エボラウィルス属



SeanNorth - final your song・・・・

モノネガウィルス目のウィルスは、分節しないマイナス鎖RNA形態が多くなるが、一般的にこの目のウィルスは人、霊長類に対する感染能力が突出している。
麻疹、狂犬病などを初め、ここ100年の内に発見され始めた新しい感染症の大部分がこの目に含まれ、エボラ出血熱もモノネガウィルス目である。

1976年8月26日、コンゴ民主共和国のエボラ川付近で、44歳の男性感染者が死亡した事から発見され、同地の名称を取ってエボラ出血熱と命名されたが、このエボラウィルスにはその後形状の違いから5種が発見されていて、現在ではエボラウィルスは正確にはエボラウィルス属となっている。

感染して一番死亡率が高いのは、一番最初に発見されたエボラウィルスである「ザイールエボラウィルス」で、感染後の死亡率は90%と推定され、その同じ年にスーダンで発生したエボラ出血熱のウィルスは、ザイールエボラウィルスとは違った形をしていた為、スーダンエボラウィルスと命名されたが、このエボラウィルスは感染後の死亡率が40%~50%だった。

またレストンエボラウィルスでは霊長類への感染は認められるものの、人体は抗体を形成しながらも発症とその症状が認められない事から、このエボラウィルスでの感染死亡率は今のところ0に近い。

この事からエボラウィルスに関しては、その当初遺伝子変化速度の速さが指摘されたが、その後の研究でエボラウィルス属の遺伝子変化速度は、インフルエンザウィルス90分の1から150分の1程の遅い変化である事が判明し、比較的遺伝子変化速度が遅い劇症性肝炎ウィルスとほぼ同速度ではないかと言われている。

だとすれば1年以内に同属2種のウィルスが発見され、20年の単位で5種の同属ウィルスが発見された事、その最初の発見時のウィルスも現存で猛威を振るう現実を考えるなら、このウィルスは比較的古くから存在していた可能性が有り、人への優性感染能力に捉われるなら、精々が10万年の単位だが、ウィルスの有り様としては最低でもネズミが発生した時期には、その半分の性質を持つウィルスが存在していたと考えるべきなのかも知れない。

更に感染しても発症が明確になっていないレストンエボラウィルスだが、これはフィリピンのカニクイザルに感染していたが、宿主の想定が出来なかった。
つまりは自然界を枕にしている可能性が有ったが、このウィルスに感染したサルはアメリカとイタリアに輸出された事が解っているが、その後アメリカでもイタリアでも自然界に存在した形跡は見当たらなかった。

現在レストンエボラウィルス以外のウィルスの宿主はコウモリで有る確率が高いとされているが、ウィルスではないものの大腸菌や溶連性ブドウ状球菌などは、我々の周囲に普通に存在してる細菌であり、症状を発しなくても同属に自然界を宿主とするウィルスが存在する以上、他の劇症性ウィルスも同じかも知れない可能性を考慮する必要が有る。

更に現段階では推測にしか過ぎないが、レストンエボラウィルスを考える時、「眠っているウィルス」である可能性も考えられる。
つまりは数千年と言う単位で土や動物体内に繰り返し潜んで、何かの条件が揃った時点で復活し、感染を広げる可能性も有り得る。

ウィルスよりは遥かに繊細な機能を持つ植物の種でも、数千年の後に復活出来るものが有る事を考えるなら、同じ事が無いと考える方が合理性を欠くように思う。

唯、この場合最も大きな因果律は温度に有る事が考えられ、過去の長い地球環境を生き抜いてきたウィルスが再生する条件は複雑なものかも知れない事、或いは空気中の窒素、酸素濃度、二酸化炭素の濃度などでも再生する可能性があるかも知れない。

また我々はエボラウィルス感染症状で多量の出血を想起するかも知れないが、実際のところ感染に拠る出血事例は一部であり、その症状は風邪の症状に近く、奇しくも2012年から始まった感染の流行に対する投薬効果として、風邪薬が有効であるとの非公式情報が出ているが、これは1976年のザイールエボラウィルス流行時、既に言われていた事実だった。

加えてエボラウィルスの宿主はコウモリとされているが、インフルエンザウィルスの初期の感染動物は水鳥と言う点を鑑みる時、同じ翼を持つ生物でありながら、鳥は卵から生まれ、コウモリは哺乳類であると言う決定的な差と、哺乳類全体の4分の1を占めるコウモリの生息数を考えると、何か引っかかるものを感じる。

それとこれは重要な点だが、現在のところ空気感染の確率は低いとされているが、1976年の流行、1995年の流行、2000年の流行時でも防護服を着ていながら医療従事者が感染する事例が出ていた。

エボラウィルス感染症状は高熱、頭痛、腹部の痛みなど風邪の症状と近いものの、飛沫を大きく飛ばすような咳やくしゃみを伴う事例は少ない。
この事から飛沫が空気中に拡散され、それで感染すると言う可能性は意外に低いように思われ、だとすれば防護服を着用している医療従事者の感染は説明が出来なくなる。


エボラウィルス感染者の死亡率は他の感染症に比べても非常に高く、この為にレベルの高い隔離政策が採られる事から、ウィルス感染キャリアは不当な差別や人権の侵害を受け、それゆえに自己申告が困難な状況が生まれる。

おそらく現段階でも未申告のキャリアを含めると数万人の感染者が存在するかも知れない。
人々の恐怖心が患者に対する過剰な隔離思想を生み、その事がエボラウィルス感染のアンダーグラウンド化を招く危険性は極めて高い。

そしてこの感染に対して日本だけが安全である保障は無く、フジフィルムの薬が全ての人に対して有効かどうかも解らない。
ウィルス感染の基礎的な防御策はインフルエンザと同じで、接触を控える事に尽きる。
現段階から次のステージに移行し、キャリアの隔離が困難な状況が発生してきた場合、我々が一番最初に採る防御策は霊長類との接触を必要最小限に控える事しかない。

またエボラウィルスの人に対する優性感染力は、どこかの時点で霊長類や人間の進化の過程に影響を与えた可能性があり、人間が思いも寄らぬ繊細さを持っているような気がする。
それゆえエボラウィルスで人類が滅びる事は無いと考えるが、一定規模のパンデミックは有り得る。

自身の感染して死にたくないと言う基本的な感情と、社会に措ける人としての患者に対する慈しみの狭間で人の心は揺れるが、感染した人を救う事がエボラウィルスを克服し、如いては自身を救う道で有る事を忘れてはならず、これは命がけの個人と社会との葛藤、究極の自由の衝突で有る事を認識しておく必要がある。

地球にとって人類は、人類が考えるほど重要ではなく、特段の恩恵をもたらしている訳ではない。
それゆえ災害や危機は社会を侵食し、それによって個が試され、社会の分岐点になる。
恐怖心から感染者に対する配慮を失えば、次の段階で社会は大きな何かを失う。

