「言語の理解」

人間の言語に対する理解は「語彙解析」(ごいかいせき)、「統語解析」(構文解析)、「意味解析」「文脈解析」などが相互に影響しあって解析されているが、「統語解析」(syntactci analysis )では簡単な文章と複雑な文章を読むときの「後戻り」の仕方と文法の関係から、人間が文章を読んでいて理解できなくなると、文章の冒頭や直前に戻るのではなく、人間の記憶特性である「長期記憶」と短期間記憶を貯蔵しておく「短期記憶」のうち、短期記憶に貯蔵されている比較的顕著な特徴にまで遡っていることが知られている。

つまりここから言えることは他人の文章を読んでいても、それを理解する翻訳機能は「自分のもの」が使われていると言うことである。
また「語彙解析」(lexical analysis )については、例えば「上」「下」または「右」「左」と言う言葉を人間が読むとき、私たちはこれらを一見同じ時間で理解しているように思うかも知れないが、実はこれらの言葉に対する理解度には「差」が生じていて、基本的には情報を処理する時間に措いて相違点がある。

「上」と「下」ではどちらも同じに感じるかも知れないが、人間はその文字に対する関心度、つまり自分に関係が深い、またはより使用頻度の多い言葉に対して僅かながら早く反応し、その一つの文字が含有する意味の多さでもその反応が違い、一般に意味を多く含有するものほど情報処理時間が多くなる。

そして「意味解析」(semantic analysis )では、実験データとしてわかっていることだが、人間が文章を声に出して読む時、視覚(目)は実際に読んで発音している言葉より少し先の言葉を見て理解している。
このことから文章を声に出して読んでいるときには、先に広がる文章の意味を予測している事になり、この延長線上には「文脈解析」(contextual analysis )と言うものが存在している。

「清は和子に花を上げました。彼女はそれをとても喜びました」

この言葉を発音した場合、では「それ」とは何か、また「彼女」とは誰かを、人間は瞬間的に理解していると思うかも知れないが、これは実は「理解」ではなく「推定」を行っているのであり、ここで言う彼女が「和子」であり、「それ」が「清が花を上げました」と言う、行為の間に横たわっているものは連続性と言うものでしかなく、この連続性をして習慣上人間は推定をして、人の言語を自身で組み上げているのである。

言語の情報処理については、19世紀後半には既に神経生理学的な言語に関わる「ブローカ中枢」と「ウエルニッケ中枢」の存在が知られていたが、「ブローカ中枢」はその役割として「発音」や「調音」と言った運動能力的な制御を行っている。
このことから「ブローカ中枢」が人間の脳の「運動野」の近くに存在していることも偶然と言うことでは無いと思われている。

一方、「ウエルニッケ中枢」の働きは、主に言語の意味を理解する機能を制御していると考えられているが、人間の脳の大きな特徴は、言語機能系の神経が脳の左半分に集中して存在している点にある。

またこうした言語だが、言語を失う障害と言うものを考えると、そこには大別して2種類の要因が発生してくる。
一つは「知覚機能」の障害から来る失語、そしてもう一つは「言語機能」の障害による失語であり、このことから言語には入り口と出口があり、流れを持っていることが理解できるが、一般に言語はそれを理解する能力が失われても、言語を組み立てる能力を失っても「外」に対しては同じようにしか見えない。

だが人間がこうした2つの要因で全ての言語や理解を失うのかと言えば、厳密にはそれは違う。
このことは1893年、フランスの「デジェリーヌ」によって解説されているが、例えば人間の脳の「大脳左半球後頭葉」にある視覚中枢と、左右の脳半球を繋ぐ「脳梁」がともに損傷を受けると、話すことや聞くこと、書くことについての障害は起こさないが、読むことが出来なくなる障害を起こし、これを「純粋失読」と言うが、大脳左半球視覚中枢を損傷すると、基本的には右半球視覚中枢で左半球が受けるべく情報も処理することは可能だ。

しかし、こうした視覚的な情報を言語情報に変換する場合、大脳右半球から左半球に局在する言語中枢に情報が送られなければそれが変換できない。

このために左右の脳を繋ぐ「脳梁」が損傷を受けると、視覚情報と言語変換が繋がらず、したがって読むことが出来ないと言う状況が生まれるが、ではこれによって人間は書かれた文字や図形からの情報を全て失うのかと言えば、書かれた情報を音声に変換し、「聴く」と言う情報に変換すれば、これが理解可能であり、また簡単な図形文字なら指でなぞって、その運動情報からも図形や語彙表現文字などは理解が可能なのであり、さらには情報の変換がなされなくてもこれを処理する場合も有り得る。

これはどう言う意味かと言えば、純粋失読と言う事態に陥っても、例えば「花」と言う文字を見て、純粋失読の人が花の絵を選べないかと言うと、文字を見て花の絵を選ぶケースが存在するからだが、もともと視覚と言う情報と、言語情報が完全に別ならこうしたことは有り得ないことから、人間の脳は違う情報からでも、簡単なものなら総合的に理解することができる何らかの仕組みを持っていると言うことになるが、これはもしかしたら「折れた紙の原理」かも知れない。

つまり一度折り目が付いた紙は、伸ばしてもまた同じところが折れやすくなるのと同じ原理で、脳が情報を理解している可能性もあると言うことだ。

人間は現在に措いて使われている言語の複雑さ、その意味の高等な部分に措いて「言語」と言うものを比較的進化した形の新しいものであるように思っているかも知れないが、自然界では実に多様な音声言語が存在し、鳥もそうなら虫もそうだし、また音声の原理である「音波」を使って情報を処理している生物もあれば、人間の神経情報伝達手段である「電気信号」での反応が確認できる微生物も存在する。

このことから比較的「本能」の部分とは切り離された形で考えられ易い言語は、その実あらゆる生態系に備わった基本的情報手段であり、それは視覚や聴覚、運動機能などとも繋がった、遥か太古の生命から続く一つの流れの中にあり、人間はこうした他の生命の声や情報に、今更ながら多く耳を傾け、またそれを直視しなければならないように思う・・・。

あらゆる生命の音声表示や鳴き声は人間の為にあるのではない。
彼らが生きるためのものである・・・。





スポンサーサイト



「うかつな言葉」Ⅱ

実は中国は近隣諸国と領海や領土をめぐって沢山の問題を抱えているが、現段階でも中国軍はこれを軍事的に解決する能力がある。

しかしこれに対してはアメリカの力が有る限り、そう強引なことが出来ず、実際にアメリカ本土上陸が可能な軍事能力を身に付けることで、アジアの島の一つや二つ占拠しても、アメリカが緊張状態を考慮して譲歩するようにしておきたいと言う思惑がある。

