金縛りを科学する・最終章

金縛りによるその後の変わった能力については男性遺伝の可能性が高く、父から男の子へ、お爺ちゃんから孫の男の子へと言う具合で、女性の場合遺伝でのこうした能力獲得は少なく、その能力が子供へ遺伝することも少ないようだが、突然現れるこうした女性の特殊能力は強力なものが多くなっている。

3歳から7歳くらいの男の子が、毎晩のように夜中突然起きて壁の一部を指差して泣き出す・・・と言うようなときは、その子はそこに間違いなく「何か」を見ている、そしてその場合たぶん父親も過去そうした経験をしていることが多い・・・。

では最後にこの記事で使わせていただいた資料の女性、ムカデの恐怖から金縛り体験が始まった女性のその後、これは金縛りがもたらした1つの究極の姿、とも言えるものですが、これを紹介して終わりとします。

女性の夫は同じ県内ではあったが遠く離れたところから来ている婿養子で、彼の母が40歳のとき生まれた1人息子だったが、幼くして父を亡くし、母1人子1人でくらしていた・・・そして彼が婿養子になってから、母は1人暮らしをしていたが、結婚して4年目、この母は末期のガンであることが分かった。

彼女の家ではそれは可愛そうだ・・・と言うことで彼女の実家近くの病院へ入院させ、義理の娘である彼女がその世話をしに毎日通っていたが、医師にもう今夜が峠です・・・と告げられた夜、彼女が眠ったままの義母に声をかけると、義母は最後の力を振り絞り彼女の手を握った・・・何も声にはならなかったが、彼女はそこで「○○(息子の名前)を頼みます・・・」と言う声を聞いていた。

翌日の朝方義母はなくなった・・・そして葬式、このときから彼女の身の回りには不思議なことが起こってくる、祭壇に飾られた左右の提灯が最初左側が一瞬消え、そしてしばらくして右側が一瞬消えた・・・この提灯は電気で灯されていて、他の蛍光灯とかはこうしたことが無かったのに、まるで誰かが祭壇の前を横切ったように消えて点いたのである。

そしてこの事を他の親族に話すのだが、誰もこの場面を見た者はいなかった。
やがて葬儀も終わり火葬も終わって、その遺骨は家の座敷、床の間に組まれた祭壇で49日間安置されることに決まっていたのだが、この葬儀が終わった夜から彼女は全く眠れなくなった。

彼女は夫と当時3歳の子供と3人で、この座敷から渡り廊下を挟んだ部屋で寝ていたのだが、座敷から凄い音が聞こえてくるのだった・・・そしてそれは紛れも無く義母で彼女は状況が分からず苦悩し、嘆き座敷を歩き回っている光景で、女性は眠っていない、目を覚ました状態で布団に横になって自室と座敷の光景を同時に見ていた。

義母の顔の表情、その気持ちまでがまるで手に取るように分かったと言う・・・「お義母さん・・」彼女は何度も何度も義母に声をかけるが、どうも義母には声は聞こえていても、その声がどこから来ているのか分からない様子だった。

この話は勿論義母の息子である夫にも話したが、夫は全くそんな音など聞いていなかったし、毎晩憎らしいくらいにすやすや眠っていたが、葬儀から3日目の夜、やはりいつものように横になって目を開けたままにしていると、夜中義母が座敷から自分たちの寝ている部屋の手前のドアのところまで来ているのが見えた・・・だが義母はそこでこちらの様子を伺いながらそれ以上こちらへは来ようとしない・・・もう2メートルもすれば手が届くほどの距離でありながら、それ以上は来ないのである。

彼女は朝方まで続くこうした義母の気配に殆ど睡眠が取れなかったが、このとき死者と生きている者の距離とは、例え物理的どれほど近くにいても絶対越えられない距離があることを知ったと言う。

一週間後・・・義母はどうやら状況が分かってきたらしく、とても静かになったが、そんな夜、いつものように横になった彼女の眼前には外の景色、それも家やそれに続く道が見え、大きな月が出ていて、そこを歩いてくる2人の男性の姿が見えた。

一人はかんかん帽のような帽子をかぶり、一人は黒ぶちのメガネをかけていたが、黒っぽいスーツ姿のこの2人、やがて家の前まで来ると家に対して帽子を取り、挨拶と言うか「入ってもいいですか」と言うような許可を求めるのである。

その表情は終始和やかで、なぜか声には出していないが、家も喜んで彼らを迎え入れる・・・そして彼らは座敷で寝ている義母を起こすと、嬉しそうに雑談を始め、義母も嬉しそうに笑っていた。

やがて義母は立ち上がり、それに付き添うように2人の男性も立ち上がり、玄関を出てまた家に向かって3人でお礼を言い、深く頭を下げた3人に対して家が抱いた感情は「祝福」だったと彼女は言う・・・月夜の道を3人はどんどん離れて行く、彼女は思わず「お義母さん」とつぶやいた。

義母はちょっとだけこちらを振り向いて微笑んだ・・・彼女は仰向けに寝た姿勢で目を開けたまま全てが嬉しくて泣いていた。
翌日家族にこの話をしたところ・・・彼女の父親(当時60歳)も同じ光景を夢で見ていたと言うことだ・・・。

長い文章になって恐縮ですが、最後まで付き合って頂き、ありがとうございました。









スポンサーサイト



金縛りを科学する・第3章

夢を見ているとき、例えそれが2重、3重の夢でも見ているのは「私」だ・・・、しかし金縛りに会っているとき、そもそも金縛りそのものが「私」とは別の意思、つまり「私」以外の別のシステムが働くか、「私」が複数存在しない限り起こらないことになる。

脳は不思議なところがある、別の章でも書いたが、どうも「私」と言う意識を持つ脳は、眠る直前や目覚める直前を「非常に危な時間」としていることが垣間見え、どうして眠たくなるのか、何時間寝たら目覚めるのかは一体脳の何が決めているのだろう。

眠りについた脳を起こすシステム、眠りの長さを決めるシステムは、もしかしたら「私」と言う意識を持つ脳以外のところにあるのかもしれない。

これは福助人形の男性の話だが、金縛りに会っている最中、その恐怖とともに薄い客観性を持った目というか、存在と言うか・・・そんなものを感じていた、明確ではないが、恐怖の対象である福助の恐怖以外の「何か」が弱いけど広く薄く存在していたとしている。

同じことはムカデの恐怖から金縛りに会うようになった女性も話している。
何か無機質な自分以外の意思が感じられた、自分の恐怖とは違う別の弱い意思で、広い範囲に薄い霧のように漂っているように感じたというのだ。

福助人形の男性は20代になって、金縛りが始まると体が少しずつ布団から浮いていくようになっていたが、自分が着ている布団をまるで何もないかのようにすり抜け、ゆっくりと浮かんでいき、やがて天井まで30センチくらいのところまで浮いていく、そして反転して寝ている自分を見るのが少し楽しみになっていた。

このとき自分では「ああ、やっぱりこうした事ってできるんだな」と言う満足感があったが、同時にこれは非常に暫定的なことで、決して褒められないことだと言うことも感じていた、また早く戻らないと何か分からないが大変なことになると言うことも感じていた。

そしてこれ以外に正体は分からないものの、何か本当に弱いものだが、遠くでこの自分の浮いている状態を狙っているような感覚が常に付きまとっていた。

もうそろそろ帰らなければ・・・男性はそう思うと今度はまた反転して仰向けになり、自分の体に戻っていくのだが、問題はこの男性を弱く遠くから狙っている存在、そろそろ帰らなければ・・・と思わせる根拠だ。

脳はやはり自身が把握できない別のプログラムを持っている。
しかもこのプログラムには感情が無く、一定の条件がそろえば起動するものらしく、眠りに就かせる時、目覚めさせる時、そしてその延長線上には「死」があるのではないかと思う。

