2009/08/29
誰と闘っているのか・・・。
2001年5月、平成13年大相撲夏場所のことだが、怪我で不調だった横綱貴乃花の復活が確定的かと思われたこの場所、貴乃花はこの日まで13連勝の快進撃、そして迎えた14日目、対戦は無双山だったが、何と横綱はこの一番で土俵際、無双山から突き落としを食らい転落してしまう。貴乃花は土俵下で手を突いて立ち上がったが、土俵へ戻るその足取りは明確に片足を引きずる様子で、これを見た観衆たちは誰もが「もしかしたら怪我がまた悪くなったのでは・・・」と沈黙するに足る姿であった。
だが貴乃花の怪我は観衆が考える以上に軽い話ではなかった・・・。
右膝半月板の損傷、この膝では動くことすら痛みを伴い、ましてや相撲など取れる状態ではなかったのである。
親方はじめ、周囲は皆「休場」を勧告する、しかし貴乃花はその勧告に首をふることはなく千秋楽に出場、このときの対戦相手は武蔵丸であったが、この一番は話にならない取り組みとなり、怪我をした貴乃花は一方的に土俵の外に押しやられてしまう、貴乃花は13勝2敗で武蔵丸と並んだ。
千秋楽同日、優勝決定戦にまでもつれ込んだこの場所、少し前の取り組みを見ていた観衆、テレビでの視聴者は誰もがこう思ったことだろう。
「貴乃花、もうよせ、その怪我ではだめだ」
だが貴乃花はここで横綱の意地を見せる、おそらくこの一番で死んでも構わんと思っていたのだろう、そう言う覚悟で武蔵丸に投げを打つ。
結果、貴乃花は豪快な上手投げで武蔵丸を土俵に沈め、見事に優勝を果たした。
そして狂喜乱舞する観衆のどよめきの中、あの名場面が現れるのである。
土俵に振り返った貴乃花の顔はまるで仁王像のように眼前を睨みつけ、両の手は硬く握られ、満身から「力」そのものが周囲を制するほどになって感じられ、微動だにしない姿がそこにあった。
観衆は見たことだろう、それを意識しようと意識せずとも、そこに日本人と言うもの、いや日本と言うものを・・・。
貴乃花は闘っていた、それも武蔵丸との対戦に勝利した直後から・・・
自分自身と自分の体と闘っていたに違いない。
「やった」と言ってガッツポーズをしようする、いやそこまで行かなくても、何らかの形で喜びを外に出そうとする自分の体と闘っていた。
だからその驕った精神を律するために口をきつく結び、眼前を睨みつけた。
満身に力を込めて自身の体を律しようとしたのだが、おそらくこの自分との闘いの方が、武蔵丸との対戦よりも遥かに多くの「力」を要したに違いない。
「怪我をおして、良く闘った、感動した」、当時の小泉純一郎首相自らが表彰状を渡したこの優勝授与式でも、貴乃花は首相をしっかり見据え一礼し、その姿勢からは一点の驕りも高ぶりも感じられなかった、完璧だった。
私は相撲ファンでもなく貴乃花のことは何も知らないが、こうした貴乃花の横綱としてありように、ひたすら肉体を鍛え勝負に生き、その中で精神までも鍛え上げられた男としての姿、いや人間としての姿に「究極」を見させてもらったと思っている。
そしてこの貴乃花が自身と闘った様の中には遠く孔子が示し、道元が「古徳」と読んだ一つの人として有り様が潜んでいる。
すなわちそれは「驕り」であったり「高ぶり」に対する有り様だ。
この世には多くの人が存在し、多くの考え方があり、多くの状況がある。
今この瞬間をとっても幸せな者もいれば、不幸な者もいる、例えば恋人と上手く行っている人は普段男女のことなど、難しいことは考えもしないが、今恋人とうまく行っていない人はどうだろう、ましてや恋人ができずに困っている人は尚のことだ。
今この瞬間恋人と上手く行っている人は、2人きりの時なら何をしても許されるだろう、しかしひとたび他人が存在する社会に出るときは、そうした今幸せではない者の事も考えるのが大切ではないだろうか。
またこれは自分の身内の話でも同じことであり、私の知人に医師をしている者がいて、彼は子どもをやはり医師にしようと思っていたが、この子がどうしても学業が嫌いで高校を中退し、新聞配達の仕事で暮らし始めたことを知ってから、私は自分の子供がどこの高校へ入ったとか、どこの大学へ行くとか言う話をしなくなった。
と言うより一般論として自分の子どもの、少なくとも自慢話になるような話は誰に対しても避けるようになった。
自分が評価されることは嬉しいことだ、また自分の子どもや孫も、やはり人から評価されることは嬉しい。
しかしそれはあくまでも自分のことであり、他人から見ればそれはどうしても自慢話にしか見えないだろう。
そう言うことを考えて、子どもにも何かで勝ったとしても、いかに学業で優秀な成績を修めようとも、決して人前では喜ぶなと言い続けてきた。
また知識もしかり、何かを知っていると言うことは、それだけだと唯道具を持っているだけで、しかもその道具は先人たちから自分が受け継いだものに過ぎない。
これをして人前で披露し、自身が賞賛され悦にいるなどは愚かさの極みであり、道具は自身が使い切ることができなければ、責任を持って後世の者に伝え、いつかそれを役立てて貰えるように努力するのが正しい道だろうと思う。
親切の奥には憐れみがあり、その憐れみのさらに奥には自己と他の比較がある。
その比較の中で自身が少しでも優位にあれば、人は他に施しをしようと思うが、その根底には自分がある。
すなわち電車内でお年寄りに席を譲るとき、これを「無心」で行える者はいない、しかしこれが例え憐れみであれ、自己満足でもそれを施された者にとっては同じことであり、そこにあるのは現実のみである。
そしてその施しを肯定できるか否定しなければならないかは自身の内にあり、それが憐れみや自己満足であるかは自身が決めることであり、この意味においては自身の有り様を、例えそれが好ましからぬものであったとしても、知っていることはまた尊い。
さらに周囲の賞賛を得ようがために行う善行であっても、それが為されないよりは為される方が良い。
今この瞬間にも病と闘っている者もいれば、悲嘆に暮れている者もいる。
悲しみの中で苦しみもがく者もいる、思った通りにならず焦る者もいる。
人を助けようと思う、人のためになろうと思う、こうした心があるなら、それは何も金や物を恵むことだけがそうであるのではない、むしろ人を思いやり、人のことを思って自身の行動を見つめることもまた、もっとも尊い人に対する施しなのであり、これをして「徳」と言うのである。