「鉞(まさかり)を研ぐ子供」・2

此度東北を襲った大地震にあって、我が脳裏に真っ先に思い浮かんだのが、「柳田国男」のこの話であり、また関東大震災の折の記録だった。
この二者は互いに、そこに共通点を求めるなら「子供」がその主体となるが、全く別の記録なれど、どこかで同じ感じがするのである。

これは婦人公論大正12年10月号に掲載された記事からだが、関東大震災発生の3日後、横浜で恐らく30前後だろうか、泥だらけの浴衣姿の女が疲れ果てた感じではあるが、そのどこかでは興奮した様子で歩いていた。

女はやがて山の手の避難所まで辿り着くと、そこで誰かを探しているようにも見えたが、その人ごみの中を歩く2人の子供の姿を見つけると、「あっいた、いた」と言って子供達に走りよった。
なるほど震災で離れ離れになった母と子供が再開できたのか・・・、と周囲にいる誰もがそう思った。

しかし子供達に近付いた女は、次の瞬間そこに落ちていたレンガを拾うと、何と子供達の顔を滅多打ちにして殴りつけるのである。
カラカラと乾いた笑い声を上げながら執拗に子供達を殴りつける女、うずくまる子供たち、女は完全に狂ってしまっていたのである。

またやはり関東大震災発生の翌日、これは東京駅の昇降口を歩いていた人の記録だが、大勢の人が混乱して右往左往するその足元に、たこ糸で巻かれた紙包みが転がっていた。

何だろうと思ってそれをよく見てみると、紙の破れ目から、生後幾らも経過していない嬰児(えいじ・生まれた直後の子供)の片足がそこからはみ出していたのである。
しかも人々は激しくそこを行き来しながらこれを見ることも無く、紙に包まれた嬰児を蹴飛ばしながら通り過ぎていた。

そして2011年3月27日、宮城県石巻市渡波の山道で生まれた直後の女児の遺体が発見された。
2011年3月11日に発生した東北の地震では、この地区は津波被害地区からはかなり離れた場所にあり、従ってこの女児が津波によって死亡したとは考えにくい。

尚且つこの女児はへその緒が付いたままの状態で裸のままだったこと、付着した血液がまだ完全に乾いていなかったことから、生まれた直後に捨てられたと見られている。

どんな事情が有ったか分らないが、今回の地震によって生まれた子供を育てられないと思ったか、はたまた地震が起こる以前から生んではいけない子供を身ごもり、地震を幸いにして捨ててしまったか、我々はそれを推し量る術も無いが、子供が生まれた直後に親によって捨てられた事実は変わらない。

実は地震などの災害の最も恐ろしいところは、その災害もさることながら、それから後に起こってくる経済的な行き詰まりによってもたらされる現実かも知れない。
親を失った子供、ローンを組んでやっと手に入れた家を失った者、職場を失った者、彼等の眼前に広がる現実は並み大抵のものではない。

日本はこの東北の地震によって何か大きなものを失ったかのように見えるが、その実東北の地震以前から「何か天変地異でも起こって」と思う人間のいかに多かったことかを知るなら、そこには天変地異でも来なければ、自身の破滅の近かった者がどれだけ多かったかと言うことであり、彼等は大地震の影に隠れて救われた場合も存在し得る。

しかしこうして地震による被災も、地震発生の以前から抱えていた破滅も、結局はその当人の努力では如何ともし難いものであったなら、それはやはり天の為せるところとする以外に無く、我々は彼等彼女等を責めるに資する者とはなり得ない。

子は親を思い、親は子を思いながらもその生活に行き詰る現実は、いつ如何なる時代も無くなる事は無く、それは貧しい時代ほど多くなるが、人はこれを全て救うことはできない。

経済的には壊滅状態に近かった日本経済、その上に今回の大地震と原発事故である。
「頑張れ」「希望はある」の言葉の届く者も勿論あろう。
しかしこうした言葉が虚ろにしか聞こえない者も必ず存在し、それらの者は一線を越えてしまうかも知れない。

そして我々は彼等を全て救うことは恐らく叶うまい・・・。
それゆえ我々は一線を越えた彼等彼女達を、一様に犯罪者として憎んではならない。

ただ天に向かって「この親と、この子に何とぞ慈悲を賜れ」とひれ伏すのみである。




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「鉞(まさかり)を研ぐ子供」・1

ある村の近くの山で炭焼きを生業としている男があった。
だがこの男の暮らしは貧しく、食うや食わずの毎日で、既にもう何日も食べるものを口にしておらず、その日も朝から村へ炭を売りに行ったが、炭はいっこうに売れず手ぶらで帰るしかなかった。

そして激しい徒労感から男は家へ帰って眠りに就いたが、ふと目が覚めてあたりを見回すと、すっかり傾いた陽の光が戸口を明るく照らし、そこには男の子供がただ黙って鉞(まさかり)を研いでいる姿が見えた。

「おまえ、そんなところで何をしている」
男は子供に尋ねるが、それに振り向いた子供は今まで研いでいた鉞を持って男にこう言う。
「これで殺してけろ」

そして子供と幼い妹は近くにあった丸太を枕に、そこに横たわる。
漠然とその光景を眺める男、一瞬頭の中がクラクラと来たかと思うと、次の瞬間、男の手に握られていた鉞はこの兄妹の首めがて振り下ろされていた。

