「是以、石の神」

「翠萌ゆ蓬日よ、母の背に揺る幼子の、紅き頬にも花の散るらん」

おそらく江戸の末、明治の初めまではこの道が村人の本当の生活道路だったのだろう。
むかしの田舎には谷を通る道と、山の頂上付近を通る道の二つの道があったものだ。
谷の道は装束で言うなら「普段着」、そして山の頂上を通る道は「よそ行き」と言うべきか・・・。

谷をつたって行く道は山を大回りして行かなければならないから、どうしても時間もかかり、距離も長くなる。
それに比して山の頂上の道は頂点を辿って行く分距離は短くなる。
それゆえ人々は村の中を行き来する時は谷の道を歩き、隣村など少し遠くへ行くときは山の頂上の道を歩いた。

そしてこうした山の道には必ずと言っていいほど、通る人が一番不安になってくる「場」と言うものが出てくる。
おかしなもので、道には特に何も無くても大方の通行人が不安になる箇所が出来てくる。

だからそうした皆が不安になる「場」にはいつしか何らかの「神」なり「仏」が置かれていたものだった。
もしかしたら「道祖神」の始まりとはこうしたことなのかも知れないが、私の住んでいる村の山道にも「石神」と言うものが有って、今でこそ通る人もいなくなってしまったが、それでも山菜やキノコが採れる時期には、道端に咲いている花などがこれに供えられていたりする。

幼い頃、私の家は農家と炭焼きを生業としていたことから、私はこの山の道を良く通ったものだったし、その頃は隣村の僧侶などもこの山道を通って村へやってきていた。
結構通行人の多い道だった。

その「石神」はちょうどもう少しで山の頂上に差し掛かる手前に有って、形としては三角なのだが、見ようによっては古装束の武士が座っている形のようでもあった。
畳4枚分ほどの場に、それは西を向いているのだろうか、苔むした長さ1m、高さ70cmほどの石が地面の中から頭を出していたが、いつ頃からそこに有ったのかを知る者もいなかった。

村の長老ですら、いつから有ったのかは知らなかったが、私の両親などはそこを通ると背中の荷物を降ろし、近くを流れている、小川と言うのもおこがましいほどの細い水の流れから、手で水をすくって飲み、手を合わせてから一休みしていたものだった。

当時まだ「神」が何なのかを知る由もない私だったが、そんな両親の真似をして水を飲み、そして手を合わせた。
こんな春の日、そこを通ると誰が供えたのか山桜が飾られていた事があったが、幼い私はこの「石神」に桜の花が飾られていると、どこかでホッとした気持ちになったものだったし、何故か理由は分からないが「石神」に桜はとても似合っているように思えた。

あれからもう40年の歳月が流れた。

村の祭りの前日、ちょうど今年の当家が自分の順番だった事から、祭りに使う「榊」を取りに山に入った私は、そう言えばくだんの「石神」はどうなっているのか気にかかり、必要なだけ「榊」を手に入れたにも拘らず山の頂上付近まで足を伸ばした。

「石神」は荒れ果てていた。
杉やヒノキの葉が落ち、「場」こそあるものの、ゴミだらけと言う感じだった。
哀れな気がした。
神に対して哀れとは何事かと思う気持ちも有ったが、それ以上に淋しかった。

多くのここを通る人々を淋しさから救い、ある者は村を出る最後に「願」をかけて旅立ったであろう、そんな「石神」が今は誰もこの道を通る事も無くなって荒れ果てている事が悲しかった。

早速落ちている木の枝や落ち葉を手でどけて、やはり今も流れている水を手で何度もすくい「石神」を洗い、古くはなっているが近くに転がっていた花瓶代わりの竹筒2本を地面に固定し、そして辺りを見回したが、少し離れた道の向かい側の山に「山桜」が咲いているのが見えた。

「おお、あれをお供えしよう」

そう思った私は今度は山桜を取りに向かいの山へ入ったが、手ごろな枝振りの山桜には花が数個しか咲いておらず、昔見た華やかさからは遠いものの、それを飾って手を合わせると、何故か「石神」が笑っているように見えた・・・。

道と言うものは「人」だと思う。
だから多くの人が通る道は大きな道になり繁栄するが、人が通らなくなればその道は細くなって、やがて消えて行くのが良いことなのだろう。
そして時が巡り、いつかその道が必要とされる時が来れば、道はまた広く大きくなる事だろう。

その時が来たら、未来にここを通る人をよろしくお願いしますよ・・・。
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「環境性決定」



Jessie J - Price Tag ft. B.o.B.・・・・・・

この宇宙でプラスとマイナスを考えるなら、通常はプラスの性質のものとマイナスの性質のものが同じ数だけ存在し、それでプラスマイナス0と言う考え方をしてしまうが、果たしてそれは正しいだろうか、コインを投げた時表が出る確率と裏が出る確率は等しく考えてしまうが、その根拠はどこに有るだろうか。

私たちが「偶然」や「自然」と考える数値は殆どが「等価数値」であり、基本的には左右が均衡した形をしていることを本質としてそれを疑う事は無いが、私たちが存在するこの宇宙はどの部分も「非等価数値」であり、この「非等価数値」が全体では「等価数値」を形成しているものの、「等価数値」が存在している「場」は、もしかしたら一箇所も有り得ないのかも知れない。