今また自然の普通の営みによって、感染と言う脅威と、我々自身が概念する社会、人としての在り様を試されている。
負けてはならない・・・。





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「自然法の逆戻り」



もういちど教えてほしい HD再編集版 ユリアーナシャノー ガメラ3邪神覚醒

完全な理解が現在では失われたヘレニズム哲学(紀元前300年頃)の一つ「ストア哲学」は、この後発生した初期キリスト教の中に全人類同胞思想、世界市民主義の原初形思想を形成し、この思想がやがて中世ルネッサンスの世界市民思想の中期完成形を形成、やがてはフランス革命の市民思想に結実される流れを持つ。

イエス・キリストの哲学は既に遥か以前から存在していたもので、こうした流れの一つはローマ帝国にも継承されていたが、ローマ帝国のそれは奴隷や賤民層には適応されない自護解釈、狭義の解釈が用いれていた事から、キリストの目はもっぱらこうした、未来が決定している絶望を心に持つ低層民に対して光と希望を与えるものだった。

この点ではキリストの教義はストア哲学や万民法、自然法などの思想でストア哲学や万民法を拡大し、自然法を整理した意味を持つが、そもそもローマ帝国成立初期には征服民族の売買、奴隷の売買に関しての国家間協定が必要になり、万民法の概念はこれを起源としている。

つまり万民法の初期はローマ市民権との整合性を保つ措置として概念され、市民法との共和が図られ、万民法が世界的な法体系となった時、自然法、自然の摂理との整合性を付与されるに当たり、市民法と万民法は相反するもので在りながら、融合して行った。

簡単に言えば同じ事象を逆から見る形になったのであり、征服民の自由を奪っている事を、解釈上は征服民を他の残虐な侵略者から擁護しているとするような形である。

また自然法解釈の初源は「神」だったが、後に自然摂理なども解釈に加わり、こうした自然摂理と社会システムは必ずしも一致しない事からヘレニズム期には混沌化していた。

これらを整理したのがキリスト教と言えるが、この内合理的理論展開から神を使わずに自然を解釈した部分の思想も残って行き、その過剰発展した形式が近代の物質生存等価論、地球も一つの生命と考える「ガイア理論」になる。

つまりキリスト教初期の思想はそれまでに存在していた古代哲学を本当の意味で万民に解放した哲学と言え、この古代哲学の適応範囲拡大の妨げになるのは既存権威だった。

ストア哲学や万民法の適応範囲の限定とは権威そのものだった訳で有り、キリストがローマのあらゆる権威を否定して行った経緯には、賤民や奴隷達にまで平等の権利を与える為には既存の破壊が必要だったと言う事である。

それゆえその発生初期は様子見だったローマ帝国も、次第にキリスト教と対峙せざるを得ない状況になり、やがて激しいキリスト教迫害が始まる。

しかしこうした状況にも拘らず、キリスト教が4世紀にはローマ帝国の国教となる背景には、ローマ帝国の混乱期と人心不安や社会不安、それに伴い上層市民の動揺が発生したのに対し、下層市民達には「人間は生まれながらにして身分の差は無い」とするキリスト教の教義に拠る思想的安定と「未来の不可侵性」、「希望」が生まれたからで有り、これによって下層市民は力や信念を得る事になる。

それとこれは重要な側面だが、冒頭にも述べたように初期キリスト教はヘレニズム哲学影響を拡大したものと言う点である。

つまりローマ帝国も同じものを半分は持っていて、比較的システムとしてのなじみが有った事、世界的普遍性が半分は一致していた事からキリスト教、ローマ帝国相互が理解し易い状況が揃っていた為であり、もう一つの発展理由はキリスト教が国際言語としてギリシャ語を採用していた事が挙げられるだろう。

ただ、初期にその思想を説いたキリストは、当時の社会の有り様からヘレニズム哲学や初期ローマ帝国のシステムを肌で感じ、その中から自身の思想を発展させて行った無意識、無計画性を持つが、その後継である使徒達は必ずしも同じではない。

キリスト教初期には12人の使徒が存在し、この中でキリストを裏切ったのは「イスカリオテ・ユダ」だが、彼の裏切りは一過性のもので、或いは必要とされる運命的な裏切りで有った可能性も持つが、最後の晩餐の後、キリストの死後伝道の主役となったパウロの現実的な発言はある種それから後、先の未来を崩壊させる可能性を持っていたかも知れない。

イエス・キリストの死後パウロはこう言う事を言っている。
全ての者は上に立つ権威に従うべきである。何故なら神によらぬ権威はなくして・・・」

この言葉は不確定性原理とラプラス運命論が結果として同時である事と同じで、卵が先かニワトリが先かと言う議論に等しく、ここでは神によってしか成立しない権威で有るなら、既存する権威は神によって肯定されている事になり、またもし神がその権威を許さないなら既存権威は存在していない事になる。

この意味ではパウロはキリストが拡大しようとしたヘレニズム哲学を、逆に権威を肯定する事でそれまでのローマ帝国的哲学に戻してしまった事になり、キリストの無意識性、無計画性を「純」「真実」とするなら、パウロのそれはイエス・キリストの思想の全く反対の性質、反対の思想と言う事が出来る。

事実最終的にはキリスト教がローマ国教となり、この権威主義が現在も続いている事を鑑みるなら、キリストが今日のローマカトリックと言う在り様を望んだとは思えず、パウロは実務と現実に捉われ、キリスト教を妥協した経緯が有り、少なくとも4世紀にローマ国教となった諸因の根源は、キリストによって整理された自然法に、彼の死後、理論的解釈や整合性を持たせようとした弟子達が、結果として自然法を「神」の概念から自然摂理の概念に逆戻りさせた点にある。

しかし一方キリスト教がその初期イエスが最も嫌った権威主義に陥って行く背景には、「安定」と言う原理が働いている事も忘れてはならず、固定的な教会の組織や制度が出来始め、使徒が亡くなっていく中でこれら組織を束ねる事務長としての監督者、司祭と言う形式が発生して行く事から、ここにもやはり権威と言うものが必要になっていくが、これらは全て「守る」と言う思想が背景に有るからだ。

イエス・キリストは守っていたのではなく、壊していた。
既存の仕組みを壊して、古い考え方の基本的な部分の範囲を広げようとしていたに違いない。
今日キリスト教は世界で最大の信者を持つ宗教に発展したが、これはおそらく彼が望んだものとは違うだろう。

彼が求めたものは「個」の解放、「絶望」からの解放であり、「守り」ではなかったと私は解釈している。

創造した者とそれを受け継いで行く者は、同じ命題を初めから相反する関係に有り、創造は破壊、受け継いだ者はそれを維持する為に創造されたものをその創造の以前に戻してしまう作用を持ち、これは経済や政治の仕組みもまた同じ事が言える。










