「事象の地平線」を超えて

この宇宙が創造された時のモデルは、厚みの有る板、金属板でも良いがそこに無数に球体の一部を模った凹みが存在し、落ちて来る宇宙はその凹みのどれかにはまり、そこからその宇宙の秩序や法則は落ちた凹みの影響を受ける。

しかしこうした無数の凹みの基本的な厚みの部分は「無」であり、本質は「あらゆる事の存在」ではないかと考えられている。

私が初めて法則や秩序が絶対的なものでは無いかも知れないと考えたのは1974年の事だった。

それまで既に絶滅したとされているシーラカンスが、偶然にも1938年に南アフリカ沖で釣り上げられ、更にはインドネシア沖でも捕獲されたと言う話を知った時、「それはもしかしたら今まで存在したものが発見されたのではなく、今から存在し始めたのではないか」と漠然と感じたからだった。

シーラカンスと言う数十年単位で誰も見た事が無くなった生物が、それ以後あちこちで釣り上げられるようになるのである。
人間は小さな可能性と大きな可能性が並ぶと、どうしても大きな可能性を信じてしまうが、それを逆転させたのがアインシュタインの「相対性理論」だった。

川岸に立ち川の流れを見ていると、いつしか流れが止まっていて自分が川上に向かって動いているような錯覚を覚えるが、相対性理論はそれも間違いではないと言ってくれたような気がしたもので、この頃から私の時間の概念は基本的には「現在」によって過去も未来も作られるのではないかと言う、とんでもないものとなって行った。

即ち「望めばそれが現れる」と言う事で、それは過去に遡って出現するのではないかと考えるようになったのであり、出現する動機は「意思」ではないかと思うようになった。

ブラックホールの概念は重力の集中による異相世界だが、その中では光ですら脱出することが出来ない絶対的な壁、「事象の地平線」が存在すると言われてきた。

この「事象の地平線」の視覚的モデルは、あらゆる物質が粒子的にすら存在できずエネルギー崩壊を起こした高熱状態の火の壁、「ファイアウォール」と呼ばれ、この理論によれば情報の等価原理が失われる。

存在したものがその存在自体ではなくとも、それに等しいものとして存在する均衡、これが情報の等価性である。
だがファイアウォールが存在するとそこに投げ入れた林檎は失われ、ここに等価性が消失する。

それゆえアインシュタインが描いた事象の地平線は全く静かなもので、そこに隔壁が存在する事すら気付かないもの乍、しかしそれを通過して行くと、通過する以前とは全く別の性質になると言うモデルを組んでいて、イギリスの物理学者「Stephen William Hawkig」(スティーブン・ウィリアム・ホーキング)もこれを支持している。

そしてこのモデルを使った場合、我々は可能性として常に「事象の地平線」を知らぬ間に越えているモデルが出てくる。
宇宙の密度はブラックホールの密度に等しいと言う説も有り、ここにこの宇宙にはどんな事でも存在する確率が出てくる。

我々が絶対的な法則として見ているものは、もしかしたらその都度出来上がってきたものである可能性を思うのである。

生物が一挙に進化した過程が有り、6億年前の「エディアカラ生物群」の出現から「バージェス動物群」などが発生してくる「カンブリア爆発」(5億4200万年~5億3000万年前)まで、生物は環境に関係なくあらゆる形を試している。

まるで無秩序に形が現れるのであり、これが生物側によるものか、或いは環境的なものかと言うとそのどちらにも属さない「混沌」が出現する。
そしてそれが整理される形で現在にまで続く進化形態が見えてくるのだが、ここに現在は存在してその時は無かったものは「意思」と言うものだったかも知れない。

ゆえ多いか少ないかの別無く、人間であるかそうでないかの別無く、何らかの意思が有って「事象の地平線」が近付いているときは、それが実現したり創造されてしまう可能性を私は考えていた。

大きな地震が起こる前には必ずと言って良いほど多くの人の意思が有る。
関東大震災でも多くの人が拝金主義で腐敗した世の中で、何かとんでもないことが起こって破綻して欲しいと思っていたと言う記述が残っているし、同じ事は東日本大震災でも存在していた。

20代から50代の勤労者の半分に相当する52%の人が「何かとんでもない事が起こって、この社会をリセットして欲しい」と思っていたのである。
たった一人の人間がこの宇宙の秩序を変える、或いは創造する事ができるか否か、私は全てではないができる場合も有ると思っている。

これまであらゆる科学者が、そこにそれは無いと思っていたから、それは存在できなかった。
でも存在するかも知れないと思い始めた瞬間から、それが存在し始めた。
そう言う宇宙観も在って良いように思う・・・。