従って例えば人間が生まれてくる時、男女がほぼ同じ比率で生まれて来る事を「ランダム数値」と考える人は多いが、コインの裏表と同じように「偶然」や「自然」が二極等価である事は「自然」や「偶然」ではなく、ある種の特殊性を持っていると考えるべきかも知れない。

キイロショウジョウバエの体細胞を見てみると、オスメス共通の染色体と、オスとメスでは組み合わせの違う染色体があり、前者を「常染色体」と言い、後者を「性染色体」と呼ぶが、キイロショウジョウバエの体細胞が持つ8本の染色体の内6本は3対の相同染色体、つまり「常染色体」だが、メスの場合は他の2本の染色体が同じ形で、オスは残り2本の染色体の形が異なっている。

このように「性染色体」の形が同じものを「ホモ型」、オスの場合に見られるような「性染色体」の形が異なるもので形成されているものを「ヘテロ型」と言い、オスとメスで共通して見られる性染色体を「X染色体」、オスにしか見られない性染色体を「Y染色体」と言うが、生物によってはこの「Y染色体」が無いものも存在する。

通常メスの「ホモ型」は同じ染色体の「XX型」、オスは異なる染色体の組み合わせで「XY型」となるが、この組み合わせで配偶子が出来るとき、メスは「X」染色体のみの卵を形成し、オスの精子では「X型」と「Y型」が形成され、メスの卵がオスの「X精子」と結合した場合、その配偶子はメスになり、卵が「Y精子」と結合するとその配偶子はオスになる。

そしてこうした形の「性決定」様式をオスへテロの「XY型」と言い、同じ様式でも「Y染色体」が無い場合は「X0型」と呼び、生物の中ではメスが異なる染色体を持つ、つまりメスが「ヘテロ型」の染色体を持ち、オスが同じ染色体の組み合わせの「ホモ型」である場合には、オスメス共通の染色体を「Z」、メスにしか見られない染色体を「W」で表し、「ZW型」と「Z0型」の2種の形が発生してくる。

ちなみに何故人間の場合男女がほぼ同数で生まれてくるかと言えば、「XY」染色体を持つオスの精子の内訳が、「X精子」「Y精子」それぞれ1対1の割合で形成されるからであり、それらが同じ確率で受精する事から、そこから生まれてくる配偶子のオスメスの出生比率も理論上は等価になるのである。

また我々人類ではこうして個体の性決定が遺伝子の組み合わせで為されるが、例えばイソギンチャクと共生する「クマノミ」などは小さいときはオスとして育ち、やがて大きなメスとつがいになり、メスが死ぬと自身がメスへと性転換し、小さなオスとつがいを形成する。

このような形の性決定を「環境性決定」と言うが、1966年、西アフリカで調査されたトカゲで始めて発見された「環境性決定」は更に興味深いものだった。
何と卵が孵化するときの温度によってオスメスの出生が決まってくると言うものだが、その後の調査でワニ、カメ、トカゲなどの多くの爬虫類でこの「温度性決定」が見られたのである。

だが同じ爬虫類でも「ヘビ」にはこうした性決定が見られない。
何故同じ爬虫類なのにヘビは違うのか、また調査された爬虫類でもワニはほぼ全ての個体が「温度性決定」だったが、他のカメやトカゲは全てと言う訳ではなかった。

この事は何を意味しているのだろうか、どこかで「環境性決定」には生物と環境がまるで語り合っているような部分が存在しているような、そんな感じがする。

もし人間の男女の性染色体がそれぞれ「XY」で構成されていたら、おそらく男女の出生比率は偏って行くのでは無いだろうか。
メスの「XX」にオスの「XY」、この組み合わせは、実に地球とその周辺に存在している「等価対比」に適合したものだったのではないだろうか。

そしてこの宇宙では偶然や自然が「等価対比」ではなく、等価対比が特殊な偏りであったとしたなら、我々人類もまた広義では「環境性決定」の中で子孫を育んできたのかも知れない・・・。

「科学修飾・2」

薬には大別すると2種の考え方が有り、流れが有る。

一つは病気の症状を緩和し、体が自発的に病気を治療する方向に持っていく事を助ける概念、いわゆる「自然治癒力」を促す「対処療法薬」、そしてもう一つはペニシリンなどの抗生物質に代表される、病気の因子に直接作用する「科学療法薬」の概念である。

昔から存在する「カワヤナギ」などの解熱、鎮痛剤、または胃腸薬などは「対処療法薬」であり、その上に抗生物質などの「科学療法薬」が乗っていて、まるでこれらは何かの進化のようにも見えるが、その実この両者の考え方には「流れ」と同時に、どちらが先端なのか迷う部分がある。

感染症治療に広く抗生物質が用いられるようになると、今度はその抗生物質が効かない細菌が発生してくる。
だがその一方で抗生物質の分子構造を一部変化させて誘導体を作ると、それは以前の抗生物質に耐性の有った細菌にも効果が現れ、この事を「科学修飾」と呼ぶ。

「セファロスポリン系抗生物質」などは泥の中に存在するカビから発見されたもので、セファロスポリンを微生物に作らせ、一部の置換基を「科学修飾」して作られた合成ペニシリンであり、今日多くの感染症治療に用いられている。

