「予定運命」

「イモリ」の主要な器官が形成される時、一般的に両生類は同じ傾向を辿るが、原腸胚から神経胚、尾芽胚という順序を持っている。

特定の器官形成時、その器官に分化していく細胞群が現れるが、この細胞群のことを「原基」と言い、あらゆる器官の形成過程を逆進すると、初期胚の中でどの部分が将来どんな器官を形成するかを知る事ができる。

そして初期胚の内、どの部分が将来どんな器官へ発達していくかの、こうした分布状況を「原基分布図」と言い、イモリならその初期胚の表面に、生体に無害な色素で色分けする方法、「局所生体染色」で作成する事ができるが、ではこれで言うなら初期胚の過程で、胚のどの部分がどの器官になるかが既に決定されているのかと言うと、必ずしもそうでは無い。

従ってイモリの初期胚のこうした状況のことを「予定運命」と言う。

つまり何もなければほぼ初期胚の内、どの部分が何の器官になるかが決まっているが、例えばイモリの初期原腸胚を用い、将来神経組織を形成する領域中に表皮予定領域を部分移植し、その逆に将来表皮となる領域に神経組織予定領域を移植したとする場合、これらはそれぞれ元の領域を失い、周囲の予定領域が持つ器官へと変化してしまう。

結果から言うと、イモリの初期胚はある程度の運命を持ちながら、でもそれは必ずしも決定されていない状況に有り、こうした予定された運命に対して、器官と言う生体にとって基本とも言うべき組織を鑑みるなら、いずれかの時点で「決定」されなければならない時が発生し、その時期は初期胚が分化していくに従って変更できなくなると言う、緩い坂道のような確定方式を持っている。

また同じイモリの初期胚に付いて、その神経胚から予定表皮領域と予定神経領域を切り取り、細胞をバラバラにして混ぜ合わせ、それを培養した場合、神経領域の細胞は中に潜って神経管を構成し、これを包み込むように表皮予定領域細胞が外側に集まってくる。
このことから初期胚に措いて、ある程度分化が進んだものは、同種細胞をその一つ一つが互いに選別し、集合する能力を持っている。

実にイモリの初期胚は運命に対する柔軟性を緩い坂道にように有し、決定された運命にはその細胞の1つたりとも誤りを起こさない、決定的な両面性を持っているのである。

更に常に増殖すること、拡大していくことが生物の成長や進化とは限らない。
器官形成過程に措いては細胞分裂によって増殖して行く面と、その反対に失う事、細胞が死ぬことによって形成される部分が存在する。

例えば人間の手足や、ニワトリの後肢などの指の形成は、細胞の引き算によって形成される。
これらの器官は、いずれもその初期は平たい細胞の塊として発生してくるが、その発生が進むに従って指と指の間の細胞が死滅し、残った部分によって指の形が作られる。

それゆえ水鳥などの後肢には水かきが存在するが、これは人間やニワトリより水鳥の方が指の細胞死が少なく、多くの細胞が残る為に水かきが出来上がるのである。

そしてこうした器官発生途中に、決められた時期に決められた細胞が死んで失われることを「プログラム細胞死」、または「アポトーシス」と呼ぶが、このようなプログラム細胞死は脳、骨格、心臓、神経組織などが形成される過程でも見られることであり、オタマジャクシの尻尾が消えて、カエルになる過程もプログラム細胞死である。

生物はその発生段階に措いて、増殖や拡大と死滅と言う、相反するシステムを使って生体を形成し、このどちらかが欠けても生体形成ができない。

どうだろうか「予定運命」と「増殖と死滅」が生体形成を左右している有り様に何かを感じないだろうか。
生物はこのような複雑なシステムを持ちながら、そのやっている事は生きているだけである。

してみるとこれほど無意味な事はないようにも思えるが、それは人間が「生きることを蔑ろ」にしてきたからである。
あれが無ければ生きられない、これを保障しなければ生きられない、安全で豊かで無ければ幸せでは無い、そのようなことを考えようが考えまいが、生物は生きている。

