ナメクジが川を渡る?

ナメクジ・・・と言えば大概みな顔をしかめるだろう。
だが公式記録ではないが、ドイツのある学者が残した研究レポートにナメクジに関するとても興味深い話が残っている。

秋になって間もないある天気の良い日、午後4時、何気なく風に揺れる茅(カヤ)を眺めていた博士はその茅の葉に1匹のナメクジがへばりついているのを目にする。
通常ナメクジが茅の葉のこんなへさきに登って来ることは少なく、第一そんな葉の先端に行ったところでその先は小さな川、向こう岸までは3mもあるのだ。

不思議に思った博士はそのナメクジを静観していたが、夕方の風にゆらゆら揺れる茅の葉とその上に乗ったナメクジも揺れ、川向こうの茅も揺れていた。
そのとき、博士は何となくナメクジの色が薄くなったように見えたので、目を凝らすとナメクジは更に色が薄くなり、ついには半透明になっていったのだ。

「いやこれは・・・」博士はナメクジをもっと良く見ようと茅の葉に近づいた。
そしてその延長線上にある川向かいの茅に目が行く、なんとそこには同じような高さにある茅の葉に半透明のナメクジの姿があるではないか。

博士は両方の茅の葉上のナメクジを観察し続けたが、不思議なことにこちら側のナメクジはどんどん透明になり、川向こうのナメクジが逆に色が濃くなり、ついには30分ほどでこちら側のナメクジが消えて川向こうの茅でナメクジの姿が確定したのである。

博士はこれを機会にナメクジで実験し、同じ現象を2回確認したとレポートに記述し、ナメクジは移動手段が限られていることから、こうしたテレポテーションの能力が備わっているのではないかと推察している。
またこの現象で重大な要素は、風とそれで揺れる茅の葉のスピード、その速度に共鳴している別の茅の葉の存在が必要だとも、瞬間移動はタイミングだとも記している。

にわかには信じがたい話だが、物理学的には理に適っている部分もある。
それは原子核の構成原理が同じように不確定であるが故に、1個しかなくてもどこでも存在する可能性が出てきて雲のように確率として存在するのと似ているし、もし物質の瞬間移動を考えるならば、やはり一度物質としては壊れて素粒子単位になり、別の場所で再構成される原理が一番考えやすいからだが、こうした考えで言えば、理論上ブラックホールの考え方とそう変わらないのだ。

ナメクジが宇宙最大のミステリー、天地創造の大原理と同じ原理で瞬間移動とは大したものだとは思わないだろうか。ちなみにこのレポートはかなり古いもので、文章中茅と訳されている箇所もおそらくアシだろうし、その信憑性について多くの学者は否定的、と言うより門前払いの扱いをしている。


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誰に対してもそうなのですか

仕事で大阪に行く途中、その電車内での出来事だった。
金沢駅から電車に乗った私の向かいに座っていたかなり高齢の男性は、半透明のレジ袋にワンカップ酒を3本と缶ビールを2本入れていて、電車が発車すると同時にそれらを次々出して呑み始めたが、やがて車内アナウンスで米原到着時間が放送されると、慌てて荷物をまとめて乗降口へと歩き始めた。

しかし、どうやら短い間に酒を呑みすぎたようで足元がおぼつかず、乗降口付近で座り込んでしまった。
やがて電車は米原へ到着、降りる人は電車を降り、乗り込む人が次から次へと乗り込んできたが、乗降口から少し離れたところで座り込んでいた男性をみんな「こんなところで酔っ払って・・」ぐらいにしか見ずに通り過ぎて行った。

さすがに捨て置く訳にも行かなくなった私は男性を起こし、米原で降りるのか確かめ、「そうだ、そうだ」と答える男性を担ぐようにして支えてホームまで連れて行き、ベンチに座らせて近くにいた駅員に事情を説明し、後を頼んでまた電車に戻った。

危ないところだったが、何とか発車までに間に合った私はしばらく眠ろうと思い、腕を組んで目を閉じたが、どれほど時間が経ったのかは分からない、もしかしたらとても短い時間だったかもしれないが後ろから肩を叩かれて目を覚ました。