同じように土壌のカビから発見された「オーレオマイシン」なども、スピロヘータ、リケッチアなど複数の病原微生物に効果が有るが、これも4個の「六員環」を持つ類似化合物が作られていて、「テトラサイクリン系抗生物質」と呼ばれる「抗生物質群」に発展し、現在でも多くの感染治療に用いられている。

「テトラサイクリン系抗生物質」はMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)にも有効だが、現在最強の抗生物質である「バンコマイシン」に対しても、VRE(バンコマイシン耐性腸球菌)が出現し、この意味では抗生物質によって仕掛けた人間の戦争が、細菌と人間の間で永遠の泥仕合に発展しそうな勢いである。

お互いに少しずつ形を変えながら、進んで行くのか、それとも元の形を無くするのかは分からないが、多種多様に変化していく抗生物質と細菌。
これに対する人類の対処方法は抗生物質に頼らない事、掃除をし手洗いを励行する事、うがいなどの習慣を付けると言った具合で、非常に古典的対処しか方法が無いのである。

微生物を同じ微生物を使って退治しようと考えた人類の英知は賞賛に値する。
だがしかしその発見された多くの有効な微生物の発見過程が「偶然」によるものであり、しかもそれは土壌の中、この大地から発見されている。

我々は進もうとしているのか、それとも戻ろうとしているのか、一体どこへ行こうとしているのだろうか・・・。

「科学修飾・1」

紀元前の昔から、ケシの実から採取した阿片(アへン)に麻酔、鎮痛効果が有ることは知られていたが、ケシの実が未熟な時期に傷を付け、そこから沁み出す乳液を乾燥させたものが阿片であり、医薬品と言うものの流れを鑑みるなら、自然に存在する植物や動物、鉱物などを直接疾患治癒に利用する方式の薬を「生薬」とし、そこから加工、成分抽出へと展開して行くことを科学、薬学の進化とするなら、阿片は最も端末の「生薬」で有り、最も初期の「医薬」と言う事ができる。

そして1804年、ドイツの「フリードリッヒ・ゼルチュルナー」(Friedrich・Serturner)によって阿片から初めて「モルヒネ」が抽出され、これが人類が初めて手にする「アルカロイド」となるのであり、「モルヒネ」の語源はギリシャ神話中の「眠りの神」、「モルフェウス」に由来する。

また古くから「生薬」としては認知度の高い、「カワヤナギ」、この樹皮には「解熱効果」が有ることが知られていたが、これも19世紀の中期、「解熱作用物質」が「サリチル酸」に有ることが判明してきた。
しかし「サリチル酸」はそのまま服用すると胃腸に障害が発生する。

それゆえこの「サリチル酸」の酸性を稀釈する事が考えられ、アセチル化して胃腸に対する副作用を抑制したものが「アセチルサリチル酸」であり、ドイツのバイエル社がこれを「アスピリン」として発売後、世界的な知名度を得るが、アスピリンは解熱効果もさることながら鎮痛剤としても、更にはリュウマチの症状にも効用がある。

一方「薬」を開発する上で、それに対峙する病気の原因の研究も進められてきたが、病気の因子となる「微生物」の発見も為され、こうした微生物が病原となる症例を「感染症」と言い、「近代細胞学の開祖」と謳われた「ハインリッヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホ」(Heinrich Herumann Roberte Koch)、彼によって炭疽菌、結核菌、コレラ菌が発見され、こうした細菌の発見が有って、感染症の原因が細菌で有ることが知られるようになった。

また、このような感染症の防止を臨床の立場から実践したのはイギリスの外科医「ジョセフ・リスター」(Joseph・Lister)であり、彼は1865年、外科手術の時、それまで化膿する事が多かった傷口をフェノール水溶液で洗浄する方法を発見し、これによって術式後の化膿を防止する方法を開発した。

以後、同じ化膿抑止効果としてはフェノール液より毒性の少ない「クレゾール」、「エタノール」が怪我の消毒薬として普及してくるが、エタノール、フェノールは細胞内部まで浸透し、細胞のタンパク質を変質させ、この事が細菌の活動を失わせる為、殺菌効果が発生する。

そして1935年、ドイツの「ゲルハルト・ドマーク」(Gerhard・Domagk)は全くの偶然からアゾ色素の一種、「赤色プロントジル」が細菌の増殖を抑制し、なおかつ副作用が全くない無い事を発見するが、「アゾ色素」とは合成物質である「芳香族アゾ化合物」のことであり、この化合物は色素として染色などに用いられる物質で、色素自体には殺菌作用はないが、これが体内で分解され「スルファニルアミド」(スルファミン)が生じることによって細菌の増殖が抑制される。

スルファニルアミドは細菌が増殖するために必要な「αアミノ安息香酸」と構造がよく似ていることから、細菌の「葉酸合成酵素」に誤って吸収され、その結果細菌の核酸生成を妨げる結抗阻害を起こし、増殖が抑制されるが、ドマークの発見以来多くの「スルファニルアミド」の誘導体が作られ、これらを総称して「サルファ剤」と言い、化膿性疾患、敗血症など感染症治療に用いられた。

