「対立の調整と平等」

政治とは「対立を調整する技術」である。
従ってそこに公明正大、人間的な道徳観は必要が無く、個人の人格も必ずしも高邁なものである条件は付加されていない。

例えば市場で毎年生産量が少ないサクランボは市場で優遇され、その市場出荷手数料が免責されていたとしよう。
でも年によって大きなばらつきがある「みかん生産農家」に対しては、市場がその不安定さから、市場出荷手数料を徴収していたらどうなるか・・・。

やがてサクランボ生産農家が優遇されていることを知ったみかん生産農家は、その市場での不均衡を是正すべきだと騒ぎ出すことになる。
そしてこうした場面、市場と言う農家を包括する組織と、生産農家との対立は両者共にこの問題に対して、それぞれの利害を背負うことから、相互に公正な調整機能が無い。

この場面で両者の対立を調整するのが「政治」であり、これは例えばロシアとの領土問題でも、そうした問題を調整することが政治と言う事になる。

従って政治には高邁な理想などは必要が無く、如何に問題を調整できるか、その能力こそが「政治能力」と言うものであり、ここに金権政治で汚職にまみれようが、あちこちで女を作ろうが、調整機能のある者こそが有能な政治家と言える。

ただし、調整と言うものには相互が納得できる形の無いものが必要になる。
これが政治に措ける「権威」と言うものであり、この「権威は」調整を望む双方が自主的にその権威の所有者である権力者を支持することで担保されるが、ここで権力者の権威の正当性を計る基準となるのが、その思想よりむしろ、現実的公正さと言う事になる。

そえゆえ調整機能で必要とされるのは、本質的にはその権力者の人間性や、品格ではなく公正さと言う事になるが、ここで発生してくるのが「平等」と言う思想である。
多くの人間はこの「平等」と言うものを何か確かなもののように錯誤しているが、実は人間社会に「平等」は存在せず、平等の本質は「制約」である。

それは本来空間的広がりで言えば、机の上に置かれた画用紙の上に一本の線を引いたようなもので、この線によって元々は画用紙の総面積が自由に使えたものが、その線が描かれたがゆえに分断、若しくは次に何かを描こうとする場合の邪魔になっていくケースが現れる。
これが平等と言うものである。

また人間は任意に引かれたこうした線に制約を受けると同時に、そこに依存し、その線を主体に物事を考えるようになるが、これが平等がもたらす時代ごとの価値観とも言え、更にこの線に多くの人間がぶら下がっていくと、一本の線は人間の劣化とスパイラルになって奈落の底へと落ちていく。

また権力志向の強い者、貧しさを知らない者、愚かな者は基本的に平等などと言う高邁な思想は口にしたとしても、その体躯には馴染んでおらず、従ってこうした愚かな者ほど、平等によってスパイラス落下を起こさない側面を持つ。

これが民主制によって政治が衆愚政治へと劣化しない原理、即ち王制や専制政治の民主制に対する優位性である。

しかし思想的に高邁な者、また貧しい者は一度そこに「平等」の線を描いてしまうと、民衆の要請に応じてどんどんその線の位置を低くして行ってしまう。
つまり画用紙を線だらけにしてしまい、次に何かを描くことが困難な状態としてしまうのである。

冒頭の話に戻すなら、その当初は確かにみかん農家とサクランボ農家には不平等があった。
そしてこれは政治で解決すべき問題だろう。

だがこれが行き過ぎて、例えば市場価格でどうしてこんなにもサクランボとみかんの価格に差があるのかと言うことになり、みかん農家に補助が与えられば、サクランボ農家とみかん農家の格差は減少すると言うことを考え始めるようになり、平等を巡ってその僅かな差すらも政治が解決しようとしたときには、平等の連鎖が始まっていく。

その結果どうなるかと言えば、本来は農家が努力することで解決しなければならない問題にまで、つまりはその調整が自由意志に任される部分まで調整課題となり、こうなれば民衆の暮らしの細部に渡って調整、言い換えれば政治が介入し、為に民衆はその努力を全て政治に押し付けるようになるのである。

