2012/06/30
「いつか冷たい雨が」・34話
「ねえ、木村さんって人を好きになった事は有るの」震災で車が大破してしまった事から、長野に有った40万円のプジョー206を買った木村、静岡から東京へ帰る車中、無理やり自分も行くと言って付いてきた智美は運転する木村に何気なく尋ねたが、木村は暫く黙ったままだった。
「好きになると言う事が分からない・・・」
「あの人良いなとか、誰それが可愛いとか思った事はないの」
「思わない訳ではないが、それは瞬間のことだ、次の瞬間には同じ事は考えない」
「友だちとか、いないの」
「いない、友達と言う感覚も分からない」
「何かやりたいことや、好きな事ってないの」
「何もないかも知れない」
「じゃ、一体何で生きてるの」
「それも分からない」
「ねえ、もし私が木村さんと結婚したい、って言ったらどうする」
「そうするかも知れない・・・・」
「それって愛してなくても?」
「結婚は一つの形式だから、愛とは無関係のものだ」
「愛して無くても一緒に暮らせるの」
「例え家族でもいつも良い関係にあるとは限らないが一緒に暮らしている、おなじことではないか・・・」
「木村さんがもし結婚するとしたら、相手の人に何を求める?」
「何も求めない」
「じゃ、木村さんの結婚したいと思う条件は何なの」
「先着順かも知れない」
「女の人なら誰でも良いの」
「そうではないが、人を選びたくない」
「それで幸せなの」
「幸せなど信じていない」
「・・・・・・」
「ねえ、私と結婚して・・・」
智美は自分で言いながら恥ずかしくなり、思わず下を向いたが、しばらくの沈黙の後木村は智美を振り向き、こう答えた。
「良いだろう、君と結婚しよう」
大きな声でもなく、何も感動的なシチュエーションでもなかったが、智美はこの木村の返事にまるで薔薇の花が開いたように顔を上げると運転席を見つめ返した。
「本当?、私と結婚してくれるの」
「ああ、君は大曽根先生と良く似ている、一度言い出したら決して引かないだろうからな・・・」
「ただ、今はだめだ」
「私も小澤総理も、田神大臣も恐らく世界中、場合によっては日本の中でも邪魔に思われているかも知れない」
「君の身の安全が保証できない」
「それに、今の状態では君が私の弱さになってしまう」
「だから、日本が無事公債の償還を終えたら、その時は君と一緒に暮らそう」
「山形で農業でもして暮らそう」
智美は自分が意識していないのに涙が流れてくるのが分かった。
心が締め付けられる程に嬉しかった。
「ありがとう・・・」
東京は未だあちこち瓦礫がうず高く積み上げられ、道路も乗用車が走れる程にはなっていない。
その為木村は智美を那須の事務局まで乗せてくると、そこから川越まで戻って自衛隊の専用車両、と言ってもただのジープだが、それに乗り込み、やっと少しだけ確保された道路を伝って世田谷の借りている自宅の様子を見に行った。
もし使える衣類や機材などが有れば持ち出そうと思ったのだが、家は左側の屋根が落ちてしまっていて、まるで真横に寝ているような有様だった。
それで仕方なく窓から中に入った木村は、内部も瓦礫や埃で手が付けられない程になっていたので、諦めて帰ろうと入ってきた窓のところまで戻ったが、そこにチラッと女の影が映った。
「お前、まだいたのか、ここも1年後には無くなる、そろそろ別の家を探しておくんだな・・・」
木村は女の姿が見えた窓に向かってそう言うと、その入って来た時開けた窓から外に出たが、これと時を同じくしてイタリアではヴェスヴィオ火山の噴火が始まっていた。
ヴェスヴィオは紀元後79年8月24日に大噴火を起こし、あの有名なポンペイを一夜にして消失させてしまった火山だが、最近でも1944年にはサン・セバスチアーノ村がこの噴火によって埋没している、言わば常に中小規模の噴火が続いている火山で、2013年のこの時始まった噴火は破格の規模だった。
観光施設や周辺地域の街を次から次へと火砕流が襲い、その噴煙は上空14kmまで達した上、以後9ヶ月に渡って噴煙を上げ続けたのである。
そしてこの未曾有の災害に対処できなくなったベルスキーニ政権は崩壊し、イタリア経済は自国が発行した公債の償還期限を決済できなくなった。
つまりここにイタリア経済は崩壊したのであり、この事がスペイン、ポルトガル、ギリシャ経済を更に追い込み、もはやドイツ一国では如何ともしがたい状態になり、IMFの資金も限界が見え始めて来ていた。
更にこのヴェスヴィオ火山の噴火から9日後、今度はアイスランドのラキの亀裂が長さ90kmに渡って溶岩を吹き出し、ここも上空15kmまで噴煙が上がり始めた。
この1ヶ月後、亜硫酸ガスと火山灰で覆われたヨーロッパの空には赤黒い太陽が登っていた。
またこれはATSSも予測できていたなかったが、3月にはアメリカのイエローストーンが噴火を始め、こちらも一向に噴火の勢いが衰えず、場合によっては10万年前に発生した、メキシコ湾に火山灰が降り積もる程の噴火になる恐れが出てきていた。
この場合の噴煙の規模はヴェスヴィオやラキの噴火の規模を遥かに超えるもので、事はアメリカ一国が崩壊するだけにとどまらない、噴煙によって地球の気温が一挙に5度から7度低下し、人類の単位で滅亡する危険性が出てきたのである。