第三章・3「恐怖の連鎖」

「魯迅」の弟「周作人」が白樺派の「武者小路実篤」の「新しき村」を中国に詳解した折、長沙にいた「毛沢東」はこれにいたく感銘を受ける。

後に彼が率いた中国共産党の初期は、まさしく武者小路が描いた理想だったかも知れないが、その理想の中に描かれる公平で自由、人間らしい生き方とは、突き詰めれば自分の世界、自分が描く都合の良い自由や公平、生き方である事に気付くのはその組織が後戻りできなくってからの事になる。

武者小路がそうで有ったように、自分の理想の世界は女に拠って崩れていく。
理想主義的な男ほど、女もその理想の中の原理で捉え易いが、その自身の女に対する理想、いや欲望が矛盾を生む事からは目をそむける。

それは自身の都合であり、第三者にとっては主催者の女も、その他も同じである事に気付いていながら自分が主で在る事に甘え、そこから理想と自分の欲望の狭間で思想的にも現実にも、もがき苦しみ、やがてそれは分離されて考えられるようになっていく。

後年「毛沢東」は自身の生涯を振り返るに、それは「失敗」で有った事に気が付いただろう。
だが既に時遅し、中国共産党は中華人民共和国になっていた。
この道は決して中国人民の幸福とはならない事は解っている。

だがそれを含めてこれが運命だったと割り切る毛沢東は、影で享楽的な生活を送りながら、表では清廉潔白な指導者として存在しなければならなかった。
若い女ばかりを集めて好きな麻雀に興じ、ニヤニヤ笑いながら対面にいる女の膝の間に自身の足を割り込ませ、手牌を見ている左の女の股間に手を延ばし、その表情を楽しむ。

そして周恩来はそんな毛沢東を微塵も見せないように政治を動かして行く。
周恩来がいるとどうしても自分がどこかで恥ずかしくなる。
だが国家主席として深い言葉で人心を集めなければならない毛沢東のその具合の悪さ。

実にこうした具合の悪さ、歪みこそが国を治める力なのである。
失敗である事は解ったとしても、これまで自分の具合の悪さからやってきた事、虐殺や粛清、裏切りを鑑みるなら、引き返す事は「死」を意味し、それもおそらく八つ裂きだろう。

自身がそれをしてきたから、引き返せばどうなるかは自分が一番良く知っている。
恐怖を紛らわそうと享楽と女の膝間に逃げ込み、敵対する者は徹底的に殲滅する。

中国共産党の歴史は、その恐怖から逃れるために振りまいた恐怖にまた追いかけられる恐怖の連鎖、典型的な王や皇帝の辿った道と寸分違わぬものだったのであり、これを担保するものが武力、人民解放軍だったのである。

そして時は下り、現在の中国共産党もこうした連鎖からは逃れられていないが、以前よりは安定し豊かになった分、享楽や女の前後を挟む恐怖が弱い。
育ちが良くて具合の悪さが半端な分、真ん中の享楽、女が膨らみ前後の恐怖は小さくなった為、やることが傲慢な割には覚悟が無い。
壊れる時は意外なほど脆いものだった。

中国軍の致命的な欠陥は最初に精鋭部隊である人民解放軍を使わなければならない事である。
武装警察部は軍事作戦以前の警察機構であり、民兵は人民解放軍の次の勢力、いわば予備役的な組織であるから、例えばアメリカのように初期の問題は州兵が動き、国際的な紛争の場合は連邦軍が動くと言うような仕組みの逆流になっている。

国内動乱の場合初期の小さなものはそれに見合った小さなものから動くのが定石であり、ネズミ一匹でも最初から師団が動かねばならない仕組みはどうしても小さな紛争を大きくしてしまう傾向に有り、また鎮圧の仕方もまったく事務的になってしまう。
つまり感情が失われた攻撃になってしまう。

各地で生活できなくなった民衆がホームレス化していく中で治安は悪くなり、警察部は既に逮捕者が増加し、刑務収容所施設の限界を迎えていた事から、中国政府は簡単な刑でも見せしめの為殺処分する方針を発表していたが、やがて仮でも裁判を開かねばならない現実が、裁判所で多数の罪人を留め置かねばならない事態を引き起こし、事実上裁判が間に合わなくなってきた。

この為政府は新たに犯罪者の即時射殺認可令を出していたが、これによって恣意的に殺された民兵に参加してた民衆の一人が警察部と衝突する事件が発生し、ここから地域的に民兵と警察部の対立が発生して来ていた。

またこうした中国国内の動乱に対して新疆ウィグル自治区、南西部の国境付近では以前から対立していたイスラム勢力が力を増し、パキスタンなどから補給される軍事物資などで武装したウィグル独立戦線が結成され、この動きを極秘裏に後方支援していたのが徐黄王、朱栄陽、張貴進等と彼らを傀儡としていたアメリカだった。







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第三章・2「拡大」

我々は通常意識する事は少ないが、多くのそれぞれ広さや深さの異なる社会と言うものが何枚も重なった中で生きている。

国家の中の自分、某市の自分、氏族の中の自分、姻戚の中の自分、家族としての自分、会社や組織の自分、選挙時の政治思考的な自分に、村や区と言った単位での自分など様々な時間的社会や空間的社会、或いは思想的な社会を生きている。

そしてこの事は世界中のどこの地域へ行っても存在し、勿論中国に措いても存在するが、中国の場合これらが全て共産党と言う直線に拠って小さな穴を開けられ、そこへ紐が通された状態になっているが、この穴は真ん中に開いているのでは無く、端の方に開いているのであり、従って厳しい状況、僅かな血を流す覚悟が有れば簡単に綴られた社会は紐から外れる。

人民解放軍と言えども、その兵士には家族が有り、育った村が有り、氏族姻戚が集まれば長老達の言葉に従わねばならないが、こうしたそれぞれの社会を抑え込んでいるものが共産党の恐怖支配なのであり、中国人民の中には共産党を良く思っていない人口の方が圧倒的に多い。

唯現状の生活が維持されたり、それに拠って恩恵がある為に、恐怖支配や不正を見て見ぬ振りをしているだけで、これらの支配は人民の生活の困窮に拠って開放され、綴られた何枚もの社会がそれぞれに動き出す事になり、軍で言うなら人民解放軍こそは結束が強いが、その下の武力装備警察部、国家民兵に至っては組織独立権が無い分統制は取りにくい。

