Ⅱ・「何か天変地異でも起こって・・・」

そして全ての事象の発生要因について、実は全ての事象にはその発生意義がない。

全て意味がないのだが、それゆえに事象が発生するときは、それを発生させようとする力と、発生させまいとする力が働くことから臨界点が存在するが、この臨界点の内側に留まるか否かは、僅かな力によって左右される。

地震が発生するとき加わる力は、プレートに溜まったストレスがそれを解消しようとして起こるが、臨界点まで耐えているストレスを解消させまいとする力の、その最後の臨界点寸前に加わる力は、地上の人間のくしゃみと変わらぬほどの微妙なものかも知れない。

また宇宙から降り注ぐ宇宙線の中には、光量子が当たっただけでも、即ち人間が見ただけでも吹っ飛んでしまうものがある。

このことから、地球で起こる災害や戦争、政情不安などの発生原因を、もしかしたら人間や生物が持つ意識作用、その事象への干渉に求める考え方を「群集意識事象発生論」と言う。

世界的に文明が発生した時期は、何故か世界のあらゆる地域で相互に非干渉な文明が発生してくる。
どこか一箇所で何かが発見されると、同じようなものが別の離れた地域からも発見される。

発明も然りだ、所詮人間の考えることは皆同じと言えばそれまでだが、こうした傾向の背景には、特定の数の人間が考え始めたことは、離れた地域にも何らかの作用によって伝播され、そしてそれが更に一定の数を超えた場合、もしかしたら現実に起こってしまうことがあるのではないだろうか。

例えば日本の大きな地震の歴史を見ても、1703年には「元禄地震」が発生しているが、元禄の華やかな響きとは裏腹に、この時期は悪名高い徳川綱吉(とくがわ・つなよし)の「生類憐れみの令」によって、猫が死んでも人が斬首の刑になる時代が20年近くも続き、民衆の中には口には出さずとも「綱吉、死んでくれ」「何でも良い、とんでもないことが起こって、今の状況を変えてくれ」と言う思いが渦巻いていた。

この4年後、1707年には更にマグニチュード8・4の「宝永地震」が発生し、2年後の1709年には徳川綱吉が死去している。

1854年の「安政地震」、1855年の「安政江戸地震」でも、やはり1853年、浦賀に現れたペリー提督の4隻の軍艦を目にした民衆の混乱は、やがて幕府の話にならない在り様から、絶望感へと繋がって行き、やはり「何でも良い何か起こって、この状態を何とかしてくれ」と言う思いが渦巻いていた時期だった。

また1923年に発生した「関東大地震」、マグニチュード7・9では、意外に思うかも知れないが、実はこの地震発生を歓迎していた、また待っていたと評する人間の多さである。
殆どの物書きは「関東大地震」が来るのは当然だと思っていたと言う手記を残している。

拝金主義に貧富の差、金のためなら何でもするような日本の在り様、また極度の政治不信が発生し、第一次世界大戦の臨時景気が終わり、不景気を迎えていた日本はスーパーインフレに見舞われ、米不足からあちこちで暴動が発生していた。

もはや政治に自浄能力は期待すべくもなく、民衆の意見など届くはずもなく、従って1918年頃から日本国内では、「何か天変地異でもなければ、この国は腐ってしまう」との思いが大衆の中に渦巻いていた。

そして現在の日本の状況を鑑みるとき、ここに非公式なものだが、衝撃的なアンケートがある。

50歳以下の若手、中堅労働者の意識調査の一部だが、50歳以下の男性労働者の55%は「天変地異が来て日本がリセットされることを、心のどこかで望んだことがあるか」との質問に対して、「そう思ったことがある」と回答したのである。

霧島連山、新燃岳が噴火し、気象変動にH5N1、鳥インフルエンザが空から不気味に下を伺い、東海地震も、関東地震もその周期を少し過ぎているくらいだ。

遠く霧島連山から離れたところでも観測されているドーンと言う音の「空気振動」、海藻が生えない海底・・・、何とも嫌な予感がする。

人間はその自身の力ではどう有ってもあがなうことができない問題に直面したとき、その解決を自然に求めるものなのかも知れない。

そしてその自然の解決とは破壊であって、そこには憐憫の情など微塵も無い。

確かパンドラの箱は開けてしまうと、そこから災いが広がるが、その箱の底には希望の粒が転がっていたように記憶しているのだが・・・。




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Ⅰ・「外に開かれた情報」

宮崎県串間市、石波海岸の沖合いにある幸島(こうじま)、ここには京都大学霊長類研究所が設置され、サルの行動を観察することから、人間も含めた霊長類の研究がなされているが、この島に生息するサルたちはその集団社会の中で色んな行動的進化を身に付けていった。

その中でやがて与えられた餌のイモを海水で洗って食べるサルが出現し始め、そうした傾向はどんどん他のサルたちにも広まっていったが、こうした行動をするサルたちが100匹前後にまで増えていった時、何故かこの幸島から遠く離れた、日本の他の地域に生息するサルたちの中にもイモを洗って食べるサルが出現し始める。

勿論幸島は無人島であり、他の地域からは断絶状態にあるのだが、ではどうして日本の他の地域のサルたちが、幸島のサルたちが獲得した習性を認知することができたのだろうか。

この現象に付随して、ここからは理論の域でしかないが、一部の環境進化論研究者が唱えた説によれば、「集団幻想伝達」と言うコミュニケーションシステムが存在するのではないか、つまり生物には言語や語彙伝達以外のコミュニケーションがあるのではないかと言う理論が語られ始めた。

そしてこうした理論の中には、発生する現象にも干渉する集団意識の理論も出現していたのだが、残念なことにこうした理論はその実証性がなく、その後は停滞したままになっている。

そこで今回こうした理論の整理と、さらには発展的理論をこの記事で加えてみようと考える。

そもそもこうした考え方の名称だが、初期は「集団幻想実現論」などと日本約された名称が用いられたが、これでは正確にこの理論を現す表現とはならないので、私は「群集意識事象発生論」と改称した。