またこうして細部に渡るまで政治が介入する状態は、本来であれば少人数であるべき政治、行政組織を肥大化させ、ここに調整役の政治は完全にその制度自体を独立させた形を発生させ、ついに本来の調整機能が民衆と対立を起こしていくようになる。

日本は1991年に発生したバブル経済の崩壊と共に、それまで存在したあらゆる価値観が守れなくなってしまったが、その中で調整機能として求められた政治家の資質もまた根拠を失い、そこから本来政治には必要の無い人間性や、思想に民衆が根拠を求めて行った。

為に政治家は本来ならば調整能力が問われるにも拘らず、そこが蔑ろにされ、ただ人間性や思想の爽やかさだけで政治家が選択されるようになってしまった。

しかし格差社会の是正、平等の精神を突き詰めた社会は、基本的に画用紙に数え切れないほどの線を引いてしまい、そこには何も描けなくなってしまったのである。

政治は対立の調整機能であり、調整はできれば少なければ少ないほど、社会の自由裁量が増し、そこでは健全な競争原理のなかでの自然調整がはかられる。
更に平等の精神は基本的には人間の劣化を容認していく。

このことを考えるなら、日本国民は政治に頼ってはいけない。
自分の出来ること、できる最大限の努力は自分でしなければならず、また根源的な話だが、自分の両親の面倒を見るのは政治の責任ではない。

それは生物学的にも、また道徳的にも子孫である子供の責任であり、こうした部分まで政治の責任にするのは甚だ怠惰な平等の暴走であり、また声高に規制緩和を唱えるなら、政治が国民の責任を少し以前の段階まで戻すことが、それを達成する近道となるのではないだろうか・・・。





「拡大相互確証破壊戦略」

1960年代から現在に至るまでのアメリカの相互核抑止戦略には、その初期段階に「相互確証破壊戦略」と言う核兵器に対する思想があり、これは核戦略の原型となるモデルだが、「MAD」(mutual assured destruction)と呼ばれ、核による抑止力や核兵器による均衡をして「平和」と言う状態が思想されたものだ。

相互確証破壊戦略の原則はその「均衡」によって全てが集約されるが、例えば他国から核兵器による攻撃を受けた場合、自国に残された核兵器で、相手国に対して耐えられぬ程の大きな損傷を与える事が可能な能力を「確証破壊能力」と言い、こうした「確証破壊能力」を敵対する国家同士、相互に保有することをして、この戦略の要旨は完結し、相互の国家はこれを担保に互いの国家に対する相手国の核兵器使用を抑止する条約、若しくは不文律の密約を締結する。

具体的に言うなら、敵国から核兵器による第一撃を受けた場合、その一撃を受けながらも残された核兵器による第二撃、つまりは報復攻撃だが、この報復攻撃は敵の都市にその照準が合わされていたことから、結果としてこの戦略は敵の都市人口を人質として、核兵器使用の抑止が保たれると言うあざとさを持っていた。

それゆえ、相互確証破壊戦略が成立する要件は、双方の報復核戦力が敵の第一撃より大きい事、即ち第一撃で全ての核戦力を失うほど脆弱ではない核戦力を双方が有していることがまず第一条件となり、その一方で双方の都市人口が敵の報復攻撃に対して脆弱である、言い換えれば報復攻撃は大都市を狙わないと言う条件が必要だった。

2国間であればそのいずれの国であっても、第一撃は都市部の攻撃ではなく、軍事施設に対する攻撃であること、またこの際報復攻撃は大都市を想定しない、これが相互確証破壊戦略の要旨だった訳だが、果たしてこれが軍事作戦として、もし実際に核兵器による攻撃が始まった場合も成立し続けたかと言えば、それは難しかったかったに違いない。

ゆえにこうした相互確証破壊戦略は、実際の戦略と言うよりも、相互に核戦略に対する思想の共有が計られたと言うのが現実の姿だろう。

しかし幸いなことに、実際には例えばアメリカと、既に解体してなくなってしまったが、ソビエト連邦の双方で共有されたこの思想による核戦争は発生しなかった事から、こうした考え方は有効なものとして、現代に受け継がれ、その影響で今も核兵器に対する抑止力神話が残っているのだが、実際には核の抑止力は幻想にしか過ぎない。