最終的に国家民兵が民衆の側に立った場合、これを武力装備警察部が攻撃しにくく、こうした中で人民解放軍はその動員総数で4倍以上の民兵組織を全て殺傷し、叛乱する人民全てに砲撃が加えられるかと言えば、それはとても困難な事態に直面する事になる。

中国の三層構造軍は確かに外敵には強い。
だが独裁政権の所有物である人民解放軍より、いざとなったら数が多い国家民兵や武力装備警察部は人民解放軍よりは僅かに民衆の側にある。
この事から中国の防衛形態は外敵防衛には適しているが、国家内の混乱では軍同士が分離衝突する危険性をはらんでいる。

また人民解放軍はその初期、蒋介石率いる中華民国国民軍と対立していた事から、国費で軍を維持できず、軍活動は自力調達だった歴史が有り、言い換えればこの段階では軍と共産党は一体だったと言う事である。

そしてこうして蒋介石軍と戦っている間は古代で言うところの一つの王だった訳で、人民解放軍は共産党と同義でよかったが、中華人民共和国となった時点で共産党は王から皇帝になった訳であり、ここで人民解放軍は天意に基ずく国家の軍隊とならねばならなかったにも拘らず、以後も続く人民解放軍の自力調達の歴史は国家軍としての意識を薄くしたままだった。

1980年の経済危機では軍事予算が大幅に削減され、人民解放軍は民業を起こし、農地の開拓などあらゆる産業に進出して軍事費用を賄った。

1998年、共産党中央委員会から人民解放軍の民業進出は、導入した自由化経済の中で不当競争の発生となる為禁止されたが、それでもこの法律には厳しい罰則が無く、現在も学校経営に始まり投資会社、金融機関などあらゆる事業が展開されていて、単純に糧秣の調達だけでも、人民解放軍の調達能力は200万人が4ヶ月食べていけるだけの生産能力を持っている。

これらが軍自力調達で国費から支出されていないのだから、中国の防衛予算の公表など全く無意味としか言い様のないものなのである。

しかしこうした潤沢な物資調達能力と、作戦行動の高さは全て順調な経済に拠って成立しているものであり、実際に経済が落ち込みを始めると人民解放軍の自力予算は大幅に減少し、軍を維持することが困難になっていく。
更にそうした事情から国費にこれを求めようとする時には、既に中国経済は大幅な傾斜となっていて、他の予算すら満足に支出できない状態を迎える。

ここに人民解放軍の散逸が始まるのであり、経済開放政策以後、賃金の低い人民解放軍の給与を嫌って若い兵士が集まっていなかった事と相まって加速的に離脱者を増やす事になるが、一方民業の進出に拠って発生する軍の利権は不正や賄賂の温床となり、少ない国家からの給料に自力調達給与、いわゆる利権賄賂は当然の事として概念されるようになり、やがてそれはエスカレートして行きながら、軍幹部たちは資本主義のうまみを堪能して行く事になる。

そしてこうした展開も海外から順調に外貨が稼げる時は良いが、ギリシャ・ポルトガル・スペイン・イタリア・フランスなどの不良債権を抱えた国家に拠って、デフレーションに陥ったヨーロッパ共同体加盟国経済は、アブノミクス経済、いわゆる日本の無制限紙幣印刷政策を無効化するほど世界経済を落ち込ませ、世界経済の3位、4位が滑落した事によって第三国後進国の経済も落ち込ませ、ここに外貨獲得が減少した世界第2位の経済大国中国は実質経済成長率が下降に向かう。

その過程で共産党や人民解放軍のような表の経済から裏へ流れ、そこで回っている闇経済が急激な縮小を始め、それは地方の貧しい地域から影響が出始めるが、こうしたことが表面化した頃になると、農村部は全て不良債権化し農地は荒れ放題、経済危機を恐れた表経済の資本は海外へ避難し、大都市には生活に困窮した農村部人口が仕事を求めて大量流入してくる事になる。

また農村部から人口が流出する為、外貨が稼げない大国の経済は食料不足に陥り、この食料不足から来るインフレーションは次第に高次産業まで影響を拡大させ、一般大衆は貧しい上に更に大きな負担を強いられ、その負担分が益となって共産党関係者や軍幹部に集中してくる事から、民衆は壊れて崩壊した経済に在りながら、共産党関係者だけが以前のバブリーな生活を維持し、これをして共産党支配に疑問を呈する民衆の数は増大し、やがてその流れは中国各地に暴動となって拡散して行った。






第三章・1「国軍」

その国家の軍が誰のものかと言う定義は難しい。

古代中国で王を名乗る場合は民衆の総意を担保とする必要が無く、この場合は軍は王に全て帰属する。
しかしこれが皇帝を名乗ると、その権威は天意に拠って担保される事になり、軍は国家民衆に帰属する事になるが、皇帝の定義と共に軍の帰属するところはいつの時代も不安定だった。

すなわち皇帝が天意なら民衆も天意、軍も天意なのである。
元々中国大陸に措ける軍の歴史、その始まりは王や皇帝に有り、ここでは軍は王や皇帝に帰属する事から、例えば民衆が飢えに苦しんでいても、或いは民家が延焼していても軍はこれを助ける義務が無い。

軍は王若しくは皇帝、或いは丞相、相国、軍師の命令が無ければ動けないが、これを平和な時に限って、王や皇帝の命に支障をきたさない程度で民衆の危機を救う事が始まったのは前漢・文帝の頃(紀元前180-157年)からで、これは平和な時代が無ければ成立しない話だった。

それまでの時代は軍が民衆を助ける事が出来るほど平和な時代が無かったと言う事である。

以後、中国に措ける軍が民衆に対して行える援助は、皇帝の命に支障の無い範囲で皇帝や丞相が許可する範囲、容認する範囲、皇帝や丞相の命に拠って行われる事になり、皇帝が天意を意識する中で、天意をまた民とする思想が軍を誰のものと考えるかを不安定なものにして行った。

すなわちその当代の者達に拠って都合の良い解釈や、恣意的な感情に拠って軍が解釈されるようになったのであり、更に解り易く言うなら平和な時の軍は天意民衆に帰属し、動乱時の軍は為政者に帰属し易いと言う事である。

