「カレーライス」・2



southern all stars - kibou no wadachi・・・・・・

一方一般家庭に措けるカレーライスの普及は、1903年(明治36年)に初めて粉末カレーの国内生産が開始された事から、大正、昭和初期になるとカレーライスは一般家庭へも普及が始まってくるが、これが飛躍的に地方へと波及していく経緯には「日本軍」の台頭が深く関係していて、大鍋で大量に作ることが可能なカレーライスは軍隊でも大いに採用され、しかも人気メニューだった。

1873年(明治6年)には満20歳以上の日本国民男子は兵役の義務が課せられる、所謂「徴兵令」が発布されるが、地方から兵役で軍隊入りした若者達が、軍隊でカレーライスの味を覚え、それまで地方にまでは普及していなかったカレーライスが、こうして軍を除隊した若者達によって地方へ持ち込まれ、この事が地方へカレーライスを波及させていく事になった。

おかしなものだが、カレーライスがこれほどまでに日本人に愛される事になった背景には、それが主食の米とのマッチングが抜群だった事もさることながら、明治時代から太平洋戦争後まで続く牛肉価格の高さも影響してしているようだ。
1902年(明治35年)、牛肉100gとカレーライス1食の価格は同じ7銭である。

ところが1932年(昭和7年)にはカレーライス1食が10銭前後なのに対し、牛肉100gが34銭、つまりはカレーライスの3倍の価格なのであり、これが逆転したのが1950年(昭和25年)のことで、この時は牛肉100gが37円、カレーライスが50円となっているが、これはカレー粉末の調達の難しさ、他の材料を揃えて調理する事の難しさから価格が逆転したと考えられる。

これが1980年(昭和55年)には牛肉100gが339円、カレーライスが450円となり、ほぼ価格は拮抗する。
つまり日本の農業では常に酪農分野はコストが高くなると言うことであり、これが太平洋戦争敗戦によって、価格の安いアメリカやオーストラリア産の牛肉が入ってくるようになって、初めてカレーライスと牛肉100gの価格が同じになったのである。

カレーライスはその豪華さと相まって、何と言っても牛肉の量は少なくて済む訳で、同じように高価な牛肉や豚肉を効率的に、豪華に見せようとする食堂関係者の努力は「トンカツ」「カツレツ」などを生み、西洋では一般的にコロッケと言えばクリームコロッケだが、ここでも日本人の代替材料調達センスは抜群の商品を発生させる。

それが現在も人気が高いジャガイモのコロッケである。
日本は肉が高かった、この事がカレーライスの文化を深め、更には日本式の西洋料理を発展させた。
現代でも続くレストランやホテルの人気メニュー、これらが現代の形のようになったのは大正時代のことであり、この時期に今も存在する洋食はメニューは全て出揃っているのである。

最後に植物の肥料に関して、植物の肥料はその成分が一番少ない肥料の成分が植物の成長を支配する。
すなわち牛肉が高くて使えないから、あらゆる洋食が発展したことを考えるなら、大量に存在するものは発展せず、少ないものほど発展する。

なるほど「米」が中々発展しない原因は、こうしたところにも原因があるのかも知れない・・・。

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「カレーライス」・1

明治政府は徳川幕府の鎖国政策により近代化の波にすっかり乗り遅れてしまった日本へ、積極的に西洋文明を取り入れようとし、ここに「文明開花」と呼ばれる庶民意識が発生してきたが、その華やかさの裏側で、当時の日本人の戸惑いもまた大変なものだった。

例えば新しく出来た洋食料理店に入って来る日本人は、その多くがスープを飲もうとして胸の中へこぼしていた事から、日本人は胸からスープを飲んでいると揶揄した記録がイギリスに残っていたり、フォークで肉を食べようとして唇を突き刺し、血だらけの口で肉を食べている様子に、さながら現代で言うところのホラー映画を観るか如く、驚愕したと言う話が記録に残っている。

そして日本に措けるカレーライスに関する最も古い記録は、1863年(文久3年)の事、当時の江戸幕府が派遣した「西洋使節団」一行が、同じ船に上海から乗船してきたインド人に付いて、「何か不可思議な物を食している」と記している、この記録がおそらく日本最古のカレーライスの記録だろうと思われ、それによると、くだんのインド人が食べていたものは「芋のドロドロしたようなもの」と表現されている。

更にカレーライスの調理方法に関する記録の一番昔のものは、1872年(明治5年)、「仮名垣・魯文」(かながき・ろぶん)が著した「西洋料理通」と言う著書に出てくるもので、この中ではイギリス料理として粉末カレーを用いたカレーライスの調理方法が記されているが、ちなみにこの時代の日本では「カリーライス」と発音するのがインテリジェンスとされたようで、現代のように「ライスカレー」の表現が存在していない。

またこうして日本に入ってきたカレーライスだが、当初は大変高価なものであり、貴族社会、上流社会でしか消費されることはなく、その調理方法も貴族などが自宅に調理人を呼び、その調理人が貴族の邸宅で調理する形態が多かったが、1908年(明治41年)に出版された「夏目漱石」の「三四郎」の中では、出身地熊本から東京に出てきた「三四郎」が、本郷の洋食屋でカレーライスを食べたと書かれている事から、少なくとも1908年には当初貴族社会だけの食べ物だったカレーライスが、この時点では一般大衆化していた事がうかがえる。

ちなみに1907年(明治40年)の公務員給与は50円、この時カレーライスは7銭、牛肉100gも7銭、アンパンが1個1銭だから、現代感覚で言うなら、この当時のカレーライスは一食が5040円と言うことになる。
庶民に普及したとは言え、今で言うなら最高級松坂牛を使ったカレーライスの価格と言うところだろうか。

1923年(大正12年)、この年発生した「関東大震災」は、ある意味それまで古くなっても仕方なく存在し続けていたものを一挙に払拭したが、このことがそれまでの日本の食堂の有り方に変化を与え、旧来だと洋食と和食の食堂が分離した専門性を持っていたものが、統合された形態を持ってくるようになる。

即ち洋食と和食を同時に提供できる食堂が発生してくるのであり、1929年大阪梅田に阪急百貨店がオープンしたおり、この百貨店の食堂のメニューに初めてカレーライスの名前が見えている。

