相対自己限界の崩壊

「奥さん、今日も暑いね」
「本当ね、こう毎日暑くちゃ買い物も大変よ」
「ところでおじさん、今日はいったい何が買い得なの
「おっと、いけねー、奥さんのあまりの美しさに商売を忘れるところだった、今日はね大根とナス、それにトマトも安いし、スイカも結構買い得だよ」
「相変わらず、口がうまいわね、じゃナスを4個とトマトも4個、それに大根も1本頂いていこうかしら」
「へい、まいど、奥さんにはいつも買ってもらってるから特別サービスだよ、ナスもトマトも大きなのを入れとくよ!」

「ねえ、おじさん、さっきスイカって言ったわよね」
「ああ、奥さんスイカもお安くしときますよ」
「そのスイカだけど、どこにあるの」
「えっ、スイカはそこにありますが、分かりませんか」
「おかしいわね、どこにもスイカは見えないんだけど」
「奥さん、これこれ、スイカ3本で100円だよ」
「えっ、スイカ3本で100円」
「そう、3本で100円」

「おじさん、それはキュウリじゃない」
「いや、これがスイカなんですよ」
「えーっ、これは普通キュウリよ」
「へっ、そうなんですけど、今朝からキュウリをスイカと呼ぶことに決めたんですよ」
「おじさん、暑さで少しおかしくなったんじゃない、どこの世界にキュウリをスイカって呼ぶ人がいるの」
「へっ、あっしが決めたんですよ」
「・・・・・・・?」

主婦暦20年、当年45歳のベテラン主婦恵子さん(仮名)は一瞬めまいがしたが、それが暑さのせいか、はたまた訳の分からない八百屋のおっさんの言葉のせいかは明確に区別がつかないまま、黙ってナスとトマト、それに大根の代金を払うと家へ帰りついたが、早速エアコンのスイッチを入れ、一休みしようと冷蔵庫からカキ氷を出して食べると、やっと暑さからボーっとした意識が少し正常に働き始めた。

「まったく、どうかしてるわ、あのおっさん。キュウリをスイカだなんて、それも何、あの態度は・・・、まるで俺がそう決めたんだみたいな、偉そうに、もう2度とあの八百屋には行かないわ」
恵子さんはどんどん涼しくなってくるに連れて冷静になり、その冷静になった分怒りが沸いてくるのだった。
そしてソファの上にあぐらをかいた恵子さん、おもむろにテレビのスイッチを入れると、ちょうどそこにはお昼のニュースが流れていたが、それを観ていた恵子さん、思わず口の中で解け始めているカキ氷を噴き出しそうになった。

「本日午前7時をもって、昨日までキュウリと呼んでいたこの細長い緑色の野菜は、これからはスイカと呼ぶことに決まりました」
「なお、この決定をしたのは八百屋さんの熊虎権三(くまとら・ごんぞう)さんで・・・・」

さて、これはフィクションだが、実際にこうしたことが起こったらどうしようか、恵子さんはこれから後、どうやってそれまでの価値観と、新しい価値観に整合性をつけることができるだろうか。
またそもそもこう言うことを誰かが決定して良いものかどうかだが、実はこれと同じ事を菅直人政権は言っているのである。
追加経済対策で学校を卒業して3年以内の者は「新卒者」と呼ぶ・・・。

これは政府が決める事か、また実際に高校や大学を卒業して3年目の人が、自分を新卒者と自覚できるか、人材を雇用する企業がこれを認めるか、名目だけ新卒者にしたところで何の意味があろうか・・・。
それにこれだと現役で、今までの観念からも新卒者だった人の有利性が希薄になってしまう。
つまりいずれにしても決まった数しかない就職枠が、この制度のおかげで本当の新卒者に不利に働く可能性が出るのであり、また企業とて馬鹿ではない、履歴書の年齢を見ればその人材が新卒者かそうでないかは歴然とするだろう。

それを言葉でごまかして一体何の利便性が出るのか、少し冷静に考えて見れば、本当にお笑いである。
新卒者と言う言葉は文字通り、新しく学業を卒業した者のことを言うのであって、そこには範囲は存在していないし、もし範囲があるならそれは学業終了後1年以内である。
広辞苑や辞書の漢字や言葉の意味を、政府が決定するなど傲慢も甚だしい。

またこんなことが経済対策だと真顔で言っているとしたら、これはもはや正気の沙汰ではないが、この案に対して評論家がそれらしい評論をしているのも異常である。
こうした案に対する評論など「正気ですか」で充分だ。
それにこうして3年以内に学業を終えたものを雇用した企業には、補助金を出すと言うのも、大きな問題だ。

雇用と言うのは需要があって生産が必要で、それで発生するものであって、それを補助金で雇用を援助した場合、企業は補助金が出る間は雇用できるが、それが終われば人員を雇用できなくなる。
そればかりか補助金が付いた労働力を使った企業と言うものは、同業種であれば、補助金が無くても人を雇用している企業より経営体力が無くなる。
つまり補助金と言う制度は麻薬のようなもので、企業の競争力を奪い、補助金が打ち切られた瞬間から、企業経営が圧迫される制度でもある。

こうしたことを鑑みるとき、政府が打ち出した追加経済対策は経済対策ではなく、経済破壊対策と呼ぶに相応しいものであり、また社会通念上、現在まで日本国内はもとより世界的な概念でもある、「新卒者」の概念を勝手に期間延長して、それで言葉の上で新卒者にした思うことの愚かさ、傲慢ぶりは、もはや絶望的な印象を社会に与える。

そしてこうしたことが発表されても、誰もおかしいと思わない、意見を言わない社会と言うものは何だろう。
今をときめく民主党代表選挙で菅直人が選ばれようと、小沢一郎が代表になろうと、それは本来国民の意思など必要としない党の事情に過ぎず、また国民が意見を言う場でもない。
そんなものにまことしやかに評論や予想をしたところで何の意味があろう。

しかし政府が示した経済対策は国民が意見を言わねばならない問題であり、そこがおかしければ代議士を通して是正するようにしなければならない。
国民の義務は民主党の代表選挙の予想で浮かれることではなく、小さなことでもこの国が道を誤らないように言葉を発することだと思うが、如何か・・・。




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猛暑と地震の因果律

ひと昔前になるが、物理学の教書、その冒頭か末尾には必ず宇宙の誕生に関する記述があり、この宇宙は極小となった暗闇に一条の光が差すところから爆発、膨張を始めたと記されていたものだ。
だがこの一条の光はどこから来たのか、何で発せられたのかと言うと、それは分からない、「神の力としか表現しようが無い」、物理学の教書はまたそこに、このような科学の限界も記していた。