そしてここで定義されることは、非接触コミュニケーションであり、こうしたコミュニケーションがあらゆる事象に干渉する、その影響と言うものを更に深く考えてみたい。

まずどうして幸島のサルが獲得した新しい習性を何百キロも離れたサルが、同じように獲得できるかについて、これには3つの考え方が存在するが、その一つは同種族の生物には非意識的意識の共有と言う考え方がある。

同種の生物のその全体をして一つと考えるなら、一つ一つの個体はあらゆる情報を集積し、全体に対して薄く弱く種族防衛に寄与している側面も有ることから、ここに組み込まれたシステム、つまり脳意識が特定の数の個体で変化していくと、全体が変化していくのではないかと言う考え方だ。

この考え方で行くと、同種の生物はどんなに離れていても何らかの形で繋がっていることになる。

また二つ目には伝達される意識を表現する場合には音声や、視覚、触覚などの五感に意識が表現転換されなければ、自分以外に情報が伝えられないが、意識そのものを考えたとき、この作用が時間経過を問わない場合、即ち空間的な距離の制約がないとするなら、言葉でもなく、画像でもない情報が、瞬時に離れた地域の同種族に伝わる事になる。

簡単に言えば、幸島のサルがイモを洗う姿を、他の地域のサルが偶然に夢に見ることでも、情報は伝わると言うことであり、こうした伝達手段も存在する可能があるのかも知れない。

更に三つ目、ここでは環境伝達と言う考え方が出てくる。

例えば道の真ん中に大きな石が転がっていて、それを持ち上げることができるか否かは、自分が判断しているように思うかも知れないが、実はその判断をさせているものの本質は、「石が発している情報」による。

石はその形状や容積、表面のテクスチャーなどの情報を、存在していることで発していて、その情報は常に開かれた状態にあって、それを情報が開かれていることを認識できる空間まで接触した時点で、人間に石の情報が伝えられる。

つまり我々の世界は、こうした物質とその情報によって隙間なくはめ込まれたパズルに中に自身の存在があって、常に物質や生物の情報に接触していることを鑑みるなら、一つの情報はあらゆる隣接する開かれた情報の上を流れて行く場合も考えられ、これが環境伝達と言う考え方だが、こうした情報の伝達手段も存在するのではないかと考えられる。

                 Ⅱ・「何か天変地異でも起こって・・・」に続く



Ⅱ.「ブルーオーシャン」

人気のある商品と言うものは、その人気ゆえに人の心、またその冷静な判断を奪うものであり、非効率性や大変な労力は華やかさによって麻痺させられ、名声や評判と言った、本来利益とは無関係なものに価値を求めていく傾向を作ってしまうが、このことに気が付くのは全てが終わってしまってからである。

それゆえ古今東西の歴史書、また処世術を語る記録は、人間がその絶頂期にあることを一番の危機と考えよと諭すが、こうしたことを実践できる者は大変少ない。

人気がある商品や技術には、そもそもの需要が備わっているが、それにこぞってメーカーが参入した場合、そこでは仮想の需要を巡って実際には熾烈な競争が発生し、この場合の勝者は常に巨大資本となる。

この状況を「レッドオーシャン」(熱い海)と言うが、人気があることは即ち利益を出すと言うこととは別のものであり、その需要は必ずそれぞれのメーカーによって独自の需要が見込まれることから、「重複需要」となっている。

従って資本が他の企業より劣る者、競争力のない者は初めからそこへは参入してはならないはずだが、実際には「そこが儲かる」と聞けば、皆がこぞって集まってしまう愚かな習性が人間には存在している。

昨今の自動車産業を鑑みるに、どのメーカーもこぞってハイブリッド技術、電気自動車技術にその主眼が集中し、そこでは熾烈な競争が繰り広げされているが、日本の自動車メーカーで唯一こうした動きとは逆の、比較的競争の少ない方向、つまりはブルーオシャン(非競争市場)にいるのが「マツダ」である。

世界的な傾向として、ハイブリッド自動車などの開発では電気で動く技術に注目が集まり、この分野では大変な技術競争が始まっているが、では実際に自動車のエンジン性能を上げることで低燃費をはかる技術開発はと言うと、どのメーカーでも華やかな電気部分に目を捉われ、何の開発も行なわれていない。

こうした中で「マツダ」は自動車の基本性能であるエンジンを研究開発し、2010年10月、「SKYACTIV-G」(スカイアクティブG)エンジンを公開したが、このエンジンは高圧縮比14・0を実現し、大変力強い中に燃費性能も従来より15%アップさせている。

これによって例えばマツダ車の1300ccクラスの乗用車は、既にハイブリッドではなくてもガソリン1リットル当たり、23kmを超える距離を走ることができる低燃費車を実現させているのである。

面白いことだが、こうしたマツダの有り様を見ていると、どこかでは1984年の富士フィルムの有り様が重なって見えてくる。

自動車産業はやがて電気自動車に向かうことは間違いがない。
しかし現実に電気自動車が一般に普及できる価格になるまで、また電気だけで走れる継続移動距離が現在のガソリン車並みになるまでには、まだ10年近い時間がかかるだろう。

だとしたらそれまではガソリンと電気が補完し合って走行する、ハイブリッド車の市場は10年間は安泰と言う事になる。

そして世界中の自動車メーカーが開発に躍起になってるのが電気部門で、エンジン部門は誰も見向きもしていないとしたら、レッドオーシャンの中で電気部門の競争が激化し、そこから更なる技術も生まれてくるだろう。

だが基本はガソリンで走る訳だから、エンジン性能を向上させて燃費アップをはかっておけば、最後に完成された電気技術を搭載することによって、マツダは他のメーカーを超える燃費性能車を生産出来ることになる。