中国の武力、軍は三層になっている。
人民解放軍の兵力は陸軍機動部隊が84万6000人、海軍24万1000人、空軍40万人、国境警備部隊17万6000人、沿岸警備部隊15万人、防衛施設管理部隊、技術工作部隊が16万人、技術研究部隊総数3万4000人の、約2010000人で構成され、兵員数はミサイルや防衛機器費用の増大と、景気低迷から2013年度の実績2200000人から2014年度末には18万人近く減少していた。

また人民解放軍は基本的に共産党の軍隊であり、中国国防相は人民解放軍の指揮権が無い。
つまり人民解放軍は中国の最も古典的な形の軍隊、共産党と言う王の軍隊と同義であり、天意を根拠とした皇帝の軍、国家軍ではないのであり、この点を諸外国は誤認してはならないが、実質中国国軍に相当する軍隊は「中国民兵組織」であり、これは人民解放軍の引退者、或いはリストラされた軍人達で組織され、一般民衆の参加も多く、その総員数は900万人とも言われる。

この他に中国警察組織として「武力装備警察部」が存在し、この総員数は約70万人とも言われるが、中国民兵や武力装備警察部の人員は人民解放軍の情勢に拠って変化し、基本的に中国民兵組織や武力装備警察部は人民解放軍の下部組織として有事の際は動員されるが、更に人民解放軍の予備役は推定55万人で、これらは外的に対する有事概念を同じくするものの、国内の有事に付いては必ずしも一致した概念とは言えない。

1976年に周恩来死去を悼んで捧げられた花輪の撤去を巡って発生した第一天安門事件、いわゆる四五天安門事件の時には後に失脚する江青らの命令を人民解放軍が無視し、結局彼らは民兵を出動させているが、1989年に発生した北京大学の学生達による自由化運動、第二天安門事件、別名六四天安門事件の時は鄧小平の命令に従って人民解放軍が鎮圧に当たっている。

この事から有事の概念に付いて、外国からの攻撃に対しては人民解放軍、中国民兵組織、武力装備警察部が同じ有事の概念を共有するが、中国憲法の規定では全ての武装組織は共産党の領権とされながら、実際には中国共産党の正規軍は人民解放軍のみの規定となり、中国民兵や武力装備警察部はその人民解放軍の指揮権下に有りながら、それに従うか否かは各人民公社の裁定と共産党が一枚岩で有る事を前提としている為、場合によっては国内動乱時、その有事の概念が異なる場合が生じる。

つまり中国の三層構造の軍隊組織は国内に留まる有事の際、中国共産党の為の人民解放軍と人民が組織している民兵組織、また人民解放軍より民衆に接する機会の多い武力装備警察部が、共産党と民衆の対立が発生した場合、人民解放軍は共産党の防衛に当たる事は決定しているが、民兵組織と武力装備警察部はそれに従わない可能性が残っているのである。

これは妙な現実だが、蒋介石が率いた中華民国国軍と毛沢東率いた人民解放軍の攻防が薄く弱く中国国内に存在しているようなものであり、共産党と言う一党独裁政権が持つ恐怖支配の根底には民衆に対する恐怖心が有り、民衆の共産党による恐怖支配の脱却は、意外にも民衆そのものの生活の破綻によって発生する「もうどうでもいい」と言うような諦観、つまり経済的破綻なのである。

それゆえ中国共産党は国内経済が悪化すると国内有事が発生する事を恐れ、外国有事を強調する為に反日本、反アメリカを煽らざるを得ない訳であり、何が何でも経済成長を続けない限り、中国共産党は足元からぐらついてくる事になり、その一方アジアの大国としての体裁も保たねばならず、年々歳々こうした状況の板ばさみは激しくなり、習近兵のような笑顔だけが取り柄で国家主席になったような者では、既に国内の統治状態は風前の灯火だったのである。


第二章・11「マリア」

ホテルのエントランスで待っていたのは先ほど緒長をダレス国際空港から乗せてきたマコーミック少佐だった。
彼は次期大統領から預かった交通費だと言って緒長に封筒を差し出したが、中には100000ドルの小切手が入っていた。

「ニューヨークを案内しましょうか」
「いや、時間が無いのですぐにダレスからハワイに向かいます」
「そうですか、それは残念です」

マコーミック少佐はやはり輝くような微笑を返すと、2人をダレス国際空港まで車で送った。

帰れるときに帰らないと何故か帰れる気がしなくなるのがマリア・クレイトンだった。
マコーミック少佐が手配してくれたファーストクラスのシートに体をあずけた緒長は、やっと現実に帰れるんだと言う実感が湧いて、隣の席の緑子に声をかけた。

「君までこんな目に遭わせてしまって、本当に申し訳なかった」
「もう少し注意すべきだった」
「大丈夫です、少し前孫先生からもしかしたらこうなるかも知れない事は伝えられていましたから・・・」
「解っていたのか・・・」
「ええ、そして殺されない事も・・・」

「マリア・クレイトンは恐ろしい人だな・・・」
「君を拉致しても我々が表沙汰にできないし、どちらに転んでもアメリカは損をしないと解ったらそれをやる・・・」
「ええ、でも今回の事は彼女に取っては挨拶代わりだったのかも知れません」
「彼女の中には先がある・・・・」
「先って、どう言う事?」
「中国やアジアの混乱が終わった後のビジョンが有るのかも知れません」
「それは経済的利権の事だな・・・」
「そうです」

「しかしこれから先官邸や議会にも盗聴器が仕掛けられているとなると、ややこしい事になるな・・・」
「おそらく私の自宅にも仕掛けられていたのでしょうね」
「外すと仕掛けられていた事をこちらが察知した事が解ってしまう」
「次はどう言う手で向うが情報を入手しているかが解らなくなるから、取り合えずこちらがそれをコントロールできる分は有利になるか・・・」
「盗聴器は外さすに、これから我々が言動を注意するのが一番かも知れないな・・・」

フライトはとても快適なものだった。
やがて二人は緊張する場面が続いたせいか、それぞれが深い眠りに落ちて行った。

「緒長の動きが早すぎる」
「情報が外から入っている証拠よ」
「それはもしかしたら中国から入っていると言う事ですか」
「おそらくそうね・・・」
「盗聴器も発覚してますかね」
「多分そうね、上海のリッチマンは中々やってくれるわね」