1960年代、70年代と比較するなら、現在世界各国で保有されている核兵器の命中精度、またその多元的コントロール技術は、自転車とジェット機以上の差がある。
つまり、もはや核兵器による第一撃は、敵国を完全破壊することが可能となっているのであり、ここでは報復としての第二撃は存在できなくなっている。

もし相互確証破壊戦略の定義が最終的に都市人口を人質とするものなら、既に第一撃が都市人口も含めた、敵の国家そのものの消失となってきているのである。
従って現代社会に措いて、相互確証破壊戦略は成立しない。

だが未だに「核抑止力」が叫ばれる背景には、相互確証破壊戦略の亡霊が生きているからである。

これは今の段階では推測にしか過ぎないが、拡大相互確証破壊戦略、若しくは発展的相互確証破壊戦略に関する疑惑が存在しているからであり、将来的にアメリカは中国と核兵器に関する戦略を共有しなければならない事から、この中でどの人口を核兵器の人質とするかの素案に、中国もアメリカもそこには自国の名前が存在していないのである。

おかしな話だが、アメリカは中国を将来的には敵対するものと定義しながら、そこで相互確証破壊戦略を想定しながら、互いの国の名前が無いと言うことはどう言う事か、つまりここで推し量られることは、核兵器の人口に関する人質の部分を、アメリカも中国も自国に置かず、第三国に置きながら、相互確証破壊戦略を結ぼうと言う素案なのではないかと言う疑いが持ち上がってくる。

1980年代、科学技術の発展によって精度が高まった核戦力は、もはや第一撃によって敵の軍事施設を壊滅させるまでに高まって行ったが、こうした背景から発生してきたものは「限定核戦争」と言う思想であり、実は1980年代後半からのアメリカはソビエト連邦の崩壊によって、世界から全面核戦争は消失したものと定義し、小さな紛争や誤爆による核戦力対策しかしてこなかったのだが、2007年ごろから、どこかでは中国の核戦力を意識し始め、そこで復活して来たのが「相互確証破壊戦略」だと言われている。

つまりここでは中国とアメリカ双方が自国ではない、同盟国を担保にして核戦争抑止、核兵器増強を相互に抑止しようとしているのではないかと言う疑いが発生してきていて、例えば中国と日本やアメリカとの緊張が高まった場合、まず北朝鮮が韓国か日本に対して核兵器を使用し、これに対してアメリカが北朝鮮に対して応分の限定的核戦力攻撃をすることを想定し、これを担保に相互確証破壊戦略を組むと言うような茶番劇が、完全否定できない状況になってきている。

アメリカは結局、北朝鮮の核開発を止めることも、制限する事もできず、それでも放置しなければならない背景には、既に条約化しなくても中国とアメリカには、相互に確証破壊戦略的思想が存在し始めていたことを意味していたのではないか、またロシアとイランの関係に置いても微妙にそうしたニュアンスが感じられ、そしてロシアと中国との連携である。

もしかしたら国際社会は、その「経済の時代」が終わったのかも知れない。
10年、20年と言う単位で世界を見るなら、そこにはもはや経済ではどうしようもない現状が横たわっているように思えてならない。

石油を始めとするエネルギーの問題、またこれから恐らく大変な問題となってくるだろう「食料問題」を鑑みるなら、そこにはもはや経済と言うより、力の支配しか対抗できないような国際社会の在り様が否定できないのであり、しかもそれはもう始まってきているのかも知れない。

そしてそこでは小さな国が核を持とうが持つまいが、大きな力の支配の前には何の効力も持たない現実が訪れるかも知れず、その場合「核」はもう小さな国にとっては「抑止力」とはなり得ず、「抑止力」は大国のみのものとなっていく、いやこれまでもそうだったのだが、そうしたことが更に鮮明になっていくような、そんな予感がする・・・。