つまりは人間が大騒ぎしている事の方が本当は意味が無く、今現在何も意識する事なく生きている、この事実こそが意味を持っているのである。

2011年の記事はこれで最後になります。
今年も記事を訪ねて頂き、また読んで頂き、ご意見を頂きましたこと、

深く、深く御礼申し上げます。
また機会がございましたら、来年もどうぞ宜しくお願い致します。

尚、本年4月19日には私の母親が死亡しており、
新年の祝詞は申し上げる事ができず、お受けする事も畏れ多く思います。
何卒この点に付き、ご了承頂ければ幸いです。

2012年がみなさまに取りまして、益々のご活躍の年となりますよう、
謹んで希望致しております。
有難うございました。
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「笑うマネキン人形」・2

何と2人は毎日同じ夢を見ていたのだ。
「これはおかしい、何かあるに違いない」
そう思った清彦さんと良子さんは、ある日大阪南の繁華街で結構評判になっていた占い師に相談してみることにした。

「あんさんには男の死霊が憑依てなさるで」
「丸刈り頭の40くらいやろか・・・、それと娘さんの事は心配せーへんでも大丈夫や、半年したら帰ってきよるで・・・」
清彦さんは呆然とした。

その少し白髪の混じった顎鬚を生やした占い師は、清彦さんが前に立っただけで、何も語らぬ内からそう話し始めたのである。

「それとな、お宅には井戸が有るんやないか・・・」
「いえ、そんな井戸はあらしません」
「そーかー・・・」

占い師はそう答えたが、毎晩薄暗い穴の底から助けを求める知子ちゃんの夢を見ている清彦さんは、どこかで井戸には引っかかるものがあった。

だが占い師の半年したら帰って来ると言う話は、どこにそんな根拠があるのか分からないが、それでも何も言わずとも自分の悩みをしっかり見抜いた占い師の言葉だ、何かしら力が湧いてくる気がしたものだった。

そして9月初めの事だった。
もうそろそろ知子ちゃんがいなくなって半年が経過しようとしていた頃、良子さんの妹の和代さんが、見舞いがてら生田にある良子さんの家を訪ねたおり・・・。

良子さんの家は角をまわったその先にあったのだが、和代さんはそこで前を歩く40歳くらいの痩せた男の姿を見かけ、何とその後ろには知子ちゃんらしき4歳くらいの女の子が、トボトボと後を付いていくのを見かける。

「あら、あれは知子ちゃんじゃないの、良かったきっと見つかったのね」
和代さんはそう思って2人の後をついて行ったが、男と知子ちゃんはやがて高田家の前まで来ると玄関を開け、何も言わず二階へ上がり込んでいく姿が見えた。

2人の後を追うように姉の家にたどり着いた和代さん・・。
「お姉ちゃん、良かったわね」
久方振りに姉に会う和代さんは開口一番姉の良子さんにそう言ったが、何故か良子さんは困惑したような表情で、まだ知子ちゃんは見つかっていない事を和代さんに告げる。

「そんなはずないわよ、さっき私の前を歩いていてこの家に入って行ったんだもの
「二階に上がって行ったのを確かに見たのよ」
和代さんは今しがた見かけた光景の事を詳しく話して聞かせたが、姉は信じない。
では2階へ上がってみようと言うことになり姉妹は2階へ上がったが、そこには誰の姿も無かった。

そして翌日の事、まだ知子ちゃんが見つかっていない事を知った和代さんは、姉の良子さんを慰めると早々に実家に帰ろうと準備をしていた時だった。
玄関に2名の警察官が訪れ、知子ちゃんが見つかったことを知らせに来たのだった。

知子ちゃんはいなくなった時のトイレでうずくまっているのを、デパート店員によって発見されたのである。
髪はボサボサ、洋服は薄汚れ、見つかった時は目の焦点が合っていない状態だったが、それは紛れも無く知子ちゃんだったのである。

だが警察官達が知子ちゃんに今までどこに行っていたのかを尋ねても、彼女はそのことに対する記憶を失っていて、話はさっぱり要領を得ないものだった。

後日談になるが高田さんは敦賀の出身で、知子ちゃんが3歳の時に実家で呉服商を営む父親が亡くなり、三男だった彼は母親から形見分けで適当な家が有ったら買ってやると言われ、それで生田の当時の家を購入したのだが、この家は凄惨な殺人事件があった家で、格安になっていた事を知らなかった。

またその家の庭にはむかし井戸が有って、それも事件後に埋められていたのだが、ちなみに正確な記録は残っていないが、実はこの事件で知子ちゃんが失踪したデパートのトイレには、この以前、数ヶ月前にも同じように8歳の女の子が失踪していて、彼女もやはり半年後、同じデパートの失踪した時のトイレから発見されている。

