2・「礼節をして世を開く」

一方ネット社会によって到来した情報の即時配信傾向は情報の質を低下させ、一つ一つの情報が民衆に及ぼす影響期間を著しく短くした。

これによって情報が流れる速度は1980年代とは比較にならないほど加速が付いているのであり、その溢れる速度の速い情報の中で人々は情報を精査する時間を失い、唯見出しだけを見てそれを判断し、世界全体が一種の統合失調症状態に陥っている。

人の脳の情報処理システムはその瞬間に関心の有る事柄を集中的に集め、これによって感情の高揚がある。
感動的な場面で感動するのはその場面のみによって感動しているのではなく、その瞬間に過去のあらゆる感動的な部分を加えて感動に厚みが出ている訳であり、この原理は怒りや憎しみもまた同じだ。

つまり人間は感動したくて感動しているのであり、恨みたくて恨み、怒りたくて怒っていると言う部分を持っているのだが、その瞬間に見出しのような情報によって軽率な感情に引っかかると、あらゆる情報の中からそれを増幅する情報のみをピックアップして感情を増幅させてしまい、そこへ更に多くの同じような情報を集めてショートを起こす。

ここに理論や理性を失った感情に支配された理論が展開される事になり、中国、韓国と日本の情報による対立の原因はこれに有るが、言葉の中で一番恐ろしく強硬な言葉とは「沈黙」と言うものだ。

元々言葉とは自身を現す事が本旨だったが、こうした情報社会の中の言葉は「他の反応を量る」事に重点が置かれるようになってしまい、為に自身の意思ではなく他人の言葉が気になるが故の言葉になってしまっていて、この傾向の中で一番効力のある言語は反応が無い状態を指すのである。

言葉は鏡で有り、発せられた言語に対して反応が無ければ、そこに言葉を発したものは自身が写った鏡を見るに等しくなる。
言わば自身が発した言葉が自身に帰ってくる事になり、ここに恐怖は増幅され、中途半端に反発された言葉以上の潜在的な恐ろしさを感じる事になる。

人間の歴史を見てみれば解るように、言葉や力で人を完全に支配したり屈服させる事は出来ない。
言葉で「解りました」と言っても、それが本当に「同意」している事など有り得ず、力を恐れ逆らわないとしても、それが心底相手を肯定しているとは限らず、むしろ強い恨みを抱いているやも知れぬものだ。

真に相手を屈服させる事は「信」を得る以外に道が無く、この「信」は唯逆らわなければ得られるものに非ず、相手に対して唯逆らわない事をして「信」を得たと思う者の「信」は必ず裏切られる。

日本は中国や韓国、北朝鮮にしても武力ではおそらく勝てまい・・・。
それゆえその勝てないもので今虚勢を張っても自分が堕ちていくだけになり、日本が持つ力とは何かを考えるなら、それはひとえに「礼節」に尽きる。
その礼節によって裏打ちされた正確で人に優しい物作り、言い換えれば「経済」によってなら世界と戦うことが出来る。

軍事力など3つの方向の一つにしか過ぎず、しかもこれは孫氏が曰くのように、最低の勝ち方だ。
力の無い者ほど、傲慢で愚かな者ほど吠える犬の如くであり、日本は統合失調症傾向に有る世界に有って、そこで次の秩序を目指そうとするなら、自身が最も強い部分で戦う事だ。

経済の根幹を為す「礼節」、これほど脆くて不安定なものは無いが、罪を人が決めるのでは無く、自身が罪を悟る事の出来る社会こそが最も強力な国家と言うものである。
軽率な見出し情報によって感情的になった言葉になど反応する価値は無く、これに対して沈黙を持って答え、そこに費やされる労力を自国の蓄えに向かわせ、やがて来る災害に備える事だ。

そして相手の非礼に対しても礼節を尽くし、何を言われたとしても言葉だけでは何も失うものなど無く、この姿をして日本は国際社会の「信」を得、韓国や中国、北朝鮮の内政に対してダメージを与えることが出来るが、決して人民を憎んではならない。
今は対立してしまう関係だが、その心底にはいつか共に笑って話せる日が来る事を信じていなければ、そもそも始めから平和や友好的な関係など有り得ない。