つまりは熾烈な電気部門をその他大勢のメーカーに任せ、自分はエンジン性能を向上させる方向のみに資本を集中させることができ、やがて電気部門のレッドオーシャンが終われば、もしかしたら「一人勝ち」の状況が期待できるのである。

そう上手く行くかはともかく、マツダは同じようにディーゼルエンジンの開発も行っていて、ここでは信じられない低公害エンジンの開発が行われている。

余り着目はされないが、自動車は乗用車のみが市場ではなく、コンピューター社会の出現によって、より細部に渡る輸送時代が訪れつつあることを考えるなら、輸送用車両としてのディーゼルエンジン市場は拡大方向にありながら、世界の自動車メーカーはこの分野もやはり見落としている。

例えば100の需要が有ったとしても、そこに200のメーカーが集まっていれば、需要は0・5しかなく、そこでは価格競争と言うデフレーションが起こるが、たった20しか需要がなくても、2社しかメーカーが存在しなければ、その需要は10と言う事になり、尚且つその100と20が将来併用できるものであるとしたら、100の市場を目指すよりは、20の市場を目指す方が賢い在り様と言うものであり、この場合20の市場を目指した者が、最終的には100の市場を独占的支配することも可能性としては有り得る。

世界経済、取り分け日本経済はどうも見た目の華やかさや、目先の利益に翻弄されている傾向があるが、目先の利益を追うなら徹底的に、遠い先の利益を目指すなら、したたかに「他の力」を使ってでも逃げ切ってやろうと言う覚悟が必要である。

政府から補助と言うお恵みを頂いている、またはそれを当てにしているようでは、それは企業ではなく、「企業もどき」と言うものであり、そうしたものはいずれ大きくなっても自重で崩れていく「砂の城」でしかないが、そうした多くの「企業もどき」に混じって、富士フィルムやマツダなどの企業が存在する事実は、日本の大いなる救い、希望と言うべきものかも知れない・・・。





Ⅰ・「10年後に滅びるなら・・・」

もっとも大きな利益は、もっとも大きなリスクの隣にある。
それゆえ戦争にまつわる物品を扱う者はもっとも大きな利益を得易いが、もう一つ、例えば10年後に滅亡するだろう時はどうするか。

「もうだめだ」と言って諦めるか・・・。
1984年、10年後に滅亡することが分ったとき、これに果敢に挑戦し、その10年で大きな利益を出してやろうと立ち上がった企業が存在した。

1975年にイーストマン・コダック社が世界初のデジタルカメラの開発に成功し、その後1981年には「ソニー」が「マビカ」の製品化に成功、この方式は現在のデジタルカメラとは少し概念が異なるものの、アナログFMを記録する電子カメラと言う事で、後に電子スチルカメラとも呼ばれたが、1984年、大手カメラメーカーのキャノンが2インチディスクフロッピーを記録媒体とする、デジタルカメラの商品化に着手したとの情報を入手した富士写真フィルム株式会社では、自社の今後の方針を決めるべく、商品開発会議が開かれた。

この会議で出された意見の大勢は、既にソニーやキャノンといったメーカーが、開発を始めているデジタルカメラの市場はやがて拡大し、そして恐らく10年後にはフィルムカメラの市場は壊滅するだろうと言う予測だった。

それゆえデジタルカメラの開発の必要性と、商品開発は急務とされたが、ここで一人の開発担当者が面白いことを言い始める。

うち(富士フィルム)が会議で、こうしてデジタルカメラの開発に移行すると言う意見で大勢を占めるのだから、他のメーカーも同じことを考えているはずで、そうした意味では確かに10年後にはフィルムカメラはなくなるかも知れませんが、今後10年間は試行錯誤で、完全な形のデジタルカメラは出ないと言うことではないでしょうか。

だとしたらフィルムカメラはこの10年間は間違いなく売れると言うことで、我々はフィルム会社ですから、他のメーカーが手を引いていく分野で、10年間は勝負ができると考えられるのですが、どうでしょうか。

「待ちたまえ、君は何を言っているんだ、10年後には市場がなくなるんだぞ」
端末の開発部社員の意見に販促部次長が早速反対意見を述べる。
だがしかし、こうした販促部の意見を制止したのは専務取締り役だった。

「売り逃げか・・・」
「なるほど売り逃げなぁ・・・」
専務の言葉に社長が思わず口元を緩める。

こうしてこの商品開発会議ではデジタルカメラの開発と共に、フィルムカメラの開発も承認されることになった。
そして富士フィルム商品開発部では更に凄まじいことが考えられていた。

「うちはフィルムメーカーだ、だからフィルムを売って利益を出すのが筋と言うものだ」、このコンセプトに徹底した商品開発の素案は、デジタルカメラの分野とは別に、「使い捨てカメラ」の開発計画を持っていたのである。

かくして1985年、ついに従来カメラを持っていなければ写真が写せなかったことから、どうしても写真が抜け出せなかった「特殊性」から、カメラを持っていなくても「フィルムを買えば写真が写せる」フィルム付きカメラ、いや正確には世界最初のカメラ付きフィルムが誕生したのであり、ここに写真はカメラを持っていなくても写せる「汎用性」をその手中に収めたのである。

そして開発されたフィルム付きカメラには、その当時流行していたア二メーションキャラクターである「忍者ハットリ君」をもじって、「ハッ撮り君」と言うネーミングしか思いつかなかった開発担当者、さしたるアイディアも思いつかないまま、完成品を上層部に見せに行ったおり、紙のボックスと言う外観から、販促部の役員の一人が「そんなもので本当に写真が写るのか」と発言したことから、とっさに名前は「写るんです」でどうでしょうかと言ってしまい、それは良いと言うことで、この場で「写ルンです」と言うネーミングが決まってしまう。