10年後に滅亡するとしたら・・・・。
日本は今、最大の危機にして最大のチャンスを迎えているかも知れない・・・。




「海を恨んではいない・Ⅱ」

恐らく秋も終わりの頃だったのではなかろうか、授業中に突然かかった校内放送で呼び出された生徒の名前を聞いていた私は、言葉を失ってしまった。

その生徒は私よりも一学年下の生徒だったが、いつも私達不良グループの端の方にいて、僅かに一つ下だけと言う事からみんなにからかわれていたのだが、無口でいつも仕事を終えてから学校へ来るのか、夏も長靴で登校していた。

私はそんな彼の原理主義的な在り様がとても好きだったし、それで何かとかばってもいたのだが、そうした経緯からたまには家に遊びに行ったこともあり、まるで父親そっくりの彼の顔を思い浮かべると、「ああ、あの人が遭難したのか・・・」と言う思いで胸が一杯になったものだった。

通常こうして呼び出しがかかった生徒はすぐ職員室へ行き、そこからは車で教師が家まで送るのだが、ではこの時同じ漁師町から学校へ通っている他の生徒はと言うと、彼等はそれ以後遭難に関しては一切無言になる。

またその生徒の家に行って、何か慰めの言葉でもかけるのかと言えばそれもしないが、それには理由があった。

「役に立たない者が来ても邪魔になるだけだ」」
「人が生きる死ぬの状態にあるとき、子供の分際で軽々にそれを喋るな」
これがその理由である。

何と厳しいのだろう、でも何と優しいのだろう・・・。
彼の父親が遭難した次の日も海は大シケだった。
その次の日もやはり大シケで、彼の父親の捜索は難航していた。

私は迷惑になるから、彼に会わないよう隠れるように、彼の家の近くまで様子を見に行ったが、その港からはやはり捜索の船が出せない様子で、そこには数人の人が港の先に立って沖を眺めている様子だった。

そしてその中には相変わらず長靴を履いて、ポケットに手を突っ込んだままの彼の姿も見受けられたが、彼等から離れたところで同じように海を眺めていた私は、その荒れた沖合いに、今しも一艘の船の姿が見えそうな、そしてそれを波が打ち消すようにしていくのを、手で目をこすりながら見ていたが、船は今にも見えそうでありながら、決してそれが現実となる事は無かった。

彼の父親が遭難して4日目になってようやくシケが引いてきた。
それを待っていたかのように捜索を続ける漁師仲間の船・・・、
しかし彼の父親はその亡骸すら上がって来なかった。

やがて卒業を迎えていた私は、その準備やら試験などで忙しくなり、結局その後彼が学校を続けられたのか否かは分らないまま卒業してしまい、自身も破天荒な道へと進んでしまったことから会う機会も失ったが、それでもあの日の荒れた海と彼の後姿は時々思いだすことがあった。

10年ほど前だろうか・・・、
やはり秋、刈り取った稲の籾の袋を集めていると、4トントラックが自分の後ろで止まったことに気づき、振り返ると薄い茶色のサングラスをした、まるで極道のような男が笑って窓から手を出しているのが見えた。

「たっしゃけー」(元気ですか)
その男はまるで親しげに私に声をかけるが、私はその男が誰なのかが皆目見当が付かない。
「○○や、あんたはむかしと変わらんね」
男がそうやって名前を告げが、それでやっとむかしの彼の面影と男の姿が重なった。

「○○か、お前もたっしゃやったか」
「ああ、たまにここを通るたびに、あんたやないかと思うとったが、やっぱりそうやった」
男はまるで少年の日そのもののような笑い顔だった。

たまに通るなら家に寄っていけと言ったが、子供が小さいし、母親のからだも悪いので中々時間が無いと言う彼に「おお、そうやな、オレも一緒や・・・」と答えた私は、どこかで長年彼に対して感じていた引け目が晴れたような気持ちがした。