これは1933年の阪急百貨店の食堂の価格表だが、コーヒーが付いて一食20銭、現代の価格で言うと4000円ほどにもなろうか、それでも1日3000食前後が販売されていたのである。
この同じ時期、日本社会は会社設立の機運が空前のブームを迎えた事から、都市部では「サラリーマン」が誕生した時期でもあり、このサラリーマンと言う新しい職業形態がまた、カレーライスの消費を支えて行った。

                          「カレーライス」・2に続く

「ケチの極意」・4

「実はそれを理由に逃げてはいないかしら」
「勿論病気や体の都合が悪い人もいる、でもそれでも何もできない訳ではないわ」

「だからお金が有ったらあれもできる、これもできると思っている人は結局何も出来ない、としたらまだ取りあえずお金を欲しいと思う人の方が一歩進んでいるものなのよ」

「そしてね、お金を貯めてそれで豪邸を建て、綺麗な服を来て美味しいものを食べて、好きな男、女を手に入れる」
「でも心は満たされないわ」
「誰も信じられないからよ」

「お金で買ったものは、それがお金で買ったもので有るが故に、自分で人を疑うのよ」
そして人より優れていると言う、その気分の為にそうしているの」
「結局貧しい人と同じなのよ」

「物は氾濫だから常に新しく良い物が出てくる、どれだけ買ったとしてもそこには際限が無く、男も女も同じよ」
「お金で何とかしたものはどこまで行っても愛が得られないように思ってしまう、たとえそこに本当の愛があったとしてもそれには気づかない」

「そしてまるで餓鬼のように物を買い、人を求めるの」
「これが人間の浪費と言うものなのよ」

「だから一番のケチは物を買わない、人を求めないことなのね」
たった一人でも、自分が丸裸でも良いと思ってくれる人がいればそれは素晴らしい、でもみんながみんなそうは行かないし、だから物や人を集めたがる」

「お金や地位や名誉、高級外車や高学歴、こうしたものは人間の装飾でしかない、でもそうしたものが有れば愛や豊かさをえられると思ってしまうのね」

「もうそろそろ日が沈むわね・・・」
「あんた、あんたを本当に好きだと言う人を探しなさい」
「そしてケチをしてお金を貯めて、その人のために使いなさい」
「目標のないケチはただの餓鬼でしかないわ」

「何も買わずに済むように、本当に自分を愛してくれる人を探すのよ」

「高いものが食べられなくても、一生かかってもそう言う人を探して、死なない程度に生きるのよ、それがケチの極意よ・・・」

「・・・・・・」
「・・・・・・・・」

「あっ、もう時間だわ、本当はね、あんたちょっとイイ男だったから実は今年の抽選、わたし不正をやったのよ」
「で、死んだらその魂は私のところに来るようにしておくからね、早く来てね」
「それって、早く死ねって言う事ですか・・・」
「あんた、その細かいところがイマイチね、細かいことを言う奴はケチには向かないわよ」

「じゃ~ね~、元気でね・・・」

太陽が沈むまさに一瞬、僅かにその光を増したように見えた瞬間だった。
さっきまでベンチの隣に座っていた、若作りだが結構な年齢であろう女の姿は既にそこにはなく、辺りはすっかり闇が被って来ていた。

佐藤は暫くそのままベンチに座っていたが、やがて立ち上がると、さっきまで女が座っていたベンチをぼんやり眺めていた。

「ケチの極意か・・・」
「神様、有難うございました・・・」









「ケチの極意」・3

「ねえ、人間が運命と呼んでいるものって、もしかしたらお金のことかも知れないわね」
「えっ、でもそれは違うんじゃないですか」
「そうかしら、お金が有れば何でもできると思ってるんじゃないかな・・・」
「お金で買えないものもありますよ」

「まあね、寿命なんかはそうね、でも優雅な暮らしや、あんたみたいな男に取って、女にモテる程度の事はもしかしたらお金で何とかなるかもね」

「どうしてですか」
「例えばさ、あんたが好きな女の子がいたとして、その子の家が貧しくて、あんたがお金持ちだったらどうする」
「1億円も有れば女の子はもしかしたら家族の事を考えて、あんたを好きだと言うかも知れないわね」

そしてあんたは女の子を手に入れる」
「人間の幸福とか、運命と言うのはそうした程度のことなんじゃないかな・・・」

「だから必死になってお金を稼ごうとする」
「そうやってお金を蓄え、それで物を買って、美味しいものを食べて、男や女を自分の周りに集めて、それで幸せだと思っていて、でも物は壊れていくし、新しい物がどんどん出てくる」

「それに人は老いていく」
「最後には何にも無くなるもののために必死で働いている気がしない?」

「何が言いたいんですか」
「人間が言う節約、いわゆるケチもね、本当はどこかで何かが凹んだ分が、今度は違うところで膨らんいるだけかもね」

「どう言う事ですか」

「あんたが今食べている弁当の米にしても、それはお百姓さんに取っては血と涙の結晶かも知れない、でもそれはお百姓さんだからで、それとは関係の無い人にとってはどうでも良くて、お腹が一杯になったら捨ててしまうけど、でもそれでその人に天罰が下ったり貧しくなったりはしないわ」



「お米を捨てた人でもそれ以上にどこかで頑張っていれば、お米を捨てただけでは貧しくならない」

「でも確実にお米を捨てた分だけ損はする訳ね」
「だからケチと言うのはそれをやったから儲かると言うものではないのね」

「損をしないと言う事なんだけど、それも例えばゴミ拾いをしたとして、その為にお腹が減って何かを食べたり飲んだりしたら、それがまたゴミになっていく訳で、それは捨てれば自分の目には入らないけど、どこかでは誰かが処理していて、その分のエネルギーは消費していくのね」

「つまり自分の目には入らなくなった、凹んでしまったとしても、それはどこかでは同じものが膨らんでいるかもね」
「だから本当のケチはね・・・」

「ちょっと、最後まで話は聞きなさい」
「もう一時なんですよ、午後の分を回らないと・・・」
時間を気にしてもう歩きだしている佐藤、そんな佐藤を目で追いながら、深いため息をついた女神は、今度は慌てて佐藤を追いかける。

