「並列分散処理システム」



AI - Story・・・・・

「大」(だい)と言う字と「犬」(いぬ)と言う字は大変良く似ているが、人間が文字を用いる場合、これを誤認する事は少ない。

では何故人間の脳は「大」と「犬」を間違える事が少ないのかと言えば、この文字の周囲がこれを誤認させない環境を持っているからであり、「大」と言う文字と「犬」と言う文字はそれが出てくる場合の環境が大きく異なっている為、周囲の環境によって近似文字が補佐されている為である。

しかし僅か「、」のみの相異で有るこうした僅差を判別するシステムは簡単なようで意外と難しい、いやこうした僅差を識別するシステムは、大きな差異を判別するシステムより遥かに複雑なシステムを要する事になる。

人間の脳の記号伝達システムは多数の神経細胞が「興奮性」と「抑制性」のシナプスによって高い密度で結合した状態、これを「ニューラルネットワーク」と言うが、そうした「止める」か「入れる」かどちらかの簡単な動作が複雑に組み合わさった状態になっている。

この為通常理論的に考えるなら、漢字の「大」は「犬」から「、」一つが足りない状態となり、「犬」の通過過程と言う判断が為される事になるが、これを犬の通過過程ではないと判断させるものは「その他の重み」であり、これがカリフォルニア大学サンディエゴ校で研究していた「デビッド・ラメルハート」と「ジェームズ・マクレランド」が提唱した「並列分散処理理論」である。

見たもの、聞いたものを理論的に判断しようとすると、そこには傾向や感情が入り、結局何か自身が関係有る対象に「意味」を求めてしまう。
しかし「意味」を求めると本来数が多いもの、質量の重いものを正確に判断ができない。

つまりここに「大」と「犬」だけを見ていると、記号的には「大」は「犬」の通過過程になるが、これに一切の判断を回避させ、周囲の全く関係の無い「0」か「1」の動きをするシナプスの数や、その量の重さによって繋がる箇所が違ってくれば「大」と「犬」には決定的な差が生じる訳である。

人間の脳は一つの事象を一つだけでは判断していない。
「その他」全く関係無いものまで含めた、意識されない「興奮」か「抑制」のどちらかしかない単純な原理、丁度水が高いところから低い所へ流れるような、「妥当な道」に従って動くものの総称として判断をしている。

また人間の脳が極端に大きなものと極端に小さいものに反応しやすいのは、そのどちらも「劣性」だからである。

日常生活で多く出てくる事象、重い事象はある種の「安定」であり、シナプスの流れは一定の方向へ流れ易いが、ここへその非日常となるものが現れた時、意思を持たないシナプスの運動が総称として動きを止め、次の瞬間殆どのシナプスが「非抑制」へと動いていく。

これが「感動」や「驚き」と言うものなのかも知れない。

現在この並列分散処理理論は「顔認証アルゴリズム」や「瞳認証」、「指紋認証」などに使われているが、その原理は言語理解などに使われる「直列集中処理」より、意思、つまりは計算したり組み立てて発展することが少ないからであり、単純にこれは一致する、これは一致しないと言う、それぞれのセンサーの総称で判断が為されるからである。

更にこうした並列分散処理はどちらかと言えば「判断」や「認識」と言う半受動的なシステムだが、これが動くときのシステムは鳥の集団が海を渡るときのアルゴリズム、また人間の神経系にも同じシステムが存在するが、「自律分散システム」であり、それぞれが独立した判断に従って先頭が決まるようなシステムを持っている。

人間の脳はこのように細かい判断や動きをその先端に移譲し、その総称で更に大きな判断をしているが、人間の思考は基本的には直列集中処理になっている。

簡単に言うなら人間は意志の無い細かいものが眼前の現状にただ忠実に従い、それによって本来全体が見渡せる立場ではない端末がまるで全体を把握したように動き、だがしかし結果として為される思考は必ずしも眼前の現実を反映してはいないので有る。

実に興味深いところだが、「劣性」は人間の創造に深く関わり、意思を持たないセンサーの総称が最も深く現実を現し、思考は必ずしも現実と一致しない。

まるで禅問答のようだが、見ようとすれば見えず、見ようとしなければそれが見え、意思を持つ者は正確な判断が出来ず、意思が無い故に正しく判断が出来、考える者は誤る・・・。