それゆえ中国軍はやがてインド洋や伊豆諸島、パプアニューギニア、マリアナ諸島に及ぶ西太平洋にまで行動範囲を広げようとしていることは自明の理であり、また中国が最南端の海南島に建設している、弾道ミサイル搭載可能な原子力潜水艦の新基地については既に完成しており、これによって中国軍は南シナ海にまで潜水艦で航行できるようになって来ている。

更にここ近年緊張が解けたかに見える台湾との関係だが、こちらもその友好的なムードとは裏腹に、2009年末の段階でも、台湾に向けて1050発から1150発の短距離弾道ミサイルが配備されていて、台湾に対する軍事力は全く削減されていない。

そして2010年9月7日、尖閣諸島久場島付近で起こった、中国漁船の日本の海上保安庁巡視船に対する妨害行為だが、これはある種中国の策略の一つで、これまでの中国の動きを見れば、この事件は起こるべくして起きていると言えるだろう。

尖閣諸島付近の海底には大量の天然ガスが埋蔵されていること、それにこれから中国が太平洋に展開するためには、尖閣諸島はどうしても押さえて置きたいところだった。

またこうした時期について、そのきっかけがあるのだが、それがアメリカと日本のリーダーの発言にある。

尖閣諸島は日本の行政施政権の中にあり、有事の際には日米安保条約によって、アメリカが防衛義務を負う事になっている日本領だが、アメリカのオバマ大統領は経済発展著しい中国に配慮し、尖閣諸島が日米安保条約の適応対象であるとは明言しない方針を採ってきていて、実際にガス田開発に伴う日本と中国の尖閣諸島の領有権問題には、直接関与しない方針を表明してしまった。

これは原則日米同盟に対する明確な違反であり、場合によっては日米同盟を日本側から解消するに値するほどの重要な案件なのだが、それを無視して同盟国である合衆国大統領自らが、尖閣諸島の日本領有を否定してしまった結果となった。

その上2010年5月には、当時日本の「鳩山由紀夫」内閣総理大臣が、このオバマ大統領の発言を擁護しようとして、全国知事会議で尖閣諸島領有問題は「日中間で議論して結論を見出して貰いたいと言うことだと理解している」と、全く他人事のような発言をしてしまったのである。

これは事実上、尖閣諸島を巡っては日本と中国が同等の権利を持っていると、アメリカの大統領と日本の総理が認めたことになり、ついでにアメリカはここで何が起こっても手を出さないとまで約束した訳だから、結果として中国の印象としてどうなったかと言うと、では尖閣諸島は中国の物だな・・・と言う結論にしかならないのである。

だから中国はそれを、アメリカ大統領と日本の総理の言葉を確かめるために、今回の事件を仕組んだのであり、この尖閣諸島の漁船衝突問題は中国の策略であると発表したアメリカ国防省などは、同時にこの事件の原因の一番最たる要因は、合衆国大統領の同盟違反発言にあったこともまた、認めなければならないところなのであり、うかつにもこうした合衆国大統領の発言を擁護した鳩山元総理の責任は、限りなく重大なのである。

それゆえ今頃になって民主党の前原外務大臣が「日本と中国で領土問題など存在していない」と発言しても、これは既に手遅れなのであり、中国にして見れば合衆国大統領と、日本の前総理が認めたものを新米の外務大臣が何を言うか・・・、ぐらいにしか聞こえないはずである。

あまりこうしたことを記事にする者は少ないかも知れないが、今回の尖閣諸島問題、その引き金は日米双方の軽薄なトップの発言に原因があったと私は分析する。

そしてこの事件で得をする国が2つある。

一つの国はこれで尖閣諸島が手に入るかも知れない中国、そしてもう一つの国はこうした極東アジアの適度な緊張のおかげで同盟が重要視され、沖縄の基地問題の譲歩を日本国民に納得させることが出来、基地存続やそれに伴う「思いやり予算」まで獲得できるかも知れない、アメリカ合衆国と言う国だが、これを考えると、もしかしたらオバマ大統領の軽率な発言は計算されたものであった可能性も、否定できるものではないかも知れない。

また一見大変なことのように見える今回の事件だが、実は堅いことを言わねば意外に簡単な平和的解決方法がある。





「うかつな言葉」Ⅰ

「1万ドル」
「受けよう、では私は5万ドルだ」
「良かろう、では私はそれにもう5万ドル足して10万ドルにしようか」
「そうか、じゃは私は面倒だから100万ドルで行こうか・・・」

「100万ドル」、この言葉を聞いた片方の男は、一瞬にして顔色が変わった。
そして次の瞬間、「私は降りる」と力尽きたように肩を落とし、カードをテーブルの上に投げ出した。
「ストレートフラッシュか、いい手だな」

相手の男が降りてくれたおかげでこの賭けに勝った男はそう言うと、今度は自分のカードを静かにテーブルの上に並べる・・・。
「フルハウスだったのか・・・」
負けた男は更にガックリしたが無理もない、カードの勝負では負けた男の方が勝っていたのだった。

およそ賭け事でも経済でも、そして外交でも戦争でもそうだが、常に「より多く持っている者」が最後には絶対勝つ。
賭け事や経済では少しでも相手より資本を持っている者、そして戦争ではより多くの兵隊がいて装備を持っている国、外交では一つでも多くの策を講じている国が、最後には勝利を収める事になる。

2009年3月、当時の防衛大臣「浜田靖一」氏が中国の「梁光烈」防衛相と会談したおり、「梁光烈」氏は浜田防衛大臣にこう言う話をしていた。

「現在大国と呼ばれる国で空母を持っていないのは中国だけだ。中国としては未来永劫空母を持たないままと言うわけにも行かない・・・」
この言葉はある意味中国が、正式に空母建設を国際社会に公言したとも言える瞬間なのだが、実は中国の空母建設はこれから遡る事3年前、2006年頃から始まっていて、こうした時期に中国軍幹部の口から、空母建設を検討していると言う発言が聞こえはじめていた。

中国軍の内部文書に「特殊大型軍用船舶」と言う文字が現れてくるのもこの頃からだが、2007年8月には空母建設のための専門組織「048弁公室」が設置されたとも伝えられていた。

