「臭いものには蓋をして・・・」

「主任、このアルミ容器の中身が例の遺体ですか」
「ああそうだ、絶対蓋は開けるな」
「でもこの状態だと検視ができませんが・・・」

「そんなもの必要ない、仏さんは既にまる24時間以上密閉状態にあるんだ、それで充分だ」
「しかし、それで本当に問題は起きないんですか」

「ウォーレン、お前死にたいのか、既にこの死体のおかげで少なくとも6人が死にかけているんだぞ」
「責任は局長が取ると言っている、良いか、誰も近づけるんじゃないぞ」
「分かりました」

物々しい防護服に毒ガスマスクをつけた二人の検視官「ウォーレン・ターナス」とその上司である「マイケル・ロッジス」は、こうしてその遺体の入ったアルミ容器を部屋の真ん中に置き、立ち去っていったが、このリバーサイド市検視局の建物の周囲では更に物凄い警備体制が引かれ、検視局の周囲はさながら空気感染のウィルス病でも発生したかと思われるような、防護服に毒ガスマスクをつけた警察官等によって厳重に封鎖されていた。

ことの発端は1994年2月19日、一人の女性がロサンゼルス市の東側にある、リバーサイド市総合病院に搬送されたことから始まった。

末期の癌と診断された「グロリア・ラミレス」さん、当時31歳は自宅で科学療法を続けていたが、2月19日突然胸を押さえて苦しみだし、やがて意識を失ったことから、家族によってリバーサイド市総合病院に搬送された。

リバーサイド市総合病院の担当医師はグロリアさんを診るなり、これは緊急の心臓手術が必要と判断、早速彼女は集中治療室へ運ばれ、そこで手術のための採血が行われたが、この際グロリアさんの血液には何故か透明とも、乳白色とも判断の付かない細かい塩の結晶のようなものが大量に混入していることが目測でも確認された。

そこで集中治療室のすぐ脇にある手術室で、助手の医師がグロリアさんの血液を顕微鏡検査しようとした、まさにその時だった、突然採血したグロリアさんの血液が少し泡立ったかと思うと、一瞬にして室内には強烈なアンモニア臭が充満し、執刀医、助手、手術の準備をしていた看護婦達が次々倒れだしたのである。

この事態を隣の集中治療室で見ていた他の看護婦たち、慌てて手術室や集中治療室の窓やドアを全開にすると、急いで倒れた執刀医や看護婦たちに駆け寄るが、既に全員意識不明の状態だった。

また別の看護婦は急いでこの事態をリバーサイド総合病院首脳部に報告に走り、事態を重く見た総合病院首脳部たちは、事件発生から30分もしないうちに入院患者の緊急避難を指示し、こうしてリバーサイド総合病院は一時騒乱状態となった。

そして原因不明のアンモニア臭で倒れた6人の医師や看護婦達は近くの他の病院へ搬送され、そこで酸素吸入などの処置を受けたが、このうち2人は重体で、その後しばらく絶対安静を要すこととなったのである。

またこの原因不明のガス発生により、グロリアさんはその1時間後に死亡が確認され、この時彼女の死亡を確認した医師が手術室に入った時には、既にアンモニア臭は存在していなかった。

そればかりか、この事件を隣の集中治療室で見ていた看護婦の一人は、アンモニア臭の毒ガスは、採血された血液から出たのではなく、グロリアさんの体から白い霧が噴出するように発生したのだと証言するに至り、ガスの発生源はグロリアさんだったことが判明したのである。

グロリアさんの死亡は確認された。

しかし彼女の死因に付いては心臓発作なのか、或いは自分が出した毒ガスによって死亡したのかは不明なまま、遺体は検死局に送られる事になったが、原因が特定できない事、また死後もグロリアさんからガス発生の可能性が否定できない事から、結局グロリアさんの遺体は検視局でも誰も検視しようと言う者がおらず、死亡原因が不明のまま2重になったアルミ容器に入れられたグロリアさんは、その後極秘裏に当局立会いの下、親族によって特別に作られた墓地に埋葬されたとされている。

だがことの真相はどうだったのだろうか。

本当は何か別の原因があったようにも考えられない事はないが、それにしても死因も特定されず、まるで隠れるようにして埋葬されたグロリアさんは随分気の毒な気がするし、そもそも人体が毒ガスを発生させる事など有り得るのだろうか。

ガスの発生源も特定されず、もし万が一グロリアさんがガスの発生源なら尚の事詳しく検視する必要があったように思うが、全ての真相はグロリアさんが墓の中へ持っていってしまった。