眠りの中の夢はある意味どんなに怖くてもそれは安全な囲いの中にあるが、眠りから目覚める瞬間は別のプログラムが起動していて、この状態は体と自分の関係が少し不安定なような気がする、その為に怖い映像でこの時間を短くしようとする体と「私」と言う脳に対して、無機質に機能だけを果たす脳さえ存在を把握できないプログラムの間には相反する部分があり、危険な時間を短くしようとするその行為が、こうした危険なプログラムを誤作動させたり、長く留める原因になっているように思う。

この男性が金縛りの時に経験しているのは俗に言う「幽体離脱」と言うことだろう、しかしこの幽体離脱、本当に体から何かが抜け出ているかと言うと、恐らく違う。

脳が体の位置を把握できないばかりか、体が無ければこんなに楽なのか・・・と言うことさえ考え始める、つまり自分の体の位置を把握することを放棄し、これまで蓄えた情報から、脳自身が自分で見たいものを選択して見る行動を始めているのだ。

そして脳が体の位置を把握することを放棄し、そのままになってしまえば、事実上この男性は生きてはいるが、目を覚ますことは永遠になくなり、脳は体の中にありながら、最後には自分でもとの位置に帰れなくなる・・・ずっと夢の中をさまようことになる。

これは「死」の状態、体がもう生きることを維持できなくなったときに働くプログラムと似ている・・・死によって切り離された脳はそれでも物質的には体の1部だから、火葬されれば「無」に帰することになるが、そもそも脳の伝達手段は「電気信号」であることから、しばらくは磁場として残るのではないだろうか。

この世界には目には見えないが無数の、人間以外のこうしたものも含めてが存在している・・・と言うことなのではないか、そして普通なら目に見えないものを、1度自身が脳の位置をずらした経験(金縛り)のある者が気配として感じる、またそれを映像化できることによって、見ているのではないだろうか・・・。

金縛りは確かに怖い、できればこうした目に会わないに越したことは無いが、では悪いだけかと言うとそうでもない。

第1章を憶えているだろうか、どうして女性の部屋に血だらけの女が入ってこなかったのだろう・・・どうして恐怖に怯える男性の部屋に福助人形が入って来れなかったのだろうか・・・。

実はこの2人は何かに守られていたのである。
その何かとは1つは生きていることだが、もう1つは「場」であるように思う、これはどういうことかと言うと、この2人は始めからその姿を見ていない・・・が気配を見ていた。

もともとその恐怖の対象が「虚」であることを体か脳が感じていた・・・そして自分は生きている、つまり「実」であることから、それらが決して自分に危害を加えられないことをどこかで認識していたのだと思う。

また「場」とはそう分かり易く言えば「結界」と言うことになるだろうか・・・この2人には家族がいてみんなで暮らしていた。
人間や生き物はその存在そのものが1つの力であり、「場」だ、何も意識しなくてもどこかで大切な子供を守っているところがある、いやそうした気持ちがある・・・それが力となって危機の時には強い囲いになっているようなものかもしれない。

普段からの子供を思う気持ちが頭から粉になって降りかかっていて、少々の幽霊ぐらいは所詮出るのが精一杯で、危害などは加えられない・・・これが生きている者の強さと言うものだ。

そしてこれは最後にも出てくるが、人が暮らしている家、長く続いている家にはとても大きな力がある。
家と言うのは不思議なもので、養える生き物の数がおおよそ決まっていて、それより多くの生き物がいると、例えば金魚が死んだり猫が死んだりと言うことが出てくるが、それ自体がそこに住んでいる者を守っている。

2人の金縛り経験者は金縛りによって、こうした今まで分からなかったことに気づいたと話していた。

金縛りと言う項目で科学誌を調べると、それはレム睡眠における「夢」だとしか書かれていない、また眠りについてはフロイトの研究があるだけで、誰もこうした研究をしていない。

空海は大宇宙と同化するような壮大な自己など無い・・・と説いた。
だがこの世界は生物で満ち溢れている、力で満ち溢れ、尽きることなく死んで、尽きることなく生まれてくる。

あらゆる存在があって、その中には唯の電気信号が強い意志となっているものも多く存在してるかも知れない、だがいずれにしてもこうした存在は生きていると言う真実の前では「虚」でしかない、多くの今を生きている生物の力は「虚」の影など影にさせないほどのまばゆい光を放っている。

常に「虚」は「実」に勝てない。
人間は一生の3分の1を眠っている。
そして見えるものは脳が見せているし、聞こえるものも脳が聞かせている。
どこから現実でどこから虚なのかは正確には分からないかも知れない。

金縛りは終わるとき体のどこか1部分が動けばそこから開放されるが、ではそれまでコントロールできなかった体、怖いものを見ている脳・・・この状態で何故体の1部分がこうして動くようになるのだろうか。

何が体を動かして、自分を金縛りから解放しているのだろうか・・・。

金縛りに会ったら般若心経を唱えると良いという話は、このブログ訪れてくれている女性もコメントをしてくれたが、こうした意見は多い・・・多分金縛りを避ける方法は恐怖に打ち勝つ絶対的な「確信」なのかも知れない・・・・。
私はお前に負けない、私がオリジナル、真実だ・・・そう言う信念であるのかも知れない・・。



金縛りを科学する・第2章

人は何なぜ眠るのだろう、疲れたから?
それはどこが・・・体だったら横になるだけでも良いのではないか、目が疲れる・・・それだったら目を閉じていれば良いだけでは・・・では脳が休む為?・・・。

実は人や生物がなぜ眠るのかは本当は分かっていない、恐らく脳が休む為だろう・・・と言うのは推測に過ぎない。

金縛りは起きて活動している時にかかる人は少ない、いやいないだろう、大体眠ろうとするその瞬間か、目覚めてまた眠ろうとした時かの、どちらかの状態でないと起こらない。

この事から金縛りは眠る直前のタイミングに問題があるとも考えられるのだが、では「眠る」と言う状態と起きている状態の境界線はどこかと言うと、この境界は波で訪れている、意識がある状態とそれが薄れる状態が交互にやってきて。ついに意識が無くなる状態が支配する、つまり眠りに就くのだが、金縛りに会う人の場合はこの最後の眠りの波が来たときに緊張状態になる。

人間の脳は眠りから醒める時間をどこで決めているのかは分かっていないが、眠りから醒める状態はどうも人体や脳にとって相当危険な状態、重大なことらしく、眠りから醒める時間を最も短くしようと言う操作が行われている。

この場合目覚めようとしている意識を早く覚醒させる為に一番効果があるのは「恐怖」であり、そのためにこうして目覚める前の夢は怖い夢が多くなるのだが、これには個人差があって、脳が怖い夢を使っていつも覚醒させている傾向の人は、常に目覚める時怖い夢を見るし、そうでない人は怖い夢など見ない。

どちらかと言うと寝つきの悪い人ほど睡眠が浅く、それなら特に怖い夢など使わなくても早く覚醒しそうだが、逆にこうした人ほど脳は怖い夢を使って覚醒させる。

金縛りに会う人は眠る直前、さあ眠ろうとしているとき、眠りの逆流を起こしている・・・これはどう言うことかと言うと、ネジ山の潰れたネジみたいなもので、どこかで引っかかって、脳が覚醒するのか眠るのか一瞬判断できなくなる状態を起こし、1度こうした逆流を起こすとずっとそのままネジが歪んで回ってしまう、つまりくせになってしまうのだ。

そのため覚醒するとき使われる「恐怖」が眠りに落ちる瞬間に使われている状態になっている。
金縛りの基本が「恐怖」であるのはこのためだと思われるが、うたた寝の状態も眠りと覚醒の中間点にあるため怖い夢になりやすい。

ムカデの恐怖から金縛りにかかるようになった女性、彼女は毎晩こうした怖い気配に怯えながら、一晩に何度も金縛りに会ったが、やがてこんなことが毎日続くようになってから、金縛りに会いながらその最中にいろんなことを考えるようになっていった。
「なぜあの女性は部屋へ入ってこないのだろう・・・いや本当は姿など始めから無かった、そこにあるのは気配で、私は気配を見ていた」

彼女は金縛りに会いながらも周囲を細部にわたって観察し始め、本当はいないのになぜこんなに恐ろしいのか、自分が見ているものは何なのか考え始めるが、この頃になるとその顔が潰れた女性の気配は日増しに薄くなっていくのがわかった。

