「3通の遺書・Ⅱ」

この話は多少脚色したものの、私が中学生の時に読んだ小説か、或いは政治学の本だったかに出てきた有名な話だったと記憶しているが、その意図するところはソビエトのレーニン、スターリン、フルシチョフと言う、ソビエト社会主義革命の初期指導者達の関係を示したものと自身のうちでは認識していたが、これは政治を考える上でも実にその根本を突いた逸話でもあった。

一つの国家の政治状況が戦い、つまりは革命もその一つだが、国民の意思によって武力で変化する場合と、同じように選挙などによって国民審判を得て変化していく以外の政治権力者の移行、変化は通常「政権移譲」と呼ばれるが、こうした場合は概ね冒頭に掲載した話と同じ経緯で政治が動いて行き、そこに暗躍する政治家も大体がソビエト社会主義革命黎明期のような様相となる。

たまたま昼休みに外出から帰宅し、ニュースを見ていたら、民主党代表選挙の演説が行われていて、そこで民主党各代表候補の演説を聞いて思ったことは、これから2年かけて日本は間違いなく潰れていくだろうなと言うことだった。

そもそも国家の最高責任者を決めるのに、2日や3日しかないと言う事態も国民を愚弄しているが、民主党の代表候補は軒並みビジョンが無い。
哀愁に満ちた自分の苦労話に演説の大半を割く馬鹿が、政治を口にするなど笑止千万である。

この代表選で一番自分の苦労話が長かった候補者が「野田佳彦」であり、結果として同氏が民主党代表、つまり次期内閣総理大臣に就任することになるが、もともと野田氏の政治的スタートは「松下政経塾」から始まっており、この塾の出身者はそもそも政治家には向いていない。

事業的に大成功を収めた松下幸之助、現在のパナソニックを始めとする松下グループを築いた創始者だが、彼は晩年、幕末の1842年(天保13年)、「吉田松陰」(よしだ・しょういん)が開いた「松下村塾」(しょうかそんじゅく)に憧れ、「松下村塾」の出身者である「高杉晋作」や「桂小五郎」のような政治家を現代にも育てようと、1979年に始めたのが「松下政経塾」(まつしたせいけいじゅく)である。

だが方や江戸幕府から明治の移行期に、若くしてその命もいとわず日本のことを思った吉田松陰の「松下村塾」と、経済的に成功を収め、単に憧れから始めた松下幸之助の「松下政経塾」では、その発生から始まって「志」と「老害」程の差が有った。

松下政経塾は適切な指導者がおらず、その初期は松下電器産業から出向してきた松下の社員が教鞭を取っていたのであり、その後こうした経緯を問題視する声を無視できず、何と同盟系、民社党の研修機関である「富士政治大学」をモデルにしていったのである。

このことからその理想とするは「保守」にありながら、手法は左翼系の矛盾した政治家を多く排出する事になり、それが細川護煕内閣総理大臣が起こした日本新党で花開き、結果として日本は亡国の危機に晒されたのであり、そのメンバーの多くが民主党に残存し、そしてまた今日、日本を亡国の危機に陥れようとしている。

野田佳彦氏は管直人政権下で財務大臣に就任したおり、増税には慎重論を唱えながら、その後何もなかったようにのっぺりした顔で増税を口にする、最も松下政経塾出身者らしい政治家であり、この人物が選択できる日本の政治状況は良くて「独裁」、恐らく最後は全てに調整が付かなくなり、何も決まらない政治状況を生み出し、その付けは国民と言う事態を引き起こす事は間違いない。

その上に現在日本は国土的にもとても危険な時期に突入していて、いつ何時関東地震や東海地震、九州北部震源域地震、秋田県沖震源域地震、北海道南西沖震源域地震、長野震源域地震、岐阜震源域地震が発生してもおかしく無い状況を向かえ、経済は景気の停滞もさることながら、国際的にも呆れらている状況に加え、台頭する中国情勢、帝国主義化するロシア情勢や、不安定化する北朝鮮、中東情勢などの外交問題を抱え、それら全てに対して全く方向が示されていない。

民主党代表選挙で誰か一人でもこうした問題に、道筋をつける発言をした者がいただろうか。
日本は今、この段階でも世界第3位の経済大国であり、1位のアメリカと2位の中国との差が縮小しつつある状況は、まさに第3位の者がその地位以上の影響力を行使できるチャンスなのである。

しかるにこうして弁舌爽やかなれど、内容は空っぽの政治家の在り様は何だ。

恐ろしいから小沢一郎の影響力を避け、三流の人間を代表に選らぶ民主党政治の消極姿勢は必ず政治を愚鈍化させ、国民は災害の被害に加え、民主党政権が大きくする災害の被害を被る事になる。

革命による国民審判か、若しくは国民の選挙による審判がない、いわゆる党内の代表選挙だけで政権移譲された政権が取れる政治手法は「独裁」か、「野合政治」のどちらかになるが、独裁と言う命がけの病と孤独に耐えられない者が政権移譲された場合、その国家が辿る道は「崩壊」以外には存在し得ない。

そして日本には、おそらく3通の遺書も残されてはいない・・・。
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「3通の遺書・Ⅰ」

ひとりの権力者がこの世を去る時、本当は気に入らないが、既に次の権力者となっている男を病室に招いた。

「閣下、私に如何なるご用向きでしょうか」
その次の権力者は自分が実権を握るために追放した、まさに当人で有る以前の権力者を前に慇懃な言葉遣いで敬礼する。
「心にも無い態度はもうよせ」

「私を追放し、そして私の力を使って仮面を被り、多くの者を欺いた独裁者よ」
「これは閣下のお言葉とも思えない」
「私は常に閣下の為に、そしてこの国家の為に働いて来たつもりですが、まことに心外です」