そして2010年8月16日、アメリカ国防総省が発表した、中国の軍事動向に関する報告書では、中国の空母建設が2010年以内にも始まると警告しているが、中国の軍事動向に詳しい専門家が入手した衛星写真には、上海市の揚子江河口に存在する空母建設施設、「江南造船所」敷地内に最近建設されたと見られる新しいビルが10棟程確認できる。

これらの施設はあくまでも推測の域を出ないが、「専家楼」(専門家の建物)と名づけられていることから、ウクライナから迎えた、空母建設に必要な技術者の宿泊施設ではないかと見られていて、その規模はおよそ100人が収用可能だとされている。

またこうした技術者が何故ウクライナから呼ばれているのかと言えばこれには理由がある。

もともと中国には短い滑走路から飛び立つことの出来る戦闘機がなく、この意味から空母などに搭載する艦船搭載機の技術がなかったのだが、今年に入って中国が短い滑走路から飛び立つことの出来る「殲15」と言う、いわば艦船搭載が可能な戦闘機を開発したことが判明、しかしこれはどこから見てもロシアの戦闘機にそっくりだったため、「盗用」だとしてロシアのメドベージェフはおろか、プーチンまでが激怒し、このことからロシアからの中国に対する武器売却交渉は止まったままになった。

こうした経緯から空母建設にロシアの協力が得られなくなった中国は、仕方なくウクライナの技術者に目をつけたのだが、このウクライナも3ヶ月ほど前には、同国の技術者数人が中国の空母建設に関わったとして、また技術を漏洩したとしてその身柄を拘束していることから、実際は中国の空母建設は遅れている可能性も否定できない。

ただ、ウクライナのこうした姿勢は「欧州・大西洋パートナーシップ理事会」加盟国としての立場なのか、またロシアの要請によるものなのかは分からないが、いずれにしても中国の空母建設上、もしネックがあるとしたら、こうした技術者確保が最も大きな問題になっているに違いない。

またこれ以外に遼寧省や湖北省には空母の形に良く似た飛行場や、空母のような建物が建設されているが、これによって中国は実際に空母から戦闘機が飛び立つ訓練をしていると見られ、空母状の建物では空母運行のシュミレーションや、無線訓練などが行われている可能性が高い。

そして何故中国がこうも空母建設に拘るのかと言うと、そこが冒頭の「より多く持っている者が勝つ」の原理である。
現状世界で一番軍事作戦行動範囲が広いのはアメリカだが、これに「NATO」(北大西洋条約機構)が続き、そして中国が続く。

だがよくよく考えてみれば、NATO軍の敵とはどこだろう。
欧州の殆どの国が加盟し、ロシアまでが加盟している現実、またソビエトから独立した国々はこの下部組織の「欧州・大西洋パートナーシップ理事会」に加盟しているし、どこに軍事的な脅威が存在するのだろうか。

こうした経緯からNATOは既に軍事同盟としての役割を事実上終えているのだが、これが中国にとって見れば、どこかで自国を敵国として想定してるのではないか、またNATOとアメリカ相手ではいざ戦争しても勝ち目がないとしたら、もし何かの重要な交渉時には、その軍事的な力がある限り、中国はどこかで譲歩せざるを得ない事態が訪れる。

この恐れから中国は軍事力に力を入れざるを得ないのだが、いかんせん軍事作戦展開能力は到底アメリカには届かない。

そこで作戦能力の拡大をはかるためには空母の建設は不可欠であり、実際にこの近年は太平洋にまで非公式に出没して、こうした空母建設の為のノウハウを試験しているのであり、また日本とアメリカの関係悪化に対して更に深い楔を打ち込むために、日本領海付近を伺っているのである。



                           「うかつな言葉」Ⅱに続く



「消費税の本質」Ⅱ

1949年、シャウプは日本の税制を見て、「これは既に破綻を超えている」と発言し、そして消費税を整理、廃止していった。
だが今日の日本を見るとまた見事に消費税は復活し、そして「予算が無ければ仕方ない」とまで国民までが言い始めている。

太平洋戦争敗戦後、アメリカは日本の財政、税制の健全化の為に間接税を廃止していった事実を考えるなら、基本的に税収入に占める間接税、つまり消費税の割合が増加するたびに、その国家は貧しくなっているのであり、また衰退していると判断すべきかも知れない。

また消費税が「贅沢税」の概念を持つのは何も日本だけではない。
例えばヨーロッパ諸国の消費税は日本の消費税よりはるかに高いが、生活必需品や食料に対するか税率はきわめて低いか、かからないようになっているばかりでなく、リーマンショック時のヨーロッパ諸国の経済政策では、雇用などの条件を満たせば消費税の減税を認める対策が採られた。

こうした背景を考えるなら、ヨーロッパの消費税は少なくとも日本の消費税より健全性がある。
日本の消費税などの大型間接税は広くあらゆる場面から税収を得ようとするものであり、こうした傾向は、生活弱者の負担を増加させ、これでなおかつ企業減税が実施されるなら、国民から広く集めた金を、大企業に与えていくと言う極めて矛盾した不公平税制となっていく。

更にこれは太平洋戦争時の日本の税制にも見られた傾向だが、経済が破綻していくときには、実はあまりよく理解できない名前の税金が出現してくることだ。

これは税制ばかりではなく関連したものを含めてもそうだが、例えば後期高齢者保険制度などは徴収する側の市町村の担当者ですら、その計算方法を理解できているものがいないくらい分かりにくい制度だったし、政治が混乱した細川内閣の時には消費税を廃止し、「国民福祉税」なる税金創設を総理大臣が口走ったことがあった。

今の民主党でも道路特定財源を一般化した上で、「環境福祉税」や「環境税」の話が出てきているが、これなどは本当にお笑いであり、暫定税制だったガソリン税などを廃止することは見事だが、その同じ税率を環境福祉税で国民から徴収しようと言うのであれば、それは国民にとって名前が変わっただけで、実際何の恩恵も無いばかりか、環境に対して税金がかかるなら、税金が払えなければ生きていけなくなるのか、と言うことである。

環境に対して各国が一定の負担を考えると言う議論は、いまだ世界的な合議に至っていない。
このことから環境に対する負担を考える国では予算が出現するが、これに同意しない国では環境に対する負担が無く、これでは環境と言う地球規模の負担に対して、国によって相違が発生し、大きな不公平を生んでしまう。
それゆえ環境を消費するものと考え、そこに課税すると言う考え方は、現状では夢物語に対して税金を支払うと言う形であることを国民は理解しておくべきだろう。