「平和憲法」

日本国憲法の規定を詳しく見てみると、刑事手続きの基本原理である33条から39条に見る限り、比較的詳細に定められているが、それ以外の規定は随分と抽象的かつ、憲法制定時の概念とは異なる解釈が増加している。

刑事手続きに関して比較的詳細に条文が整理された背景には、太平洋戦後のアメリカの統治システム徹底ゆえの必要が存在した事が伺えるが、例えば6章81条の最高裁判所の違憲審査権などは、極めてアメリカらしい「法支配主義」となっているが、罰則手続きが規定されていない事から、事実上違憲判断は為されても、それを改正する義務は曖昧になり、結果として日本国最高憲法で有るにも拘らず違憲状態の容認が存在する。

国家の憲法などの場合は大体が大まかな指針しか記載されていない事が多く、それゆえに「附属法」が整備されていなければならないが、この附属法の規定は不文律、成文法の種を問わない。
つまりは慣習であっても良く、最終的に成文化されていなくても国民皆が認識し、守られる事でも成立する。

しかし一方で前出のように国家の法的最高機関が違憲状態の判断をしても、「速やかに違憲状態を解消しなければならない」だけでは「村の掟」よりも劣性となる現実が有り、10章98条1項の規定に至っては、明確にアメリカ合衆国憲法の条文を持って来ただけである。

すなわちアメリカは合衆国である為に、州法と連邦法の二重法制になる事から、法権威の最終的上下関係を規定しなければならなかった背景が有り、ここで連邦法が州法より優位に有る事を規定したもので、日本のように各都道府県が独立していない非連邦国家には元々無意味なものだった。

98条の2項は確かに国際法との関連を示したものだが、98条1項は外の法、外国との条約や批准された国際法との関係性をを規定したものではない。
既に日本国憲法が日本の最高法規である事は98条1項の以前に出現していて、1項は無意味になっている。

また日本国憲法の条文は、例えるなら「悪い事をしてはいけません」と書かれているだけであり、では何が悪い事なのかと言う事を定めているのが「附属法」であり、実はこうした附属法は1993年以降相次ぎ大幅な見直しが為されていて、国家行政組織法、選挙法、内閣法などが既に改正されているが、これ以外にも多くの附属法が改正されたり付加されたりして、事実上日本国憲法の改革は相当進んでいるのである。

更に国民主権だが、この思想はフランス革命前後から発生してきた考え方で、ここで出てくる国民とは社会に実在している個人の集積や集合体ではなく、独立した意思や思想、人格を定義された抽象性概念である事から、現実社会で主権的権利を行使できる存在とはなっていなかった。

それゆえ国民の負託を受けた代表者、代理人が統治権の正統な行使人となる絶対性を有していたが、現代社会はこの概念も変遷させ、国民主権の国民を抽象的概念から、実在する個人の集積や集合と定義するようになり、これによって本来まとまっていた国民の主権、権利が分散し、尚、細かくなった主権が個人の事情によってぶつかる状態となっている。

主権の分散はあらゆる側面に措いて機動力と、明確な決断を避ける方向へと向かい、これによって影響された国民の代表者や代理人の権限も弱体化してくるのであり、主権分散は国民の負託を得て信任されている代理人以外の、これに反する主張をする者も認める事となる為、現代社会の国民と言う定義は、事実上割れたガラスのそれぞれの破片のような形になり、一体何が正当性を持つのかが不明瞭になっている。

更に日本国憲法9条に象徴される平和主義、非戦争国家主義に関して、これは98条2項の解釈にも関連するが、そもそも国家の憲法はその1国では成立しない。
これを承認し、互いの憲法を尊重し合う国家間の条約が無ければ成立しない。

「私は正しいので従え」と騒いでも、これが拒否されれば何の効力も無い事に同じであり、現行世界各国の憲法の成立は、互いにその憲法を尊重し合う事により、形而上の対等性を持った法の不文律不可侵条約に根拠が求められている。

従って、日本国憲法がいかに素晴らしいもので有ろうと、この憲法が他国憲法に対して優性である事を主張する、或いは世界的な目標法となるを主張する事は、他国の憲法、その法典との対等性に対する不均衡を主張する行為となり、事に日本国憲法9条の条文は美しいが、日本はこうした憲法に定められた国家とはなっていない。

戦争が完全に放棄された状態とは言い難く、集団的自衛権行使に関しては附属法で改変が加えられ、湾岸戦争、イラク戦争でもその都度どうにでもなってきた経緯があり、これから先もどうにでもなる憲法でもある。

条文が美しくとも、現実にそれが守られなければただの嘘つきであり、こうした国内事情は外の世界、世界に向けて発信された時点から「日本の恥」にしかならない。

憲法9条をノーベル平和賞に推薦する動きが有る様だが、現実の世界を、例えば日本も参戦した湾岸戦争やイラク戦争後、イラクは今どうなっているかを見るが良い、アフガニスタンの人々の生活を見るが良い。

言葉だけ美しくとも、現実が相反する憲法が為せる事はこのような惨事を招く事を、国民として国民の代表者が犯す憲法違反すらコントロールできなかった事を、その為政者も平和賞を唱える本人も、対外的には同じ「日本」としかならない事を認識した方が良いだろう・・・。









「十字軍の轍を踏む」



加古隆/黄昏のワルツ : Takashi Kako - Twilight Waltz - Piano (Cover)

イスラムの教義はその初期とても寛容なものだった。
ユダヤ教が他の一切を認めなかったのに対し、一定の税の支払いや条件を満たせば他宗教も容認するほどの広さを持っていた。

また今世紀には突出した感の有る女性の身分の低さも、現実には略奪だったが建前として夫を失った未亡人の保護、女性は擁護すべきものとする考え方が基本だった。

この意味ではイスラムの女性に対する考え方は、欧米諸国の「レディーファースト」とそう大きく概念が異なるものではなかったが、これらの寛大な精神を狭めたものは「村」や「部族」と言う準血縁関係「一族」と言う組織であり、ここで宗教と村や部族の慣習やその都合などが融合して行った事から、次第にイスラムの教義は「狭義」に陥って行った側面が有る。

この事を理解する時、例えば日本に措ける仏教でも、その初期は仏陀と言う一つの信奉対象だったものが、現代ではその途中でこれらの解釈を巡って大きく違わない部分で、色んな仏教系宗教に分離して行った経緯を考えると理解し易いかも知れない。

「空海」も「日蓮」も「蓮如」も「親鸞」もそれぞれが仏教の解釈者にしか過ぎないが、それらが互いに宗派を形成し、影響し合いながらも決して交わる事の無い宗教的独立を保っている事と、イスラムが持つ部族相互の宗教的形態は非常に良く似た部分があり、ここでは部族が特色を出そうとすれば大まかな教義に対してより細かな肉付けが為され、それに対抗して別の部族が更に別の肉付けを定着させる事から、教義はどんどん細かく厳しくなっていく。