だがそれで恐怖が無くなったかといえばそうではなく、部屋にいながら部屋も見渡せれば、外の景色も見渡すことができ、月が出ているのも見えた・・・しかし早く何とかしなければと言う焦りと恐怖は以前と何も変わらなかった。

そんなある晩、既に高校生になっていた彼女は眠りに就こうと布団で横になったが、どうも自分の耳元で自分以外のもう1つの呼吸音が聞こえてくる気がして体を起こした・・・だが当然のことながら部屋には自分しかいない、仕方なくまた横になるのだが、そうするとまた耳元・・・と言うか今度は自分と重なって4センチほどずれたようなところから、呼吸音が聞こえてきたのだった。

「誰かが私と全く同じ位置で重なっている・・・」彼女は自分の呼吸を止めたが、その呼吸は自分の口から4、5センチずれたところ、自分の頬の辺りから聞こえてきていたのだ。

通常なら耐えられない恐怖に違いない、が彼女はこれまでに余りにも多くの恐怖に毎晩襲われていて、少し慣れが出てきていたのだろう、こうしたことがあっても、また金縛りになっても、寝る姿勢を変えて無理やり眠るようになってきていたのである。

彼女は少しずつ気づき始めていた。毎晩金縛りに襲われて眠れなければ、そのまま起きていればいい、そうすると体に限界が来て2,3日後には金縛りに会っても眠れる・・・、こうした方法は体を衰弱させることには違いなかったが、同時に恐怖も紛らわせる効果があることも分かってきていた。

しかし、この現象では彼女は金縛りの状態ではなかった、目を覚ました状態で自分以外の呼吸音を聞いたのだ。
彼女はこの呼吸音に関して面白いことを言っている・・・これは私の呼吸音だ・・・と言うのである。

自分が呼吸を止めていてその呼吸音を聞いているのに、それが自分の呼吸とはどういうことだろう、彼女はその理由は説明できないが、「私と私の体がずれているからそうなったんだ」と言うのである。

なるほど・・・人間の脳は絶えず自分の位置を把握していなければ、体がどこかにぶつかってしまうし、自分の容積や体積もおおよそ把握しておかなければ、通れる幅さえ分からない、渡れる板も分からないだろう、また全ての物からの距離を知っていなければ、自身の位置がどこにあるかも分からなくなる。

脳は体の位置を常に瞬時に把握しながら体を動かしているのだ、それが金縛りで混乱することが多くなった彼女の場合、寝た状態だと数センチずれた位置で体を把握するようになった可能性は高く、基本的には音も脳が聞かせていることから、その呼吸音は脳が把握している体に基づいて、ずれた位置だった可能性は高い。

だがもしそうだとしても、それをそうだと思っている自分もまた脳ではないのか、だとしたら脳とは、自分とは・・・何なのだろう。

この答えになるかどうかは分からないが、もう1つの事例、福助人形の男性のその後を見てみよう。
この男性も毎晩福助人形が歩いてくる金縛りにさいなまされたが、彼も中学3年生になった頃はそれにも慣れ、次第に何故自分があの福助人形を見つけることができたのか考えるようになっていた。

そこで思ったのは2階の押入れ以外のところで自分が知らないところがあったか・・・と言うことだったが、勿論他にも収納はあり、そこでも確認できていない場所はあったが、唯一何か怪しいとすればその2階の押入れだったことに気づいていく。
つまり彼は最も確率の高い場所を探して、それを見つけたに過ぎないのではないか、と思うようになっていったのである。

だがこの男性もそうだが、次第に女性の例と同じように自分の体の位置と、自分にずれが出てきていることを金縛りから感じ始めていた。

男性がやはり高校3年生になったとき、彼の場合もそうだが、夜寝ようとして仰向けになり、このままだと金縛りに会うからと体勢を横向けにしようとしたところ、なぜかとても軽くすっと横になることができた・・・が何かおかしいと感じた男性が振り返って見たものは、仰向けの自分だったのである。

彼は自分でありながら自分の体の全体像を見た、鏡を使わずに直接自分の顔を見たのだ。
そしてこのとき男性が感じた感覚は「まずい・早く戻らなければ大変なことになる」だった、皮を剥がれたような、服を脱いだような感覚で少し寒いのだが、男性は仰向けに重なりもとに戻った。

以後この男性が金縛りになると、こうして体から自分が離れる感覚に変わっていくのだが、この頃から男性は身内に死者が出ると特殊な匂いがするようになる。

大体1週間前くらいからその匂いは始まり、それもかなり強い匂いらしく、普段は鼻が悪くて納豆の匂いでさえ分からない男性が、この匂いだけは強烈に感じ、粉っぽくて、草が萌えるような匂い・・・そしてそれが1週間ほど続き、近い遠い関係なく自分の関係者や親戚が死ぬと言うのだ。

どうもこの男性の匂いと言うのは家族もその実力を知っているらしく、これ以外にもこの男性は誰もいないところで人の声を聞いたり、廊下を走る音を聞いたりと言うことが多いらしい話をしていた。
そしてこうした話をするから、幽霊とか神様とかは信じているのかと思えば、前出の女性同様、神も仏も信じていないし、幽霊すらどうですかね・・・と言う話なのだ。

これ以外にも金縛り経験者の中には、雨の音が人の話し声に聞こえる、見えないけど気配を感じる、物や人からぼんやりした光が出ているのが見える・・・と言う人や人の姿が見えると言う人までいる。

ムカデの恐怖から金縛りが始まった女性、
彼女は結婚して子供が生まれたが、それでも金縛りは続いていた・・・そしてこの頃になると彼女は仰向けに寝て目を開けたまま、違う場所の景色を見ることができるようになっていたし、金縛りになるのもそれを終わらせることも、自分の意思でできるようになっていた・・・。








金縛りを科学する・第1章

私は目を閉じているのか、開けているのか・・・いや目は閉じている。

でもなぜ目を閉じているのに自分の部屋がこうして見渡せるのか、またなぜか外の景色も同じ感覚で見えている・・・どうして、あっ、部屋の戸が開く・・・そして何か恐ろしいものが入ってくる、今に戸が開く、あー、戸が少しずつ開いてきた・・・20センチほど戸が開いた、それはその戸の裏側で私を伺っている。

「怖い・・・怖い」、「わあー、助けてー」・・・だが誰かに聞こえているのか、いないのか分からない・・・それは相変わらず私を伺っている・・・髪が腰まであり顔の半分が潰れ血だらけ、まるで私のせいでそうなったかのような激しい憎悪、恨みの心が分かる・・・その姿は見えない、気配が見える・・・が体が、体が動かない!

これは小学校5年生のときから毎夜「金縛り」に会い続け、大人になってもそれが収まらなかった女性が、中学生の頃毎晩見ていた金縛りのときの様子である。
彼女が「金縛り」に会うようになったきっかけは、始めは些細なことだったようだ。

裏に雑木林がある彼女の家は大体5月ごろから「ムカデ」が家に上がってくることがあり、それも年に1度か2度ほどのことなのだが、いつ来るか分からないため、彼女はこうした季節になると、できるだけ部屋に物を置かないようにし、畳の上を這うムカデの足音に注意しながら眠る習慣になってしまった。

彼女は小学校5年生の夏、夜中に顔の上に妙な違和感を覚え目を醒ました・・・が顔、正確には視界が何かギザギザの物でさえぎられていた。

慌てて視界を遮る異物を取り除こうとした彼女の手は何かにチクリと刺されたが、次の瞬間激しい激痛が走り、手から体の上に20センチはあろうかと思われる大ムカデが落ちて、それは腹から足を次々刺しながら、やがて畳の隙間に逃げ込んでいったのである。

彼女は当時両親と同じ部屋で寝ていたのだが、体の半分を襲う激しい激痛に泣き出し、何がなんだか分からない両親は彼女の手の腫れを見て、ムカデに刺されたことを知ったのだった。

