「軍事行動とその正統性」

農作業が始まってきた事から、何によらず文章を書く機会は雨の日に限られてきたが、今回は若干強硬な、おそらく私よりは若いだろう女性から頂いたご意見に対して、私なりの思い、その考え方を記事にさせて頂いた。

私はおよそ力となるもの、武力、言語、権力や権威は全て「詭」だと考えているが、古来「禅」の開祖とされる「達磨大師」は全ては「空」であると有るとしながらも、「頭を叩かれたなら、その痛みは何だ」と問いかけている事から、「空」で有ろうとも現実に痛ければそれに対処する術も必要と考える。

この事から本来「軍事」は好きではないが、「空」の中に存在する現実論として「軍事」を考えてみたい。

だが最初に言って置きたいことは軍事は大きな「空」であること。
つまりは国家なり社会、集団が目的の為に起こす手段であって、ただ純粋に殺戮を目的とする戦争、「軍」は存在し得ず、従って軍事行動は常に外交の一つの手段に過ぎない。

この事から軍事行動には正統な、誰もが納得できる「大義」が必要になるが、民族の自決、国際平和とその安全保障をこれに掲げるなら、そこには絶対的な必要条件があり、それは「国家の安全保障」「国防」に関する正統性である。
簡単に言えば「攻められたから守る」と言う「大義」で有り、如何なる場合に措いても先に軍事行動を起こした側には「大義」が失われる。

この事は第二次世界大戦、太平洋戦争を見ても明白だが、明治開国以来拡大を続けざるを得なかった日本に対し、アメリカは「ハルノート」を突きつけ、60年に渡って日本が得てきた全ての領土、権益を放棄せよと言ったのは何故か。
それは戦争の大義を得る為だったと言える。

大英帝国やフランスと違ってアメリカは若い自由な国だった事から、基本的にアメリカ国民は自分が実際に攻撃されないと戦争を容認する気概が持ちにくい。
それゆえ、アメリカ政府は実際にアメリカが攻撃されたと言う事実が必要だった。

その作戦が「ハルノート」だった訳で、60年に及んで日本の先人たちが築いてきた領土や権益を、全て明治開国以前の姿に戻せと言うその内容を日本政府が認めるはずも無く、初めから日本を開戦に踏み切らせる事が目的だった。

これは日本に戦争をしかけさせる為の「外交」だったのであって、この作戦に日本政府は「開戦」か「外交和平」かの2つの両極端な選択肢しか持たず、結局「開戦」に踏み切ってしまい、ここで国際的な「大義」はアメリカのものとなってしまった。
しかし、この場面で本当に選択肢は二者択一なのかと言うと、それは違う。

日本人は自分で二者択一に自分を追い込んでしまったのであって、こうした傾向は現代の日本も同じような傾向がある、と言うより現代の日本の方が更に平面的な考え方しか持たなくなっているように思う。

そして戦争の大義、軍事行動の正統性は現代社会では一見軽い概念しかもたれないように見えるが、国家や政府が民主化した現代社会に措いては、その正統性である権威が分散細分化し、最も個人に近い小さなものになっていることから、「不安定」な上に「大きな影響力」を持つに至っている。

またこれは2人の「ジョージ・ブッシュ」アメリカ大統領を比較すると解るのだが、2人ともイラク戦争の一方の当事者となったものの、軍事行動の正統性に関しては決定的な「差」が生じている。
第41代合衆国大統領「George Herbert Bush」、つまりは父ブッシュの時はイラクがクェートに侵攻した為、これを開放すると言う大義が明確だった。

それゆえ当時の言葉で言うなら、「湾岸戦争」の「砂漠の嵐作戦」は世界から支持され、圧倒的な勝利を収めた後、中東に一定期間の秩序をもたらすに至ったが、第43代合衆国大統領「George walker bush」、ジョージ・ブッシュ・ジュニアは戦争の大義、軍事行動の正統性を大幅に拡大し、危険性に対してまで軍事行動の正統性を広げ、一種太平洋戦争開戦時の日本のような解釈を適用し、イラク戦争を始めてしまった。

結果としてどうなったかと言うと、今日の中東情勢の不安定化と、イラクの泥沼のような国内情勢をもたらした。
テロと戦争、軍事行動を一緒にしてしまい、それを根拠に「防衛」と言う大規模破壊行動の正統性は成り立たない。
「イラク戦争」での各国の足並みの乱れはそこに原因が有り、また余りにもチャチな「ハルノート」形式の大義制作行為は容易に国際社会に露見し、最後はイラクの若い記者に靴を投げつけられる事になるのである。

こうした事から、現代の国際社会、とりわけ一般大衆は漠然とだが、テロを戦争とは概念していない事が伺え、いわゆるところの規模の小さな破壊活動は、国際社会から未だに軍事作戦展開の正統性とはならない可能性がある。

さてそこで北朝鮮情勢だが、若き後継者「金正恩」はおそらく軍部古老には逆らえず、前総書記のやり方でしか動けない事から、アメリカに「ハルノート」形式の「軍事ギリギリの外交」を仕掛けるため、韓国や日本を使うだろう。
だがこれは事実上日本や韓国にとっても「ハルノート」に近いもので、国民感情としては当然容認できないが、直接「ピョンヤン」を攻撃する根拠にはならない。