これからの日本は大変な状況を迎えるだろう。
もしかしたら今の時点では極東アジアで最も崩壊の危険性の高い国家かも知れず、それは自然災害と放射能汚染によって、更には現状維持しか考えない高齢社会と、それに迎合する政治によって増幅されるに違いないが、自分が傷ついても相手の傷がより深ければ、自分の方が早く回復して勝つことが出来る。

心底に平和を望み乍、その現実には平和など無い事を覚悟する。
「平時に在って乱に備え、乱に在っては平時を思う」
中国は共産党革命によって4000年の英知を失ってしまっているが、奇しくも日本にはそれが残っていた。

まるで第二次世界大戦前の日本海軍が東郷平八郎の海戦を失い、それを敵のチェスター・ニミッツが継承してしていて、日本軍に勝利した事と同じかも知れない。

世界は今、日本の政治と同じように調整機能が本旨で有るにも拘らず、政治そのものが混乱を発生させるに至っている。
この中で権力とそれを担保するものを得ようとするなら、権威の根拠である「信」以外に他は無く、この「信」は礼節によって生じる。

そして日本は「礼節」の国なのである。

本文をして皆さんのご意見に対し、全て回答させて頂いたものと思います。
有難うございました。
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 1・「対立の構図」

日本も中国も韓国も北朝鮮も基本的にはまだ第二次世界大戦が終わっていない。

それぞれの国が総括を先延ばしし、或いはそこから発生した恨みを元に頑張り、独裁体制の維持の為に対立を作り、国家体制批判をかわすために過去の戦争を今に至ってまでも戦っている。

日本は戦争終結時に全てをアメリカに白紙委任し、その事によって戦争の全てを決済したが、これによって独立国家で有りながらアメリカと言う後見国無しでは責任が担保されず、ではこの後見国をいきなり外す事が出来るのかと言えばそれも出来ずに、限定された独立国家の中で根本的な責任や厳しい現実から逃れ続けてきた。

そして今中国と言う巨大な龍がうごめき始めた時、相対的に力を失ったアメリカは厳密には日本の後見国としての力を失ってきていて、それでも中国やロシアの潜在的な脅威を考えるなら日本を野放しにしてやることは出来ず、この中で日本政府は憲法改正などと勇ましい事を言っているが、借金苦から防衛予算さへ削らさねばならぬ現実を前に、それは負け犬の遠吠え、匹夫の勇に他ならない。

また韓国は基本的に僻みに(ひがみ)によって、日本を恨むを事で政権が国民の不満を抑えてきた、言わば乞食の開き直りのような体制で発展してきた国家で有り、日本に対する韓国の僻みのバランスを取っていたのもアメリカだったが、ここでもやはり力を失ったアメリカは韓国の精神論的暴走を抑制できなくなってきた。

更に中国は本質的には多民族国家で有り、言語すらも北京と広東では異なるくらいのものを抑制してきたのは「共産主義」だったが、その共産主党の独裁政権は党員のみの豊かさや成功が保証された自由主義、資本主義との恣意的二重思想政治に陥り、今やバブルを謳歌する共産党員関係者に対する人民の不満は爆発寸前となっていて、これを中華思想的傲慢さに乗せて煽り、人民の不満を日本へ向けさせる事でかろうじて政権が維持されている状態である。

北朝鮮に至っては完全に古老軍部独裁政治であり、これは第二次世界大戦前の日本に限りなく近い状態に在り乍、ロシア、中国とアメリカの消極的対立の中で存在しているが、伝え聞く人民の苦悩は筆舌に尽し難いものであり、これを軍を担保にした若き独裁者が支配しているが、その経済対策はことごとく頓挫し、ある日突然の体制崩壊も全く現実性が無いとは言えない状態に有る。