それに「介護保険」を支払いながら、「健康保険税」を支払いながら、同じような名目で「福祉」と言う名前の税制が出現したときには、これは目的税の重複化と言う矛盾を生み、そもそも何となくそれらしいが、良く分からない名称の税金が多く発生した太平洋戦争時の日本と全く同じことにしかならず、こうした状態を是正しようと「シャウプ勧告」が成され、そこから日本は高度経済成長を果たしたのである。

国の借金920兆円以上、来年度予算の概算要求96兆円、そのうち税収は37兆円が限度となれば、例え圧縮したとしても50兆円以上の歳入不足に陥る日本の財政は、世界で最も危険な状態であると言え、また税制全体が既に客観的整合性を失っている。

その上に消費税の増税と言う「衰退国家」の政策が取られるなら、その先にあるものは「破綻国家」と言うものであり、日本は再度「シャウプ勧告」を、今度は世界から突きつけられる日を迎えることになるだろう。

さて今日のポイントだが、直接税、これは所得税などがそうだが、この比率と間接税、つまり消費税がそうだが、この2つの税が税収に占める割合をそれぞれの頭文字を取って「直間比率」と言い、財政の健全性を測る一つの目安とする場合があるが、この中で直接税で税収の殆どが賄われている国家は、その経済の健全性が確かめられ発展性があるが、これが間接税、特に消費税などによって一定の率より多く税金が賄われている国家は、いずれ国力を失い衰退する。

ちなみに税収における直接税の比率が高い国家はアメリカであり、消費税の比率が高い国家は基本的には社会主義化し、それはいずれかの時点で大きく転換を迫られるか、それで無ければその国家の国民はやがて希望を失ってしまう・・・。






「消費税の本質」Ⅰ

租税の概念は「国民」が社会や国家を維持するために行う「応分の負担」を意味するが、現実にはこうしたことは有り得ない。

君主政治ではその君主を、独裁国家ではその独裁者を、そして民主政治では「国家組織」を維持するためにその予算の多くが使われ、国民が租税によって受けられる恩恵は正確には計算できず、またこの恩恵を受ける者は「より多くの資本を持つ者」ほど大きな恩恵を受ける結果となる。

また税には直接税と間接税が存在し、直接税の代表格は「所得税」だが、間接税とは「消費税」や「関税」などを指していて、この税の体系からするとそれぞれの国家に措いても、その国家によって直接税に重きを置く国、また間接税に重きを置く国があるが、一般に資本主義、自由主義経済国家に措ける税の基本は「直接税」であり、これが崩れていくと間接税が主要税体系の国家となっていく。

今日日本の税体系となった基礎は、太平洋戦争に日本が敗戦してから5年後の1950年、カール・シャウプが団長となって混乱してしまった日本の税制について検討するため使節団が結成され、この使節団が出した報告書によって太平洋戦争までの日本の税制に対して改善が求められ、同勧告によって日本の税制は戦前より大きく改善されて行ったことに端を発していて、この当初はアメリカ型の税制体系が採用されていった背景を持つ。

そしてこの勧告を行った日本税制使節団団長の名前を取って、同勧告は「シャウプ勧告」と呼ばれるが、明治政府が行っていた税制の体系は「直接税」が基本だったが、これが軍事大国化するに従って「間接税」が増加し、全く意味不明の「付加価値税」や「消費税」に近いものが混在するようになり、戦争体制時の日本の税制は所得税などの直接税の比率が56%、そして間接税の税収比率は何と44%にも上っていて、軍事政権はあらゆる名目を使って国民から搾り取っていたことが伺えた。

シャウプ使節団はこうした日本の不公平かつ経済を圧迫する税制体系の、まず間接税を整理した。
つまり消費税に当たるものは「酒」や「関税」などに限定し、その他を排除し、直接税を主体とした税制体系を目指したのであり、これは経済が安定していたアメリカ型の税制体系でもあり、日本はこの後40年に渡って基本的には「直接税」主体の税制を維持するが、1989年、いわゆるバブル経済にそろそろ終焉が見えてきた頃、40年ぶりに税制体系の見直しに入り、「消費税」などはここから本格的なものとなっていく。

だがここで私などが思うのは、アメリカの経済に対する健全性である。
思うに人が物を買うのに、つまりはお金を払うと言う経済的貢献をした上に、何故税金を払わなければならないのかと言う素朴な疑問である。
確かに酒やタバコなどは嗜好品かも知れない。
がしかし食料や生活必需品、その他移動に必要不可欠な自動車なども、これのどこが生活からかけ離れたと言える程の「贅沢品」だろうか。
日本に措ける消費税の根本的な出発点は、「富裕税」と言うもののあり方ではなかったか、その豊かなことをして、そこに課税しようと言ういわば歪んだ「平等」の考え方が受け継がれ、その初期の消費税は一般の民衆の平均所得では買えないものを買う場合にのみ限られていた。

つまりは消費税の概念は「贅沢税」だった訳だが、このことを考えると所得税に重きを置くアメリカの税制体系は極めて分かりやすいものだったが、こうした中でその繁栄のピークを終えていったヨーロッパ諸国は消費税などの間接税を上げていく方向へと流れて行ったことを考えると、消費税が税収に占める割合が高くなる社会や国家と言うものは、いわゆる「衰退社会」と言うものではないだろうか。

本質的に租税概念の理想が「国民としての応分の負担」であるなら、この応分を固定したもの、避けられないものとした解釈をすれば国民からはいくらでも搾り取れる。
しかし国家が国民生活の安定や、その生活水準の向上を考えるなら、苦しい時ほどその国民負担を軽減しなければならなくなる。

国家のための国民か、国民のための国家かが問われるが、衰退していく社会や国家はどうしても国家のための国民となって行きやすい。

その原理は国民の政府組織への依存であり、民衆の中で国家に依存する者が多い社会は国家主義的な考えになりやすく、それはどういう意味かと言えば、例えば年金を貰っている人口が多い国家、政府の補助金や政策が無ければ動いていかない大企業の増加などだ。

ここでは既に生産性を高める経済は存在しておらず、言わば国家から何がしかの受益を受けることしか成されていない。
そのために「最初に必要経費がありき」の社会となり、それを国民がまた均等に負担し、そこから還元を受け、この循環が繰り返される度に財政はマイナス幅を増やしていく。