なお、このサルファ剤の発見は、1929年にイギリスのフレミングによって発見された「ペニシリン」より後に発見されているが、ペニシリンが実用製造され始めたのは1940年以降であり、それまではサルファ剤が使われていた。

しかしペニシリンが市場に出回ってくると、サルファ剤が効果を発揮しない細菌にまで効果を発揮したことから、一挙に普及し、更にはこのペニシリンからそれまでの概念とは異なる「微生物が生産する物質によって、他の微生物の生成を阻害する」と言う概念が発生してくるのであり、こうした薬品を「抗生物質」と言い、これが現代薬学の最先端の始まりとなっていく。

1944年、アメリカの「セルマン・エイブラハム・ワクスマン」(Selman・Abraham・Waksman)は土壌の中に存在している「土壌菌」の一種が作り出す抗生物質を発見する。
「ストレプトマイシン」と名付けられたその抗生物質の語源はその菌の学名どおり、「放線菌」であるが、この抗生物質はペニシリンが効かない細菌にも効力が有る代わり、聴覚障害の副作用がある。

「マルチメディア・2」



Demi Lovato - Skyscraper・・・・・・

マルチメディアなどと言うと、何か先進的な気がするが、これは報道や情報の劣化であり、制限に繋がるものだ。

ケビン・カーターの「少女とハゲワシ」は報道上に人道をどう反映するかと言った議論を喚起させたが、そもそも「人道」と言うものは「他」によって制限されたり強制されるべきものでは無い。
然るに今日社会を鑑みるに、これが統一基準を持ったかのように扱われ、それを外れるものはまるで人間性を失ったかのように扱われる現実は何だ。

命ギリギリのところで、精神のギリギリのところで一枚の映像を写し、それを茶の間でビール片手に肴をつまんでいる者が批判する。
このことに私などは強い疑問を感じたものだ。

マルチメディアとは複合情報、または双方向の情報を意味しているかも知れないが、マスメディアと言う大きなメディアと、パソコンを見ている個人ユーザーと言う極小単位のメディアは本来同一基準では語れないにも拘らず、これらが混然となった瞬間から、報道は報道の独立を失っている。

ケビン・カーターの「少女とハゲワシ」はある種マルチメディアの概念が抱える問題の先駆だったように思える。
少女がハゲワシにつつかれていようが、そうした写真を撮影しようが、それを制限する者は撮影者自身で有って情報を受ける側では無い。

人が苦しみ悩んで、そして自身や家族に危害が及ぶことすら覚悟でメディアに流したものを、何の苦もなく書き写し、コピーし、そしてあたかも自身の情報のように振る舞い、それを賞賛し、非難する。
やがてこうした極小単位のメディアを恐れるマスメディアはマスメディアでは無く、パソコンの1ユーザーと同じになって行き、報道の責任や誇りを失う。

ここに完全に崩壊し、個人ユーザー化した井戸端会議マスメディアが発生するのであり、この事をマルチメディアと言うのであり、その責任は単にマスメディアだけに負わせる事は出来ない。
個人ユーザーでしかないものを、パソコンの双方向性を良い事に、マスメディアに持ち込んで行った民衆の責任もまた免れることは出来ず、今「倫理」や「人道」が本当に必要なのはマスメディアでは無く、個人ユーザーではないだろうか。

ケビン・カーターの「死」の真相は分からない。
或いは「少女とハゲワシ」の写真を撮影しなくても彼は自殺したかも知れないし、それは時間の問題だったかも知れないが、もしかしたら彼は「少女とハゲワシ」を撮影した事で、自身が持つ迷いを大衆からも指摘され、耐え切れなくなったのかも知れない。

私はケビン・カーターの写真を初めて見たとき、それは少女にとっても命懸けだが、撮影者にとっても命懸けであるかも知れないと思った。

自分が歩くこともなく、汗をかくこともなく、綺麗な部屋でパソコンに向かい、泥だらけになりながら得た人の情報に、いとも簡単に優劣を付け非難する。
報道の劣化はこうしたところから始まるのであり、今般社会で言われるところのマルチメディアなど、単なる「劣化」、「堕落」「傲慢」でしかないような気がする。

「マルチメディア・1」



Katy Perry - Part Of Me・・・・・・

1994年7月27日、ヨハネスブルグ郊外に停車していた車の中で一人の男が死んでいた。

その車の中には自分の車の排気システム口からホースによって排気ガスが引き込まれ、男は排気ガスで自殺をはかったものと断定された。
男の名前は「ケビン・カーター」(Kevin・Carter)と言った。
享年33歳だった。

報道、文学、作曲などの分野で最も優れた作品に贈呈される、アメリカで最も権威の有る賞の一つ「ピューリッツアー賞」
1994年その写真部門を受賞した写真「少女とハゲワシ」が初めてメディアに出現したのは1993年3月26日の事だったが、この写真を掲載した「ニューヨークタイムス」へは、写真掲載直後から絶賛と同じ数の非難の声が寄せられる。

1993年、北アフリカ、スーダンのアヨド村・・・。
激しい飢餓から歩くことすらままならぬ痩せこけた少女、その背後から今まさにこの少女を狙ってハゲワシが襲いかかろうと翼を広げている瞬間だった。