「それとあのミセス久世山は徹底的にマークして」
「彼女の動きが一番状況を反映しているわ」
「了解しました」

マコーミック少佐は敬礼すると、オフィスから出て行った。

母親は男にだらしない女だった。
離婚して次から次へと男を変え、薬と酒に溺れ、幼いマリアは何時も獣のような男と母親の喘ぎ声を子守唄代わりにして寝ていたものだった。

11歳の時、母親が酔いつぶれて寝ている間に母親の男からレイプされ、以来母親の所へ来る男はみんなマリアもレイプして行ったが、唯黙っているしかなかった。

幼い頃から頭の回転が早過ぎるマリアは、大人たちに気を遣い、その事が可愛げないと大人たちを苛立たせた。
母親は何か有るとマリアを殴りつけ、それでも反抗的な態度を見せる事の無いマリアに更に苛立ったものだった。

ミセス久世山はもしかしたら知っていて拉致されたかも知れない。
彼女はあの状況を良く把握していたからあの返事をしていた。
自分は政治や中国の事とは無関係だと最後までとぼけ通した。
と言う事は全てを知っていると言う事だ。

マリアの脳裏には幼い頃、知っていて、いや母親以上の事実を自身が持っているからこそ、母親に逆らわなかったあの姿が思い出され、それが「曽祖父が入院していて・・・」と顔も上げずに小さな声で言う、ミセス久世山の姿に重なっていた。

あの状況で逆らっても意味の無い事は解っている。
でも一般の多くの人間はそれでも抵抗する言葉を吐くものだが、ミセス久世山のそれは実に状況に忠実で、最後も「そんなのお断りよ」と言えば良いものを、逆らえば私の気が変わるか、或いは時間がかかるだけ損だと思えば私の言葉に逆らわない。

つまり初めから結果が解っていて、自分の本来の目的の一番近い道を通っている。

14歳の時、レイプされた後、薬で寝込んでしまった男の上着から金を盗もうとして拳銃を見つけたマリア、手袋をしてそれを取り出し、やはり階下で寝込んでいる母親の頭をそれで2発撃って射殺した。
この母親といては自分の未来は無い、だからこれは神が私に用意してくれたチャンスだと思った。

そして拳銃を寝ている男の腰の付近に置き、警察に向かう途中で手袋は棄て、女性警官に泣きついた。
後はアパートの状況が全てのストーリーを作ってくれた。
か弱いマリアと母親が射殺された拳銃を持っている屈強な母親の愛人では、どれだけ無実を訴えようが母親の愛人の有罪は覆らなかった。

施設に収容されたマリア、抜群の成績だった彼女はハイスクールもカレッジも特待生として奨学金を支給されながら卒業したが、そのロースクールで知り合ったのが後に彼の夫となるビル・クレイトンだった。
彼は馬鹿な男で、自信の有るものは下半身だけ、まるで母親の所へ通っていた男達のようなものだったが、彼には家柄と大きな資産、それに約束された地位が有った。

「あの、人には絶対見せなかったけど、卑屈な目をした少女が合衆国大統領よ・・・」
「ミセス久世山、あなたはいつか銃でその頭を撃たなければならなくなるか、或いは親しく食事に招く関係か、そのどちらかしかないようね・・・」
「でも、出来ればあなたと笑って食事ができるまま終わりたいものだわ・・・」
「選択を誤らないでね・・・」






第二章・10「ワシントン」

「あなた目が見えないのに、ものを見ることが出来るんですって、とても面白いわ」
オフィスのデスクに座っていたマリア・クレイトンは、緑子が部屋に入ってくると立ち上がって緑子の前まで近付き、微笑んだ。
「ねえ、あなたアメリカの大学に入らない」
「カリフォルニアでもマサチューセッツでも、ハーバードでもいいのよ」
「あなたが希望する大学を手配するわ」
「勿論学費は免除、住むところも奨学金も支給するけど、どう?」
「悪い話じゃないと思うんだけど」

「すみません、私には老いた曽祖父がいて、彼は病院に入院しています」
「ですから、すぐに帰りたいんですが・・・」

緑子は日本語で話し、それをさっき英語を日本語に通訳した女がマリアに伝えているようだった。

「中々お利口さんなようね」
「でもあなたは自分の未来を自分では決められないかも知れないわね」
「次期大統領がこんな事をして恥ずかしくは無いですか」
「うーん、痛いところを突くわね」
「でも次期合衆国大統領だから、やってるのよ」
「暫く休んで考えなさい」
「良いホテルを手配したわ」
「でも外には出れないけどね」

マリア・クレイトンはそう言うと元のデスクに戻ろうとした、その時だった。

突然マリアの携帯電話が鳴り、彼女がポケットから携帯を取り出すと、相手は国防総省、国防長官からだった。

「琉球国プレジデント緒長が会談したいと言って来ましたが、どうしますか」
「随分早く解ったのね」
「それで何か言ってた?」
「緑子の力を持つ者は一人ではないとの事ですが、これは暗号か何かですか」
「いえ、暗号ではないわ」
「もう一人いたの?」
「そう言う事らしいです」
「解った、すぐに会うと伝えてちょうだい」
「了解しました」

この時まだ琉球国には正式なアメリカ外交部施設が無く、アメリカ軍基地内に仮の外交部が置かれていたが、その管轄者は基地指令が兼務していた。
それゆえ緒長はアメリカ軍基地の外交部に連絡を取り、国家元首として会談を望んでいる事を伝えたのだったが、多忙を極める次期合衆国大統領がこうも簡単に面会に応じるとは、やはり緑子がワシントンにいるのは確実なのだ・・・。

緒長はアメリカの恐ろしさが身に沁みて解ったような気がした。

「良かったわね、明日には迎えが来るわ」
「えっ、わたしをそんな簡単に帰してくれんですか」
「もう一人いるって事は、それは日本や沖縄ではなく中国って事になる」
「だとしたらあなた一人を捕まえても意味が無いし、これで拷問してでもって言う手も無い訳ではないけど、それだと情報の精度が怪しくなる、手間もかかるしね」
「良かったわね、あなたとは良いお友達の関係でいられる事になったわ」