何だろうと後ろを振り返った私の視界に入ったものは若い女性、いや女性と言うにはまだ幼いだろうか、女の子が私の肩を叩いていたのだった。

そして私は彼女から1枚の紙切れを手渡された。
「私は耳が悪くて言葉がしゃべれません。今の人はあなたの知り合いですか」紙切れにはそう書かれていた。
とっさのことで何がなにやら分からなくててびっくりしたが、私は自分のバッグからボールペンを取り出し、手渡された紙切れの余白に「違います」と書いて渡した。

するとしばらくして私の肩越しにまた紙切れが舞い込んできて、そこには「誰に対してもそんなに親切なのですか」と書かれていた。

一瞬「そうです」と書こうとしたものの、少し気恥ずかしくなった私は、紙の余白に「誰かが見ているかも知れないと思って、そうした」と書いて返したが、それを読んだ彼女は一瞬「んっ」と言うような顔をしたが、すぐジョークだと分かったのだろう、何度もうなずき少し笑った。

それから一時彼女からは何のリアクションもなかったが、やがて電車が京都駅に着く頃、また彼女から紙切れが渡され、そこには「ありがとう、なんだか生きてて良かったと思えました」と書かれていた。
私はその紙切れを手元に置き、メモ帳を1枚破りそこに「こちらこそ、ありがとう」と書いて渡した。

彼女は京都駅でこちらに手を振って降りて行ったし、同行していた母親らしき女性も軽く会釈をしていった。
ちょっとかわいい子だったな、しまった住所くらい教えておけばよかったなと思ったが、散々格好つけてしまったし、後でボロが出るよりはこの方が彼女の夢を壊さずに済むのかなとも思った。

「誰に対してもそんなに親切なのですか」と言う問いはドキッとした。
まばたきもせずに見つめられると、正直、自分がとても恥ずかしかった。




カマイタチ

見た目派手な割りには本人がそれほど自覚できない裂傷、ケガがある
その名は「カマイタチ」これは基本的には裂傷だが、ひどい時には直径5cmに渡って肉がえぐれて骨が見えることや、まぶたなどではまぶたが取れてしまったように見えることもある。

だが、不思議なのはこのような凄いダメージの割には本人がそれほど痛がらないこと、傷の大きさに比べて出血が極めて少ないことなのだ。
中にはひざの肉がえぐれて骨が見えているのに本人が気づかず、友達に指摘されて始めて気づいたという例まであるほどだ。

カマイタチは転倒したときや、自転車で転んだとき、なにかに接触したときに起きる裂傷だが、医学的には通常の裂傷として扱われるため、経験のない医師だと、どうしてこんな大変な傷なのに出血が少なく、本人が痛がらないのかと首をかしげることも多い。

この症状は古くから知られていた症状で、発生原因については不明だったため、妖怪のカマイタチがカマで切るからこうした傷ができるのだと思われてきたが、その姿は大イタチがカマを持っている姿や、手がカマになっているイタチの姿などで現されてきたが、面白い話としては、3匹のイタチがセットになって動いているとされている伝承が在る。

転倒したり激しい動きをした時、1匹目のイタチがカマで斬りつけ、すかさず2匹目が止血剤を塗り、3匹目が痛み止めを塗っていくと言うものだ。
古くから一般的な事故に拠る裂傷とは明らかに症状が違う事が、広く認識されていたものと思われる。

この症状になぜイタチの名前が冠されたか、その背景にはイタチが地面走るとき目にも止まらぬ速さで走るからで、こうした機敏なイタチの動きと、瞬間に大きな裂傷になるこの症状をつなぎ合わせたのだろうが、昔の人のイマジネーションにはほとほと敬服させられる。

カマイタチがなぜ起こるのかは現在も解明されていない。
転倒したとき一時的に接触面が真空状態になり肉が裂けるのだろうと言う仮説があるが、これも医学的に検証されたことはなく、医学界ではカマイタチという呼び名そのものが否定された状態になっている。
また出血が少ないこと、本人が痛がらないことなどについてはまったくその原因が分かっていない。

このような傷を負った場合、一般の裂傷のように痛がらないし、出血も殆どないので慌てずにそのまま病院へ行き(足以外の場合)消毒してもらって縫合手術を受けると良いが、傷は残るので例えばまぶたなどでは後に整形手術が必要な場合も発生する。

ちなみにイタチは余り縁起の良い生き物として伝承されておらず、ひどい話ではその姿を見ただけでその日は「悪いことがある」とされる場合や、前を横切られると「ケガをする」とされていたりする。
また右から左へ横切られると「何かしら悪いことが起こる」という言い伝えでは、その日の内にもう一度今度は左から右へイタチに横切られるとその「悪いこと」は回避されるとなっている。

イタチはネズミ捕りの名手であり、その頭が通れる大きさがあればどこでも入れるといわれている。





赤いミョウガは不吉?