1986年から発売されたこのカメラ付きフィルム、その後この「写ルンです」が爆発的な売れ行きを記録したことは、今更説明する必要は無いだろう。

10年後に滅びるとしたら・・・、そこで諦めるか、挑戦するかでも未来は変わって行く。

自分が何者かを良く見極め、滅びるとしても、その滅びる間もチャンスは広がっていることを見逃さなかった富士フィルムの商品開発部、彼等は「写るんです」で得た膨大な資金を元に、同時並行になっていたデジタルカメラの開発を急ぎ、1988年、FMアナログ記録ではない完全デジタル記録のカメラ、つまり現在の概念と同じデジタルカメラである「FUJIX・DS1P」を発売、次いで1993年、記録媒体としてフラッシュメモリーを採用した「FUJIX・DS200F」を発売するが、いずれも世界最初の普及価格帯デジタルカメラ、世界最初の汎用性フラッシュメモリー方式だったのである。

「我々は10年後はフィルムカメラがなくなることを予測していました」

「そしてそれはフィルム市場がなくなることを意味していましたが、でもそれは逆に考えれば、10年間は売れることを意味していました・・・」

当時「写ルンです」の開発に携わっていた開発者の1人は、薄い水割りを一口飲み乾すと、少しだけ誇らしげに笑った・・・。


                        Ⅱ・「ブルーオーシャン」に続く





「私、行政サービスの者です」・Ⅱ

日本の国家公務員数は検索すると理解できるかも知れないが、結構分かりにくい分類がされていて、分かり易い資料が出てくるのはグラフが一枚だけ、それによると現在の国家公務員数は32万人と言う事になっているが、これには自衛隊が入っておらず、また出先機関や法人化された大学の教職員などは入っていない。

こうしたことから正確な数字は不明なものとなっているが、公務員と看做される者を全て含めると、実は100万人を軽く突破している可能性が高い。

また地方公務員数に付いても、現在は最大だった320万人を下回る280万人となっているが、これも現実には公務員と看做される者を含めると、全く減少しておらず、結果として現在も事実上の地方公務員数は320万人のままであり、こうした資料も検索では中々分かり易いものが出てこない仕組みとなっている。

日本の労働人口は6252万人となっている。

しかしこのうち665万人は医療福祉関係の職業であり、電気通信産業、郵政事業など国家や行政と強い関連性のあるものまでが、名目上一般企業とされていることを鑑みるなら、実際に国家や行政の下部組織的企業ではない企業のへの就職者は、5000万人前半でしか無い可能性がある。

つまり日本の人口1億2756万人の内、一般企業労働人口は5200万人しか存在せず、1000万人が公務員かそれに順ずる立場の状況に有ると言うことで、これは単純に考えても、日本国民の10人に1人が公務員かそれに順ずるものであると言う事になり、冒頭の話では一家に一人の行政サービスだったが、事実上現在でも2家庭に1名の行政サービスが存在しているのと同じなのである。

そして行政サービスとは本来生産性とは逆の発想のものであり、日本は労働人口の5分の1ないし、6分の1をこうした生産性の無い労働サービスに裂いているのだから、その生産性が悪いのは当然と言え、おかしな話だが、今まで散々日本の財政赤字が指摘されながら、消費税の増税議論は湧き起こっても、一向に公務員数の削減や議員数の削減が議論として定着しなかった背景には、評論家や識者と言われる者の殆どが、大学教授やその関係者だったからであり、これでは当然公務員の削減論など出てこないはずである。

我々は識者や評論家を公平中立なものとして概念し続けてきた面があるが、それは確かに太平洋戦争終戦後の暫くはそんな部分も有っただろうが、現在に至って誇りを失った大学と、そこに在籍する職員の意識低下は「自分達の身を守ること」にしか繋がっていないのであり、この点で言うなら泥棒に防犯についての意見を求めているようなものだったと言うべきだろう。

従ってもはや評論家や識者の増税論はつまり、こうした立場の者が理想とする議論でしかなく、そこに国家や国民に対する意識などは存在していないことを、民衆は自覚する必要があるかも知れない。
高齢化社会が進行する現実の中、社会保障制度の改革を巡って、昨今あちこちの大学教授や准教授が消費税の増税論を持ち出しているが、これは誤りである。

国家支出を鑑みるとき、真っ先に考えなければならないのは「生産性の無い支出」、つまりは行政サービスの人件費と、国会議員や地方議員の報酬削減か、無報酬化であり、これが政治家の国家国民に対する責任と言うものである。

その議論が無く、なし崩し的に消費税の増税を謳う者は、基本的に自身の保身しか考えていない者であり、そのような者があたかも知識人、識者として公に意見を言うなど、まことにおこがましいことでしかない。

更にこれは国民の目を欺いているとしか考えられないが、労働人口に措ける公務員やそれに近い形態の労働従事者の比率は、名目上の公務員数が減れば、一般労働人口にこれが組み入れられると言う仕組みであり、これによって我々国民は実際よりも水増しされた一般労働人口数を、労働人口と錯誤させられている可能性がある。

国家統計による生産性を有する労働人口より、実際の生産性労働人口は6分の1少ない可能性が出てくるのである。

この国を救うのは政府でも政治家でも官僚でもない。
最高学府の知識人でもなければ、突然現れる「英雄」でもない。
日本を日本で有らしめることができるのは日本国民、私達自身でしかない・・・・。






「私、行政サービスの者です」・Ⅰ

「あれっ、もう無くなってしまったのか」

ガサガサと袋をまさぐる亭主の手は、ついに奥の奥まで指を伸ばしても、そこにポテトチップスの破片すら掴み取ることはできず、仕方なく缶ビールを傾けるが、その缶ビールも幾ら傾きを強くしても僅かに雫が1、2滴・・・。

「おい、何だどうしてこうも最近のポテトチップスやビールは量が少ないんだ」
「あんた、仕方ないわよ、こんなに景気が悪くて、それに外国から来る小麦や油はどんどん値上がりですもの、色んなものが減量に次ぐ減量なのよ」