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「猫経済」

現在の日本経済は生きているか死んでいるかと言えば「シュレーディンガーの猫」である。
つまり半分死んで半分生きている可能性の状態だが、先の結果はもうはっきりしていて、未来は「死」の状態である。

冒頭から余談になるが、猫はシュレーディンガーだけではなく世界的に「半分」を意味する言葉でも有り、日本や中国でも「猫がけ」と言う言葉が有り、約束された代金や物が半分程しか貰えない時、約束された量や数に足りない時に「猫何某」と言う揶揄言葉が存在している。

「安倍晋三」内閣総理大臣は2014年4月に消費税を現行の5%から8%に引き上げる事を決定したが、その次ぎのステップである消費税増税10%の実施も2014年度内に判断するとし、麻生太郎財務大臣も2014年1月、本年度7~9月期の経済指標を元に消費税増税を判断するとしている。

この事は何を意味しているかと言えば、7~9月期の経済指標が発表される2014年11月に10%の消費税増税を判断する、いや、消費税増税を決定すると言う意味であり、簡単に言うなら政府は今の好況感をここまでが限界だと判断していると言う意味である。

日本経済は2014年度中でも今より上昇する事は有り得ない。

現在の状況でも国民に円安による物価上昇と言う負担を強いて、そこで集められた資金によって輸出産業関連の大企業を支え、彼等大企業を使って政府が一緒になって好況感を演出しているだけの事であり、ガソリンや灯油などの燃料、食料品や輸入製品などが円安によって被った価格上昇は平均で30%、電気、保険料、租税などの国民負担が5%から10%、その上での消費税増税である。

2014年4月に消費税増税が施行されると一端消費は落ち込み、その後暫くして消費は少し反発する。
この時期が7~9月期に相当し、政府財務当局はこれを利用しようとしている。
2013年より2014年の公共事業投資額は少なく、無制限の金融緩和策と言っても昨年度の水準を越えて紙幣の印刷を増やす事は出来ない。

しかし昨年度と同じ水準で紙幣を増やしたとしても、財政出動の額は2013年より減少する事は決まっていて、社会福祉費用は増大し、国民の暮らしは円安による生活物資に偏重されたインフレーションによって窮乏、2014年末にはその影響が明確になり、2015年冒頭の財務指標でそれが露見する。

この事から2015年10月からの消費税10%増税の判断は、2014年4月に一端落ち込んだ景気が少し反発する7月~9月期を材料にして判断する以外にマシな状況は出て来ないのであり、こうした事が解っているからこその10%消費税増税判断の急務なのである。

元々現在の好況感は前民主党野田政権と自民党、それに公明党が共同して消費税増税法案を議会で通過させたおり、そこに設けた付帯条項「国内景気を見て判断する」と言う一文をクリアする為に始められたもので、基本的に財務省の消費税増税が本来の意図である。

従って国家的長期戦略に基づいたものではなく、おそらく2014年末に消費税10%増税を判断した安倍政権は、その翌年には国内景気の絶望的悪化に伴い完全に国民の信任を失うが、それでも消費税増税の法案は成立し、国家財政的には消費税増税の道さへ付いていれば何とかなると言うのが財務省の考えだろう。

頭の弱い首相や財務大臣を使って当場の危機を逃れ、それから後の事はまた考えれば良いと言うのが真実かも知れない。
それゆえこの現在の好景気は消費税増税の為の演出と言えるのである。

日本経済は基本的には国内人口の少子高齢化によって、毎年GDPの減少が避けられない。
好景気など大きな破綻や災害が無い限り有り得ないのである。
経済的に一端死んでしまわないとそこから先は無いのであり、現在行われている経済対策は自然死を迎えている末期患者に対する延命処置に同じである。

問題はいつまで生かすか、どの時点で人工呼吸器を外すかと言う事であり、ここでのタイミングが10%消費税増税の実施と言う事なのであり、安倍政権の役割はこの時点をして終わり、彼はまた病気になったと言って、虚ろな顔をして目に涙を溜めて政権から去って行く事になるだろう。

日本経済は基本的に動いてはおらず、黙っていても死に向かっているが、財政出動と紙幣印刷の大幅水増しと言う人口呼吸器でかろうじて生きているので有り、もはや市場経済、国民主体経済の意味では自力回復の道は閉ざされ、延命処置によってやっと生化された状態、そのように見えるだけと言える。

経済は元々自然原理、摂理に同じく「波」で有り、そこでは良い時と悪い時が有り、悪い時から良い時へ移行する時も、行われる政策によって恩恵を受ける者より恩恵が少ない者の方が多く、悪くなっていく時はそれが顕著で、しかも恩恵を被る者の方が恩恵を受けない者より少ないから恩恵が出るのである。