だが良く考えるといい、太平洋戦争時の日本の消費税は全体の税収の44%にも上って、その予算の利用目的が軍事だった。
当時の事情を考えればこれは避けられないことだっただろう。

そして現代はどうだろう、年金の支給や医療保険制度を廃止できるか、大企業に対する補助事業を止められるか・・・、それは出来まい。
だとしたら事情は太平洋戦争時と同じことなのであり、日本は非常事態国家の方向へと経済が向かっていることになる。

                           「消費税の本質」Ⅱに続く




「国力と女性支配」Ⅲ

イスラム女性にとっての「ブルカ」は中国の「纏足」に似たところがあり、初期は確かに「男」から押し付けられたものであるかも知れない。

そして10世紀前後のヨーロッパ社会では、女性自身が夫に対する貞操の誓いとして、自分から進んで貞操帯を着用した例と全く同じ出発点を持っているのかも知れない。
すなわち自身の価値を少しでも落とさないために男の望むことをしていった背景が、やがてはそれが男の女性に対する価値観となって、この価値観が更に女性の価値観に変遷し、結果としてそれが女性の美意識や価値観として定着して来た歴史を持っているのではないだろうか。

だから西洋的価値観では女性の肌の露出が多ければ、そこに男から見る女性の魅力が有るのかも知れないが、一方で見せないことによる女性の魅力も存在し、また夫以外の男性には肌を見せないことに価値観を持つ女性の歴史上の価値観と言うものも、私たちは尊重するべきではないか・・・。

確かに初めは男による強制や支配から始まったとしても、そうした中で女たちはしたたかにそこに美意識を広げて行き、やがてはその美意識と価値観で男の心を奪って行った。

そしてそれが民族的な「文化」となって行くことを考えるとき、男の目を引くために肌を露出することも、反対に男の為に肌を露出しないことも同じことのように私は思える。
また戦闘の時代から経済戦争の時代へと変遷していく社会の中で、より自由度を増した「女」の姿が垣間見え、それはあたかも古代文明の女性崇拝のように見えながら、結果として「男」の必要度の低下、または「男」の生物的価値観の低下に繋がってきているようにも見える。

だが基本的に今回のフランスの例を見て思うに、人間が殺しあう戦争であれ、経済戦争であれ、国が苦しくなり、それによって実質「女」が規制を受けると言う事実は、確かに古代よりも規模は小さくなり、より間接的になったが、それでもそこから男社会による「女」の支配と言う図式はどこかで存在しているように思われ、この点で言えば、男の生物的弱さ、その精神性の浅い部分は昔から変わっていないのかもしれない。

ちなみにこうしたヨーロッパの民族衣装排斥運動だが、片方でこうして排斥しておきながら、ヨーロッパのブランド各社は、お金持ちの中東女性向けに「ブランド・ブルカ」をこぞってデザインしており、その中には宝石がちりばめられていたり、また絶妙な配色のもの、更には美しい繊維のシルエットを持ったものまで製作され、各地で発表され、イスラム女性から好評を博している。

眠れる獅子、新興勢力の中国の台頭、それに比して力を失いつつある欧米諸国、またブランド・ブルカなどを鑑みると、批判しながら金のためなら「女」は自国の女だろうが、異民族の女だろうが同じだと言うような感じがして、どこかでバビロンが異民族支配を受けた時期に重なって見えるのだが、考えすぎだったか・・・・。

その社会や国家を知るなら、その国の女を見れば、本当の姿が見えてくるものかも知れない・・・。




「国力と女性支配」Ⅱ

そして中国では「纏足」(てんそく)と言う風習が存在したが、これは女の子が3歳から6歳までの間に、その足を木型に入れて縫いつけ、足を大きくしないことを指しているが、1100年頃中国で始まったこの風習の由来は明確にはなっていないまでも、もともと儒教的精神を背景に、他民族の侵略が後を絶たない漢民族の間で女が安易に連れて行かれないため、女を長時間歩けないようにしたもの、若しくは端的に言うなら「女を逃がさない」ことの為に始まったと考えられるが、こうしたことが後には中国での女性の自主的価値観変化に発展して行った経緯まで存在している。

すなわち美人の条件として「足が小さい」ことがもてはやされ、こうした社会の風潮に女性たちが社会的価値観を自分に重ねていくようになったものだが、当初の明確な目的ではなくファッション化した「纏足」は、その足先が見えないことをして、世の男たちに「女の足先」に対するフェティシズム与えることとなったのであり、その結果、女たちがより良い伴侶を求めるために、「纏足」と言う極めて屈辱的な風習に固執するようになって行ったのである。

男と女の関係は実に面白いところがあり、僅かでも男の地位が高いと、女はその男に気に入られるような行動や風習を取り入れていくし、僅かでも女の地位が高いと、男はその女の希望に合わせた事を取り入れていくが、そこに例えば当初は屈辱的なものが有ろうと、やがて社会にそれは蔓延し、こうしたことを考えるなら、基本的に人間と言うものはいつの瞬間も、今までの価値観を転化できる要素を持っている事になるが、この柔軟性こそが本流の流れをそう大きく変化させないことにも繋がっているところがある。

だが近年のありようとして、4000年前が「自然的秩序の時代」であったとするなら、2000年前から現代までは「戦闘と侵略の時代」と言うことが出来、そしてこれから先は「経済の時代」と言うことが出来るのではないか・・・。
従ってこれまでは戦争によって営まれてきた人間社会が、今度は経済的戦闘によって営まれる、つまり女性の価値観や、また男性が女性を支配するにしても、その根拠が「経済」になってきているように思えてならない。

先ごろアメリカでイスラム教の聖典、「コーラン」を焚書しようと言う運動を起こしたキリスト教の牧師が現れたが、幸いにもこの運動は回避され、その後一部の動きとしてこうした運動は残ったが、これなどは実は表面的に見えるイデオロギーや、宗教的な対立以前の更に深刻な側面を持っている。
アメリカもそうだがヨーロッパも、現在は殆どが他民族国家であり、こうした国家で異民族の排斥運動が起こるときは、その原因に当該国家の経済的困窮がある。

その経済が豊かなとき、人は寛大なものだが、経済が少しずつ困窮してくるに従って、実際の生活に追われてくる民衆もまた少しずつ「他」を意識し始め、それまで多民族国家を当然と考えてきた社会は「選民」と言うことを意識し始める。
すなわち納税しているか、また人種としてこの国家の正当な国民とは何か、またそれまで国家と国民を分けて考える、つまり国家はともかく人間として判断してきたものまでが、ナショナリズムの影響を受けることになり、ここにその国家が「寛容」であることを失った姿が浮かび上がるのである。