ぶつぶつぼやく亭主から缶ビールの空き缶と、ポテトチップスの空き袋を取り上げた妻は、そう言って亭主をなだめると台所へ入って行った。
「ちぇっ、増量なのは女房の体重だけかい」
「なんか言った~・・・」
「いえ、何も申しておりませんです、はい」

そして翌日、そろそろ亭主や子供達が会社や学校へ出かけようと言う頃、この家に一人の青年が訪ねてくる。
「何か御用でしょうか・・・」
見慣れぬ青年におずおずと尋ねる妻、それに対していかにも爽やかな青年はこう答える。
「私、市民サービス課の松下と申します」

「先月国会で決まりました、一家に一人行政サービス法案によって、倉井様のご家庭のサービスを担当させて頂く事になりました」

「えっ、一家に一人行政サービス、ですか・・・」
「はい、さようです。9時から5時までですが、何でも申しつけください」
「ほー、本当に始まったんだな」
戸惑う妻の後ろから亭主が話しに割り込む。

「確か、行政サービスの充実をはかる為に、この際だから一家に一人公務員を派遣することに決まったと聞いていたが、本当だったんだな」
「流石はご亭主、良くご存知ですね。そのために消費税は今月から20%に引き上げられますが、これで国民の皆様へのサービスは格段に充実します」

「ふーん、そうか、で何をしてくれるんだ」

「何でもでございますが、一応私共も人権と言うものがございまして、これを超えてのサービスはご遠慮頂くことになっておりますが、これが詳しいパンフレットでございます」
青年はうやうやしく、亭主にパンフレットを差し出した。

「分かった、帰ったら読んどくよ」
「お仕事ご苦労様です、行ってらっしゃいませ」

青年は早速妻に代わって亭主を見送り、子供達も送り出したが、最初は戸惑っていた妻も税金を払っていることを考えるなら、ここは使わないと損だと言う感じがしてきて、台所の後片付けや洗濯、そして買い物やトイレ掃除にまで行政サービスを使うようになり、数日後には肩を揉ませたり、自分が所属しているボランティアサークルが行っている、海岸のゴミ拾いにまで山下青年を代理として送り込むようになって行った。

またこうした傾向は亭主や子供達にまでも蔓延し、色んなことを行政サービスに押し付けて行った事から、行政サービスの山下青年は9時から5時までに全ての依頼をこなすことができず、どんどん仕事が溜まって行ったが、それに対してこの倉井家の家族全員がやがて不満を言い出す。

「ちょっと、洗濯物が取り込んでないじゃない、サボってるんじゃない」
「いえ、奥様、今日は雨でして、それで洗濯物は乾かなかっただけでして・・・」
「ちょっと、私は税金払ってるのよ、それを何とかするのが、行政サービスってもんでしょ」

「山下君、昼間頼んでおいた顧客用の案内資料の作成、終わってないじゃないか」
「山下さん、卒論の資料集め、まだなの」

「あっ、済みません5時ですので、私はこれで帰ります。苦情の方は明日お伺いすると言うことで、ではこれで・・・」

さっさと引き上げる山下青年、これに対して倉井家の家族は「行政の怠慢だ」と言う事で不満が爆発していたが、この傾向はやがて全国的な動きとなり、そこで政府は行政サービスを一家に二人まで増員する法案を可決し、その代わりに消費税は40%に引き上げることにした。

そして翌月からは倉井家には男女それぞれ1名ずつ、都合2名の行政サービスがやってきたが、消費税だけでも40%と言う状況から家計がひっ迫してきた倉井家、仕方なく大学に通っていた2人の子供まで大学を辞めさせ、それで2人の子供たちは働くことになったが、その就職先は○○市の行政サービス課であり、職場は上の兄が4軒隣の「末田家」、下の妹がその2軒隣の「田和家」と決まり、親子して通勤地が近くて良かったねと大喜びだった・・・。

                    「私、行政サービスの者です」・Ⅱに続く









「あー苦しかった」・Ⅲ

私は須加利村に住む坂上百合子と申します。
10年ほど前から脊髄の病気を患い、ギブスをつけたまま、寝た姿勢でいなければならないので動く事はできませんが、先日夢と言いましょうか、奇妙な経験をしました。

寝ていると自分が青い光になったような気分がして、それから青い光になった私は自分の部屋の窓からスーッと空中に出て行きました。

それから森を抜けて尾鷲の方に飛んで行ったのですが、始めは暗くて何も見えませんでした。
しかしやがてその暗闇の中に、若い男女が何事か話しているのが見えました。
やがて若い男の方が女に首をくくらせ、それを力いっぱい引っ張って殺してしまいました。

何か助けることはできないかとも思ったのですが、青い光の自分ではどうしようもなく、仕方ないのでその女を殺した男の後をつけて、住所とかかっていた表札の名前を覚えてきました。

何も無ければ幸いなのですが、もし何か関係することが起こりましたときは、その犯人の名前は「河瀬三千夫」(仮名・28歳)と言う男が関係しているかも知れません。ちなみにこの男の住所は・・・・ 草々。

手紙を読み終えた倉田刑事は「そんな馬鹿な・・・」と思ったが、それでも状況として余りにも近いものがあることから、早速手紙に記されていた「河瀬三千夫」を訪ねた。
河瀬は木材会社の事務員をしている男で、倉田刑事は彼が会社の独身者寮に帰ってくるのを待っていたが、やがて仕事を終えて帰ってきた河瀬は、倉田刑事の姿を見るなり突然逃げ出してしまう。

馬鹿な男だ、逃げ出さなければそれとすぐに分かることもなかろうに、河瀬は必死になって逃げようとし、それを倉田刑事が追いかける。
「奇妙なことだが、逃げ出したところを見ると、河瀬が春美さん殺しの犯人なのか・・・」
倉田刑事は何とも言えぬ思いで河瀬を追いかけ、やがて河瀬を捕らえて手錠をかけた。

