2012/03/31
「軍事行動とその正統性」
農作業が始まってきた事から、何によらず文章を書く機会は雨の日に限られてきたが、今回は若干強硬な、おそらく私よりは若いだろう女性から頂いたご意見に対して、私なりの思い、その考え方を記事にさせて頂いた。私はおよそ力となるもの、武力、言語、権力や権威は全て「詭」だと考えているが、古来「禅」の開祖とされる「達磨大師」は全ては「空」であると有るとしながらも、「頭を叩かれたなら、その痛みは何だ」と問いかけている事から、「空」で有ろうとも現実に痛ければそれに対処する術も必要と考える。
この事から本来「軍事」は好きではないが、「空」の中に存在する現実論として「軍事」を考えてみたい。
だが最初に言って置きたいことは軍事は大きな「空」であること。
つまりは国家なり社会、集団が目的の為に起こす手段であって、ただ純粋に殺戮を目的とする戦争、「軍」は存在し得ず、従って軍事行動は常に外交の一つの手段に過ぎない。
この事から軍事行動には正統な、誰もが納得できる「大義」が必要になるが、民族の自決、国際平和とその安全保障をこれに掲げるなら、そこには絶対的な必要条件があり、それは「国家の安全保障」「国防」に関する正統性である。
簡単に言えば「攻められたから守る」と言う「大義」で有り、如何なる場合に措いても先に軍事行動を起こした側には「大義」が失われる。
この事は第二次世界大戦、太平洋戦争を見ても明白だが、明治開国以来拡大を続けざるを得なかった日本に対し、アメリカは「ハルノート」を突きつけ、60年に渡って日本が得てきた全ての領土、権益を放棄せよと言ったのは何故か。
それは戦争の大義を得る為だったと言える。
大英帝国やフランスと違ってアメリカは若い自由な国だった事から、基本的にアメリカ国民は自分が実際に攻撃されないと戦争を容認する気概が持ちにくい。
それゆえ、アメリカ政府は実際にアメリカが攻撃されたと言う事実が必要だった。
その作戦が「ハルノート」だった訳で、60年に及んで日本の先人たちが築いてきた領土や権益を、全て明治開国以前の姿に戻せと言うその内容を日本政府が認めるはずも無く、初めから日本を開戦に踏み切らせる事が目的だった。
これは日本に戦争をしかけさせる為の「外交」だったのであって、この作戦に日本政府は「開戦」か「外交和平」かの2つの両極端な選択肢しか持たず、結局「開戦」に踏み切ってしまい、ここで国際的な「大義」はアメリカのものとなってしまった。
しかし、この場面で本当に選択肢は二者択一なのかと言うと、それは違う。
日本人は自分で二者択一に自分を追い込んでしまったのであって、こうした傾向は現代の日本も同じような傾向がある、と言うより現代の日本の方が更に平面的な考え方しか持たなくなっているように思う。
そして戦争の大義、軍事行動の正統性は現代社会では一見軽い概念しかもたれないように見えるが、国家や政府が民主化した現代社会に措いては、その正統性である権威が分散細分化し、最も個人に近い小さなものになっていることから、「不安定」な上に「大きな影響力」を持つに至っている。
またこれは2人の「ジョージ・ブッシュ」アメリカ大統領を比較すると解るのだが、2人ともイラク戦争の一方の当事者となったものの、軍事行動の正統性に関しては決定的な「差」が生じている。
第41代合衆国大統領「George Herbert Bush」、つまりは父ブッシュの時はイラクがクェートに侵攻した為、これを開放すると言う大義が明確だった。
それゆえ当時の言葉で言うなら、「湾岸戦争」の「砂漠の嵐作戦」は世界から支持され、圧倒的な勝利を収めた後、中東に一定期間の秩序をもたらすに至ったが、第43代合衆国大統領「George walker bush」、ジョージ・ブッシュ・ジュニアは戦争の大義、軍事行動の正統性を大幅に拡大し、危険性に対してまで軍事行動の正統性を広げ、一種太平洋戦争開戦時の日本のような解釈を適用し、イラク戦争を始めてしまった。
結果としてどうなったかと言うと、今日の中東情勢の不安定化と、イラクの泥沼のような国内情勢をもたらした。
テロと戦争、軍事行動を一緒にしてしまい、それを根拠に「防衛」と言う大規模破壊行動の正統性は成り立たない。
「イラク戦争」での各国の足並みの乱れはそこに原因が有り、また余りにもチャチな「ハルノート」形式の大義制作行為は容易に国際社会に露見し、最後はイラクの若い記者に靴を投げつけられる事になるのである。
こうした事から、現代の国際社会、とりわけ一般大衆は漠然とだが、テロを戦争とは概念していない事が伺え、いわゆるところの規模の小さな破壊活動は、国際社会から未だに軍事作戦展開の正統性とはならない可能性がある。
さてそこで北朝鮮情勢だが、若き後継者「金正恩」はおそらく軍部古老には逆らえず、前総書記のやり方でしか動けない事から、アメリカに「ハルノート」形式の「軍事ギリギリの外交」を仕掛けるため、韓国や日本を使うだろう。
だがこれは事実上日本や韓国にとっても「ハルノート」に近いもので、国民感情としては当然容認できないが、直接「ピョンヤン」を攻撃する根拠にはならない。
「ハル・ノート」のような外交に対し、すぐに激情して戦争か和平外交の二者択一しかないと考えるようでは、北朝鮮の後ろにいる中国の思うツボであり、同じようにこちらも無理な要求を続けながら、現状を維持し、1mmでも領土や権益を拡大していくしたたかさが必要だ。
領土や権益は元々命懸けの覚悟が必要であり、その覚悟が無い者が勇ましいことだけ言っても、それは犬の遠吠えよりも意味が無い。
本当に憎い敵は暗闇で息を潜め、または油断させて背後からひと刺しにするものだ。
単に言葉だけ、若しくは威嚇しているだけの相手など「敵」では無い。
そんな者に一々頭に来ているようでは、日本はまたつまらぬことから太平洋戦争や、ジョージ・ブッシュ・ジュニアの「イラク戦争」のような間違いに巻き込まれるだけかも知れない・・・。
「兵は詭道なり」
確か孫子だったかと思うが、言葉にすれば簡単だが、その意味するところは深い。
達磨大師の言葉である「空」と「現実」を背後に置いて考えてみるなら、そこに人の在り様が見え、その在り様の集まりが国家であり、世界である事を考えて見るのも悪くないのではないか・・・。