午後の訪問は9件、佐藤はその一軒一軒を丁寧に回って行った。
しかし毎度のことながら、商談成立どころか見込みすら立たない状況で、やがて4時を過ぎる頃には少し暗くなってきた感じがして、佐藤と女神はまた昼間の公園に戻ってきて、そこで2人並んで座った。

「また、ダメだったわね・・・」
女神は靴の片減りを気にしているのか、片方の靴を脱いで、その裏を眺めながらつぶやいた。

だが、ふと目を上げると、目の前には佐藤が立っていて、その右手は缶コーヒーを差し出していた。
「あんたもだいぶん分かってきたじゃない」

女神は佐藤から缶コーヒーを受け取ると、タブを開け口に近づけたが、何かを思い出したのかそれをまた膝の上まで降ろすと、ぼんやり夕日を眺めていた。

「あんたともこれでお別れね・・・」
「えっ、もう帰るんですか」
「そうよ、私の仕事は日の出から日没まで、もうすぐ日没よ」

「・・・・・・」
「じゃ、最後にケチの奥義を伝授しておくから、良く聞いておきなさい」
「ケチな事は結局損をしないと言うことなんだけど、でも人間のケチは結局損をするケチが多いのよ」

「それはなぜだか解る?」
「分かりません」
「ケチのスケールが小さいのよ」
「ケチをするために更なる浪費をしているの」

「昼間お金の話をしたでしょう」
「お金はどれだけ集めてもそれはただ紙切れを集めているに過ぎないわ」
「でも実際にそのお金が有れば将来自分の欲しいものを手に入れることができる」

「人間は将来欲しいものに備えてお金を貯めるんだけど、その貯めている間は使っていないから、そこは気分だけの問題なの」

「お金の無い人は幾ら働いてもお金が無いと騒ぐけど、それは少し上の、手が届きそうな小さなものに対する比較から来ていて、お金がないから不幸ではないのだけど、それを不幸だと思ってしまう、また時にはその為に思うことが出来ない、これは運命だと思ってしまう事があるけど、それは本当にそうかしら・・・」

                           「ケチの極意」・4に続く






「ケチの極意」・2

「ところであんた、朝ごはんはどうするの」
「いや、朝ごはんは食べないんですが・・・」
「やっぱりね、そんな事だと思ったわ、まあそこは大目にみましょう」

「で、会社は何時から?」
「9時からですが・・・」
「ちょっと、もう8時よ、早く行かなきゃ」
「いや、会社はここから電車で10分くらいなので、そんなに早く出なくても間に合うんです」

「何を言ってるの、いつも遅刻ギリギリだから上司の受けも悪くなるんじゃない」
「今日は早めに行って机の上を整頓するのよ、さあ行くわよ」
「ち、ちょっと待ってください、そんな格好で会社まで来られては・・・」
「何、この私の格好では迷惑だとでも言いたいの」

「いえ、決してそのような事は・・・」
「心配しなくても大丈夫よ、私の姿が見えるのはあんただけだし、声も聞こえるのはあんただけなのよ、だから不用意に私に話しかけなければ人には分からないのよ、さっさと支度しなさい」

こうして会社へ向かったケチの女神と佐藤だったが、女神は会社へ着くなり佐藤にデスクの上を片付けさせ、ついでにフロア掃除までさせると、そこへ同僚たちがパラパラと出勤してきた。

「おっ、佐藤、珍しいなお前がこんな時間に会社に出てくるなんて」
係長は怪訝そうに佐藤に話しかける。

そこへ後ろから入ってきたのは会社の売上ナンバー1のスーパーレディ「進藤美沙」(仮名34歳)で、普段から愚図な佐藤をいつも見下したようにしか見ていない彼女は、早速やんわりとしたイヤミを佐藤に浴びせかける。

「あ~ら、佐藤君、どうしたの、成績がイマイチだからせめて態度ぐらいは改めようとでも思ったの」
「いえ、そんな訳では・・・」
「佐藤、そう言えば先月、たった3台しか売ってないんだぞ、ちょっとは真面目に仕事しろよな」
進藤美沙に引き続き、係長も思い出したように説教を始める。

それを佐藤の隣で聞いていたケチの女神は、まるで自分が言われているように思ったのか、思わず佐藤の背中をつつく。
「ちょっと、あんたあんな女にあそこまで言われて良く黙っているわね、髪の毛でも引っ張ってやりなさいよ」

「シーっ、黙っていてください」
「ふん、いけ好かない女だわ、まるでアマテラスみたいね、知ってる?彼女化粧の厚みが1cmも有って、笑うと顔にヒビが入るんで笑わないのよ」
「それに若い男がいる所しかいかないのよ」
「お願いですから、黙っていてください」

佐藤は押し殺したようにケチの女神の言葉を遮るが、それがどうも係長には聞こえたようで、「んっ、何だ佐藤、何か言いたいことが有るんなら男らしくはっきりと言え」と睨まれる。
「全く、今日は最悪の一日だな・・・」
佐藤和典、男、31歳独身は深いため息をついた。

やがて朝礼が終わり、営業の佐藤は顧客販促活動、いわゆる外回りの為、会社から街中へ出たが、相変わらずその隣にはケチの女神が付いてきていて、ブツブツと佐藤に話しかける。
「人間って馬鹿ね、あんな朝礼してるくらいなら仕事をはじめれば良いものを、あんなもの何の意味もないわよ」

「会社の決まりですから・・・」
「あんた、確か車を売ってるのよね」
「そうです」
「あんなもの売り歩いて売れるの?」

「まっ、一応会社へ来たお客様のところを、今度はこちらからお伺いして販売につなげるんですけど・・・」
「フーン、じゃカモの候補のところへゴリ押しする訳だ」
「そういう言い方はやめてください」

「でもさ、車が欲しいんだったらすぐに買う訳だから、それを買わずに帰った人と言うのはそこまで車が必要ではないんじゃない?」
「ですから、そうして迷っている方に決断して頂くようにするのが私の仕事なんです」
「それって・・・どうなんだろう」