この事件以降、彼女はムカデが異常に恐ろしくなり、寝ていてもムカデが這うようなぱらぱら・・と言う音がするとすぐ目が醒めるようになり、それから程なくして2部屋はなれたところで壁にとまる蛾の羽音が聞こえるくらいになり、最もムカデが家に上がりやすい梅雨時期の雨の日に至っては、雨の音の中に昆虫が動く音まで聞き分けられるようになっていったのである。

そしてこの時から彼女が寝ようとすると後頭部から頭に「がーん」と言うような音が走り、頭全体が痺れるようになって、冒頭のような怖い光景を見る、つまり「金縛り」との闘いが始まっていった。

金縛りには一定の傾向があり、その始まりは、こうした夜中に起こったアクシデントが引き金になっている場合や、何か怖いものを見たことがきっかけになっているケースが多いが、大体小学校高学年頃から始まる場合が殆どで、こうした傾向から男女とも性的な成長過程段階に起こる、精神的な作用かとも考えられるのだが、それであれば時期的に限定されてくるはずだが、こうした「金縛り」体験者の殆どが20代後半まで、調査例は少ないが50代まで続いた例もあり、成長に伴う精神的作用を原因とするには難しいものがある。

金縛りが起こるのは仰向けに寝ているとき、そしてもう眠りに就く直前か、夢から醒めた直後と言う場合が多く、後頭部から前頭部へガーンと言う大きな音が伝わったかと思うと、頭が痺れ「これはまずい」と思いながらもどうしようもなく、そのまま体が動かなくなってしまう。

では横向けか、うつむせで寝ていたらどうか・・・と言うと、確かにこうした寝方では10回起こるものなら、その内3回くらいは抑えれるかも知れない、がそれもある程度の年齢になっていればのことで、中学生や高校生では余り寝方を変えたくらいでは防げない、ひどい場合には壁に寄りかかって仮眠を取ろうとしても「金縛り」になる人もいる。

一般に金縛りに会っている人は、案外金縛りに慣れてくるようで、「あーこれはまずいな」と言うことが分かるようになると、自分で目を醒ましてしまって、回避することができるようになるとも言われているが、そうすればいつまで経っても眠れないことになるので、最終的には3章に出てくるが、究極の境地に達するまでは、金縛りを完全回避することは難しいようだ。

さて頭がガーンとなってからだが、意思はあっても体が完全に動かない・・・と言うより自分が言うことを聞かせられない、コントロールできない状態になるのだが、この時の恐怖は計り知れないものがあり、大声で叫んでいても他の人からしたら、声すらも発していない状態で、誰か気づいて・・・と思っても誰も気づかない。

このとき目が開いているように思うかもしれないが、それは二重夢の状態で、目を開けている夢を見ているのと同じことが多いが、時には目を開けたままのこともあり、この場合冒頭の女性が言うように部屋の内部が見えていながら「気配を見る」ことになっているようだ。

これはどういうことかと言うと、視覚には光を感じてそれを見るのが1つ、夢のように目を閉じていて脳が見させる視覚が1つ、そして最後に体全体が危機に際して感じる気配を、脳が映像化する視覚があると言うことだ。

金縛りの状態はこうした視覚が混線したように現れることから、あらゆる映像が自由自在に眼前に現れる、つまりそのとき最も見たいものを方法を問わず見てしまうのだが、ではそれがなぜ怖い光景なのかと言うと、体が動かず怖い・・・それ以外の感覚が無いから、一番見たくない怖い映像しか選択されていない・・・状態なのである。
こうしたことから自分が考える最も最悪なシナリオが眼前に現れることになるのだ。

これが金縛りに会った時に見る怖い映像をかろうじて科学的に解釈する方法だが、ではそれ以外の原因は無いのだろうかと言うと、例えば100の金縛りの中の30、100人の金縛りの中の5人・・・こうしたものの中には脳が持つ視覚だけでは解説できないものが混じってくる。

こちらは男性の例だが、その日母親に連れられて母親の実家に泊まることになった当時小学校6年生の男性は、夜親戚の人や母親とみんなで、その家の座敷で寝ることになったのだが、他の大人はみんな酒が入っていたのかぐっすりと寝込んでしまった・・・しかし彼だけがなかなか寝付けず、その原因は床の間に飾ってあった「福助人形」にあったのだが、どうも動きそうな気がして何度も何度も確認している間に、頭がガーンとなって痺れ、体が動かなくなったのである。

福助人形と言うのは呉服屋さんとかに飾ってある裃(かみしも)を付けて、お辞儀をした格好のあの人形だが、体が動かなくなったこの男性は怖くて怖くて、こんなことなら死んだほうがましだと言うほどの恐怖にさらされた・・・そして次の瞬間、男性の視界の上の方から、誰かゆっくりこちらを覗き込む顔があった。

男性はここで気を失い、次に目を醒ましたのは朝だったが、何を見たと思うだろうか、それは笑う福助人形だったのである。
男性の視界の上から少しずつ顔に覆いかぶさるように、福助人形が覗き込んでいたのである。

この時男性は大声で叫んだとことを記憶していたが、朝になってこのことを話しても誰も信じてくれないばかりか、あんな大声を出したのに誰も何も聞いていなかったのだ。

そしてこの話には続きがある、この夜を境に男性は毎晩のように金縛りに会うのだが、その金縛りの最中、必ず見るのは自宅の2階階段から降りてきて、自分の部屋の扉の前まで来ている福助人形だったのだ・・・だがこの家は母親の実家ではなく、福助人形など2階にあるはずも無かったが、毎晩始めてみた福助よりかなり小さな福助が階段を下りて廊下を歩き、そして部屋の前でじっと機会を伺っている・・・そんな光景をまるで福助の目線のように見ていたのである。

ある日意を決した男性はついに2階の押入れを探し始め、その隅に置かれた箱の中から、いつも金縛りになると歩いてきていたものと同じ大きさの福助人形を発見するのだが、片付けた祖母でさえ忘れていたこの福助人形を、どうして男性が知っていたか皆が首をかしげることになったのである。

その後この福助人形は父親の知り合いの寺に預けられるのだが、男性はそれから後も金縛りになると、同じように2階から降りてくる福助人形を感じていた。

この話は単に自分の視覚が・・・だけではすまされない、実際に男性は自身が知るはずも無い福助人形の場所を金縛りで見ていたからだ・・・それも歩いているこの人形の目線が自分の目線と重なっていて、しかも自分の感覚も持っているのである。

だがそうして目線が人形と重なりながら、具体的に福助人形が部屋へ入ってきたことは1度も無く、必ず外で何かの機会を伺っていることが分かったと言うのだ。

自分の体は動かない、絶対絶命の危機だ・・・しかし何度も同じ恐怖にさらされた男性は、福助は「何か」があって部屋には入れないことが漠然と分かってくる。

今夜はこれまで・・・。
この話は長いので、4章に渡って記載されることになると思いますが、冒頭の女性、福助人形の男性・・・2人とも現在幸せに暮らしている。
そしてひどく怖かったし辛かったが、今は金縛りを経験できて良かったと思う・・・と話している。

2章、金縛りの正体、3章、金縛りが持つ可能性・・・できれば最後までお読みいただけると有難いが・・・。



レンブラントの光

物の形とは何か、それを見ている人の目、その感覚とは・・・一体私たちは何をして物を物と見ているのだろうか。

1571年、レパント沖の海戦に勝利し、オスマントルコ帝国艦隊を撃退したスペイン、フィリップ2世は1580年ポルトガルを併合、「太陽の沈まない帝国」として君臨したが、その経済的基盤を固める為に引いた宗教的絶対主義は、ネーデルランド(オランダ・ベルギー)に起こり始めていた新教徒運動を弾圧し、こうした異端宗教者たちを宗教裁判にかけ、何万人と言う単位で焼き殺していった。

スペインの政治姿勢は決して成功したとは言い難いのだが、そのほころびの発端をオランダの独立運動に見ることができる。
スペインはカトリック絶対主義に反抗するプロテスタント(カルヴィン派)に対して専制支配による自治権の収奪、商工業貿易の圧迫などを行い、その支配を強めたが、ゴイセン(乞食)と呼ばれていた北部諸州(オランダ)のカルヴィン派は、オレンジ公ウィリアムを指導者に信仰の自由を掲げて独立運動を起こした。