そしてこうした科学の限界は今も何ら変わってはいない。
近代科学は因果律、つまり運命論を否定することをしていったが、その先に見えてくるのもはあらゆる物質の存在に対する疑問であり、科学はすべての物質に対して、それが存在する理由や意味を証明できない。

それゆえ現在の地球の科学は現象から引き起こされる事実をして科学と呼び、ここに創造性や意義などと言ったものを問うことはできない。
つまりは科学は事実と、観測によって確かめられた予測、の羅列に過ぎないのである。

だが現実の世界はどうか、そこにはこうして認知された現象、つまり「科学」に当てはまらない現象も起こってくる。
そこでこうした科学の枠を超えた現象を絶対とする考え方が生まれてくるが、これを神秘主義と言い、科学と神秘主義は互いを認め合わない為に、そこには相互否定が発生してくる。
つまりここでは事実よりも「思想」が優先された、対立して閉ざされた世界が広がってくるのだが、このことが実は科学の進歩を遅らせている最大の理由である。

現象や事実に対して謙虚であること、このことを知る者ならば、いつの日か科学と神秘主義はその垣根を越えて、ともにその先に真実を探ろうとするに違いない。
実に科学の本質とは「想像と疑問」にすべてが帰するものと言えるのではないか・・・。

1923年8月、この年の日本、特に東京の気候は異常な高温と、連日発生する雷や正体不明の発光現象で尋常ならざるものとなっていたが、人間の感覚とはおかしなものだ、それが1度のものなら3日もすればほとんどの人がすべて忘れ、異常なことでも毎日続けばそれに対する異常性が失われる。

1923年に起こった関東大震災では、地震発生前に多くの異常がありながら、苦しい生活に追われる大人たちは、その異常を異常として捉えることができなかった。
それゆえ関東大震災前にもっとも「何かとんでもないことが起こるのではないか」と感じていたのは、実は多くの子供たちだったのである。

「柏木みやの」さん(旧姓)は当時9歳だったが、両親の都合で1年間ほど品川の叔父夫婦の家へあずけられ、彼女はそこで1922年7月から、1923年8月28日までを過ごす事になるが、このとき1923年8月に起こったことは一生忘れないと話している。

8月半ば過ぎごろから、裸でいても蒸し暑くていられないほどの天気が毎日続き、その上いつも夕方6時ごろになると、大して天気が悪くも無いのに、空から太鼓を打ち鳴らすようなドーン、ドーンと言う音がやはり毎日聞こえ、湿度なのか汗なのか分からないが、いつも夕方には着ている服がずぶ濡れになった。

それで叔父夫婦にもこのことを話したのだが、彼らの返事はいつも「ああ、そう」でしかなく、そうこうしている間に両親が迎えに来て彼女は福島へ帰るのだが、彼女たちが福島へ帰ってから3日も経たない間に関東大震災が東京を襲ったのである。

また当時横浜鶴見に住んでいた「新澤喜三郎」さんは当時10歳だったが、とにかく暑い日が続き、それが夜になると今度は蒸し暑さになってきて、さらに夕方7時か8時ごろになると、いつも必ず雷のような音がして、でもおかしなことにはこの雷、外へ出てみると、空の一点からまるで水面に石を投げたように光が広がっていくことで、真っ青な光だった。

それが8月20日過ぎごろから毎晩続き、喜三郎さんの両親もそれを見て不思議がっていたが、やがて両親はこうしたことが毎晩続くことから、しまいには見に出る事も無くなった、しかし喜三郎さんは子供ながらに実に異常な光景だった・・・、と話している。

そしてこれは1995年に発生した「阪神淡路地震」(阪神大震災)だが、この地震は1月17日に発生しているが、この前年の1994年、日本は大変な猛暑に見舞われ、その猛暑による経済効果が1兆円とも言われた、記録的な暑さだった。

また1995年1月の神戸の気温は、最高で17度と言う気温の日があり、明らかに1月とは思えない気温の高さが地震発生の前には観測され、人々もどこかで「何かおかしい」と思いながら暮らしていたのである。

さらに2007年の能登半島地震、ここでも前年の2006年は北陸が大変な猛暑に見舞われ、能登半島地震は3月25日に発生しているが、神戸と同じようにやはり例年だと積雪があるはずの能登半島は、1月、2月と温暖な天気が続き、住民は「もしかしたら大きな地震でも来るのではないか」などと話していたのである。

1923年、関東大震災をその年の1月から予言していた易学者「小玉呑象」(こだま・どんしょう)は、その著「地震の予知」でこう語っている。

「地震が起こるときは、温暖な気候のものなり」

1703年「元禄地震」、1707年「宝永地震」、1828年「越後三条地震」、1847年「善光寺地震」、1854年「安政東海地震」、同じく1854年「安政南海地震」、1855年「安政江戸地震」、1923年「関東大震災」、いずれの場合でも地震が発生する前には「暑さ」が関係している。

そしてこのことをして間違いなく地震が来るとは言えないが、統計上暑い気候の年や、その半年後には大きな地震が起こっていることもまた事実であり、多くの地震でその現象が確認されている雷のようなドーン、ドーンと言う音だが、これも気象庁は因果関係が確認できないとして、地震の前兆現象とは認めないが、多数の日本人が確認している事実であり、少なくともこの雷に似た「音」ぐらいは、地震の前兆現象と認めるべきものだと私は考える。

9月1日は「防災の日」だが、これは関東大震災が1923年9月1日、正午近くに発生し、東京が火の海となって10万人以上の人が、焼け死んでしまったことを教訓とするものだ。
防災で大切なのは科学的であるか否かではない、すなわち「生き残るためなら科学でも、例え迷信や言い伝えを使ってでも良いから、何としても生き残る」、このことに尽きる。

最後に、1923年、関東大震災が発生し東京が劫火に焼かれた直後、当時の文壇の著名人、芥川龍之介、田山花袋、生田長江、竹久夢二などは一様に同じ感想を述べているが、それは基本的に「そら見たことか・・・」と言う言葉である。

国家は堕落し、政治も腐敗の極みを向かえ、人々の心は拝金主義によってモラルを失った大正末期の日本、彼らの目には極限を超えた堕落は、もはや人間自らによっての自浄能力ではいかんともし難く、救いは巨大災害しかなかった、そのような壮絶な見識が感じられる。