「とにかく私はお客様の為にやってるんです」
「ふーん・・・」
女神は少しバカにしたような大げさなジェスチャーで何度も頷いた。

いつもの事だがその日も佐藤の営業は振るわなかった。
昼までに4件の顧客のところを回ったが、脈の有る感じの顧客は1人もおらず、殆どが体裁良く門前払いだった。

近くのコンビニから360円の弁当とお茶を買った佐藤は、街中の公園のベンチに座り、その弁当のラップを解き始める。

「あんた、やっぱりご飯は朝炊いて、そしてオカズも作って、夜の分まで作って置くと、そんな弁当代程はお金がかからないわよ」
隣で見ている女神は佐藤が箸を付けようとするとそう言ったが、すかさずエビフライとスパゲッティ、それにポテトサラダを弁当から抜き取るとそれを口に入れた。

「あっ、何するんですか、僕の弁当ですよ」
「神様には貢物が必要なのよ、私は今ダイエット中だからこれで勘弁して措いてあげるわ」
「お茶もよこしなさい」

「ねえ、あんた今の自分をどう思う?」
「どうってこんなもんですよ」
佐藤からお茶も取り上げた女神はおもむろに足を組み、ぐっとひと口お茶を飲みほすと空を眺めながらまた佐藤に話しかける。

                           「ケチの極意」・3に続く







「ケチの極意」・1

「和典さ~ん」
「えっ、僕?」

何と憧れの女優「深田恭子」が、事もあろうに自分の名前を呼びながらこちらに走って来る。
緑の草原、朝もやがかかったような景色の中、深田恭子はにこやかに手を振って、スカートの裾を翻しながらこちらに走ってくる。

「えっ、何かわからないけど、これはラッキーかも・・・」
佐藤和典(さとう・かずのり・仮名・31歳独身)は状況が良く呑み込めないものの、取りあえず憧れの深田恭子を迎えるべく、両手を広げる。

そして深田恭子がもう1mもすれば自分の手の中に入ってくる。
「恭子さん・・・」

とその時だった、突然吹いてきた突風に、何と深田恭子は飛ばされ、遥か空の彼方へ消えて行ったかと思うと、今度は横から深田恭子がにこやかに笑う大型看板が、風に乗って佐藤の顔めがけて飛んでくるのだった。

「あ~・・・助けて」
「ガーン」

「んー・・・、やはり夢だったか・・・」
佐藤は頭をかきながらパイプベッドの上で上半身を起こした。

が、何故か夢の割には現実に少し頭も痛い、これはどう言うことなのだろうと、辺を見回すと、何とそこには20代とも40代とも分からぬ妙齢の女が、佐藤がいつも仕事で使っているファイルを持って立っていた。

「どう、目が醒めた?」
「はあ・・・、でもあなたは誰ですか」
「わたしは荒霊度計知姫之命(あらたまどけちひめのみこと)、通称ケチの神様よ」

「えっ、何でそんな人がここに、それにドアには鍵がかかっていたはずだけど・・・」
「最近さー、人間界も何かと浪費ぐせが付いてきて、それで神界でも問題になってる訳よ」
「だから年に1回抽選で選ばれた人間に節約の大切さを教えるキャンペーンをやってて、その抽選に今年はあんたが当たった訳よ、有り難く思いなさい」

「俺、まだ夢をみているのかな・・・」
「何ならもう一度頭を叩いてあげようか」
「お願いします」

「パーン・・・」
「ううっ、やっぱり夢じゃないのか・・・」
「当たり前でしょ」
「でも神様なら何でそんな格好なんですか、普通着物か何かではないんですか」

「あんた本当に馬鹿ね・・・」
「私が何でこんなAKB48風の格好していると思ってるの、これでも人間に違和感を与えないように時代に合った服装をしなさいと、上から言われて仕方なくこんな格好してるんじゃないの」

「でも、その格好は逆に怪しいのでは・・・」
「あんた、もう一度叩いてやろうか・・・」
「いえ、結構です、とても良くお似合いで・・・」
「そうそう、人間正直が一番よ」

「で、僕は一体どうなるんでしょうか」
「簡単なことよ、今日の日の出から日没まで私が付いて色々指導するから、それから後は教えたことを守って生活すれば良いだけのことよ」

「はあ・・・しかし、まだ午前6時ですが・・・」
「あんた、そんなことだから出世もできず、女にもモテないのよ」
「まずこの汚い部屋を掃除しなさい」

「いや、掃除と言っても僕は今日も仕事に行かなければならなくて・・・」
「つべこべ言ってるとまた叩くわよ、仕事に行く前に掃除するんじゃない、身の回りをきれいにしておくことがケチの基本よ、ほら早く!」

そう言うとドケチの女神は部屋のローソファに座り、腕組みをして佐藤の行動を目で追っていた。
「窓枠もきちんと拭くのよ、それにキッチンもしっかりと片付けなさいよ、手を抜いてもすぐ分かるんだからね」

「それと朝起きたらまず顔を洗って、歯を磨きなさい」
女神の指示は佐藤が息つく間なく続き、やがてやっと掃除が終わり、顔を洗おうとして水道の蛇口を開いた時だった。

またしても佐藤の頭に女神のファイル叩きが入る。
「何で殴るんですか」
「あんた、水はね只じゃないのよ」

「流してどうするの、洗面器を持ってきて、そこに3分の1まで水を張ったら水道は止め、そこから歯を磨く分のコップ1杯の水を汲み、その残りの水で顔を洗うのよ」
「はあ・・・」

慌てて洗面器を持ち出し、女神の言う通りにする佐藤、しかし今度は夕べ脱いだ靴下と、汚くなったタオルを洗濯機に入れようとしたところでまた叩かれる。

「あんた本当にお金持ちね」
「こんな靴下とタオルぐらいの事で洗濯機を回してイイと思ってるの」
「そんな程度のものはさっき顔を洗った時の残った水に少し水を足して洗剤をパラパラ振りかけ、浸して置けば夕方には汚れは落ちるわよ」

「そして夕方帰ったらそれをまた洗面器に水を張って濯いでかけておけば良いのよ、女物の下着でもあるまいし、誰も持っていかないわよ」

「ケチの極意」・2に続く



「制御」

1911年ラウスと言うアメリカ人研究者は、鶏の胸部にできた腫瘍が特定のウィルスによって生じている事を発見したが、この腫瘍、ラウス肉腫を発生させるウィルスは「レトロウィルス」と言って、HIVなどのウィルスと同じ「逆転写酵素」を持つウィルスだった。