人間のシステムはなかなか素晴らしい・・・。












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「エンゲルの眠り」

1857年、ドイツの統計学者「エルンスト・エンゲル」(Ernst・Engel)が発表した、「収入に措ける食費の割合による貧富の差の分類」は後に「エンゲル係数」と言う概念に発展し、国家の豊かさの指標ともなったが、日本に措けるこの統計数値の指標が、他の係数値に拡散を始めたのは1992年からである。

人間が一日に食べられる食品の量は何十倍と言う誤差にはならず、生命維持の観点から必要最小限がほぼ決定していて、これに関わる出費が全収入に占める割合が高い場合、その原因が食物生産量の減少に有っても、または国家的貧困に有っても、どちらにしても経済指標が悪化している事を示す。

その反対に該当国家が豊かな場合はどうなるかと言うと、高額な食品を消費しても元々の収入が多くなっている事から、逆に一日の摂取食品量が大きな差を示さず、全収入に占める食費の係数は小さくなる。
つまりこの場合は「エンゲル係数」が小さいと表現される。

従って「エンゲル係数」は一つの経済指標なのだが、食の豊かさは確かに豊かさの概念の多くを占めるが、インフレーションの場合は一般経済指標に比例するものの、デフレーションの場合は反比例する場合が出てくる。

給料も下がるが食品の価格も下がるのでエンゲル係数は上昇しないばかりか、「貧しさの中の豊かさ」が発生してくるので有り、住宅購入や結婚を諦めるなど高額消費が諦められた結果、せめて食べるものぐらいは豊かにしよう、或いは自分へのご褒美と言う考え方もそうだが、「過剰摂取」が出てくるので有る。

エンゲル係数の概念は、どちらかと言えば必要最低限に近い係数を平均としている事から、過剰摂取され体重が増加し、その為にダイエット食品を購入した時、この消費はエンゲル係数の概念からはダイエットの為の食品消費、消費の為の消費と言う本来のエンゲル概念から拡散を起こすので有り、この概念で言えば「貧しさの中の豊かさの貧しさ」と言う事になる。

また結婚を諦める事を高額消費の断念と表現するのは、子供一人を大学まで出した場合、その子供にかかる最低経費が2300万円で有ることから、結婚式の費用と言う消費を含めると、ここから行政が税金から支出して行うサービスを差し引いても、結婚を諦めた時点で2人の男女は子供一人に付き合計で1570万円の消費を断念した事になり、これを男女1人ずつに換算するなら、785万円の消費が消失する事になるからである。

現在の日本の国内景気の悪さは単に高齢化社会の負担ばかりではなく、結婚や子供を産む機会を逸している事にも原因が有り、また一方食料の問題はその国家の国際的な力関係を示してもいて、これからはますますエンゲル係数が混沌に突入してくる。

日本経済は自動車などの輸出産業で外貨を稼ぎ、これを元に経済が構築されているが、その反面米などの農産物には高額な関税が設けられ、それによって日本の食糧自給率は2013年の時点でかろうじて39%を維持しているが、国際社会からすれば「自国へ車を輸出するときは日本を優遇しているのに、こちらから米が売れないと言うのはどう言う了見だ」と言う問題が起こってくるのであり、これがTPP交渉の基本的な問題部分となる。

だが米の消費市場はその大部分がアジアに有って、しかもそのアジアでも年々消費が縮小している所謂ローカル市場であり、ここに例えば自動車などの国際市場と同じ原理を持ち込めば、少ない消費市場にグローバル化された大市場原理が流入する事になり、結果として小さな市場は大きな市場に呑みこまれてしまう。

米の生産者価格では日本で60kgの米を生産する経費は政府支出を差し引くと10180円だが、これがアメリカだと1900円、ベトナムに至っては60kgの米を1100円台で生産出来る。
同じように牛乳1リットルが日本では80円、これがオーストラリアなら18円で、この40年間に豚肉の自給率は52%から16・3%にまで下がっている。