人間はその年齢にならなければ、その経験をしなければ決して学べないし、理解できない事と言うものがある。
少年の頃、いや今もそうかも知れないが、我が根幹を為したものは「柳田国男」と「和辻哲郎」の著書だった。

だがこの二人の中でも取り分け私に衝撃を与えたのは「柳田国男」が著したこの冒頭の話だった。

確かではないが、東北地方の昔の実話だったと記憶しているこの話を始めて読んだのは高校生くらいだったと思う。
だがその時は確かに悲惨なことでは有るが、それほど大きな思いが無く、この話が衝撃を持って自身に迫ってきたのは、結婚して5年目くらい、長男が4歳くらいのときだった。

妻の心臓病が見つかった時、入院生活になったことから、暫く自分と幼い長男、それに2歳くらいだっただろうか、長女の3人暮らしになった時期があり、ある日スーパーへ買い物に行った時の事だった。

菓子でも買ってやろうと思い、「何かほしいものはないか」と長男に尋ねたが、彼は珍しく「何も要らない」と答えた。

長男のこの言葉に何か不自然なものを感じ振り返った私は、そこに不安げに、そしてどこかで遠慮しているような長男の姿を見て、一瞬にして「柳田国男」のこの話を思い出した。

「あー、親とは、子供とはこうしたものだったのか・・・」と思ったものだ。
そして家へ帰り、子供達が寝静まった頃、夜遅くにもう一度「柳田国男」のこの話を読み返した私は号泣したことを憶えている。

貧しさは罪か、さにあらず。
しかし人間の世は幾ら努力してもどうにならない理不尽の上に立っていて、それは僅か船板一枚を挟んだその下は海の如くに広がっているものである。

追い詰められてその最後の瞬間に有っても、子はその生死の何たるかを知らずして既に親のことを思い、親もまたその子を思うとしても、眼前に広がる現実の前に幼き命はその先を絶たれる。

だが誰がどのようにしてこうした在り様を裁くことができようか。
およそ法と言うものには限界があり、その奥は言葉の無いものでしかそれを裁くことができない、いやそもそもこうした在り様に裁きなどが入り込める余地すらないように思えてしまう。

キリスト教の教義では幼き子供とその両親があった場合、究極の選択では両親が生き残ることを是としているが、その理由は若い両親ならまた子供が作れるからである。
が、そんな簡単な、そんな薄いもので人の命を、親子をはかることが出来ようはずも無い。

                     「鉞(まさかり)を研ぐ子供」・2に続く










「田分仙人と編集者」・Ⅱ

「きさま、わしを馬鹿にしておるのか、この大たわけが、帰れ、さっさと帰って二度と来るな」
「先生、どうか勘弁してください、メールが来たら3分以内に返さないと、シカトされたと思うのが今の世の中なんですよ」

「3分以内だと、親でも死んだのか、そんな急ぐ用事なのか」
「いえ、そうじゃなくてそれが社会の決まりなんですよ」
「このたわけがまだ言うか、社会が決めただと、社会の一体誰がそんなことを決めた、俺が決めたと言うヤツをここへ連れて来い」

「先生、堪忍してください」
「二俣、ここへ来るようになって何年経つ」
「二年です」
「まだわしの言ってることが分らんか」

「政治が民衆に擦り寄って、あらゆる細かいことまで政治が責任を取ろうとすると、そこから生まれるものは大衆の堕落であり、必要も無く細かく線引きされた窮屈な社会だ、分るか」
「はい、分ります」

「同じように人間の暮らしもそれが便利になればなるほど、より細かい所にまで物が入ってきて、今ではどうだ人間の心にまで物が入ってきて、それが形を為そうとしている」
「携帯で話していることは、それは何だ、所詮気分や気持ちを形にしたものだけであり、お前らが緊急だと思っているものは緊急でもなんでもない」

「先に準備して、話しておけば何でも無いものを先延ばしにするから緊急になり、そもそも愛してるやどうしてると言った言葉は仕事中にメールで送るほどの言葉か?」
「そんな事をしていて腹の足しになるか」

「働いて稼いだ金を、気分やおのれの怠惰のために使う馬鹿がどこにおる、それは食う物を買い、着るものを買い、住む所を買い、子供を育てるために使うものだ、自分の気が晴れようが晴れまいがそんなものはどうでも良いことだ、我慢すればそれで済む」

「緊急事態は自分が先に動いていれば緊急ではなくなる」

「我慢すれば済むようなもののために、怠惰が招いている緊急のために、現実の暮らしや、例えば今のように人と接している場面を反故にし、そしてそうした意味の無いものに追われる、そのバカバカしさが分らんか」

「先生、お言葉ですが、携帯は此度の東北の地震のような場合には便利な部分もあります」
「二俣、わしはああ言えばこう言う、口の減らんヤツが大嫌いだが、地震の時は携帯も固定電話も繋がりにくくなって、しかも被災して死んだ人は電話にも出られんのだぞ」

「どこが緊急時には間に合うと言える」
「お前らは本来意味の無いものに意味をが有ると錯覚させられ、怠惰が正当化されたおもちゃで遊んでおるだけに過ぎん、そのバカさ加減が分らんか」