この極東アジア4国は経済と人口問題で共通の課題を持ち、それらは共に逼迫した状態に有り、経済と言う観点では相互の往来が無ければ成り立たない状態に有り乍、精神的には対立し、更には北朝鮮では食糧難から人口が失われ、中国、韓国、日本は内政によって少子高齢化、それもハイパー高齢社会を迎えている現実が有る。

これらを鑑みるなら、極東アジア4国は不必要な対立を避け、それぞれが内政と経済対策に奔走べきところだが、逼迫した経済的周落傾向により、もはや民衆の不満は爆発寸前、これをかわす為にそれぞれの国の政権はどこかで敵を作らなれば国民からの政権攻撃を避けられない状態に陥っている。

また第二次世界大戦と言う事で有ればヨーロッパも極東と同じ事情を抱えていたが、ヨーロッパ諸国が大きな精神的対立を回避できた理由は2つ、その一つはそれぞれの国家の力の差が少なかった事、それによって東西に分断されていたドイツが統一国家として復帰している点にある。

極東の日本と韓国を擁護するアメリカの力は余りにも大きく、韓国、日本はその属国的な地位でしかなかった事、それにヨーロッパとは陸続きのロシアはヨーロッパ諸国全体との直接的対立を回避する傾向に有るが、アメリカはそうは行かず、ロシアと協調路線を歩いてきた中国の力が増した今日、二頭並び立たずから潜在的に中国の敵はアメリカで有り、日本のへの小さな攻撃はアメリカの力と、そのアメリカと日本の結束力を計る為に行われている。

それゆえこうした事に気が付かぬ韓国政権の中国接近は、基本的にアメリカの力を削ぐ事になるのだが、このような愚かさは中国の古代国家間でも同じだった事から、この極東4国はこれからもいがみ合い、朝鮮半島の統一など夢のまた夢になるだろう。

そして南北の朝鮮が統一を果たさない限り第二世界大戦の局地戦は終わらず、こうして日本が中国や韓国と対立が深まると言う事は、どこかで何か大きなものの対立が進んできている事を意味している。

つまりロシア・中国とアメリカの対立が始まりつつ有ると言う事なのかも知れない。

おそらく日本は地震や気象災害によって、或いは中途半端な量的金融緩和政策の失敗によって、経済的に壊滅状態に陥る日がきっと来る。
韓国も同じように政治的混乱と経済崩壊によって混乱は必定となり、北朝鮮では餓死者が続出し、やがて軍部にまでこれが波及するとクーデターが発生する。

更に中国では支配層の腐敗を是正できず経済も落ち込み、高齢化社会是正政策が間に合わず各地で暴動が発生し、この鎮圧を巡っていつか人民解放軍が分裂する事態が発生し、統一国家としての中国は危機的な状態を迎える事になるが、その理由は人民解放軍の兵隊の多くが地方出身者だからである。

本当は極東アジア4国が互いに仲良くできればそれが一番良いし、どこかではそれを目指さねばならないが、これが仲良く出来た時代は僅かな期間でしかなく、それが為しえたのはどこかの国の支配の下での事だった。
対立はおそらくこれからも避けられない。

極東アジアの平和は東西冷戦と言う力の集約による対立、アメリカの力と言う抑止効果によって成立したが、その力が後退した時権力は分散され、それぞれの国家が自己主張を始める事は必然の流れだった。


「混沌の速度」

静かな部屋でエアコンのスイッチを入れ、冷たいビールを飲んだとしようか、実はこの瞬間にも「混沌」は発生し始める。

少し前の「濃度の逆べき分布」で出てきた「ローレンツ・アトラクタ理論」では、物体が3つ存在するところには既に混沌が始まってくる事になり、この世界でどんな物質も単体独立存在が有り得ない事から、全ての事象は初めから程度の差は有れ混沌なのである。

従ってどんな事象でもそこに「流れ」は見ることが出来ても「確定値」は存在せず、その「流れ」も常に後から追いかけてくる混沌によって不定値となり、ここに統計やデータによる解析はそのデータや統計が多くなるほど「例外」や「異常」によって満たされ、最後はその統計やデータに基づいて導かれた予測が不確定になっていく。