2010年、この暑さと、そしてこの日本の在り様である。

何も無いことを祈ろうか・・・。



「等価定理の亡霊」Ⅱ

だが、公債がひとつの国の中だけでの取引に留まらない、言わば公債の国際取引社会や、公債の国際的金融資本化が一般的となった現代社会に措いて、この理論が通用する場面は非常に限定的なものだ。

すなわちこの理論自体が、もはや過去の遺物でしかないのだが、意外にも日本の財務省などではこうした古典的な考え方に基づく政策、またどこかで「リカード・バローの等価原理」が、基本理念になっているのではないかと疑わせるような政策が多くなっている。

そのひとつが日本国債の海外市場流通量の少なさであり、また税制に対する考え方である。
リカード・バローの定理は、もともとどちらかと言えば為政者側の考え方ではあるが、そこには一般庶民が実態として政府が発行する公債が何を意味しているかも明確にしていた。

しかし国際化していると言いながら、日本国債の海外流出量は極めて少なく、この意味では言葉はどうあれ、「リカード・バローの等価定理」は日本国内に措いては為政者側の半分が成立している。

増税と公債の発行は同じ事、この理論が日本の政治の中には実態として存在し得る状態であり、しかも日本政府は国債の海外流出を抑制する方式での資金調達をしているが、国民はどうだろうか、形式上国際化されていることに目を奪われ、そして自身が海外の公債も買えることをして、国際化されたように見えている日本国債が持つ、きわめて古典的な意味が理解されてはいないのではないだろうか。

おそらく現在の日本国民の意識の中には、国債の大量発行が、大増税と同じであると言うことが理解されていないのではないかと思う。

このことが理解されていれば、少なくとも2010年4月の国会を通過した民主党の大きく膨らんだ予算、それに伴う財政出動と、不足予算のための大量赤字国債発行に対して、厳しい反対運動が起こらなければならなかったはずだが、結果として金融市場、経済の国際化の影にうまく隠れて、200年も前から存在する古典的な財政理論を使って、今も民間資本を政府予算に組み入れようとする財務省の方針に、まんまと一般大衆が騙されている形である。

そして政府の消費税増税論であり、ここに公債の発行が増税と同じ意味だと言う、古典的な経済論を熟知している財務官僚ならではの思惑が、色濃く反映されている。
リカード・バローの等価定理は、為政者にとっては詭弁に使われやすい。

そしてこの理論は民衆にも注意を促しているのだが、民衆は国債の発行と増税が同じであることを理解しにくく、現代社会の経済や国家の仕組みもまた、そうした事実をわかりにくくしている一因となっている。

更にいかなる理論もそうだが、時代が変わって古くなり、それが当てはまらない時代となったとしても、状況が揃えば理論と言うものは成立していくものであり、その理論を知らねば、例えどんなに古典的な理論であっても、知っている者によって、知らない者が支配を受けるものであることを覚えておくと良いだろう。

またリカード・バローの等価定理は、少なくとも民衆が国債を金融商品と考えてしまっている中では自覚されない。
このことをして政府財務省は赤字国債を利用しているが、こうした事実は一方で民間によるリカード・バローの等価定理に対する反転性を象徴しているとも言える。

すなわち民間が国債を未来に措ける増税に備えての備蓄と考えず、自己金融資産だと考えるようになった時点で、すでに等価定理の言うところの、公債の発行が生涯所得に影響しないという理論もまた崩壊するのである。

そして残るものは国債の発行と増税が結びつかない民衆の増加と、わずかばかりの金利に高さに惑わされて国債を買い、少ない金利を受け取って得をしたと喜びながら、その実手にした金利の何十倍、何百倍と言う増税にあえぐ日本国民の姿である。

ここでは等価定理がものの見事に国民から金を搾り取る道具としてしか使われていない。

土地収用でも同じだったが、人間は窓口が違えばそれは分離している印象を持つが、その実政府や行政と言ったものは基本的には1つの企業と同じことであり、こうした組織は何でもできることを、我々民衆は忘れてはいけない。

最後に、くどいようだが、国債の発行と増税は同じことであり、公債の発行は大衆の生涯所得に影響を与えない、このことをして民間資産と国債を分けて考える者もいるがそれは誤りであり、このような亡霊を背負った者のような考え方は、近い未来に措いてですら日本経済を壊滅に追い込むことになるだろう。

また国債の発行は増税、このことさへ覚えておけば、少なくともリカード・バローの等価定理の半分、つまり民衆の利益について理解したことになると思う。



「等価定理の亡霊」Ⅰ

日本国内で土地収用、つまり公共の道路や施設建設のために、個人の土地などが行政や政府によって買い上げられると言う場合、まず国家なり行政はその土地の基準評価額を基本にして、該当する土地の買い上げ価格を決定するが、この基準評価額とはその地域で昨年度1年間で取引された土地価格の平均取引価格とされているものの、事実上、その地域で最も高く取引された土地価格を基準にしていくのが普通になっている。

そして一般庶民の感覚として、政府や行政が買い上げてくれるのだから、できるだけ高い価格で買って欲しいと思うのが人情と言うものだが、では買い上げ価格を個人が基準価格より高く買って欲しい、そしてその後の補償も充分過ぎるほどのものが欲しいとしたら、行政や政府はどうするだろうか・・・。

さぞかし土地収用の担当者は困るに違いない、そんな風に思うだろう。
しかしこれが実は「しめしめ」なのである。

当初2度ほどの交渉では「それでは周囲の方々との不公平感が発生します」などと言い、担当者は難色を示すが、最後には意外にあっさりと「仕方ないですね、では周囲の方々には内密にお願いしますよ」と言って、平気で基準評価額より高い値段での土地収用に応じてしまう。

だから行政や政府の行う土地収用で、強制代執行となるものは常に「金の問題ではなく反対」と言う人の場合であり、土地収用に措いては、価格が問題となって強制代執行に発展するケースはきわめて少ない実情がある。

それゆえ、ここから見えることは政府なり行政は、収用する土地がいくら高くても構わないのであり、しかもここには巧妙に個人の土地を高く買えば高く買うほど、その地域から政府や行政はさらに多額の金を集める仕組みを持っている。

これが「税制」の仕組みと言うものである。

冒頭でも述べたように、その地域の土地の評価基準額は、前年度1年度にその地域で取引された土地取引価格の平均が原則にはなっているが、事実上一番高額な取引が実際の取引価格となることから、この原則で言えば、土地が高く売れれば売れるほど、土地を収用される個人にとっては結構な事のように見える。