「あの女が悪いんです」
「あの女は俺から金を無心しては、他の男につぎ込んでいた」
「悪いのはあの女だ!」
倉田刑事に捕えられた河瀬は、絶叫した。

そして県警へ連行された河瀬三千夫、彼は意外にあっさりと春美さん殺しを認めたが、そのいきさつはこうだ・・・。

河瀬は元々春美さんのことが好きで、それで足しげく小料理屋へも通っていたが、どう見ても「佐伯義夫」と比べれば見劣りがする貧相さがあり、それで春美さんは店の客としてしか河瀬を扱っていなかったが、そんな河瀬に春美さんは時々金を無心していた。

河瀬にとっては金を貸してくれと頼まれるほどの関係、それほど頼りにされているのかと思って、始めは快く金を貸していたが、やがてどうやらその金は春美さんが本当に好きだった、佐伯義夫との密会に使われていることが分かってきた。

事件の夜も、9時近くなって小料理屋へ顔を出した河瀬は、そこでまた体よく春美さんから金を貸してくれと頼まれる。

その少し前まで店にいた佐伯義夫は、明日から名古屋に出張することを春美さんに告げていたが、こうした出張の度に春美さんは佐伯の出張先へと出かけ、そこで2人は関係を続けていたのだが、こんなことをしていれば金がなくなるのは当然のことで、そこで春美さんは同僚の「朝井美津子」さんや、河瀬から借金をしていたのだった。

その夜も、明日から名古屋に出かける佐伯に同行しようと、春美さんはまず「朝井美津子」さんから借金をし、それでも足りなかったことから、今度は夜9時過ぎに店に来た河瀬からも借金をしようとしたが、既に佐伯義夫との関係を知っている河瀬は、自分の事が好きかどうかと春美さんに尋ね、金欲しさに「好きだ」と答える春美さんに、「そんなに好きなら一緒に心中する覚悟があるのかどうか見せてくれ、今日は給料日だからもしそうしてくれたら、給料全部貸しても良い」と言い始める。

河瀬は春美さんが憎かった、他の男の為に好きでもない自分の事を好きだと言い、そして金を騙し取ろうとしている春美さんを殺そうとこの時思い始めていた、いやもしかしたら河瀬は途中まで本当に心中するつもりだったかも知れないが、こうして2人は尾鷲海岸沿いの草むらの中に立つ雑木の下を訪れ、そこで真似だけだからと言う河瀬の言葉に従って、春美さんは腰紐で首をくくる真似をするが、急にとてつもなく悲しくなってしまった河瀬は、その腰紐を力の限り引っ張ってしまっていた。

始めはどたばたと暴れる春美さん。
だがしかし、やがて静かになった春美さんの素足の先から、失禁によって流れ出た尿のしずくがぽたぽたと地面に落ちて行った。

河瀬は腰紐の先を近くの枝に結びつけると、走るようにその草むらから海岸通りへと出て、そこから少し離れたところでタクシー会社を見つけると、タクシーを頼んで寮まで帰って行ったのだった。

これが事件の全貌である。

1960年代末に起きた悲しい男と女の事件はこうして解決したが、後に手紙をくれた「坂上百合子」さんを訪ねた倉田刑事は、彼女のおかげで事件が解決したことに対して礼を言う傍ら、更に詳しい話を聞いたが、坂上百合子さんはその日、昼間から有った高熱が夕方にはすっかり引いてきて逆に気持ち良くなり、やがては自分が薄っぺらくなるような感じがして、それから自分が青い光になって、事件の一部始終を見ることになったと証言した。

そして倉田刑事は、くだんの尾鷲海岸近くのタクシー会社へも出向いて、河瀬を乗せた運転手にも面会したが、そのタクシーの運転手は河瀬を乗せて走っている間中、後ろから青白い人魂がついてくるのを確認していて、それでタクシーの運転手も「これは何か訳有りだな」と思っていたと証言したのだった・・・・。




「あー苦しかった」・Ⅱ

そして同じ三重県で起こった事件、こちらは殺人事件だが、三重県尾鷲市の海岸沿いにある、大きな旅館に勤めている女中の「高田芳江」さん(仮名、27歳)は、その朝、海岸に向いている雨戸を開けて準備しようとしていたが、そのおり何気なく下の方を見ると、下は海岸通りから少し向うに広がっている草むらで、そこには草むらの中に雑木が何本か立っていたが、今朝は何かおかしい、普段とは少し違う色合いのものが見えた。

草むらの雑木の1本に寄り添うようにして、白っぽい着物を着た女が首をうなだれ、全く動く様子がない感じだった。
「おかしい・・・」、芳江さんは慌てて、もう少し良く見える部屋まで移動して、そこから様子を伺ったが、その目に飛び込んできたものは、木の枝から女の首に繋がった紐であり、女の素足は地面から離れていたのだった。

旅館から通報を受け、早速警察の捜査が始まったが、当初は自殺と見られていたこの女性の死体、しかし前日の夕方、やはり同じように、その時は雨戸を閉めた高田芳江さんが、同じ場所を見ていたのにも拘らず、死体は存在しなかったこと、それに比して既に死斑が出ていることなどを考えると、この着物姿の女性は恐らく前日に殺されている。

通常自殺は未明、日が昇らないうちの午前中が多く、夜12時前の自殺であれば発作的なものとなり、こんな場所まで来て首を吊ることは少ない。
とすれば自殺に偽装された殺人事件の可能性があり、着物も若干着崩れていることから、県警はこの女性の周辺事情から捜査を始めて行った。

被害者の身元はすぐに分かった。
「神崎春美」さん(仮名、24歳)は身長157cmでスタイルの良い健康的な美人、栄町通りの小料理屋で住み込みながら働いていたが、栄町でも評判の美人だった。

当然彼女を目当ての客も多く、同じ小料理屋で彼女と一緒に住み込みで働いていた「朝井美津子」さん(仮名・22歳)の証言では、最近春美さんは男性関係で悩んでいたようだとの話が出てくる。