一方こうしたグローバル化に対応して高級な農産物の生産も始まったが、グローバル化は遠く、それらの高級食材生産量の輸出に占める割合は0・08%に留まり、中国市場人気が高い日本産和牛でも輸出量は総生産の0・2%くらいで、農林水産省はこうした輸出を倍増する計画を出しているが、倍増しても0・2%が0・4%になるだけの事でしかない。

加えて日本の現在の農産物の安全基準は世界最高水準だが、イギリス、フランス、アメリカでは遺伝子組み換え作物が既に表示義務すらなくなってきている。
ジャガイモやトウモロコシの種に殺虫成分が組み込まれたものが流通している現実は、TPPによってこれらのものが日本に入ってくる事を意味している。

その上でこれから先の日本の少子高齢化社会がもたらす経済的沈降は貧富の差を拡大させ、2013年の世界人口は72億人、これが2025年には82億人になると予想され、これらの中でエンゲル係数値が低い人口が10%、40%がギリギリ生活できる範囲、エンゲル係数的に破綻した状態が50%を占め、相対的に衰退した日本では、国内生産された安全な食物を輸出し、海外からの安くて少し危険な食料品を消費せざるを得ない状況が訪れる可能性が高い。

また少し前のアメリカ国防総省、国家戦略会議の話ではないが、地球温暖化によって発生する旱魃地帯と寒冷化地帯、気象災害の頻発などは食料生産の不安定要因であり、この中で日本の国内自給率はTPP加盟によって22%までに下落するが、1994年、2008年には実際に世界的な食料不足が発生し、それらの頻度は高くなってきている。

中東で発生した暴動の本質的な原因は民主主義の風ではなく、食料価格高騰によるものだ。

単純に中国と日本を比較しても14対1で有り、上位10位までが豊かに暮らせるとしたら、ここに入れる日本人は中国の14分の1になり、従って将来日本で生産される安全な食料を消費できる日本人は、500人に1人と言う事になるかも知れない。

TPP交渉で日本に残されている選択肢は貿易自由化の期限を出来るだけ長く、アメリカが提示している20年段階制限撤廃を利用し、その間に世界的な食料不足が必ずやってくる事から、そうした期を利用して再度規制を構築する事が唯一残された道となるかも知れない。

デフレーションにエンゲルは眠る。
そしてこれは他でも同じことが言え、
今の日本経済は貧しさの中の豊かさで有る事を覚えておくと良い。









「国家安全保障の危機」



David Guetta - She Wolf (Falling To Pieces) ft. Sia・・・・・

国家存亡の危機は何も他国との戦争だけがそれではない。
気象災害、大地震、経済危機、パンデミック(感染症の拡大)、原子力発電所事故、政治的混乱、テロ、国民の高齢化など、現在日本を取り巻く環境は一発触発の危機に囲まれていると言っても過言ではない。

2003年6月6日に国会を通過可決された「武力攻撃事態対処関連3法」と、翌2004年6月14日に可決成立した「有事関連7法」は基本的に「アメリカ同時多発テロ事件」を背景としている事から、これらを総括して「有事法制」と呼称される法案は暗に「予防措置」にまで及んでいる。

すなわちこうした法案は日本国憲法、国際連合決議である基本的人権の保障に制限を加える事が可能な法案であり、極端な言い方をすれば、意味も無く3人以上が家に集まっているだけでも警察の捜査権が発動できる仕組みでも有る。

またこれに加え現在閣議決定が為され国会で審議中の「特定秘密保護法案」が国会を通過した場合、1941年(昭和16年)3月10日に発動された「治安維持法」に既に匹敵し得る「暗黒法」となり得る恐れが有る。

元々日本が単独で保有できる国家安全保障に関する秘密は存在し得ない。

すなわち日本の軍事上の安全保障はアメリカ抜きでは成立せず、この意味に措いては「特定秘密」そのものが既にアメリカとの共有になるのであり、今般発達してきたインターネット社会では、問題や事件の最先端が既に発信基となる時代なっている事から、あらゆる意味で特定秘密保護の思想は「隠蔽」と言う意味しか持たなくなる。