しかしこの在り様には裏があって、現実にはこの土地評価額は固定資産税の算定にも使われるのであり、ここで発生してくることは個人が土地収用時に高く該当地を売った場合、基本的にその地域すべての土地評価額が上昇し、固定資産税もまた膨大に上昇していくのである。

従って行政や政府は、どれだけ土地収用時に法外な金額を支払ったとしても何ら損失を出さないばかりか、20年かけて余分に払った金額に高額利子をつけて回収するのであり、なおかつその周囲一帯の基準評価額も、これで堂々と上げて算定できるばかりではなく、一度上げた固定資産税はなかなか下げないことにまでなっていて、ここから実際には土地収用に協力的だった人達の固定資産税も上げて徴収できることを考えれば、これによって得られる税収は笑いが止まらないほど大きな魅力があるのだ。

可愛そうなのは一般大衆だ、一部の強欲だった者たちは自業自得としても、そうではなかった人たち、例えば少ない面積の収用で土地を無償提供した、いわゆる土地を「寄付」した人の固定資産税も翌年から倍増してくることになるが、流石に行政などではこうした善良な人たちには気が引けるのか、もし何かの申請などが出された場合、その手続きのスピードなどに落差を設け、行政に協力的だった者と、そうではなかった者を区別していると聞く。

なかなか面白い仕組みであり、どちらに転んでも絶対損をせず、弱い者からさらに金をむしり取る在り様は、さながらヤクザが主催する「賭場」でキセルをくゆらせる悪人面の胴元親分の様相だが、これと同じような仕組みでは「日本国債」にも実に似たような思想が垣間見える。

今夜は古典経済学「リカード・バローの等価定理」と言うものを少し勉強してみようか・・・。

われわれ一般大衆は基本的に生涯に措いて得られる所得(恒常所得)と将来世代への遺産、つまり子や孫へ残す遺産などを考えて、現在の消費や貯蓄を決定している。
だがここで政府が一定の政府支出増加に伴い、その資金調達として公債の発行、若しくは増税によって資金調達をはかろうとしたとしよう。

そしてこのパターンでは政府支出が増大したと言うことは、国内景気が今ひとつと言う状況でもあることから、増税よりは気軽な、公債発行によって資金調達をはかろうと言うことになり、公債が発行されたものとしようか・・・。

この時合理的に物事を考えるなら、政府が発行した公債はその元金と利子の支払いが未来の増税になることを理解しなければならないが、その原理は簡単だ。

足りなくなったから、公債を発行するのであって、その支払いはいつになったら終了するのかと言えば、政府が発行したものには終了点がなく、例えば相当景気が良い時期があったとしても、それが税収から得られた場合は「予算」となり、基本的には予算には貯蓄しておいて返済にまわす、と言うような思想が存在してない。

つまり毎年使い切りが原則であり、景気が良ければそれに応じた要求が民間から発生してくる。
それゆえ、本質的には政府が発行した公債はいずれの時期かに措いて、増税と言う手段でしか償還できないものなのである。

そこで一般大衆は自分と子孫の税負担の増加に備え、消費を増加させない、保有した公債は資産にはならず、未来に措いて起こってくるであろう「税負担の為の貯蓄」と言う考え方を持つのが正しい。

つまり公債発行は、それが行われた時点で未来に措ける増税を意味していて、この点で言えば現在の増税も、未来に措ける増税も同じことになり、こうしたことを運命論的に考えるなら、公債の発行は一般庶民の生涯所得に影響を与えない・・・。

これが古くは「リカード」(D.Ricardo 1772~1823)によって提唱され、「バロー」(R.J.Barro)が定式化した「リカード・バローの中立命題」、若しくは「等価定理」「公債の中立命題」「ネオ・リカーディアンの等価定理」と呼ばれる理論である。

                          「等価定理の亡霊」Ⅱに続く



第二章「三次元性意識地図」

例えばサルの世界でも、成熟した個体はその所属した家族の群れからは離脱していく、若しくは群れからの追い出しにあって、結果として近親相姦を忌避する仕組みが存在している。
ゆえに動物の世界では近親相姦の掟を厳格に遵守しているのだが、実はこの戒めを最も破り続けてきたのが人間社会である。

神話の初めに、聖書の冒頭から存在する近親婚は、実は人間の精神の中でしか存在し得ない、最も初期の社会関係、人間関係破壊の「性」の「拡張」となる。

だがこの「性」の拡張は時代によっては許容されたり、容認されたりする歴史を持っており、即ちここでも人間の「性」は本来自然界の持つ掟や整合性を超えた、社会性に左右されていることが、つまり男女と言う関係はイメージであることが証明されるが、種族維持、血統の維持が目的となれば、過去の人類の歴史はそれを容認した。

例えば聖書、「創世記」第19章第31節にはロトの娘達の話が出て来るが、完全に孤立し、そしてもはや男性と出会うチャンスを失った姉は父親のロトに酒を飲ませ、そして交わり、それを妹にも勧めて子供を産む話が出てくる。

更に古代エジプト王朝では兄弟姉妹、親子関係でしか結婚が許されていなかった。
そのために有名なツタンカーメンの墓から見つかった、彼の妹と目される女の子の亡骸に関して、その手の指は異常に長く、明らかに近親婚による奇形が見て取れる。

また日本でも積極的容認はしないまでも、戦国時代には城の中と言う、限定された環境で血統を守る意味から母子姦、兄弟姉妹姦による子孫継承が行われた経緯があり、これは上から下まで、「家」制度を守る為に極秘裏に行われ、周囲もこれを黙認してきた歴史があるが、これらはいずれも社会環境がプレッシャーを与えて、つまりジェンダーとは別の意味の社会的「性」が、個人のモラルをハザードさせた結果発生したものだった。

そして人間の脳は男女をどう考えているか・・・、実は生殖的区分と言うものと、脳が概念する男女は一致していない。
つまり脳の中では男女いずれもが存在し、そのより多くを占める概念が「性」を決定している。

つまり人間の脳が感じる男女は、同じ人体であっても男女が厳密に決定されておらず、濃度的な差異で男女が概念されている。

脳が男女を分化する過程は2つあり、その1つは生物的分化、つまり生物の基本的な仕組みによる分化がまず存在する。

更にこれが重大なのだが、生物的分化が終わると、今度は「文化的性差」の形成が始まり、これは連続して発生してくることから、生物的分化もまた「文化的性差」の構築に影響している、そんな性質のものである。

生物的分化は、視床下部に集中している性欲中枢に形態的な変化を及ぼすが、「文化的性差」は言わば概念的な三次元性意識地図とも言うべきもので、これは簡単に言えば「刷り込み」のようなものである。