「先生、そうは言っても時代が・・・、みんながそんな社会なんです、それに逆らって遅れてしまっては生きていけないんです」
正座した二俣、そして今はその二俣から少し離れて縁側に立ち、外の庭に顔を向けている笛当院・・・。

「二俣、わしが恐いか・・・」
笛当院は和服の袖に両腕を差し込み、腕組みをしたようにして二俣に問いかけたが、その声はさっきとは打って変わった優しい声だった。

「恐いです、何を言っても怒られそうで、恐いです」
「そうか・・・」
「先生は恐いものは無いんですか」
「わしか・・・、わしの恐いものはわしの目の前におる」

「それは・・・、誰ですか」
「二俣、わしはお前が恐い・・・」
「えっ、それはどう言うことですか」

「二俣、仏像で恐い顔の仏像と優しい顔の仏像ではどちらが恐い・・・」
「それは恐い顔をした方が恐いとおもいますが・・・」
「そうか、わしは優しい顔の仏像が恐い」

「およそ怒りなどと言うものはどの人間も同じようなもので、その表情は分りやすく、決まっている。つまり形があるものと近いものだが、優しさと言うものには形が無い」
「わしは何か正体は分らず、しかし弱く薄く、世の中のあらゆる方向から来る、形の無いものが恐くて仕方ない」

「先生、そんなものが世の中にあるんですか」
「ああ、二俣、お前が言う時代、社会、そしてそれに遅れると生きていけないと思う、その根拠のない形のないものが、わしは恐くてどうしようもない」

「先生・・・・」
「二俣、虎屋の羊羹は随分久しぶりでうまかった、また来い」
「はい!」

「それと編集長には原稿が捗らんので、少し締め切りを延ばしてくれように言っておいてくれ」
「へっ?・・・」











「田分仙人と編集者」・Ⅰ

「仙人、いや先生、今日は近くまで来たものですから立ち寄ったんですが、如何なものでしょうか例の原稿の方は・・・・」

「おお、二俣(ふたまた)か、久しいな、達者だったか」
「へっ、おかげさまで何とかやさせてもらってます」
「二俣、お前もあの陰湿な編集長にだんだん似てきたな、こんな山の中へ近くまで来る用事なんぞあるのか」
「いえ、いえ、本当なんですよ、たまには自然にいそしもうと思いまして、気が付いたら先生の所に向かっていたと言う訳でして、深い意味はないんですよ」

「そうか、締め切りまでにはまだ時間が有るからな、お前らにとやかく言われる筋合いではないぞ」
「それはもう分っておりますとも、先生にそんな失礼なことなどとても言えませんから」
「でも締め切り、守って頂いたことは一度も有りませんけどね・・・」

「二俣、何か言ったか」
「いえ、何も」

「まあいい、せっかく来たんだから上がって茶でも飲んで行け」
「へっ、有難うございます、そう思いまして少し甘いものなど買ってきました」
「お前、気が利くのか、性格が悪いのか本当に分らん男じゃのー」

こうして「下限編集社」へ入社して3年目の「二俣翔」(ふたまた・かける)は田分仙人こと、作家の「笛当院修平」(てきとういん・しゅうへい)の庵に入って行ったが、出された茶を一口すすった二俣は、かねてから何度聞いても絶対教えてくれない携帯の電話番号を聞こうと思い、おずおずと笛当院に話しかける。

「先生、以前から少し気になっているのですが、どうでしょうか携帯の番号を教えて頂けないでしょうか、何か有ると困りますし・・・」
「二俣、お前は耳が聞こえんのか、わしは何度も言っておるだろう、携帯は持っておらん」
「先生、幾らなんでもこの時代に携帯も持っていないなんて、そんな事が信じられますか」

「持っておらんものは持っておらんのだ」

「失礼ながら、先生の書くものはいずれも最先端社会に対する警鐘が多く、先生が携帯を持っていないなんて、そんな言い訳が信じられると思いますか、編集長には言いません、私にだけは教えてください」

「くどいぞ二俣、携帯の情報など生きる上では所詮どうでも良い情報ばかりだ、本来は必要の無いものを、あたかも必要だと思わせる資本主義の暴走が分らんのか」

「緊急時にはどうするんですか」
「世の中にそんな一秒を争うことが生きていて何度ある、親が死んだ時くらいのものだ、一生の間に一度のためにそんな馬鹿なものを持つ気はせん」

自らも茶をすすり、二俣の持って来た虎屋の羊羹を口にはこんだ「笛当院」は、その羊羹を飛ばしそうな勢いでしつこい二俣に言い返す。
がしかし、ここで庵の片隅にある固定電話が鳴り始めたことから、「笛当院」はおもむろに受話器を取ったかと思うと、こう言う。

「どなたか分らんが、今は来客中です、後程おかけ直しください」
「先生、ちょっと待って、待ってください、大事な電話ではないのですか」
大慌てで電話を切ろうとする笛当院を制止しようとする二俣、しかし何の躊躇もなく受話器を置いた笛当院は、二俣の方に向き直ると信じられないことを口にするのだった。

「二俣、お前のような者でもわざわざこの場に訪ねてくれた者は、少なくとも電話で用事を済ませようと考えた者より、ことの重大性が有ると思わねばならん」
「従ってわしは来客中は来客を優先し、電話はその次だと皆に申し渡してある」