マリア・クレイトンはそう言って微笑むと、外で待っている日系アメリカ人の女達に緑子をホテルに連れて行くよう指示した。

翌日の午後、ダレス国際空港に降り立った緒長を迎えたのは、アメリカ空軍マイク・マコーミック少佐だった。

マリア・クレイトンは次期大統領で有る為公式な会談は出来ない、またこれはアメリカの国防上の重要案件でもあることから、会談は秘密会談にして欲しいと言う要請で、これに同意した緒長はワシントン郊外のホテルへと案内され、そこには既にマリア・クレイトンと緑子が待っていた。

「琉球国プレジデント緒長、ようこそ、お久しぶりね」
「次期大統領もお元気そうで何よりです」
「お嬢さんをお返しするわ」
「これは一体どう言う事ですか」
「ミセス緑子は沖縄独立前後から働きっぱなしだったから、私がワシントン見物にご招待したのよ」
「我々はこのまま帰して貰えるんですか」
「勿論よ、合衆国は自由の国、大統領でも意味も無く人を拘束できないわ」

「唯、理解していると思うけど、今回の事が表に出ると、上海で頑張っている同志の目的は露見し、これから後の中国はアメリカの力を必要とする」
「でも今は合衆国が動いている事を知られてはまずい・・・」
「日本に有る運命共同体って良い言葉ね」
「合衆国には同じ意味の言葉が無いんだけど、私達はどうやらその運命共同体みたいね」

「これから後もこう言う事は有り得るんですか」
「さあ、それはどうかしらね、プレジデントのお気持ち次第ではないかしら」
「私はこれまでも誠意を持って合衆国との約束を履行してきました」
「今度のような事態は両国の信頼関係を損ねるものかと思います」
「そうね、あなたは誠実だった・・・」
「だとしたら、これから先こうした事は起こらないんじゃないかしら」
「約束して頂けますか」

「プレジデント緒長、ここにいるのは私とあなたとミセス緑子だけ、約束を守ったかどうかをどうやって担保するかしら」
「では約束して頂けないんですか」
「あなたは相変わらず、直線的ね・・・」「私が約束すると言って、それを信じられるのかしら・・・」
「そう言う事よ・・・」

「じゃ、せっかく来たんだから自由の女神でも見物してったら?」
「それとミセス緑子、昨日の条件は私が合衆国大統領である限り有効よ」
「気が変わったらいつでもいらっしゃい」
「今度は無粋なSPは付けないわよ」
「有り難うございます、その時は宜しくお願いします」
「あなた、本当に賢いわね、私達きっと良い友達になれるわ」

マリア・クレイトンは小さな声で答えた緑子の肩に手を添えると、輝くような笑顔でホテルの部屋を出て行った。
緒長はその笑顔に一瞬背筋が凍るような恐ろしさを感じたのだった。





第二章・9「台湾の女」

人を支配するに最も容易な方法は「恐怖」で有り、この恐怖の深さに拠って人の支配の度合いは測られるが、恐怖の深さの一つの方向は「数」である。

1対1で力がほぼ均衡している場合、その双方が相手を支配できない。
しかしどちらか一方に味方がいる場合、最終的に味方がいる方の勝利は始めから決まっている。
これが支配の法則だが、その一方武器の質もまた味方に匹敵する数の法則であり、人間は予め自身が勝てるか否かを測り、勝てる可能性の無い者には抵抗せず、勝てる見込みが有る者には逆らう。

また恐怖の深さの方向には数以外に恐怖の質が有り、残虐性もまた支配の大きな要素だが、この支配は意外に脆く、最後は数の恐怖に蹴散らされる。
70年続いた中国共産党の「残虐性」に拠る支配が、ついに数の支配に蹴散らされる日が近付いていた。

11月初めに行われたアメリカ合衆国大統領選挙の流れは、ほぼマリア・クレイトン上院議員が優勢で、共和党の候補もおそらくこれには及ばないだろうと言う勢いだった。
従って初めての黒人大統領だったバラカ・オバマの再選は阻止され、次期合衆国大統領は初の女性大統領となる事が確実な情勢だった。

そしてこうなるとチャンスと合理性を重んじるアメリカ社会と言うのは非情なもので、皆が一挙に新しい大統領に向かって集まり始め、現在もまだ大統領で有るにも拘らず、バラカ・オバマは過去の人になってしまうのだった。
国務省、国防総省、中央情報局が知りえる情報はオバマ大統領には勿論伝えられるが、それ以上に次期大統領の所には情報の共有が多くなり、次期大統領の周辺はこうした環境を基盤として一般教書演説を組み立てるのである。

マリア・クレイトンは既に12月の初めには密約の形で権限を行使し始めていて、この中の最も大きな関心事は変わり行く中国情勢だった。
だがアメリカ中央情報局「CIA」の情報は独立した沖縄、現在は琉球国だが、ここの緒長から流れてくる情報に比べると薄い。

緒長は琉球国内にいながらどうして詳細な中国情勢を知り得るのか、そこが一番の問題だった。
情報と言うのは広く深く知ってる者ほど有利になる。
琉球などと言う小さな行政区が拗くれた(こじくれた)ような小国が合衆国を超えて情報を持ち、主導権を握るのは許される事ではない。

CIAは緒長琉球国元首の周囲にも調査網を張っていたが、ここで浮上してくるのが久世山緑子だった。
この盲目の女子大生が何らかのキーワードになっている事は確かなのだが、彼女とて琉球から出ている形跡は無く、旧沖縄県庁舎、現在の沖縄国会議事堂と元首官邸に仕掛けた盗聴器によって、ようやく緑子の特殊能力を疑い始めたマリア・クレイトンは何とか彼女を合衆国のものに出来ないかを検討し始める。

元々緑子のような特殊能力者の軍事使用は第一次世界大戦から存在し、その始まりは古代の占いに端を発して研究されてきた経緯が有り、合衆国は勿論、ロシアやイギリス、中国でも同様の研究がされているが、どこからどこまでこうした特殊能力者の軍事、政治干渉が可能なのか、その実態は各国とも不明である。