更に2003年、2004年の有事法制の時点には有事と言う、本来は戦争状態を想定したものが、テロの予防と言う拡大解釈が為された経緯を鑑みるなら、この当時から発生してきたマルチハザード(全ての危機)に対処を想定する概念が色濃い「特定秘密保護法案」は、例えば日本の安全保障に必要と言えば、原子力発電所事故すら隠蔽できる可能性を持ち、また国家転覆の意図が有るとすれば邪魔者を追い落とす事も可能になる。

以前から公安1から3課と言う太平洋戦争時の憲兵組織に近い組織が存在しているが、政治的思想、国家や行政に反対する者を監視する仕組みは、ある種の闇の機関の為すところだった。
しかし「有事法制」と「特定秘密保護法案」が有れば、こうした組織が表の組織になる可能性が否定できない。
まさに太平洋戦争時の治安維持法と同じである。

日本が軍事的脅威に直面する場合の情報、或いは日本本土の甚大な災害に関する情報、及び国際社会で発生する日本人が事件や紛争に巻き込まれる事件に措いても、その情報収集能力が一番遅いのは日本政府で有り、多くの情報はアメリカやNATO関係の情報伝達が先になる。

それゆえ例えば日本が戦争に巻き込まれる場合でも海外メディアによってその情報は1日ともたずに流出し、為替相場の都合上、巨大災害を隠蔽しようとしても、その情報は日本より先に世界が知っているのが現状の在り様の中で、「特定秘密保護法案」などはナンセンス以外の何者でもない。

有事、特定秘密の第一種機密は軍事防衛、外交だが、軍事防衛の秘密保護法は1954年(昭和29年)に成立した「日米相互防衛援助協定による秘密保護法」が当時も、現在に措いても軍事上の秘密保護要件を全て補完している。

また外交に措ける秘密や機密は日本外務省の情報収集能力が先進国中最下位で有ることから、そもそも姑息な手段ぐらいは隠す事は出来ても、日本の安全保障に関わる情報は全て諸外国の方が先に認識している。

つまり日本に措ける秘密保護は軍事防衛ではアメリカとの相互協定で事は足り、外交上の秘密などは取るに足らないものばかりでしかない現状での「特定秘密保護法案」は、日本の政治家の質を鑑みても殆ど漫才か、小学生の生徒会が秘密保護規定を作ったぐらいの感じにしかならない。

だが、恐ろしいのはこの日本の政治家の質の悪さと愚かさで有り、これでも政府な訳で、国際法上はアメリカやイギリス、フランスなどの諸外国と同じ効力を国際社会が認める事に有り、これが現実には対外的に何の効力も無い場合、それは主に日本国内に、日本国民に対して向かってくるので有る。

場合によっては国際社会がみんな知っている日本の危機を日本国民だけが口に出来ない可能性が訪れるのであり、その一番解り易い例が中国の政治体制ではないだろうか。
チベット自治区、イスラム文化圏の民族が弾圧を受けながら、それに対して国際社会が何もしてやれない事態をどう思うか・・・。

有事法制でも充分日本の危機だが、その上に「特定秘密保護法案」が可決成立するなら、それこそが日本の安全保障上の重大な危機と言えるのではないか。

明治の元勲「西郷隆盛」はこんな事を言っている。
「人に聞かれてまずい話は戸を開け放って話した方が聞かれにくい・・・」
また「秦帝国」以前の春秋戦国時代の中国でも、やはり密議は戸を開けて行えと有り、火で手をあぶり乍、灰に一字で意思を表わす字をやり取りしていた・・・。

国家安全保障会議や「特定秘密保護法案」などと言う大そうな言葉を使ったものは、その時点で国家の危機を人に覚られ、秘密の所在が知れようと言うものである。





「中性社会」



スピッツ / チェリー・・・・・

例えば「解りました」と言う言葉を使った時、男性が女性に自分と付き合って欲しいと言った、その場面に対する回答も、逆に別れて欲しいと言われた場面の回答も同じ「解りました」と言う言葉を使うかも知れない。

言語と感情は基本的に別のものと言う事が出来る。

また「さようなら」と言う言葉でも親友なら「じゃ・・・」と言う一言で有り乍、会社の上司であれば「では、失礼します」となったり、恋人同士なら抱き合うだけで言葉を必要としないかも知れない。

