「任意注意情報」

2014年9月30日、午前9時40分前後、北陸地方の一部で空から雷のような音が響く現象が2回確認される。

同時刻に同地方に雷雲はかかっておらず、飛行機等の加速震動とも明確に異なる音で有る事を複数の人間が確認した。

「空気振動」の可能性が高く、この場合一番確率が高いのは桜島や霧島連峰の噴火、及び東北から以西のどこかの地域の火山噴火の可能性が一番高く、空気振動ではない原因不明の「

空鳴り」の場合は、北海道南西沖の震度5以上の地震、中越沖、能登半島の地震発生確率と続く。
噴火の場合は18時間以内、地震の場合は39時間以内の発生の確率が有る。

公的責任を負えない情報に付き、個人は任意の注意をして頂ければと思います。




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「脳は最後に死を肯定する」



オクラホマミキサー・・・・・

臨死体験の初期段階で発生する「幽体離脱」、病院で自身が危篤状態にある姿を、自身がその部屋の天上付近から眺めている状態、或いは「金縛り」の最終段階に措ける「幽体離脱」でも、この視覚的情報は第三者が共有できない。

この意味に措いては「doppelganger」(ドッペルゲンガー)現象で、第三者が視覚情報を共有できない自身の姿の位置情報の投影錯誤と同じだが、一方ドッペルゲンガー現象によって自身の姿を自身が目撃するケースはドッペルゲンガー現象の半分の事例であり、残りの半分は第三者も物理的移動速度の限界を超えた状態、離れた地点で同一時間に2名以上の第三者が同じ人物を目撃する事から、ドッペルゲンガーの視覚情報は一部が外に対して開かれているが、「幽体離脱」の情報は外に対して開かれていない情報と言える。

人の「死」は当事者以外の者には瞬間のように思えるかも知れないが、実は結構早い段階から人の体はそれを認知している可能性が有り、例えば事故死に措ける事例でも「何となく懐かしい友人や知人に会いたくなった」、「実際に会って数日後に事故死した」などの事が発生するのである。

「死」の初期段階は「脳死」だが、これに至る2時間ほど前から脳は奇妙な瞬間波形を定期的に繰り返し、それは機械波形的には瞬間なのだが、おそらく当事者はその瞬間の中を無限の時間として意識している、または実際の時間経過より遥かに多くの時間経過を経験しているものと思われ、脳死によって脳は死ぬと判断されるのだが、脳が死ぬ事と心臓が止まる事は一致しない。

従って脳死は「死」の前段階と言え、そこから心臓が停止し呼吸が止まり、血圧が無くなった状態が訪れるが、これでもまだ「死」の99・9%であり、残り0・1%はまだ「生」の中にある。
ここでは「生」と「死」が濃度のせめぎあいに陥り、やがて「死」の濃度が全体を覆うと言う表現が理解し易いかも知れない。

脳波が止まり心肺が停止し、血圧が0になり脈拍が停止してから、つまり外部観察的には「死」の状態に陥った時、そこから更に3分後まで脳波測定を継続していると、脳波が一時的に通常の意識レベルにある状態を示し、これが人によっては数回繰り返され、2時間後に蘇生するケースまで出てくる。

この事から脳死状態で心肺が停止したからと言って、それが人の死となるか否かは医学的な所見であり、必ずしも現実を全て反映しているとは言い難い部分が発生するが、基本的には24時間以内に蘇生しなければ、その後の蘇生率は極めて低い事から、現行日本国内法に措ける「死」の概念は実質的な整合性を持っている。

だが、脳死から心肺が停止して3分後、呼吸も無く酸素の供給も無い状態で脳は何を見ているのだろうか・・・。
脳波的には瞬間だが、これを感じている脳はもしかしたら無限の時間の中に在るのかも知れない。

元々人間が持つ空間的な制約と時間の概念は「社会的」なものであり、これから解放された状態が脳にとってはあらゆる制約から解除された状態なのかも知れず、従ってここでは「生きている」と言う「社会」に在る者には瞬間でも、死の当事者には無限と言う概念は有り得る。

人間の視覚情報の本質は「平面」より下に有る。
テレビ画像のように、平面に立体性を持った画像を映している方式より更に「虚性」なのであり、視覚情報を確定させる為に触覚や聴覚、嗅覚などが存在している。

目の前に有るテーブルが視覚的に見えていたとしても、それを触って感触が無ければ我々はそれをどう判断するだろうか。
視覚を担保しているものは視覚以外の五感なのであり、単に視覚情報の投影だけなら空間的な制約を持たない、重複や非空間投影すらも現実として見る事が出来る。

