「倉木さん、いつ頃から始まりそうですか」
「ちょっと待ってください、今、小谷教授と代わります」
「小谷です」
「小谷先生、今回は危険な所での観測、大変申し訳ありませんでした」
「いやいや、こうして学生たちとテント暮らしをしていると若い頃を思い出します」
「それで、先生、実際いつ頃から噴火は始まりそうですか」
「何とも言えないところは有りますが、マグマの移動が始まったようですので、早ければ3日、遅くとも6日以内にはマグマが噴火口に達すると思います」
「今の速度ですと6日くらいかと思っているのですが」
「そうですか、先生これから以後は観測機材だけを動かして、無線でデータを飛ばすことにして、倉木さんや学生さんと一緒にそこを撤収してください」
「それなんですが、倉木先生とも相談していたのですが、もう2日だけここに留まって正確なデータを取りたいと話していたんです」
「危険ではないですか」
「かも知れません」
「でも、見たいのです」
「そうですか、分かりました、くれぐれもお気を付けて、すぐ下山できるようにしていてください」
「そちらの事は頼みますよ」
「すぐ避難体勢を取ります、倉木先生にも宜しくお伝えください」
携帯電話を切った木村は早速この事を防衛省の田神に連絡したが、これは小澤総理に対する配慮だった。
小澤に直接連絡すれば、きっと「どうして総理の私より木村君のところへ先に連絡が行ってるの」と言う事になるのは目に見えた事で、防衛省もこれで顔が立つし、面倒では有るが、これが人間や組織の仕組みと言うものでも有る。
防衛省から連絡を受けた小澤は、木村が辞めてから内閣に吸収された旧国家安全保障委員会、現在は内閣府特別災害対策室に対し、かねてより決めて有ったマニュアルを実行するように連絡した。
期限は最大で65時間、その時間内に富士山の裾野20km以内に在住する住民全てに避難勧告を出して避難させ、東京23区、神奈川県、静岡県、山梨県の住民は防災無線やラジオ、テレビ放送で噴火が始まったと連絡が入った時点で、家から外に出る事を禁止する措置が取られた。
本当なら東京の避難民はどこかに避難させることができれば良いのだが、残った避難民は外国人や地方に親戚演縁者の無い者が多いこと、それに190万人を分散して受け入れる体制は整っていなかった。
地方の過疎地域で起こる災害は、人口が少ない分被害は小さくなり、それを首都圏の人口が助ける事は容易だが、この反対は難しい。
首都圏、大都市で災害が発生した場合、それを地方の高齢化社会が援助する事は出来ないのである。
それにこれは言いにくい事では有るが、こうした状況で万一火山灰の量が多すぎた場合、もしかしたら窒息死する可能性も出るが、外国人や身寄りのない者にはそれ以上の被害にはならない、つまり悲しむ者がいないと言うことだ。
木村の頭の中にはこうした冷たい計算ができて、その上で身寄りのない自分も荒川区の避難所に残るのである。
一方ここは富士山8合目付近の観測地点、
倉木と東京大学地震研究所、小谷教授はそれぞれ自分達以外の学生やアルバイトを全て下山させ、2人で沸かしたコーヒーを飲みながら噴煙で曇った空を見上げていた。
「倉木先生、色々失礼な事を言ってしまって済みませんでした」
「何を言うんですか小谷先生、私こそ僭越な事ばかり言ってしまって、申し訳ないと思っていました」
「私が信じていた科学は何だったんでしょうね」
「データ、証拠、そんなものばかり追いかけて来た気がします」
「小谷先生、それは私も同じでした」
「自然災害は同じものが一つとして無く、全てが例外になってしまいます」
「そこに統計を当てはめても、次はまた違った現象が起こってくる」
「結局災害は人間の勘でしか予測できないのでは無いかと思っていました」
「でも科学は大したものです」
「こうしてマグマの動きまで捉える事ができる」
「小谷先生たちがいたからこそではないですか」
「倉木先生、もしここで噴火を見た後も生きていたら、一杯やりませんか」
「喜んで・・・」
はにかんだように笑って差し出された小谷教授の手を、倉木はしっかり両手で握り返した。
そしてここはマサチューセッツ州、ボストン郊外・・・。
「ヤノシュ、この前の失敗はまあ目をつむろう、一応脅しだけでも効果は同じだったからな」
「だが、今度は失敗は許されないぞ」
カショス・アキッドはそう言うと木村の写真とデータが入った大きな封筒をテーブルの上に置いた。
「分かってます」
「今度は私が自分で乗り込みます」
「それは心強いな、全米で1、2位を争うヤノシュの腕だ、まず間違いはなさそうだな」
「ところでボス、報酬は幾ら頂けますか」
「この前の約束も有ることだし、取りあえず500万ドルでどうだ」
「首相よりも高値なんですねこの男・・・」
「まあな、些か厄介な奴でな・・・」
「わかりました、前金で250万ドル、残りは仕事が終わった時点で頂くことにします、キャッシュで・・・」
「100ドル紙幣でも構わんか」
「結構です」
「期限は2日、遅くとも3日以内だ」
「それはまた随分急ですね」
「ATSSの話だと、どうやらこの1週間以内にフジヤマが噴火するらしい」
「そしてこのフジヤマの噴火に合わせて日本が重大発表をすることになっている」
「もう間に合わないが、このナオト・キムラがこれから先も生きていてはアメリカにとっても、私に取っても都合が悪い・・」
「できれば日本の発表の前に始末してくれ」
「分かりました、すぐ日本にたちます」
ヤノシュは暫く下を向いて考えた風だったが、そう言うとソファから腰を上げた。
「あっ、そうだ」
「何ですか」
「ナオト・キムラの顔は撃つな・・・」
「どうしてですか」
「わたしはあいつの目が好きだった」
「かつては友と呼んだ事も有った男だ、これが私からの餞別だ・・・」
「承知しました・・・」
ヤノシュは少しだけ笑みを浮かべると、カショスの部屋を後にした。