従って良い経済とは波の幅が少なく、そして波自体が平均して高い位置に有る事を指す。
今の日本は民族的に既に衰退に有り、先の自然災害からも逃れられない。
ゆえ経済の波が下の方に有るのが自然な在り様と言え、これを無理に良く見せようとしても長くは続かず、結局聖書にも有るように「持たざる者は持つ者によって更に奪われる」状態になる。

日本国民は今年後半から来る大きな経済的危機に備えよ・・・。




「おじにん・・・」

言語の話をもう一つ、言語や文章意味は古いものより近くの言語や文書意味の方が失われ易い・・・。

極端に古い言語や口語体はそれを学術的に研究したり、或いは文化的価値観から研究保存しようと言う試みが為されるが、例えば日本古来の「和歌」や「短歌」、中国の「漢詩」などは時代を経ても残っていくが、一般庶民が日常使っている言語は、それが生活に用いられていただけに、そこに価値を見出す事が出来ず、僅かな生活環境の変化で簡単に失われ、しかもそれが失われた事すら誰も知らず失われていく。

「おじにん」は昭和40年代前半に消滅した言語である。

元々日本海側と日本アルプスの麓などに点在する形で分布したした言葉だが、1930年くらいには既に衰退が始まり、1970年にはもう地方の村でもこの言葉を使う者は1人か2人と言う状況で、おそらく1975年前後に完全に消滅したものと思われる。

その意味は「憤り」や「不満」「理不尽」、「怒り」などであり、現代用語で言うなら「この人でなし」や「お前と言う奴は・・・」と言う解釈になろうか・・・。
主に男性言語で、女性が使う機会は少なかったが、その背景は単に確率の問題だったと考えられる。

日本に男女平等の精神が確立したのは1980年くらいからである。

名目上の男女平等はそれまでも謳われてきたが、現実にはこの1980年の結婚適齢期女性人口の相対的減少傾向から女性の地位は向上し、そして民衆は誕生する子供に男の子より女の子を望むようになって行き、現在の女性至上社会に移行して行った。

つまりそれまでの男尊女卑社会では、そもそも女性が家族中や公の場で不満を訴えることが既に難しかった事から、「おじにん」と言う言語は「男性用語」としての性質を持っていたのであり、こうした男性用語だったが故に女性の地位の向上と、男性の性的優位性の喪失により消滅の憂き目を見たと言える。

また「おじにん」はどちらかと言えば負け犬の遠吠えに近い意味が有り、この言葉を使っている当人は、その場では劣性に有る場合の意味を持っている。
この事から元々は「ばかやろう」と同じ程強い意味を持っていたにも拘らず、男性言語の中でも劣性の言語となって行った経緯が有り、より貧しい者、力の無い者、若さに対する老いの言葉となって行ったのである。

更にこうした全人口の半分を占める女性が使う機会の少なかった言語は、当然「家制度」中で下にある子供も中々使う機会が少なく、尚且つどちらかと言えば劣性状況の言語でもある為、働き盛りの男性も使う機会が少ない。

結果として老人男性言語としての意味合いが強くなって行ったのであり、この背景を考えるなら、「おじにん」と言う言葉が長く続く方が難しい状態だったのではないかと思われる。

「おじにん」の本来の意味は差別用語である。

相手の事を特別な場合「えな」と発音する地域が過去に存在し、「な」は古くから相手を指す言葉で、現在でも玄界灘や能登半島の一部地域で「なだ」と言う発音で残っているが、こうした「な」に「え」が付くと、それは相手を罵倒した意味を持ち、「え」は基本的には「えた」である。

本来「え」は「蝦」と解されても良いように思うかも知れないが、「蝦」は権力者の言語であり、これと民衆が使う「え」は必ずしも同義では無かった。
「おじにん」の初期はこの「え」と同じで、「人非人」を語源としている可能性が高いが、「おじ」には「引く」と言う意味や「足りない」と言う消極的な意味が有る。

そこには家長が持ちえる全ての権限に対しての劣性が有るのであり、この劣性と階級差別用語が組み合わされている可能性が高い。

一般的に「叔父」や「伯父」に対する意味は現代でこそ統一されているが、その昔は「叔父」と「伯父」でも席順が違い、ましてや長く続いた武家社会の家制度上の「叔父」と一般大衆の「叔父」は概念の違いが存在していた。

この事から「おじにん」の「おじ」は必ずしも「叔父」と同義ではないが、それが組み込まれた部分を持っていて、「劣った者」と言う蔑みや「鬼」、「え」の発音が持つ「何かが足りない」と言う意味を持っていた。

大体「あ行」の発音は一つ及ばないか、一つ余計になる事の意味を持つ発音であり、「あ」は「準」、「い」は「止め」「う」は「弱い準」「え」は僅かながら致命的な不足、「お」は「あ」の逆の意味での準である。