「なるほど、そうでしたか」
ガックリ来たように膝を落とした二俣、しかしそこへ何と今度は二俣の携帯が鳴り出す。
「ピロロロロ・・・、ピロロロロ・・・」

慌ててスーツの内ポケットから携帯を取り出した二股、さっさと笛当院の前を横切ると庭へ出て携帯のメールを確認し、いそいそと今度は自分もメールを打ち始める。
静かな庭には「ピッ、ポッ、ピッ、ピッ」と言う音が鳥の鳴き声に混じり、無表情に二俣を待つ笛当院・・・。

やがてメールを打ち終えた二俣がまた庵に入って来ると、すっかり無口になった笛当院がいて、既に完全に怒っていることは間違いない事を察した二俣、何とかこの場の重い空気を払拭しようと、先ほど妻から送られてきた昨年生まれた自分の子供の画像を携帯画面に呼び込むと、それを持って笛当院ににじり寄る・・・。

「先生、どうです去年生まれた娘なんですが、可愛いでしょう、毎日妻がこうやって様子を送ってくれるんですよ」

もはや爆発寸前の笛当院、しかしチラッと見るとそこには可愛い子供が写っており、一瞬表情が和らぐ。
だがそうした自身の在り様にハッと気づいた笛当院は「ゴホン」と一回咳払いをすると、そのあだ名の所以である「たわけ!」の一喝と共に大激怒となった。

「田分仙人と編集者」・Ⅱに続く









「元総理の涙」・2

2045年までには、確実に東南海地震と南海地震、その以前には東海地震と関東地震、それだけではなく日本海側にも地震は続発する恐れがある。

こうした中で、もし今回の東北の巨大地震による災害復興予算のあり方を誤るなら、今後日本は毎年少しずつ貧しくなりながら、最後は経済破綻と言う事になっていく。

政府はまだ行方不明者の確認が取れていないにも関わらず、早々に今回の東北の地震による被害額を、25兆円とする試算を発表したが、ここから見えるものはなし崩し的な消費税増税である。
海外の研究機関の試算によれば、最終的な今回の地震被害額は20兆円を超えておらず、ここに5兆円の日本政府による水増し試算がある様に思える。

勿論災害復旧費用は多く計上したに越したことは無いが、今の日本の状態で消費税の増税は大正時代の日本と同じ方法であり、これは余りにもリスクが高すぎる。

すなわち輪番制による停電が今後1年、ないし2年続くとすれば首都圏の生産は大幅に減少した上に、一般庶民は増税に苦しみ、しかも被災地域には特例措置を講じなければならないとしたら、そこにある現実は橋本龍太郎元総理の涙と同じものだ。

つまり消費税を増税して得られる税収以上の税収の減少が発生し、もし今回の地震災害復旧費用が20兆円とするなら、これを返済することができないまま、次に関東地震や東海地震の復旧費用が発生し、更にそうした借金が返済できないまま、次は東南海地震、南海地震の復旧費用の捻出が必要になっていく。

それゆえ20兆円の災害復旧予算が必要な場合は、これを5年計画で返済するものとして、年間金利も含めて5兆円を毎年返済する方法を考えるべきで、この場合はガソリン税や子供手当ての財源をこれに当て、本来なら消費税は暫定廃止した方が良いが、これだとリスクが上昇してしまうことから、少なくとも本年度は消費税を据え置き、次年度から1%ずつ5年計画で消費税を引き下げ、所得税や法人税の上昇と勘案しながら、総合的に消費税に頼らない税体系に変質させていくことが望まれる。

震災復興によって関東以外の地域はこれまでより景気は上向き、これによって今後電源不足が解消するまで続く、関東の景気低迷を関西や北陸、九州、四国がカバーし、その景気に加速を付けさせるために5年計画で消費税を下げて行き、断続的に景気浮揚策を取る。

そして所得税や法人税で消費税の不足分とそれを上まる税収を確保して行きながら、最終的に5年後には震災復興予算は償還する方式が望まれる。

日本の消費税では大企業のトップ10社には毎年合計で1兆600億円の還付が為されているが、一般消費者には還付がなく、大変不公平な税体系となっているばかりではなく、消費税が日本の総税収の20%しか占めていないと言う理論は詭弁でしかない。

消費税の内1%は地方税となるが、これを国税と区別した場合は20%だが、地方税収分も含めた日本に措ける税収総計に占める消費税の割合は実に24%を超えていて、これはイギリスよりも高い割合になる。

更に消費税は高額所得者ほど有利な制度で、日常消費資材や食品購入に必要な支出は、年収2000万円の人も年収が200万円の人も、それほど大きな差が無いことを考えるなら、消費税の本質は低所得者ほど高い割合となり、結果として貧富の差を増長させているだけである。

消費税を上げる、売り上げが落ち税収が減少する、更に消費税を上げていく・・・。
消費税は一種の麻薬のようなものだ。
経済の健全性を奪い、人の夢を少しずつ壊していく。

優遇されている高額所得者の所得税や法人税を上げ、消費税は段階的に下げて行き国内の消費に加速をつけ、更にこの機会に公務員の給与は平均で25%のカット、ボーナスは50%カット、議員報酬も地方議員を含めて50%カット、年金も平均で10%カットし、高齢者に傾いている福祉予算を若年層に再分配する。