また人間が意識する自分と言う容積は視覚情報でも確認できるが、では後頭部や背中などはどう意識されているかと言うと、「他」の情報を基に暫定の意識が為されているのであり、これを可能にしているものは「他」の情報、他人や景色などで、自分を高い所から眺めた視覚情報を想定する場合、その多くは他の情報が総合された評価によって推定された視覚情報となる。

それゆえ例えば「幽体離脱」でも「うつむせの状態」の自分を見る事例が極めて少なく、これは基本的にうつむせの状態が「暫定情報」だからであり、そこでいつも見慣れている仰向けに寝ている自分の姿を見易いのである。

尚、見るとか聞くとか言う事は情報の収集であり、認識の為の通路のような役割をしている為、認識が存在すれば視覚情報の必要は無い。

仰向けに寝ている自分の姿を見ているその自分は、下を見ている事を認識している事から、自身位置情報は消去法によって肯定され、ベッドで寝ている自分を見ている自分の位置は確定して認識される事から、これは意識されない。

更に人間の脳は微弱電気信号の情報束であり、周囲の空間の情報は物質の反射光情報の解析結果と言う事ができ、この情報を基に自分の位置が確定されているように意識され、他人の姿の情報を使って自分が本来認識できないはずの情報を処理している。

この事から視覚情報の投影は通常そう大きな過ちを犯さないが、死に瀕した場合、脳の活性化、脳制御の解放が始まり、他の情報と共に視覚情報は制約から解放され、本来の空間的、時間的制限を受けない状態となり、これは視覚情報の暴走とは概念が異なる。

脳は最終的には死を肯定する。

そしてこの事が死の過程では「苦痛からの解除」作用をもたらし、瞬時にして自身の一生を見る事になり、先に亡くなった者たちを見る事になる原因かも知れず、臨死体験経験者が同じような死後の世界を見る原因かも知れない。

統一的な社会に存在した幾多の人間の情報が持つ基礎的幸福感、達成感などはそう大きな違いが無く、この事から臨死体験で見る視覚情報は、その人間が持つ最後の社会的接点と言えるのかも知れず、こうした経緯を鑑みるなら、脳と言う組織は最後の瞬間まで「社会」と言うものの概念の中に有る、人間の文明や知識、そうしたものを「生」の基盤としているような部分が垣間見える。

「死」の概念は生きている人間が絶対知ることはできず、臨死体験にしてもそれが死後の世界である確定ではない。
蘇生して自身の臨死体験を語るその人の体験とは脳の記憶である。

従って臨死体験の記憶情報はどの時点で見た視覚情報かを判別できない。
もしかしたら蘇生して目覚める瞬間に見た情報かも知れないし、遥か昔、母親の胎内にいた時の情報かも知れない。

臨死体験を臨死体験だと確定的に意識させているものもまた、脳なのである。





「弁当と弁当箱」

平安時代、旅をする時持ち歩かれた「干し飯」(ほしいい)は確かに日本の弁当の起源と言えるが、おにぎりは弁当として用いられていなかった。

この時代の主食である米の摂取形態は干した米、或いは蒸した米を水や湯で漬けた、水漬け、湯漬けが主流であり、この点では茶漬けの方が平安時代の食事概念に近く、お粥とは概念が異なる。

主食摂取形態が半液体状である為、持ち歩き用の米は「干した米」が用いられ、それを湯や水で戻して食べるか、若しくはそのまま摂取するのが平安時代の弁当で有り、おにぎりの起源は「赤飯」である。

平安時代のお祭りでは、餅米を蒸して作った赤飯を手で握り固めた丸いおにぎりを作り、それを使用人や下僕などに振舞った、所謂神饌の意味を持ち、神と共に祭りを共有する概念が有り、しかも餅米は夏は傷み易く、冬はすぐに硬化してくる事から、この内冬に腐食せずに硬化する特性を突きつめても最後は「干し飯」に辿り着く。

この事から弁当箱の起源は京都「葵祭り」に用いられる折敷(おりしき・三方の脚がないもの)に、桧皮などを被せて蓋をしたものなどがその概念としては一番近く、基本はお供えものを乗せる神社の「三方」が始まりと言え、これが後に茶や花の文化が形成されると、野外に繰り出された際に携帯用として用いられる、箱型の弁当などに発展して行き、これを固定型弁当と呼ぶ。