自由であること、そして力と運を持つものが成功し、それが誰であろうと賞賛される社会、真の自由と独立を大切にするアメリカは、基本的には思想に対して中立な考え方をその根本としているが、これまで労働問題で外国人の排斥運動はあっても、その根本理念である自由、いわゆる宗教に対する自由に対しては一定の価値観とプライドを持っていたものの、そのアメリカ社会から思想的排除運動が起こったことは衝撃的だった。

「そこまでアメリカは困窮してきているのか・・・」と言う印象である。

また同じ観点でヨーロッパを見るなら、ここに労働力を提供している国家はその多くがイスラム諸国であり、ヨーロッパの労働を支えてきたものはイスラム社会と言うことが出来る。
しかしリーマンショック以来、浮かび上がれぬヨーロッパ経済は、その困窮ゆえに労働力の過剰状態となり、また経済的な落ち込みから発生する外国人排斥運動は、これまでもくすぶっていたフランスの異民族衣装排斥の動きに加速をつけた。

ヨーロッパでイスラム女性が身に付けている「ブルカ」や「ニカブ」など、あの全身を覆って人に肌を晒さない衣装の着用を禁止している国は、国家としてはこれまで存在せず、イタリアの一部地方自治体でのみ禁止されている程度だったが、それが2010年9月14日、同衣装の公共での着用を禁止する法案が、フランス上院で賛成246、反対1の圧倒的賛成によって可決されたのである。

この法案は2010年7月、既にフランスの国民議会(下院)を通過しており、これでこの禁止法案は正式に成立したのだが、今まで国家レベルで例え異民族とは言え、その着ているものまで規制することのなかったヨーロッパ社会は、このフランスを先頭に、ますますイスラム女性の衣装に対して規制を強める恐れがある。

もっとも自由博愛を標榜するフランス国内には、これまでもこうした民族衣装の規制問題に対し、憲法上の違憲状態ではないかと言う慎重論も存在していて、フランスの行政諮問機関である国務院は、「本来自由であるべき着衣に関して一律全面禁止は憲法上の整合性を失う」とも見解しているが、大局的にはこの法案がイスラム女性のみに関わる法案だと言う事実は変わらない。


                          「国力と女性支配」Ⅲに続く


「国力と女性支配」Ⅰ

一般に豊かな社会、または衣食住などの生活上の基本要件が満たされている社会は「寛大」である。
古代バビロンに措いても、その聖典「ハンムラビ法典」の記録には孤児や寡婦(未亡人)に対する社会的保護の必要性が説かれているが、現代私たちが抱く「ハンムラビ法典」の大変厳しく、また女性を所有物としか考えないかのような印象は、実はこの法典が作成された後世「セム系民族」のバビロン支配から始まったものである。

聖書の解釈書などには「夫は妻を傷つけても罪に問われない」と言うバビロン法典の話が出てくるが、これも事実上「セム系民族」支配時代から始まった事であり、多民族国家であった古代バビロンでは、勿論奴隷などの制度は存在せざるを得なかったが、基本的に「目には目を、歯には歯を」の法律は対等な身分上での事で、実際には民族や人種による差別も殆ど存在していなかった。

だがこうしたバビロンに対して、何故セム系民族が女性の地位を貶めたかと言うと、そこには現代にも通じる「力」の理論が展開される事になる。
もともと国家や民族が成立していく過程で、その勢力が拡大していく背景には「軍事的侵略」が一番安易な方法となるため、新興勢力の台頭は必ず「力」による支配となり、こうした社会背景では相対的に「男」の価値が高くなってしまう。

戦闘に必要なものは「男」であり、「女」は戦闘が続いている以上「男」が存在しない限り自身の命の保障すら危ういことから、「男」に従属した形、そしてどこかでは所有物としか考えられなくなるが、このことは単に支配と言うことであれば、「女」は味方の男に支配されるか、「敵」の男に支配されるかの差はあっても常に「男の支配」から免れることが出来ず、こうした歴史が繰返されることによって「女」の地位の低下は慣習化していく事になる。

そして一度こうして女の地位が低下していくと、そこでは同一民族の女も敵民族の女も、男にとっては相対的価値観の差が失しなわれていくことになり、ここではどの民族の「女」もその地位は不確定になって行き、終いには全ての女が奴隷化していく事になるが、こうした環境で「女」が男に対してその価値観を示す唯一の手段が、容姿の端麗であることや男に対する忠誠であり、またその貞操の確かさしかなくなってしまうのである。

ただこうした観念は日本人には理解しにくい部分でも有るが、その背景は日本と言う国の領土が比較的確定しやすい弧状列島だったことに加え、古代日本は他国からも侵略されにくい反面、自国が他国を侵略する力を持てなかった為であり、その現実は領土と人口に限界があった事に起因している。

このため外の世界に「女」を求められない日本の「男」は国内で戦争を繰返していても、そこに存在する女と男の人口比率が極端に変化しないことから、女の地位を限度を超えて軽く出来なかった背景が有り、ために日本の男は、少なくともヨーロッパやスカンジナビア半島、アフリカよりは「感情的」に女の地位を貶めることが出来なかった現実がある。

恐らく古代文明の時代は「女」の地位が高かったに違いない・・・。
それはシュメール文明を引き継いだ形式のバビロンが、実に今日と比べても遜色にない女の地位を保障している事からもうかがい知ることが出来るが、こうした古代文明の女性観は、やがてその地域の侵略や戦闘の規模が拡大するに従って変化し、女性の地位を低下させていったに違いない。

それゆえこうした女性観は侵略からそれぞれの国家が成立して来る時代に措いても、確かに人文主義的な思想から一見向上したように見えながら、どこかで「所有物」としてのありようも残したものだったと言うことが出来る。
この傾向は宗教的結束や一族の結束を基盤に、国家として成立してきたイスラム諸国では顕著なものがあり、現代社会でもこうした女性観はまだ存在している。

昨年のことだが、トルコにある地方の村では父親の許可なく男の子と付き合ったと言う理由から、16歳の少女が父親や兄弟たちによって生き埋めにされ殺されている。
また現代でも一部の地域では、結婚するまで女性の貞操を守らせると言う考え方から、生まれたばかりの女の赤ちゃんの性器を縫い付けるなどのことも行われている地域が存在し、この30年ほど前までアフリカの特定の部族の中では、女の子が8歳になると成人した儀式として、衆目の面前で村の男たちと性交渉をさせられると言うものまで存在していた。