その後離合散集を繰り返しながらフランスやイギリス、ドイツなどの支援を受け、1609年スペインの無敵艦隊の敗北やフィリップ2世の死などにより、オランダとスペインとの休戦協定が成立、事実上オランダは独立した。

長々と歴史を書いたが、そう今夜はこの時代に生きた「光」レンブラントの話である。

オランダが事実上独立した年の3年前、1906年レンブラント・ハルメンス・ヴァン・ラインは誕生した。
小さい頃から彼が描く肖像画、主に家族や自画像だったが、これらはその表情がとても克明に捉えられており、こうした頃から彼の才能は外へ開いていたのだが、イタリア芸術が主流だった当時のオランダで、彼もまたこうした影響を受けた画家のもとで修行を積んだ。

やがて1631年レンブラントはアムステルダムへ移り住むが、その3年後1634年、オランダの名門の娘サスキア・ヴァン・オイレンボルヒと結婚する。

エルミタージュ美術館にはこのサスキアを描いた作品が残っているが、ローマの春と花の女神、フローラの姿に重ねて描かれたサスキアのなんと可愛い、なんと美しい姿よ、愁いをおびた婦人が恥ずかしそうに胸の辺りに手を置いた表情は、卑しいこの身には余りにも気恥ずかしく、隠れてしまいたくなるほどである。

またサスキアが着ている布地、手を触れればその質感が伝わるようであり、戴冠した花輪の今外から摘んできたかのような、みずみずしさ・・である。
レンブラントがいかにこの若い妻を愛していたか、痛いほどに伝わる作品だ・・・が、しかし1642年、自警団の要請で描いた大作「夜警」を境にレンブラントの運命は反転していく。

当時記念撮影のような平板な描き方が主流の時代、レンブラントはその人物の1人ひとりがまるで画面から抜け出るような表情、自由な動きを持った姿で描き出した。
後世この作品はレンブラントの代表作ともなるのだが、一般的にはこうした流行を無視した描き方は敬遠され、この絵を境に彼の人気は下がっていったのである。

そして最愛の若妻サスキアもこの年天国へと召されていった。
その後もレンブラントは当時の流行とは無縁に、自身のもつ光の描写に磨きをかけていくが、1649年に生涯最後の伴侶となったベントリッキエに支えられながらも1656年には破産、1669年、ユダヤ人居住区の片隅で貧しく、人々から忘れられたまま死んで行った。

レンブラントの作品は油絵500点、版画300点、100近い自画像と素描に至っては2000と言う作品が残っている。

彼が描こうとしていたものは何だったのだろうか・・・。
人は何かを見るとき、それが光の反射光だと言うことを意識してはいないが、実は全て目に見えるものは反射光なのである。

例えば人の肌ならそこに光が当たって反射したとき、僅かだが人間の目には実際に肌から離れたところにまで散った光が見えている、だから人の形は明確な境界線を持っていない。
そして刻々と変化する光による反射光はその表情にも常に変化を与え、動きにも微妙な揺らぎが出てくる。

だからレンブラントの描く人物たちは、近づいてみると写真のような全く非の打ち所がない、と言うような緻密さではなく、むしろいろんな色が混ざった勢いのあるタッチになっている。
近年流行している写真のような水墨画を思い浮かべるといいだろう、あれは確かに凄いが「感動」が無い、唯緻密であること、物理的整合性があれば良いかと言うとそうではなく、人の目は不安定なものなのである。

[写楽]の人物の手は物理的に見れば描かれた人体に対して大きすぎる・・・が、人の目は手前にあるものを実際よりも大きく捉えるし、写楽の場合はその手によって感情が表現されているからである。

だから物理的に間違いが無いから正確で綺麗か・・・と言う質問はそれこそナンセンスで、絵でも物でもどう見えて、どうそれを表現するのかが大切なのであり、レンブラントは持って生まれた天性で「光」を捉えることができた人だったのである。

彼の目はそれが闇であっても濃淡があることを見ていた、その闇の僅かな光にある小さな突起、その突起によって先に広がる全ての光景が変化していくような世界を持っていたのだった。

最後にレンブラントの中で私が最もお気に入りの1枚、またエルミタージュだが、「ダナエ」を紹介しよう・・。

1630年ごろに描かれたとされるこの絵のモチーフは、ギリシャ神話から来ているものといわれているが、アルゴス王アクリシオスの娘ダナエは信託で、いつか王を殺す子を産むだろうとされていた為、王は地下に青銅の小部屋を作りそこにダナエと侍女を付けて閉じ込めておいたが、最高神ゼウスが彼女の魅力にとらわれ、黄金の雨に姿を変えてこの部屋に忍び込んだ・・・と言う話である。

レンブラントはこのダナエをベッドに横たわり、右手を上げてゼウスを呼ぶ裸婦で描いているが、普通こうした場面ではこの世の者とは思えないほど理想化された美人が描かれそうだが、彼は普通一般的な女性を描いていて、その顔の表情、手の動きが絶妙なのである。

愛しい人が訪れたことを知ったダナエは手を伸ばし、まるでわずかな時も惜しいと言っているようだ、またその一瞬にしてほころんだ顔はあたかも花が開く瞬間であるように、暗い部屋にろうそくが灯ったように・・・なのだ。

この絵に関してはダナエと言う説以外にもいろんな説があるが、レンブラントは肖像画のほかに多くの宗教画も描いている。
独立を勝ち取ったキリスト教新教徒たち、レンブラントが描く宗教画の人物たちは皆人間的弱さも描かれている。

彼の体の中には、宗教弾圧によって死んで行った多くの人たちの思いが、宿っていたのかも知れない。


グレーの制裁

その会場は怒号の渦と化し、我先に意見を言おうとする住民で異様な熱気に包まれ、隣に座った者と口々に不満を言い合う者、はたまた下を向いてため息を付く者、憤懣やるせない顔の者達で騒然となっていた。

「そんなことをして俺たちを騙そうってか」
「責任はお前が取るのかバカやろう!」
「一体何を考えているんだ、何か悪いことをしようとしてるんじゃないか」
口々に責め立てる住民の声に、だんだん声が小さくなってなっていく区長の話に、住民たちは更にまくし立てる。
区長は恐らく針のムシロに座っている心境だったろうが、これはこの地区全体で補助金の不正流用をしようと言う会議の現場だ。

話はこうだ、この地区から選出されていた市議が今期で3期目が終わり、年金がついたので次期選挙には出馬しないことになった、そこで今までさんざん選挙では世話になった歴代の区長、農事関係の役員に「お礼」がしたい、歴代の区長や農事関係役員は大工や水道工事を仕事にしているものが多い、ここは一つ何か建物の仕事でお礼をしたほうがいいだろう・・・と言うことになった。

そこで目を付けたのはこの地区の会館だった、これを改修して広げ、その仕事をこうしたお世話になった関係者に振り分けようと考えたが、肝心の予算をどうしようと言うことになり、たまたまこの地区に県から出されている農業振興のための補助金を使おうと言うことで話が決まった。

だがこの補助金、農業振興のためにしか使うことができず、万一他の事で使った場合は弁済義務がある補助金で、しかもこの地区の会館であれば、住民が均等に負担すべき予算が、このケースだと農業関係者だけで負担する形となってしまうのだった。
まあ、仕方ないがどうせ年寄りばかりだし分からないだろう・・・改修工事推進派には既に仕事を貰う予定の業者や大工も加わり、補助金は農業振興のため各農地所有者や農家に配ったことにして、額面の領収書を貰ってしまえばいい・・・などと言うことになった。

一昔前ならこうしたことに誰も異議は唱えなかっただろう、だが今では住民全てがバカと言うわけではないので、こうして説明会に回っていた区長が激しく攻撃されていたのである。