震災の被災者を思うなら、政府もそうだが、日本国民もこうした覚悟があって初めて真剣に被災者のことを考えていると言えるのではないか。
唯きれい事を言って済まされる事態ではなく、これを機会に少しでも経済を健全にしておかねば、将来必ず訪れる災害に対して日本は方法を失うことになる。

大正から昭和初期の日本では震災に見舞われたにも関わらず、結局高額所得者や財閥を優遇するだけになり、また官僚機構や公務員の削減にも失敗し、その付けは全て大衆に降りかかり、その大衆の目を欺くために唱えられた軍事力の幻影がやがて戦争に繋がり、そして破綻した。

日本人は同じ過ちを繰り返してはならない。




「元総理の涙」・1

2006年7月1日死去した元内閣総理大臣「橋本龍太郎」は、その死の間際まで自身が内閣総理大臣の職責期間中に成立させた「消費税」に関して、後悔していたと言われている。

クールな表情からは伺い知ることはできなかったが、以外に涙もろかった同氏は晩年涙を流しながらこう語っていた。

「私は大きな間違いをしてしまった・・・」
「財務官僚の言いなりになってとんでもないことをしてしまった・・・」

1997年度に開始された「消費税」は、その初年度こそ4兆円の税増収をもたらしたが、消費税が導入されるされることによって冷え込んできた国内景気は、その翌年には法人税を含めた税収で6兆5000億円の税収減と言う税収下落をもたらし、実にここから日本の転落は決定的なものとなってしまった。

橋本龍太郎元総理はもしかしたら今日の日本の在り様が、その涙の中におぼろげながら見えていたのかも知れない。

1923年9月1日に発生した関東大地震は東京、横浜で大火災へと繋がり、死者、行方不明10万6000人、負傷者5万2000人、家屋の損壊は69万4000戸に及び、その直接の経済的損失だけでも100億円、この直後の震災復興予算が15億円前後であることを鑑みるなら、さしずめ現代の金額に換算するなら600兆円を超える経済的損失となった。

加えて第一次世界大戦後の不景気によって国内景気は冷え込んでいたことから、ここで政府は「震災手形保証令」を出して、取り合えず銀行を救おうとしたが、これは震災前に銀行が割り引いた手形に付いて、震災のために決済不能に陥ったものは、日本銀行がこれを再割引し、銀行の損失を救い、ために日銀が受ける損害を1億円を限度として政府が保証する臨時制度だった。

しかし、これによって震災手形を1925年までに整理するつもりが、慢性的な不景気によって期限までに整理を付けられなくなってしまった。

その為当時の若槻(わかつき)内閣は震災手形の整理期限を2年延長し、政府による日銀への補償を更に1億円追加する法案を議会に提出したが、この審議中、当時の大蔵大臣「片岡直温」(かたおか・なおはる)が「東京渡辺銀行が不良債権を抱えて危険だ」と口をすべらせた結果、この不用意な失言はその後大規模な銀行への取り付け騒ぎへと発展し、この混乱によって緊急勅令案が議会で否決された若槻首相は内閣を投げ出してしまう。

そして昭和2年(1927年)に内閣総理大臣に就任した陸軍大将「田中義一」(たなか・ぎいち)は、名蔵相と誉れも高い「高橋是清」(たかはし・これきよ)翁を大蔵大臣に据え、3週間のモラトリアム(支払い猶予)を行い、その間に日銀に22億円近い巨額の貸し出しを行わせ、政府保証も5億円にまで一挙に引き上げ銀行を救って行くが、この結果、三井、三菱、安田、住友、第一などの財閥へと銀行の統合が進み、利益を得たものは巨大財閥のみで、一般庶民はこうした財閥による資本集積の犠牲になって増税に喘いで行くことになり、そこへ1929年10月24日、ニューヨーク初の世界恐慌が襲う。

もはや経済的に破綻した日本経済の行く末は「軍事力」に頼るしか方法を無くして行き、その結果が「太平洋戦争」となるのである。

どうだろうか、こうして大正から昭和初期の日本の流れを見てみると、随分今と共通した点が見えてこないだろうか。
経済の破綻に対して増税、そして大手銀行だけは救済され、ついでに少し前に亀井大臣によって提唱された「モラトリアム」は高橋是清のアイデアだったのである。

そして震災が発生し、震災手形の処理を誤り、そこへ世界恐慌の波が日本を洗う。

流石にこの先日本が再度戦争を起こすことは考えにくいが、バブル崩壊にリーマンショック、その度に年々増税に追い込まれ、さらに2011年3月11日に発生した東北の巨大地震である。
戦争は無くてもこの先の舵取りを誤れば、日本は2045年前後、確実に完全破綻する。

                           「元総理の涙」・2に続く



「光が闇を創る」・2

「みんな頑張っているんだよ、そんなことが発覚したら寄付が減るかも知れないし、ボランティアも疑いを持って見られてしまい、結局この地域の復興は遅れる」

「今は小さなことは我慢しなければいけない」
こうした言葉は被災者たちからあらゆる正当な言葉を奪い、その上で行政や報道に協力的だった者は大きく取り上げられ、やがて彼等もまた大きなステップアップを図って行くことになる。