その為終わってみれば、今世紀のイスラム教のような大変厳しい教義の有り様となるが、例えば一番初期の12世紀の十字軍の遠征時には、ローマ教皇によって集められたフランス騎士団による遠征で狼藉を働いたのはイスラム諸国ではなく、十字軍の方だった。

略奪、婦女子への暴行、虐殺をもたらしたものはローマ教皇軍だった訳で、文明や思想的にも12世紀のヨーロッパはイスラム文化より遥かに遅れた状態にあった為、こうした勢力に対する対抗の面からも、イスラムではそれまでより強硬な姿勢や教義が求められた経緯が有る。

実際イスラムに対する十字軍の遠征は市民組織編制のものを含めると9回に及ぶが、その大部分はイスラムに対する敗北、良くて引き分けと言う有様で、この遠征がもたらしたものはヨーロッパのイスラムカルチャーショックと、侵略によって強硬化せざるを得なかったイスラム諸国や同部族間の混乱だった。

この点で言えばアメリカ主導の湾岸戦争やイラク侵攻などは、その後のイラクやシリアの国内情勢不安を招き、イスラム国等の台頭を許した事を鑑みるに、まさに21世紀の十字軍だったと言え、特にイスラム国の出現は今後100年単位の抗争になり兼ねない事を、アメリカやヨーロッパ、それに付随する日本などの諸国家は覚悟する必要が有る。

アメリカとソビエトと言う同じ宗教文化圏での対立、あの東西冷戦でも第二次世界大戦前後から40年以上も続き、その間東西融合など有り得ないと思っていた事を省みるなら、イスラムと欧米文化圏との対立、また中国共産党とイスラムの対立が100年で終結するなど楽観的に過ぎるかも知れない。

加えてヨーロッパで始まっている劣化であり、中国共産党の存亡、中国、韓国、日本やロシアなどで始まっている少子高齢化社会である。

ヨーロッパの共同体経済は必ず破綻する。
僅かな富める国家が多くの破綻寸前の国家を助けて余り有る経済を続ける事は現状を鑑みるに不可能であり、中国共産党は時間経過と共に国内不満分子を抑圧できなくなり、ここでイスラム系の国民を弾圧していく政策は、やがて国内不満分子とイスラムの非共和分立攻撃を受ける事になる。

つまり互いに決して融合はしないが、それぞれが独立した共産党崩壊工作に出て、これにイスラム諸国からの非合法援助が出てくる事になり、中国の国力は大きく削がれた上にヨーロッパの経済破綻、更には口は出すが何も出来ない日本や韓国と、かろうじてイスラム諸国とは対立を避けているロシアが集まっても、イスラム国の殲滅は不可能なのである。

だが一方イスラム国を許せば、あらゆる意味でこれまで築いてきた欧米文化、世界秩序の方が崩壊する。
ここに対立を辞めることは出来なくなり、ヨーロッパやアメリカが攻撃すればする程イスラム諸国は混乱し貧困化する為、強硬なイスラム原理主義が蔓延る事になる。

出口の見えない長い戦争が始まったのである。
そしてこの戦争は武力では決して勝つことが出来ない。

私が100年かかるとした意味は、一人の少女に対する希望を拠りどころとしている。

「Malala Yosafzai」(マララ・ユサフザイ)は17歳と言う若さで2014年、ノーベル平和賞を受賞したが、彼女は今たった一人でアメリカ海兵隊やナトー軍が及びもしない闘いをしている。


彼女はイスラムと闘っているのではなく、自身もイスラムで有る事を誇りにし、そしてその教義を本来イスラムが持つ寛容な有り様に戻そうとしているのである。

およそ力で物事を解決しようとした十字軍が、エルサレムを何とか奪回できた期間は全期間を通しても100年ほどである。
最後はイスラムによって13世紀に蹴散らされている。

この事に鑑みるなら、自らの主張によって襲撃を受け、生死を彷徨う裂傷を負いながらも口を閉ざさなかった彼女こそが、イスラムを根底から変える契機、その希望を世の中に与えてくれたのであり、自身の主張によって現存するイスラム勢力からいつか殺される、ノーベル平和賞の受賞はその標的になる事を理解した上で受賞した彼女の意思こそが、やがてイスラムの女性達を動かし、しいてはイスラム教義そのものを動かす原動力になるかも知れない。

そしてイスラムが変わる為には50年や100年の歳月は必要になる。
現存イスラム強硬派が最も恐れるものは武力ではない。
その教義の正当性に拘る部分を太陽の下に晒される事を最も恐れるはずである。
だからいつか「マララ・ユサフザイ」さんは殺されるかも知れない。

パキスタンの少女はその事を知りながら、或いは自身が殺されたら新たな歪曲された預言者にさせられるかも知れない、でもいつかの未来に女性達が自由を獲得するかも知れない可能性を信じたのであり、この戦いは空爆などと言う古典的な闘いとは次元も規模も異なる壮絶な戦いで有る。

私がイスラム国との戦争は100年かかるとしたその100年後は、アメリカやヨーロッパ、国連によってもたらされるのではない。
「マララ・ユサフザイ」と言う一人の少女が存在するからこそ、100年後が信じられると書いているのである。





「四輪ドリフト」



Queen - Don't Stop Me Now (Official Video)・・・・・

農作業の合間、煙草が無くなったので、ほんの数キロ離れた自動販売機まで、制限速度ギリギリのスピードで軽トラを走らせていたが、ふとバックミラーを見たらこの軽トラにギリギリまで車幅を詰めて来る白のトヨタ・プリウスが有り、ミラー越しに運転している者を見たら、70前後の如何にも無神経そうな団塊世界の男性だった。

通常こうした場合、大概私は道を譲るが、この日は少しだけ悪戯心が出てしまった。
私の乗っている軽トラは、一見営農サンバーと言う田舎丸出しの軽トラだが、実はスーパーチャージャー搭載の優れもので、通常よりは少し幅の広いタイヤを履いている。

ついでにこの急コーナーが連続する田舎の道路では、例えフェラーリに乗っていても、それ相応のテクニックが無ければ私には勝てないかも知れない。

おそらく軽トラの田舎のオヤジだろうと思ってギリギリまで詰めているのだろうが、そこで5速から4速にギヤダウンして、ブレーキランプを点灯させずに急激に速度を落とすと、プリウスは慌てたように急ブレーキを踏んだ様子、それを確認しながら今度はアクセルを踏み、時速80kmまで一挙にコーナーで加速でする。

更に5速にギヤを入れると、次のヘヤピンカーブではまたギヤダウンして、長靴を履いた右足を内股にしてアクセルとブレーキを同時に踏める状態にしてから、クラッチをコントロールしながら後輪を滑らせ、時速110kmですり抜けると、既に後方のプリウスは見えなくなっていた。