この事は気象に限らずあらゆる物質の存在に見られる原理で有り、地震の予測等も間違いなくこの範囲に有る。

それゆえ例えばニュージーランドで大きな地震が発生し、そレから暫くして東北海域で中規模な地震が発生したら、その数日後に大きな地震が発生する等の予測は、1回ならそれは有り得るが2回目からは少しずつ傾向が変化し、最後は「偶然」と同じ確率に到達するのであり、これは他の科学的解析予測、準科学的解析に措いても同じである。

気象庁の緊急地震速報のシステムでもP波は常に混沌の中に有って、確定P波を捉えられる場合は、それが中規模以下の地震になる確率が高く、大きな地震の前に発生するP波は初めから「拡散」されてくる為、同時刻に離れた場所で起こった小さな地震を2つ以上捉えた場合の解析と、巨大地震が発生する前に捉えられるP波の解析は近似値なのである。

面白いものだがこれは「不確定性原理」に近いものであり、以前にも解説したことが有るが、100%未来を見ることの出来る預言者によって、私が明後日交通事故に遭遇して死亡すると予言されたとして、私は当然死にたくないから明後日は一歩も家から出ずに過ごし、結果として交通事故死しなかったとしたら、どうしようか・・・。

この場合、予言が日時や場所まで特定していたとしたら、その予言の正確さゆえに予言は外れる事になる。

預言者が正確な未来を捉えれば捉えるほど、その予言は外れていく確率が高くなる訳であり、地震が持つローレンツ・アトラクタの混沌と不確定性原理の持つ「未来の不確定性」は全く別のものに見えて、結果が同じで有る事を示しているかのようだ。

緊急地震速報システムは被害の無い中、小規模の地震予測は正確に行えるが、2つ以上の微弱地震が同時発生する場合と、巨大地震が発生する場合のP波を区別することが出来ず、また2箇所以上に微弱地震が発生し、それで終わるのか巨大地震になるのかの確率も、統計的数値が増えるに従って「ランダム」、つまりは50%ずつの確率に近付く事になる。

簡単に言えば「解らなくなる」と言う事で、その意味では巨大地震発生予測は「来てみなければ解らない」事になるが、気象庁の「緊急地震速報」は2013年8月8日に巨大地震発生を予測し外れたものの、これを責めるには当たらない。

むしろ大きな地震が来なかった事を喜ぶべきものかも知れない。
いつかは分からないが関東地震や東海地震は間違いなく発生し、その20年先には南海、東南海々域に措ける巨大地震発生の確率が非常に高い事は判明している。

また先の日本海溝地震(東日本地震)以降、海溝プレート運動によって混沌化した日本列島の地殻運動は、火山運動の活性化現象をもたらし、日本海溝地震もそれが本体なのか、或いは何かの前触れなのかすら判明せず、北海道南西沖、北海道北東部の震源域が不気味な兆候を示している。

更に近年増加している南西諸島海域の微弱地震は、或いは南海地震を想定しなければならない事態に有るのかも知れず、こうした事を考えれば明日にも日本のどこかで巨大地震が発生する事は、もはや何の不思議も無い状態にある。

しかし日々の生活に追われ、或いは緊迫する国際情勢に追われた日本人は、ともすれば日本と言う国土そのものが危機に有る事を忘れ、なし崩し的に原発の再稼動などを実行して行っているが、50%の確率のものは「来ない」のではなくて、間違いなく来る事が決まっているものなのである。

そして今日来なかったら明日、明日でなければ1年後と言う具合に地震発生の確率は未来に行くに従って「確率の集積」を起こす。
まるで網に魚が追い込まれるように確率が追い込まれて行く事になり、その意味では未来に行くに従って苦しみや不安な状況が長く続くだけと言う側面が有る。