ケビン・カーターは偶然にもこの場面に遭遇し、そしてカメラのシャッターを切ったが、この1年後、彼は自分の車の排気ガスを車内に引き込み自殺する。

1983年以降続く内戦と干ばつにより、スーダン国内は大部分で民衆が飢餓状態に陥っていたが、当時のスーダン政府はこうした実情を省みず、国内の内戦状況が外に漏れることをおそれ、海外の報道関係者の一切を締め出していた。
そんな中、このスーダンの内線状況を世界に伝えようと、スーダン国内に潜入していたケビン・カーター、国連の食料配給所になっていたアヨド村に入った彼は、そこでこの世の地獄を目にすることになる。

たった1日、たった1日でその配給所だけでも10人、20人と言う単位の子供たちが飢餓、或いは伝染病にかかって死んで行き、それが毎日、毎日延々と繰り返される。

もともと20代の頃には躁鬱病を患い、数回の自殺未遂を繰り返した経験が有り、更には薬物依存で精神的にも不安定だったケビンは、このアヨド村の光景に激しいやりきれなさを感じ、絶望から逃れるようにアヨド村を後にしようとしていた。

その直後だった。
ここからは当時現場で一部始終を目撃していたケビンの友人、「ジョアォン・シルバ」氏の証言だが・・・・。

痩せて衰えた少女を抱えていた母親は、食料の配給を手にしようと僅かな時間だが地面に少女を置いた。
力なくその場にうずくまる少女、そして無情にも獲物を狙うハゲワシ、少女の後ろから獲物を鋭いくちばしでつつこうとハゲワシが翼を広げ襲いかかる。

思わずカメラを向けてシャッターを切るケビン、だがどうだろうか、彼はファインダーの中におそらく自分を見ていたのではないだろうか。
「俺は、俺は一体何者なんだ」
「何をしているんだ」
今まさにハゲワシが少女をつつこうとする瞬間、ケビンはシャッターを切った。
その直後、ケビンは少女に駆け寄って、ハゲワシを追い払う。

おそらくこの場面での決定的瞬間は少女がハゲワシにつつかれながら振り向く場面だろう。
しかしケビンはそれを待てなかった、いや待たなかった。
ハゲワシが少女をつつく瞬間では無く、つつこうと背後で翼を広げているカットでシャッターを切っている事がケビンの人間としての有り様を証明している。

ハゲワシを追い払ったケビンの声に少女は振り向き、そしてやがて力なく国連の食料配給所に向かって、母親の後を追うようにヨロヨロと歩き始める。
無言で全ての情景が流れていく中、少女の後ろ姿を見送ったケビンは少女と同じようにヨロヨロとした足取りで近くに有る木の下まで歩いていくと、そこにガクっとしたように腰をおろし、泣き始める。

そしてひとしお泣いたケビン、やがて今度はタバコに火を点けて吸うが、それもまだ吸い切らない内に地面で揉み消すと、また声を上げて泣き続けた。
「ジョアォン・シルバ」氏の手記には「少女とハゲワシ」が撮影された時のケビンの様子がそう記されている。

1993年3月26日、このケビン・カーターの写真を掲載したニューヨークタイムスには賞賛の電話や手紙も届いた。
しかし同じ数だけの非難の連絡も届くのである。

「人の命がかかっているのに、写真を撮影している場合ではないだろう」
「人間の生命よりも自分の地位や名声、それとも金の方が大切なのか」
そう言った強い非難の声が寄せられる。

1994年春、アメリカはこのケビンの写真に「ピューリッツアー賞」を贈り、これを讃えた。

そして同年7月27日、ケビン・カーターは排気ガスを引き込んで自殺したのである。

2・「二者択一の危機」



River flows in you sori1004jy・・・・・

原子力は現在のところ人間がコントロールできる範囲を超えている。
この事から人間に取っての原子力は、人間よりも「神」に近い存在とも言えるが、こうした事を専門家でもない内閣や閣僚が話し合いで安全性を判断するなど、暴挙を通り越してその愚かさや、余りにも悲しい傲慢さに限りない失意を感じる。

自然災害やコントロール出来ない原子力を、言わば「神」を人間の都合で、話し合いで決めようと言うのだから、この整合性のなさは、もはや人間の愚かさの極みと言える。

だがその一方で「反原発」で選挙を闘うと表明した「橋下徹」大阪市長、彼の言動、行動もまた野田政権と同じか、それ以上の愚かさ、危険性を持っている。

橋下市長にとっての本質は「打倒現政権」であり、「改革」であり、「反原発と言う闘い」そのものに存在していて、「原子力発電の安全性」に本質があるのでは無い。
そこに見えているものは冒頭の解説の如く、既に本質の失われた闘いであり、言わば闘いの為の闘いと言え、この事がもたらす帰結は「虚無」と、「創造のない破壊」以外の何ものでもない。

更に形無きものを形にしようとする行為は際限が無い。

心はどんな形にも表し尽くすことが出来ない事から、意見の対立が深まると、そこに相互が際限無く心を形にしたものを求め、如何なるものも拒絶していき、それに民衆が自身の日々の不満を重ね、どちらかを選択した場合、やがてその増殖した矛盾は民衆が選択した者によって民衆へと向かって来る。
日本国民は大いなる苦難に曝されるだろう。