ただこの女の子が、知子ちゃんが住んでいた家と同じ家に住んでいたかどうかの記録は残っておらず、知子ちゃんが失踪したのは、高田さん夫婦がこの格安の家に引っ越してきて3ヶ月後のことだったようだ・・・。

全く関係の無い話になってしまったが、「 Merry Christmas 」

「笑うマネキン人形」・1

どうも犯罪や事件、それに不思議な事と言うものは流行があるようで、1件の事件が起こると立て続けに同じ事件が発生し、そして翌年にはまた違った事件が流行したかと思うと、以前流行した事件は忘れられて行く。

昭和42年(1967年)、初めて森永製菓がチョコボールの販売を始めた年だが、この同じ年と翌年の昭和43年、不可思議な少女失踪事件が4件発生し、その内2件はいたずら目的の模倣犯であることが判明したが、最初に発生した事件と次に発生した事件については不可解な事が多い。

だがこうした事件であっても幸いな事だったと思うのは、失踪した少女達はいずれの事件に付いても4ヶ月後、半年後に発見され家に戻れた点にある。
この辺の有り様を鑑みるに、簡単に人の命が奪われてしまう現代社会の不健全性があぶりだされ、事件と言えども、時代によってそこに一定の人間性やモラルが存在する事を理解出来るのかも知れない。

昭和40年代と言えばデパートが最も発展し始めてきた頃だが、高田良子さん(仮名26歳)はその日、娘の知子ちゃん(仮名4歳)を連れて京阪神電鉄に乗り、梅田のデパートへ出かけた。
良子さんは専業主婦だったが、もともと何も買わなくてもデパートの中を歩くのが好きで、こうして時々時間が有れば娘を連れ、比較的交通の便があるこの梅田のデパートを訪れていた。

その日も知子ちゃんと手を繋いでデパート内を歩いていた良子さんだったが、やがての事知子ちゃんがおしっこに行きたいと言い出す。
「仕方ないわね」、良子さんはちょっと考えたが、やがて知子ちゃんを連れて呉服売り場まで歩いて行った。

後に警察が良子さんに事情を聞いたとき、何故知子ちゃんを男子トイレに連れていったのかを尋ねられた良子さんはこう答えている。

「デパートの女子トイレは数が少なく、いつも行列ですねん」
「それで呉服売り場に行けば、昼間から呉服売り場にいる男などいやしまへんによって、呉服売り場の男子トイレが一番すいてまんねん」

と言う事で、知子ちゃんを呉服売り場の男子トイレに連れてきた良子さんは、知子ちゃんを男子トイレの大便用のドアの前まで連れていき、そこで用を足すようにと中に入れ、自分はその男子トイレの入口付近で知子ちゃんを待っていた。

しかし知子ちゃんは中々出てこない。
「遅いわね・・・」
3分、5分と時間が経った気がしたが、一向に知子ちゃんはトイレから出て来る気配が無い。

さてはうまくできなくて洋服か下着を汚してしまったかな・・・、そう考えた良子さんは、さっき知子ちゃんを入れた男子トイレの前までやってきてドアを開けようとしたが、おかしな事にさっきは鍵をかけなかったはずなのに、何故か今度は鍵がかかっていた。

4歳の知子ちゃんが鍵をかけたとも言えなくないが、そもそもそうした習慣のない知子ちゃんが今に限って鍵をかけるとも思えず、良子さんは仕方なくドアの前で知子ちゃんの名前を呼ぶ。

「知子、知子、どうしたの」

はじめはそう必死でもなかった良子さんだったが、どうも中に人のいる気配が感じらず、「シーン」と静まり返ったトイレ内の気配に慌てた良子さん、最後は絶叫に近い声で娘の名前を呼ぶも、恐ろしいくらいの沈黙が続くだけだった。

そしてこうした良子さんの叫び声を聞きつけたデパートの係り員に、取りすがるように今までのいきさつを説明し、何とかトイレのドアを開けてくれるように頼む良子さん。

やがて別の係員がトイレの鍵をドライバーでこじ開け、ドアを開いた瞬間だった。
何とそのドアのすぐ内側には丸裸の女が笑って立っていたのである。
「ぎゃー」と叫んだのは今度はデパートの係り員だった。

しかし良く見るとその女は笑ったまま全く動かない。
そればかりか、さっきまでは裸の女と思っていたが、それはデパートの売り場で良く見かけるマネキン人形だったのである。
その上どこをどう探しても知子ちゃんの姿が見つからない。