気象庁が緊急地震速報を外す原因は2箇所で同時に発生した微弱地震だが、微弱地震とノイズでも同じ観測効果が出てしまう。

元々地震に措けるローレンツ・アトラクタ傾斜は、気象のアトラクタ傾斜の2乗クラスの混沌速度を持っている為、このように一回々々で少しずつ入力すべき基礎データが違ってくるのである。

統計はある種の平均値なのだが、この平均値は少しずつ平均値からずれた小さな異常によって構成される為、それを基礎データとした時、先の予測は混沌になる。
言い換えれば鉛筆を転がした結果や、コインの裏表で地震発生を予測するのと同じになってしまうのであり、これが気象庁の緊急地震速報が外れるメカニズムだ。

だが、例え外れたとしても緊急地震速報は意義のあることかも知れない。

怒涛のように流れていく情報社会では、今日来なかった危機が明日は来るかも知れない事を忘れさせ、どうしても国家や民族を精神的な部分でしか概念させなくなるが、国家や国民生活の最も基本的な部分が人と国土に有る事を、そしてこれらの事を一番先に考えて国家運営に当たらねばならぬ事を、我々に再認識させてくれる。

最後に絶対そうだと言う事は出来ないが、緊急地震速報で自分がいる場所が震度4以下の場合は、速報から実際に揺れ始めるまでの時間は20秒から40秒で、これが震度6や震度7の地震が的中する場合、速報が出てから最大で7秒、早ければ速報の前に揺れは始まっている事になる・・・。



「最後の一服」



Queen - 'Bohemian Rhapsody'・・・・・・

物を生産販売する者はそれが高く売れる事を目標とする。

一方、物を買う側はそれが安く買える事を望むのが道理で有り、ここに物を巡ってそれを生産販売する者と買う側には対立が発生するが、この両者の調整は需要と供給のバランス、つまりは市場に付託される。

しかし資本主義経済の原則が拡大に有る事から、この市場はいつか必ず占有や独占と言う傾向から免れず、ここに市場が持つ自然調整機能が失われた時、政治的介入が為されるが、こうした政治的調整機能は必ずしも対立を解消するとは限らず、そこに横たわるものは手続きの公正さによる納得と言う形が多くなるが、こうした傾向は社会のあらゆる場所であらゆる瞬間に存在し、このような調整機能が組織化して定着したものが国家や政府と言うものになる。

従って「government」(政府)とは政治的調整機能が独立した形を言い、統治行為と統治組織の両方の意味が含まれ、ここで言う政府とは「司法」「立法」「行政」を包括しているが日本で概念される政府の概念はもっと狭く、ドイツ語の「regierung」(レギールンク)「行政」に相対している。

日本やドイツでは過去の時代に君主が大権を持ち、この大権を背景に政府は優位な立ち場で議会と対立し、議会から独立していた歴史的背景を持ち、ここに議会や立法と共同して何かを作り出すと言う概念が無い。

この為本来司法、行政、立法の三権分立の思想である独立した形での共同作業と言う側面が忘れられ、対立至上主義的なものとなってしまっているのである。

また先にも解説した通り、政治的調整機能はあらゆる場に存在し、「政府」と言う概念は国家レベルに全てが帰する訳ではない。

調整機能が有り司法も立法も備わっている事を鑑みるなら、地方自治体も「政府」と看做す事が出来、例えば友好都市条約や沖縄とアメリカの関係を見れば解るように、地方自治体が事実上の「政府」となっている現実を看過する事はできない。

この事から日本ではまだ定着していないが、「local government」(地方政府)と言う概念も必要になるのであり、統治行為、統治組織と言う概念に量るなら、「government」の実体はこうした小さな組織から国家レベルまでの全ての組織が入り組み、それらが関わる諸外国政府との関係も含めた概念として考える必要が出てくるのである。

そして「司法」「立法」「行政」と言う政府の要諦は、その時代によって循環性を持った偏重性が有り、例えば19世紀は立法権が行政権や司法に対して優位に有り、この中で概念される国家の機能は「治安と国防」と言う事になり、ここから20世紀には行政権が優位性を獲得した結果、三権分立と言う考え方が発生してきた訳で、これが今世紀に入ると「福祉国家」へと変遷を遂げた。