胎生4ヶ月ごろからDNA「デオキシリボ核酸」によって作られ、胎児の性腺から分泌される性ホルモン、これによって性分化の度合いに飾りがつけられるが、ここで取り分け性差の激しい部分が、性欲中枢の1つである「性的二型核」と呼ばれる神経核で、これは男の場合が女の2倍にもなり、基本的にはネズミでもこれは同じである。

このような生物的な脳の性分化は、たとえばネズミなどではすでに生まれる前から決定されている。

即ちこれから考えられることは、下等な哺乳類では、性差は生物的分化によってそのほとんどが決定されるが、人間の場合はこうは行かない。
人間では生まれてから4歳ぐらいまでに、やっと生物的性差の形が完成し、しかもここでは乳幼児期の成育環境が影響を及ぼし、文化的な原因が生物的な脳の性分化に影響を与えるのである。

またこうして4歳ぐらいまでの幼児期に生物的性差の変化を終えた人間の脳は、今度は更に4年間の歳月をかけて本格的な「三次元性意識地図」、いわゆる「性的刷り込み」期間を迎えるのだが、こうした過程で起こってくるのが4、5歳くらいの子供の、「お医者さんごっこ」などである。

これは大人から見ると、何とも形容し難いが、実は「性差シュミレーション」を脳が行っているからである。

それゆえこうしたことは子供の性心理発達、根源的には脳の発達の為には不可欠な要素なのだが、極度に安定し生活水準が向上している社会では、子供のこうした行為を抑圧したり、制止しようとする傾向が現れ、このことから性的抑圧を受けた子供の「三次元性意識地図」は破壊され、これが原因で将来的には異常性愛、異常性嗜好癖の温床ともなっていく。

また同じようにこの時期に性的虐待を受けると、これもまた「三次元性意識地図」が大きく破壊され、そこから将来においてまた虐待を受けた本人が、性的虐待の加害者ともなっていく可能性が出て来るのである。

脳の性分化、つまり脳が意識する男女と言うものは、男なら男の要素しか入っていないのではなく、女だからと言って女の要素しか存在していないと言うものではない。

男の部分と女の部分が複雑に絡み合った朧げな景色、言わばモザイクのような模様で、かろうじて男、かろうじて女の瞬間が多くなっている、そうした状態をして「自分は男だ」、「私は女よ」と意識している、そしてその意識が男女を区別する最大の要素となっているのである。








第一章「男と女の境界」

「Gender」ジェンダーと言う考え方がある。

これは社会的に性別を概念したものだが、いわゆる男らしさ、女らしさと言うべきもので、解剖学的性別とは無関係であり、その語源はラテン語で「genus)ゲヌス、またフランス語では「genre」ジャンルと言う言葉に由来している。

そしてフランス語を見てみれば分るように、「ジェンダー」の概念する性別とは「同じ系統や、傾向、同じ人々」の総体を指している。

それゆえこれは外国語の文法上の「男性」「女性」「中性」をも表現するが、この考え方が発生してきたそもそもの発端は「野生児」の発見だった。

親の不注意から動物にさらわれ、また何らかの事故によって温暖な気候環境の大自然に放り出された幼児、または3歳以下の子供が、その大自然の中で他の動物の庇護、若しくは自身の生物的本能によって生き抜いた場合、この子供が15歳くらいに成長するまで、全く他の人間と接触せずに生きてきた場合、彼ら、彼女達の特性として男女の解剖学的特性は存在しても、その特性が男か女のいずれかの特性であることを概念しない。

つまりここでは子供を産めることが「女性」と言う概念がなく、ただの自然な行為であって、そもそも身体的特徴による男女の概念が存在していないのである。

従って人間社会で言うところの男性、女性の区別はアイデンティティ、つまりは統一され連続した、自身が整合性に疑いを持たない考え方、文化、長い歴史に肯定された概念が必要になり、これが社会的性差「ジェンダー」と言うものになる。

即ち基本的に男女を決めているものは社会であり、それは見かけ上、また解剖学的、生物学的特性の区別に鑑みて、片方を男性、片方を女性としなければ、そのどちらかの特性だけでは男性として、また女性としての確定がなく、ジェンダー・アイデンティティ(社会的性同一)とは、自身が社会的な意味で男か女を自認していることを指している。

従って我々が意識している男女の概念は、社会的に自分は男である、また社会的に見て私は女であると思っていると言うのが正しい。

だがこの概念が考えられるきっかけとなった「野生児」の研究を考えるなら、生物的区分で男女の概念はそれがどちらに呼ばれようと意味がないことから、基本的には人間の社会で男女を分類するなら、その生殖的特徴よりも、むしろジェンダー・アイデンティティがより重要な意味を持つと考えられ、人間が実際に性交渉に至るまでには、性行動と言うものが必要になり、ここでは男女の明確な区分が存在して始めて性的欲望に繋がる事実を見ても、生物的、解剖学的な「性」にジェンダーは優先し、そしてこのジェンダー・アイデンティティの確立は、言語の発展によって左右されていると言われている。

またsexは人間の性交渉を指す言葉だが、これにはもう一つの意味がある。
それは「分割する」と言う意味であり、男女、つまりは生殖の源流を指してもいるのであり、ここで概念される「性」とは生殖と言った狭義の「性」には留まらない。

人間の「性」にはいわゆる生殖と言う、限定された範囲を超えた部分が存在し、一般的にはこうした「性」を「余剰の性」と言うが、例えばその女が、その男が好きだとする場合、それが子供を作りたいだけに差し向けられる感情は、好きだと思う感情全体の何パーセントであるかを考えれば理解できるだろう。

子供が出来なくても、この女でなければだめだ、この人の為なら今この瞬間でも死ねると思う感情が有るなら、そこには生殖と言う生物特性を超えた、つまり本能や欲望すらも克服した「性」もまた存在し得る。

人間の「性」はまた「生命」であり、多彩な人々の感情の中にある「人間的な有り方」もまた指しているのであり、こうした考え方から近年ではsexに対する考え方として、「ヒューマン・セクシャリティー」と言う概念もまた発生してきている。

男女を下半身機能の違いによって分割し、またそうした中で性行為だけをとってこれを考えるのではなく、一人の人間が人として生きていく上で、「性」がどんな意味を持つかと言うことを考えるなら、個人的見解で恐縮だが、私は男女と言うもの全ての中で、性行為が占める割合などたかが知れていると思う。