一方旅をする時持ち歩かれた「干し飯」などは、麻の袋や皮の袋で持ち歩かれ、これらは形が不定形で、どちらかと長期間保存が利く事から固定型弁当箱よりはより遠距離、より多くの時間経過を許容する概念があり、移動速度の遅さと、中継地点の連携が薄い平安時代には最も理想的な形態で、こちらは「自由形弁当」と言う事が出来る。

しかしこれを一変させたのが「武家社会」の台頭で、地域に横の繋がりや連携が出来ると、長期保存概念より、干した米を水や湯で戻して食べるという所作の煩わしさがでて来る事になり、ここに現在に近い炊飯米が出現し、これらは金や人の繋がりさへ有れば、3日の単位で手に入らない状態が少なくなって行った事から、おにぎりや餅などと言った神饌が庶民のところへ近付いて行く事になる。

そこで発展していくのが竹や藤で編まれた軽量弁当箱、叉は竹の子の皮や笹などで包んでいく形式だが、ここに至って弁当は3種の概念を持つことになり、茶や花の宴で用いられる「箱型弁当」、旅に使う「軽量弁当」、更には野良仕事などに持ち歩かれた、竹の子の皮などで包んだだけの「簡易弁当」の分類が発生するのであり、現代でもこの分類様式は変わらない。

料亭などで食べる「松華堂弁当」(しょうかどうべんとう)は儀式、行事と同じで固定型弁当の概念の延長にあり、サンドイッチなどに使われる網目風プラスティックランチボックス、昭和の時代には良く使われた新聞紙などに包む方式、或いは紙で包む形式は「簡易弁当」の流れにある。

このように弁当と弁当箱の歴史は、その当初「干し飯」が主体で、それを入れる容器も形が不定形だったものが、やがては神饌を取り入れて行った背景には人間が持つ特殊性への憧れ、他者と自分を比べて優先意識を持つ、或いはそれを尊敬や臣従の形式と考えた、ある種の人間の業と言うものが力となっていて、人や文化の発展とは決して綺麗な思想からしか生まれる訳ではない。

むしろ人間としてのまずさがそれを発展させていく側面を持っている。

また弁当の本来の意味は「備える」事に有り、この意味では「用意」しておく事を指しているが、武家社会以降どんどん発展してきた地域的連携と移動速度の速さは、弁当が持つ「備え」と言う自主性から商業的形態に主体が移り、備えや用意が他力的になって来つつある。

その為冒頭に出てきたように弁当が持つ時間経過の長さは極端に短くなり、移動距離も極めて少ない、所謂固定型弁当が主流になっているのであり、本来自分が食べる為に用意しなければならない弁当をコンビニで調達し、しかもそこに安全性が無いとまで言ってしまう現行日本民族の他者責任転嫁社会はどこかで不思議な感じがする。

弁当を用意させるなど、基本は目上の者で尊敬に値するものが有るか、それで無ければ大きな権力が無ければさせてはならない事だが、それを僅かな金で手に入れ、食品添加物が云々と言う有様には幾ばくかの横柄さと、拝金主義の裏返しを感じてしまう。

弁当と弁当箱に求められる要素は「特殊性」、「非日常性」と言う部分と、家庭的な手のぬくもりと言った相反する要素が含まれている。

これはどこか遠くに神饌と言うものの流れと、旅人が妻や母が縫ってくれた袋から「干し飯」を出して口に含み、その袋から故郷を思うその気持ちが、更には少し遠方で仕事をする亭主の為に妻が握ってくれたおにぎりの、その手の感触が一体となっているからかも知れない。

それゆえ弁当に求められるものは非日常と人の手の温かさなのだが、多くの大衆はこれをコンビニ弁当に求め、そのコンビ弁当もまたこれを目指しながら、価格と言う壁に両者とも遮られ、求める所からどんどん遠ざかり、終には多くの食材が賞味期限切れで棄てられる。

良い弁当箱でよい弁当を食べたいと思いながら、今日も金と時間に追われ結局コンビ弁当と言う現実は、遠く故郷を離れた地で土手に座り、妻や子を思いながら風に吹かれて食べる干し飯の味に比して、随分と力がなく侘しさを感じてしまうのは私だけだろうか・・・・。

さて、朝露も落ちた・・・。
シソおにぎりと奈良漬、それにサツマイモとナスの天ぷらを寝込んでいる妻の弁当にして、
そろそろ稲刈り前の草刈を仕上げに出かけようかな・・・。