そこから調べを進めていった三重県警の「倉田由蔵」刑事(仮名・41歳)は、やがて春美さんと付き合っていた商工会議所職員「佐伯義夫」(仮名・31歳)を割り出すが、どうも春美さんはこの「佐伯義夫」が既婚者だとは知らずに付き合っていたらしく、亡くなる前日も小料理屋の同僚「朝井美津子」さんから金を借りて、それで佐伯と2人で、旅行に行く費用に当てようとしていた事まで分かってきた。

こうなると事件の道筋は非常に分かり易くなる。

既婚者である事を隠して春美さんと男女の付き合いをしていた佐伯義夫は、ついに春美さんに既婚者であることが発覚してしまい、そして春美さんに言い寄られ、面倒になって殺害、死体は尾鷲海岸の雑木に吊して自殺に見せかけようとした・・・。
と言う展開は容易に想像できるものだった。

春美さんが殺される当日の夕方、午後6時頃、この小料理屋へ佐伯義夫は顔を出していて、しかもこの時同僚の「朝井美津子」さんは風呂へ入りに行っていて、佐伯の相手をしていたのは春美さんだった。

やがて午後8時ごろ、風呂へ入ってから店に出た朝井美津子さんは、既にそこには佐伯の姿がなかったと証言している。

また同時にこの時春美さんは、同僚の朝井美津子さんに叔父が病気だと言って、金を少し貸してくれないかとも言っているが、朝井美津子さんはそれが嘘だろうなと思いながらも、少しばかりの金を貸している。
男で苦労していて、金がない感じが春美さんにはどこかで漂っていたのかも知れない。

「間違いない、犯人は佐伯だ・・・」、そう思った倉田刑事は「佐伯義夫」を任意で調べるため、早朝佐伯の自宅を訪ねた。
これが事件発生後3日後のことだが、何と佐伯は仕事の出張で、事件発生の翌日から三重県内にはいなかったのである。

佐伯が出張から帰ってきたのは事件発生後5日目のことだったが、佐伯は倉田刑事から春美さんが殺された可能性があると伝えられた瞬間、本当に衝撃に受けた様子、つまり春美さんが死んでいることを知らなかった様子だった。

また佐伯のアリバイを調べていた倉田刑事は、事件発生の当日、最後に春美さんと会った佐伯が家に帰ってから以降、外に出た形跡がないとの証言を佐伯の妻から得ていて、また商工会議所でも、特に佐伯に変わった様子はなかったとの証言も得るに至り、犯人は佐伯だと思いながらも、どこかで捜査に行き詰まりを感じるようになってしまった。

佐伯は状況証拠だけでも逮捕状は請求できるし、逮捕状は出るだろう。
だが、その後佐伯が自白しなかったら、そのときはどうする、証拠は何もないんだぞ・・・。

倉田刑事は頭を抱えていた。

机の上の灰皿には、ハイライトの吸殻が山のようにうず高く積み上げられ、そこに西陽が当たり、こうした退廃的な風情が倉田刑事の心情を代弁しているかのようだった。
「行き詰ったか・・・」頭を抱える倉田刑事・・・。

だがしかし、そこへ一通の手紙が届けられる。
宛名は三重県内の小さな警察署宛てになっていたが、差出人は「坂上百合子」(仮名・38歳)となっていて、住所も書かれている。

そして、その手紙は三重県内の他の小さな警察署の、やはり刑事が、県警が調べている事件に関係有るのではないかと、わざわざ届けてくれたものだが、そこには何と春美さん殺人事件の犯人の名前や、住所までが書かれていたのだった。

                         「あー苦しかった」・Ⅲに続く




「あー苦しかった」・Ⅰ

昭和40年後半の「文部省調査資料」の枠外に少し面白い話が書き記されている。

それによるとこの話は三重県員弁郡梅戸井村で発生したらしいが、この梅戸井村にある造り酒屋では、ちょうど酒の仕込みの時期を迎え、近県から10人ほどの若い衆が雇われて住み込みで働いていた。

遊びたい盛りの同じような年代の若者のことである。
昼間、仕事を追えた彼等は夜になると手持ち無沙汰になってしょうがない。

ある日のこと、「おい、今夜は遊びに出かけようじゃないか」と言う事になり、4人が昼間からしめし合わせ、暗くなるのを見計らって、こっそり造り酒屋の人夫小屋を抜け出し、少し離れた長者村へと繰り出した。

そして女たちを相手に散々遊んでいた若者達、やがてのこと気が付けばもうすぐ午前様になる時刻である。
流石に夜中2時を超えてしまっては朝の早い仕事には堪える。
「もう帰ろう」と言う事になり、「また来てね」と手を振る女たちに後ろ髪を引かれながらも、帰途についた。

酒が入って寒さも何のその、上機嫌の若者達、夜中にも拘らず「ここは天下の大道」とばかりに、道の真ん中を大騒ぎしながら歩いていたが、もう雇われている造り酒屋まで百メートル程と言うところまで来たときの事だった。

ふと若者の一人の眼前を何かがゆっくりと通り過ぎていくのが見えた。
「んっ、何だ」、若者は思わず目の前を通り過ぎていたものの正体を確かめようと慌てて目で追ったが、その視線の先には何と青白い人魂がふわふわと浮いていたのだった。

さあ、それからが大変だった。
夏の夜、それも1人で歩いているのなら、恐くてこちらが逃げ出さなければならないところだが、酒も入ってこの世に恐いものなど何一つあろうか・・・、と言う若者達の事である。
「おー、これは珍しい、捕まえよう」と言う事になり、みんなで人魂を追いかけ始めた。

するとその人魂はいかにも焦った風情でヨロヨロと逃げ始め、勢いづいた若者達は更にそれを追い回したが、やがてのことその人魂はやっとの思いで酒蔵に辿り着いたかと思うと、何と若者達が寝泊りしている人夫小屋の、その戸の隙間からふーっと中に入っていってしまったのである。