「神」でも「現実」でも「原子力」でも同じ事だが、あらゆる事象は本質を持たない。
つまり全てが本質なのであり、球体のように多面的なものであり、形無きものとは、あらゆる方向への道を持っている事を指している。

それゆえこれを賛成か反対の「二者択一」に求めることは、あらゆる解決策から遠ざかり、まるで隠れキリシタンに対する「踏み絵」のような陰湿さと、本質を失った「暗黒」を生むのである。

今、日本が、日本国民が為さねばならない事は山積している。
原子力と言う人間がコントロール出来ないもの、形無きものを「二者択一」と言う本質から離れた手法に陥れ、これを使って自身が増殖しようと試みる者、これが橋下大阪市長の正体であり、ここに善意が有ろうと悪意が有ろうとその結果は変わらない。

大いなるもの、形無きもの、森羅万象の前では善意も悪意も同じように意味が無い。
ただ眼前に広がる現実を乗り越えていくしか方法が無く、この事があらゆる未来の可能性を広げる道なのであり、それを「二者択一」と言う小さな「限定」で縛ることは、「未来を縛る」だけなのである。

そして人類は長い歴史の中で、形無きものを縛ろうとして、更に際限のない形無きものを求め続けてきたが、混沌の極み前夜に有る日本、また国際社会はそろそろこうした事から脱却する良い機会を迎えている。

空気を縛る縄はどこにも無いのだが、これを縛ろうと閣僚が議論して決め、それは安心できないから闘うと言う、こうした話の結果がどうなるか、政治家と同じように我々民衆もまた、今この瞬間も「形無きもの」「未来」から試されている。

1・「限定と拡大」



Laputa Castle In The Sky・・・・・

例えば神に対して畏敬の心を表すなら、その事に形は無い。

しかし人間社会は視覚的に、聴覚的にそれが表された信号が無いと、互いに神が畏敬された事を認識できない。
神と言う形無きものと、心と言う形無きものの関係は、本来形を持たない帰結のはずだが、人間社会では「他」によって「自己」が為されることから、この形無きものを必ず形にしていく。
これが言語であり、宗教であり、政治であり、社会と言うものだ。

つまり人間社会ではその本質は常に失われるか、初めから消失した状態で営みが為され、およそ形無きものに形を与えようとする作業は大いなるものを限定し、それを狭める事を行なっているに過ぎない。

簡単に言うならば自分の名前はどうだろうか・・・。
自分の名前は本当に自分の全てを現しているだろうか、それが私たちを正確に表現しているだろうか、またもし他の名前で名付けられたとしたら、それで不都合が生じていただろうか・・・。

自分にとって一番大切な名前、それで有っても自分の社会的な立場を示す、ほんの僅かな「自分の限定」でしかない。
にも拘らず、もし自分の名前が辱められたら人間は怒り、時間軸や空間軸が異なれば、それを命懸けで守らなければならない状況が存在する。

人間はどんな時もその瞬間を生きている。
それゆえ例えば名前のように、自分のほんの限定された一部に過ぎないものでも、その瞬間は「自分の全て」として考えてしまう。
そしてこの事が人間社会に大きな災いをもたらしていく元凶になっている。

満員電車の中で靴を踏まれた時、その事自体は自分が身に付けているものに「他」が接触しただけの事だが、通常こうした事態に人間が考えることは「増殖した事実判断」になり、それで謝りもしなかった場合などは、「俺をなめているのか」、「私を馬鹿にしているの」と言うところまで発展し、攻撃的になって行くが、その時の相手の本意は分からない。

もしかしたら「なめている」のかも知れず、「馬鹿にしている」のかも知れないが、或いは単なる不注意かもしれない。
だがその相手の本意はともかく、現実は単なる「他」の接触であり、それで謝ろうが謝るまいが靴を踏まれた事実は何等変わることは無いのだが、多くの人はここで謝罪と言う心を形にしたものを求める。

面白いもので、人間の思考パターンは冒頭の「神」のようなもの、つまりは「他」に何かを求める時は大きなものを限定し、狭めて考えるが、自分に「他」が接触してくるときは「小さな事実を拡大」し、「形のあるものを形無きもの」にまで拡大して意識してしまうのであり、人間の選択がどんなに複雑になろうとも必ず「二者択一」になっていく基本的な因子は、この辺に存在しているようにも思えるが、その事実が拡大された意識はまた、謝罪と言う形無きものを形にして求めると言う矛盾を行なっている。

人間がどこまで行っても理解し合えない原因はここにあるのかも知れない。
それゆえ、もし意見の対立が発生したとき、既にそこには「本質」が存在していない。

予め「形無きもの」を「形」にして表す事を求めるだけでも、そこに本質の大部分が失われているにも関わず、その上に意見の対立と言う、一種靴を踏まれた状態が発生した場合、「形無きもの」と「形無きものを形にしたもの」が入り乱れ、際限のない混沌へと堕ちていく。

「2つの拡大」



Origa: Ame (Rain)・・・・・

輸入車に乗っている人なら、一度や二度こうした経験が有ると思うが、例えばオイル交換をしようと市中汎用サービス店、もしくはガソリンスタンドへ入っても、「すみません、ここではできません」と断られてしまう時がある。