そしてそれまでいつも、あの彼の父親が遭難した日のことを思い出す度、彼が苦悩し、海を恨むように眺めていた情景が、今は違う情景になって見えるようになった。

彼の後姿を険しい顔で見ていた私の顔は、どこかで満足そうな口元と、そして半分泣きそうだが、でもそれは悲しいからではない、そんな顔になってきていて、後姿からは計り知れないが、恐らく彼の顔もまた私と同じ顔になっているのではないか、そう思うのである。

[本文は2011年2月4日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]



「海を恨んではいない・Ⅰ」

この町では漁師や海女を生業にする者も少なくなかった。
また、基本的に百姓や漁師には年齢制限と言うものが無い。

それゆえ私が中学生の頃でも殆ど学校に出て来ず、担任教師ですら一度も顔を見たことが無い生徒が存在したものだが、そうした生徒達は大体が2学期の頭、9月頃、初めて学校へ顔を出すことが多く、この場合、既に大人の稼ぎをしていることから、男はサングラスに派手なシャツを着て、その上から学生服を羽織っていると言う感じだったし、女にいたっては無理して引いた口紅で口だけが大きくなり、安物のパーマをかけて、まるでどこかの安酒場の酌婦のような出で立ちで登校してきたものだった。

「先生よ、オレの机はどこや」
こうした生徒達が教室に入ってまず一番最初に言う言葉がこの言葉だったが、無理もない、1学期全て休んでいるから、そもそもその生徒の机すら置いていないのである。

だが、同じ漁師町に住む他の級友達の中には、必ずそうした生徒とも家に帰れば顔を合わせている者もいて、そうした級友達が職員室へ行って教師に話し、そして机や椅子が教室に運び込まれるのだった。

そして彼等彼女達はその初登校の日、必ず職員室で注意を受けることになっていた。

男子生徒は、まるでそのチンピラのような出で立ちを改めるよう、そして女子生徒もまた、いかにもガラの悪い、あばずれ女風の格好で学校へ来ないように言われるのだが、それを注意する教師の言葉は決して高圧的なものではなく、どこかでは役目済ましのような感じがあったもので、それは学校がこうした生徒達の事情を良く分かっていたからだった。

幼い頃に父親を漁で亡くし、自分が船に乗らなければならない者、またやはり学業の途中で稼ぎ手を失った者は、中学生くらいから海に潜ってアワビを捕らなければ、幼い兄弟や家庭を支えていけなかったからだ。

そうでなくても父親が酒を飲んで漁に出ない者は、やはり父親に代わって一家の稼ぎを出していた。

そうした事情が有ったことから、学校はこうした生徒達には寛容なところがあり、少しぐらい出席日数が足りないからと言ってそれで落第させることも無ければ、卒業できないと言う事にもしなかったのである。

私の通っていた高校は特に進学校でもなく、名前だけ書くことができれば誰でも入学できる程度の学校だったが、この学校にも多くの漁師の子供達が通っていたものだった。

男も女も大体みんな気性が荒く、それゆえ彼等は学校では不良グループになっていたが、どうも元々百姓の出自だった私は、そのどうしようもない天気を相手にしながら育ったからだろうか、彼等とはすぐに親しくなって行ったものだったが、もしかしたら自分も不良だったと言う事かも知れない。

高3年の時だった。
この高校には年に数回だが、授業中に突然校内放送で生徒が呼び出されるときがあり、そうした時は例えどんなに騒いでいたとしても、一瞬にして全てのクラスで皆が沈黙してしまうのだった。

通常何か悪い事をして呼び出されるときは、担任の教師が「後で職員室に来るように・・・」となるか、また休み時間に放送がかかるのだが、授業中突然生徒の名前が校内放送で流れたときは、恐らくほぼ全ての生徒が窓から外に目を向け、そしてそこには遠くからまるで大勢の人間が叫んでいるような風の音が聞こえ、横殴りの雨が降っていることを知ると、誰もが皆、うつむいてしまう・・・。

荒れた日本海は凄まじい・・・。
まるで恨みが込められたかのように、波が防波堤を叩きつけ、低く垂れ込めた禍々しいまでの鉛色の雲は、はるか沖合いで海と繋がり、どこからが海でどこからが空かの境界を失う。