基本的にウィルスの正体は半分死んで、半分生きている状態の半生命の状態のものであり、これが単体では増殖できず、従って必ず「宿主」に寄生し、そこで自分の設計図だけを広げ、その宿主の細胞を使って自分を組立させ、増殖していく仕組みを持っている。

このように自己のRNA(設計図)を使って、宿主細胞の中でDNA(遺伝子)作り出してしまう特殊酵素の事を「逆転写酵素」と呼ぶが、この酵素を持つウィルスに感染した細胞内では、設計図である一本鎖のRNAから最終的には二本鎖のDNAが作られる。

そして1970年、制限酵素と言う、いわゆるDNAを切断できるハサミの役割を果たす酵素が開発され、この事によってウィルス設計図によって発生してくるDNAを切断する事が可能となり、その切断されたDNAの断片の中から、特定の条件下で「癌」を発生させる「癌遺伝子」が発見され、分離する事に成功した。

癌細胞の分裂能力は、正常細胞の分裂能力を遥かに凌ぐ高い増殖能力を有している事のみならず、連続して絶え間なくそれが繰り返され、やがてそうした癌細胞によって正常細胞は死滅し、癌細胞が何層にも重複した「腫瘍」が形成され、しかもこうした癌細胞の細胞同士の接着力は普通細胞より脆弱な為、悪性の腫瘍は特にその細胞が簡単に剥落し、それが血液やリンパ球に乗って生体の他の組織へ運ばれ、そこで更に腫瘍を発生させるが、この事を「癌の転移」と言う。

だが最先端の研究では既に「癌発生遺伝子」の分離に成功しているだけはなく、「癌抑制遺伝子」の分離も可能となっていて、癌抑止DNA(遺伝子)については、あらゆる生物の端末に及ぶ範囲までの細胞に、この「癌抑止DNA」が含まれていることまで判っている。

またこうした「癌抑止DNA」はもうひとつの作用として、正常細胞が分裂(増殖)する際、その調節に関係する「制御」の機能を有していると見られ、この事から可能性として「癌」は制御を失った細胞増殖と見ることも出来るのである。
同一細胞内で癌遺伝子のDNAが活性化される、もしくは癌抑止遺伝子の機能が不活性化されると、一番最初に正常細胞が被るダメージはその細胞分裂の調整機能であり、それまで正常だった細胞が次々がん細胞に変化して行ってしまう。

ある種の「発癌物質」が生体内に取り込まれると、肝臓の「P450」と言う酵素の作用が働き、その発癌物質は高い水溶性を持つ構造へと変化し、活性化された発癌剤となってしまうが、この物質が「癌抑止遺伝子」のDNAの内、「A」「T」「G」「C」の4種の「塩基」、つまりは遺伝子を構成する基本単位の内の4種だが、これらの中のいずれかの塩基と結合する。

そうすると、その結合した塩基部分の遺伝情報(設計図)には微妙に狂いが発生し、為に「癌抑止遺伝子」が突然変異を起こす。
この事が生体に癌を発生させる原因となり、ちなみにこうした発癌物質の代表的なものが「ベンゾビレン」「ニトロソアミン」「バターイエロー」などの化合物である。

そして癌発症要因は「外的要因」と「内的要因」の2つに大別されるが、前者は発癌物質やアスベストなどの摂取や吸引、後者は内分泌異常、ホルモン作用によるものと考えられ、基本的に癌は二段階の過程を以って発生している。

イニシエーター的な作用が始まり、これによってまず正常遺伝子が制御を失い、細胞増殖が活発化する。
これを「初発因子」と言い、続いてイニシエーターをプロモートする、つまりはイニシエーターによって発生した癌の「初発因子」が引き起こす作用を、継続させる物質や作用が存在し、これを「促進因子」と言う。

例えば肝臓癌では「フェノバルヴィタール」、これは「鎮静剤」の成分だが、これが癌のプロモート役を果たしているとされ、肺癌ではタバコの「ニコチン」がこの「促進因子」になっていると考えられている。
この事はマウスを使った実験でも立証されているが、しかし一方で発癌物質が少量の場合は癌の発症とはならず、またプロモート役の物質だけを投与しても癌発症とはならない。

この事から、私たちは日頃から発癌物質の摂取に注意しなければならないが、同時にそれを促進させる物質にも注意が必要であり、なおかつ癌が持つその初発因子である「細胞増殖」を考えるなら、癌細胞の有り様は細胞の基本力学のようにも思える。

生物は細胞が新しく作られなければ生体を維持できない。
従って細胞の増殖は絶対必要条件であり、ある種の「力」でもある。
ただ人類が持つエネルギーと同様、それを制御できなければ自分が滅びてしまう。

この有り様を鑑みるに、人間個々の誕生と死は、どこかで人類全体の生存と滅亡と同じもののように私は思える。
加えて人類は生物界の癌細胞では無いかと言われる事が有るが、確かに増殖を繰り返し、資源を浪費し、他の動植物を滅ぼす事を思えばそう言われても反論出来ない部分がある。

しかし私は来年同じ事が言えるかどうかは疑問だが、今の段階では人類に対する「抑止遺伝子」的な自然作用はギリギリ働いているように見える。
また癌細胞が細胞と言う基本的な部分では「力」で有るのと同様、人類も自身が自身を制御し続ける事が出来たなら、この自然界の大きな力になれる、そう思う。

ただし今の世界、日本人のような有り様では、どう考えても、いずれ人類と言う単位は生物界の癌細胞にしかならないかも知れない・・・。

また人類と言えば遠く、何か大きな事のように思っているかも知れないが、それは誰有ろう私たち自身の事だ・・・。



「消滅曲線」

この宇宙が創造されるとき、今の法則や秩序に確定したのは必然ではなかった可能性が高い。

ちょうど幾つもの無限に存在する丸い型の上に、金属の丸い球が一つ落ちてきて、その型のどれかにすっぽりはまってしまったようなもので、おそらくこの宇宙の外側には、我々の住む宇宙とは全く違った秩序や法則を持つ存在が無限に続いているものと思われる。