「人と言う字の形」



Pachelbel Kanon (パッヘルベル カノン)・・・・

屍と言う文字の起源は「屍」から「死」を外した「しかばねの部」に有り、文字としては初期の象形文字から「甲骨文字」、「金文書体」まで「人」と言う字と粗同じである。

つまり屍と人は同じ表記をされていたのであり、この事から少なくとも金文書体までは人間をその意味で捉えていたのではなく、形で捉えていた事が解るが、一方「刀」と言う字は象形では異なるものの、甲骨文字、金文書体では人や屍と近くなり、「刀」は一部でその起源を四足の獣を切る形に求めた解釈も為されたが、何故か象形でも甲骨文字でも動物は縦に起こした形で現された。

この事から現代の漢字解釈は刀と四足動物の関連性を用いていないが、甲骨文字から以降「人」と「屍」「刀」が似た表記をされた事には理由が有るかも知れない。

つまり「刀」「人」「屍」は同じものか近いものと概念されていた時期が存在し、金文書体を下る「篆書体」(てんしょたい)の時代ではこれが著しく、その背景は国家統一に向けた戦乱の発生が考えられる。

元々「人」の象形は少し腰を屈めて前に両腕を出した形であり、屍の象形はこれよりあお向けになった状態として記されている。

つまり「人」は立っている形と、尻もちをついている形の差が有り、この意味では立っている人間は「人」、あお向けに倒れているか、その状態で寝ている人を「屍」と概念していて、ここで言う屍とは生死が問われていない可能性が高い。

動けない者、使い物にならなくなった者は「屍」と言う概念が為された可能性が有り、こうした背景から屍が動物の死骸をも概念するのは後の時代の拡大と考え易いが、その現実は始めから動けない者、自身の体の責任を取れなくなった者すべて、動物も含めて「屍」と概念していたと考えるのが正しいのかも知れない。

そして現代、人と言う字は一つのものを支え合って等とぬるい解釈をする者もいるが、漢字の流れを見るなら、時代が下るごとに「屍」の字の角度は倒れて行き、「人」の字は甲骨文字では殆どひれ伏す寸前、金文書体では一時この角度が立った状態に近くなるものの、篆書体では両手を地面についてひれ伏した状態になる。

これは屍の概念が当初持っていた「動けない者」と言う概念から更に「死」の状態に近付いて行った事を意味し、片や人は甲骨文字の時代ではもしかしたら穀物の種などを蒔いている姿だったかも知れないが、それが金文書体の時代、この書体を使った地域では一時的に民衆の自由や暮らし向きが安定していた事から、人は腰を屈める角度を浅くするものの、次の篆書体時代には為政者や権力者の前に両手を付いている状態が「人」の姿になったのである。

つまり「刀」と言う字に最も近付くのであり、屍がどんどん「死」の概念を深くし、地面に手を付いた状態が人を現していく現実は、為政者や権力者によって刑罰が横行し屍が増え、人々は地面に手を付かねば次の瞬間自身が屍になる。

その屍を作るものが「刀」であり、これらを似た形で現した当代の人々の喘ぎと苦しみが、その文字の中から聞こえてくる気がする。

また「刀」の文字は何かを切る概念と共に「おぞましいもの」、「危険」をも概念しており、例えば「刀俎」、刀とまな板が揃った状態は料理の準備が全て出来上がっている事を意味するが、この基本的な意味は「危険」である。

現代でも儒教や道教の精神が息づく日本では「揃ったものは禍々しい」と言う思想が残っているが、この思想は儒教や道教から始まったものではなく、発祥は古代文明時代から存在する。
しかもその原初は懲罰である。

刀と首を斬られる儀式壇、天恵の捧げものなどが揃った場所が有ると言う事は、誰かがそこで殺されると言う事であり、それが自分ではないと言う保障は無く、むしろそうした場所に通される事実は自分が殺されると考えるべきで、この場合の対処は「易経・三十六計」「逃げろ」である。

揃ったもの、揃った場所を避けよと言う思想は、こうした権力者による気まぐれで発生する懲罰と、家臣やその他権力に群がる者たちによって、いつ自分があらぬ疑いをかけられるとも知れない、その不安定さと天の気まぐれを同一線上に考えた結果、つまり古代の人たちにとって権力者も天の定めも同じ実害を被るなら同じと考えた、そこに起源が有り、これらは天と権力者のどちらかに濃度を変えながら現代にまで続いている。

尚且つ「刀」に措ける「おぞましさ」とは地獄の様であり、篆書体では「人」と言う文字が地面に手を付けている状態になっているが、この時代の刀の文字はその人の姿で首が後ろの方向に反り返っている形になっていて、人とその人を斬る刀の形が近い理由は不明ながら、その現実の前に為される者とそれを為す物が近い表現をされているリアリティには深い感慨がある。