2005年夏、能登半島の一部地域では赤いミョウガが大量に発見された。

ミョウガは食用として「親」と「子」があるが、親とは茎があって葉があってのそれで、子はあの子供が手を握ったような形の一般的に言うミョウガのことである。
普通ミョウガは白から薄い藤色にグラデーションになった色だが、この年ミョウガ藪に出たミョウガは真っ赤なものがあり、その群生だけでは無く、隣や離れた群生まですべて真っ赤だった。

この事態に地元住人は大いに慌てたが、実はこうした赤いミョウガの正体は「ミョウガの花」と呼ばれる現象でミョウガ藪では30年から50年に1度こうした現象が発生することが古来からの文献にも記されている。

つまりこの現象はミョウガの普通の生態なのだが、地域によっては不吉とされている場合もあり、天変地異の兆しとも伝えられている場合もあるが、珍しい現象であっても、絶対あり得ないものではなく、天変地異との因果関係は基本的に無いと思った方がいい。

猶、この現象に付いては科学的な解明が為されてもいる。
原因は寄生虫の存在なのだが、こうして赤い花が付いたミョウガを半分に割ってみると、中には赤い糸状の寄生虫がいる事が解っていて、この寄生虫を排除すれば食べても影響はない。
ただし、こうしてミョウガを赤くする寄生虫が、なぜ数年、数十年に1回大量発生するのかは解っていない。
可能性としてはサトイモの花と同じように、一定時期の気温の高さが考えられるが、推測の領域を出るものではない。

同じように京都では2007年笹の群生が白い花をつけて枯れてしまったが、こちらも何か悪いことが・・・と心配された。
しかし、これも笹や竹の普通の生態で、通常60年ほどに1度白い花をつけると、竹や笹のその群生はすべて枯れてしまうことが知られている。

日本人の平均寿命がこれほど長くなったのは太平洋戦争後のことであり、それより以前は平均寿命は50歳前後だった。
こうしたことから「ミョウガの花」や竹、笹の花を見るのは恐らく一生の間に1度あるか無いかの特別な現象だったに違いない。

それを見て天変地異の兆しと考えても不思議はないが、現実には異常気象や水害、地震は頻繁に起こる災害であって、常に順調な年など逆に少ないのであり、これを植物がもつ長い周期の生態とつなげたことから、こうした不吉な伝承が始まったのだと考えられるが、その根拠は無い。

最後に、サツマイモの花を見た人がいるだろうか?
サツマイモはめったに花をつけないが、暑い日が続くと稀に花をつけ、その花はかわいい白い花である。

こちらもめったに無いことなので天変地異の兆しと言う伝承があるが、赤いミョウガと同じように植物にはたまにあり得る普通の生態だ。

偶然という天の采配に、本来結ぶ先の無い糸を形無きものに結んでしまう。
人間は皆とても弱い。


農家は新米が食べられない

米の美味さは昼と夜の気温差に関係している。

この点から秋遅くに刈り入れをする米はおいしいことになるが、あまり遅くなると乾燥が難しいこと、台風や雨などに会いやすいことから、日本の米はつい最近までできるだけ早く収穫する傾向にあった。

米には早稲と言って8月後半から収穫できる品種と、晩稲言って10月に入ってしか収穫できない品種があり、早稲は各県でいろんな品種があるが、晩稲は「ササニシキ」などがそうだ。
この早稲と晩稲の中間に位置しているのが、「コシヒカリ」であり、この品種の特性は早稲の作りやすさとササニシキなどの晩稲米の食味の融合にあるが、同じコシヒカリでも遅く田植えをし、遅く収穫したものの方が食味がある。

また微量だが塩分にさらされた米は粘りがあるため、もちもち感を好む人は海岸沿いで収穫された米を求めるといいだろう。

コシヒカリと言えば新潟魚沼産の米が1番美味いとされているが、近い緯度で土がよければ富山県や石川県奥能登地方の米も同じほどの食味を持っている。
おいしい米ができる土は黒っぽい土の田んぼで、色が浅く黄土色の土の田んぼは美味い米ができず、平地より山間部の米が美味しい傾向にある。