更には沖縄独立時に経済政策を打ち出したドイツのケビン・シュナイダーの能力は傑出している。
これも是非ともマリア・クレイトン政権には欲しい逸材だった。

マリア・クレイトンと言う女性はかつてアメリカ国防長官だった「キャスパー・ウィラード・ワインバーガー」に似たところが有った。
水が確実に低い所に流れる、その性質の非情さを知っている者とでも言おうか、極端な現実主義で、その現実が指し示す所に対しての妥協が無い。
最良の方策にはそれが如何なる犠牲を払うものでも躊躇が無いようなところが有った。

12月13日、突然久世山緑子は行方不明になる。
吉田からの連絡では大学も欠席し、久世山宗弘が入院している病院にも現れていないらしく、自宅にも戻っていないとの事だった。

「誰かに拉致されたのかも知れない」
「それは政治的な部分でか、それともプラーベートと言う意味か?」
「どちらも有り得る」

電話の向うで息を弾ませている吉田だったが、それ以上に緒長に取っては緑子がいないと徐が指定してくる「時期」が解らなくなる。
場合によっては計画の全てが水泡に帰しかねない非常事態だった。

一方その頃日本人とアメリカ人のハーフの女2人に拉致された緑子は、ハワイ経由でワシントンに連行されていたが、その様子は逐一上海にいる孫嶺威のところに意識として送られていた。

12月15日、緒長のところへ台湾の張恵姫と言う女性が面会を求めてきたが、何故か元首官邸ではなく、外で話したいとの事だったので、緒長は官邸近くの公園で待ち合わせる事にした。

「緒長元首ですね」
「そうですが、あなたは?」
「徐黄王会長からのご伝言です」

彼女は意外にも流暢な日本語と共に緒長に会釈した。

「まず最初に元首官邸、議事堂には全て盗聴器が仕組まれています」
「それと久世山緑子さんは、アメリカによって拉致され、今ワシントンにいます」
「徐会長のところには孫嶺威顧問から逐次報告が入っていますが、国際電話、携帯は全てアメリカに傍受されています」
「それで何人かの人を介して私が直接ここへ派遣されました」

「何と言う事だ、彼女は無事なのですか」
「今のところ危害は加えられていません」
「それで私はどうすれば良いと徐さんは仰っているのですか」
「すぐにもワシントンに飛んで、マリア・クレイトンに会ってください」
「それでアメリカが緑子さんを返してくれるだろうか」
「同じ力の者がもう一人いるとアメリカに伝えて下さい」
「後は孫顧問と緑子さん自身が自分を助けます」
「急いでください」

張恵姫はそれだけ言うと、また軽く会釈をして去って行ったが、その身のこなしと言い流暢な日本語と言い、どこかでは只者ではない雰囲気だった。











第二章・8「全体の一部」

緒長と吉田、それに緑子も毎日死ぬような忙しさに追われていた。

まず独立を支持してくれたロシア、中国共産党政府、それに韓国政府との間に現状境界線で防衛協定を結び、尖閣諸島を日本領として除き沖縄諸島を領土とし、日本との関係は国境は決められたものの、往来や自衛隊の活動は今まで通りとした。

これに拠って日本は尖閣以外の防衛負担が軽くなり、沖縄の通貨は2年間円とアメリカドルの2重通貨制度の後、基本的にはアメリカドルを主要通貨とする事に決められたが、これらは全てケビン・シュナイダーの提案だった。

すなわち阿部新造総理の経済政策は2年以内に破綻を向かえ、その時円を国家通貨としていた場合のリスクがドルより大きい事が予想されたからであり、これによって同じ民族が日本と沖縄に分離されたが、経済的には同じ民族が円とドルと言う2つにリスクを分散した効果を持つ事になった。

事実こうして沖縄対応では独立を承認せざるを得なくなってしまった阿部総理、影を落とし始めてきた経済政策と共に、日本国内で激しい責任論が浮上し、10月には自民党の総裁選挙で余利(あまり)経済産業大臣が次の総裁に選ばれていた。
また緒長は久世山の進言も有って、沖縄議会を琉球議会に昇格させていたが、同時に琉球国議会議員全員に対し白紙委任状の提出を依頼していた。

6ヶ月の議会決議委任状、再延長はもう6ヶ月以内の2回までを限度する議会白紙委任状、つまり緒長は最長12ヶ月の独裁者となる訳で、これは何を意味するかと言えば、緒長は最長12ヶ月の独裁政権の後辞職し、そこで選挙に拠る民主的な新政府の樹立を目指していたと言う事である。

これに関しては多くの反対意見が出たが、緒長は議員全員に土下座して、或いは涙を流しながら説得し、ほぼ過半数の白紙委任状を取り付けた。
これは急激に変化する中国情勢を考慮しての事であり、議会を通していたのでは間に合わない緊急の対応が求められる場合の事を想定したからだった。

また基本的には2年間の移行期間が設けられていた事、更にはパスポートの日本との共有期間の設定などが有り、諸外国から日本から独立した琉球国を見ようと、多くの観光客が訪れ、琉球国は大いに繁栄する事になった。

「徐さん、こちらの準備は何とか整いましたよ・・・」

遠く西の空を眺める緒長知事、いや現在は緒長国家元首、新しく作られた琉球国の国旗、上下半分の下が黄色、上が白の国旗を部屋に掲げ、やがて中国が黄色を基調にした国旗になるだろうと徐から聞いていた事から、この2つの旗が並んでたなびく時を信じる以外に道は無かった。

10月24日、緒長や吉田、それに緑子を通じて孫や徐たちとも頻繁に意見を交換していた久世山宗弘が体調を壊して病院に入院したが、その容態は余り芳しいものではなかった。
風邪から肺炎を併発し、高齢な事も有って中々回復しなかった事から、数日後、緒長は病院へ久世山を見舞いに行っていた。

「お加減はどうですか」
「おお、これは知事、いや今は琉球国国家元首でしたな、お忙しいところ済みません」
「久世山さんは琉球国の最大の功労者です、どうぞお体を大切にしてください」
「おかげで沖縄はやっと自分で決断することが出来ました」
「いよいよこれからですな・・・」

久世山は時折激しく咳き込みながらも体を起こしてベッドに座った。

「議事堂は県庁舎を当てたとか・・・」
「ケビン・シュナイダーの提案です」
「元首官邸も旧知事公舎です」
「賢明な事です・・・」
「金も無いのに自分が住む家を大きくしてどうすると言われましたよ」
「彼から学ぶ事は多い・・・」