ちなみに「召」と言う字はこうしたおぞましきものの入る場所、或いはおぞましきものの台、権力者である「刀」の入口、刀の台、しかもその刀とは地獄で有ったり、人が立つ事すら許されぬ状態と同じ形を持ち、厳密には地獄の概念はその時代によって異なる事から、「おぞましい」と言うそのおぞましさは現代では理解できない。

そして「召」は為政者の「食」であり、自身の身内や一番愛しているものを殺して失い、信じた家臣からは裏切られ、人々からあらゆる誹謗中傷を受け、尚且つ憎まれ恨まれて、いつ八つ裂きにされるとも知れない中で得られるものが権力である。

「召」と言う文字の辛さ、「人」の姿の苦しさ、「屍」の哀れさ、「刀」のおぞましさは、もしかしたら同じものだったかも知れない・・・・。










「夜を計る」



【IIDX 19 Lincle】 F - D.J.Amuro (高音質)・・・・・

良い盆栽とは樹齢が長く成長が遅い。
その樹木密度の濃度の深いものが重厚な歴史と質感を与え、鑑賞する者を説明の必要なく感動させるが、これはひとえに栽培者がその盆栽に対して如何に愛情を注いだかに比例し、この愛情とはどれだけその盆栽に触れているかと言う事になる。

植物の成長に関る植物ホルモンは成長と抑制の両方を具有し、その濃度によって成長と抑制が決定する。
盆栽などを手で触っていると、そこから気体植物ホルモンである「エチレン」が発生し、このエチレンは植物が成長する方向に障害物が有ると成長を抑制する。

つまり可愛がって毎日撫でるようにしている盆栽はエチレンの発生が多くなり、その分成長が遅滞して植物の密度を高めるのであり、もっと言えば自分が抑制したい部分を毎日撫でて、伸ばしたい部分に手を触れなければ鋏(はさみ)を入れることなく、自身が望む葉の形が出来る訳である。

また獣道(けものみち)などは、一般的な概念では動物がそこをいつも通るから、植物が生えて来なくなるように思うかも知れないが、植物は周囲と同じ数量が生えていて、成長が遅れているだけである。

毎日4回づつ触れられた植物の葉は10%、重量が加えられて毎日4回踏まれたものは最大75%の成長抑制が起こり、ここに関連しているものもエチレンである。
だがエチレンはその一方では果実が実った時、それが熟する過程でも生成され、植物の自然死にも関っている。

植物を観察していると、その植物が発生して成長し、やがて実を付けそれが熟して地面に落下し、翌年そこから同じ植物が顔を出してくる過程から、生きている事とは任意の長い流れの中の一つの状態にしか過ぎないことが見えてくるが、同じ生物として人類もまたこうしたものなのかも知れない。

そして植物ホルモンで最も重要な物質が「オーキシン」だが、この物質の性質はエチレンよりも更に明確かつ繊細なものとなっている。

植物が発芽する際、例えばインゲン豆の芽は必ず上に向かい、根は必ず下に向かうが植物は地球上で最も重力に忠実な生物で、正と負の重力屈折作用が有り、オーキシンは適量だと植物の成長を促進し、適量を超えると成長を抑制する事から、まず植物の根冠細胞に有る色素体が重力方向に移動し、この色素体に従ってオーキシンが水平方向に伸びた根の下側に移動し、適量を超えるために根は下に向かう。

そして色素体の反対に有る芽の部分には、上の方にオーキシンが集まり、表面上部で成長が抑制される事から、芽は上に屈折して行き、一定の成長をした植物の一番上の葉を切り落とすと、その下の葉が大きく成長してこれを補佐する事を鑑みるなら、成長期の植物中ではオーキシンは先端部で作られている事が理解でき、この頭頂部で生成されたオーキシンが下に降りて行く為、下から沈殿した形になり下の葉から順に成長が抑制され、下の葉から順次成長が止まって葉の大きさは同じになり、尚、下の葉から先に枯れて行くのである。

つまり植物の葉の大きさが同じになるのは、コントロールではなく吸収と排出が始めから葉の大きさに一致していると言う事なのであり、植物の頭頂部で作られるオーキシンは光に対して影側へ、横方向へと移動し、ここで頭頂部にオーキシンの濃度が高い部分と低い部分が形成され、それが配列を保ったまま茎部分を伝わって基部分に移動し、その濃度差によって成長する部分と抑制される部分が出てくる作用は、根を確実に下に向かわせるアナログDNAとも言うべきものかも知れない。