眼前を横切る風は、既に冷たい雨すらも縦に降らせることを許さず、雨粒が幾千の矢となって視界を遮っていく。
まるで今からそこへ行くぞ・・・、といわんばかりに、何万もの亡者の叫びにも似た風の音が、呼吸するように引いてはまた押し寄せる。

漁師は漁に出なければ飯が食えない。
だから私の学生時代の頃は、多少シケていても無理をする漁師も少なくなかった。
そして僅かに天気を読み誤った漁師は、そのまるで恨みにも似た荒れ狂う海に呑込まれて行った。

授業中に突然かかる校内放送は、その呼び出された生徒の父親や兄弟が「遭難」したことを示していた。

だから自分の家が漁師の子供は、こうして校内放送で呼び出された瞬間に、自分の身内が海で「遭難」した事を知るのである。

                       「海を恨んではいない・Ⅱ」に続く



「混沌と言う秩序」

一般的にノイズ「noise」が発生していると、入力された信号は検出されにくくなるが、非線形系、つまり海水面などの非定形周期秩序を持つ形では、ノイズが応答を強化する場合があるが、こうした事実を「確率共鳴」(stochastic resonance)と言い、実は地球上で10万年周期ごとに繰り返される「氷河期」を解説するために、この確率共鳴のモデルが考え出された。

それゆえ周期を持って発生する氷河期は、地球の軌道運動に関係した微弱な周期的変動が、環境のゆらぎによって強化されたものと考える事ができる。

地球の軌道が毎年寸分たがわぬもので有ったとしたなら、もしかしたら氷河期は起こらないかも知れないが、地球の軌道はそこまで正確なものではなく、またそもそも如何なる正確な運動も必ず「ゆらぎ」を生じさせ、そこから「カオス」(chaos)、混沌へと向かうものであり、この混沌と秩序は相互に混沌から秩序へ、そして秩序から混沌へと向かう性質があり、ここにその程度の軽微な状態をして、周期と言うものなのかも知れない。

つまり地球の氷河期は「ゆらぎ」によって発生した一つの混沌と言え、この混沌は周期を持っていると言うことになる。

また確率共鳴は電子回路やレーザーなどでは確認されているが、人間の脳の「ニューロン」(神経細胞)についても、最近になって「確率共鳴」が重要な機能を果たしているのではないかと考えられるようになってきている。

ニューロンは一般的には「しきい値」、即ち特定の変化を発生させるべき最低限の電気信号などを指すが、この値以下しかない入力信号には全く反応しない。

しかしこの時同時にノイズを加えた場合、そのノイズによって「しきい値」を超えた信号は、入力の強弱を反映した出力信号の時系列を得る、簡単に言えばノイズに殆ど影響されずに信号の情報を得ているのであり、片方で地球に氷河期をもたらす原理と、人間の脳神経細胞が信号を受け取るシステムは実は同じものなのである。

また「カオス」(混沌)は、数学や物理学の分野で不規則な決定論的運動のことを表しているが、数学的に表される自然現象は微分方程式や差分方程式などの力学系に記述され、この場合初期状況が与えられれば、状態の変化は決定され、偶然性が入る余地はない。

しかし現実の力学系には時間発展にともなう非周期的、不規則な運動が現れ、未来が不確定となっていくことから、この事実を「カオス」と言う。
1963年、アメリカの気象学者E・N・ローレンツは、気象学に措ける長期予報の不可能性について、その原因を力学系に措ける「カオス」の影響としたが、この「カオス」には2つの側面がある。

一つは人間の持つ統計的なカオスであり、統計は一定の期間は傾向を示す事になるが、それが長期に渡るに従って「ランダム」数値になっていく、つまり統計数値があらゆる数値を包括してしまい、そこに傾向が消失するのが統計数値の極限であり、こうしたことから統計は、いつかはそこから読み取れる傾向を失っていくものなのである。