このように言語とはその人の「社会」そのものであり、「環境」なのである。

だから一人の人が使う言語はその人のその時の世界の広さを示していて、この中では本来相反する意味の言語でも一つの表現で為される側面を持ちながら、逆に言語は事象を切り取って限定してもいる。

英語の「brother」や「sister」と日本語の兄弟や姉妹は同義では有るが、それが示す範囲や社会機構が違う為、厳密には相異が有る。
「brother」は兄弟と訳されるが、基本的に年齢の区分が無い。

この事から日本語では兄弟で年齢差による上下関係が示されるのに対し、英語ではここに上下関係が存在してない社会機構が出てくる訳である。

日本語のそれには長く継承された封建社会の「家制度」が意識されようとされまいと存在し、この言葉を使うが故に家族組織の中に上限関係が存在し続ける事になり、こうした事は男女の性差区分を幾ら欧米のように改めようとしても、使っているいる言語がそれを押し戻して区分をつける役割を負っているので有る。

「ナデシコ」と言う言葉で連想されるものは「女」であり、この事から女子サッカー日本代表が「ナデシコジャパン」と呼ばれたりしたが、これと同じようにナデシコと言う名詞が既に「女の名詞」になっている現実は、女を主張した場合不利な立場や危険に曝されるとしたら、女を自身で区分する言葉を遣っているが故に、セクシャルハラスメントに曝されるケースが発生してくる事が通常は意識されていない。

或いは「しとやか」と言う言語でも、しとやかな女はいても「しとやかな男」は気持ちが悪い事になるばかりか、この辺を妙に拘ると「中性」が発生する事になり、こうした社会背景が男女区分の中性を許容する社会を形成し、やがては中性の男女が増加する社会が発生する基盤となる。

その良い例が「勇敢な」と言う言葉だが、この言葉は30年前であれば女性に対して使われる事は少なかったが、現在では男女どちらに使っても違和感が無くなった。
それだけ日本の社会が中性化したと言う事であり、これは性差区別を排除しよう、男女が等しいもので有る社会を築こうとした欧米の思想が反映されたものだ。

しかし男女の性差は実は生物学的に決定的なものであり、これを思想でカバーしようとした結果が中性社会と言う、生物学的現実を無視した社会を作ってしまった感が有る。
「男勝りの女」はいても「女勝りの男」はいなかったはずだが、現代社会は容易にこうした言語を逆転させるに至っている。

振り返って冒頭で出てきた同じ言語で有り乍環境によって意味が逆転する言語作用を考えるなら、中性社会と言うものは言語区分を本来の包括する大きな意味へと返す作用を持つが、環境を区分する効果を失ってきていると言える。

言語を集合と考えるなら、これを区分する事は本来の意味を限定する事になってしまうが、一方でこうした限定は社会環境が複雑で有ったり、またはその人間が関わる「他」との関係、社会との関係であり、こうした細かな区分が存在するほど、基に存在する集合的非区分言語を広げ、深くする。

つまり言語は大きな基の言語が区分されて意味が複雑化するほど、より大きな言語へと成長するが、こうした区分が少なくなると本来のポテンシャルを失う。
男女が均等で有ろうとすればするほど男女は意識され、これが言語的に抑圧された人間社会は男女と言う区分の大切な部分を失い、結果として生殖と言う生物的大義の意味が薄くなる。

人間の記憶の部分は視覚の作用を多く受けて構成されるが、生まれた直後は不完全なもので、それが生まれた環境によって補正され構成される。
この事から区分が少ない、或いは曖昧な社会の影響を受ける子供はその影響された効果によって言語を構成し、その言語に縛られてまた社会が構成され、こうした形はバイオプログラムと言うものである。

それゆえ言語は「環境」で有り、生まれながらにして獲得されている社会を持っている。
現代社会で中性の男や中性の女が発生してくる背景には、性差差別をデリケートにしてきた人間社会の在り様が大きく影響していると言えるかも知れない。

また言語は「環境」で有るから、同じ情報でも時と場合、その人間が置かれた状況によって千変万化し、その千変万化が漠然とした大義の理解を発生せしむる。

簡単に言えば新聞で読む情報、本で読む情報、人から聞いた情報ではそれぞれに感じ方が違い、良い事が有った時と悪い事が有った時によっても感じ方が違う。

こうした多くの違いを認識するところに正確な情報の認識が有る。

しかし情報の質がインターネットだけで有る場合、そこには社会や「他」との関係が極端に少なく、社会的関係から解放された言語環境が現れ、こうした言語の質は「非言語」、「感情」である。