年寄り相手に大人気なかったかな・・・・。
私はそこから更に加速して当初予定よりはかなり早く自動販売機の前に到着してしまった。
そしてそこで煙草を買っていると、さっきのプリウスが横を通って行ったが、運転手の高齢男性はよほど悔しかったのかもしれない、私を睨みつけるようにして加速して行った。

「オッサン、警察に捕まるなよ・・・」
遅い車の後ろを走っている時、その車の後ろにどれだけ距離を詰めようが、基本的には何等解決にはならない。
むしろくっ付いていると頻繁にブレーキを踏む事になり、ブレーキパットの消耗が激しい。

ブレーキパットは通常12000円から20000円前後だから、これの前輪を交換しただけでも40000円かかり、大切に使えば5年以上使えるが、頻繁に踏んでいると1年でもブレーキの性能は落ちる。
フロントガラスいっぱいが顔で占拠されるようなオバサンならともかく、結構な年齢の男性が前の車にギリギリまでくっ付いて運転しているのでは如何にも幼く、未熟と言うものだ。

だが全国的な統計でもトヨタ・プリウスに乗っている人の運転マナーは宜しくないとの結果が出ていて、ついでに20代から50代までの運転者より、この近年は65歳以上の高齢者の運転マナーの悪さが急増していると言う調査結果も出ている。

勿論プリウスに関しては販売台数の多さに比例したものと、車の性能が良い事から無謀無神経運転になる要因も考えられるが、同じように全体的な車の運転者に占める高齢者の激増から、相対的に高齢者の運転マナーの確率悪が目立つのかも知れないが、それ以上に私が感じるのは、65歳以上の人の忍耐力が低下している傾向である。

カラオケやコンビニ、スーパーなどの従業員に対するアンケートでも、そこでトラブルになったりレジ清算待ち列の割り込み、怒鳴るなどの行為が殆ど高齢者によって引き起こされていると言われている。

少なくとも私が子供の頃の高齢者と言えば、慌てず落ち着いていて人望の有る人が多かったが、2010年を超えた頃から若年世代よりも問題を起こす傾向に有り、このどこかで忍耐や我慢する事、他人に対する配慮を欠く行為の要因は「高齢者の解放」に有るような気がする。

すなわち3世代くらいが同じ家で暮すと言う形態が減少し、核家族傾向と年金制度から相対的に高齢者へと経済的力関係が傾き、真に「家制度」から解放された状態の高齢者が、自身の抑制を出来なくなっている形が見えてくる。

それゆえ、全ての高齢者がそうだとは言わないが、こうして解放され自由になった高齢世代は僅かなストレスに対しても耐性を失い、自制が利かなくなっている傾向に有るのかも知れない。

自分が車で後ろから煽られたら不快になるだろうが、これを他人に対しては考えない。

もともとこうした運転はチンピラか田舎のヤンキー、暴走族の所業で、人生の経験を積んだ者がやる事ではなく、冒頭の話ではないが、もしトラブルになって喧嘩してもおそらく高齢者の男性は私には勝てまい、何より強い者ほど力には謙虚ではなければならない、私より遥かに先に生まれていながら、どうしてそんな事も解らないのか、それが私にとっては不思議である。

自身の自由や権利は主張し、他人のそれは蔑ろにする形は今の日本の政治の在り様、経済の在り様に全く同じである。
少子化と「高齢社会」はマクロ的にもミクロ的にも、現在もこれからから先も、やはりこの国の「最重点問題」で有り続けるだろう。

プリウスはマツダのデミオに比べれば面白味に欠けるが、それでも高性能な車である。
運転者のマナーの悪さによってこの車を嫌いだと思う人が増えないよう、マナー向上に努めて欲しいものだ。
せっかくの良い車が運転者によって、私から少しだけ嫌われたかも知れない、その事が残念な気がする。

ちなみに軽トラでの四輪ドリフトは結構難しい。
前輪と後輪の距離が近く、車輪幅も短い上に後ろが極端に軽い事からスピンし易く、転がり易い。
良い子は真似をしてはいけない・・・(笑)




「山際のあぜ道」



【PV】 フェイ・ウォン Eyes On MeFF8ver・・・・・・

強い西日を浴びていると暖かいが、それも夕方近くになると翳り(かげり)が大きくなり、幾ばくかの肌寒さはまた僅かな寂しさを呼び、遠い子供の頃の光景が脳裏をよぎる。

父も母も元気で、私達兄弟もこの田で刈られた稲を運んでいた、そんな無条件の幸福の中に存在していた時を思う。
が、それが本当に存在した光景かどうか、本当の記憶だったかどうかを確かめる術はなく、もしかしたらその光景は私の思いの中だけの光景だったかも知れない・・・。

この一番山の近くに有る田んぼの稲刈りは、昔から最後に刈り取るのが慣わしだったが、それには理由が有って、山陰で午後にしか陽が当たらず生育が遅くなり、朝露が落ちるのが遅い事も有って、刈り取りが一番最後になった上に午後にならないと稲刈りが出来ないからだった。

ついでに山に近いことから水が引かず、昔から田んぼの中に更に小さな畦を付けて排水をしていたが、近くに木を切り出す林道を付けた頃から更に水の湧く面積は増え、200坪ほどの半分が機械で刈り取る事が出来ず、鎌で手刈りしなければならなくなっていた。

毎朝4時30分に起きて洗濯物をしてから家族の食事を用意し、6時からこうした田んぼの手で刈らねばならぬ部分を10時頃までに刈り取って、それから朝露が落ちるとコンバインで稲刈りをして、夕方それを乾燥施設へ運ぶ・・・。

田んぼは全部で36枚有り、いつも夜9時前には寝ていても最後の方になると疲れから目が開かない状態になる。

そして最後のこの水の湧いてくる田んぼまで来ると、来年こそはこの田んぼを作るのは辞めようと思うが、どう言う訳か春になると苗を植えてしまう・・・。
この田んぼさへ無ければ随分と楽なのに、苦労する事が身に沁みて解っているのに苗を植えてしまう。

ここ2年ほどだろうか、田んぼの山際の隅に稲が下から15cmほど残った状態で、そこから上が食いちぎられている部分が出てくるようになった。
犯人はウサギで、以前はこうした事はなかったが、水が湧く量が増える事もまた然り、人間の勢いが衰えるとその分自然が力を増し、それは漢字の「侵食」「食」そのものと言う事が出来る。

泥だらけになりながら手で刈り取って集めてある稲をコンバインに通しながら、急激に太陽が傾き翳りが増えた田んぼの一番奥を見てみると、そこが人間と山や獣達の境界になっている事が漠然と、しかし切実に解るような気がする。

私はきっと来年もこの一番山奥の小さな田んぼに苗を植えるだろう。
もしこの田んぼに苗を植えなければ、次は隣の田んぼが獣達との境界になってしまう。
山菜取りに来る人も少なくなったが、山が持つそこはかと無い恐ろしさや淋しさ、そんな部分が増えてくるだろう。