それゆえ「おじにん」の本体は「お」を半透明に含んだ「じにん」だが、これは一部の古い文献では「土蜘蛛」を意味する場合が有る事から、弥生後期には成立していた差別用語とも考えられるが、「おじにん」の歴史はそれほど古いものとは思われない。

おそらくは古くても戦国時代、場合によっては江戸中期に成立した言葉のように思われる。
このように初期から使用範囲が劣性にある言葉の寿命は短い場合が多いからである。

私がこの「おじにん」と言う言葉を最後に聞いたのは1973年だったが、その言葉を使っていた老人は、何度追い払っても自分の顔に留まろうとするハエに対してこの言葉を使っていた。

老いた男性とハエ、そしてこの「おじにん」と言う言葉の持つ、どこか理不尽なものに対して抵抗が叶わないようなニュアンスが何故か今夜は鮮烈に蘇ってくる・・・。














「ふくべに遭う」

新潟県、富山県、石川県、福井県の主に山間部地域だが、「ふくべが来る」若しくは「ふくべに遭う」と言う言葉が存在した。
ここでこの言葉を過去形にしたのは、既に相当年齢を重ねた者でもこうした言葉を使わなくなった為で、「ふくべ」と言う、どこかで「福」に通じるようなこの言葉の持つ意味は意外な事に「禍」である。

「ふくべ」とは瓢箪(ひょうたん)「夕顔」(ゆうがお)の別称で有り、瓢箪は禍福どちらにも転ぶものとされ、その因は中の空洞に有る。
古来より日本では空いた空間、穴や空洞には「霊」が宿ると考えられた事から、瓢箪は吊るして措けば魔除けになるが、家の庭に植えると禍(わざわい)をもたらすものとされてきた。

またこうした「瓢箪」や「夕顔」の皮が持つ堅さに対する表現は、その堅さをして他のものにも転用され、表皮の堅い果実なども「ふくべ」と呼ばれる事が有り、こうした経緯から漠然と「成熟」を過ぎたもの、「老い」すらも過ぎたもの、元は用を成したもの乍それが邪魔になってきたもの、或いは人が何かに執着し過ぎて人としての在り様すらも過ぎてしまった、言い換えれば「付喪神」(つくもがみ)を表現していると考えられる。

宴席や人の饗宴などでは、基本的には招待した客に楽しんで行って貰いたいが、それにも限度と言うものが有り、例えば後片付けすら出来ない遅い時間まで、周囲の客がいなくなっても残って酒を飲み続けたとしたら、どこかでは招待した家の人から「早く帰ってくれないかな・・・」と思われてしまう。

この邪魔に思われてしまう事を「ふくべが来る」と表現したのであり、ここでは適当な時間帯までは歓迎されるが、過ぎれば邪魔に思われる為、そうした思いを人に抱かせてしまっては、その時はもとより後々も禍となりかねないゆえ、招待した家人が「どうぞまだ宵の口ですよ」と形而上引き止める言葉に対して「いやいや、これ以上お邪魔するとふくべが来ると困るので帰ります」と返した訳である。

またここからは高齢者の方には辛い話になるかも知れないが、こうした北陸の山間地のような所は貧しく、為に過ぎたる事を「宿悪」と看做す部分が有り、「ふくべに遭う」と言う表現は長生きを善しとはしない表現である。

この背景は貧しさと、生活体系の不安定さにあり、打ち続く飢饉や武家公家社会では一般大衆や農民の明日など常に風前の灯火だった現実がそれを物語っている。
即ち蓄財し、孫にまで囲まれて幸せに暮らしていたとしても、その次のひ孫が病弱でせっかくの蓄財も薬代に消え、それが基で家族が互いにいがみ合うような地獄が訪れないとも限らず、また自分は長生きだったとしてもその子供が先に死んでしまえば自身の生活も困窮する。

適当な時期に死んでおけば幸福な一生だったのに、長生きした為に地獄を見てしまったと言う場合、「ああ、ふくべに遭ってしまった」と嘆いたのである。

だがこれは何か努力して避けられる事だったかと言えばそうではない。
それもまた天の定めである事から、私はこうした場合を「宿悪」と表現する事にしているが、一方順風満帆な人生を人に誇り、そこで奢った在り様の無きように戒める意味も持つかも知れない。

「ふくべ」は基本的には「禍福」である。
その途中までは有用だったものが、時期が過ぎれば邪魔になる。
これは日本人が持つ古神道の考え方で、道具や家畜に対する畏敬の在り様を示していて、その例が「とが」と言う言葉である。