その手口は悪質なもので、住民達から額面記載の無い領収書を全員取り付け、補助金は配ったことにして、それまで無かった特別会計を作り、そこに金を入金すれば分からない・・・と言う計画、これには地元の市職員も関与して入れ知恵したのだが、住民の中には年に2度か3度しか使わない、しかもまだ新しい会館が必要なのか、とかそんなことしてバレたら弁済しなければならないのは各農家だぞ・・・と言う反対論も噴出していたのである。

だがこの補助金の不正流用・・その1ヶ月後には地区全住民の額面未記載の領収書が集まり、着工計画図面までできてくるのだ。

閉ざされた社会と言うものは実に面白い傾向があるもので、例えばどこかの村で村の金の管理をしている者が着服していることが発覚したとしよう。
普通こうした場合横領と言うことになるのだが、閉ざされた社会、田舎ではその事実は一般に知らされないうちに、村の長老や有力者の耳に入れられ、そのことについて長老達の会議が開かれる。

そして当事者と親戚などが呼ばれ、ここで着服した金を返済することが約束されると、それ以降は特に罪が問われなくなるのだ。
これは言い得て妙なシステムで、子供がいる者とかは、名誉が著しく損なわれてはこの村では暮らしていけない、だからこうして一般には知らされないが、その代わり長老の中から僅かに噂話として何かあったことは住民に知らされ、住民は着服までは分からないが、漠然と何かまずいことをしたんだな・・・と言うことは分かるシステムなのだ。

こうしたやり方を私は「グレーの制裁」と呼んでいるが、村のそれぞれの家は既に何代にも渡ってこの村で暮らし、昔この村を出なければならないと言うことは死を意味したのだろう。
だから殺人や放火などの重大な罪以外はこうして表には出さないが、少し評判が悪くなる程度の方式で制裁をしたに違いなく、何代にも及ぶ「家」の存続の中にはどの家でもどこかの代でこうした「グレーの制裁」を受けた経験があり、そのつながりの中で多少正義が歪められても「存続」と言うことに重点が置かれてきた歴史があるように思う。

そしてこれは何も田舎だけではなく、何代にも渡って政治家やスターが世襲していくような社会を見ると、日本全体がそうだったのだろうと思うし、宗教的対立があった地域、宗教支配地域でもおなじことがあると思う。

補助金の不正流用は実は「グレーの制裁」の裏返しなのだ。
地域に必要、有力者が必要と考えた場合、多少の正義の歪みは許される土壌が有るということで、こうした長い歴史を持つ地域では有力者はずっと有力者のままで公務員、または議員や役員と言う具合で、下々の者は未だにこうした者達に意見を言わない。その為にかなりの不正でもこうして通ってしまうが、こうしたことが通るもう一つの原因は「ギャンブル」と同じだ。

ポーカーで勝てるのは「金」を持っている方で、それはどうしてかと言うと、金が無ければ掛け金が吊り上って行った時、降りなければならなくなるからで、小さな社会でも「金」は依然としてこうした行政関係者がそのありかを知っているからである。そしてこのような不正が万一公に発覚すると出るのは自殺者で、こんな小さな会館1つのためにそこまでなることを考えれば、始めは反対でも最後は黙ってしまうのが普通であり、もしそれでも正義を通せば恐らくその者は「村八分」的制裁を受けるだろう。

全体でやった不正は正義になり、一般的概念の正義はこの場合、万死に価する罪となる。
なかなか素晴らしい全体主義だ・・・。
15年ほど前、市職員がこう話していた。
ちょっと前だったら上から言えば全部通ったものだが、今は少しやりにくい、困った時代になったものだ・・・と。

私の知るドイツの若き哲学者の言葉・・・
閉ざされた狭い社会では傲慢になるか、卑屈になるかのどちらかである・・・。

大変申し訳ないが、この話もフィクションと言うことで・・・。

有効活用

手塚治虫原作「火の鳥」にこんな話がある。

宇宙船が故障して不時着したある星で、一人の乗組員がその星の人達に助けられる。
その星の人は、姿かたちは人間とおなじだったが、ただ足が鳥の足だった。

傷を負った彼をその星の人達は献身的に看病し世話をするが、そんな彼らの中でも1人の女性が彼に好意を持ち、身の回りの世話をするようになり、やがて2人は一緒に暮らし始める。

そんなある日、地球への通信機が修理できて交信可能となった・・・が、その通信機に近づいた彼女を、通信機を壊そうとしたと誤解した彼は銃で射殺、足が鳥だから食べれば美味いのではと考え、食べてしまう。
その肉は鳥の肉で「これは美味い・・」と言いながら食べてしまい、その星のほかの人達をも「俺はこの足が大嫌いだったんだ、鳥の分際で・・・」と次から次殺していく。
そしてこの乗組員に科せられた「罰」はここから以降年を取らず若返り、誕生からこの年齢までを永遠に何度も繰り返すことだった。

1980年代、私たちはテレビの画面に釘付けになった・・・。
ピンク色で笑ったような顔、可愛い手足でテレビコマーシャルに登場したウーパールーパーは、瞬く間にお茶の間の人気をさらい、水族館は連日この可愛い両生類を一目見ようと大勢の人で賑わっていた。

またペットしての人気も高まり、金に糸目はつけない、とにかく欲しいと言うことで子供連れの親たちがペットショップを訪れ、このウーパールーパーは信じられないほどの値段で取引されたものだった。

あれから20年・・・。
富山市にある水生生物を養殖する日本生物教材研究センターは、ペット向けの需要が激減しているこのウーパールーパー(メキシコトラフサンショウウオ)を食用として中国向けに販売すると発表した。

同センターは協力者もあって、今年2月初旬までにウーパールーパーを乾燥し食品にすることに成功、ドライフードとしてそのまま食べることもできるが、水で戻して空揚げや天ぷらにすると香りがよく、食感も良いとしている。
試食した近隣住民は、始めはどうか・・・と思ったが、これはなかなか美味しいと好評だった。

確かに原産地メキシコではかつてこのウーパールーパーは食べられていたことは事実だが、新聞の「むかしのアイドル、現在は食用・・」の見出しは、少しつらいものがあり、「用途を変えてブームの再燃を目指す」は、そんな・・・と言う感じである。

自由主義の社会、経済が最優先の社会だから、こうした企業の取り組みに意見をすることはできないが、そこまで無理して食べなければいけないものなのか、またかつて子供たちに人気があった、こうした生き物をドライフードにしてまで「活用」しなければならないのか・・・と言う素朴な疑問が残る。

また少し前の鯨の記事ではないが、牛や豚は食用だけど鯨は友達と言う、西洋の価値観の反対のことが言えるような気もするが・・・例えば金魚、それまでペットとして飼っていたものが、余ってきたから食用にしようと言う急激な価値観の転換ができるだろうか。

まあこうしたことも配慮してか、この企業は販売先を中国にしているところなど、なかなかのものではあるが、何か今の日本、何でもいい・・・と言う感じがするし、新聞も記事になるなら多少情緒が欠落しても・・・と言う恐ろしさを感じてしまうのは私だけだろうか・・・。

それにしてもウーパールーパー・・・あんなに可愛かったのに、ドライフードとは・・・。



火刑と火葬

中世ヨーロッパ、互いに王権が勢力を持ってきたイギリスとフランス、この両国の発展はやがて激突へと繋がっていく、百年戦争(1337~1453)の勃発である。
この戦争の末期、フランス王チャールズ7世はその要衝オルレアンをイギリス軍に包囲され、フランスは絶対絶命の危機に瀕した。

このとき現れたのが17歳の少女、ジャンヌ・ダルク(1412~31)である。
ジャンヌは神から受けた啓示を信じ、チャールズ7世に会見、その後軍を率いて1429年オルレアンの包囲を破り、奇跡的勝利をおさめ、フランスを救った。

だがその後、聖女とあがめられたジャンヌの人気はフランス国内に留まらず、イギリスにまで広がっていき、これを脅威と感じたフランス王、イギリス王は相互に取引し、ジャンヌはこの裏切りによってイギリスに捕らえられた。