その代表格が兵庫県南部地震で活躍した「辻元清美」首相補佐官である。

行政や政治はこうした災害時には殆ど対応する能力が無く、従ってNPOなどのボランティア団体を頼って行く事になるが、こうした団体は一時的に移譲された行政の窓口となることから、時の権力者となる傾向を持ち、そこではその団体の求心力に心血が注がれる一方、被災住民達に独裁的な在り様を示していくことになる。

これは地名は秘匿するが過去の震災でも、その災害復興事業の予算申請や、家屋建設の補助事業で、特定の国会議員が影響力を持つNPO団体の代表が行政機関の窓口を一括担当し、そこから補助金の15%が報酬としてこの代表の手元に支払われる仕組みになっていたケースが存在し、これも女性だった。

尚且つこうしたケースでは現在の官房長官のように「弁論大会優勝経験者」と同じく、言葉を使わせれば到底地域住民がこれに対抗すべくも無いような口達者がNPOの代表を務めており、そして行われるものは極めて非現実的な見せ掛けだけの復興である。

被災者はいつまでも避難所、仮設住宅暮らしをしているのに、その傍らでは歴史的な建造物の保護と称して、さしたる被害も無い個人の家の蔵の修理などが大学生のボランティアまで使って為されているのが現実だ。

そして被災地域からは、これから美しい場面、感動的な場面、頑張っている場面の映像が数多く配信され、それによって自身の厳しい現実が少しは慰められる視聴者との表面的な美しさのやり取りの影で起こってくるものは、綺麗に復興された町並みの片隅で起こってくる金に対するモラルハザード、さらには補助金によって一時的には経営が改善された震災長者の没落と、地域経済の崩壊である。

だがこうした在り様は恐らく今回の東北の地震災害でも同じ道を辿るように思う。

安政江戸地震後のビラなどには大ナマズに酒を注ぐ木材業者、同じく大ナマズに芸者接待をしている大工などが印刷されたものが多く残っている。
神戸でも多くの人がこの地を去らねばならなかったにも関わらず、そこに見られるものは外に対する観光業に偏重された復興だった。

また能登半島地震や中越沖地震でも同じように観光業の観点から「風評被害」を恐れ、そこにあらゆる理不尽、不平等、そして政治的な言論の封殺が存在し、そこから生活感覚の無いボランティアから移行した地域リーダーや、同じく一般庶民感覚から乖離した教職員定年退職者たちと、やはり親から生活資金を貰っている大学生達が唱える、従来の道徳観を失った町の在り様が顔を出し、いまや震災ではなく経済的破綻を眼前に見ていることを鑑みるなら、表面的な美しさや感動は、またそこに存在する生きている人間の在り様を、駆逐してしまうものだと言う認識も必要では無いかと考える。

さらに今は震災復興の影に隠れているが、菅直人首相は政治献金の問題を抱えている人物であり、同じ事件では問題となる献金の額がはるかに小額だった外務大臣が辞任していることを考えるなら、菅総理は今回の震災に対する対応の不手際と相まって、適当な時期に辞任することが望まれる。

今回の震災では政府の動きが遅く、従って行政や経済団体が独自で先に動いていたことを鑑みても、福島原子力発電所の事故に関する対応の余りにも無能な在り様を見ても、これ以上菅総理が首相の地位に留まることは国家的損失が大きい。

すなわち菅総理の首相在任期間が延びれば延びるほど、今回の震災復興の最も大きな妨げとなる可能性が高く、同様に辻元清美首相補佐官の今後の動向には極めて強い警戒感を感じる・・・。

震災復興の大前提の前に小さな事実が蔑ろにされた時、その地域を次に襲うものは綺麗な言葉の影に隠れた「モラルハザード」であり、海外からはこうした混乱時に秩序が維持された日本の在り様をして評価は高いが、その実こうした秩序を維持しているものは、声を上げられない弱者の犠牲の上に成り立ってきた緩く、また暗い全体主義である。

そしてこれが「日本」そのものなのである。

「光が闇を創る」・1

人間の世に完全なる「善」は存在できず、同じように完全な「悪」も存在できない。

これらを成し遂げたかに見えた者たちは、その自身の内でこれらの命題と壮絶な闘いを続け、そして何とかその命の尽きるまではこれを守り通したと言うことであり、既に心の内には相反するものが存在し続けるからこそ、守り続ける事ができたと言える。

そして人の世の「善」なるものは常に不完全なことから、この「善」はいつも「悪」と表裏を為し、その「悪」の最も深き所は限りなく善に近いところにある。

1995年1月17日未明に発生した兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)、この地震が発生した直後から他府県ナンバーの車が相当数震災被災地へ向けて移動していた。

同じように2007年3月25日に発生した能登半島地震、この地震災害でも正体不明のワンボックスカーが大挙して同地方へ移動していたが、やがて本格的にボランティア活動が始まるに付け、被災し倒壊した家屋からその家の財物、書画骨董などの収奪が始まってくるのである。

避難施設で不安な日々を過ごす被災者を尻目に、さも善良そうな顔をして瓦礫の撤去に当たる土建業者、しかしこうした撤去作業の混乱時に、瓦礫の下になっているその家の財物は、大半が許可無く持ち去られる現象が発生してくる。