栂(ツガ)の木は別名「とが」と言い、この謂れは「咎」(とが)にある。
磔(はりつけ)などの処刑にはこの「栂」の木が多く用いられた為、「栂」の語源は「咎」に有るとされていて、古い時代の日本では「とがになる」とか「とがにしてしまう」と言う表現が存在したが、これは「他に罪を犯させるような行為を自分がしてしまう」、「その存在を自分が凶にしてしまう」と言う意味である。

即ち猫でも犬でも邪険に扱えば、やがては人に警戒心を持ち危害を加えるようになる。

いつか咎めを受けるような存在にしてしまうから、大切に扱いなさい、労わりなさいと言う意味であり、これがもっぱら道具や家畜などに対して使われる場合は、それらを粗末にすれば道具達は祟り神になってしまうと言う意味だった。

そしてこうした道具や家畜に対する畏敬の念が「付喪神」「九十九」(つくも)の考え方で、「九十九」は基本的に長く存在したものの意味である事から、日本人は長く存在した道具や家畜もまた神と考え、しかもそれが元は道具や家畜である事から、途中までは「福」にして、過ぎれば「禍」としたのであり、一般的に道具は使われなくなると「禍」をもたらす忌み神と考えたのだが、「忌み」はまた畏敬をも含んでいるものなのである。

鎌倉時代に日本の道具は格段の向上と生産増加を果たすが、その影でそうした道具が粗末に扱われる事を戒める思想もまた発展した。
それゆえ安土桃山時代までは「付喪神」も信仰されたが、これが江戸時代に入り大量消費と共にリサイクルシステムが発展した結果、消費に対する罪悪感が薄れ、そこで現世ご利益の有る神仏信仰に主体が移って行き、言わば後始末的、過去的な「付喪神」信仰はどんどん影を潜め、それが残ったのは貧しい地方の山村だった。

「ふくべ」は基本的には瓢箪だが、このように複雑な意味を包括し、尚且つ人々がこの複雑な概念を皮膚で知っていた訳である。
振返って現代日本の言葉を鑑みるなら、どんどん一つの言葉が一つの意味しか為さない、文書化できる言葉になってしまってきている。

10年後には「ふくべに遭う」と言う言葉の解釈が、言語学者によって「瓢箪 や夕顔に遭う」事だと真面目に解説されるのかも知れない・・・・。









「何となく嫌な予感が・・・」

生意気な若者だった私にも親しく接してくれた「亀井義次」(かめい・よしつぐ・故人)氏と生前電話で話をさせて頂いた時、「大王イカ」の話をしてくれた事が有った。

氏は「日本地震予知クラブ」の創始者メンバーの中心的人物で、民間地震研究者としては唯一「日本地震学会」の会員でも有ったが、その亀井氏が「大王イカが今ひとつ解らない」と言っていた。

大きな地震が起こる1週間前から4、5日前、長さが5m前後の大王イカが目撃された事例が出てくるのだが、その場所は大方火力発電所の付近で、為に海水温の上昇による現象なのか地震の前兆として現れるのか、或いは単なる偶然なのかがどうしても解らない・・・。

唯、単なる偶然や生息形態が全く解っていない大王イカの習性と言う事だけでは少し収まり切らないような気がする・・・。
そんな話をされていた。

2014年、今年の正月の事だが、1月2日には石川県の海岸で小さいが「リュウグウノツカイ」と言う深海魚が砂浜に打ち上げられ、同4日には富山県氷見(とやまけん・ひみ)漁港に体長4mを超える大王イカが、死んだ状態で捕獲され水揚げされた。

そして1月8日、やはり定置網に入っていた体長4mの大王イカのメスが新潟県白瀬で捕獲され、こちらは生きた状態だったが、こうした時期に日本海側で大王イカが捕獲される事は大変珍しく、その生態の未知なる事を言えば深海魚のリュウグウノツカイが打ち上げられたと同等、若しくはそれ以上の珍しい現象と言える。

また2014年1月1日、同4日、5日、8日、9日9時35分には富山県西部と石川県北部地域で「空振」(くうしん)現象が多発している。
その内1月8日午後4時30頃の「空振」には地震に伴う破砕音のような遠くから近付いて来る感じの音が聞こえたと言う報告も混じっている。

古来よりリュウグウノツカイなどの深海魚が打ち上げられる場合、または大王イカなどの極めて珍しい魚介類が打ち上げられる場合、人々はそこに「天変地異」を恐れた。

即ち大地震を恐れたのだが、過去の統計ではリュウグウノツカイが打ち上げられてから地震が発生するまでは平均で1ヶ月以内となっていて、これが大王イカともなれば平均で5日以内に地震が発生するとされているが、これらはいずれもその目撃事例の付近が震源地近くとなっている。