またこうしたことはイスラム社会だけで存在したかと言うとそうではない。
例えば7世紀ごろから始まったヨーロッパキリスト教徒とイスラム教の戦いでは、ヨーロッパ諸国から遠征と言う形で戦闘が繰返され、これを十字軍の遠征と言うが、この遠征に出陣する男たちは、その妻が美しければ美しいほど、妻を信じることが出来ず、「貞操帯」と言う金属と革で出来た下着を身に付けさせ、他の男と性交渉が出来ないようにし、その鍵は自分が遠征に持っていくと言う有り様で、他にも妻の幽閉、監視をつけるなど、そのキリスト教の教義に最もそぐわぬ行動をしながら「神」の為に闘っていたのである。

                          「国力と女性支配」Ⅱに続く



「堕落の先に有るもの」

哲学、物理学、政治学、その他あらゆる学問の分野において博識があり、いわゆる「賢者」と呼ばれた「アリストテレス」(紀元前384年ー322年)は、プラトンの弟子であり、またマケドニアの「アレクサンダー大王」が幼少の頃に学んだ、大王の家庭教師でもあった。
その名前は(aristos)「最高の」と言う意味と、(teios)「目的」と言う意味の言葉を由来としている。

そして彼の説く政治学、古代政治学の政治体制論は、ギリシャ人文主義が見直されたイタリア「ルネサンス」の時期に措いてですら見直されることがなく無視され続けたが、そのルネサンス末期、つまりフランス革命に始まる近代政治学誕生の黎明期にはこれが見直され、今日では近代政治学の基礎的発想、政治学の源泉の1つとして認識されている。

アリストテレスは国家に措ける政府の形態、「政体」と言うものを支配者の「数」によって分類しているが、この視点は実に的を得たものであり、1人が国家を支配する「君主制」(王政や帝政)、少数の者が国家を支配する「貴族制」、多数の者が支配者となる「民主制」に政体を分類しているが、この中で彼は単に政体を分類するだけに留まらず、その三者がどう言う形で移行していくか、またこうした政体の「循環性」についても言及しており、このことは歴史家「ポリビウス」の「政体循環論」(regular cycle of constitutional revolution )でも知られるところである。

すなわち、有能な者、競争を勝ち残った者が君主に選任され、ここで国家の政治の在り様は「君主制」となるが、君主が世襲されて行くことによって「専制政治」、つまり1人の統治者によって何でも出来てしまう個人所有国家が発生してくる。

そしてここで少し補足を加えると、専制政治と独裁政治では、民衆が被るあらゆる苦難の質に措いて変化はないが、独裁政治はその統治者が「民衆」によって選ばれる、またはそこに身分的階級の上下はないが、専制政治の場合は、そこに身分の絶対的な乖離があり、統治者はその身分に措いて民衆を支配するため、独裁政治と専制政治はこの点に措いて区別されるものだ。

専制政治、いわゆる個人所有的国家体制は、やがてこうした在り様に反発する「有力者」の革命によって倒されることになるが、ではこの場合の有力者とは何か、それは専制政治体勢で君主の下にいた貴族、または君主に反感を抱いていた豪族と言う事になり、専制政治が倒された初期の頃は、彼らによる言わば合議制がその政治体制になるものの、その発生段階からこうした体勢には力の強弱が内包されているため、時間を置かずして「寡頭政治」(かとうせいじ)へと変質していく。

「寡頭政治」とは少数政治体制が更に少数化していくことであり、これは現代の政治体制でも存在しているが、いわゆる同じ権利を持った中でも、有力な者がその権利の委任を集めれば、その権利者の中でも上位の者と下位の者が発生し、次第に権利が少数の者に集中してくることを言う。

日本で言えば「派閥」や「グループ」が発生し、その中での会長や派閥領袖が大きな権力を握るのと同じことであり、こうした有り様でもその有力なことの要因が金銭による縛りであるなら、それを「金権政治」と言うのであり、はるか紀元前、遠くギリシャの時代から存在し、また政治学的にも知られていたことで、この原理は全ての集団に措いて発生してくる根本原理でもある。

やがて寡頭制が究極に達した場合、それは専制政治や独裁政治と同じ形式となってしまい、そこではやはり最終的には2、3人、若しくは1人による個人所有国家体制が再燃してくるのであるが、この貴族と言う部分を「政党」と言う言葉に置き換えるなら、そこに現代の政治が何故こうも民衆と乖離するのかが見えてくるだろう。

結果として貴族政治が寡頭政治に移行すると、次に起こるものは民衆による革命と言う事になる。

更にここからが面白いところだが、すなわち君主から貴族へ、そして貴族がだめなら今度は革命は「民衆」から起こるのであり、アリストテレスは貴族制から「寡頭制」へ移行する段階を「堕落していく」と表現しているのであり、その堕落の先に「民主制」を置いているのである。
アリストテレスは堕落の果てに有るものとして「民主制」を考えていたのだが、これは言い得て妙だと思う。

つまり堕落して寡頭政治になった貴族制は、更に下の民衆によって倒され、民主制は貧者が権力を欲しいままにし、最後は衆愚制(しゅうぐせい)に陥り、この無秩序に対応するため人々はまた君主制を求め、そして政治はまた君主政治に帰って行く・・・、アリストテレスは君主制、貴族制、民主制をこのように捉え、またこれが循環するものであると説いている。

また彼は貴族政治の堕落した形態を「寡頭政治」とし、民主政治の堕落した形態を「衆愚政治」としたが、ここではどの段階における堕落も「必然」と定義し、この循環は避けられないものと考えていたようだ。

何かで止まった形態をして漠然と完全な有り様を考える現代政治学の感覚は、この事を今一度良く考えておく必要があるのではないだろうか。

「民主政治とは、多数の貧民による貧民のための政治である。社会の多数者は当然に貧しく、教養は低く、富んだ者を羨み、かつ買収と扇動に弱い。そしてこうした状態を衆愚政治と言い、民主制は必然的に衆愚政治に堕落する」

これがアリストテレスが言う民主政治の必然である「衆愚政治」と言うものであり、ここで言えることは、政治が民主化していくことを理想の政治とはしていないことであり、常に安定したかと思えばそこから崩壊、堕落が始まり、更に下のグレードへと権力は向かっていくが、国家や大局的な政治の概念は、民主化とともに貧相になっていくとも言っているのである。