そしてこうした宇宙と宇宙の外側の関係に措いて、常に大きなものが小さなものを支配する法則を鑑みるなら、我々の宇宙は宇宙の外側の中、宇宙の外側の秩序や法則の中にあることになるが、その外側は秩序や法則が連続しているだけで、秩序や法則そのものが存在してないとすれば、この宇宙はその濃度によって秩序や法則を維持しているものと考えるのが妥当となり、あらゆるものの存在や法則に措ける確定性は失われ、如何なる存在もそれを否定し得る根拠を失う。

太陽光の中で比較的波長の短い、例えば可視光線などは地球の大気によって吸収されにくく、為に可視光線は地球の表面まで到達し熱エネルギーに変換されるが、このようにして温められた地球の表面からは、比較的波長の長い赤外線が放出される。

この赤外線は大気中の水蒸気やCO2 との相性が良く、そこで赤外線は水蒸気やCO2に吸収され、宇宙空間には放出されにくくなり、結果として熱エネルギーである赤外線などは地球の大気に留まり、地球表面上の気温を押し上げる。
この事を「温室効果」と言う。

従って仮に今、地球上に赤外線を留めておく作用の水蒸気やCO2、いわゆる温室効果ガスが全く存在しない状況を想定するなら、太陽光放射量と地球が反射する放射量が相対的均衡を保つことのできる、地球表面の平均気温はマイナス18度と計算される。
しかし実際の地球表面平均気温はプラス15度で有ることから、実に地表温度を33度押し上げ、地球が今日の気候を維持しているのは「温室効果ガス」の恩恵によるものと言える。

それゆえ一般的概念では「温室効果ガス」は有害なものと考えがちだが、もし「温室効果ガス」が無ければ、我々は気温マイナス18度の地球で暮らさねばならない事を考えるなら、この効果こそが生物の繁栄を維持せしめているとも言えるのである。

だが大気中の「水」の量は、例えばここ数万年は一定量を保持しているが、CO2の大気中の含有量は近年の産業的躍進、化石燃料の大量消費、森林資源の枯渇などによって年々増加傾向にあり、南極大陸の氷の中に閉じ込められたCO2量、すなわち氷河期の頃、地球の大気中に占めるCO2含有量は280ppm(0・28%)だったにも拘らず、これが19世紀末には290ppm、1960年には315ppm、2000年を超えた段階で360ppm、2020年代では400ppmを超える事は確実と見られている。

このCO2の増加率は過去30年のハワイ・マウナロワ山頂での観測でも裏付けられており、これによると1960年の大気中に置けるCO2濃度は315ppm前後だが、これが2000年には370ppmを超える数値となっている。

地球上のCO2濃度は植物が成長する春から夏は減少し、植物の活動が衰える秋から冬には増加するが、地球に存在する陸地面積の不均衡は、基本的には昼と夜でもCO2濃度変化をもたらしており、数値的な誤差は微妙だが、昼間はCO2濃度が減少し、夜はCO2濃度が上昇している。

また観測結果から1960年頃の年間CO2濃度上昇率は1年間で0・7ppmだったが、これが2000年では1・8ppm、すなわち年間上昇率は2・5倍に跳ね上がっている。
産業革命以降、地球の平均気温は約1度上昇したとされているが、仮に現在予想されている2050年度のCO2濃度が450ppmと言う数値が現実になった場合、その気象的変化は想像を超えたものとなりかねない。

南極大陸の氷の融解、海水の膨張によって海水面が今より平均で3m以上上昇し、湾岸地帯の都市は水没のおそれが出てくるばかりか、世界的な降水分布変化が発生し、乾燥地帯が北方へずれ、北緯20度から30度の、現在の穀倉地帯が全て砂漠化するおそれが有る。

その一方、現在の乾燥地帯の緑地化はそんなに早く進行しないことから、地球は慢性的な「食料危機」状態となり、更には現在は熱帯性の感染症であるマラリア、黄熱病、西ナイル熱などが現在の温帯地域まで感染範囲を広げ、気象が激化し、集中豪雨や台風の大型化、洪水や干ばつによる自然災害の巨大化が懸念されている。

良く考えてみれば解る事だが、温室効果ガスは生物繁栄に寄与する現象であり、これによって繁栄した生物がCO2を上昇させるのはある種の「命題」とも言えるもので、これはこれで自然な流れとも言える。
人類の単位で考えるなら、CO2濃度は何が何でも抑制しなければならないが、この宇宙の秩序や法則から鑑みるなら、その法則の中に存在している。

あらゆる物質、生物は波の性質を持ち、小さな幾つもの波が更に大きな波を描いて、その先端は消滅に繋がっている。
すなわち人類も多様な自然な営みの中で、波のように破綻と繁栄を繰り返しながら消滅に向かうのは正しい有り様と言える。

だが人類はこうした有り様を認めず、常に繁栄を目指すことから、これまで自然の中の秩序に従い、それを利用して生きる道を塞ぎ、巨大な壁を作って小さな世界を防御することのみ考えて来た。
この事はそれまでに経験しなければならなかった小さな破綻の波を避ける事にはなったが、防御と言う有り様は人類を脆弱にし、やがて更に大きな波が訪れた時は完全消滅する危機を増加させた。

小さな破綻を経験しておけば、或いは耐えられたかも知れない危機が、既に耐えられない状況に追い込まれている。
破綻を防ごうとする事がより大きな破綻の危機を招いている。
温室効果ガスの問題は基本的には完全破綻の波では無いかも知れないが、大きな破綻に伴って発生するものの一つである事は確かだ。

人間の防御とは常に完全な状態を想起しているが、それはこの宇宙が持つ波の性質といつか対立する。
ファイゲンバウム定数は超越数であり、どこまで行っても割り切れない事から、それは基本的には動いていく数値だが、例えばこの数値の4兆桁目の数値を変えようと試みるなら、おそらく宇宙は消滅する。