だがここに一つ気にかかる点がある。
それは昨年「神在月」付近から発生している出雲の気象的な現象である。
いずれも気象学的にはそう珍しいと言う訳ではないが、暈(太陽に傘がかかる現象)や直線虹、逆さ虹が重なる事は珍しく、事に直線虹や逆さ虹は震源となる地点から比較的遠く離れた地域で確認されやすい上、島根県庁では音波時計が全て同じ時間で止まっていた事例が発生している。

時計が止まったなどの異常は地震の前兆現象として最も報告の多い事例と言え、この事と先の直線虹や逆さ虹の事例が連続関係に有って、それに北陸の大王イカが捕獲される現象が連続した関係に有るとしたら、佐渡島近海はここ1ヶ月ほど厳重な注意が必要になる。

またこうした日本海側の異常現象が今後6ヶ月ほど各地で続き、しかも日本海側で地震が発生しない場合、大きな地震の震源は太平洋側となる可能性が高い。

2007年の能登半島地震や中越沖地震の後も日本海側では魚介類や植物、気象的な高温状況が続き、その3年後には日本海溝地震(東日本大地震)が発生した。

この事を鑑みるなら能登半島地震や中越沖地震は広義では日本海溝地震の「前震」だったと言う事が出来、厳密に言えば阪神淡路大地震もこれに類すると考えられる。

従って太平洋側で特段の異常現象が確認されなくても日本海側で各種の異常現象が続きながら日本海側で震度5以上の地震が発生しない場合、太平洋側で震度6以上の地震が発生する公算が強くなり、こうした異常現象が始まってから地震が発生するまでの期間が長ければ長いほど地震の規模は大きくなると考えなければならないだろう。

昨年末の出雲の気象現象とリュウグウノツカイ、大王イカの捕獲などの現象は、これで終われば偶然と言う事も出来るかも知れない。
だが今後も各地でちょっと変わった事が続く場合、東北南部から関東東海、東南海に及ぶ巨大地震を警戒する必要が有り、その何となく嫌な感じが始まってきているような気がする。

更に北陸で続く「空振」は地震のような振動だが、窓ガラスなどは揺れても地面が揺れる事は無く、この現象は離れた地域の噴火活動に起因している。
それゆえ桜島の噴火活動の活発化がまず疑われ、その次には中部日本に存在するいずれかの火山噴火を警戒する必要が有る。

我々は日本海溝地震(東日本大地震)を本震と考えているかも知れないが、かの地震にしてもそれ以後に更に大きな地震が発生した場合は「前震」となる事を憶えておかねばならないだろう。

ちなみに鹿島大明神は剣術の神として名高いが、その一方で地中に棲み地震を発生させると言われている大鯰を押さえ付けている「要石」(かなめいし)を守護する神としても知られていて、過去の伝承では出雲の「神在月」に出かけている旧暦の10月に地震が発生し、それは鹿島大明神が出雲へ出かけていた為に起こったとされているものが有る。

この要石は地中に深く刺さった杭で、実際には鯰の頭と尻尾に打ち込まれていると言われている。
そして鹿島神宮の所在地は茨城県鹿島市で有る事を考えるなら、当地は蝦夷(えみし)を抑える地理的要衝と言うだけではなく、過去にも多くの地震を経験していると言う背景が有ったのではないかと考えられる。

神在月付近に発生した出雲の珍しい気象現象、それに東日本大震災と鹿島大明神との地理的関係、大王イカやリュウグウノツカイなどが、それぞれバラバラではあり乍、何かどこかで細い糸が繋がっているような気がしないだろうか・・・。

珍しい大王イカが捕獲されたと言う事で、かつて大恩ある師の言葉を思い出したが、正月早々感じの良くない話だったやも知れない。
多分私の考え過ぎだろう・・・。

「輪を広げる」

地蔵尊の広義的意味は結界に有って、事に村の外れに有るお地蔵様や道祖神は、その村や地域の内と外を隔てる最も内側の結界を意味している。

従ってこうしたお地蔵様や道祖神に供えられた供物は基本的「施」、救済されていない者へ捧げられた物と言う事であり、この意味に措いては貧しい者や飢えた者がこれを頂く事は道に反してはいない。
「天」はまた「人」であり、この中で窮した者がそれを摂取するは「天」の理とも言えるが、古来よりこれを戒めるのは「輪を広げない」為で有る。

飢える事の恐ろしさは「飢え」自体に有るのではなくて、気が付かない間に地蔵に供えられた供物に手が伸びている、その在り様にこそ潜んでいる。
つまり飢える事自体は決して悪いことでは無いが、その結果自身が持っていたそれまでの「他人の物を取ってはいけない」と言う世界観が、いとも簡単に無意識の間に壊れて、更に劣化したそれまでの制約の外側にまで広がった世界観がでて来る事に有り、これは基本的には知識も同じである。