「もう良い、私はお前の事は大嫌いだが、この国を愛している」
「ゆえに、この国がもしお前がいなければバラバラになるなら、お前も愛さねばならぬ」
「閣下、賢明な選択です」

「私はもう長くない」
「閣下、どうかいつまでも長生きして、我々をご指導ください」
「心にもない事を言うな!、早く死ねと思っているだろう」
「・・・・・」

「まあ良い、そこで最後にあたって、お前に遺書を残して置こうと思う」
「私にですか・・・?」
「そうだ、もし自分が政治的に行き詰まったら一枚づつ読め」

そう言って前の権力者は今の権力者に3通の封書を渡し、そこには1から3まで、開封する順序が記されていた。

「良いか、行き詰まったらその度に一枚ずつ読むんだぞ」
「閣下、ありがとうございます」
今の権力者は舌を出しながら、それでもやはり慇懃に深い礼をすると感謝の言葉を口にし、それを聞いて安心したのか前の権力者は静かに息を引き取った。

そして新しい権力者の政治的危機は意外に早く訪れ、地に落ちたとは言え前権力者の影響者達が次々反旗を翻す中、行き詰まった権力者は「遺書」の事を思い出し、その1枚目を開く。

「この手紙を読んでいると言う事は、反乱者が続出していると言うことになるだろう、従ってその打開策は私を必要以上に持ち上げ、そしてその路線を継承するとしていくことだ」

行き詰まった権力者は藁をもつかむ思いで、これを実践し、そして危機は去っていく。
やがて数年は安定した時期が続くが、そうこうしている間に、どこかでは景気も悪くなり、またしても権力者に対する批判が国内に渦巻くようになり、権力者は2度目の危機を迎える。

「どうしたら良いものか・・・」
「あっ、そうだあの遺書があった」
権力者は今度は2枚目の遺書を開封する。

「またしても危機か、今度は徹底的に私の路線を否定し、私を貶めることだ」
前権力者の遺書にはそう書かれて有った。

「そうか、今度は反対の事をすれば良い訳だな・・・」
権力者はそれから改革と称してこれまでのやり方を一掃し、崇め奉っていた前権力者が悪かったと言うプロパガンダを始め、これに賛同した市民たちはやがてまた大人しくなって行った。

「この遺書はすごいな・・・」
権力者は改めて前権力者の力の偉大さを思い知り、それからは政治も順調になっていくが、そんな権力者も少しずつ健康に不安が出始める頃、またしても国内政治が不安定になってきて、中々警察や軍隊でも抑えきれなくなってきた。

この危機に際し、もはや絶対的信頼を持つにいたっている前権力者の遺書が有ることから、そう大して慌てずに最後の遺書を開封する権力者、しかしそこにはこう書かれてあった。

「まず私が書いたものと同じ内容の遺書を3通書け」
「そしてそれを次の権力者に渡したら、ピストルに弾丸を込めて、それをこめかみに当てて引き金を引け」

                                                     「3通の遺書・Ⅱ」に続く

「ただ1羽のヒナ」

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2011  8 24    Old  passion

今年も家の仕事場からは、恐らく100羽を数十羽の単位で超えるツバメたちが巣立っていったに違いない。
毎日階段を上がり降りする度に「こいつは何だろう」と言うような顔をして、こちらを見ていたツバメのヒナたちは、今はもう元気でみんな風を泳いでいる。

だがこうして大方が元気に巣立って行く中で、どうしても生きることが出来ない命と言うものも現れてくるが、一番最後に二度目の卵を生んだツバメの巣には、合計で5羽のヒナが生まれたにも関わらず、カラスに巣が襲われ、その為に1羽のヒナが犠牲になり、残りのヒナも全て巣から落ちてしまった。

こうした事からかわいそうに思った私は、それから梯子を使ってヒナたちを巣に戻したが、一度襲われた巣を警戒するのか、恐らく親鳥の指示なのだろう、何度巣に戻してもヒナたちは自分から巣の下に落ちていった。
そしてこうした事が続く中で2羽のヒナが、それぞれ1日を措いて次々朝になるとコンクリートの上で死んでいた。

毎朝5時、私はこうしたツバメたちや、一度巣立ってもしばらくは戻ってきているツバメたちのために窓を開ける。

そのとき天井付近を舞う元気なツバメたちと、コンクリートの土間でまだ羽ばたくこともできない本当に小さなヒナが二羽、互いに体を寄せ合っている様の、あまりの落差に涙を禁じ得ないものがあったが、やがてそれから2日後、その2羽しか残っていなかったヒナの内、更に1羽が弱って死んでいて、その隣で寂しそうに鳴いているツバメのヒナに手を差しのべると、まるでしがみつくように指にとまってきていた。

「あー、この命の何といとおしい事よ・・・」
何とかしてこの1羽だけでも生かしてやりたい」そう思ったものだった。

幸い親ツバメはコンクリートの土間にいるヒナに餌は運んでいるようだったことから、あとは猫や蛇が入らないように目張りを増やし、たった一つの出入口にはトタン板を切って、それを折り曲げて外から打ち付け、カラスが窓にとまれないようにし、夜はネズミから守るた為、ヒナに網目の籠をかぶせていた。

二階からそーっと覗いていると、コンクリートの土間にいるヒナに親ツバメがやはり土間まで降りて餌を与えていた。
また先に巣立って行った他の巣の子ツバメたちが、やはりこのヒナの上の止まり木にたくさん来ていて、ヒナに何か語りかけているようで、それに対してヒナも何か言葉を返しているようだった。