現代社会は複雑な社会となったが、そこに横たわるものは複雑な「環境」であり、複雑な人間関係や社会に見えるものは、実は直接言語で関係を築いてきた人間社会本来の姿ではない。

全てがインターネットで築かれた「虚構」の人間関係や社会関係の中で、言語を失いながら、言い換えれば社会を失いながら彷徨っていると言えるのではないだろうか・・・。





「太陽が・・・・」



MYSTERIOUS LOVE (ひと・そして・愛) / 久石譲・・・・・


太陽が1秒間に放出するエネルギーは灯油に換算すると、1億トンの更に100万倍の燃焼熱に等しく、地球に対する効果としては、地表1平方センチメートルの面積に対し、60秒間に2calのエネルギーを供給している事になり、その表面温度は5800度K、中心付近の温度は15500000度Kに達し、通常では太陽表面に見える「黒点」の数が多い時ほど太陽の活動は活発になっている。

黒点は2000ガウスから4000ガウスの強力な磁場で、太陽表面温度の平均が5800度から6000度なのに対し、4000度くらいと周囲より温度が低く、これは太陽中心部から対流によって運ばれる熱を遮っている為で有るが、この黒点の活動には11年の周期が有り、11年ごとに黒点磁場の極性は逆転し、従って黒点磁場の極性は22年で1週する。

また太陽は地球時間の約27日周期で自転しているが、この自転は太陽系の他の惑星でも同じように厳密には安定しておらず、自転速度変化には超周期変動の他、代表的なものでは110年周期が予測され、こうした周期ごとに早くなったり減速したりを繰り返している。

そして太陽のエネルギー的活動と黒点には密接な関係が有り、太陽の黒点が増加している時は太陽の活動が活発化している事から、この時期を「極太期」と呼び、逆に黒点が少なく太陽の活動が低調な時期を「極小期」と呼ぶが、この周期が11年ごとの極性逆転で22年周期になっていて、黒点の少ない時期と地球の寒冷化は符合する。

地球の気温は地表に有る雲や氷河雪原による太陽光反射率、CO2に代表される温室効果ガスの空気中含有率、ミランコビッチ・サイクルと呼ばれる地球の自転軸の変化による周期変化、或いはカオス理論によるところの10万年程の周期変動などが存在するが、こうした周期には例外も存在し、必ずしも確定的な周期ではない。

気象学的には統計的な平均気温は存在するが、そもそもこうした統計学的な平均気温は厳密には存在せず、地球の気温は常に波のような変動を繰り返していて、この中で気温の高かった部分を山とするなら、低かった部分が谷になり、この周期変動は波の形で有る事から、顕著な部分を頂点とした緩やかな曲線、若しくは急激な変動は関数座標系の反比例曲線を描きながら、常に変化している。

一般的に氷河期のサイクルは2万年、4万年、10万年の周期を持つが、2や4と言う数字の延長線上には8万年のサイクルも予想され、氷河が緩む時期を間氷期と呼ぶが、間氷期にも2000年、600年、300年、60年、30年の寒冷化周期が予想され、こうした時期に太陽の黒点数が減少している場合が多い。

10世紀から14世紀初頭、ヨーロッパの気候は温暖だった事が知られているが、その後14世紀後半から19世紀にかけては気温が低下し、1645年から1715年にかけて太陽の黒点活動は停止状態になり、この頃から世界的に寒冷化が深刻化すると共に、地球の火山活動が活発化、噴煙と自然気温の低下の相乗効果的寒冷化が始まって行く。

また解っているところでは紀元0年付近から300年、紀元後900年頃から1300年頃、そして19世紀以降の現代の3回の地球温暖化が存在し、その期間の中間は気温の谷、所謂寒冷化になっている事がわかっているが、この原因が何によるものかは解析できないものの、その内の記録が残っている部分では太陽の黒点活動の低下が符合していると言う事で有る。