そして人間が求めている「理想」とはいつもそう言う事を目指しているものだ・・。

「43年目のキス」



オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)・・・・・・

「ああ、あの時と全く同じだわ、何も変わっていない、まるであの日に戻ったよう・・・」
「トビアセンさん、少しヨットを留めて下さらないかしら」

リディア・キンバリー婦人はトビアセン船長にそう言うと、まるで穏やかな海に微かな風を受け、髪をたなびかせながらヨットの先に立っていた。

そのキンバリー婦人の横顔に、僅かに頬を伝う涙を見たトビアセン船長は、ヨットの帆を降ろすと婦人に気を遣ったのか「いいですとも、私はキャビンにいますから、何か有ったら呼んでください」と言ってキャビンに入って行った。

1947年3月16日、ブライアン・キンバリーと妻のリディアは、2人の最初の結婚記念日であるこの日ヨットを借り、2人だけのクルーズに出かけたが、その日もやはりこうした暖かな良い天気で、ヨットはまるでゆっくり海を滑るように進み、バハマ沖へ差しかかった時の事だった。

少しヨットを留めて2人だけの静かな時間を作ろうと思った夫のブライアンは、ヨットの帆を降ろそうとキャビンを出たが、その時突然強い横風が吹き、ロープを踏んでしまったブライアンはバランスを崩して海に転落してしまった。
しかしその事に気づかないリディアは、暫くして余りにも夫の帰りが遅いのでキャビンを出てブライアンの姿を探すが、ブライアンは帆を降ろす前に転落していたことから、ヨットは既にブライアンが転落した場所からかなり離れたところまで進んでしまっていた。

「ブライアン、ブライアン」
リディアはヨットの上からいつまでも夫の名を呼び続けていた。
そしてリディアのそうした様子を不審に思ったのか、近くを通りかかった別のヨットの家族はこのことを港に連絡し、その日の内にブライアンの捜索が開始されたが、残念な事にブライアンは水死体で発見されたのだった。

悲嘆にくれたリディアはその後、ブライアンとの間に子供もいなかったことから、故郷のケンタッキー州の生家に戻るが、まだ若くて綺麗なリディアは地元でも人気が有り、再婚話やデートの誘いはとても多かった。
だがリディアはそうした話や誘いには一切応じず、毎年3月16日の結婚記念日にはブライアンが好きだった葉巻やブランデーを供え、ひっそりと一人で祝い、神に祈りを棒げ続ける日々を送っていた。

それから43年、63歳になっていたリディアは、前年たった一人残された身内である母親が亡くなり、もう自分以外誰もいなくなった家を見るに付け、どこかでは自分もこれから老いて死んでいくだけなのかと考えるようになり、せめてもう一度夫ブライアンと楽しい時間を過ごしていた場所、バハマ沖へ行って見たいと思うようになっていた。

かくて1990年3月16日、リディアはマイアミのドッグでヨットをチャーターし、夫と最後の別れになったバハマ沖を43年ぶりにクルーズしていたのだった。

「ああ、ブライアン、帰って来たわよ・・・」
リディアは腰をかがめると、海に向かって祈りを捧げた。

どこまでも穏やかな海、雲ひとつない天気、バハマ沖に浮かんだヨットは平和そのものだった。
キャビンで手持ち無沙汰の「ヴルース・トビアセン」船長は、3本目のタバコに火をつけようとしていた、その時だった。
突然外から「キャー・・・」とも「アァー」ともつかぬキンバリー婦人の悲鳴が聞こえてきた。

「何事ならん」、慌ててキャビンを飛び出すトビアセン船長、しかしその眼前に繰り広げられる光景は我が目を疑うしかないものだった。
なんとキンバリー婦人の前に一人の男が立っていて、その姿はまるで50年ほども以前の映画に出てくるような、古いスーツ姿にグレーのハット、と言う出で立ちだったのである。

しかもその男はキンバリー婦人に何か話をしていて、その話の内容まではっきりと聞こえてくる。
このヨットには自分とキンバリー婦人しか乗船してないはず、海から上がってくるのは不可能だ、だとしたら幽霊・・・。
トビアセン船長は思わず「ワアー」と声をあげそうになるが、キンバリー婦人の様子を見るとそんなに慌てた様子が無く、これで少し落ち着いた船長は暫くこの2人の会話を聞いていた。

「リディア、怖がらないでおくれ、私だよブライアンだよ、随分一人のままにしてしまったね」
「ああ、ブライアン、ブライアンに間違いないわ、私のブライアン・・・」
「リディア、私は君を連れにきたんだよ」

「君がいつまで経っても悲しんでいるのは辛かった」
「やはり僕たちは一緒にいるべきだったんだ、分かるかいリディア・・・」

「ブライアン、ああ、ブライアン、私を連れて行って、もう一人ぼっちは嫌よ・・・」
その古めかしい装束の男にキンバリー婦人は抱きつき、やがて2人はまるで一つになろうと必死でもがくように更に強く抱き合うと、キスを交わしていた。

ここに至って状況はさっぱり見当がつかないものの、事の異常さに気がついたトビアセン船長は、慌ててキャビンからカメラを持ってきてこの場面を写真に撮影したが、その直後、正体不明の男とキンバリー婦人は姿が少しずつ透明になっていき、やがて空気に溶け込むようにして消えてしまったのである。

暫く呆然としたトビアセン船長だったが、ガラーンとしたヨットに正気を取り戻し、一路バハマのフリーポートまで帰り着くやいなや、バハマ連邦当局に出向き、事の次第を報告する。

連邦当局の係官はあまりに現実離れしたトビアセン船長の話に、まずトビアセン船長がキンバリー婦人を殺害した可能性を疑い、こうしてトビアセン船長は拘束され、3日間に渡ってバハマ沖の海域でキンバリー婦人の捜索が行われた。
しかしどれだけ探してもキンバリー婦人の姿も遺体も見つからず、トビアセン船長の身体検査からも、ヨットのキャビンからも、キンバリー婦人を殺して奪う程の金も見つからなかった。

加えてトビアセン船長はキンバリー婦人よりは遥かに若く、また妻子もあったことから暴行の可能性も薄く、結局3日間に渡って厳しい尋問を受けたトビアセン船長は4日目に釈放され、その決め手は彼が撮影した写真1枚によるものだった。