そしてようやくこの大きさになった。
今ではたまに羽を動かすこともあるし、私が近くに行っても逃げずに、少し首をかしげたようにこちらを見ている。
鳴き声もかなり元気になり、この調子だと来週には恐らく飛び立つことが出来そうだ。

思えば母がこの世から旅立って行くのと入れ替わりのようにしてやってきたツバメたち、この4ヶ月の間に彼らは100を超える生命を育み、私はおかげで全ての田に稲穂を実らせることができた。
死んでいく者と生きる者のこの落差の何と甘美な事よ・・・。
生きていると言う事は何と大きな事よ・・・。

暑い夏、炎天下でのたった一人の農作業、あまりの苦しさにコーラをがぶ飲みし、軽トラックの影でへばっていても誰も知る由もないが、どこからやってくるのかたくさんの尾羽の短いツバメたちが周囲を舞い、それは私の耳元をかすめるように何度も行き来していた。

その姿にわずかに元気を取り戻し、「よし、もうひと頑張り」と腰を上げたものだった。

この最後のヒナ、彼が大空に舞い上がったら、じきに稲刈りの準備が始まる。
また仕事もどんどん新しい企画が始まって来る。
私の生き方はもしかしたら間違いだったかも知れない。

でもこれで良かった。
これが私だった・・・。

「2・真夜中の伝言」

関東大震災に関してはその後詳しい記録や調査がなされている。

そのため地震に関して膨大な資料が残されているが、この中には少なくと10件前後、この頼子さんと同じような経緯で震災を逃れた人の記録が残っていて、同じような証言は1995年1月17日に発生した「兵庫県南部地震」(阪神淡路大震災)でも、少なくとも6件の証言が残っているが、次は兵庫県南部地震でのエピソードを紹介しておこう。

神戸市東灘(ひがしなだ)に住む食品販売店店員の早坂達夫さん(仮名・当時29歳)は、仕事が終わってから友人とスナックへ出かけ、そこからアパートに帰り付いたのは午前1時少し前だった。
帰り着くなりパイプベッドで横になった早坂さん、洋服を着替えなければと思いながらも思わずウトウトしてまい、もう少しで深い眠りに落ちる寸前だった。

突然アパートの戸を叩く音でその落ちていきそうな意識は呼び戻され、暫く無視していたが、一向に戸を叩く音は収まらない。
「誰だ、こんな時間に」
ブツブツ言いながらも玄関の戸を開ける早坂さんだったが、何とそこに立っていたのはアパートの隣に住む佐藤義男さん(仮名・44歳)で、ひどく慌てたように奇妙な話を始める。

それによると昨夜9時ごろ早坂さんが留守だからと言って、西山ゆかりさん(仮名・当時23歳)の弟だと言う人が訪ねて来て、早坂さんに伝言を頼みたいと言われたので、その伝言を伝えに来たと言うものだった。

確かに西山ゆかりさんは当時早坂さんと付き合っていた、だがこんな時間に伝えなければならない伝言とは一体何だと思って聞いていると、これがまたさっぱり要領を得ず、かろうじて分かることは地震が有って道が通れないからすぐに迎えに来て欲しいと言うものだった。

しかし地震など無いし、道路もどこも混んでなどいない。
「佐藤さん、疲れているんですよ、もういい加減にしてください」
そう言って早坂さんは戸を閉めようとしたが、それでも佐藤さんは全く聞いていないかのように同じ説明を繰り返す。

やがてあまりにしつこい佐藤さんに正直なところ根負けした早坂さん、「はい、はい分かりました」と言って、用意をするからと無理やり玄関の戸を閉め、またベッドに横になるが、あれだけしつこかった佐藤さんはそれ以後諦めたのか静かになった。
そして次に早坂さんが目を醒ましたのは1995年1月17日午前5時46分50秒、震度7の地震が発生している最中だった。

早坂さんも西山さんも佐藤さんもこの震災で住居は被災したが、幸いにも皆かすり傷程度の負傷で事なきを得、後日西宮(にしのみや)の西山さんを訪ねた早坂さんは、この夜の佐藤さんとの押し問答の事を西山ゆかりさんに話すが、彼女も彼女の弟もそんな事を伝言しに行った事は無く、それから早坂さんは佐藤さんにも確認するが、佐藤さんも「そんな話は知らないし、夜中に訪ねるなんて非常識な事はしていない」と言われてしまう。

では早坂さんが体験した事は全てが夢だったのだろうか。
前述の武藤頼子さんのエピソードもそうだが、早坂さんの体験は、夢にしては少々手が込んでいるようには思えないだろうか。

即ちこうしたエピソードを考えるに、そこには何をすればその人間が一番早く動くかが知られているような感覚がある。
母親や恋人、父親や兄弟姉妹、友人や近所の人、どれも近い関係の人ゆえに夢には出てきそうなものだが、実は普段近親者が夢に出てくる事は少なくはないだろうか。

それが地震の時はなんの脈絡もなく訪れて緊急事態を告げる訳で、たった2つの事例で決めつける事はできないが、関東大震災と兵庫県南部地震の被害規模を鑑みるに、その緊急性に若干の手心が加えられているような、そんな性格の悪さと言うか、いやらしさをも脳機能に感じてしまう・・・。

だが、それはもしかしたら自分の心、自分の性格の悪さや人間的いやらしさを棚に上げて、脳機能のせいにしているだけの可能性も大いに有り得るか・・・。

「1・電  報」

寝苦しい夜だった。

武藤頼子さん(仮名・当時19歳)は中々寝付けず、右へ転がって見たり、左へ転がって見たりしていたが、それでも中々寝付けず、どうだろうか太陽こそはまだ昇ってきていないものの、午前4時位ではなかっただろうか、やっとウトウトした直後のことだった。
階下から叔母の呼ぶ声が聞こえ、「はーい」と返事をすると、下から叔母が上がってきて頼子さんに電報が届いたからと、一枚の電報が渡された。