「おかしなものですね・・・・」
「大東亜戦争の時、文字通り日本は混乱のるつぼでした」
「兵隊達は満州、マレーシア、ジャワ、インドと明日はどこへ行くのか解らなかった」
「だから、行ったその土地が全ての所があって、自分が今立っている所が全体の一部だと言う事を、どこかでは感じていたかも知れません」
「でも戦争が無くなり、国が安定して外へ出なくなると自分の国の事しか考えなくなる」
「そしてまた国家だの威信だのと言って争いを始める」

「沖縄はこれで日本との関係が悪化しましたが、その沖縄はこれから日本を守る為に動かねばなりません」
「皮肉なものですね・・・」
「おそらく今は一番恨んでいるだろう、自分より大きな国の事を小さな独立したての国が考えている」
「緒長さん、日本と中国の事、韓国の事、頼みましたよ」
「久世山さん、あなたと言う人は・・・・」

「私は本当は支那で死んでいたはずでした」
「生きているのが何時も申し訳なかった」
「何を仰るのですか」
「あなたがいたから私も徐さんも道を見つけることが出来た」
「息子が死に、孫夫婦まで死んだのにまだ自分は生きている」
「自分が生きている事と引き換えに周りの者が死んでいるんじゃないか、そんな事を思っていました」
「でも、最後にこうして皆さんのおかげで、自分なりの意味を付ける事が出来た」

「久世山さん、淋しい事を言わないでください」
「何か、お別れの言葉のようじゃないですか」
「久世山さんにはまだまだ教えて頂かなければならない事がたくさん有ります」
「しっかり体を休めて、お元気になってください」

緒長は窓から見える穏やかな海を見つめる久世山の、どこかで輪郭線が弱くなっているような、そんな気がして次の言葉をためらった。









第二章・7「独立」

緒長と吉田は翌日の飛行機で上海から沖縄に帰国したが、それを待っていたかのように、香港の反日インターネットサイトから「習近兵」中国国家主席が非公式ながらも、沖縄の独立を支持すると言う情報が流れ出す。

日本とアメリカ軍基地のある沖縄を対立させる事でアメリカと日本の結束に皹(ひび)を入れ、中国の軍事的優位性を保持する作戦を説いた、徐や朱栄陽財閥らの動きに中国共産党が乗った形だったが、この翌日には同じく日本の不幸は韓国の幸福と考える、感情的な韓国「朴恵思」大統領は、やはりインターネットの国内世論に押され、後先考えずに「韓国も沖縄の独立を妨げない」と発言してしまい、その翌日には北朝鮮も沖縄独立を支持すると表明したのである。

もはや沖縄の独立は周辺諸国から囲い込まれた形になったが、これに対して県民投票条例を提案した緒長沖縄県知事、激怒したのは阿部総理の周辺だった。

「あの売国奴が」
「日本を陥れて中国や韓国に媚を売るか!」

と言った意見が噴出し、ここで沖縄の懐柔策は影を潜めて徹底的な締め付けを行った結果、ついに沖縄県民は生活の危機に直面する事になる。

「ここで折れればまた卑屈な顔をして政府の顔色を伺いながら、金を恵んで貰う暮らしに逆戻りしてしまう」
「それで良いのか、私はもう耐えられない」

そう言って議会や民衆を説得する緒長と吉田、その一方で徐黄王から紹介されたドイツの若い経済学者を沖縄に招き、彼に沖縄が独立した場合の経済政策の立案を依頼し、彼、ケビン・シュナイダーはIMFの融資計画と、アメリカ政府からのドル借款案を出して、ケビンのブレーンが諸外国と交渉に当たり始めていた。

こうした活動の資金は全て上海財閥から流れていたものだが、やがて世界中の関心事となった沖縄独立問題は、僅差で県民投票条例が沖縄議会を通過すると一挙に具体性を増し、日本政府は憲法違反だと言い出す。

しかし具体的に日本国憲法は、日本に措ける特定地域の独立に関する規定を持っていない。
唯一の拠り所は日米安保条約に有ったが、これを盾にするなら日本国憲法より日米安保条約が優位性を持つ事になる。
アメリカ政府は日本に対して早期の問題解決を要請するが、経済的締め付け以外何の方策も無い日本政府に対し、沖縄臨時経済担当者、ケビン・シュナイダーは既にIMFへ独立した場合の融資額と条件を提示するに至っていた。

また同時に非公式で次期大統領と目されるアメリカのマリア・クレイトン上院議員に接触し、こちらではアメリカ軍の基地は現状維持し、その土地使用料を実際に防衛上の恩恵を受ける日本が沖縄に拠出する事で、事態の収拾を図ることが話されていた。
つまり沖縄は同じ基地に占領されるとしても、今までのようなお恵みではなく、具体的な契約によって正規の報酬額を得る形になる訳であり、日本が拠出する額も今までと何等変わらないが、その支払いには義務が生じる形になったのである。

唯この非公式折衝には裏があり、中国が経済的に崩壊する情報は既に掴んでいたものの、どう動いて良いか解らないアメリカ政府は、沖縄の緒長知事が中国崩壊とその後に影響を与えるだろう上海との人脈を持っている事を知り、その仲介役を務める事、中国崩壊のプロセス情報を提供する事を条件に沖縄の独立を容認し、日本が支払うべき基地使用料を一時的にアメリカが立て替えると言う条件になっていた。

尚且つ、実際に中国の現体制が崩壊し、民主国家となったあかつきには沖縄基地の一部を中国本土に移転する案まで出ていたのであり、こちらも中国現体制崩壊の支援を条件に徐黄王や朱栄陽、張貴進らが承諾していた。

これらの意味から日本政府は全く使えないが、ある種これから混乱が始まる、その中心付近にいる緒長知事の重要性を認識したアメリカのマリア・クレイトンは、大統領就任早々大きな国際貢献の実績を得る事が出来、また基本的に独立や自由と言う言葉が出ると抵抗し辛いアメリカの国民感情も逆撫でずに済むのである。