その写真には確かにハットを被った古めかしい衣装の男性と、キンバリー婦人が両手を広げ、今まさに抱き合わんとしている光景が写し出されていたのである。

「賛成と反対」



SeanNorth - final your song・・・・・

1980年代の一時期、「対外関係省」と名称変更した事のあるフランス外務省だが、フランスの外交の内、主に国内対策に関する手法として伝統的な方法が伝えられている。

この手法は今に至っても国際政治のあらゆる場面の中で、また外交交渉の中で頻繁に使われる手法であり、政治や外交ではその外に対しても内に対しても有効な手法なので、是非おさえておきたいテクニックと言える。

簡単な事だが、例えば何か一つの重要な行動を起こすとき、そのはじめに大言を以って公言すると、必ずそれに対して反対意見が出てきて一斉攻撃を受ける。

だがこうして大言を公にしたら、今度は一切語らず沈黙を守っていれば、その反対意見に対する反対意見が発生してきて、やがて世の中は事の賛否を巡って右往左往の大騒ぎになるが、相変わらず沈黙を守り通し、やがて機を見て一挙にその行動を起こせば、その頃には反対する者たちは何も言えなくなってしまうと言うことだ。

1800年代後期の政治家「アルベール・ド・ブロイ」や、同じく1800年代後期の外務卿「ガブリエル・アノトー」などがこの手法を最も好み、為に「アルベール・アノトーの秘訣」とも言われるが、「アルベール・アノトー」と言う個人は存在せず、これはアルベールと言う為政者と、アノトーと言う外務卿の2人の名前である。

そして日本でこの手法を使って成功を収めたのが、「小泉純一郎」元内閣総理大臣であり、彼が郵政民営化で見せた強硬な手法はまさに「ガブルエル・アノトー」達が得意とした手法そのものだった。

だがこの手法を用いる場合、一番肝要な事はその行動を起こそうとする人物の精神力と言えるかも知れない。

人から何か言われるとすぐに気にして弁明しようとする者、或いは初期に発生する大きな反対意見に惑わされ、すぐに行動を逆転させる発言をする者、修正を加える発言をする者がこうした手法を用いると、例えどんなに素晴らしいものであろうと、その行動は認められらなくなる。

この点で小泉純一郎元総理大臣以降の日本の総理大臣は全員が失格だったと言うことであり、なおかつ現総理大臣の「野田佳彦」総理大臣は、さらに上を行く不利な行動をしている。

人間の感情と言うものは、その自然な状態から44%と46%の確率で相対しているものであり、つまり初めから相当ひどいもので無ければ、どのような意見もほぼ50%と50%の割合で意見が拮抗してくるものなのだ。

簡単な例で言うと男と女で既に半分づつ、そして親と子でまた半分と言う具合に、会社や個人の付き合い、年齢別にそれぞれがほぼ半分ずつ別れていて、これは異性に対する好みや嗜好に至るまで、大体半分ずつの割合に意見が別れているものなのだが、ではこうした感情をそのまま表現するかと言えばまた別の話になり、表現は状況や環境、好悪の感情によって変化し、必ずしも本心や本質の合理的判断からくる意見を反映しない。

中でも一番面倒なのが「好悪の感情」であり、人間の正義感などはその殆どが「本質の議論」では無く、好悪の感情によって決せられる点に有る。
つまり「あいつが言っているなら、それはだめだ」や「あの人は嫌いだから」と言う判断が必ず発生すると言うことであり、しかもこうした場合の意見の対立は決定的なものだ。

その上でどんな個人もまた50%と言う確率の中に有るとするなら、個人が関係する全ての人間の内、半分は自分と同じ意見だが、残りの半分は常に不透明になっている事を鑑みると、ある程度判断が微妙な事案については、放置しておけば間違いなく大議論になって行き、その議論が下火になった頃に行動を決行した場合、国民の中で充分議論が為された感情、簡単に言えば「飽き」が発生し、為に反対意見は雪崩をうって崩壊して行かざるを得ないのである。

だがこうした場合の反対か賛成かの意見の分岐点、その確率は44%と46%であり、その誤差はわずかに2%だが、この2%に個人の状況や環境による「本質の合理性から来る意見」の反対側が相乗してくるため、最終的な結果が70%対30%と言う事態に陥るのであり、その基本確率が44%と46%になっていて、残り10%はどうなのかと言うと、これは破壊因子(ロゴス)である。

どんな生物でも、あらゆる事態に対して「外」の状況が7%は発生してくるものであり、これは生物的非常避難システムと言えるが、人間の場合はこの本能的分散システムが他の動植物よりは僅かに劣り、特に自然界に関係しない政治や経済の判断では3%から5%が限界であり、この確率は賛成反対の相互から発生するため、5%と5%としても10%に留まり、しかも賛成反対相互の「外」になることから、結果的には議論そのものの破壊因子と表現される。

簡単に言えば棄権票のようなものかも知れない。

そしてこうした手法で注意しなければならないのは「複合」を避ける点に有る。
例えば現在日本を騒がせているTPPなどの議論にもう一つ「増税」の議論が重なってこれが成されると、賛成の加算は殆どないが、複合議論による反対意見の加増率は12%くらいずつ上昇していく。

つまり多くの議論を一度に提言していくと、基本的に全てが反対意見になって行き、最終的には提言者の人格否定にまで及ぶと言うことになる。

加えて野田佳彦総理大臣のように、国内提言が為されず、先に外交によって「外」に発言されたものは、国内と言う「内」では当然の反発を招き、ここでも最大50%は存在する賛同意見の大半を失い、これを強引に行動に移すと、その国内の反発は、オセロゲームのチップのように簡単に黒に引っくり返ってしまう。

情報通信速度の遅い時代、国会は確かに議論の場と言えただろう。
しかしこうして情報通信が即時に近い速度となった時代、またあらゆる価値観を喪失した代議士が集まって為される国会の議論などは既に意味を持たない。

国民が軽薄な情報を下に騒ぎ立て、それをして自身の内で「良く議論が為された」と錯誤するようであっては、所謂情報速度による「飽き」を錯誤してしまうようでは、本来ならはねのけられるべき中途半端なアノトーの手法でも、国民の愚かな手によって救われてしまう事が有り得るのかも知れない・・・。



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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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