「施」とは天、或いは万民のもので有るが故に自己もそれに関り乍決して自己に集約され得ないものであり、これを自己に集約、摂取するは本来の道を外れるが、飢えていれば広義的意味で「施」を受けるに資する事になる。

しかし飢えとは生き物皆が持つ共通した命題であり、ここにどこからがそれに資するか否かを個人の理性が判断してはならない事を示している。
それゆえ無意識の内にそれを摂取するほど飢えている者の摂取は天意、または仏の慈悲の下と言う事が出来る。

これは一つの堕落であり、それが堕落で有る事を知る者は「施」の光明を知る事になるが、一般的には一度甘えるとそこから立ち直る事は難しく、その倫理観や道徳観念は制約と言う輪を壊し外側に広がって行き、最後は事の本質を消失せしめる。

同様に人の言う知識とはまた一度これを得るとそこに甘え、同義の事に付き考えなくなるばかりか、やがてはその知識によって更なる大きな疑問が生じてくる。
ここに知識もまたそれまでを壊し、更に自身が無意識に持っている制約を壊し続けながら外に向かっていくものと言え、この在り様は本質的に飢えの持つ外に対する壊れと同義であり、事は森羅万象の一つの理と言える。

腹が減ると言う事は、生きていれば程度の差は有れ皆に共通した事だが、丁度盗みを重ねるとやがてはそれに対する罪悪感が薄れていくのと同じように、一度崩壊すると飢えに対する甘えも大きくなって行き、それはまるで幾重にもなった城の塀が内側から次々壊れて行くに似て、しかもその事が無意識に進んで行く。

飢えの最も恐ろしきはこの無意識の輪の広がりに有り、飢えは単に食物にだけに留まらない。
その人の生きるあらゆる所に存在し、善意や愛情、信や義、「施」の中にすら存在し、飢えた者はひたすらこうしたものを求めて彷徨い続ける事になる。

一方知識もまた基本的には「他」からの「施」で有り、この他と施が持つ公共性はいつしか公のものを自己のものと思わせ、結果として自分の持つ知識の源を考えないようになる。
インターネットの情報とこの情報に群がり、我こその意見が正しいと口にする者は、今一度その知識がどこから来ているか考えるが良い。

おそらく自分のものなど一つも無く、しかもひたすら餓鬼のように追われて情報を求め彷徨う姿が見えてくるはずだが、これを自覚する事は難しい。
従って無意識の内に堕ちて行っている、倫理や道徳と言った制約の輪を広げている事に気が付く事は無い。

そして「輪が広がっていく」と言う事は、それまでが壊れて新しいものがでてくる事を意味しているが、この新しいものとはそれまで人間が持っていた制約を壊して外側に広げたものにしかならず、この意味では崩壊なのだが、生物としてはより本能的な部分へと回帰して行く事になり、ここに人はコントロールを失った状態を迎え、仏法の言う末法の世界とはまさにこの状態を指している。

日本は1993年、経済的飢えからついに地蔵に供えられた饅頭に手を延ばしてしまい、それから以降「仕方が無い」と言い乍どんどん自己抑制の輪を広げて来てしまっている。
今では伸びきったパンツのゴムのように、既にそれが下着としての用途すら果たせない状態となっている。

世界遺産登録、その経済的効果は・・・・。
オリンピック日本誘致、その経済的効果は、日本に力を・・・。

の、ような馬鹿々々しい事が、ここ数年でどうなったかを考えるなら、こうしたものは本来の経済的効果とは無縁の思想から始まるべき事を誰も思わず、他者の情報や考えをあたかも自身の考えのように思い、その事を省みる事すら出来ない在り様だったと言え、まさに飢えから救われない者、「餓鬼」と言うものだった。

道徳や倫理と言った輪が壊れて広がって行き、その一番外側の輪の外に在るものは「虚無」と呼ばれるものにして・・・・。










「借金取り」

新年早々暗い話題で申し訳ないが、まだ事業を起こして間もない頃、取り引きをしていた料亭が経営不振に陥り、そこへ品物を納品していた私は多分50万円前後だったと思うが、代金が一年経過しても貰えない状態になった時が有った。

少し離れた所だったので、そうおいそれとも出かけることが出来なかったが、それでも金欲しさについに重い腰を上げて集金に出かけた時の事だった。

その料亭に着くと玄関の窓ガラスにはヒビが入ったままで、それをテープで留めた状態になっていて、そこからして「ああ、やっぱり無理かな・・・」と思い乍戸を開けると、中から出てきたのは中学生くらいの女の子だったが、彼女はスーツ姿で鞄を持った私をどこかで怯えたように見つめていた。