カオス「混沌」の一つの傾向は「分散激化」や「濃度の両極化」に有る。

つまりこれはどう言う事かと言うと、例えば地球温暖化と言うこれまでの傾向に対する混沌は、単純に地球の平均気温が上昇すると言ったものではなく、片方で寒冷化が激化し、片方で温度上昇が激化すると言う事を示している。

事実過去の寒冷化記録は全て北半球のものだが、この時期南半球では何が起こっていたかと言うと、北半球で寒冷化が深化しているとき、南半球では比較的雨が多くなり水害が発生していた記録が残っている事であり、更に北半球で温暖化が進んだ時期に乾燥地帯が拡大したものと考えられている。

更にアメリカ国防総省が地球温暖化に関し、専門家に提言をまとめるように依頼した極秘文書中(2004年に流出)には、2009年頃から北半球の気温が低下し、2016年には一部で5度から6度低下し、最終的な北半球の気温低下は7度までに拡大するだろうと予想されていた。

人間はもしかしたら良くも悪くも自身を過大評価し続けて来たのかも知れない。

氷河期のサイクルであるミランコビッチ・サイクルよりも人類が発生させる地球温暖化ガスの方が影響が大きいだろうと言いながら、現在夏の気温上昇が激しく、しかも冬の到来が以前より早くなってきていて、この道60年と言う農業関係者の古老は50年ほど前はこうした寒さが普通だったが、その頃に戻ってきていると証言している。

また人間が排出していると思われたPM2・5などの大気汚染物質も、その原因が見られない関東平野で濃度が高くなった事例が出てきたが、火山の噴煙でも同物質の濃度上昇が確かめられるに至り、或いはCO2などの温室効果ガスの影響よりも、大きな自然原理の中で人類の僅かな悪事くらいでは影響されない大きな力が働いているかも知れない

カオス理論による混沌の速度ではフラクタル性(自己相似性)の出現が有る。

太陽の黒点周期は一部では株式相場、地震などの周期に関係するとされているが、混沌の概念の一つが「濃度の両極化」に有るなら、北半球の寒冷化や気象変動、砂漠地帯での水害の出現、或いは経済に措ける貧富の差の拡大など、その傾向はまさにバラバラで有りながら、どこかで「分離・激化」と言うフラクタル性がチラチラ透けて見えるような気がする。

不気味な青いLEDイルミネーションより、私は荒天に差す僅かな太陽の光を有り難く思う・・・。





「回答書簡・11」



千住明 ~ 日本 映像の20世紀テーマ・・・・・・


ドイツの「ロベルト・ミヒェルス」(Robert-Michels・1876-1936)が提唱した「寡頭制の鉄則」(ehernes・Gesetz・der・Oligarchie)、またイタリアの「ヴィルフレド・パレート」(Vilfredo-Frederico-Damaso-Pareto・1848-1923)が提唱した「エリートの周流」、「循環史観」によれば「あらゆる政治は必ず寡頭制に移行する」とされているが、政治の本質が調整機能で有るなら、この原則は3人以上の人間の集合から、世界情勢まで全て同じ道を辿る。

寡頭制(かとうせい)とは、「少ない頭」を意味し、一般的には5名以下の権力者によって集団の意思決定が為される形態を言い、この権力が分散した状態が原則的民主主義となる。

しかし寡頭制と民主主義は同じステージに立つものではなく、寡頭と言う形はある種の宿命や人間の「業」、自然摂理に起因するものであり、従って独裁社会にも民主主義にも、社会主義にも立憲君主制でも寡頭制は存在し得る。

権力の質は概ね5種存在し、「資本力」「暴力」「人間性」「非人間性」「伝統・家系」に分かれるが、この中で一番弱い権力が「人間性」であり、その次が「資本力」、そして一番強い権力は「暴力」と「非人間性」であり、薄く範囲が広い権力が「伝統・家系」と言う事になる。

すなわち、寡頭制での権力とは「暴力」「軍事力」や「冷徹さ加減」を指しているが、暴力の無い場面でも言葉による暴力を扱える者、狡猾で必罰がはっきりした者の発言が主意を占める事を考えれば理解がし易いだろう。