こうした傾向を鑑みるに、地震はチャンスと考える者の意外な歴史の深さであり、関東大震災、安政江戸大地震でも同じようなことを書き残している者がいる事から、震災時に措ける収奪行為は、そこに知る人ぞ知る伝統のようなものが存在しているかの如くである。

またこれは震災に限った事ではないが、極度に混乱した状態は、かなりの期間その地域の治安を崩壊させ、そこで起こってくるものは暴行、強姦などの現象だが、これらの違法行為は大変陰湿な形で発生してくる。

一時的に身を寄せた遠縁の家で、また彷徨っている被災少女を優しく保護したように見せかけ、その影で為される強姦、これらは関東大震災でも多く記録されているが、兵庫県南部地震でも発生していた事実がある。

しかし一般的にはこうした事実は知らされることが無い。

その背景にはこうした事実が判明していくとボランティア活動に制限が加わるからであり、また日本の社会はこうした非常時には「多少の事」には目を瞑って大義を優先する傾向がある。

すなわち地域としての「顔」があり、これを簡単に言えば「風評被害」と称する辺りから極めて違法性を帯びた行為が容認されていく社会が出来上がり、その広がってしまった許容性は被災地域にその後も蔓延し、結果として被災地域の道徳的観念は大きく崩壊していくのである。

被災した地域ではより多くのボランティアや物資が必要になり、そうした実情は被災地域住民にどこかで大きな引け目を感じさせ、また発言にも気を付け、より多くの支援を請わねばならない自治体としては、都合の悪い事実は隠蔽してしまわなければならなくなる。

更にこうした動きは報道に措いて、より顕著な傾向を現してくる。
現代の報道は視聴率や聴取率偏重から、大衆の求めるものを報道して行こうとする、いわゆる大衆迎合報道でしかないが、こうした傾向がもたらすものは災害時に措けるその精神性のまずさである。

日本はこの震災の以前から政治的にも経済的にも崩壊しかかっていて、その中で民衆は大きな閉塞感を感じていた。
そして東北に大きな地震が発生し、巨大災害となってしまったが、ここに見るものは秩序の崩壊であり、そして非被災者達の見るもの、いや見たいものは人間的な美しさである。

「人は最後は優しい」「人間って良いものだ」「頑張ろう」などの美しい言葉が飛び出すが、これは全て非被災者の現実に対する不満の裏返しでしかない。

よってここでは汚い事実や非人間的な行為に対して拒否感が発生していて、こうしたことから報道もその地域が頑張って行こうと努力する映像は取り上げるが、その裏で広がる闇は震災の復興と言う大義の前に、全てがさらに深い闇に葬り去られることになり、それは表面的な美しさを持つ者達によってもどこかへ押し込められてしまう。

                          「光が闇を創る」・2に続く

「花は咲き乱れる」・2

ちなみに今回の静岡県東部の地震は「東海地震」とは関係がないが、海域で小さな地震が発生してくるときは東海地震と関東地震が決定的なものになるのかも知れない。

気象庁、地震研究の専門家は、関東地震に関しては南海地震や東南海地震、東海地震との関連性によって判断するだろうが、例えば今回発生した東北地方の日本海溝地震にしても、1000年に1度もこれだけの規模の地震は記録されていない。

それゆえ日本の地震研究で周期予測が可能なものはせいぜいが数百年周期でしかなく、もし2000年に1度の周期や、1万年に1度の周期が明日来るとしてもそれを予測できず、日本海溝地震のように大きな災害に見舞われる事になる。
その上に福島原子力発電所の事故であり、これは日本が国家存亡の危機に立たされていると言うことに他ならない。

だがしかし、おろたえてはいけない。
我々がこの日本で今暮らしている、そのことは何を意味しているか・・・。
我々の先祖はそれまでも有った日本のあらゆる災害に対し、血反吐を吐きながら、泣きながらでも、そこに明日の種を植えていったからです。

私も今日は稲苗の「種」を水に浸す作業に取りかかろうと思います。
3月11日以降、事実上日本の経済は止まってしまっています。
そして動揺し、気持ちが昂揚してどこかでみなの心が不安定になっていますが、どうか普段どおりの経済活動を継続してください。

東北の人たちを救う道は幾つもあります。
しかし悪戯に昂揚して経済活動を止めてしまうと、結局東北の被災者を救うことができなくなります。
更に今現地に走ったとしても、現地の少ない食料を食いつぶし、迷惑をかけるだけになります。
働ける人は働き、そして経済を支えることで東北の被災者を救済すべく奮闘してください。

最後に、今後地震発生の可能性が有る地域の方々に対して、まずネズミなどの小動物の移動がかなりの範囲で確認された場合、できればその日のうちに100kmは離れた地域まで避難してください。
同じように野鳥の移動が始まったり、夜は活動しないカラスが、夜鳴くなどの現象が確認されたら、すぐに決められた避難地区に避難をしてください。

広範囲で犬が異常に騒ぎ始めた場合も、できれば1日以内に避難できれば避難してください。
普段収獲されない魚が大量に川を遡上する場合、一箇所に大量の魚が集まっている、若しくは死んで浮かんでいる場合、太陽や空気に色が付いて見える場合、こちらは気象条件でも同じことがあるので注意が必要ですが、警戒してください。