ジャンヌが見た神の啓示は真実だったのか、あるいは彼女自身の強い信仰がその信仰の証として、望むものを見せたのかは分からない・・・がこうして捕らえられたジャンヌはイギリスで行われた宗教裁判でも、罪を認めれば命は助けるという条件を拒否し、薪が積まれた上の太い杭にくくりつけられ、業火に焼かれていった。

ジャンヌ19歳のことである。

中世ヨーロッパではこうした不思議な力を持つ者、怪しげな振る舞いの者は「魔女」として火あぶりの刑に処せられたが、その影響だろうか、どうもアメリカ、ヨーロッパでは死後、火葬にされることを嫌う傾向があり、極端な考えでは火葬は「処罰」に相当すると考えている者までいるくらいだ。

だが、キリスト教、聖書の記載には特に火葬を禁止していない。
創世記23章9節、「彼がマクぺラの洞窟を私に譲ってくれるよう・・・埋葬地として所有させてくれるよう・・・」
マタイ27章60節「彼が岩塊にくり抜いたもので・・・イエスの墓」のように聖書中ではどうも火葬せず埋葬するのが一般的に見えるが、モーセの律法ではヤハウェの司祭の娘が売春婦となった、つまりヤハウェを裏切ったときは処刑された後、火の中で焼かれることになっていたし(レビ記21章9節)、同じようにヨショア(7章25節)でも「彼らを火で焼きました」と言う言葉が出てくる。

これらのことからどうも死後火で焼かれるということは処罰、もしくはとても不名誉なことのように思われがちだが、この延長線上に中世の「火あぶり」や死後になって罪を問われた司祭や法王の遺骨を焼くなどのことがあったようだ。

しかしサムエル記第一31章2節、8章13節ではフェリスティア人がイスラエルのサウル王と3人の息子を殺して首を切り、城壁にくくりつけた場面で、それを見たイスラエル人が、その遺体を城壁から外して外で焼き、骨を葬った・・・とある。

サウルと言う王は邪悪な人で、こうしたことから一見すると火で焼いたことが処罰のようにも思えるが、このとき一緒に火葬されたのがサウルの息子の1人ヨナタンで、彼は善良な人であり、ダビデ王の親友でもあったこと、そしてこうしたヤベシュ・ギレアデのイスラエル人たちがした「火葬」にダビデ王は感謝し褒め称えたとある(サムエル記第二2章4~6節)事から、聖書中では特に「火葬」を悪い物とは考えていないことが分かる。

実例で処罰として「火葬」が多すぎること、中世の間違った認識から起こった「火あぶり」などの刑に、西洋では「火葬」イコール処罰と言う感覚があるようだが、「火葬」イコール処罰や不名誉は間違った認識である

だがここで1つ疑問が起こってくる。
では神が善良な人とそうでない人をより分ける「審判の日」にはハデス(冥府)からも救済がなされることになっているが、火葬されて死体が無くなってしまった人はどう救済されるのだろうか。

「審判の日」に救済された者は「永遠の生命」とあり、決して「永遠の魂」ではない。
だとしたら救済された生命と言う表現と、魂の差は何か、それはどうも「肉体がある」かないかと言うことらしく、こうした観点に立つと、例え死んで腐っていても埋葬には復活のリアリティーがあるが、火葬となると復活のリアリティーが薄い気がするがどうだろうか・・・。

もしかしたらこうした背景でもキリスト教を信仰する人の「火葬」嫌いがあるのではないだろうか。

聖書伝道の書9章5節10節、ヨハネ5章28節29節には、ヤハウェが現在眠りについている沢山の人を蘇らせることを明確に示していて、啓示20章13節、黙示録は「海はその中の死者を出し、死とハデスもその中の死者を出した・・・・」

つまり「審判の日」には例え肉体があろう、無かろうとも、どこにいても生きていても死んでいても善良な者は肉体を持って復活し、永遠の生命で幸せに暮らせると言うことのようである。

日本におけるキリスト教原理主義の人達は「火葬」は認めているが、人によっては埋葬場所「墓」を先祖代々のあの普通の墓では偶像崇拝になるとして、火葬時に骨まで残さず焼却して欲しいとしている者や、墓を別に作る者がいるそうだ。

ちなみにここで出てきたハデスだが、地獄と訳している場合もあるが、厳密には地獄の概念ではなく、魂の安置所のようなものだと思ったほうが近く、この鍵を持っているのはキリストだ、地獄はこうした表現が適切かどうかは疑問だがインフェルノと呼ばれている。

最後に魔女として火で焼かれたジャンヌ・ダルク・・・現在はその名誉が回復されている。




日本の夜明け前

私が知っている小沢一郎と言う人物は、少なくとも権力の権化、傲慢と言う印象しかないが、ここ数年民主党になってからと言うもの、かなり情緒的な感じも出てきて、それらしくなってきたな、と言うのが率直な感想だろうか。

宮沢喜一内閣発足時、自分よりはるかに先輩の宮沢氏に挨拶に来させ、笑っている小沢一郎よりは今の彼のほうが好きだが、クリントン国務長官との会談を1度は断ってみるなど、相変わらずお茶目な面も残っている。
その昔農林水産大臣のとき、アメリカで交渉が進捗せず、どうにもならなくなった小沢は交渉を蹴って帰国したことがあったが、私の知る限りアメリカやヨーロッパとの交渉で途中帰国した大臣は小沢が始めてだった。

いよいよアメリカやヨーロッパに対等な物言いが出来る男が現れたか・・・と思ったものだ。
しかし1991年から次々に発覚してきた共和事件(斡旋収賄)佐川急便事件(贈賄事件)、金丸信巨額脱税事件などにより、政界と闇の関係、政界とゼネコンなどの癒着疑惑が起こり、竹下登元総理、金丸信元自民党幹事長、と相次いでその後ろ盾を失い、当時最も総理に近い男だった小沢の神話はもろくも崩れ去り、再起は不可能とまで言われていた。
だが小沢は新党結成に参加、新生党のナンバー2の位置に君臨するが、集合散開する新政党を渡り歩き、ついにまた民主党党首にまで復帰した。

つくづくしぶとい男だ・・・、これは田中角栄元総理の言葉だが、代議士や大臣までは努力すればなれる、しかし総理は運命だ・・・、あの人間ブルドーザー、田中角栄をしてこう言わしめる総理の椅子、現在その椅子に座る麻生太郎総理は、もはや国民の信頼を完全に失い、強力に郵政民営化を推し進め、自民党を大勝させた小泉純一郎元首相にまで、「あの郵政民営化には反対だった」と言って激怒させた。

すかさずまた後になって「あれは反対だったと言った」と思われたくないからとした上で、小泉元首相は2兆円のばら撒きを衆議院の強行採決「3分の2採決」を使ってまで通すほどの議案か・・・と発言し、これに自民党内部は混乱、陰のフィクサーを気取る森嘉郎元総理に至っては記者団に八つ当たりし、「どけ、邪魔だ、ぶっ壊すぞ」と思わず日頃の率直な素行を見せてしまう一幕もあった。

何もしないうちに自分から穴を掘ってくれる麻生総理は、本当は民主党党員なのでは・・・と喜ぶ民主党幹部達、しかし地方遊説に回っている小沢の目は醒めている。
「そんなことは大したことにはならない」
総理の椅子が眼前で崩れ去っていった経験を持つ小沢らしい見方である。

アメリカは厳しい・・・、オバマの政策はそれほどの効果は期待できない、と言うより6700兆円にも及ぶ世界的な隠れ負債が、総額70兆や80兆の金でどうにかなると思う方がどうかしている。
クリントン国務長官がアジア外交の第1番目に日本を選んだのは「取り合えず」でしかない、中国や韓国、インドなどでは日本の何十倍も時間をかけて交渉に及ぶだろうし、ロシアとは少し対立した状態の均衡安定を目指すだろう。