デパートの係員たちと良子さんは他のトイレのドアも全部開けて見たが、どこにも知子ちゃんの姿は無く、またこのトイレの入口は一つしかなく、従って誰かが出入りすればまっ先に良子さんが見ているはずだが、良子さんの前を通った人間は一人もおらず、デパートの店員も誰も知子ちゃんらしき子供を見かけた者がいなかった。

知子ちゃんはこの瞬間を最後に消えてしまったのである。
やがて警察も駆けつけ、デパート内をくまなく捜索したが、やはり知子ちゃんは見つからない。
結局知子ちゃんは誘拐された可能性が高いと判断した警察当局は、少女誘拐事件として本格的捜査を開始したが、1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎても身代金の要求もなければ、知子ちゃんに関する手掛かりも全くつかめなかった。

落ち込み憔悴したのは良子さんだった。

毎日のように梅田のデパートへ出かけ、知子ちゃんを探す日々が続いたが、知子ちゃんの父親である高田清彦さん(仮名・29歳)も知子ちゃんがいなくなってから毎晩奇妙な夢にうなされ続け、その夢は決まって薄暗い穴の底で助けを求める知子ちゃんの夢だったのである。

憔悴した妻を安じ、毎晩奇妙な同じ夢を観る話を良子さんには語らなかった清彦さん、しかし意外にもこの夢の話を最初に打ち明けたのは良子さんだった。

「地球はなぜ青い・・・」

太陽は実に多彩な波長の電磁波を宇宙空間に放出しているが、こうしたことを「太陽放射」と言い、通常私たち人間がこうした「太陽放射」の中から、視覚で光として感じられる太陽放射の一部を「可視光線」と呼び、光の波長の実際は可視光線より広い幅があるが、人間が感じられる光の波長は4000Aから7500Aまでの波長であり、ちなみにAの単位はこの上に小さな○が入るが、10の8乗分の1の大きさを指す。

太陽光が地球を厚く覆う大気層を通過する際、空気中に存在する空気の分子や浮遊する塵などによって拡散されるが、この時コロイド粒子の大きさが10Aから1000Aに最も近い波長の光、つまりは短い波長の光ほど一番空気によって拡散される確率が高い。

だとするなら太陽光の中で人間が視覚的に感じられる可視光線の内、最も波長が短い「紫」色が一番空気によって拡散されることになり、これだと昼間に見える空の色は紫になるはずである。
しかし現実には地球上で昼間見ることのできる空の色は「青」であり、この原因は光の「総量差」による。

太陽放射エネルギーの分布を見てみるなら、紫色の光より青色の光が量的に圧倒的であり、この事が実際には紫よりは波長の長い青の光が、総量的に空気中に拡散される確率を高め、言わば空は紫を超える青の「量」によって青く見えているのである。

また大気層を通過した太陽光は、空気中で光の拡散、散乱によって青色光の一部を失う。

この事は空を青く見せるが、その一方で太陽の現実の色をも奪う事になり、為に太陽の色は宇宙空間で見るよりは、地球の地上で見る方が黄色く見え、これが夕方ともなれば太陽の高度が低くなる、つまり太陽と地平面が形成する角度が鋭角的になり、太陽光が空気中を通過する距離が最も長い状態となり、地球の大気層は青より更に波長の長い光まで拡散させ、結果として人間の目に映る透過光は橙色や赤色にまで及び、これが夕焼けや朝焼けの原理である。

これと同じことは月でも言え、太陽でも月でも地平線近くにあるときが大きく見え、天頂に登って行くに従って小さく見えるようになるのも、太陽や月と地球の地平面との角度が鋭角的な状態の時が大きく見え、鈍角に移行するに従って小さく見えるのであり、一般的に太陽や月がこれ以外の理由で赤みを帯びて見える場合は、空気中の水蒸気量や塵の多さにその原因を求める事ができる。

そして海が何故青く見えるかに付いてだが、こちらは実は地球の大気層と光の関係とは反対の原理で青く見えている。
海や湖が青く見えるのは、詩的表現を否定するようで申し訳ないが、決して空の色を映しているからでは無い。
水は地球上で最も多く存在する液体だが、液体のなかでは極めて特殊な液体でもある。