また第2には、地球の氷河期の解説と同じ原理だが、周期を繰り返す地球の気候はやがて「ゆらぎ」によって混沌へと向かいつつあり、そこではゆらぎに一定の法則が存在していることが分ったとしても、気象がどれだけの速度で、どこへ変化していくかは人間の力では予測ができない。

ローレンツはこうした意味から気象学に措ける長期予報の可能性を否定したが、それと同時に、僅か3個の自由度を持つ力学系に措いてですら「カオス」が可能となると言っている。

簡単に言えば、ヤカンに入った湯と石油ストーブ、そこに電動式の人形が動いていれば、それらが微弱に発生させる「ゆらぎ」によって、既に「カオス」が顔を出してくる、即ちこのそれぞれの物質はどこかで周期を乱し始めると言っているのだ。

そしてここに何度も登場した「ゆらぎ」と「カオス」だがその対峙したところにあるように考えられる傾向を見るなら、そこにはやはり普遍的な法則が存在していて、こうしたことを探るきっかけとなるのが「フラクタル」(自己相似性)と言う概念だ。

その語源は「フラクチュア」、いわゆる「破片」の意味だが、フランスのB・マンデルブローの命名によるこの概念の一つは、曲線と直線の中間概念を発生させた。

理想化されたフラクタル曲線に措いては、その曲線が直線に変換されたなら有限であるのに対して、曲線の細部を見ていくとそこには無限の点集合が発生し、この曲線の長さは有限であるにもかかわらず、点集合では無限が広がっている状態になっている。

それゆえ、こうした曲線の概念は一次元と二次元の中間にあると考えられている。

更にこの自己相似性の概念は、平均的な構造と言う秩序の周囲に、混沌に繋がる「ゆらぎ」があるとする従来の物質現象に対する見方に対して、あらゆる物質は混沌に向かい、そしてそこに秩序構造を作り出すと言う点を指摘していて、そこではミクロな「ゆらぎ」がやがてマクロなスケールへと発展し、そして出来上がってくるものは、特殊性が無く、殆どが同じような傾向、形態を持ってくると言うことになる。

雲の形と海岸線の形が似ているのは偶然ではない、木の枝の出かたと川の流れ方が似ているのは唯そうなっているのではなく、雪の形と蜂の巣の形が似ているのも、たまたまそうなっているのではない、全てミクロからマクロへと発展した、混沌が持つ自己相似性によるものであり、この相似性もそれが相似性へと向かいながら、今この瞬間もまたミクロの混沌が始まっているのであり、そのミクロはやがてまたマクロへと発展し、次の相似性を生もうとしている、その連続の中に人間もまた存在しているのである。

またこうした「ゆらぎ」によって、秩序から混沌「カオス」に向かう傾向には数値的な法則がある。

詳しい説明は難解になるので避けるが、「ファイゲンバウムの普遍定数」と呼ばれる数値、「4・6692016・・・」がその定数だが、あらゆるものが秩序から混沌に向かうときは、この数値を辿る事になる。

人間は秩序こそ、また普通こそが正常な状態と考えるかも知れないが、こうして物理学で自己相似性(フラクタル)を考えるなら、確率分布は「逆べき分布」、つまりは正常な状態や、平均的な状態ではなく、むしろ過激な傾向、特殊な傾向のものが多くなるのであり、いわゆる統計上の平均的な数値は、この地球や宇宙では、それこそが特殊なことなのである。

ちなみにこの「逆べき指数」が1に等しい場合をf/1ゆらぎ、またはf/1ノイズと言うが、英単語の使用頻度や電子デバイス中の雑音など、人間生活のあらゆる場面で、この「逆べき指数」が1に等しい場面が現れてくる。

一方「逆べき指数」が1ではない、一般的な「逆べき法則」の中には、地震の大きさと発生頻度に関係した「クーテンベルク・リヒター則」、またインターネットシステムにも繋がる「スケールフリー・ネットワーク論」が有るが・・・。

残念だ、時間がなくなってしまった。
続きはいつになるか分からないが、次回と言う事にさせて頂こうか・・・。










プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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