2009/11/29
つくね芋の雲
安政2年(1855年)10月2日(旧暦)の夕方、駒込白山下の質屋では、そろそろ日が暮れてきたこともあって、昼間は開けてある2階の部屋の雨戸を閉めようと、この店の丁稚が2階へ上がって行ったが、これがまた行ったきりでなかなか降りてこない。「おいおい、一体何百枚の雨戸を閉めに行ってるんだ」店の番頭は茹でた卵と同じで、まったくかえってこない丁稚にぶつぶつ文句を言っていたが、やおら降りてきた丁稚はなにやら難しい顔をして、どことなく元気がなかった。
それを見た番頭、丁稚に何かあったのかと聞くと、丁稚は思いつめたようにこう言う。「今夜きっと地震が来る、しかもこの地震は大きい」
何を言うかと思えばまた縁起でもないことを・・・、番頭は一瞬ドキッとしたものの、「つまらないことを言っているんじゃないよ」と丁稚を叱り飛ばし、また元に戻ったが、どうにも気になって仕方ない、なにせこの前年、安政1年には安政東海地震(M8・4)と安政南海地震(M8・4)がたった1日違いできている。
そうでなくとも黒船が浦賀に現れてから右往左往のご時世、何があってあっても不思議はなかったが、地震、雷、火事、親父、泣く子と地頭には勝てまいだ。
何となく不安になった番頭は、暫くして店先に顔を出したこの店の主に、それとなくこの丁稚とのやり取りを話してしまう。
「おいおい、大地震とは穏やかじゃないね」、どうせ聞き流すだろうと思っていた店の主の意外な反応、それだけならまだしも番頭の話を聞いた主は、その丁稚をここへ呼ぶよう番頭に言いつける。
そして番頭に連れられて来た丁稚、番頭もそうだが、てっきり主からつまらないことを言ってサボるではない・・・、などと叱られることを覚悟していたが、これまた意外な事に主は丁稚をそこへ座らせると、なぜ今夜地震が来ると思うのか話してくれないか、と言うのである。
そして丁稚の話はこうである。
弘化4年(1847年)3月24日、この丁稚の出身は信州だったが、彼の父親はちょうど善光寺ご開帳のこの日、お参りから帰る途中、やはり既に夕方になっていたが、西の方の空に白雲が霞のようにたなびき、その反対の東の空にはまるで「つくね芋」のような雲が出ているのを目にする。
その日の夜9時頃だろうか、突然恐ろしいうなり声のような音がしたかと思うと、信州全体が縦に揺さぶられるような大地震に見舞われた。
善光寺地震(M7・4)である。
まだ幼かった丁稚は父親からこの話を幾度となく聞かされ育った。
そして幸か不幸か安政2年10月2日、何と同じ雲を雨戸を閉めに行って見てしまった丁稚は、「ああ、これで間違いなく大地震が来る」と思ったと言う訳である。
果たしてその結果は・・・、歴史が示す通り安政2年のこの日の夜、多分10時ごろかと思うが安政江戸地震(M6.9)が発生するのである。
これは「武者金吉」と言う学者が「日本地震資料」なる書籍を編纂したものの中に出てくる話だが、一般的に地震の前触れが空に現れるときは東の空が多く、気象的変化があるときは西の空に前触れが現れるようであり、そして今もって謎なのが、この話に出てくる「つくね芋」の雲だ。
あらゆる研究者がいながら、実際に「つくね芋」の雲を見たものは1人もいない。
そもそも、「つくね芋」とはどう言う形を言うのだろうか。
おそらく推測するに丸か楕円に近い不定形の形、それに縁が不気味に光っている感じだろうか、せっかくこうして資料として残してくれても、実物を見たことがなければ、たとえそれが現れていても全く気づかずに終わってしまう。
まことに残念な話である。
そして少し話はずれるが、同じ激震が走ると言うことでは株式相場、経済的破綻もまるで突然訪れるように思うかもしれないが、実は地震と同じように、大きな変動があるときは、必ずと言って良いほど前触れがある。
中東ドバイのバブル破綻は2年前から囁かれていたことであり、こうした破綻が決定的になっていたのは2009年2月、ドバイが200億ドルの政府債を発行し、それをライバル国であるアブダビ首長国の中にある銀行に、100億ドル引き受けてもらうとした時点であった。
本来なら決して頭を下げたくない相手に、頭を下げて政府債を引き受けて貰う、こうしたことからドバイバブルの崩壊は始まっていたのであり、近々の現象でも日本円の異常な高騰は、既に危険となった中東ドバイ投資、それに関わる石油産出国のアブダビ、これを先に読んだ資金の流れが、石油や金までも売って、暫く日本の円へと逃げ込もうとしていたのであり、こうしたことからもしドバイ破綻が本格化すると、日本の円は高値で維持され、その結果輸出産業は再度大きな打撃を受けることになる。
またどうも日本国内を見ていると、「観光」を主産業として目指す地域が増えているが、こうした地域では海外からの旅行者が激減していくことを見据えての計画が必要になるだろう。
加えて2009年9月以降停滞している政府の対応だが、こうした影響が本格的に重なってくるのは、やはり2010年1月から2月、この時期からまた一段と厳しい経済的下落が始まっていくように思う。
そして地震と経済は似たところがあって、ともに被害が及ぼす実質傾向が似ている、また経済的混乱や政情不安の時に大きな地震が起こりやすい・・・、これは迷信かも知れないが、それでも実際に重なっていることが多く、経済的落ち込みが激しいときは、こうした災害にも警戒が必要になるのではないだろうか・・・。