特にフランス車はこうした事態が決定的で、そもそもメーカー指定の特定工具が無いとオイル量すら確認する事が出来ず、その特定の工具はディーラー、販売代理店指定工場から持ち出し禁止になっている。
つまり、僅かオイル交換ですらディーラーの支配下に置く方式になっているのだが、こうした方向性は近年の日本車でも同じ傾向が有り、自動車修理市場は急激なメーカー独占市場へと向かいつつある。

そしてこうした傾向を決定的にしてきているのは「ハイブリッド車」や「電気自動車」であり、余り公にしてはいけないのかも知れないが、自動車修理技能者に対する講習などでは、ここ数年ハイブリッド車が事故を起こした場合、「決して触るな、近付くな」と言う事を言っていて、このことは自動車購入者へも注意が喚起されて然るべきだが、自動車購入者への注意喚起は自動車修理技能者に対するそれより、遥かに小さな文言でしか語られていない。

ハイブリッド車は大容量のバッテリーを搭載していて、事故を起こした場合、その事故が小さなものでも、場合によっては高い電圧が車の中を流れる危険性が大きく、また液漏れによる有害ガス発生の可能性、液体飛沫が目に入った場合失明の可能性も高いことから、メーカー指定の技能者以外が触れない状態に陥ってしまう。

更には例えばトヨタの高級乗用車などに使用されている塗料は、1kgが50000円と言うものまであり、大手塗料メーカーからは特定の自動車メーカー以外のところに、その塗料を出荷しない措置が取られていることから、板金塗装ですらディーラーが握っている場合もある。

このことが何を意味しているかと言うと、市中の零細小規模修理工場が、ここ10年ほどで全て排除されて行くと言う事であり、そうした傾向は既に始まっていて、地方ほどそれが加速的に進んで行き、ディーラーの利益優先主義は地方や過疎地域から撤退傾向に有る事から、地方ほど自動車修理サービスが失われ、おまけに修理工場も潰れて行く事態が発生してくる。

またこうした事はヒソヒソとしか語られていように思うが、現状のハイブリッド車が雪道走行で脱輪した場合、確実に自力脱出が不可能なことは明白で、バックギヤを入れても出力が足りず、やがてバッテリーが電圧を失い、ディーラーへ連絡して牽引して貰わなければならないが、こうした事を知ってハイブリッド車を買っているユーザーはどれほどいるだろうか。

つまり現状で言えばハイブリッド車、電気自動車は「未完成」な訳で、ガソリン車よりも遥かに危険な乗り物であることが説明されず、ひたすら「エコ」が強調される政府の見切り発車が、ユーザーの安全を蔑ろにし、利益誘導主義を後押ししている現実が存在している。

「エコ」と言う根拠の無いものが人間の生命の安全よりも重視されている。

更にもう一言、一昨年まで日本では、電気は安全で絶対供給が止まらないものと定義され、そこから「オール電化」なる商品がどんどん発売されたが、今日の現実はどうか、原子力発電と言うリスクの高い方法で生産され続けてきた電気、そう言うリスクが隠蔽され、何か非常事態が発生すると一挙に不安定になっていく在り様を鑑みるなら、ここに単一のエネルギーによって維持される社会のリスクの高さと言うものも考慮されなければならないが、そう言う話が全く出て来ないこの国の脳天気さは如何なものか・・。

資本主義の命題である「拡大」には2種の道がある。

一つは単一のものが巨大化する「拡大」、そしてもう一つは「消滅」に向かう「拡大」だが、国家や社会にとって大きなリスクとなるのは「単一のものが巨大化する拡大」で有り、「消滅」に向かう拡大とは、一つの製品なり商品のバリエーションが多様化し、そして本来の姿を失い「消滅」に向かうが、この事は「発展」や「創造」と言う側面を持っている分だけ、単一巨大化拡大」よりはリスク分散が為される。

そしてこれは太平洋戦争後の日本経済を支える原動力となった部分だが、太平洋戦争中、日本各地から軍需工場に集められた多様な技術者達、彼らは互いの技術の話をして、「平和になったらあんなものを作りたい、こんなものを作りたい」と語り合った。
戦争が終わって自由に物が作れるようになった時、彼らは交流を持った日本各地の技術者達の話を思い出し、自分の持つ技術にそれを加えて、より完成度の高い物を作っていった。

伝統もそうだが、「技術」の最大の敵はその「保全」だ。
一つの技術にすがり、そしてそれを守ろうとする有り様は技術の衰退以外の何ものでもなく、そうした精神が発展を拒んでいるのである。

今、世界的に社会は「単一巨大化」資本主義と、それを擁護する政策が主流となっているが、このことが持つ大きなリスクと複雑化する情報の中で、最も原則になる部分が失われ、一見綺麗に見える枝端が重要視される現実は、いつの日か人類レベルの悲劇を招く危険性が高い。

本当の危機は音にも聞こえず、誰も気付かないところで静かに始まっているものだ・・・・。

「アポカリプス」

聖書中の「福音書」を「Evangealion」(エヴァンゲリオン)と呼び、「黙示録」の事を「apocalypsis」(アポカリプス)と呼ぶが、これらの言語は共にギリシャ語にその起源を持つものの、その発生時期は異なり、アポカリプスの方が古い起源を持つ。