結果から言うと海が青いのは、水自身が太陽光の中から赤色の光を僅かに吸収するためであり、この点で言えば水は自身で色を選択しているとも言えるかも知れない。

液体の中で水分子には2個のOH基があり、その変動角度と伸縮角度による吸収ピークはいずれも赤外線領域にあり、この基準振動に対して2、3・・・n倍の振動数を持つ高次振動が存在し、その吸収ピークはどちらも近赤外線領域中にあって、人間の可視光線領域で言えば赤から黄色までの幅まで広がっている。

つまり水は元々赤色の光を吸収する性質を持っているのだが、その原理は太陽光の中から赤色を吸収してしまう為、相対的に青の色が強まって見えると言うことだ。
だがこの吸収能力はごく僅かなもので、従って純粋な水ならば水深5mを超えないと青くは見えてこない。

また水深の浅い海などでは、太陽光は入射と海底からの反射の2つの作用が有って人間の目に光として感じられることから、常に実際の太陽光から2倍赤色が失われた状態で人間の目に届いていて、これが水深が深くなると、水の太陽光吸収は赤色から更に橙色、黄色にまで及んでくる。

この為透過性の高い深さの有る水、例えば「黒潮」などでは、赤みが程んどなくなった状態、深い紺色や藍色と言った色に見えるのであり、これが水中に大量のプランクトンが生息する「親潮」などでは、プランクトンが持つクロロフィル(葉緑素)色素の緑色と藍色が混じり、若干濁った青緑色に見える訳で有る。

面白い事だが、水も空も何かをただ映して「青」くなっているのでは無く、そこには選択された結果のようなものが存在していて、では何故空気が短い波長を拡散させるのか、水はどうして近赤外線付近の吸収能力を持つのか、この実態性質は判っていても、性質の根本的存在理由は判明していない。

最後に、地震発生数日前に太陽が紫色を帯びて見えると言う現象が歴史的にも数多く記録に残されていて、また地震発生当日や直前には太陽が赤く見えたとする記録が多く残されている。

この現象の解析は難しいが、人間にとって対外的要因と内的要因の2種にその因果を求めるなら、本質的には対外的要因があって内的要因がある、つまり地震エネルギーによる空間的干渉が存在する可能性の方が、受信機としての人間自身が地震エネルギーによる直接的な受信干渉を受ける可能性より高い確率を持っているように思われる。

そして生物を一つの受信装置と考えるなら、一般的に満腹時の方が空腹時より感度が悪くなり、従って生物の感覚が最も研ぎ澄まされた状態と言うのは、極限に近い空腹時に有ると言える・・・。

Por favor,tenho um sonho bom. 「良い夢を持ってください」


イチゴショートケーキの混乱」

今ここに初めてイチゴショートケーキが作られたとしようか・・・。

人々は初めて味わうその食感や味に感激し、誰もが賞賛を与え、作れば作るだけ売れて行ったとしよう。

やがてそうした現実に、そのケーキを開発した店では無い他の洋菓子店もイチゴショートケーキを作り始め、ここにその当初は需要が供給を遥かに凌駕していたイチゴショートケーキの市場は、次第に供給が需要に追いつき、ついには供給が需要を追い越した状態になっていく。

そしてこうした状態の端末、つまりは最後の方になってイチゴショートケーキ市場に参入した洋菓子店の売上は、あまり芳しいものとはならず、ここに従来存在したイチゴショートケーキはあらゆる可能性を求めて改良、改悪されていくことになる。

高級素材を使ったプレミアムイチゴショート、安い材料で大量生産される普及品イチゴショート、はたまたチョコレートをコーティングしたイチゴチョコレートと言った具合に、その初期段階では一つだったものが、あらゆるバリエーションを持つようになり、このバリエーションは供給が需要を追い越すに従って増加し、「イチゴショーケーキ群」を形成するようになり、「群」全体の売上は伸びていくが各洋菓子店の売上は減少し、ついにはイチゴショートケーキ本来の姿は失われるか、激しく希釈された状態となる。

なおその上で初期のイチゴショートケーキの概念は大幅に拡散し、ここに至ってイチゴショートケーキの価格も安い物から高いものが混在し、品質も上下が発生し価値観が不安定になっていく。
いわゆるイチゴショーケーキの混乱が発生してくる訳だが、こうして混乱した市場はやがて一般大衆の困惑を招き、一般大衆は自身での価値判断が困難な状態に追い込まれる。