こんな時間に電報・・・。
「一体何かしら」とその電報を読んだ頼子さんは仰天する。
「ハハ、キトク、スグカエレ」
電報にはそう書かれて有ったのである。

「これは大変」、頼子さんは慌てて身の回りのものをまとめ、身支度すると階下の叔母や叔父に事の次第を説明しようと、階段を降りていったが、おかしな事もあるもので、先ほど電報を持ってきてくれた叔母の部屋、ここには叔父も一緒に寝ていたが、何度叔母を読んでも返事が無く、中からは微かに寝息が聞こえる。

「変ね、電報を持ってきてくれてからまた寝たのかしら」

何と無く釈然としないものを感じながらも、確か上野から高崎(群馬県)行きの汽車は6時過ぎだった事を思い出した頼子さんは、前日も店が忙しく、疲れているだろう叔父夫婦を起こすのもしのびない気がして、便箋を取り出すと事の次第を書いて、それを居間の机の上に置くと、叔父達を起こさないように静かに叔父夫婦の家を後にした。

上野駅までは歩いて20分くらいだろうか、既に太陽が昇り、かなり明るくなった道を駅へと急ぐ頼子さん、しかし駅へ着いて見るとまだ6時の汽車が出るまでには少し時間が有り、ベンチに座って汽車を待っていたところ、暑さから昨夜全く眠れなかった事もあってそこで少し寝込んでしまった。

やがて駅員の東北本線汽車の発車案内の声で目を醒ました頼子さんは、慌てて汽車に乗り込み、そこでも眠り込んだが、この日、1923年9月1日午前11時58分に関東大震災が発生するのである。

頼子さんがこの地震の事を詳しく知ったのは翌日のことだった。
だが不思議なことに、店が忙しいので叔父夫婦の手伝いに行っていた頼子さんが実家に帰ったところ、彼女を出迎えたのは何と危篤のはずの母だった。

おまけに実家の者でそんな電報を打った者はおらず、確かに叔父夫婦の家から出るときには持っていた電報がそもそもどこからも見つからない。

そして不幸中の幸いと言うべきか、店こそ焼失したが、かろうじて難を逃れた叔父夫婦はその後、実家で有る頼子さんの家で暫く厄介になることになったが、そうした経緯から叔母に電報の話をした頼子さんはここでも言葉に詰まってしまう。
叔母は頼子さんに電報を渡した事はなかったのである。

つまり頼子さんは全く存在しない電報によって、関東大震災発生直前に東京を離れていることになるが、この電報は一体何だったのだろうか。
頼子さんは寝ぼけて「電報の夢」を見て行動し、そして関東大震災から逃れたことになるが、では頼子さんの記憶のどこからどこまでが夢で、どこからが現実だったのだろうか。

「2・真夜中の伝言」に続く

「聴覚レンズ効果・2」

更に事例としては一番分かり易いが、2007年7月16日10時13分に発生した新潟中越沖地震では、柏崎市在住の71歳の男性が、やはり前日遅くまで親戚と酒を飲んでいて、当日この時間うたた寝をしていたが、まるで耳元で大騒ぎしているか、やけっぱちになったようにチュン、チュンと何度も鳴く雀の鳴き声で目を醒まし、その直後大きな揺れに襲われていて、同じようなケースは能登半島地震でも、こちらは鶯の鳴き声が大きく聞こえて目を醒ました団体職員などの事例がある。

大変興味深いことだが、地震発生時に措けるこうした事例を考えるに、一つは地震の発生時に地震そのものが作り出す空間上の特殊状況と、人間の脳の働きがこうした現象を発生させる可能性の2つが考えられる事になるが、どちらにしてもこの現象は最大限実際に発生している音声を利用している事であり、そうした現存する音声を拡大して生体の目を醒まさせている点は、その背後にいつかどこかでは「脳がごまかしている部分」が存在することを想起させるものが有り、実はこうした事例で周囲にこれと言った実存音声が無い場合、脳は夢の中の情景を使って、そこから大音量を発生させて目を醒まさせる場合も報告されているのである。

それとこうした現象の解明に関して、地震が発生させる空間的特殊状況と、脳機能の2つの可能性を指摘しなければならないのは、まことに少ないケースだが、電話をかけていて地震が発生した場合、実は電話をかけている側、これはつまり実際に揺れている地域から、揺れていない地域の人へ電話をしている時だが、揺れていない地域の人は、その電話の向うで何かが崩れているような「ガラガラ」と言う音を聞いている。

しかし実際に揺れている側にはこうした音は聞こえていないと言う現象が発生する。
地震が起こる前には確かにゴーと言う音がし、揺れている最中は物が落ちる音などで、まことに凄い音がしているように感じるかも知れないが、地震が今まさに発生している地域のその瞬間は、実は無音で有る可能性が高いのである。

にも拘らず電話の相手には「ガラガラ」と言う音が聞こえていることから、この場合は地震のエネルギーが何らかの形で電話と言う電気信号に干渉している可能性があり、これを脳機能として考える事は難しい。

ゆえに眠っている生体を起こす大きな音声も、絶対的に地震エネルギーの脳内電気信号に対する干渉作用を否定できるものでは無いが、地震発生時には脳内の電気信号も特殊作用を起こし、電話などの電気信号には地震エネルギーが直接関与すると言う具合に、これらの現象は始めから一つの素因で説明できるものでは無いのかも知れない。