権威の担保としての暴力、軍事力は一番理解しやすく明快になる。
しかし暴力、軍事力が誰のものかと言う命題に付いては、昭和天皇がその態度でこれを示している。

2・2・6事件の際、青年将校達の行動を叛乱としている事は、軍事力に天皇が干渉しないと言う態度を示したのであり、この意味では軍事力は天皇の為に有るのではないことを、日本と言う国家に帰結するものである事を示していて、天皇は事実上日本の国家そのもので有りながら、国家有事の際を想定するなら、国家を超えたところに有る事をして権威たらしめている。

また天皇の権威はその権威を行使しないところに発生していて、それが故に天皇の権威は輔弼事項に付託されたのであり、実際に昭和天皇で言うなら、天皇自ら御前会議で政治に対して発言された機会は2度しかなく、太平洋戦争開戦の時と終結の時のみである。

この意味で当時の日本は大日本帝国憲法下に有って立憲君主制だったが、輔弼事項だった政治家と軍部、経済支配者達によって既に寡頭政治体制になっていたのであり、ここでは貴族階級がそれを糾すことが出来たかと言えば、彼等も一緒になって日本を窮地に追い込んで行った。

つまりは弱体化、堕落して行く政治体制に有っては、それに対立する勢力が道を正すのではなく、それを更に劣化させるもので有る事を学んでおく必要が有る。
こうした事が理解されなかった為に細川護煕政権が成立したのであり、民主党政権が成立した事実を忘れない事が肝要となる。

「三政共存論」の論旨は古典的なアリストテレスでもローマを理想とし、この概念を平面的に捉えるなら君主制と貴族制、民主制が共存する事を理想としたが、現実はそうも行かない事もまた示している。

つまりアリストテレス以降の政治学では君主制、貴族制、民主制は少しずつ形を変えたとしても、どの時代のどの場面でも存在し得るものであると言う概念を持っているのであり、自由の概念が「先に契約の無い事」「負債を負っていない事」に有って、その状態が貴族だった事を考えるなら、今の時代に有っても貴族の要件を叶える者は存在し、日本人がもしこの国が瓦解した時誰を頼るかと言えば、天皇にそれが有るなら、日本人は意識しようとしまいと、薄い立憲君主制に在る。

そして内閣総理大臣が日本で一番大きな権力を持つなら、ここでは擬似君主制も擬似貴族制も民主制も存在し、簡単に言うなら今のこの日本の状態でも「三政共存」に在り、このことが何を意味しているかと言えば、君主制も貴族制も民主制もどの時間帯の何を見ているかに過ぎない、もっと解り易く言うなら、「何も存在していない」事を指しているのではないだろうか。

また天皇の輔弼事項と言う考え方に付いては、「天意」と言うものを考えるなら解り易いかも知れない。
天意とは天皇、人、雨や晴天などの気候、或いは風に揺れるススキに同じものかも知れない。

明日関東に大地震が発生し、更に富士山が爆発し、東海地震が起こって日本海溝がもう一度大きく揺れ、これによって日本の中心が壊滅し、日本政府が政府機能を果たす事が出来ず、政治家も烏合の衆と化して生き残る事が精一杯の状態になったとしたら、日本人は誰を中心にして国家を再建しようと考えるだろうか・・・。

太平洋戦争敗戦のおり、日本の政治家や民衆は誰を頼っただろうか・・・。
皆自身の事を省みず、昭和天皇に泣き付いたのではなかったか、天皇とはこうしたことで有り、それゆえ国家そのもので有りながら、国家の上に在るものと言え、ここでは君主と言う言葉すら既に軽い。

天皇は「政治」ではない。

私は寡頭制の権威で「人間性」と言う権威が一番弱いと書いたが、この一番弱い権威こそが一番強力な「暴力」に対抗できる権威となり得る。
すなわち銃口を向けられても、私が日本国民である事実は変えられない。

民主制で有ろうが立憲君主制で有ろうが、はたまた独裁政権にしても、大日本帝国憲法に戻そうが今後25年間は、日本と日本民族は艱難辛苦に曝されるだろう。
人々は絶望の中で堕落していくかも知れない。

だが、私は日本を信じている。
いつかまた世界に冠たる国となる事を信じている。
この思いは政治によって変える事は出来ない。
これが私の、日本と言う国家に対する思いである。



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この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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