そしてこれは重要な点だが、人としての有り様と言う観点から「性」を考えるなら、実はこの「性」は限りなく不確定で流動的要素を持っていることから、時代によって価値観によってその定義は異なり、変化しやすいものであることを考えておかねばならない。

即ち人間の持つ正義感や道徳観は「感情」でしかなく、この感情は「環境」によってもたらされることから、人間社会のモラルは「拡大」と「収縮」を繰り返している。

                                   第二章 「三次元性意識地図」に続く






「終戦詔書」・Ⅱ

昭和20年(1945年)7月16日、実はこの日、世界で始めてアメリカが原子爆弾の実験に成功した日だが、この翌日から開催されたポツダム会談は、事実上日本をどう処理するか、つまり戦争を終える機会を失っている日本に対して、どのような方法で降伏を宣言するか、またその後の世界をどうするかが決められたが、ここで決定したことは日本に対する無条件降伏の通告であり、このことは宣言として発表された。

だが事実上戦争を終結させる為に首相に就任したはずの鈴木貫太郎(すずき・かんたろう)以下、軍部はこれを無視すると言う子供のような反応しか示すことが出来なかった。

そして8月6日、広島に原爆が投下され、ここに人類は始めて原子力による破壊の凄まじさを目の当たりにすることになり、同年8月9日には長崎にもこの地獄絵図がくりひろげられてしまう。
これに慌てた日本政府は8月10日、天皇の地位を保全することを条件に、ポツダム宣言の受諾を連合国側に打診するが、無条件降伏の回答はイエスかノーでしかないことをまだ日本政府は分っておらず、結局この申し出は拒否される。

これで後が無くなった日本政府及び軍部は、昭和20年8月14日、昭和天皇ご出席のもと、「御前会議」を開くが、ここでも政府や軍部は分っていながらポツダム宣言の受諾を決定できない。

そして結局この会議で無条件降伏を受け入れる採決を、昭和天皇のご判断に仰ぐことにしたが、もともと天皇のご意思など何とも思わず好き勝手なことをして、その終決と言う最大の責任をまた天皇に押し付け、そして自らはその天皇の事をおもんばかって嗚咽する軍幹部達、その中で昭和天皇は涙を流しながらポツダム宣言受諾を決定する。

そしてその日本側の宣言文が「終戦詔書・Ⅰ」の天皇のお言葉、いわゆる詔書の文面であり、これは「下村 定」「米内 光政」「迫水 久常」らが8月14日、夜11時までかかって文面を作成したものであり、それを「玉音盤」に録音し、この録音の放送は8月15日正午と決められていた。

だがこの玉音盤、当時の録音状況はきわめて悪く雑音だらけであり、加えてこれが放送されるラジオも、一般的に日本のラジオは性能が悪く、聞いていた殆どの人は何を言っているのか分らなかった。

しかし日本の民衆は何故か涙が止まらず、土下座して泣き崩れる者、いたたまれなくなって走り出す者、天皇陛下万歳と叫ぶ者など、日本が戦争に負けた事はどうにか伝わったのであり、ここに日本は敗戦と同時に終戦を迎えたのである。

ちなみにこの詔書を読んでいると、文面の前半と後半では大きな違いがある。
それは何故か、後半の半分は昭和天皇が8月14日の御前会議で、お言葉にされたものを文面にしているからである。

太平洋戦争が終わって65年、言いたいことは山ほどあるが、今日ばかりはかつて戦場で、そしてB29に追い回され、また一瞬の閃光の内に死んで行った人たちの魂に敬意を現そう。

そして彼らが有ったおかげで今日この国があり、自分が生きていることを心から感謝しよう・・・。

8月15日は日本の終戦記念日である。
それゆえ今日は、詔書原文と、その解説を掲載させて頂いた。

「終戦詔書」・Ⅰ

                       「詔   書」
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ニ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主権ヲ排し領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦巳ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戦局必スシモ好轉セス世界の大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルニミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ為ニ裂ク目戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受ケヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ亦誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ慈クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ将來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

                       御 名 御 璽    
                                   昭和弐拾年八月拾四日
     

                    「詔書解説」
私は世界の情勢と現在のわが国の現状を考え、非常の措置でこの混乱を収拾したいと思うので、国民皆に発表します。

私は政府を通してアメリカ、イギリス、中国、ソビエトに対して共同宣言(無条件降伏)を受け入れる事を通知した。

そもそもアメリカ、イギリスに宣戦を布告したのは日本国民とアジアの安定の為、世界の共栄の為であり、これは天皇家伝統の精神であり私の基本的な精神である。
決して他国の領土や主権を侵すものではなかった、しかし戦争が始まってからもう4年経ったが、陸海軍の兵士、将校、一億国民がそれぞれ最善を尽くしたにも拘らず、戦局は思わしくなく、また世界の大勢もわが国に不利にはたらいている。

しかも敵は新しく大量殺戮が可能な残虐な爆弾を使い、罪の無い国民を殺害しているに及んでは、とても信じられない事である。
尚も戦争を続けるか、わが民族滅亡、ひいては人類文明をも叩き壊すようなことになれば、私は世界の人々や天皇家の祖先に対して、何と言ってお詫び出来るだろうか。
これが私が政府を通して無条件降伏に応じざるを得なかった理由である。

私は日本と共に東アジアの解放に協力してくれた国々に対して、残念とも言う事ができない。
また国民に対しては戦陣で死に、職場で死んだ者、及び其の遺族のことを想うと五臓が引き裂かれるれるようである。
更に戦争で傷を負った者、家や職業を失った者の厚生に至っては、私のとても心配なことである。

今後日本の苦難は計り知れない、国民の気持ちも良く分かる。
しかしこれも時の運である。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、世界の平和の為に道を開こうと思う。

私はここにいて、この国が存在し続け、国民皆の心と共に在る、決して激情したり取り乱したりして混乱を招き、世界の信用を失うようなことのない様に戒める。
どうか国を挙げて家族助け合い、この国の不滅を信じて、厳しく道は遠いが総力を上げて将来の建設に努め、道を踏み外さず強固な意志でこの国の繁栄の礎を築き、世界の発展に遅れない様にしてください。

国民の皆さん、私の気持ちを分ってください。

                            昭 和 天 皇   印

8月15日は「終戦記念日」ですので、昭和20年に発布された昭和天皇の「詔書」と解説を掲載し、以て日本国の平和を祈念致します。
現在の平和が多大なる犠牲に拠って得られたものである事を忘れず、先人たちの苦難を偲びましょう