そこで現れてくるのが「権威」になるが、これはワイン市場で言えば「ソムリエ」、学識で言えば「大学教授」や「評論家」と言うものだが、近年コーディネーターと言う輩も同じように振る舞い、「権威」も上下幅や高低が現れてくること、またそもそもこうして分散してしまったイチゴショートケーキは、もはや特定の概念で縛る事が出来ない為、「権威」の言葉は初めから根拠のない独善でしかなくなっていて、やがてそうした事に一般大衆が気づいていくと、社会は高々イチゴショーケーキ一つでも、虚無感覚と言う薄いベールを被ることになる。

それゆえ、この現象は何もイチゴショートケーキに限らず、人間のあらゆる場面で現れてくる基本原理なのだが、政治や経済、情報の分野でも全く同じ傾向を示し、根本的な原因は「分散」にあり、その分散の最大の要因は一般大衆の市場参入、つまりは民主化にこそ堕落の原因がある。

イチゴショートケーキでも最初に食べた時は感動するが、これが2度目、3度目と回を重ねるごとに感動は薄れ、市場のあらゆる場面で豊富に出回ってくるようになると、「感動」は「普通」になり、最後は「無関心」になって行く。

そればかりか人間は必ず寿命が有り、この中では前者の「感動」から「無関心」までの流れと相まった「必然的劣化」が存在するのであり、こうしたものの集合体が民衆であることを鑑みるなら、民衆が関与の度合いを深めるに従って、あらゆる事象は混乱や崩壊を迎える現実が有る。

情報通信の最も初期段階は音声伝達であり、次に発生してくるのは狼煙などの表形伝達や文書などだが、これは確かに情報と言うに相応しいものだろう。

また近代に発生してくるモールス信号なども同じであり、次に発生してくるラジオや電話なども、大衆化する以前は自身が求める必要最低限の情報で有った事から、これも情報と呼べるだろうが、ラジオが一般大衆の需要に応じて低価格化してきた頃から、「分散」若しくはその概念の「崩壊」を迎えていった。

つまり情報の共有は「権力」の分散を意味するのであり、多くの者が知る情報は権力を細かく砕き、為に権力が持つ責任や「権威」が持つ「正当性」の分散につながり、社会全体が少しずつ責任を消失させて行った。

そして情報がテレビによって映像化されてしまった時点で一つの権威が失われ、新たな細かい多くの権威が発生し、これがインターネットと共有化されて来た今日に至っては、双方向に情報が伝達できる状態となり、発生してくるものは「どれが本当のイチゴショートケーキ」かと言う事になってくるのである。

これに対して一般大衆は何が本当なのかを「権威」に求めようとするが、同じように多くの者が自由に意見を言える社会は、本来は専門家と言われる部分からも、その権威を拡散させてしまっている為、一つの情報の正確さに対して分散された、限りなく個人に近い一番権威の小さい形の存在が、各々に自身こそが権威であるように主張し、意見を述べることから、全ての情報が不確定な上に、権威と言う後ろ盾も持てない状態となっている。

この状態は例えば世界全体の政治経済で言うなら100年、200年単位の変革期が近づいていると言うべきなのだろう。
つまりこれから国際社会は政治的にも経済的にも、庶民生活に取っても大きな混乱に向かいつつあり、しかもそれは避けられないことなのかも知れない。

だが完全な集合と完全な分散は存在し得ない。
従って混乱、或いは現秩序の崩壊、そして秩序との関係は大きな流れの、どの状態を切り取ったかと言うことに過ぎない。
そして世界が如何なる状態で有ろうとも、その中で何かを考え思うのは、あくまでも個人一人一人であり、その者が置かれている今の状況によってしか判断が為されないものの集合が世界である。

つまり利便性や情報を求め続け、社会を堕落させて行くのも民衆と言う我々自身なら、次のまたいつかは壊れていくだろうとも新しい秩序や安定を創造して行く者もまた、我々自身である。

クリスマスも近くなったが、せめてただ1日だけでも人々が憎しみあわないよう、誰も殺される事がないように、祈りを捧げよう・・・。

走って、走って・・・。



【卒業ソング】いきものがかり「YELL」 / Instrumental、歌詞入り・・・・・

夢をみた・・・。

囲炉裏を挟んで上座に自分が座り、一番戸口に近い下座に母が座っていた。
私は自分の正面に座っている母がこの世の者では無いことを認識していたが、それを恐れるでもなく、生きていた時と同じ様に声をかける。