無農薬有機栽培は基本的に雑草を取り除くのに膨大な費用がかかり、収量は半分以下になるので通常の米の3倍以上の価格になるが、極端に栄養分が少ない米は未成熟米になりやすく、近代農法による収穫期までに科学肥料や除草剤成分がすべて稲から排除された状態で収穫する形式の栽培方法との比較では、メリットや効果は無農薬有機栽培米の方が少ない。

赤米、黒米と言った古代米は基本的には「もち米」と同じだと思ったほうがよく、これは通常の炊飯器で炊いても芯が残って美味く炊けず、よしんば餅、おかゆにしてもオリジナルの白米には及ばない。
ちなみにこの古代米、蒸して白米と同じように食べると後で大変なことになる。

もち米並みの腹持ちの良さがあり、ご飯茶碗1杯でも通常の白米2膳分以上の満腹感があり、古文書で「おかゆをすすって・・・」と言う話をコシヒカリで考えるとヒモジイのだが、古代米だとそれで腹一杯になることが実感として理解できるだろう。

1975年ごろまで、農家がその年収穫した新米を食べるのは神前に供えた僅かな量だった。
ほとんどを農協に出荷し、自宅で消費する米は飢饉に備えて3年前の物を食べていたのである。

これは例え飢饉が2年続いても何とか食べていけるという農家の知恵で、こうした習慣があるところを見ると気象の変化は単年度のものが少なく、大方2年くらいは続くのが普通だったのかもしれないが、農家は籾(もみ)の状態で自家消費3年分を蓄え、その古くなった順に食べて行くのだ。

米は新米を炊いて10とすると、1年前の米は同じ量を炊いても水を吸って炊き上がりは12ほどになり、古くなるほど同じ量での炊き上がり量は増えていく。

農家は自分で作った新米がその年には食べられなかったのである。

死者が負ぶさる

毎朝時間が無いのは前日の夜更かしと朝寝坊のせいだが、こうした場合でなくてもパジャマやTシャツなどは慌てると時々裏返しに着ていて気づかないことがある。
そのまま外出してもこれだけ多様なファッションが流行している現代ではそれほど気にならないかも知れないが、実はこれがとんでもないことになる地域がある。

昔から着物を裏返しに着ると「亡者が背中に負ぶさる」と言う言い伝えの地域があり、こうした言い伝えは全国にぽつぽつと存在しているのだ。
それゆえそうした地域では洋服を裏返しに着ていると「亡者が負ぶさるぞ」と注意されるのである。

これは勿論着衣を裏返しで着ていることのだらしなさを戒める意味もあるが、それ以上に逆回転はあってはならないという仏教的絶対思想が根底に大きく横たわっているように思う。
すなわち森羅万象あまねくこの世の理はたとえ神であってもそれを犯すべからざるものだという意味がある。
着物を裏返しに着ることはこの森羅万象の理を逆から入ろうとするもので、それは死者が蘇えることを指すが、これはあってはならない。

だから死者と生きる者を区別する方法として片方は自然の理にかなった表、その裏はこの世ではないものを指しているのであり、死者に着せる「かたびら」は裏返しになっている地域があるのもそのためだ。

仏陀はその教えでこう説いている。
昔子供を失った母親が嘆き悲しみ、仏陀に何とかわが子を蘇えらせて欲しいと頼むが、これに仏陀は「いいだろう」と答える。
だがその代わり、「今までに1度も死者を出したことの無い家を探せ」とも言う。

母親は必死で死者を1度も出したことの無い家を探すが、そんなものなどあろうはずも無い。
やがてそれに気づいた母親は仏陀の弟子になる。

またこれはニュートン以来の天才ホーキンス博士の説だが、「人間は未来へは行けるかも知れないが、過去へいくのは難しいだろう」とも言っている。
光の速度は秒速30万キロメートルだが、光速で動いている物は時間の経過が無い、そこで周囲は時間が経過するため結果として未来へ行ったことになるのだが、SF小説のような形では無く、どちらかと言えば「浦島太郎」のような状態を指しているので、希望に満ちた未来を見るというようなことにはならないかも知れない。

この原理は相対性理論でも証明できるが、では光の速度を超えれば過去に行けるのかと言えばそうではない、光がその特性を失うほどのエネルギーはブラックホールくらいの重力地帯で、こうした状態の正確な理論は確立していないため、過去へ戻る事はできるともできないとも言えないのである。