この事件以降、リバーサイド市で人々が原因不明のまま、バタバタと倒れて行ったと言う話しは聞いていないが・・・。




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「台風と言うエネルギー」・Ⅱ

台風が来る前の気象は温度が上昇する場合、その時点では計測地域が台風の右半分に入る位置に有ることを指していて、気温の微弱な低下は、その地域がその段階では台風の左半分に入るだろう地域に位置している事になるが、その後の進路の変化によっては、台風の危険半円に入るか、可航半円に入るかは判断できないが、いずれにしても台風が接近することは確かとなる。

また台風は中心から半径50kmないし、大きいものでは300kmほどの範囲で「暴風圏」を持っているが、この円内の右側半分では風速25m以上の激しい風を伴っていて、瞬間最大風速はこの円内で発生する。

しかし台風がもっとも危険な状態なのは、その勢力が衰え始め、暴風圏が消える時期であり、これは暴風圏がなくなったことを指しているのではなく、大きな暴雨風域がちぎれて小さな暴風域へと散逸してしまうと言う意味を持っている。

従ってこの場合、台風の中心から遥かに離れた台風の外円付近で小さな竜巻が大量発生することがあり、この点では気象庁の発表で「暴風圏がなくなりました」と発表されても、更に暫くは注意が必要である。

今回日本に接近中の台風2号だが、中心気圧が現在の段階で935ヘクトパスカル、最大風速は毎秒50m前後、そして瞬間最大風速はおそらく毎秒75m前後になるだろう。

気象庁はしきりに雨の土砂災害を警戒するよう発表しているが、これから台風が接近する沖縄地方、九州から北陸を含む西日本、それに関東、東海、甲信越では土砂災害の警戒は勿論、強風による家屋の倒壊にも充分な警戒が必要になる。

台風の進路については、凡そ気象庁のスーパーコンピューターの判断はそう大きく外れないと思うが、日本本土上陸時の中心気圧が970ヘクトパスカル以下の低い気圧のままである場合、それでも地域によっては最大風速が30m、瞬間最大風速は50mを超える場合があり、これは竜巻の風速に順ずるものであることを憶えておくと良いだろう。

竜巻の平均風速は毎秒70mから110mと言われているが、現在日本を伺っている台風は、まさにその風速を維持している強力な台風なのである。

自然界で発生する現象はどれも同じように見えて、その実まったく同じものはただの一回も起こらない。
毎回が例外で想定外のことであり、それゆえに起こってくる被害も毎回予想もできない事になる。

日本と言う国は巨大な大地の裂け目にあって、気象的にも全てがそこから変化していく、言わば地球のエネルギーが集中しているトレーダー(分岐点)のようなところに位置している。

古来より「赤いものが出る土地は人の血を求め、力が集まる土地は天災が多い」とされているが、前者はルビーや石油が出る地域のことを指して、後者は古代文明がそれを基盤に発展したであろう大河、つまりは「水」の豊富なことを指していて、水の豊富な土地は膨大なエネルギーが集中している地域と言う事ができるが、これはすなわち激しい気象現象が多いと言うことを物語っているのである。

そして大地の底で膨大なエネルギーを持つ地域には、そこへ向けて同じように膨大なエネルギーを持った気象現象が引き寄せられてくる傾向があり、このことは低気圧が一週間で同じで地点を3個以上通過した場合、その地点に大きな地震が発生することが多くなることをしても明確であるように思える。

日本、及び日本人はこうした地球のエネルギーが集積する一つの「場」に存在していて、ここであらゆる自然のエネルギーに耐えて、日々の営みを続けてきた民族である。

嫌なら止めれば良い、都合が悪ければ失くせば良い、異種の文明が出会ったときはその劣勢にある者が支配を受けるか、それで無ければ滅亡するかと言うような、近代西洋文明の価値観では全てが語れない部分があり、もしこうした価値観だけで日本を考えるなら、その先には全国土的な「消滅集落」現象を引き起こす可能性があるように思える。

同じように赤いものが出る地域の現在の騒乱を考えるに、こうしたある種西洋の合理的な考え方では解決の付かない暮らしを続けてきた文明が、今まさに西洋文明が持つ合理性と言う非合理性によって揺らぎ、そして本来の有るべき姿に立ち返るのか、それとも文明的に完全に崩壊していくのかの分岐点に立っているように見え、その先鞭だった日本は今、文明的に欧米ががそうなったように、あらゆるものを服従させ、その反面いろんなものを取り込みすぎて起こる、「力の溶融」へと向かっているのではないだろうか。

地震や台風の被害が拡大していく今日の在り様を鑑みるに、そんなことをふと思うのである。

ちなみに私は子供の頃、台風や嵐が来ると言うと心のどこかではわくわくしていた。
空を見上げながら、低気圧や台風が「今からそこへ行くぞ」と言っている声が聞こえるような気がしたものだった。