繁栄と必衰は世の常ゆえ、いつか私が死ねばこの山奥の田んぼは作られなくなり、自然の勢いが凌駕する事になるだろうが、もしかしたら、この田んぼが作られていると言う事が、私が生きていると言うことなのかも知れない。

こうした境界と言うものは、その先端は小さいものが多い事から、合理的に考えるとどうでも良い事になるが、領土と言うもの然り、人も心もまた然り、小さなものを蔑ろにして行くとその結果大きなものが変質を受け、やがては最も大きな力、生きようとする意思、明日はこうしてやろうと言う希望を失う事になる。

私は今年も「恐れ」に対して一本のあぜ道、「境界」を引く事が出来た。
ウサギや鳥達と熾烈で有りながら穏やかな闘いが出来た。

でも来年は稲をかじらせないぞ・・・。
ウサギが稲をかじるのが仕事なら、私はそれをかじらせない事が仕事だからな・・・・




「中心気圧900hp」

台風が日本に上陸後、中心気圧の勢力が下降し、やがて温帯低気圧になると考えている人が多いかも知れないが、台風(熱帯低気圧)と温帯低気圧の差はエネルギー発生の質が異なったと言うだけであり、現実のエネルギーは低下するとは限らない。

台風を構成する気圧エネルギーは全て暖かい空気によって構成されるが、これが日本に近付くと寒気にぶつかり、やがてエネルギー発生の主要因が寒気と暖気がぶつかって発生する温帯性の低気圧に変化したと言う事であり、ここでは空気の温度差によっては一度衰えた低気圧の勢力は増大する場合が出てくる。

1979年10月19日、和歌山県白浜市に上陸した台風20号(197920)は上陸直後の中心気圧が965hp、これが北海道を抜けてアリューシャン列島付近に達した時には温帯低気圧に変わりながら、中心気圧が950hpにまで発達した。
また中心気圧が960hpのまま、温帯低気圧に質的変化した台風も有る。

ちなみに1979年の台風20号は観測史上記録された、世界で最も低い中心気圧に発達した台風で870hp、中心付近の瞬間最大風速は秒速90mを超える巨大な勢力だった。

ちなみにこうした中心気圧が900hpから870hpに発達した強力な台風の発生確率は「自然偏向性平均値」である。

つまり適度に斑(むら)のあるランダムなのであり、この点で言えば1980年代、地球温暖化によって激化した気象によって台風の勢力も大きなものが発生し易いと予測した気象学者や、私自身もそう思っていたが、こうした世界的な予測は必ずしも的を得たものだったとは言い難い。

地球温暖化の影響は、台風などの特に激しい気象条件よりも、むしろ常性の気象である一般的な低気圧を激化させ、その意味では激しい気象条件も通常の気象も平均に激化する、或いは激しい気象条件にエネルギーが集まると考えた方向の反対、通常の気象条件の範囲を激化させるのが地球温暖化効果だったと言うべきかも知れない。

また台風は回転運動である為自力推進方向を持たない。
自分で動く力を持っていない事から、地球の自転と大気の気流を推進方向とし、その発生要因は風の波と寒気であるとされている。
縦と横や上と下などの何らかの落差が有って初期の回転運動が始まるものと考えられていて、温暖な空気のみのエネルギーであるにも拘らず、その発生要因は対比する冷たい空気なのである。

10月に中心気圧が900hpから900hpを下回る強大な勢力の台風が日本に接近する場合、奄美大島付近で930hp、九州地方に上陸した時点で940から950hp、その後上空の気流によって速度を上げる事から、京都、大阪の緯度では960hp付近の勢力を保つ事になる。

この時点でも周囲の気圧差から秒速40mから50mの瞬間最大風速となり、これが温帯低気圧に変化した場合は、風の勢力や雨の範囲は同心円から離れた不規則分布勢力となる為、台風の中心付近から離れた、南から風が引き寄せられる地域で竜巻が発生し易い。

事実過去の台風被害でも台風の中心付近が通った地域で、屋根が数メートルの円形状にむしられた形跡が見られた事が有り、この事から地勢的な条件から台風内部には中規模の竜巻や、小規模の竜巻が混在している概念が必要なのかも知れない。

秒速90m以上の風速は事実上巨大ハリケーンが通過するのと同じ事であり、この状態で台風が日本に上陸した場合、全ての木造家屋は吹き飛ばされて跡形も残らず、車や家畜、人も吹き飛ばされるが、こうした勢力で台風が日本に上陸する確率は低く、日本の真ん中付近で中心気圧は965hpから975hpにまで勢力を落とす事になる。

その後冷たい空気の影響を受け、台風の気圧エネルギーの質は「位置エネルギー」である温帯低気圧と変化していくが、この状態が台風にとっての「混沌」のピークである。
地上では台風の分散したエネルギーと、位置エネルギーの急激な発達によって発生する気象条件の複合的な影響が出てくる事になる。

中心気圧が960hpの時点で温帯低気圧に変化した場合、台風被害の予想は中心付近から離反し、通常は台風の進路方向の左側が「航行可能半径」と言って、比較的風の弱い状態となるが、これが温帯低気圧になると、中心付近から離れた台風の進路方向の左側でも竜巻などが発生する事になる。

秒速40mから50mの風の勢力が統制を失いちぎれて分散し、予想外の地域で被害が発生してくる、また前線が発達して遠く離れた地域で深刻な洪水被害が発生する場倍も多い。

今日本に刻一刻と近付きつつある台風「19号」、この中心付近の気圧は900hpであり、統計的にも最大級の勢力を持った台風である。
奄美地方では秒速70m前後の風が吹く恐れが有り、沖縄、鹿児島地方でも秒速60m前後、九州北部、四国、中国地方では秒速50m、中部、関東地方、東北でも秒速40mから50mの風が吹く恐れが有る。

身の危険を感じる場合、少し高台に有る鉄筋コンクリートの建物に避難し、窓から離れたところで台風の通過を待つ必要が有り、今の段階で我々ができる事は日本に上陸しないよう神に祈るだけだ・・・。

最後に台風は周囲の空気を巻き込んで行く事から、その進路の左に位置する場合は少し気温が下がり、右側が温度上昇になるになるが、何故か現実には古来から言われているように、台風の左右に関係なく台風の後の進路になる地域は気温が上昇し、航行可能半径である左側に入る地域は早い段階から少し温度が下がる傾向に有る。

必ずしも全てがそうなるとは言えないが、台風の進路方向に出る前兆現象と大きな地震発生の前兆現象は同じ場合が多い。
気温が上昇する、夕焼けの空気がピンクや紫の色が付いたように見えたりと言う事が有った場合、今はまだ台風が遠く離れていても充分な警戒と避難準備をして置いた方が良いかも知れない。