日本に望むことは「金を出せ」くらいしかないが、日本に駐留するアメリカ軍基地の維持費用概算で1兆円は毎年全額日本負担、ついでにアメリカ軍のグアムへの基地移転費用7000億円も日本が負担することになっている現状はとても対等な軍事同盟ではない。
<
1987年、日本はアメリカ軍のお陰で軍事防衛費用を最低限に済ませ、それで経済的発展をしてきた、日本に応分の負担をさせようとしたアメリカの要求「バートン・シェアリング」は全く根拠が無かったがアメリカ議会で決議され、それで今日の全額負担になっているのだが、既に東西冷戦もなくなり、中国も民主化が進んできた。
もしアメリカが無理を言うなら日本は中国、ロシアとそれぞれに平和、共同軍事同盟を結ぶ道があることをアメリカに知らせるそぶりを見せないといけない。 何もそうするのではなく、交渉の道具として使うのだ。

ついでにイランとの平和条約交渉、相互経済援助条約の締結をモーションとして起こし、こちらからもアメリカをけん制し、これらを使って日本に駐留するアメリカ軍の日本防衛と言う大儀名文を薄め、アメリカ軍に関する費用を現在の3分の1に抑える。

また北朝鮮を巡る6カ国協議は北朝鮮の出方によっては交渉から離脱するといいだろう、そして北朝鮮からの攻撃に備えて日本海側にミサイル迎撃システムを集め、ピョンヤンへもミサイルの射程を向けておけばいい。

何も撃つ必要はないが、敵対していても事態が安定していることが重要で、そのうちキムジョンイルが病没するのを待っていればいいのであり、拉致被害者の件はこう言う方法でも取らない限り進展はしない。

そしてここまでしないとアメリカは日本の覚悟が分からない、いつまでも何とかなると思ってしまっているのだ。

兵は詭道だ・・・使わなくていいが交渉に使うのだ。
日本はもう変わらないといけない、政府も国民の意識もだ、小沢一郎は結局クリントン国務長官に会うことになったが、少なくとも地方遊説で忙しくてアメリカの国務長官に会えない・・・と1度は言ってみるあり方を私は好ましいと思う。
私はアメリカ民主党、ビルクリントン大統領のときのジャパンバッシングを忘れてはいない、同じ民主党のクリントンの妻には非常に警戒している。

麻生総理はもはやどうでもいいが、小沢が今回示した態度はクリントン国務長官に少なからずプレッシャーを与えただろう、こうした姿勢がある限り将来小沢一郎は日本の虎の子になるだろうし、アメリカが歴代総理の中で最も恐れる総理となるだろう。
ただし、以前あった党首辞任劇のような気弱さが正体なら、この夢もついえることになるが・・・。

市民一丸となって・・・。

昨夜は日本海を通過する発達した低気圧のおかげで、この辺は大変な暴風雨になり一睡もできなかったが、朝になるとそんなことがあったのか、と言うような穏やかさ・・・、ガーネットクローの「君という光」、CDをセットして背伸びをする。
今日は何かいいことがあるかな・・・。

ま、それはどうでもいいとして・・。
昔、この街にも鉄道が通っていた頃使われていた駅舎、既に使われなくなって久しいこの建物を建て直し、コミュニティーセンターにしたのは数年前のことだが、たまたま高校生の長男を学校に送りに行った帰り道、ここに立ち寄ってみると、大量のカラスがガーガー喧嘩して、人通りも無く建物の隙間風がヒューヒュー・・・と言う感じで、まるでヨーロッパ・ホラー映画の冒頭のような風景だった。

「荒廃している・・・」と言う表現がぴったりなのだが、自然と言うものはやはり大したもので、こうしてその土地の人に勢力が無くなっていくと、1年ごとに何某か人間以外の存在が勢力を拡大していくのである。
通行量が少なくなった道路はアスファルトを割って雑草が顔を出し、周囲の草木はその道幅を少しずつ狭めていく、鳥や狐、狸などが増え、畑や田も毎年雑草の生えている面積が広くなっていく、柿やすもも、梅、桃などの実も収穫されず落ちていくことから少しずつ実が小さくなってきている。

このコミニュティーセンターも作られた当時は街の観光の目玉として、テナントを募集し、いろんなイベントも行われてきたが、結局残ったのは「箱」だけで、数年後にはこうしてホラー映画のセットにしかならずに終わっていくのだろう。
また行政が鳴り物入りで誘致した大型小売店も最近の高齢化からか、めっきり客が少なく、景観を重視した街並みと言うことで整備された市街地も、確かにきれいだがそれだけにどこかで見た街並みのイミテーションの雰囲気しかなく、こちらも京都太秦の映画村が新しくなったような感じで、観光客からも評判が良くない。

そのコミニュティーセンターの左端から寒そうにしながら、高校生達と引率の教師らしき女性が歩いて来たので、声をかけて見たのだが、今日はこの市のイベントで吹奏楽を演奏するとのことだった。
しかし誰もいないこの場所で演奏ですか・・・と尋ねると、その教師は「一応、頼まれましたので・・・」と言う返事だったが、これからしばらくすると誘客した人達がバスで到着する予定もあるようだった。
高校生たちにも話を聞いたのだが、眠い、寒い、と言う意見の他に「演奏を聞いてもらいたい」と言う生徒もいて、少し救われる気がした。

でもやはり「何かが違う・・・」と思わざるを得ない。
そもそも行政がこうして学生をイベントに使うことの是非から始まって、地域の為と称して強制的に参加させることの意義がどうなのか分からない。

観光業界、販売業者の利益に繋がるためのイベントに、教育を受ける身である学生、生徒が協力させられ、その送迎をしなければならないのは「親」である。
唯でさえ不景気の時代、こうして子供を通して間接的に、どこかの業界団体に何となく利用されてしまう理不尽さを感じるのは、私が余りにも個人主義だからだろうか。

むかし、何かのイベントや祭りのときは学校が休みになって、私たちは喜んでその祭りやイベントを見に行った・・・が、そこでは、どちらかと言えば地域や行政が子供たちに何がしかの振る舞いをしてくれている様相がみえていた。
しかし、現在の状況を見るにつけ、どうしても子供たちが地域や行政に協力させられているようにしか見えないのである。

この吹奏楽部の生徒たちもそうだが、自分たちの演奏を1人でも多くの人に聞いてもらいたい、と言う意思から自分たちで決めて市のイベントに参加した様相ではなく、上からの指示で・・・と言う感じが拭い去れないし、こうしたことは小学校、中学校でもあるだろう。
確かに地域に貢献する、国に貢献すると言う意識は大事だが、それは断ることが出来ない立場の者に、上から押し付けて言う話ではなく、個人が自発的に思うこと、感じることだ。
学生生徒の本分は「学ぶ」ことであり、少なくとも権力は彼らにその本分を保障し、何かも与えてやらなければならないのであって、彼らの力を当てにするようなことでは寂しいのではないか。

高校生の頃だったか・・・。
村に伝わるという○○音頭と言う踊りを継承しなければ、と言う気運がこの地域で高まり、もともと踊りなどなかった適当な民謡に、どこかの先生がをつけた踊りを付けて、婦人会、青年団と言った人達の指導のもと踊らされたことがあったが、志村けんの東村山音頭の踊りとそっくりで、「こんな格好の悪いもの、踊れるか」などと思っていた。

そして極めつけはこの踊りを文化会館で披露すると言うことだったのだが、この当日私は嫌で嫌で心底腹が痛くなった・・・しかし無情にも連行され、揃いの浴衣に祭り手拭い姿で踊らされたが、以後演歌、地方民謡が大嫌いになった。

この当時の婦人会や青年団の人達、今はもう現役を引退し、ついでにこの訳の分からない○○音頭も誰も歌わなくなったし、踊らなくなって久しい・・・。

この世界的な経済の変革期にあって、我が市でもこれから国や県に訴えて、少しでも多くの仕事を貰うべく、全市、いや全市民一丸となったご協力をお願いするものであります・・・。
今年になってまた1億円を超える箱物を着工し、更にまだ公共事業を貰うために皆さん頑張りましょう、と言う市長の言葉である。
その頭の上をカラスが飛んで行ったが、やがて我が村の○○音頭のようにならねばいいのだが・・・。

プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

月別アーカイブ