「台風と言うエネルギー」・Ⅰ

台風が2つ並んで発生してきた場合、若しくは離れたところにある台風が2つ近付いた場合、この時2つの台風は相互に影響しあい、一つは北西に向けて、そしてもう一つは南東方向に向けて、反時計回りに移動していく。

このことを「藤原効果」、または「藤原の効果」と言うが、この藤原効果の語源は第五代中央気象台長「藤原咲平」(ふじはら・さくへい・1884年ー1950年)東京大学教授の名前に由来している。
北太平洋西部で発生する熱帯低気圧の内、最大風速が34ノット(毎秒17・2m)を超えるものを台風と呼ぶ。
インド洋上で発生する場合は「サイクロン」、大西洋で発生するものは「ハリケーン」と呼ばれるが、全て構造は台風と同じものである。

暖気団(暖かい空気)中の対流活動によって、水蒸気が凝結するときに放出される凝結熱がそのそのエネルギー源であり、台風の雲の厚みは10km以上に達する。
中心部は下降気流で雲が切れる事から、この部分は晴天域となるが、周囲に聳え立つ積乱雲の壁の中は、膨大なエネルギーが暴風雨に変換されている。

台風の進行方向を正面とし、その右半分は風が強くなるが、それは台風の進行方向と台風自体の回転方向の相乗効果によるもので、これに対して進行方向の左半分は比較的風が弱い。
それゆえ海上を運航する船舶関係者たちの間では、台風の右半分を「危険半円」、左半分を「可航半円」と呼ぶのである。

そして台風の進路について「一般流」、つまりは大規模な大気の渦を流す風のことだが、これに流されれば進行方向はその風の流れと同じになり、一般流が弱いと台風の進行方向はジグザグの「迷走台風」となる。

また偏東風帯の中を西、若しくは北西に進んだ台風が偏西風帯に達し、急激に西方向から東方向に進路を変更する点があり、このことを「転向点」と呼ぶが、この位置は緯度で言えば25度から30度線付近となる。

また台風の大きさ強さは、1991年より気圧基準から風速を基準としているが、台風の気圧からその台風の風速を大まかに計算する場合、付近にある高気圧の気圧から台風の気圧を引き、それに0・75をかけると凡その最大瞬間風速が求められるが、台風が発達段階にあるとき、すなわち暖かい海水域に有る場合は係数が0・75より大きく、0・82となり、台風の勢力が落ちていくとき、つまりは冷たい海水域に達した場合、または上陸した場合は係数が0.72となっている。

例を用いるならば近くに1020ヘクトパスカルの高気圧があり、そこへ950ヘクトパスカルの台風が進んできた場合、その瞬間最大風速は52・5mとなるわけだが、ここで間違えてはならないことは「最大風速」と「瞬間最大風速」は同じものではなく、瞬間最大風速の場合は、その地形なども関係することから、一定の目安として用いる事はできても正確な数値は求められず、この計算式は一般の低気圧の瞬間最大風速を求める場合も有効である。

ただ、話の末尾で申し訳ないが、この計算式は気象庁が認めているものではなく、私独自のデータ解析である事から社会的信頼度は全くないことも付け加えておかねばならないだろう。

更に台風の進路は何も気象庁しか分かってはいけないと言うわけではなく、むしろその進路に当たる地域で発生する事前の現象によっても、現在私達が住んでいる地域に台風が接近するか否かを判断することは可能で、一般的に大きな台風の進路に当たる地域では地震の前兆現象と同じ気象現象が確認される。

九州地方に昔から言い伝えられている気象判断で、空の大部分に雲が有りながら、西の空に晴天域の隙間で出てくるときは、大嵐になると言う伝承があるが、同じような伝承は鳥取県山間部、福井県、富山県、石川県の山間部でも伝承されていた。

ただしこうした伝承については大地震が来るとする伝承も同じように残っている。
またキジについて、これも多くの地域で里でキジを見かけると、それは天候が荒れてくる前触れとする伝承が有るが、こちらも地震の前触れにも現れるとなっている。

そして我々が身近に判断できる台風の進路判断だが、前日の夕焼けがいつもと違うピンクや黄色、紫の光を帯びている場合、その地域は翌日に台風が接近する可能性が高く、この現象は大きな低気圧の接近でも同じような現象がある。

その他気温の上昇や微弱な気温低下、湿度の上昇や、どことなくイガイガとした不快感なども気象変動の前触れとなることが多い。

                                            「台風と言うエネルギー」・Ⅱに続く




「窓を開けよう・・・」

毎朝決まって4時45分頃、一羽のカラスが「があー」と鳴きながら家の窓近くを飛んで行く。
いつもその少し前に目が醒めている私は、このカラスのひと鳴きで布団を上げ、そしてまず最初に納屋の窓を開けることから一日が始まる。