「お父さんはおいでますか」

そう少し控えめに告げると、彼女は奥へ入って行き、やがて店主の男性と一緒に戻ってきたが、店主は私の顔を見るとすぐに、「ああ、○○さん、済まない」と土下座しそうになって、その横で女の子が不安そうに店主を見ていると言う大変気まずい状態になってしまった。

私はその時何を考えていたかは記憶に無いが、やけに店主の娘さんの不安そうな目だけが気にかかり、とっさに金の話ではなく近くまで出張したので、お元気かどうかと思ってお伺いしたと言い、たわいも無い世間話をして帰途に付いた。

そして家に帰ったら、当時はまだ元気だった妻から「あんた、馬鹿じゃないの」と言われてしまったが、すやすや眠っている生後間もない娘の寝顔を見ていると、「いいさ、50万円くらいまた頑張って稼ぐさ・・・」と思ったものだった。

それから7、8年後、もうくだんの料亭とは取り引きも無くなり、金も回収が付かないまま忘れてしまっていた頃、ある日突然店主が家を訪ねてきて50万円を支払い、ついでにまた新たな注文を代金先払いで依頼してきた。

一体どうしたのかと尋ねると、道路拡張で店が土地収用になり、移転費用の他に補償などが出て、すっかり借金が無くなったので、まず最初に私に金を返しに来たと言うのだった。

時はまさにバブル真っ只中の頃、店主はあれからも店を諦めずに経営していたが、最後は高利貸しやサラ金からも借金をし、もう死ぬしかないと思っていたら、道路拡張計画が持ち上がり、それで得た収用費で借金を返して、郊外にまた小さな店を開いたらしかった。

それにしてもあれから以降私は請求書すら出してもいないのに、それでも払ってくれるのかと言うと、彼はこんな話をしてくれた。

借金だらけになって最後はどうして良いかすら自分でも分からなくなっていたが、そんな中毎日のように催促の者が訪れ、従業員もいなくなり、妻や学校から帰ってきた娘が店を手伝ってくれていたが、みんな娘にまで金を返せと言うものばっかりだった。

しかし私と他にもう1人だけ娘がいる時は金の催促をしない者がいて、その事が本当に嬉しかった、だからこの2人だけはどうしても一番先に金を返そうと思っていた。
と言う事だった。

当時娘が生まれて間もない私は、きっとどこかで自分とこの店主を重ねていたのかも知れなかった。
もし自分が娘のいる前で借金取り相手に土下座しなければならないとしたら・・・と言う事を思っていたのかも知れない。

安倍政権の経済対策は確かにマクロ的には効果を発揮しているかのように見えるが、その実中小零細企業の倒産は一層の増加傾向に有り、倒産としての統計には現れないが特別清算、つまりは「解散」や自主廃業する中小企業数は倒産件数を遥かに凌駕する。

倒産するにも裁判所費用がかかる事から、倒産できる企業はまだ幸せなのである。
今この瞬間も首を吊ろうと思っている者、今夜の内に夜逃げしようと考えている者も大勢いるはずである。

最近の調査では夜逃げした家や事業所では、その際神棚を叩き壊して出て行く者が急増しているとも聞いている。
世を恨み、天を恨んで行った者たちの心情は察するに余りある。

金と言うものは返す気持ちが有る者はどんな事をしてでも返すが、返す気持ちが無い者は例え金が有っても返さないし、そもそも金が無ければどれほど催促しようが返っては来ない。
この店主とはそれ以後も仕事の多少に拘らず、彼が現役を引退するするまで付き合いをさせて頂いた。

人間だから失敗する事も有る。
でも大切なのはそうした非常事態の時にどうするか、どう生きるかと言う事であり、これは債務者もそうだが債権者も同じ事である。

あの時私は若くて先に色んな希望を持っていたから、店主の娘さんまで追い詰めずに済んだが、もし自分も金が無くて誰かから追われていたら、本当にあの時のような事が言えたかどうかは分からない。
債務は本来個人に帰結するものだから、娘さんにまで催促する事はどこかで一線を越えている。

だが自分が追い詰められていれば簡単にこの一線を越えるだろう。
それゆえ債権者は債務に対してどのようなポリシーを持つかが債権者の資金力であり、「力」だと言えるのである。

今朝、晴れ着に身を包んで友達と初詣に出かける娘の姿を尻目に、いつか神を、天を恨んで神棚を叩き壊す時の無い事を、私は祈るばかりである。

最後に、かつてこれほど美しいメロディが有って良いのかとまで思っていた、私の生きる希望だった曲の作曲者「大滝詠一」氏の急逝に際し、「恋するカレン」を聞きながらこれを追悼したい・・・。




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この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
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