彷徨う科学者

20世紀冒頭、ハンガリーの首都ブタペスト、この小さな都市から世界の頭脳とも呼べる優秀な科学者が何人も輩出されたが、コンピュター原理を構築した「フォン・ノイマン」、航空力学の基礎を築いた「カルマン」量子力学へ群論の適用を果たし、ノーベル賞を受賞した「ウィグナー」など、そのそうそうたる顔ぶれには枚挙がない。

そして後世、なぜこの狭い都市にこれほどの科学者が存在し、世界へ向けて活躍できることになったのか、その原動力となるものは何だったのかを探った研究者達は意外な事実に気付く。

この時代のブタペストの科学水準はそれ程高いものではなく、実は多くの科学者達がブタペストで学んでいたものは「数学」だったのである。
ハンガリーは歴史的にも多くの優秀な数学者を出しているが、多くの科学者達はブタペストで語学や歴史などの基礎知識と共に「数学」を学び、その数学が多くの科学者達を育んでいたのである。

そしてこれは2007年の文部科学省科学技術研究所の調査だが、日本に措いては数学の博士号取得者が極端に少なく、国立大学の数学科教員も減少傾向にあるとされている。
あらゆる科学の基礎ともいえる「数学」、この知識の必要性はハンガリーの例を見ても明白であり、即ち数学の後退は科学全体の後退を象徴するものと言えるのではないだろうか。

またこうした背景から拡大して考えるなら、一体日本の研究者の実態とはどう言うことになっているのだろうか、その参考となる傾向をキャリアパス、つまりは大学卒業後、研究職に就業していく人たちの経歴からみてみようか・・・。

まず1年間に博士となる人の数、いわゆる博士号の取得者数だが、これが凡そ1万4000人前後、そしてこの内、紆余曲折はあっても何とか就職できた者は2007年度で7000人、2009年度では5400人程度だったと推定されている。

何とその就業率は2009年度では38・5%、即ち5人に2人しか就職できなかったと言うことになる。

毎年1万4000人も博士号取得者がありながら、その実社会や研究機関はこの中から5400人しか生かすことが出来ず、その他の8600人は就業先がなく、自宅待機か、職業上の空席待ち、そうでなければ取得した博士号を生かすことが出来る研究機関への就業を諦め、全く別の分野へ就業していると言う現実がここから見えてくるのである。

またこうした厳しい現実の背景を考えるなら、1990年から始まった大学の博士課程学生定員の拡張にも原因がある。

即ちここでは博士課程学生定員が従来の2倍以上となったにも拘らず、その卒業生を受け入れる大学の雇用枠が広がっていないこと、また長引く景気の低迷により、毎年減額されていく政府の大学に対する補助金政策などから、研究機関の雇用枠は減少の一途を辿っていること、そして博士号取得者の一般企業への就業に対する無関心、更には民間企業も大学卒業者は採用しても、博士号取得者までは必要としない事情などが重なってこの現状が存在している。

つまりは博士号取得者は需要の2倍以上の人的デフレーションにある上に、その当事者は大学や政府系などの公的機関以外の、民間研究機関への就業を希望しない傾向があり、また民間企業も博士号取得者をどう待遇すべきかと言う問題を抱え、更にはそうした知識が企業に中でどう生かされるのかの実績がないため、民間企業側も博士号取得者の雇用に関しては躊躇していると言うことだ。

まさに三すくみのような状態だが、こうした状態を緩和すべく文部科学省が打ち出した「第1期科学技術基本計画」では、ポスドク1万人計画による臨時雇用を作り出したが、ポスドクとは学術振興会などによる、博士課程修了者に対する一定期間の修業的な雇用を指していて、これでは修業期間終了後の雇用は確保されず、またこれに便乗した期限付き雇用が拡大してしまい、博士課程修了者の雇用は更に不安定なものとなってしまった。

それゆえ、こうした背景を考えるなら、これはだけは避けた方が良かったとは思うが、大学教員の定年延長がはかられるに至って、ここに少子化と言う重い現実が加わった場合、これから大学教員等を目指す博士課程修了者の道は、不確定化する大学経営とあいまって、益々閉ざされたものとなっていく傾向にあり、この実情はヨーロッパでも同じ傾向となっている。

またこのような現実と共に、もともと大学などの研究者は研究成果にこそ関心はあっても、その実用化には全く関心のないもので、もし活用されれば有用な研究でも、殆どが研究組織内で死蔵されてしまっている傾向があった。

そこで日本政府は1980年アメリカで法案が成立した「バイ・ドール法」模して、1998年に「大学等技術移転促進法」を成立させ、「技術移転機関」TLO を設置し、このTLOが大学と民間企業の橋渡しをして、大学の研究を民間で実用化して行こうと考えたが、こうした時期に「産・官・学」の提携と言う言葉がまことしやかに提唱されていった。

だがこのTLO の活動により成立したものは余り利益を生まず、せいぜいが民間企業で知的財産保護に関する法律に通じていない企業に対して、大学がその知的財産戦略の一部を担う程度に留まり、実情はこの程度であれば弁護士や弁理士の方が大きな成果を発揮するようなものでもあった。

そして政府の大学に対する補助金の削減は、意外にもこうしたTLO にまでその影響を波及させてくる。

即ち「産・官・学」の提携に関しては大型の補助金が用意されていた為、ここに目をつけた各大学の研究機関は、積極的にこれを推し進め、その結果が経済学部や比較人類学部の地方進出であり、ここでは学生や大学教員が地方の自称文化人達に取り入り、そして研究と称した慰安旅行のような地域研究を実施し、その地域の文化を守るとしながら破壊して行った事実が存在し、そうして高額な補助金を確保して行った経緯が発生していた。

いわば削られた補助金を別の名目で確保しようと、血眼になって地方を食い物にする大学の研究機関が出現し、これにはユネスコ、国連大学までもが大学と一緒になって行政と癒着し、その地方の文化を破壊して行った現実も存在したが、それらはみな地方の純朴な人々のあり様を利用したものだった。

日本と言う国は戦後65年を経て、その大部分の制度や仕組みに大きな欠陥が生じ始めている。
そしてそれは大学や研究機関にまで及び、そこでは拝金主義者の如く、金を求めて彷徨う者の姿も垣間見える様になってしまった。

ブタペストで一生懸命、数学を学んでいた科学者達に申し訳ない気がする・・・。






円高と言う景気浮揚策

さて、ここに来てどうやら人気が低迷している合衆国大統領オバマの、形振り構わぬ中間選挙対策が始まってきたようだが、何となくこれによって日本は9月にリーマンショック以来の経済危機を迎えそうだ・・・。