固定電話の不通、テレビやFM電波に定期的に雑音が入る場合なども2、3日以内に大地震が発生する可能性があります。
また急激な気温の上昇や、風や雨が急激に止まってしまう場合、発光現象が現れる場合は地震発生までに時間が少ないものも有りますので、上からものが落ちてこない所まですぐに避難していただければ幸いです。

地震の前兆現象は発光現象以外は全て確率は3分の1ですが、近隣住民と連絡を取り合い、広範囲で異常が起こっている場合や、複数の異なった形の異常が確認されれば前兆現象として信頼性が高くなります。

もうすぐ春の花達が咲き乱れる季節がやってきます。
どんな厳しくても、どんなに悲しくてもこの地に必ず春はやってきます。

今日の現実の前に謙虚でありますよう、何も恐れず今日為すべきことを為す、このことを忘れずにお過ごし頂きますよう希望します。

「花は咲き乱れる」・1

放射能を語るとき、一般的に何か粒のようなものが有ってそれが摂取されたり、上から降ってきてかかるようなことを思うのは、正確には誤認である。

放射能と言う言葉は放射線を出す能力のことであり、これをして言うなら人体も微弱な放射線を出す能力が有り、いわゆる放射能である。

生物が影響を受けるのは実は核物質そのものではなく、その物質が放出する放射線によって細胞が傷つけられることを指していて、その意味では今回福島原子力発電所の事故で外気に放出されていると思われる放射性物質とは、放射線を出す能力を持つ物質が放出されていると言う事であり、微弱な放射線であれば、長時間放射線に晒されていなければ人体に影響はなく、また細胞もその程度ならすぐに傷を修復する能力がある。

2011年3月16日現在、福島原子力発電所の事故は、客観的に見るなら既に制御できるかできないかと言えば、制御不能の状態に陥っている可能性が高い。

こうしたことからもはや放射能漏れが確実になってきた事実を鑑みるなら、今後はその影響について、最大の鍵を握っているのは気象と言う事になるが、3月16日、関東沖にある2つの低気圧は西、若しくは北の風を関東に呼び、福島原子力発電所事故によって施設外部に放出された放射線汚染物質は、この関東沖の低気圧に向かって吹く北風に乗って関東地区へ飛散している。

唯これは福島原子力発電所から放出されている放射線量にも関係するが、強風によってかなりの距離を飛散するために、福島原子力発電所付近で観測される放射線量と同じ数値の放射線量が関東に飛散していると言う訳ではなく、その放射線量は人体に決定的な影響を及ぼすレベルにはならず、今後日本の太平洋沿岸を通過する低気圧の移動と共に、放射線物質の飛散現象は回避されていく。

だがここで一つ問題が残るのは「水」の汚染であり、低気圧に引き寄せられるように低気圧の中心に向かって引き寄せられた放射線は雨や雪となって地上に還元され、これが地下水脈や、水道浄化施設内の水を汚染する恐れがある。
一般にこうした事故で発生する核物質の半減期は短いとされていて、影響としては今の所それほど大きな汚染が起こるとは考えにくいが、低気圧が関東沖から移動した後、各自治体は水道水や地下水脈の水質検査を実施することをお勧めしておく。

ただし福島原子力発電所付近に水脈や水系を持つ飲料水は、現時点でもその摂取には注意を要し、この付近ではせめて乳児のミルクだけでも水道水ではなく、市販飲料水が使えることを祈るばかりである。

またこの福島原子力発電所の事故はその収束に関して、最速でも1ヶ月、最悪の事態では3ヶ月以上の時間が必要になるが、最悪の場合の収束とはソビエトのチェルノブイリ原子力発電所事故と同じ事態であり、人体に影響が出始めるのは事態が収束してからと言う可能性も有り得る。

また地震に関して、2011年3月15日、23時30分頃に発生した静岡県東部を震源とするM6の地震は最大震度6強を記録したが、この地震は厳密には2つの震源を持っている可能性があり、最初の地震が23時28分、そしてもう一つの地震が23時31分頃に発生しているように思える。

この地域は「相模トラフ」と「駿河トラフ」、それに北米プレート、ユーラシアプレートが交差する接点になるが、相模トラフの東端が先の日本海溝地震(東日本大地震)の最南端であることを考えるなら、広義ではこの地震は日本海溝地震の余震と言う事ができる。
しかしこうした傾向は2011年3月11日、14時46分に発生した日本海溝地震(東日本大地震)直後から予想されたものであり、ここで震源が2つあったと言う仮定が成り立つなら、概念として2つのプレート境界でストレスが放出されたと言うことになる。

ここから導き出されるものは、その1つ目が関東地方の地震であり、今回の静岡県東部地震の発生は従来だと関東地震に直結するものではないが、これまでの流れとして日本海溝地震が隣接する全てのプレートに影響を与えていった事を考えるなら、次にある程度の規模の地震発生を推測するとすれば、まず関東がその筆頭に上がってくることになる。

そして僅かな差ではあるが、この関東に続いて大地震発生の可能性があるのが、濃尾平野、中越沖、秋田県日本海側、北海道西南へと続くユーラシアプレート境界と言う事になる。
関東方面の方は更なる注意が必要であり、濃尾地方、中越、男鹿(おか)半島付近の海域、北海道南西沖海域の方も警戒して頂きたい。

                         「花は咲き乱れる」・2に続く

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この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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