また我々は一般的に植物の開花は光や温度によって為されるように思っているかも知れないが、例えば晩植え大豆の種を5月から7月後半までの期間、10日置きに植えていったとしても、どれも花が咲くのは同じ9月であり、最初に植えた大豆の花が咲くまでに要する期間は120日、最後に植えた大豆は60日で花を付ける。

この事から大豆は土の性質や養分、気温の変化で花を付けるのではなく、季節を感知して花を付けている事が理解でき、尚且つ同じ事は実験でも得る事が出来るが、植物が開花するのを阻害しようとした場合、暗くする時間を増やしても開花速度は変わらないが、光を当てる時間を増やす事で阻害できる場合が出てくる。

植物の多くは光を計って開花するのではなく、闇を計って開花しているのであり、街灯の下で栽培すると朝顔は花を付けられず、野生種のヒルガオが街灯付近に少なくなるのは、それを避けているのではなく、そもそも開花できない為そこには繁茂できないのである。

このように植物にはまことにシンプルながら、そこには現実と運命が一致したような深遠さが有り、事に除草剤の概念を鑑みるなら、成長はまた「死」や破滅と言う概念が透けて見え、そこに人類社会の在り様を重ね合わせてみるなら、何が発展で何が崩壊や破滅なのかが垣間見えるような気がする。

植物を枯らす除草剤の概念には、植物に取って有害な物質の投与によって枯死させる古典的な概念と、オーキシンのように成長と抑制が一体となった物質の投与、つまり無理やり成長させて枯死させる概念が存在する。

「IAA」(インドール酢酸)や「2・4D」、「ナフタレン酢酸」などは植物ホルモンのオーキシンと同じような作用を植物にもたらし、「2・4D」などは広葉雑草に異常成長を発生させ枯死させる強力な作用が有る事から、水田の除草剤にも使われている。

異常に早く成長する事は、植物に取って枯死なのである・・・。













「事務総長の解任手続き」



QUEEN - Teo Torriatte High Definition Mix (2005)・・・・・

国際連合事務総長の任期は国連憲章に規定されておらず、解任要件も規定されていない。

従って事務総長に不正や恣意的言動の有った場合、アメリカなどが採用している方法は国連負担金の遅滞、或いは改善されるまで納付拒否、または無視して自国の方針を貫徹するなどの措置を採っている。

国連事務総長の選出はアメリカ、中国、ロシア、イギリス、フランスの常任理事国と、その他の10ヶ国の非常任理事国で構成される国連安全保障理事会で候補が選任され、国連総会で任命されるが、5ヶ国の常任理事国の内一ヶ国でも拒否権が発動されれば成立しない事から、事実上事務総長の選任は常任理事国がその決定権の多くを所有している。

また任期は特に定められていないものの、事務局の慣例として1期5年と言う期間が存在し、通常2期10年と言う形式が採られるが、事務総長の任期が長いと不正の温床となり易く、選任された事務総長の出身地域に特定の利害が発生する事を恐れ、3期連続の選出は認められていない。

もっともこの3期が認められないと言う形式も絶対的なものではなく、第4代事務総長「クルト・ヴァルトハイム」が3期事務総長を続けようと希望した時、中国が拒否権を発動して阻止した経緯から慣例化したものであり、この意味では通常2期10年と言う形式が一般的になった。

しかし第6代事務総長の「ブトロス・ガーリ」(エジプト)が2期目に就任しようとした時、アメリカが拒否権を行使してこれを阻止、2期10年と言う任期はこれにより慣例として成立しなくなった。

だがこうした経緯を見ていくと、国連の意思最高決定機関は安全保障理事会、常任理事国会議に存在している事から、ここで決定されれば任期が阻止されたり、或いは認められたりと言う事が容易に行える事を鑑みるなら、事務総長の任期、解任要件は安全保障理事会召集動議にて採決を行える可能性が存在している。

つまり国連憲章に違反する国家に、制裁を課すことが出来る決定権が安全保障理事会に存在している以上、内部の不正に相当する事務局長の不正に対しても、安全保障理事会の動議は可能と見るべきであり、事務総長は必ずしも国連の全権ではない。
幾つも存在する国連機関の有力機関の一つに過ぎない。

国連事務局と言う機関のトップだと言うだけの事であり、これを裁定する責任は国連安全保障理事会に有ると考えて良いだろう。

日本と韓国の関係が悪化した原因は「李明博」(イ・ミョンバク)前大統領が、自身が犯した身内の贈収賄事件から韓国国民の目をそらす為に行った竹島上陸、天皇に対する謝罪などに代表される嫌日機運の扇動に端を発しているが、こうした結果発生してきた日本に措ける嫌韓運動は差別スピーチにまで過熱し、これに対してすこぶる手際良く国連人権委員会から日本に対する抗議が行われた。