「もう、帰っては来れないのか・・・」
「それは・・・、分からない」
私の問いに母はそう答えた。

「○○(孫の名前)に会って行けばどうだ・・・」
私は何かでもう母は帰って来ない事が分かっていて、それならせめて可愛がっていた孫に会って行けばどうかと思ったのだが、何故か返事が無い。

数秒の沈黙が続くが、やがて私は或る事に気が付き、「はっ」と顔を上げ、そこには何か困ったような顔をした母の顔が有った。
「そうか、そうだった、もう死んでしまっていたんだな」、今孫の前に姿を現せばきっと驚かせてしまう。
「それは出来ない事だった・・・」

私はそう思うと、孫に会うことも出来ない母を不憫に感じ、そして頬を一筋涙が流れたかと思うと、次から次へと涙が溢れてきて、やがて「済まない、俺にもう少し力が有れば・・・、済まない」と号泣していた。

私は腰を屈めて泣きながら、同時に見えないはずの母の顔も見ていた。
母は少しずつ無表情になると、さらに少しずつ表情を失い、やがて銅像のような、まるで何かの作り物になったような姿へと変わって行き、ここで私は目が醒めた。

夜中の1時頃の事だった。

幼い頃から眠りの浅い私は小学校高学年頃から「金縛り」に悩まされ、それは結婚してからも続き、やがて子供が生まれると同時に、体が悪くなって行った妻を起こさないようにと、何本も哺乳瓶を用意して、子供が夜中に泣く前に自分が目を醒ますようにし、今に至っては2部屋離れた所に寝ている父親が、再度脳梗塞を起こさないかと、僅かな物音や震動で目を醒ます。

「ああ、夢だったのか・・・・」
私は号泣している状態から目を醒ましたことも有って、確かめる意味から思わず自分の目に手をやっていたが、私は夢の中だけではなく、どうやら現実でも泣いていたようだった。

だが私は不思議と自分が夢で号泣していても、それを寝言で出してしまう事は有り得ない事には確信が有った。
なぜなら私は幼い頃から必ず口を閉じて寝ているからであり、それは働いている家族を夜中に起こして迷惑をかけない為にそうなって行ったものだったが、今年4月に死んだ母に夢で会って号泣していながら、それすらも現実に口に出せない自分が悲しく思えた。

私は仰向けに寝ていながら周囲を見回した。
薬を飲んで寝ている妻は軽いいびきをかいていたが、辺りは静寂そのもの、しかしその薄暗い部屋の中に私は何故か「決別」の文字を感じた。

「もう帰って来ないのか・・・」
私はどうやら母がどこか遠くへ行ってしまう、この世とあの世くらいでは無い、もう二度と会えない所へ行ってしまうような気がした。

もしかしたら母も一区切りが付いたのかも知れない。
あれだけ心配していた米も、何とか私一人で例年通り作ることができ、小作料も全て払ってしまい、後僅かに片付けの仕事は残っているものの、どうやら1年をやり繰りできた。

きっと母は「これで何とかなる」と思ったのかも知れない。

生前母は「死んだ者ほどおぞい(何も出来ない)者はいない」と言っていた。
そうだ死んでしまえば、どれだけばか者であろうと、生きている者にはかなわない。
母の思いは分からないが、生きている私は母が別れを言いに来た、そう思うことに決めたのであり、悔しかったら生き帰って見るが良い。

これまで多くの尊敬する、また心から慕った人間を失ってきた。
自殺が母を含めて5人、50歳代で病死した者が7人、皆私が目標としてきた、或いはこの者だけは失いたく無いと思った者達ばかりだった。

私は布団の中でそれら一人一人の事を思い出していた。
後から後から涙が溢れ、朝の4時まで一睡も出来なかった。
だが、もうこれで涙はお終いだ。

今まで自分が泣いていては、全ての現実が乗り越えられなくなる、そう思って絶対人前では泣かないようにしてきたが、これからは例え一人の時でも、もう二度と再び泣くまい。
これが最後の涙だ。

いつか自分も死んで、先に死んで行った者達と会えたなら、彼らをして「良くやった」と言わしめることは程遠くとも、せめて「まあまあだった」とぐらいは言わしめたい。
泣いている場合では無い。

4時43分・・・。

さあ、今日も一日が始まる。
未来が首を長くして待っている。
走って走って、いつかその先の未来を追い越してやる・・・。



プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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