「ハル・ノート」のような外交に対し、すぐに激情して戦争か和平外交の二者択一しかないと考えるようでは、北朝鮮の後ろにいる中国の思うツボであり、同じようにこちらも無理な要求を続けながら、現状を維持し、1mmでも領土や権益を拡大していくしたたかさが必要だ。

領土や権益は元々命懸けの覚悟が必要であり、その覚悟が無い者が勇ましいことだけ言っても、それは犬の遠吠えよりも意味が無い。

本当に憎い敵は暗闇で息を潜め、または油断させて背後からひと刺しにするものだ。
単に言葉だけ、若しくは威嚇しているだけの相手など「敵」では無い。
そんな者に一々頭に来ているようでは、日本はまたつまらぬことから太平洋戦争や、ジョージ・ブッシュ・ジュニアの「イラク戦争」のような間違いに巻き込まれるだけかも知れない・・・。

「兵は詭道なり」
確か孫子だったかと思うが、言葉にすれば簡単だが、その意味するところは深い。

達磨大師の言葉である「空」と「現実」を背後に置いて考えてみるなら、そこに人の在り様が見え、その在り様の集まりが国家であり、世界である事を考えて見るのも悪くないのではないか・・・。


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「回答書簡」・2

だが2年、長くても4年待てば良いかもしれない。

おそらく日本は早ければ2年以内に国家予算が組めなくなり、大きな混乱を迎えると共に、関東地震や東海地震に見舞われ、悪くすれば南海、東南海地震までも連動し、更には各地で火山が噴火する事態になる可能性が有り、この時点で本来滅んでいかなければならない者や仕組みは滅びる。

厳しいが、こうした事態に陥らねば日本国民は自分の本当の力を知る事は無いだろう。
だから今個々に課せられた命題は「生き残る」事に尽き、体を鍛え、力を蓄えて時を待つと良いのかも知れない。

そして東北の経済は何もなくても5年後には確実に破綻する。

これは能登半島地震でも同じ事が起こったが、元々破綻寸前だった地方経済と言うものは、それを留めて考える事が出来ないはずだが、人間はこれを留めて考える事から、本来自然に下落して行く曲線を追って行く形で曲線が並んでいくのが復興曲線にもか関わらず、それを震災少し前の時点に留めて考えると、実態経済より遥かに無理な復興点を目指すことになり、この事は従来働いて得ていた収入以上の収入を地域経済に保証し、しかも実際には働く場も、その必要も無い状態が訪れる。

その地域は震災復興と言う一種舞い上がった非常事態経済が通常経済化し、形としては政府や東電から補助金を得る事が仕事になっていき、こうした傾向に、どんどん暗くなる実態生活から美談を求める国民感情が増大し、その期待に答えようとするマスコミがこれに同調していき、最後は夢物語と地獄しかない地域社会を生み出してしまう。

そしてこれが一番重要な回答だが、放射能に汚染されて住めないのなら、理想や希望はどうであれ、現実は住めない。
この事を考えるなら放射能の半減期間はその地域を封鎖し、瓦礫もその地域に置いておく方が最も現実的かつ合理的な方法だと思う。

日本人のみならず今や国際社会そのものが「現実」を軽視している。
このことから感情や情念が優先される、若しくは重要に考えられてしまう社会が発生したが、現実の前にそれらの感情を満たそうとする行為は、更なる悲惨な思いを被災者しに強いる結果としかならない。

放射能の半減期が30年なら、その30年は間違いなく該当地域には住めない。
だとしたら放射性廃棄物もそこに置いておけば、少なくとも放射能の恐れを全国に分散するリスクを回避することが出来るし、無用な経費をかけなくて済む。

冷たい言い方になるが、放射能が人間の感情や思い、また努力するする気持ちによって半減期が早まるなら、感情的な政策もあり得よう。

しかし放射能は人間にとって今のところどうしようもない存在であるなら、それが現実なら感情に金をかけている場合ではない。
故郷や家に帰れないのは可愛そうだと言う者は、では片方で僅かでも放射能が付着していると聞けば、その野菜や米を買わない矛盾を省みる事のない者たちだ。

その悲しみを本当に知るなら、現実の前に地域移住や、他都道府県での生活再建を支援する方が実態経済を壊さずに済むし、放射能の半減期と言っても全てが30年ではない、12年、8年、2年、半年などその期間に合わせて再建して行っても半減期が30年の地域は全地域ではないなら、段階復興も有り得る。

人を可哀想と思うな。
地震は次に関東東海、そしてその次は東南海地域、南海地域、そして日本海側へと数十年単位で起こってくる。
少し時間を長く考えるなら、かわいそうでない地域などこの日本には存在しない。

だから、もし助けられる力が有るなら助けるべきだが、それを可哀想と思う、そして目先の考え方だけで何とかしようと思うのは逆に人の心を蔑ろにし、この国を更に深い奈落の底へ追い込む事になるのではないか。