さて、今夜ももう遅くなってしまった。

本当は本文中に出てきた「脳がいつかどこかでは何かをごまかしている」と言う事に付いて、やはり地震発生時に起こった不思議な話などを交えて解説できたら良かったのだが、それはまた次回と言う事で・・・。


「聴覚レンズ効果・1」

人間が聞いているあらゆる音声は鼓膜などが空気振動を受け、その波長を脳が分析して音声として感じられるが、このシステムは受信システムとそれを解析するシステムが常に連動しているのでは無く、解析システムの方が容量が大きく、なおかつ解析システムは他の、例えば視覚解析システムを通じて脳の記憶システムにまで間接連動している。

従って人間が聞いている音声は基本的に全てが事実だとは限らない。
この事はどうして立証できるかと言うと、視覚でも同じことが言えるが、人間は実際の空気振動が無くても音声を聞く場合が有るからで、夢の中に出てくる景色や場面には音声を伴ったものが存在するからに他ならない。

また音声の受信システムは波長ごとの振動によるが、それが脳の解析システムに伝播される時には微弱電気信号と、アナログ伝達方式の2種類の通信システムが働き、この内アナログ伝達システムの有り様は、小さく空いている穴に信号となるキャップが蓋をしたり、それが外れたりの組み合わせで信号を伝える、極めて簡素かつオーソドックスな形式なのだが、こうした傾向は人間の生体維持機構でも同じ形式が多用され、どうして実際の物理的変化が電気信号に変換されるのか、またなぜ電気信号とアナログ信号が併設されているのか、その理由は解明されていない。

こうした事から、我々がある種視覚同様絶対的なものとして考えている音声もまた、その本質は電気信号を含んでいる為、必ずしも空気振動と言う物理現象が無くても人間は音声を感じる事が有り得るのであり、脳はたまにこうした電気信号に干渉しているが、その最たる場合が睡眠中に措ける緊急事態の発生に対処する方式である。

通常人間が地震発生時に感じる揺れはS波と言って、実際に地殻が動いたエネルギーが伝播された振動だが、地震が発生する時にはこのS波の少し前に初期微動が発生し、この初期微動をP波と呼ぶが、このP波はS波より約1・7倍早く伝わって来る。
この誤差を利用して地震発生を知らせるのが気象庁の「緊急地震速報」だが、気象庁が設置した観測機材よりも更に正確なのが、動物や昆虫、魚たちのP波受信システムだ。

それゆえ犬、猫、鳥やカエル、魚たちは実際にS波が届いて揺れ始める前に騒ぎ始めたり、黙ってしまったりする訳だが、残念な事に人間でこのP波を察知できる人は大変少ない。
しかし人間のこの劣化したP波察知能力がある程度復元される状態と言うものが有り、これが寝ている時だ。

つまり人間は起きている状態だと、P波を察知できる確率は7700分の1だが、これが就寝時には何故か4分の1にまで察知確率が上がってくる。

理由は分かっていないが、寝ている間に地震が発生した場合、実際に振動が始まる少し前に人間は目を醒ます事が多くなり、そもそも通常寝ている状態で、例えば人が呼んでも中々目が覚めないのに、遅くとも揺れている最中でも目を醒ますこと自体、ある種緊急に目が醒めている訳であり、これはP波を察知して準備していないと為せないことなのである。

そしてこのような地震発生と言う緊急事態で、寝ている生体を一挙に覚醒させる事は至難の技であり、これは視覚を用いていては間に合わない。
この事から就寝時に地震が発生した場合、脳が生体を覚醒させるために多用する方式は「音声」による緊急通知となるのである。

面白いことに脳はこうした緊急事態であるにも関わらず、どこかでその生体が持つ社会感覚や常識と言ったものを最大現尊重してこれを通知するが、脳は自分だけが地震を察知したとしても、自身の他の部分や生体が機能を始めないと危機を脱することが出来ない事から、体の端末にまで伝わるように「大音量」を発することになる。

1995年1月17日午前5時46分、M7、死者6434人、行方不明3人、負傷者43792人と言う、1944年の昭和東南海地震以来の大被害を出した「兵庫県南部地震」(阪神淡路大震災)が発生した。

この時、午前5時46分に差し掛かった直後だろうか、明石市郊外に住む吉村京子さん(仮名、44歳)は夢うつつの中でキジの鳴き声を聞いていたが、このキジがどこで鳴いているのか、まるで自分の耳元で鳴いているように「ケーン、ケーン」とうるさくて仕様が無い。

「あー、朝からうるさいキジね・・・」と思って目を覚ました瞬間、大きな揺れが始まったのである。
またこうした事例以外にも実は犬がうるさくて目を覚ました人や、時計の音がやたら大きく聞こえて目を醒ました者も多かった。

P波を察知する犬が鳴くのは分かるが、そうした犬の鳴き声がいつもより大きく感じたとする人の多さ、また通常は寝ている人を起こすほど大きな音では無い時計の針の進行音が、まるで「カチッ、カチッ」と大きな歯車が噛み合うような音になって聞こえたと言う震災後アンケートがある。

「聴覚レンズ効果・2」に続く。

「消失する異常・Ⅱ」

この事は2007年付近に発生した能登半島地震、中越沖地震が如実にこれを物語っているが、従来エネルギーが加わるプレート境界、例えば日本海溝などのエネルギーが、放出期間を過ぎながらそのエネルギーが部分的に日本海側で放出される現象となった上で、2011年3月11日には日本海溝がエネルギーの放出を行なっている。

これはどう言う事だったかと言うと、従来研究者の間で考えられていた程地球の地殻エネルギーは小さくないと言うことであり、しかもそれが通常の人間界の力学法則では計算しきれない程複雑で、普遍的法則のないものだったと言う事である。