「私は旅をしている」



Melodies of Life (japanese)・・・・

人は厳密な現在(いま)を生きられない。

必ず少し先の未来を思いながら現在が量られ、ではその未来は何から来ているかと言えば現在の状況から来ていて、未来の予想とは過去の経験や知識から来ている。

つまり我々は今を生きながら常に過去や未来を行き来し、未来とは状況に対する推測と自身の希望で成り立っているものであり、基本的には「虚」に在って、我々は「虚」を根拠に今を生きている事になるゆえ、先の状況や未来は常に思う通りにはならない。

例え一時的に思う通りになったとしても、それは長くは続かない。

コシヒカリ一等米の基準価格が60kgあたり昨年より2000円下落し、水稲栽培農家がパニック状態だが、これは昨年から予想されていた事であり、投入資材を控えた栽培をしていた私は、来年更に2000円下がって来ることに対応するべく考えながら今年の農作業をしていた。

だが不思議なのは、こうした価格下落で有れば当然店頭販売価格も下落しても良さそうだが、その下落幅が少なく、品質も決して良くないままである事の方が理解できない。

コシヒカリ一等米60kgの玄米が10000円だから、単純計算では6kgの玄米が1000円であり、ここから精米して失われる「ぬか」の分を引いても、5kg精米済みコシヒカリ一等米の原価は1000円となり、10kgでは2000円のはずだが、それにしては店頭販売価格が3500円くらいになっていて、製造原価の75%が上乗せになっている現実をどう捉えたら良いのか・・・。

またそうして大して安くもない米で、農家自慢のコシヒカリと表示しながら、その半分は「白留米」(はくりゅうまい)と言って、本来は数粒混入していても2等米以下に等級が下がる「くず米」が混ぜられているものが多い現実をどう考えて良いのかと思う。

正規一等米の米価格が10000円なら、くず米の価格は4000円前後であり、この場合は5kg1000円の米に5kg400円の米が混入されている事になり、その原価は1400円にしかならず、これを倍の価格で売っても2800円のはずだが、実に消費者は製造原価の3倍の価格の米を買っている事になる。

これでは農家が苦労した部分を販売組織が搾取しているだけのようなものであり、更に日本の食料自給率が40%を切っている現実の中でも、米は自給率を超えて生産されている訳だから、米農家を守る事が日本の食料自給率を高めるとは言い難い現実がある。

例えば酪農家だが、昨年度だけでもTPP交渉の予測から大幅な離農が進み、脱脂粉乳や肉の輸入額は大幅に増大している。
日本の食料自給率を高めるならこうした部分にテコ入れをしないと改善されず、小麦やトウモロコシ、ネギやキャベツなどの野菜なども増産しなければ食料自給率など決して改善されない。

日本人だから米を食べなければならないと言う決まりが有る訳ではなく、たまたま日本は島国だったから歴史上米を統制して経済を成立させる事が出来たが、それも今日のような国際社会では、むしろ伝統や歴史に拘っている方が時代に逆行している感が有り、食料の自給率を考える時、米だけを考えるのは本題が見えていない気がする。

4000年前の日本人の食生活は木の実や貝類の摂取量も多かった。
米が経済的に統制されていた封建時代、粟やヒエなども食されていた。
日本人だからいつの時代も誰もが米を食べられたと言う訳ではなく、その意味では人々は常に合理的に食べてきた訳であり、現在小麦の価格は米の国際価格の7分の1、トウモロコシに至っては更に安く、これを食べすに伝統を守れと言うのもおかしな話である。

日本の食料自給率を守れ、このままでは農家が壊滅すると騒ぎながら、その実店頭で米を買うとき誰がわざわざ高い米を買うだろうか。
マクロ経済とミクロ経済はその大半が相反するものであり、ブランドで付加価値を付けて販売するするにしても、その高い米を買える富裕層は僅かであり、しかもその消費量は少ない。

片方で一番米を消費する年代層である、子供を抱えた夫婦などが求める米はとにかく安い事が最優先である。
この事を忘れて全ての生産者や販売組織がブランド米を目指すことは初めから「レッドオーシャン」(過剰競争)だった。

魚沼産コシヒカリが暴落するのは当然であり、これに追随した者は同じ憂き目にあうことは必至にも拘らず、未だに地域特産ブランド米を目指す地域は多い。
TPP以前の問題だと思う。

一番育ち盛りの子供たちに、腹一杯美味しい米を食べさせたいと思う農家も沢山日本には存在する。
彼らが作った米をクズ米と混ぜて売って利益を出すような仕組みから変わらないと、農家の努力が直接消費者には届かない。

刈り取った籾を共同乾燥する施設へ運んでいたら、65歳くらいだろうか、年配の男性がやはり乾燥するために軽四トラックで籾を運んでいて、それが乾燥機にあけられるのを見ていたら、中に幾粒もの泥が付いた籾が混じっていた。

きっと水が引かずにぬかるんだままの田んぼでの稲刈りだったのだろう。
おそらくその大半が鎌で手刈りされたものだったに違いない。
「とうちゃん、良い米やね・・・」
そう言う私に「ああ、大変やった」と頭をかきながら笑う彼を見ていたら、自分まで嬉しくなった。

水の引かない田んぼは綺麗な米が穫れる。
ただ儲かれば良い、経営的に成立するだけを目指す者はこうした田に苗を植えない。
だが、農業の本質とは、おそらくこうして水の引かない田にも苗を植えるところに存在してるように思えてならない・・・。

そして人間は生きていることを一義とし、その為なら安いものを選ぶことも決して悪い事ではない。
今日も明日も同じ事を望む者は動いている者から支配を受ける。
時代と共に変化していく事は良い事で、そこに留まっていようとする、守ろうとする者は必ずそれを失う。

政治と民衆の暮らしが一致した事など歴史上ただの一度もなく、人の思いは成し遂げられる事もない。
皆その時代を状況に応じて必至に生きて来たのであり、それを止めて考える事は結局現在も未来も失い、過去も否定するだけである。

私は来年コシヒカリ一等米60kgが8000円になっても、利益を出しながら美味しい米を必ず作る。
くだんの軽四の男性にもう一度会えるかも知れない、その事のみにても来年、田に苗を植える価値は有り余る。







「片務最恵国待遇」



dj TAKA - ΕΛΠΙΣ (Full ver.)・・・・・・

「Most favored nation treatment」、通称「MFN」、日本語で言うなら「最恵国待遇」と言う国家間の、主に関税に関する制度が存在するが、この制度の初源は「誠意」のやり取りに関する慣習である。

2国間、或いは複数の友好国の間で貿易取り引きに関する公平性と市場開放を共通のテーブルで担保しようとするもので、元々は友好国同士の協定、何か大きな条約締結時の付帯条項だったものが、第二次世界大戦後に発足した「World Trade Organization)(WTO・世界貿易機関)と「General Agreement on Tariffs and Trade」(GATT・関税と貿易に関する一般協定)により国際取り引き条項にまで発展した制度である。