神社の周りを回る神輿でも逆周りはしてはいけないことになっている。
過去へ戻ること、死者が蘇えることは例えそれが神であっても許されないことは日本神話でも出てくる。

着衣を裏返しに着ることはこれほど重大な意味ももっているのである。

もみじの怪我

能登の一部地域に昔こんな話がある。

ある男が仕事で山に入ったが、やがて頃土手で滑って転んでしまった。
しこたま腰を打ち足も打ちつけたが、男は足を見てびっくりしてしまった。

なんとむこうずねに傷を負い血が出ているではないか、これは大変だと思い足を引きずり、痛さで泣きながら山を降りた男は女房に「大変な怪我をしてしまった、ちょっと見てくれ」と泣きつくのだが・・・どれどれと男の傷を見た女房はなぜかニヤニヤ笑い出してしまった。

「人が大変な怪我だと言うに、何だその態度は」男は女房を叱り飛ばしたが、女房は逆に「何を言ってるんだ」と男の傷口を手でバシッとひとつ叩きつける。
「あんた、よく傷口を見てごらんよ」女房の言葉にあらためて自分の傷口をよく見た男はまた仰天する。
なんとそこには赤く色付いたもみじの葉が2枚くっついていたのだった。

とんだ笑い話だが、現代のわたしたちでもこれと同じことはやっているものだ。

よく確かめもしないでテレビの情報だけで人や事件を判断し批判する、また大して被害を受けないのに同じような気持ちになって因果関係のない者にまで同情したりと、実に多くのもみじを体に貼り付けているのだ。

本当はもみじの葉なのに、それを傷だと思った瞬間から急に痛みを感じ、涙まで出てくる。
慌てずによく事実を見ろと言う昔話だが、能登地区の一部の子供たちは親や爺さん婆さんからこうした話をしてもらいながら眠りに付いたのだ。

やがて大人になったとき、この話の意味がいかに大きいか分かったに違いなく、そうした教えはどこかで心の中や行動に残り、その地域出身者独特の人間性となって残っていったことだろう。

我々が失ったものはかなり大きい。


ツチノコ伝説

詳細な場所はここで書けないが、ある2名の主婦の証言、またその近所に住むの男性の証言から「ツチノコ」に関する情報を得たので記録しておこう。

それは今から11年前、彼らが住んでいる地域の山間部での話しで6月中頃の蒸し暑い日、茅を刈るために雇われた2人の主婦がもう昼近くになったので、山を降りて自宅まで昼食を取りに帰ろうとしたときのことだった。

その茅山(茅を刈っている場所)は大昔大蛇が現れ村人を困らせていたとき、1人の神様が近くを通りかかり、その大蛇を9つに切り刻んで退治したときできたとされている池(池と言っても現在はほとんど水はなく単なる湿地帯だが)の1つとされている場所で、少し外れると急峻な土手になっているところだが、その土手に差し掛かった2人の主婦は、土手の端に今まで見たこともない生き物を発見した。

体長は50センチくらい、ちょうどビール瓶のような形で蛇のような肌と色、マムシのような模様に三角の蛇のような頭の付いたその生き物は主婦たちを見ると、その頭の先にある大きな口を開けてグルグルと言うような声で威嚇してきたのだった。

恐ろしくなった主婦たちは慌ててその場から逃げようとしたが、それに驚いたその生き物はさらに慌て、土手を丸太のようにコロコロ転がって茅藪に消えていったのである。
当時その生き物が何なのかまったく見当もつかなかった主婦たちは、その後みんなにその話をしたが、本人たちでさえ理解し得ないものを人に話して理解されることもなく今日に至っていたが、昨年偶然にもツチノコの話がテレビで放映されて始めて自分たちが見た不思議な生き物がツチノコだったことに気づいたのである。

ツチノコは日本全国に目撃例がありながらいまだかつて1匹も捕獲されたことのない謎の生物で、山かがし(毒蛇の1種)がねずみを呑んでいるのを見間違えたのではないか、また蛇ではないかとも言われているが、主婦たちは村に住んで30年以上のベテランであり、山かがしでは絶対ないし、あんな転がって逃げるようなことはないとし証言している。