すなわちアポカリプスはユダヤ教を起源とするが、エヴァンゲリオンはキリスト教を起源としていて、アポカリプスは主にギリシャ語を話せるユダヤ人に対して書かれたものが、キリスト教にも受け入れられて行った経緯がある。
興味深い事は「福音書」では、その多くが「希望」に付いて書かれ、一種仏教で言うところの経文のような性格を持っていたにも拘らず、「黙示録」では「絶望」に付いて書かれている点にある。

エヴァンゲリオンもアポカリプスも、基本的にはギリシャ語では「希」を概念させながら、その両者は極端に相反したものを指していて、同じ「希」がエヴァンゲリオンでは勝利や良い事を指しているのに、アポカリプスでは悪い方向の「希」を指し、こうした事はユダヤ教、キリスト教だけでは無くイスラム教にも浸透していて、その教義の中では根幹を為す部分を占めている。

アポカリプスとは「何かの覆いを外す」、若しくは「隠されていたものが暴露される」事を意味しているが、人間には預かり知らぬ神の国の事が示されると言う事であり、その内容の多くは「絶望」である。

「古来善と悪の戦いが有って、現在は悪がこの世を支配している」
「やがて神はこの悪の世界を一掃すべく、審判の日を生じせしめる」
多くのアポカリプスではこのような内容が基底となっていて、例えば新約聖書中の「ヨハネの黙示録」などは明確にダニエル書の引用発展なのだが、その事実を考えるなら、アポカリプスの出自は更に深い歴史を持っている可能性がある。

紀元前500年以上前のアケメネス朝ペルシャで、政治にまで深く浸透していたとされる「ゾロアスター教」、この教義の中には「光と闇の戦い」の話が出てくる。
結果としてゾロアスター教では「善」が支配することになってはいるが、一方で悪は「偽」や「死」を支配している。

また古代バビロニア、アッシリアでは「ギルガメシュ神話」に見られるように、既にユダヤ教、キリスト教の創世神話と同等のものが信奉されていた形跡が有り、その中にはアポカリプスに似たような記述が残されているが、その延長線上にはシュメール文明がある。

おそらくこの文明が成立したのは紀元前8000年以上前だろうと思われるが、紀元前3500年頃から始まったとされる文字、「楔型文字」が残されていて、この中にはとても不思議な記述が残っている。

「涙、悲嘆、憂鬱、激しい痛みが私の周りにある」
「苦痛が私を支配する」
「邪悪な運命が私を捕まえ、私の一生を亡きものとする」
「悪い病気が私を侵していく」
「なぜ私が無作法者として数えられるのか」
「食べ物は全て揃っているのに、私の食べるものは飢餓だけだ」
「分け前が割り振られたその日に、私の分け前が損失を被った」

これは2人の男性の記述だが、どうして彼らはこうした事を記述しなければならなかったのか、更には近年カナダでこの古代シュメール語に関して、それがシュメール語であるかどうかも分からず、言語学者にシュメール語の解読を依頼した女性精神科医師は、子供を連れ去られた上、人類は「絶望」だと言うコメントを繰り返した。

もともとシュメール文明は謎の文明であり、紀元前5000年頃の文明はセム語を話していたが、この時期を「ウバイド文化期」と呼び、その後紀元前3500年頃から紀元前2350年頃までは「ウルク文化期」、そして紀元前2350年頃からは「アッカド王朝」が成立していくが、シュメール文明の特徴である「ウルク文化期」のみがシュメール語を話すシュメール人の時代である。

そしてこのシュメール言語の口語発音は独立言語であり、シュメール人は自身の事を「混じり合わされた者」と呼んでいる事、更には人種的骨格が周囲のセム語族と同じ事から、或いは言語学的文化区分になるのかも知れないが、地球上かつてない言語形態を持っていた。

また彼らの文明は言語だけでは無く、地理的隣接地や時代的隣接文明とはどうしても異なるものが有り、そのひとつは女性の地位の高さである。
流石に男性優位は変わらないが、周辺文明では女性が奴隷と同じ扱いだった事からすると遥かに現代的で有り、なおかつ「目には目を、歯には歯を」の等価懲罰思想が存在していない。

その彼らが描く未来と言うものが、経った2人の男の記述で判断する事はできないとしても、どうしてこうも悲観的なのだろう。
そして私たちが見ている希望とは一体何なのだろう。
この辺に私などは聖書中のアポカリプスの起源を見る気がする。

もしかしたら私たちは一度も叶えられた事などない平和や幸福を夢見つつ、その本質は「絶望」なのかも知れないと、思う時がある。
だがその「絶望」で有るがゆえに、今日私たちは宗教観を持ったのではないだろうか。

ヨハネのアポカリプスには終末の日、それは大天使ミカエルが吹くラッパの音から始まると記述されていて、ここ2年ほど世界各地で音源が無いにも拘らず、大きな悲鳴のような、はたまたジェット機が墜落するような大きな音が聞こえたと言う報告が出てきている。

ちなみにシュメール語の特徴は、一つの発音で多くの意味が異なるものが表現される事だった。
例えば「渡す」と言う言語一つでも、人にものを渡す、或いは橋をかけることまで、状況によって意味が違って行く日本の言語、言語学者の中にはシュメール語と日本語に共通点を指摘する者も少なくない。

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