だが一方、日本の産経新聞ソウル支局長がウエブサイトに掲載した朴槿恵(パククネ)大統領の記事に関して、韓国が名誉毀損を名目に産経新聞支局長を出国禁止措置にし、起訴するとした件は明確に報道の自由に対する侵害であり、同記事は朝鮮日報などに掲載された記事を抜粋したもので、他の海外報道機関も似たような記事を発信しているにも拘らず、日本の新聞社だけが検察当局に出頭を求められる事は国家、国民によって報道の自由が制限されている現状を発生させていると言え、これに対して国連の人権委員会は全く無言と言う事態は異様である。

報道上日本人が差別を受け、明確に国連憲章に違反する行為が韓国で為された事は、日本に措けるヘイトスピーチなどと比較できない国際的な問題である。
国連人権委員会は早々にこうした報道の自由の侵害行為、人種差別を止めるように声明を発表すべきではないだろうか。

韓国の人権はいち早く擁護され、日本人の人権はその韓国によって制限を受けている実情は、国連の恣意性を疑われても仕方のない状況と思う。
潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は、どう考えても出身国で有る韓国に有利な言動を採っていると疑われても仕方がなく、日本はこの事を強く抗議するべきだ。

国連人権委員会に産経支局長の救済を申請し、速やかに出国できる措置が採られるよう働きかけ、それで国連が動かなければ、日本は少なくとも負担金の拠出を拒否すべきだ。
日本国はそれくらい言えるだけの国際貢献をしているし、他国民の人権にも配慮している。

潘基文事務総長は中東情勢に対しても何の調停も行っておらず、イラク情勢を始めとするイスラム勢力との対立に対しても何のビジョンも示していない。
またかねてより中東諸国からは「二枚舌」と呼ばれて信用されていない。

加えて日本と韓国が竹島を巡って対立した時、韓国側に立って日本を批判した経緯もあり、国連の私物化を疑われている。
アメリカを通して安全保障理事会の開催を要請し、国連の平等性の観点から解任の動議を提案した場合、これが通らなくても日本は国連事務総長に圧力を加える事が出来、尚且つ次に何か有った時、この日本の方法が事務総長解任手法慣例化の一歩に繋がる可能性が有る。

元々組織トップの解任手法が無いと言う事は、その影響力が傀儡で有る事を示してもいるが、少なくとも国連と言う世界機関にトップの解任手法が存在していない事は異様である。

韓国政府は、今回の産経新聞支局長の対応を誤ると世界のメディアを敵に回す事になるかも知れず、世界の報道機関からはその韓国人国連事務総長の沈黙に対しても、疑問の声が上がり始めている。






「災害の意味」



Rondo - Henry Purcell・・・・・

氷河期と間氷期、それに伴う微弱な温暖化と寒冷化の関係は、ここ10万年の傾向と40万年前では異なる傾向を持ち、これが70万年と言うスパンではまた違った結果が出る。

同じように我々日本人が周期として知っている巨大地震の回転も、1000年と言う期間の傾向と1万年の期間、1千万年と言う期間では同じ傾向が出て来ない。
トータルでそこに有るのは非関連性、非連続性である「乱数」に限りなく近いものになる。

完全な「乱数」はその存在自体が疑われるところだが、膨大な乱数中に存在する等差、等列数は全体の数列の長さによって、他の部分に存在する乱数列の長さによって、最終的には乱数に収束される、或いは無限に連続する場合、乱数が意思を持った列数に収束されるか、そのどちらに転がるかの確率は等しく、この宇宙が消滅した時にそれは確定する。

ここに我々は古い日本の記録から、或いは近世200年ほどの伝承によって関東地震や東海、東南海、南海地震などの周期を計っているが、この周期は例えば数万年と言う中期間では必ずしも周期とはならず、50億年の単位では現在の周期が他の乱数周期を収束させる可能性が有るのかも知れない。

この事から関東地震や東海地震、東南海、南海地震の周期は、数万年の単位では確実に混沌に向かい、数億年の単位では現在の周期の近似値に収束される可能性も存在する。
しかしいずれにしても現在の我々ができる事は、過去の記録と現在の傾向から未来を予測する以外に方法が無く、周期はあらゆる物質や生命に存在する事から、それに科学的説明が出来なくても、一見乱数に見える自然の中から列数を拾い上げる作業を続けて行く努力を怠ってはならない。