簡略だがこれが皆に対する私の率直な考え方だ。
だがこれが正しいとは思ってはいないし、他に方法が無いと言うものでもない。
大切なのは自分で考える事であり、多くの人がそういっているから自分も同じで有っては、それは自分の意見や考え方とはならない。

より多くの者が必至に考え、そして意見を言わなければ、例え多くの人が支持する方策で有っても大きな誤りとなるかも知れない。

私は嬉しい。
こうして諸君等のような若い世代が、その苦しい生活の中でも色んな事を考えてくれている事が、とても嬉しい。
おそらく不定期になるだろうが、もし希望が有ればこうしたことを詳しく解説させて頂ければと思う。

言葉は「詭」だと思う私が使える力はまた言葉しかない、こうした事に気付かせてくれた諸君等に心より感謝と敬意を表する。

「回答書簡」・1

突然だが、この記事とは関係無く、熱心にゲストブックへ秘匿コメントを入れてくれた若者達に対して、コメント欄では返答しきれない事から、ここに記事として我所見を述べる。

些か抵抗のある表現が出てくるかも知れないが、貴兄、貴女達の情熱の前に、我唯一の力であり、信じるところである言葉をしてそれに応えたく、そして貴兄、貴女達の存在が有った事を私は嬉しく思う。

まずこの国の経済に付いて、確かにこのままではこの国の経済は破綻し、将来は暗澹たるものだが、この国の経済を救う道は全く無い訳では無く、その方策は現在野田政権が行なっている政策の逆だと思う。
つまり消費税の根本的な原理は、この記事の中でも何度も述べてきたように、「借金返済」の原理であり、借金返済のために借金をしたらどうなるかは明白なことだ。

だからこうした時期の経済対策は市場へ円の供給を増やし、そして消費税を3年間か、5年間の期限付きで撤廃することだ。
またイランなどの中東情勢が不安定な事から石油価格が上昇しているが、これもできれば石油に課税されている税金を3年間の期限付きで撤廃したほうが良い。

そして消費税では無く、所得税で税収を上げた方が、景気も減速させず国民の希望を失わせない事になる。
その上でもはや国際協調経済など幻想に過ぎず、欧米諸国には「はい分かりました」と言いながらイランとは直接交渉によって、石油を確保していく道を探り、こうした政策は中国、ロシア、北朝鮮に対しても同じだと思う。

日本も含めて経済封鎖を受けない程度にちまちまと、自国の利益のために敵国とされている国家とも取引していかねば、それこそ国際社会は依然として対立構造から抜け出せず、本当の意味での国際協調を目指すなら、日本の役割は自国利益を絡めて、多くの異種イデオロギー諸国を相手に取引を進めていくことで、国際貢献となり得るのであり、この点で言えば日本の国際連合常任理事国入などはもはや意味が無い。

適当に名前だけ連ねておけば良いのであって、支出は他の先進国同様、できるだけ抑制する方式をとり、困窮国に対してはその都度直接支援していく形が国際的な知名度も上がり、経費の削減に繋がる。

そして日本経済については、とにかく遊んでいる者が多過ぎる事、それに公務員とそれに準ずる仕事に付いている人口の多さを解消しない限り解決の道はなく、そのひとつの政策は福祉の抑制であり、例えば30年前の高齢者が受けていたサービスと、現在の高齢者が受けているサービスでは雲泥の差が有るが、その満足度や生きていた事の充足感は、むしろ30年前の高齢者の方が充足感や満足感を持っていた。

介護は確かに働いている者に取っては仕事だが、このお金がどこから出ているかと言えば、国家予算、、つまり国民の税金から出ている訳であり、従ってこれは生産では無く、公務員に支払われている予算と同質のものと言う事ができる。

だからこの予算が大きすぎると、国家が経済対策に出動できる予算が圧縮される事になり、こうした原理では年金も同じ性質を持っている事から、高齢者福祉の面で大幅な予算削減によって、過剰な高齢者福祉を抑制し、年金も全ての年金で月額15万円くらいの上限を設ければ、核家族化が減少し、高齢者が遊んでいてそのサービスの為に若者が働いていると言うような矛盾は無くなる。

それでなかったら高齢者介護家庭には一律15万円を支給し、介護家族がいない者のためだけに福祉施設を建設していけば、現在の若年労働者の雇用対策にもなるし、施設建設にかかる予算も削減される。

また公務員は実務重点主義にし、事務職や行政サービスの分野を廃止していく事で、今の国家公務員はともかく、地方公務員の約3分の2は合理化して、他の生産的労働人口に向かわせることができ、こちらも地方事務職公務員給与は20万円を上限にしておくと良いかも知れない。

その上で、国会議員の歳費などは年間500万円を上限、あとはボランティアでも良く、地方議会議員もその歳費は月額10万円、残りはボランティアとするのが妥当だが、こうした事はその泥棒に泥棒を取り締まる法を作れと言っているようなもので、全く実現できない事から、クーデターなどを起こすか、それで無ければ国家が壊滅的な打撃を受けるような災害に見舞われない限り、実現の道は無い。


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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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