従って最恵国待遇は、基本的には共通の関税制度と政治体制を必要とし、開放市場と統制市場では成立しない条項であり、WTOでもGATTでもその本質は国家間の貿易差別を取り払おうとするもので、ここではどうしても優遇されがちな自国商取引と海外の商取引の公平性を目的とし、2国間で協定された優遇措置は第三国にも適応が義務付けられる。

WTOやGATTは国内税制の適応に関しての対応までに言及していないが、例えば最恵国待遇協定国家間で、消費税の導入が存在する国家と消費税が存在していない国家間の均衡を制度上の義務とはしておらず、少なくとも日本が関係する国家で消費税が導入されていない国家は極めて少ない事から、海外の旅行者が日本で日本国内税制に従って消費税を払う事は国際協定に違反していない。

しかし日本政府はこの程、衣料品や家電製品に限っていた海外旅行者の消費税免税商品を、食料品や化粧品などあらゆる製品に関して拡大する措置を発表したが、この政策では同じ日本国内で買い物をしながら、日本人は消費税を払い、海外渡航者は消費税を払わずに済むと言う逆ダンピングが発生する事になる。

つまり日本国民は日本政府によって海外渡航者に比べ明確な劣性差別を受けている事になり、本来なら日本国民代表がWTOに提訴する案件に相当する。

最恵国待遇には片務最恵国待遇と言うものも過去には存在したが、自国国民が消費税を支払って国内製品を買い、海外渡航者が消費税を免除される条項の本質は占領政策下の国家、或いは既に失われて久しい言葉では有るが「植民地」で行われる税制措置である。

この制度を何も考えず施行する政府は、自らを世界中の国家に対して占領下と認めたようなものである。
日本で海外渡航者の消費税が免除されるなら、日本人も世界各国で消費税の免責を受ける義務が発生するが、国家の税制はその国家の定めであり、WTOもGATTもこうした点にまで干渉できない。

従って日本政府が施行する海外渡航者の消費税の免責は、日本政府の自主的被差別税制となるのであり、海外渡航者が受ける恩易を被差別によって日本国民が負担し、その売り上げの向上が大企業の収益になる仕組みは、円安によって生活物資が値上がりし、消費税の増税、電気料金や保険料の値上げに直面する国内消費を必ず下落させる。

必ず諸費税増税による税収や、海外渡航者の消費税免税措置による収益拡大の幅より大幅な下落幅になる。
日本は貿易で収益を上げているように錯誤している者も多いが、その収益の60%は国内消費であり、この国内消費に負担を強いて海外渡航者の便宜を図るなど正気の沙汰とは思えない。

簡単に言えば、私が20万円の大型冷蔵庫を買えば216000円で、海外渡航者に買って貰えば20万円で買える事になり、私は旅行者に5000円の手数料を払って買ってもらい、それを裏取り引きで210000万円で転売すれば、冷蔵庫を巡って三者は5000円から6000円の収益を出す事ができると言う事でもある。

景気回復の為と言えば、こうして自国民が自国政府によって差別を被り、不利益を被っている事にすら気付かないこの国家の知性と学識は、深く恥じるが良い。





「恐れ」

平安時代、貴族達の別邸が建てられた京都府西部「嵐山」、現在の区割りとは少し異なるものの、彼等が建てた別荘のすぐ後ろの山は既に「魔界」だった。
往路にすら死骸が転がる時代、夜ともなれば平安京そのものが闇の支配を受け、昼間とは別の様相を呈していたのである。

古来日本では山と海は同じ概念が持たれていたが、その概念の根底は「常世の国」、つまりは死者の国、黄泉の国で有る。
それゆえ山は恐れられると共に崇拝の対象となり山岳信仰の発端となったが、こうした流れの中に現在も続く「神事」の時間と言うものが存在する。

多くの神事はそれが真夜中に行われ、祭りなど昼間に行われる行事を拝殿とするなら、神事は本殿の意味合いが有り、これは基本的に祭りの本質が「祓い」だからである。

「恐れ」と「畏れ」はとても近いもので、圧倒的な力は正邪どちらにも働き、闇が持つ特別な力を信じるが故に、山岳信仰の修行は夜に為される事が多く、これは闇を征するのではなく、闇と一体になる事を意味していた。

このように日本に措ける登山の歴史は死生観や自然に対する畏怖に源を持つが、一方ヨーロッパで登山が盛んになるのは中世、ルネッサンスの初頭からである。
文芸復古は古代ギリシャ時代の自然崇拝主義思想の復活をもたらし、考え方はあらゆる現実の容認方向へと向かう。

この中で自然を楽しもうと言う考え方が発生し、ここから近くの山に登ったりするようになっていく。
元々ヨーロッパでは用事が無ければ山に行くなどと言う事が少なく、地理的に国家が隣接している状態で有った事から、「恐れ」に対する比率は自然よりもむしろ「人間」に有った。

従ってヨーロッパの「恐れ」は日本よりも現実的な人間に対する「恐れ」であり、この分だけ宗教観や死生観と連動する機会が少なかった。

このヨーロッパの概念が太平洋戦後の日本に普及した時、それまで日本人が持っていた山や海に対する恐れの濃度を薄めたのであり、だが火山が多く、四季が有り気象的に激しい環境になる日本の山や海の現実は変わらない。

ルネッサンスの自然崇拝主義とは「容認」であり、必ずしも積極的なものではない。
刹那的で、どちらかと言うと世の中を諦めた上での、開き直りに近い自然崇拝ゆえ、「楽しむ」事に主眼が置かれていた。

この意味で日本が持つ自然に対する「恐れ」や「畏れ」とは決定的な違いが有る。
ルネッサンスの「容認」とはそれを自分がどう解釈するかと言う作業を止めたものであり、日本が持つ自然に対する「恐れ」はある種の「哲学」である。

戦後日本の有り様はこの哲学を忘れ去った上に、「世界遺産」と言うルネッサンス的刹那現実主義、拝金主義思想によって脆くも崩れ去った。
人間がどう考えようと自然の驚異は何等変わる事は無く、一時的に何も無かったとしてもそれは唯の偶然である。

世界遺産になったからと言って火山が安全になった訳ではない。
科学が発達したからと言って明日の天気が変えられるものでもない。
地震や火山噴火を防ぐ事は出来ない。

それゆえ「恐れ」と言うものが有り、この恐れこそが自然災害から身を守る唯一の手段である。
政府の保証はもとより、気象庁ですら火山噴火の予想は出来ない。
山や海は観光地ではない。

それは「恐れ」である事、その恐れの地へ行く事の責任は全て自分にある事を、更にはそうした「恐れ」に対してまでも「畏れ」と言う言葉を使った日本人の深遠な哲学を、今一度我々は心に刻んで日々の暮らしを営む必要が有るように思う・・・。



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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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