また災害と言うものは物質的自然現象であり、ここに意思や意味など存在せず、この意味が無い事が人間にとって大きな意味を持つ事になる。
眼前に広がる現実は本来動かし難いものだが、人間は現実の前に感情を持ち、この感情が現実を認識しながらも人の動きを止める。

人口高齢化の本質は「良い社会」になったと言う事である。
高齢者が暮らせない社会などその本質は暗い。

日本の社会はある種の理想を実現させている社会でも有るのだが、こうしたことが問題となったり対策が必要と考えなければならない事は、既にその理想を維持できなくなってきている事を示している。
広義では高齢化社会問題だが、自分に取っては親である。

「力なき者、自分で獲物を得る事が出来無くなった者は滅びるが良い」と言っている私でも親や近所の世話になっている年寄り達に対し、到底そんなことは思えない。

そしてこんな人の思いが社会と言うものを作っているのである。
当然いつかは意思を持たない災害と社会はぶつかる事になるが、そこに見えるものは人間の「死」の概念と同じものである。

人の生まれる意義は解っていない。
同じように人が何故死ぬのかも解っていないのだが、いつかは必ず「死」が訪れ、死には本来何の意味も存在していない。

にも拘らずそこに人間は生きている自分の範囲で想像できるあらゆる事を駆使して、意味を見出そうとする。
自身の価値を見出そうと、それが間違いなく存在した事を証かそうと努める。

どれだけ生きたくても死が訪れ、避ける事は出来ず、いつ来るかも分からない。
この意味では社会に措ける災害とは「死」の概念と同じなのであり、人の情に任せていてはいつまで経っても区切りの付かないものを、一瞬にして現実に返す力を持っている。

人の世は1割の満足と9割の不満であり、これは個人の環境、感情に始まって社会的分布、政治も経済も同じであり、いつの時代でも変わらない。

だから人の世、個人の事情とは悪いか、少し悪い時期が圧倒的に多いので有り、ここにランダムな確率や周期で発生する災害は、人間の持つ印象として悪い事が重なって来たように感じる側面を持つが、始めから1対9の確率差が存在している事を忘れてはならない。

一方その悪さの中でも政治的な部分では、確かに混乱の極み、或いは極度の閉鎖感に覆われた時期に巨大災害は発生し易い。
ここに科学的関連性はなくても、現実にそれが重なるものを科学的と言う感情で避けてはならない。

何故なら災害とは人間社会が持つ思想の、どうしても引く事の出来ない一線を引くものであり、人間がそれによって死と同じように、如何なる理不尽や悲しみも肯定せざるを得ない相手だからであり、命がけで避けねばならない相手だからである。

そして復興と言う言葉は心地良いが、人は生きる事が基本であり、災害の復興はまず人から始まらなければならない。
その地域が頑張っている事をアピールする事が本旨に非ず、皆が衣食住を自身の力で得る道を作り、他より更に強靭な精神を培うその弾みとなるが復興と言うものである。

悪戯に綺麗な道や街並みを作り、人の情けを集め観光化した被災地は、災害復興資金に群がる亡者達によって被災者までも亡者に貶め、5年もすれば被災地域は完全に乞食社会になる。
1923年に発生した関東大震災では、被災翌日には廃材を使ってバラック小屋が建てられ、そこで雑炊を売る者がいた。

人目を気にせず、水溜りで裸になって体を洗う若い娘がいて、彼等はみな被災直後から自律した自己責任の中で動きを始めていた。
実に災害の復興とはこうした精神で有り、災害と言う厳しい現実に晒され、そこで生き残った者たちは眼前に広がる絶望の中から希望のかけらを拾い集め、少しずつ形を作って行った。

優しい社会とは実に有り難いものである。
だがその優しさはいつしか厳しい現実を生きる力を失わせ、人の生きる希望を奪う結果をもたらすかも知れない。
災害の恐ろしさはその災害に有るのではなく、そこに生きる人間の感情、その最も素晴らしい部分である優しさを、いつしか弱さに変えてしまう、その事に有るのかも知れない・・・・。

災害は法案や規制でどうにかなる問題とはその本質が異なる。
何か人間が決めた通りになるような災害など、これまでも、これから先も有り得ようはずもないが、日本国は9月1日を防災の日とした事、また非科学的では有るが「210日は台風被害の特異日」でも有るゆえ、ここに乱数の中に数列を見た人々の思いを尊重し、本文を書かせて頂いた・・・・。




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この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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