場合によっては日本経済が未曾有の混乱、或いは部分的な破綻に遭遇するかも知れない。

4月~6月期のアメリカの実質GDP、国内総生産は2・4%増、つまり前期のGDP3・7%増から大きく成長が鈍ってきていた。
また2010年7月の雇用状況は、非農業生産部門で、対前月比13万1000人減となり、これで2ヶ月連続でその就業者数が減少となった。

この背景にはヨーロッパ経済の混乱の根深さがあり、ヨーロッパの経済、財政問題は今後早急な回復が見込めない恐れが出てきていることから、世界的な景気の先行き不安が発生し、これによってアメリカ経済が大幅な失速状態となった。

またこうした状態に拍車をかけているのが中国の引き締め政策である。

中国はかつてない不動産価格の上昇を向かえており、こうした事態に中国当局は預金準備率、つまり中国中央銀行が金融機関から担保として強制的に預金させる準備金の比率を、2010年だけでも既に3回も引き上げていることから、中国経済も減速に転じている。

このことは2010年8月11日、中国国家統計局の「盛来運」報道官も認めていることから、もし万一中国の不動産取引が更なる高値を求めていくならば、今後一層の引き締め政策もあり得る。

そしてヨーロッパは財政危機から、今後相当期間の緊縮財政が続き、これが長引けば、場合によっては世界的な需要低迷、いやここまで行くと需要の「不足」が発生し、日本、アメリカ、ヨーロッパは長期のデフレーション経済に陥っていく可能性がある。

既に東南アジア、インド、それにブラジルなども金利を上げて物価安定政策を採っていることを考えても、中国の引き締めとあいまって、世界は今とても大きな、経済的な失速場面を向かえていると言うべきだろう。

この中でアメリカのFRB 、連邦準備制度理事会議長バーナンキ議長が7月、議会で突然妙な事を言い始める。

アメリカ経済の先行きは異例なほど不透明だ」

何の脈絡もなくバーナンキ議長はこう言ったが、この発言に驚いた市場は、一挙にアメリカ経済に対する不信感を募らせ、あっと言う間にドル売りを加速させて行く、その結果不安定な「ユーロ」を避けて日本の「円」が更に買い進まれて行った。

この現実が示すことから考えられることは、バーナンキ議長の発言は、これまでもドル安円高で動いてきたアメリカ市場を、追認する発言だったことが伺え、これは2010年6月29日、ホワイトハウスでバーナンキ議長と会談した直後、「アメリカ国内経済について検討した結果、雇用の拡大へいっそうの成長強化に取り組む必要があるとの見解で一致した」と発表したオバマ大統領の発言を受けたものだったことが分る。

つまりバーナンキ議長はオバマ大統領から、このままでは11月の自分の中間選挙が危ない、ここは低金利政策、ドル安でアメリカの景気を浮揚させ、それで何とか無事中間選挙を乗り切りたい、と言う要請を受け、それに屈したと言うことに違いない。

これまでもアメリカは景気が悪くなるとドル安を容認し、そして円高や、他の国の高い金利を利用して自国の景気を浮揚させる政策をとってきたが、今回のそれはこれまでとは少し事情をたがえている。

アメリカには後がない、ヨーロッパ経済の混乱、そして既にアメリカは巨額の赤字を抱え、思い切った財政出動が出来ない。
このことからオバマ大統領に残された経済対策は、もはやドル安による輸出増大と低金利による景気浮揚策しか手立てがないことだ。

その上で中国経済の締め付けがあり、ヨーロッパの低迷がある。
これは事実上アメリカの景気浮揚を、日本に何とかしてもらおうと言うことに他ならならず、ここまで来るとアメリカの日本に対する経済戦争とも言うべきものだ。

8月10日、アメリカ連邦準備制度理事会FRBの更なる金融緩和政策の発表は、「アメリカはドル安で景気浮揚をはかります」と明言しているのであり、これはヨーロッパも先に同じことを行動で示していることから、もはや世界経済は形振り構わずデフレーション対策に走っていて、その中で何もしない日本に、どんどんそのしわ寄せが集中してきていることを日銀、日本政府は真剣に考えないと、これは日本経済の破綻と言うことも笑い事では済まされなくなる。

日本の景気がこれまで安定してきた背景には企業の売り上げは減少、でも収益は増加と言う血を絞るような努力があったからだ。
つまりは日本企業はこれまでリストラをし無駄を省き、効率を上げ、それで利益を確保してきたのであって、決して売り上げが伸びた訳ではなかった。

だからこれ以上の効率化は出来ないほどにギリギリまで努力してきていて、その上でもし輸出産業が「円高」に耐えることが出来る限界を考えるとしたら、材料調達費用の負担軽減を考慮しても1ドル83円が限界だが、その限界は眼前に迫っている。

更に同じく日本の大手企業の売り上げを支えてきたエコ減税がこの9月には終了し、このことは例えば自動車産業一つをとってみても、大きな打撃となり、ここに円高が更に追い討ちをかけることは必至である。

そして一番大きな問題は日本の政治だ。
こうした未曾有の状態にも拘らず、今のところ政府は何の経済対策も講じていない。
このことの罪の深さはやがて9月後半には現れるだろうが、世界は日本政府が民主党の代表選までは何も出来ないことを見越している。

また日銀が例え介入したところで、恐らく殆ど影響なく円高が進むことも予測しているだろう。

白川日銀総裁には日本国内から追加金融対策を求める声は高いだろうが、彼にしても民主党から代表選挙が終るまで何もしないでくれ、と言う要請を受けているだろうし、またこの時期に幾らドルを買い支えても、ドブに金を捨てることにしかならないことが見えているだろう。

そしてこうした日本の事情は世界経済の中に織り込まれつつあり、この延長線上にあるものは、この日本の政治上の空白を利用した更なる円高と言うものである。
アメリカが経済浮揚を急げば、場合によってはアメリカの次なる追加対策があり得るばかりではなく、その場合は1ドル80円台を睨んだ攻防になっていく可能性すら否定できない。

そして中国の引き締めによる中国貿易の低迷、ヨーロッパもデフレーションで販売が出来ない、更には日本国内需要は限界を超えたデフレーションと言う、絶望的な状況が眼前には広がっていて、もっと悪いことには、同時不況の嵐が世界中に吹き荒れるかも知れないのである。

日本は今、もしかしたら第二次世界大戦以降、最大の危機に直面しているかも知れない・・・。





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old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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