2011年3月11日に発生した日本海溝地震は、もしかしたらこれまで日本人が周期と信じていたものを、幻想の彼方に追いやる事になるのかも知れない。
最も近いところでは東海地震も既にその周期に達していながら、未だに地震が発生しておらず、この事は関東地震も同じである。
それに加え、日本海中部震源域や、北海道南西沖震源域も静かな事が気にかかる。

場合によっては1940年代に震源域がエネルギーを放出した南海地震震源域など、100年から150年周期だから、これで少なくとも30年ほどは安全だと思っていたら大きな間違いで、東南海、南海、東海地震が一挙に発生し、その1年後には関東大地震と言う可能性や、先に関東大地震が来て東南海地震、東海地震が引き続き発生する可能性も否定できないが、おそらくこの2年以内に関東地震は何らかの形で発生してくることだろう。

2011年3月11日の日本海溝地震は、日本の地震に関する科学的な統計や、力学関係上の統計周期予測をどこかでは木っ端微塵にしてしまった。

これからは科学的な周期予測、観測データの予測は殆ど役に立たない、つまりは気象庁や大学の研究機関の見解は全く役に立たない時代がやってくる、いやもう既にそうなっているのかも知れないが、これに関しては民間の地震予測も同じ傾向にあり、何らかの現象から因果関係を求める形式にも、決して安定した因果律は存在しない。

地震雲による地震の予知も、その実同じような雲が出ていながら地震が発生していない時の方が圧倒的に多く、しかもこの地球が始まって以来、全く同じ形の雲が現れたことなど1度も有り得ない。
この事から、それはいつも希望的観測上にある、個人の第六感によって支えられるものでしかなく、基本的には「普通」が「異常」の状態であることから、それは統計的にも実証されることがない、つまりは「何となく嫌な予感がする」の範囲なのである。

またその他動物の異常行動なども、例えば日本海溝地震以前は、地震が発生する付近で深海魚が上がってくるなどの現象が発生したものだが、日本海溝地震が発生する2年ほど前から、主に海域での動物の異常行動は日本海側に多く発生していて、その傾向は未だに収まっていない。

つまりここで考えられることは、エネルギー蓄積が為された地殻の範囲が広い場合、実際の震源域から離れた場所でも魚介類、海草の異常があると言うことであり、この点では従来のセオリーで考えても、発生時期も発生箇所もわからなくなると言うことになる。

更に地震発生前の現象から地震を予知する場合、地震ごとに少し違った前兆現象が現れ、例えば明治三陸地震の時はうなぎが異常に発生し、同じことは1923年の関東大震災にも起こってくるが、関東大震災では他にもイワシの大群が川を遡ってくることになり、これが1995年の阪神淡路大震災の時はボラの大群が川で発見されると言う具合に、地震の前兆現象と言っても全ていつも同じ異常現象ではないのである。

同じように太陽や月、星に異常が現れる場合、太陽や月を虹が囲む場合でも、紫色に見える場合でも、これは同等の現象が急激な気象の変化でも発生し、星が近くに大きく見える現象に付いても、明治時代までは大きな地震の発生に伴って現れる現象だったが、どうもこの30年ほどは、それほど大きな地震でなくても星が大きく見える現象が現れている。

これらの事から、民間の地震予知、「宏観地震予知」でも、その異常現象は広く長く統計として考えるなら、科学的解析と同じように「異常が」「普通」に呑み込まれていく摂理からは逃れられないのかも知れない。

しかしこうして科学的解析による地震予知と民間の地震予知を比べるなら、どちらかと言えば科学的解析の方により大きな「混沌の逆べき分布」が来ているように思え、民間の「宏観地震予知法」のそれは、科学的解析法より僅かにその濃度が薄いように感じられる。
これはおそらく冒頭にも述べたように精々が100年程の科学的解析法に対し、人々の生活の中に息づいてきた、民間の危険察知法の歴史の長さに起因しているのかも知れない。
即ち時間経過の中で長く存在するものは、それより短い時間経過に在るものより、常に確率が高い・・・。

1994年6月、細川政権が崩壊し羽田政権も崩壊し、社会党と自民党の連立内閣と言う信じられない政権が誕生し、この翌年1995年1月17日には「阪神淡路大震災」が発生している。

そして現在の混乱は当時の比ではない。
このことを考えると、何となくこの先がとても恐ろしいが、ちなみにこうした政変と地震発生の因果律に関しては科学的解析、民間の地震予知法よりも、相対的にまだ高い確率に有るような気がするが・・・・。



「消失する異常・Ⅰ」

2の平方根、つまり「√2」と「π」、円周率はその数値こそ違うが、数の量的には等しい可能性を持っている。
「√2」を数字的に計算して行くと、そこには部分的にばらつきがあるものの、1から9までの数字が計算を続けるに従って等しい数だけ現れて始めて来るが、これは円周率でも同じ性質を持っている。

つまり「√2」と円周率は人間界の数値的意味では差異を生じるが、1から9までの数字の出現数や量と言う点ではほぼ等しいか、完全に等しいかのどちらかであり、これは有理数(割り切れる数)に対する無理数(円周率や√2など、永遠に割り切れない数)全てに共通し、その意味では無理数とは先へ進むに従って全て同じものとなるのかも知れない。

そしてこれは例えば地震の周期予測や長期の気象予測でも同じ傾向を持っていて、こうした意味であらゆる統計と呼ばれる傾向分析は先へ行くに従って不確定、無意味化する性質を持ち、しかも平均値ではランダム数値を求める事が出来ても、それが時間や空間によってランダムでは無い不均衡を持ったものとなっている。

