「あなたの誕生日も私は知らないわ」
「1月29日だ・・・」

「君の誕生日はいつだった」
「4月13日よ」
「何もプレゼントできなかったな」
「いいわよ、こんな時だもの」

木村は避難所前のコンクリートの基礎の所に腰を降ろすと、そこに並ぶように智美も座った。

「これ、遅くなったけど、誕生日のプレゼントだ」

木村は内ポケットをなにやらゴソゴソ探していたが、そこから取り出したものは古い懐中時計だった。

「これは何・・・」
「父親の形見なんだ」
「お父さんの・・・」
「ああ、きっと景気が良い時に買ったもので、良いものだとは思う」
「そんな大切なもの、私が貰っても良いの」
「何もしてやれない、今はこれしかないが、でも良かったら君に持っていて欲しい・・・」

木村はそう言うと、鎖の付いた銀色の懐中時計を智美の手の平に置いた。

月もなく、空を暗雲が被い、遠くには火山噴火に伴う空振が、ドーン、ドーンと鳴り響いていた。



「いつか冷たい雨が」・39話

「倉木さん、いつ頃から始まりそうですか」
「ちょっと待ってください、今、小谷教授と代わります」

「小谷です」
「小谷先生、今回は危険な所での観測、大変申し訳ありませんでした」
「いやいや、こうして学生たちとテント暮らしをしていると若い頃を思い出します」
「それで、先生、実際いつ頃から噴火は始まりそうですか」

「何とも言えないところは有りますが、マグマの移動が始まったようですので、早ければ3日、遅くとも6日以内にはマグマが噴火口に達すると思います」
「今の速度ですと6日くらいかと思っているのですが」
「そうですか、先生これから以後は観測機材だけを動かして、無線でデータを飛ばすことにして、倉木さんや学生さんと一緒にそこを撤収してください」

「それなんですが、倉木先生とも相談していたのですが、もう2日だけここに留まって正確なデータを取りたいと話していたんです」
「危険ではないですか」
「かも知れません」
「でも、見たいのです」

「そうですか、分かりました、くれぐれもお気を付けて、すぐ下山できるようにしていてください」
「そちらの事は頼みますよ」
「すぐ避難体勢を取ります、倉木先生にも宜しくお伝えください」

携帯電話を切った木村は早速この事を防衛省の田神に連絡したが、これは小澤総理に対する配慮だった。
小澤に直接連絡すれば、きっと「どうして総理の私より木村君のところへ先に連絡が行ってるの」と言う事になるのは目に見えた事で、防衛省もこれで顔が立つし、面倒では有るが、これが人間や組織の仕組みと言うものでも有る。

防衛省から連絡を受けた小澤は、木村が辞めてから内閣に吸収された旧国家安全保障委員会、現在は内閣府特別災害対策室に対し、かねてより決めて有ったマニュアルを実行するように連絡した。

期限は最大で65時間、その時間内に富士山の裾野20km以内に在住する住民全てに避難勧告を出して避難させ、東京23区、神奈川県、静岡県、山梨県の住民は防災無線やラジオ、テレビ放送で噴火が始まったと連絡が入った時点で、家から外に出る事を禁止する措置が取られた。

本当なら東京の避難民はどこかに避難させることができれば良いのだが、残った避難民は外国人や地方に親戚演縁者の無い者が多いこと、それに190万人を分散して受け入れる体制は整っていなかった。
地方の過疎地域で起こる災害は、人口が少ない分被害は小さくなり、それを首都圏の人口が助ける事は容易だが、この反対は難しい。

首都圏、大都市で災害が発生した場合、それを地方の高齢化社会が援助する事は出来ないのである。

それにこれは言いにくい事では有るが、こうした状況で万一火山灰の量が多すぎた場合、もしかしたら窒息死する可能性も出るが、外国人や身寄りのない者にはそれ以上の被害にはならない、つまり悲しむ者がいないと言うことだ。
木村の頭の中にはこうした冷たい計算ができて、その上で身寄りのない自分も荒川区の避難所に残るのである。

一方ここは富士山8合目付近の観測地点、
倉木と東京大学地震研究所、小谷教授はそれぞれ自分達以外の学生やアルバイトを全て下山させ、2人で沸かしたコーヒーを飲みながら噴煙で曇った空を見上げていた。

「倉木先生、色々失礼な事を言ってしまって済みませんでした」
「何を言うんですか小谷先生、私こそ僭越な事ばかり言ってしまって、申し訳ないと思っていました」
「私が信じていた科学は何だったんでしょうね」
「データ、証拠、そんなものばかり追いかけて来た気がします」

「小谷先生、それは私も同じでした」
「自然災害は同じものが一つとして無く、全てが例外になってしまいます」
「そこに統計を当てはめても、次はまた違った現象が起こってくる」
「結局災害は人間の勘でしか予測できないのでは無いかと思っていました」

「でも科学は大したものです」
「こうしてマグマの動きまで捉える事ができる」
「小谷先生たちがいたからこそではないですか」

「倉木先生、もしここで噴火を見た後も生きていたら、一杯やりませんか」
「喜んで・・・」

はにかんだように笑って差し出された小谷教授の手を、倉木はしっかり両手で握り返した。


そしてここはマサチューセッツ州、ボストン郊外・・・。

「ヤノシュ、この前の失敗はまあ目をつむろう、一応脅しだけでも効果は同じだったからな」

「だが、今度は失敗は許されないぞ」
カショス・アキッドはそう言うと木村の写真とデータが入った大きな封筒をテーブルの上に置いた。

「分かってます」
「今度は私が自分で乗り込みます」
「それは心強いな、全米で1、2位を争うヤノシュの腕だ、まず間違いはなさそうだな」

「ところでボス、報酬は幾ら頂けますか」
「この前の約束も有ることだし、取りあえず500万ドルでどうだ」
「首相よりも高値なんですねこの男・・・」
「まあな、些か厄介な奴でな・・・」
「わかりました、前金で250万ドル、残りは仕事が終わった時点で頂くことにします、キャッシュで・・・」
「100ドル紙幣でも構わんか」
「結構です」

「期限は2日、遅くとも3日以内だ」
「それはまた随分急ですね」
「ATSSの話だと、どうやらこの1週間以内にフジヤマが噴火するらしい」
「そしてこのフジヤマの噴火に合わせて日本が重大発表をすることになっている」
「もう間に合わないが、このナオト・キムラがこれから先も生きていてはアメリカにとっても、私に取っても都合が悪い・・」
「できれば日本の発表の前に始末してくれ」

「分かりました、すぐ日本にたちます」

ヤノシュは暫く下を向いて考えた風だったが、そう言うとソファから腰を上げた。

「あっ、そうだ」
「何ですか」
「ナオト・キムラの顔は撃つな・・・」
「どうしてですか」
「わたしはあいつの目が好きだった」
「かつては友と呼んだ事も有った男だ、これが私からの餞別だ・・・」
「承知しました・・・」

ヤノシュは少しだけ笑みを浮かべると、カショスの部屋を後にした。

プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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