またこの取材をしている最中、70歳の男性がやはりこの付近の別の場所で30年ほど前、同じような謎の生き物を見たとも証言した。

現場へ行ってみたが、確かにいにしえの伝説が残るにふさわしい場所で、黄土色のススキが裏寂しそうに風にたなびいていた。

大蛇の伝説に近い話は田舎では比較的よくある伝説だが、蒸し暑い日の出来事、形状、その行動、主婦達の証言からしても、この話は信憑性が高く、少なくとも11年前にはここに「ツチノコ」がいたことはほぼ間違いないのではないかと思ったが・・・。



山鳥

山にいる鳥で一番おいしいのはキジのメスだと言われている。
この肉で蕎麦のツユを作ると、これほど美味いものはないと言うのだが、毎年梅雨が終わった頃、畑で息を殺して列を作って歩いていくキジの子供達を見ている者としては、とても蕎麦のツユになどできそうもない。

キジは一般的に鳥だから飛ぶのが得意と思われがちだが、実は歩くほうが得意な生き物で、特に草藪を歩かせたら他の追随を許さない。
こちらの藪から顔を出したかと思えばアット言う間に遠くの藪から顔を出すのである。

秋に稲刈りをしていると時々キジの子供が稲の間からササっと姿を現し、飛び立っていくことがある。

冬の晴れた日、白い雪景色になった田んぼに数羽単位でキジが舞い降り、餌をついばんでいることがあるが、ケーン、ケーンと鳴く親キジに混じってケケケケと中途半端な鳴き声が聞こえるが、これは子供のキジで聞いているこちらまで思わず力が入ってしまう。

古い言い伝えだが、こうして里にキジの姿が現れると「天気が荒れる」と言われていて、村人はキジの鳴き声を聞くと激しい積雪や吹雪に備えるのである。

では、キジのメスの次に美味い鳥はと言うと、それは「山鳥」のオスになっている。

山鳥はキジより少し大きめの鳥だが、キジのオスのように極彩色の羽ではなく茶色やこげ茶色の羽で、オスの尾羽はキジのように見事な長さがあるが、この鳥も冬、オスを中心に数羽のメスで構成された集団で里へ降りてくる。
そしてキジと同じようにこちらもその姿を見ると「天気が荒れる」とされている。

昔の人はこうして里にキジや山鳥の姿を感じると、恐らく天気が悪くならない間に餌を食べておこうと、晴れた日に現れるのだと考えたようで、その背景には鳥に限らず生き物たちが天候を読むに長けているものと信じていたからに他ならない。 

そこはかとない自然への畏敬の念が感じられる。

山鳥はキジより少しだけ警戒心が強い。

さて鳥のランキング、堂々の第3位はキジのオスということなっている。
言わずと知れたあの極彩色のきれいな尾羽の鳥で、冬の日、民家の裏山などをゆっくり歩いているキジのオスは見事にまん丸で、どう考えても山鳩より少し大きい程度のメスよりは美味そうに見えるのだが肉の量、味どちらもメスには及ばないと言うことだ。

そしていよいよランキング最下位だが、これが以外にも山鳥のメスなのだ。
あまりキジのメスと変わらないようにも思うが、古くからそう言い伝えられていて、ついでだが村の古老に言わせると「タクワンほどの味もしない」という酷評ぶりだ。

しかし「ではタクワンと山鳥のメスの肉が出てきたらどちらを食べる」との問いに「それは勿論、山鳥だ」と笑って答えたのもこの古老である。

キジは昔から地震の前に鳴くと言われているが、地方によっては天候が荒れる兆しという伝承も多い。
恐らく天候の荒れやすい日本海側では天候が荒れる兆しに、地震の多い地域は地震の兆しと言うことになっていったのだろうが、昔の人はこうして普段はあまり里へ降りて来ない鳥が里の近くまで来ることに対していくばくかの不吉さを感じたのかも知れない。

そこから伺い知れるものは、極端に良いことと極端に悪いことが同じ概念を持っていたことであり、人間の幸福が変化を好まず、「普通」であることを知識ではなく、生活の中から体得していたのだろうと言うことだ。

最後になったが、同じ村の古老からもう1つ面白い話を聞いた。
山鳥は飛び立つときに「火」を発すると言う。

1日の仕事を終えて夕方家路を急ぐ村人、その姿に驚き慌てて飛び立つ山鳥、その羽や尾羽が夕日に透けて燃えるように見えたか、山鳥の強い生気が飛び立つときに火となって現れるのか。
何かすべてが焼き尽くされた灰の中から蘇えるフェニックス、良い兆しを運ぶ朱雀のようで神秘的な話である。 







プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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