従って2011年3月11日に発生した日本海溝地震(気象庁呼称・東日本大地震)に付いて、各大学の研究者等は1000年前に同じ傾向が有ったとして、こうした地殻変動に関して1000年ほどの周期があるのではないかと言う見解を発表したが、これは基本的には村の古老の天気予報より不確定なものであり、その根拠は全くない。

来年同じ規模の地震が同じ地域で発生する可能性はこれまでと同じ確率で存在する。

1000年前に1度有った事が現在に起こったからと言って、それに周期を見るのは希望的観測と同じものであり、迷信よりさらに不安定な予測と言うものだ。

そもそも2000年の単位で正確な記録や歴史が残っていない日本で、1000年の周期は証明されようがなく、比較的周期らしい傾向にある東海地震、東南海地震、南海地震にしても100年を中心に50年ほどの不確定な時間幅を持っていて、なおかつその周期記録にしても、最大に見積もっても1500年の範囲を超えていない。

地球の歴史が46億年とするなら、こうして我々が周期と思っているものにしても、1万回サイコロを振って記録を取る内の、最初の1回にも満たない数値で統計的な予測をしているのと等しく、本質的には地震に周期は無く、現在も偶然が周期に見えている可能性が否定できず、その地震の規模も同じ地域での巨大地震で有ったとしても毎回同じものは1回もなく、その意味では全ての地震がそれぞれ我々の想像を超えたものとなるのである。

地球の内部は金属が溶解して液体となった核の上を、流体と個体の中間性質を持ったマントルが対流しながら覆い、その上に薄いオブラードのような地殻が乗っているに過ぎない事から、その不安定さはとても周期を保てるほどの安定を築けない。

それゆえ例えば1万年の期間はある程度同じ傾向が続いたとしても、100万年の単位ではその傾向は傾向と言うほどの形を保てず、地球やその上で暮らす生物は連続する「時間」の中にあることから、地球の寿命の内でたった1回しかない出来事に、明日遭遇しない確率は0では無く、こうしたインパクトの種類はまた無限に存在していることから、我々が遭遇するあらゆる災害は同じように見えて、全く同じ傾向を示すものはひとつもないのである。

マントル対流の不確定規模は通常「秩序」の中にあるもの、即ち比較的安定した物質である例えば工業製品などと比較すると、工業製品が存在できる短期の時間内比較では、それが秩序から混沌に向かう定数「ファインゲンバウムの定数」4.6692016・・・以上の混沌に有って、現状の時間軸で工業製品が壊れる確率と、マントルが変調をきたす確率では、どの時間軸上でもマントル対流が変調する確率が高い。

これはその物質が存在できる時間の長さの違いから起こってくるもので、基本的にはマントル対流が秩序から混沌に向かう定数は、おそらく「ファインゲンバウムの定数」に従ったものだが、それが起こる確率の「逆べき分布」の性質に加え、片方は精々が10年くらいしか存在出来ない物質と、46億年存在し、これから先も存在し続けるものとの比較では、長く存在しその存在が終わっていないものの方が混沌へと向かう確率が常に高くなる。

この事から人間世界で1000年の期間、地殻変動に傾向が見られたとしても、それがもし1億年間統計として記録されていたなら、その傾向は傾向では無くなり「普通」の状態にしかなっていないはずであり、基本的には宇宙も地球も特定の傾向など持っておらず、常に「偶然」や異常事態が「普通」なのである。

関東地震などは、その地震に影響する南部東京湾の震源域には400年周期の震源と、100年周期の震源が存在することが分かっていて、この震源域が交互に揺れるために関東地震の周期は60年から90年とされているが、大幅に余裕を見たとしても90年の周期はその範囲に入っても、60年の周期は誤差が大きすぎ、とても周期とは呼べない範囲となってしまう。

また400年周期の震源域の振動が大きく、100年周期の震源域の振動は、それに比べて30分の1の規模になると言う説にしても、江戸時代中期の関東地震の規模が大きく、そして1923年に発生した関東大地震では、10万人と言う死者が出たことから同じように思われているに過ぎず、1923年に発生した関東地震の死者の死亡原因は、地震によって発生した火災による焼死であり、江戸時代中期に発生した地震は、地震そのものが日本を揺るがすほど大規模なものだったのである。

そして日本付近の地殻変動がある程度の傾向を持って見られ、それが現実にもかろうじて重なったように見えてきた期間は、実は「阪神淡路大地震」発生時期に終わり、以降は変化しつつあるのではないだろうか。
つまりここ1万年か2万年は偶然として傾向と見られなくもなかったものが、その範囲に収まりきれなくなっているように思われる。

                          「消失する異常・Ⅱ」に続く

「正負等価観念」

「あー、面白くないのー」
「これは座主さま、何がそんなに面白くないのでございましょうや」
「平安の世が過ぎて、今や鎌倉に幕府が開かれてからと言うものの、どうもこの延暦寺の力が蔑ろになったようでな・・・」
「そんな、めっそうもない、延暦寺と言えば国寺にて、日ノ本随一の権威にございますぞ」

そう言って延暦寺座主に酒を注ぐ出入り商人の「近江屋」だが、どうやら先ほど鎌倉で流行している新興仏教の話をしたのがまずかったようだ。

鎌倉幕府が開かれてから何かにつけて鎌倉、鎌倉で、相対的に京都の権威が低下した事は否めないが、それにしても仏教まで鎌倉の新興仏教に持って行かれるとは思わなかった延暦寺、何も努力せず権威の座にあぐらをかいていてはこれも致し方無き事にて、何とかここらで一発逆転、ひとやま当てたいと思いながら来たが、中々妙案は無かった。