納屋では10羽以上のツバメ達が「遅い!」と抗議するように私の頭上すぐ近くを飛び交い、窓が開くと、まるで矢のような速度でみんなが一斉に外へ向かって飛び出していく。

夜になって帰ってきたツバメ達を狙う者は多く、窓を開け放しておくと蛇や猫などが入ってくる事から、夕方暗くなってツバメ達がみんな帰ってきたら、窓を閉めるのが私の仕事ならば、朝になってそれを開けるのも私の仕事で、この仕事は以前であれば毎年母がやっていた。

しかし今年からは既に母は亡く、父親も杖をついてやっと歩ける程で、結局自分が一番早く起きてツバメ達の世話をするしか無いのだが、こんな些細な事でも毎年続けていた母を、今更ながら凄いと思わざるを得ない自分がいる。

それから血圧の低い妻は朝早く起きられないことから、朝ごはんの支度をするのだが、その途中に顔を出すのは高校2年の娘で、少し手伝ってくれる事もあって、30分ほどで朝ごはんの支度を終えた私は、稲の苗に1時間かけて水をやり、かえってきたら父親に食事を食べさせ、それが終われば既にもう朝は7時頃だろうか、そして毎日夕方6時過ぎまで農作業が続く。

春は農家にとって秋と同じくらい忙しく、田起こしに始まり「しろかき」をし、肥料を撒いて水を張り、田植えをしなければならない事から、毎日が戦争のような忙しさだったが、どうやら昨日29枚ある田んぼの全ての田植えが終わり、水を張ったその畔を歩いていると、後ろから僅かなそよ風が自分の背中を押すように吹いてきて、その余りにも穏やかな夕方の景色は私をどこかで少しだけ寂しくさせる。

思うに人の寂しさとは大きな悲しみよりも、むしろこうした僅かな寂寥感の中にあるのかも知れない。

母があれほど心配していた稲の苗は気候が暖かくなるに従って順調に生育し、結局昨年よりは1週間ほど遅れたが、何とか田に稲が植わり、一面鏡のようになった水面が映す夕焼けの色は、どこかで母親の匂いを感じさせた。

毎年家では田植えや稲刈りが終わると、家族で寿司を取ってささやかな慰労をしていたが、それを思い出した私はこの日風呂に入って着替えを済ませると、家族と事業の方のスタッフ分の寿司を買いに行き、そして何を考えていたのだろうか、饅頭を20個も買って来てしまった。

甘いものが好きだった母に供えようとして思わず買いすぎてしまったが、これが100個でも決して多いものでは無かったと思う。
それから夕飯はみんなで寿司を食べたが、母の遺骨の前に饅頭を積み上げた私は、やはり「バカだな、饅頭も食べられなくなって」と思い、また寿司を食べながらも何も美味いとは感じなかった。

だがここまでだ・・・。
母が死んでから以降、少しは恨みがましく姿でも見せるのかも知れない。

そしてもしそうしたときが有ったなら、自分も愚痴の一つも言ってやろうと思っていたが、全く何の気配もなく家から消えてしまい、父親が気にして大工さんに作り直して貰った納屋の階段のすぐ真上には、ツバメが巣をかけている。

どうやら母の旅は完全に終わってしまったようだ。

思えば今年の1月ごろだろうか、ブログの師匠とも呼べる人から「物事が煩雑になったら捨てていく事や、諦めていくことも大切だ」と言う言葉を頂き、それに対して私は「自分は欲張りだから全て手放さない」と言ったことがあったが、あれは間違いだった。

忠告は聞いておくべきだったが、時既に遅く、大きなものを失って始めて気づく事になってしまった。

おそらくこれから先、何か美味いものを食べる度に母を思うだろう、何か楽しい場面に遭遇してもやはり母のあの惨めな姿を思うだろう。
しかしもう女々しいことは考えまい。
私は「生きていこうと思う」

眼前に広がる現実にただひれ伏し、それこそが我が全てと思い、また駆け抜けて行こうと思う。

母の死と言う個人的な事で多くの方から励ましの言葉を頂き、本当に有り難く思いました。
そしてこうした個人的なことで、多くの方を自分の感情に巻き込んでしまい、不快な思いをさせてしまった事を心から陳謝します。

母の話はこれで終わりです。

次回はいつになるかは分かりませんが、また以前のように色んな視点から記事を書いて行きたい、そう思っています。



いろいろお言葉を頂き、本当に有難うございました。




プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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