2009/02/12
調査名目の特産品
1970年頃まで、地方の特定の地域ではカレーライスの肉が鯨肉だったところがあった。この頃鯨肉は豆腐一丁くらいの塊で新聞紙に包まれ、行商の魚売りの人達が売っていたケースもあるが、価格はとても安く当時良質な蛋白源の無い日本には貴重な水産資源だった。
だが、現実にこの鯨肉が日本の食卓から姿を消したのはいつかと言うと、1987年3月から・・・と言うことになろうか。
この年日本は南氷洋の商業捕鯨を中止しているが、1988年には沿岸の商業捕鯨も禁止したからである。
国際捕鯨委員会(IWC) は1985年に母船式捕鯨禁止を採択、翌1986年には沿岸捕鯨も禁止する決議が採択されたが、日本はこれに反対、異議の申し立てをし捕鯨を続行したが、その申し立て期間が2年しかなかったため、いずれも2年遅れでIWC採択決議を受け入れたのである。
こうして日本の食卓から鯨肉が消えたのだが、、国際捕鯨委員会はもともと鯨を捕獲する国々の機関だった。
この時期日本はまだ非加盟だが、1931年ジュネーブで最初の捕鯨取り決めが行われたことに端を発し、1946年には国際捕鯨取締条約がワシントンで開かれ、無秩序な捕鯨に一定の枠組みを設けたのだが、終戦直後だった日本はこの条約には参加できず、GHQマッカーサーが捕鯨業認可区域、通称マッカーサーラインを設定して、戦後混乱期、蛋白源の少ない日本の食糧事情を考慮した捕鯨枠を保護したのである。
こうした背景から日本の商業捕鯨はアメリカのお墨付き・・・と言う意識が日本にはあって、その後1951年、日本がこの国際捕鯨取締条約に加盟してからも、日本の捕鯨はその枠が保護された状態だった。
ところが、世界的な「公害」問題が発生し始めた1972年、国連の人間環境会議で10年間の商業捕鯨緊急一時停止宣言「モラトリアム」が決議されたのを契機に、この国際捕鯨委員会に次から次へと反捕鯨国が加盟し、37の加盟国の内、捕鯨国は日本を含めた3国しかない状態となり、一挙に「反捕鯨」組織となったのである。
日本はこと捕鯨に関しては首尾一貫強行姿勢をとってきたが、国際的な反捕鯨の流れの中で、せめて調査捕鯨だけでもとアイスランドがアメリカと2国間協議で調査捕鯨の容認を取り付けると、日本もこれに追随、しかしアメリカは日本のこうした態度に対日制裁を発表する。
その後、捕鯨は調査名目で年間捕獲数を決めてしぶしぶ認めるが、商業捕鯨は一切禁止するとした流れが出来てしまい、こうしたことに反発したアイスランドは1992年IWCを脱退、ノルウェーもIWC決議を無視して1993年から商業捕鯨を再開したが、日本は留まっている。
どうだろうか・・・現在でも加盟70国のうち、捕鯨国が3国しかない国際捕鯨委員会、IWCの科学委員会では1992年南氷洋で、今後5年間で2000頭のミンク鯨が捕獲可能とされながら、同じ総会で捕鯨の全面禁止が採択されている。
また2006年の年次総会では商業捕鯨の一時禁止措置の撤廃などをうたった「セントキッツ・アンド・ネビス宣言」が賛成多数で採決(法的拘束力がない)されているが、未だに商業捕鯨の窓は閉じられたまま、僅かに認められた調査捕鯨でも、昨年日本の調査捕鯨船が受けた環境団体活動家たちのあの妨害行動である。
欧米の価値観が絶対的なものと言う態度は、こうして国際社会の中でいろんな問題を発生させている。
一つは宗教観、イスラム教の価値観を認めなかったブッシュ前アメリカ大統領の政策はどれほど国際社会を乱したか、また捕鯨で言えば、牛や豚は食料にしていながら、鯨は知性のある生物だ・・・と言う独善的な価値観は日本人にはなかなか受け入れられないだろう。
そしてここからは個人的な意見だが、私は鯨の肉が好きではなかった。
どれだけ水に付けて血抜きをしても独特の生臭さがあり、とても美味しいとは思えなかった。
それがなぜかこの頃、地域起しで「特産品」、懐かしい味で好評、と言う風潮があるのには少々疑問を持った。
調査捕鯨しかしていないのに、何処かの特産品であることは不可能なはずで、その流通量も限られているが、何故こうした表記ができるのか、また「家の鯨肉は新鮮で・・・」と言う言い方も調査捕鯨の払い下げしかないはずなのにおかしい・・・。
むかしこの地方では鯨肉が食べられていた・・・と言うなら、そうした地域は日本の殆どの地域でそうだし、本当のところは貧しくて牛や豚が食べられなかった、その代用品として流通した肉と言う背景もある。(勿論江戸時代から鯨の沿岸捕鯨をしていた地域もあるが・・・それは限られている〉
牛や豚、その他こんなに多くの食べ物が溢れる時代、秀吉ではあるまいし、太閤になって瓜売りをして懐かしがるようなことはどうか・・・と思うが・・・。