サランラップを使い切った後の紙の芯、向かって右側の穴から景色を見ると何が見えるだろうか。
そしてこの芯の向かって左側から景色を見ると、こちらも何が見えるだろうか。
サランラップの細長い紙の芯を通して見る景色は同じものしか見えない、またそもそも細長い芯のどちらが右でどちらが左か、これにしてもペンか何かで片方に標しでも付けて置かない限り、どちらが左でどちらが右かすら判断がつかない。
そしてこれが経済だとすると、こうした標しの片方を資本主義、もう一方を共産主義と言い、どちらも基本的には同じものであり、入り口が違うだけだ。
原始時代に5人の人がいたとしよう、この5人がそれぞれ自由に自分の力で土地を開墾し作物を作り、そうしたものの中から余分に収穫できたものを持ち寄って、5人共同の倉(くら)を作った。
これが資本主義、自由主義経済だ。
そして同じ5人が、最初に個人がどれだけの食物を必要とするかを言い合って、それを合計した上で、倉を持つ分も足して共同で作業し、収穫したものを均等に配分する。
これを共産主義、社会主義経済と言うが、いずれにせよ生活するための、経済に対する考え方の差に過ぎない。
そしてこの経済に対する考え方はどちらも完全なものではなく、言い方を変えれば円形の、どの部分を針が指していても何も変わらないが、その部分をどう呼んでいるかと言った程度の話でしかない。
資本主義は結局その前提が常に「拡大」にあって、これが収縮したときは「破綻」と呼び、基本的には消費が無限に発生してくることが隠れた命題となっているため、無限連鎖的条件がその根底には内包されていて、こうした考え方では競争こそが全てあり、勝つことが全て、負けた者、弱者は勝者のお目こぼしででも暮らしていなさい、または、負けた者はそもそも生きる資格がないと言うことにもなりかねない。
そして「拡大」がその基本であることから、常に何らかの新しい市場を求め続けていて、それが領土であり植民地なら「戦争」、石油でも「戦争」、食料では先物取引などの未来をあてにした商品による「賭博投資」、また拡大の方法が「夢」とか言うわけの分からないものになったときは、この間のアメリカのサブプライムローンのようなことになるのである。
またこれが共産主義ではどうなるかと言えば、計画経済は最初に上限の生産が決められているため、これを複数年続ければ必ず初年度以降は生産が下がってくる。
そして共産体制では、常に社会の最低限が基準となってくることから、このような経済システムは基本的には「収縮経済」でもあり、やがて人間まで均一に考えられた計画は、破綻をきたしてくる。
こうした破綻の解消策はここでも資本主義と同じように、他国を侵略、植民地化して国の経済の不足分に充当させると言った考え方に辿り着いていく。
さらに共産主義の前提は「人を善」とする建前にあり、こうした考え方の中では同じ人間ではあっても、片方でやる気があって頑張った人も、その一方で怠惰でそれほど働かなかった人も、同じ配分となってしまうため、人間の意欲を低下させ、怠惰な者を取り締まろうとすることから、国民を統制、強制させるための組織の労力が大きくのしかかってくる。
基本的に経済的「鎖国」状態でもあることから新しい技術が普及しにくく、そのために生産方式がどうしても前近代的なものとなり、国際競争力は同じ生活水準なら資本主義社会よりは低くなる。
そしてここでアメリカと中国を考えてみようか。
アメリカ、オバマ政権は国民皆保険制度導入で国を2分する議論に戸惑っているようだが、これは良く考えてみればアメリカの伝統的な争いでもある。
資本主義、自由主義のアメリカでは、弱者や敗者は「ひざを屈した状態」が求められ、それを求めることは勝者の権利とする思想があり、本質的に個人主体、自由をその信条とするところから政府の干渉を嫌い、また大きな政府を望まない風潮が国民の半分ほどの意見であり、こうしたことは過去州ごとの自治権を重視した南部と、中央集権的思想の北部の争いにまで発展し、その結果リンカーン率いる北部が勝利した南北戦争時代には、始まっていた思想的対立である。
そしてオバマ大統領がやろうとしている国民皆保険制度は、成功したものがより多くの富や恩恵と言った考え方からすれば、政府が個人の努力によって得られた成功者の恩恵に干渉して、コントロールするのかと言う考えに行き着いてしまうし、実際にオバマ大統領のこの考え方は、資本主義の問題点を共産主義的制度で補おうとするものでもあり、これは考え方としては間違っていないが、これによってどこかでアメリカは国際的競争力を喪失することもまた事実だろう。
こうしたことを簡単に言うと、アメリカでは資本主義と共産、社会主義的考え方の対立が起こっているのであり、現在のアメリカの行く先によっては、今後アメリカの国際競争力が低くなっていくかもしれない、分岐点に差し掛かっていると言えるだろう。
そして中国、この国は共産主義をそのイデオロギーとして掲げてはいるが、現段階でもっとも資本主義的な国家となっている。
すなわち競争に次ぐ競争で、低い賃金と豊富な物資、その割には通貨は鎖国状態で国際市場を席巻し、国内の市場も計画統制経済ではなく、完全に自由主義経済であり、また中国国民の上昇志向はまったく「古き良きアメリカ」と同じである。
勝者、成功こそがすべてあり、敗者は死んでもやむなし。
儲けられるだけ儲ける国民思想になっているばかりか、その急激な発展に伴い発生したナショナリズムとあいまって、資本主義がその一つの結実とする帝国主義となってきている。
実におかしなものだが、資本主義のアメリカが共産主義的要素を取り入れようとし、逆に共産主義の中国が資本主義の権化となってきている。
つまり経済とは所詮「人の暮らし」、社会をどう考えるか、どう見るかだけのことだったのではないか、常に資本主義から共産主義が円周上を回転し、互いにその先に理想を見ているようなものだったのではないか、などと私は思ってしまうのである。
その上で今の日本、今後の民主党の政策を見れば、これはやはり国民の生活に政府が干渉し過ぎてきているように思う。
困ったら政府では基本的に計画経済に近くなり、このことは個人や企業が最大限努力する道を塞いでいくことになりはしないか、しいてはこうしたそれと気づかないような甘えは、国際的な競争力を喪失させることになりかねず、その結果数年後に極めて深刻な、どうにも解決先の見えない経済不況を引き起こす恐れがあるのではないだろうか。
困ったら金を支給する方法は、どちらかと言えば共産主義、社会主義的要素が強く、これでは国民が知らない間に何か大切なものを失うような気がする。
給付金よりは消費税の減税の方が、経済的効果も、税制の公平性の観点からもよりベストなのではないだろうか・・・・。