振り返って日本の在り様を鑑みるに、太平洋戦争を境界に立憲君主政治から自民党政治へと移行し、そこから昨年は民主党政権へ移行して行った過程を見ると、この2300年も前の学者の言うことが、古代政治学どころか近代政治学の最先端のような輝きを持っているように私は感じるのであり、基本的に日本には大変微弱では有るが、立憲君主制も残されている。

もし日本に完全なる政治の不信が起こり、また巨大災害によって政府が瓦解したら、その時日本国民は誰を頼るだろうかを考えると、また政治を100年の単位で考えるなら、アリストテレスの言葉は決して軽いものではないように思うのである。

ただ惜しむらくは、こうした循環論が事実となるか否を自分の目で確かめることが出来ない、このことが少し心残りとなろうか・・・。







「冤罪はかくて作られる」Ⅱ

この裁判、恐らく上村勉被告人の証言がぐらつき始めていることを考えると、検察側は控訴できないだろう。

唯一の証拠である上村被告の供述調書が信頼を失った現在、作られた罪は元の「無」に戻ったのであり、事実上これで村木厚子氏の無罪は確定になると考えられるが、こうした現実の一方で今回の裁判が社会にもたらす意味は大変大きなものがある。

言うなれば少なくともここ30年から50年、場合によってはもっと長きに渡って、これから司法のあり方が変化していく、その分岐点ともなった裁判であることを、私たちは認識しておかなければならない。

本来裁判のありようとして、特に刑事訴訟法では、罪はその公判によって浮き彫りにされるのが正しいありようと言うものであり、検察の供述調書などいわばその他多くの証拠の1つ、場合によっては参考にする程度のものでしかないことが法的にも定められているが、これまでの裁判ではいかにこの供述調書が偏重されてきたことだろう。

事実上裁判所は供述調書、自白調書を決定的な証拠としてこれまで裁判を行ってきたが、これは現実には裁判の独立を放棄し、またその義務に対して怠惰であったことの証明でもある。

裁判の実態は、捜査のプロである検察が調べたものはまず間違いが無いだろう、では判決は・・・、と言うケースが殆どだった訳で、この意味から言えばこれまでの裁判は検察で大まかな判決が出て、裁判所がそれを追認すると言う形でしかなかった。

刑事訴追を受けた被告の裁判では、第一審がほぼ100%有罪になるが、これでは審理を尽くしているとは到底言いがたいものだった。

だが今回の判決で、裁判長は検察当局の供述調書を完全に否定し、同じ事情を知る立場にある、つまり関係者の一人が供述した調書には証拠能力が無いことを明言したのであり、かつ検察のシナリオを供述者に押し付け、そこから半ば脅迫や騙しで得られた調書には証拠能力が無いことを示したのである。

これは当然といえば当然のことだったが、長らく慣例化したこれまでの司法制度の中では、こんな当たり前のことすらも動かすことが出来なかった。

しかし今回の判決を見る限り、国民が裁判員制度で裁判に参加すると言うことが、従来からの裁判の有り様に少なからず影響を与えたのは事実だろう。

慣習化し馴れ合いになっていた検察と裁判所の関係の中で、少なくとも常識的な民間の感覚が、歪んだままになっていた裁判所に、「これではいけない、司法の中心が検察では無く裁判所に有るのだ」と言うことを自覚させるものとなった結果が、今回の判決であるように思える。

またこうした事からこれまでの裁判、検察、民衆のあり方を考えると、一つの流れとして1976年、田中角栄元総理が逮捕されたロッキード事件に端を発した国家権力や、強大な経済力に対する不信感と言うものは、その後1990年代初頭に始まったバブル崩壊で、完全に反転したものが正当化される風潮を生んでいったように思える。

即ち解決の付かない経済の落ち込みに対して具体的解決策が無いことから、政治家は離れたディテールをして自己主張するしかなくなって行った。

誠実であること、優しい事、クリーンであることは決して政治家の要諦ではないが、強権、金権に対して政治家はその身なり素性の潔白なことをして自己の価値とし、また民衆もこうした政治家のありようを求めたが、一方でこの状況は1789年に始まったフランス革命後の恐怖政治の様相、1976年に終結した中国の「文化大革命」時の民衆の有り方に酷似している面があった。

つまり社会が魔女狩り的に大きな資本や、強大な権力を悪とする風潮にあって、これが1993年、この年の12月16日には奇しくもロッキード事件の田中角栄元総理が亡くなっているが、ここから更に細部の権力に対してまで、民衆が目を光らす傾向になって行った。

つまりは落ち込み疲弊する経済の中で、民衆の中から「平等」と言うものに対する価値観の偏重が生まれ、事実上僻みでしかないものが、正当化される社会となっていく。

そしてこうした社会の変化の中で、微妙に影響を受けた検察庁と言うもののあり方としても、民衆世論を意識し始め、これに迎合するかのように「利益を出している者」「大きな権力を持つ者」に対する疑惑観念が芽生えてきていた。

その流れの今日的な一つの結果が、民主党小沢一郎代議士の政治資金疑惑だったが、どうにも小沢氏は責めることが出来ない。
そこで同じ権力ならと言う思いが、今回の村木厚子氏に対する事件捏造に繋がった思いがするのである。

だからこれはある種今の民衆が望むことに対して、社会の風潮と言うものに対して、微妙に影響を受けてしまった検察の勇み足だったと言う側面も持っているように感じるし、またこうした経緯から裁判所が裁判員と言う新制度を意識したがゆえに、これまでの検察捜査のありようを否定すると言う、つまりは国家に対して相対的に力を増し始めてきた民衆の功罪が、一度に噴出したものでもある様に感じるのである。

その上で裁判所は「権力の座にある者は全て悪とは限らない」と言う判決を出したのであり、このことは少なくとも私の思いとしては、これまで支配的だった民衆の平等意識や、ロッキード事件以降続いてきた「大きな者に対する悪視感」が変遷して来ているようにも見えるのである。

村木厚子氏に対しては「長妻昭」厚生労働大臣が、検察の控訴がなければ、しかるべきポストでの復帰を約束しているが、同氏が失ったものは限りなく大きく深いことだろう。

一刻も早い復帰を希望するとともに、私はこの裁判を大きな節目として、生涯この村木厚子と言う女性の有り様を忘れないし、また大阪地裁のことも忘れないだろう・・・。







プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

月別アーカイブ