「おい、どうやら追い詰めたぞ」、そう大騒ぎして人夫小屋の戸を開けた若い衆、しかし予想に反してそこには人魂の姿はなく、代わりに炊事場で居眠りしていた女中が驚いて飛び起き、こう言うのである。

「あんた達、よくも私を追い回したわね」
「あんた達の夜食の支度をして待ってたけど、一向にあんた達は来ない、そこで私はどうやら居眠りしたしまったらしい」
「そしたら夢を見ていて、夜道を歩いていたら若い男達に追い回されて、やっとの思いで逃げ帰ったと思ったら、あんた達の大騒ぎで目が醒めた・・・」
「ああ、まだ息苦しい・・・」

「へっ・・・?」
若者達は思わず顔を見合わせた。

どうやら若者達が追い回していていた人魂は、居眠りしていた娘から抜け出したものだったと言うことらしかった。


                         「あー苦しかった」・Ⅱに続く



「流通の循環」・Ⅱ

消費は経済にとっては重要な要素であり、消費が無ければ経済は成立しない。
だがその一方で消費は、「熱力学第二法則」で言うところの、エネルギー劣化を引き起こす。

つまり石油などが燃やされて、それで湯が沸かされたとき、空中に放出された熱は回収できず、同じように酸素が燃焼されて二酸化炭素になった場合、これを酸素に還元するためには、更に多くの酸素やエネルギーが必要になり、源エネルギーだった石油は元には戻らない。

結局人間が消費するエネルギーは消費すればするほど、次は人間が使いにくいエネルギーへと劣化して行くのだが、これを「熱力学第二法則」と言い、この観点からするなら、消費は抑制されればされるほど、長期的に見れば人類の将来に貢献することともなるのである。

現在地球は、本来地球が持っている人類の生存を許容できる力、つまり地球が養える人類の数を22・441%超過した形で回転している。
それゆえ乾燥地帯が発生して食糧危機が起こってくるのであり、人類が生存するために、他の多くの生物達が存亡の危機に立たされる現実が起こってくる。

そして消費と言う事では、例えば野菜ならその野菜だけが消費だと考えるかも知れないが、実はそれを運んだり、野菜を生産するためにも、多くのエネルギーが失われていることを認識しておかねばならないだろう。

「virtual water」(バーチャル・ウォーター)と言う考え方があるが、これは農産物や商品の生産に使われた水を、間接的に消費者が消費したものとして換算する「仮想の水消費」のことであり、農産物の輸出入でもこれは換算されて考えられるべきものである。

日本は大量の農産物、木材などを輸入しているが、これによってその輸入された分について、日本国内の水消費は抑制された側面を持つ一方、農産物や木材を日本に輸出した国にとっては、大変な水の消費を起こしているのであり、もしアフリカから農産物が輸入された場合、実に日本国内の30倍から400倍に価値換算される水が、その農産物を生産する為に使われていることになる。

日本が海外から輸入した農産物の内、例えば穀物5品目、畜産品4品目だけを取って試算してみても、日本は1年間で627億㎥の「仮想水」を輸入していることになり、これは日本国内の1年間の水使用量の70%にも相当する。

水使用量を極力抑えた洗濯機を使いながら、その影で多くの農産物を輸入する日本は、自分の周囲だけは資源を節約したように見せかけながら、その実地球的には大量の水を消費していることを、認識すべきかも知れない。

2000年まで、日本の農産物輸入の60%がアメリカからだったが、近年は中国からの輸入が急伸し、その中国では黄河流域の砂漠化が進行している。

黄河流域の砂漠化の原因の全てが、日本へ輸入される農産物生産の為に発生しているとは言い難いが、砂漠化対策ODAや民間の緑化活動資金援助などは、こうした「仮想水」消費のための補償費用だとする中国当局の意見に、真っ向から反証できない日本の実情が何とももどかしい。

またここに流通と言うものも、そこから利益が発生する以上、やはり消費と看做さなければならないが、意外と大きな消費となっているのが実は運搬である。
「food mileage」、(フード・マイレージ)と言う考え方があるが、これは「輸入相手国別食料輸入量×輸出国から輸入国までの運搬距離」で求められ、単位としてはt・km(トン・キロメートル)と表示される。

1994年、イギリスの消費者運動家「Tim・Lang 」(ティム・ラング)によって提唱されたものだが、農産物の生産地から消費地までの距離を重要視し、輸送エネルギーもまた消費であり、環境にかかる負担を目に見える形に現そうとしたものである。

この方式で計算すると、これは農林水産政策研究所の試算だが、2002年の段階で日本の「フードマイレージ」はおよそ9000億t・kmとなり、これは日本国内の年間貨物総輸送量に匹敵している。

そしてこれをアメリカや隣国の韓国と比較するなら、これらの国の3倍以上が輸入の際の輸送の為に消費されていて、国民一人当たりの数値でも、日本人はアメリカ人の7倍の輸送コストが消費された農産物を口にしている事になる。

品種別で見るなら穀物輸送が51%、油糧種子が21%、この2品目だけで既に全体の70%を超え、輸入相手国ではアメリカが59%、ついでカナダ12%、これに中国からの輸入が急激な追い上げを見せているが、アメリカとカナダだけでも70%を占める割合であることを考えるなら、現在日本国内で声高に叫ばれている「地産地消」の掛け声は、単に自己顕示欲の塊と化した地域リーダーの「町おこし運動」の為より、むしろ地球規模でのエネルギー消費を意識したものと考えるべき意味合いを持っている。

消費が無ければ経済は停滞する

しかし消費が伸びればどこかで人類は自分の首が絞まってくる。

こうして見るなら、「不景気」とはある種人間がその歴史から新たに身に付けた、経済的本能と言うものが為せる調整機能であり、経済的窮乏が紛争、戦争を引き起こすのは、人間にとっての「宿命」と言うものなのかも知れない・・・。



プロフィール

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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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