「近江屋、何か良い知恵は無いものかの・・・」
「良い知恵と申されましても・・・私如き者では・・・」
「あっ、そうだ、新しい神様を作ってみては如何ですか」

「新しい神とな」
「そうです、鎌倉でも御利益の有る御札が流行していましたから、何か御利益の有る神様を作ってそれで売り出せば行けるのではないでしょうか」
「ほー、そうしたものか・・・」

こうして出入り商人の入れ知恵で新しい神を作ることにした延暦寺、その創設にあたっては、できるだけ民衆が知らない神を持ってきた方が良いだろうと言うことになり、いつもは食堂の片隅に掛けられているインド伝来の「死神」をベースに、毘沙門天(びしゃもんてん)と弁財天(べんざいてん)をくっつけた「三面大黒天」なる神を作り上げ、実はこの神こそが大国主の本地神だと言う根拠のない伝説まであちこちで流布させ、それで出来上がったのが「大黒天」である。

鎌倉時代に入って、日本の仏教は鎌倉で興って来た新興仏教に民衆の関心が集まり、既存仏教の延暦寺などは活気のなさの象徴、まるで老害の如くに思われていた。
そこでこうした現状を打破しようと、延暦寺が打ち出したのが「三面大黒天」であり、その誕生の経緯は「近江屋」こそフィクションだが、その他は殆ど冒頭のような流れで始まって来たものなのである。

そしてどちらかと言えば京都周辺から、この大黒天信仰は始まっていくが、創設説話のいい加減さは様々な民間信仰の混入を許容し、室町時代には大ヒットを飛ばす事になった。
「世間こぞりて一家一館に之(大黒天)を安置せずと言うことなし」(塵塚物語)と言われるほど、大黒天は大繁盛する訳である。

だが、この大黒天のもとになった、平安時代に日本に伝わったらしい、寺院などの食堂に掛かっていた異形の神とは、実は「マハ・カーラ」と言い、「大死神」の意味である。
「マハ」は「一切の」とか「全て」を意味し、「カーラ」は時を意味する。

この事から「マハ・カーラ」は「大時」と言う意味になるが、時はやがて全ての森羅万象を呑み込むものなれば、それが表すものは「0」であり、即ち「死」を意味する。

「破壊と創造」の神で有るインドのシヴァ神、その破壊方向が「マハ・カーラ」であり、「マハ・カーラ」もシヴァの一部なのだが、この神の姿は真っ青で、三眼六臂に炎の髪を持ち、手には人間や血の盃、剣を持ち、絶対的な憤怒で四方を睨みつけている。
文字通り「死神」である。

ではこうした死神がどうしてインドで信仰され、また日本に入ってきたのかと言うと、これは一般的にどの民族でも同じ傾向が有るが、人間は「生」に対する絶対的な力と同じように、その反対を意味する「死」に対しても同じように畏れを持ち、「生」はこれを享受するべく祈り、「死」はこれを遠ざけるべく祈る、正負等価観念を持っている。

この事から「祟り大きなものはまた、その反対も大きい」と言う思想が生まれ、為にマハ・カーラのような絶対的な死神と好を通じ、その恩恵から命を長らえようと言う信仰が生まれるのである。
「生きる力」と「死を免れる力」は同等か限りなく等しい。

生か死しかない人間に取って、生きる力と死を免れる力は殆ど同じものであり、色々と善行を為さねば得られぬ「正の力」より、取引によって得られるなら「負の力」の方が身近に、しかもリアリティを持って感じられるのではないだろうか。

「孔雀王経」の中には「大黒天」を次のように記している。
「むかし、ウシ二国の東にシャマシャナと言う棄屍林(きしりん)、つまりは死体を棄てる林があり、大黒天はこの林に鬼神など一族を連れて遊行し、大黒天の力を求める者と毎夜、取引をしていた」

「して、その取引の対価とは何かと言えば、人の血であり肉であり、その血と肉の量の大小に応じて、長寿の薬や姿が消える薬などが人に分かち与えられた」

実に闇の取引の香りがプンプンだが、どこかでは人間が生きることの本質を現しているようでもある。

ただこうして大黒天と取引をする時は、特定の呪文を唱えておかないと、血や肉だけ取られて妙薬は貰えないとされていて、その時唱える呪文は「ダラニ呪文」と言われているが、何となく「耳なし芳一」の体中に経文を書き身を守る話の中で、耳だけに経文を書くのが忘れられ、そこで耳が武者の亡霊によって引きちぎられる話を彷彿させるものが有る。

ちなみに大黒天の力を得ようとする者は、特にその本人の修行は必要が無く、ただ人間の血肉を差し出せばそれが得られるとされ、その量によって大黒天が満足するなら、大黒天と取引する者には望むすべての欲望の成就、あらゆる戦での勝利が約束された。

左手には大きな袋を担ぎ、右手に打ちでの小鎚を持ち、にこやかに笑う「大黒天」、しかしその発祥は「負を避ける」為に、破壊や闇から身を守る為に、その畏れを逆に力として信じる事から始まった死神信仰であり、日本に措いては、衰亡久しい既存権力宗教の復活をかけた野望から発生してきたものだった。

だがこうした有り様をかいくぐり、形を変え、そして人々の信仰の中に残って行く「神」とは一体なんだろう・・・。
家の床の間にも木彫りの大黒天が置かれ、正月やお盆には菓子などがお供えとして飾られるが、本当はトマトジュースなどが良いのかも知れない。

また血や肉と言えば、キリストの最後の晩餐で「このパンが私の肉、ワインが血だ」と言う場面をどこかで思い出してしまうが・・・。

ひどい雷で眠れなかったが、どうやらもう眠らないと、明日何も出来なくなってしまいそうだ、今夜はここまで・・・。


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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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