福祉国家とは、言い方に問題は有るかも知れないが「行き過ぎた行政権」とも言うべきもので、国家の機能は国民のあらゆる要望に応えようとして国民生活の細部に渡って入り込み権力が分散し、為に「政治」(調整機能)が専門性を要するようになると、独立した調整機能である政治家、所謂立法の調整機能が行政面ではアマチュアリズム化し、現実の調整機能を失う。

ここに本来は独立した政治(調整機能)だった立法、政治家が形骸化し、顕著な例が法案などの作成を実際は政治家が行えず裏で官僚が作成し、それを棒読みしている予算審議などの光景であり、ここでは立法府が行政機構の「道具」にしかなっておらず、加えて政策執行の過程では行政機構の自由裁量が初めから広く作られていく事から、政策執行の細部の大半は行政に委ねられる「delegated legislation」(委任立法)の附則や、行政の規則や命令で立法を補足するするやり方が通常化してきている。

日本に措ける官僚機構の蔓延は唯愚かな政治家に原因が有るのではなく、民衆が求める調整機能の大きさにも原因が有る。

ありとあらゆる問題や対立の調整を政治に求めると、そこで専門知識の無い政治家は執行者で有る行政に依存し、ここから行政が細々と対立の調整に乗り出す結果、権力が細分化され、元々完全な調整など有り得ない事から調整が調整によって矛盾を生じせしめ、やがては調整機能が爆発して吹き飛んでしまうのである。

つまり日本は調整機能の一つである行政に依存し過ぎて、その行政が持つ調整機能が分散に向かっている、言い方を変えれば行政の調整機能を細かく切り刻んで無くしてしまう方向に有ると言え、これを阻止する方法は決まっている。

調整すべき事案を減らす事であり、それらしい言葉で言うなら「規制緩和」と言う事になる。

また冒頭に出てきた市場が果たすべき自然調整に付いて、もはや市場は世界中どこでも国家(最高レベル調整機構)が全て関与しており、この中では政治介入が行き着くところまで行き付き、現在は一巡してしまっている。

あらゆる場面で政治的な介入をし過ぎた結果、自然調整を第一ステージとするなら、これに政治が介入して調整する時期を第二ステージとして、その第二ステージが上限を向かえ、最も初期段階の混沌に同じになっている。

日本経済は少子高齢化によって、或いは巨大災害によって危機に陥る事は確実であり、これに中国の少子高齢化がもはや眼前に迫っている。

世界第2位の経済大国とは言え、日本のGDPの2倍ほどもない経済で、14億人の大国の高齢化社会が始まるのである。

日本が1億人の中でここまで深刻な高齢化社会に陥っている事を考えるなら、その経済の2倍もない経済で日本の14倍の高齢社会は支えきれるものでは無く、世界経済の中で「やむなく許容」されている中国通貨は国際市場の不安定要因であり、これらが相まって発生する世界経済の流れは、友情を町内会に広げようとして危機を迎えているヨーロッパ経済を奈落の底に突き落とし、やがてアメリカはドルを自国に集め戻す日が必ずやってくる。

アメリカの量的緩和は絶対1年は続かない。

アメリカ通貨の量的緩和は国内金利政策上の大きな矛盾を抱えていて、この政策は非常事態の政策である。
緩和が縮小された時点で、後進国の経済も日本経済も中国経済も打撃を受ける。
そしてこの事をしっかり見据えているのが東南アジア諸国である。

「アベノミクス」が東南アジアで称賛された背景には、いずれやってくるアメリカドルの引き上げを見据えた発言である事を日本は肝に銘じて置く必要が有る。

年収の2倍もの借金を抱え年寄りばかりで働けず、それでも盛大に宴会をしている日本の姿は、まるで処刑される前に渡された煙草を、幸せそうに吸っている囚人の姿にも似たりの気がする。






プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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