更に日本の混乱こそが韓国経済再生の道と考える韓国経済財閥は、韓国出身の国連事務総長「パン・ギボン」に圧力をかけ、彼は具体的にはどこの国とまでは言わなかったが、「民族の独立と自由は国連憲章によって保障されている」「何人もこれに弾圧を加えてはならない」との声明を出すのであり、同じアメリカの同盟国として日本よりは、独立した沖縄の方がより強い信頼関係を築けるとした意見が韓国を席巻していた。

4日後、沖縄独立県民投票が実施され、僅差で沖縄独立案は成立した。
国連は臨時安全保障理事会を開き沖縄の独立を検討したが、日本の混乱を望む中国、ロシアは賛成、フランスも賛成し、イギリスとアメリカが棄権し、これによって沖縄の独立は事実上容認され、沖縄の国連加盟は5年後と定められた。

201○年9月9日、ここに「琉球国」が成立したのである。







第二章・6「上海」

緒長等が上海・浦東空港に到着したのはまだ日没前の事だったが、空港に降り立った2人を徐黄王の会社の人間が迎え、彼らは上海の高級ホテルへと案内された。

「会長(徐黄王)は午後7時30分にこちらへ着きます」
「それまでここでおくつろぎください」
「市内を散歩されても結構ですが、以前ほど治安は安定していませんので、できるだけ外出はお控えください」

徐の秘書らしい女性は流暢な日本語でそう言うと、ホテルの部屋を出て行った。

「そうか、以前より治安は悪くなっているのか」
「吉田さん、見てください、前は凄い勢いで建設が進んでいた浦東の工事が今は停まっているように感じませんか・・・」
「本当ですね、重機が全て止まっている」

緒長と吉田はすっかり空気が変わってしまった上海の夕焼けを眺めながら、どこかで大きな不安を憶えたのだった。

徐黄王が緒長等が待つホテルに着いたのは予定の時間より少し早かったようだ。
7時10分頃くだんの秘書らしき女性が2人を迎えに来て、このホテルの31階のレストランに案内し、そこには以前より少しやつれた感じの徐と、隣りにはやはり孫嶺威が立っていた。

「ここへ来たと言う事は久世山さんに会ったと言う事あるな・・・」
「話は全てお伺い致しました」
「覇王、引き受けてくれる有るか?」
「今日は具体的なお話をお伺いしようと思って来ました」
「見ての通りあるよ」
「外は危険で一人歩きはできない、開発は止まって共産党の締め付けは厳しいある」
「ここでも大声は出してはいけないあるよ」

料理が運ばれ、席に着いた緒長と吉田に徐は開口一番、共産党の監視が厳しくなっている事を告げた。

「随分と大変な事になっているようですね」
「中国の経済はスタグレーションの末期、分離崩壊したあるよ」
「分離崩壊?」
「そっ、共産党が表の経済で、この経済は裏になっている一般人民の労働で成り立ってたあるが、表の経済が富を吸い上げすぎてデフレーションになり、裏が金利に追われて凄いインフレになったある」

「それで数の多い裏経済が壊れてしまったのですね」
「私もそう有るが、今では中国の富裕層はみんな資産を海外に移してるある」
「それで余計に中国国内の資産は空洞化し、インフレから生活が壊れた一般層は暴動しかできる事が無くなったある」

「人民解放軍はどうなんですか」
「原理はみな同じあるよ」
「士官クラス以上は富裕層、一般の兵士は金に追われるある」
「これは警察も同じことある」
「ではそちらでも離反が始まってるんですか」
「今はまだ軍規で抑えているあるが、一般兵士の家族が破綻し始めると、先は解らなくなるある」

「崩壊はいつ頃から始まりますか」
「私、今は暴動を起こさせないようにしてるある」
「それは何故ですか」
「民衆の不満を最大限まで溜め込む為と、共産党に協力して監視の目を欺く為ある」
「これは孫先生の作戦ある」

「なるほど、ではいつ頃ピークになる、いやピークにするおつもりですか」
「半年後か、それより延びても2ヵ月後には、私もきっと抑えきれなくなるある」
「10月か、今年一杯ですね・・・」
「それとこれから暫く、私と緒長さん会わない方が良いある」
「お互いの身の安全と言う事ですね」

「孫先生と緑子さん、意識を通じて話せるあるから、これからはお二人を通して連絡を取り合う、宜しいか?」
「解りました」
「今は、共産党だけでなくアメリカも監視してるあるよ」
「なるほど・・・」
「では私は帰ったら早速議会を召集し、沖縄の意見を集約する事にします」
「緒長さん、今は全て緒長さんにかかってるある」
「中国人民を助けると思って、どうか、どうかお願いある」

徐黄王は両手を取って緒長の手を握りしめた。

上海は江蘇省・浙江省・広東系の人口を多く有し、これらの出身者は比較的政治や事業面での思想が強い。
現在の台湾などにも多くの浙江省出身者が存在し、自由闊達な考え方がある。
三代前の中国指導者「江沢民」はこの上海の出身であり、「胡錦濤」(こきんとう)の次に国家指導者となった「習近兵」(しゅう・きんぺい)は政治浄化と称して上海出身の江沢民の派閥を共産党から粛清していった。

この為、上海は「習近兵」体制を潜在的に快く思っていない部分があり、これが中国崩壊時には香港、上海、天安門と言う暴動の流れに繋がって行ったが、上海経済の7%を握る「徐黄王」、同じく上海の財閥「朱栄陽」「張貴一族」らの結束がこれらの背景に存在していた。

上海は元々から経済と革命の都市だったのである。




第二章・5「意義」

「暴動の秩序と言うのは目的が有るか無いかと言う事です」
「目的有るか?」

「簡単に言えば中国が少し前の状態を維持したいのか、それとも民衆が先に変化を求めているのかと言う事です」
「なるほど、そう言う意味あるか」
「暴動が暴動で終わるか否かは目的が有るか無いかで決まります」

「目的はどうやってつければ良い有るか」
「手本が必要かも知れません」
「もっと分かり易く言えば希望と言っても良い」
「希望?」
「そうです、石原中将は満州国と言う独立国家で手本を示し、それを元にアジア全体を引っ張ろうと考えていました」

「中国の暴動、先が無い」
「中国の暴動、先生の言うように先に目的が無い、だったら、目的を付ければ良いあるな・・・」
「そのとおりです」
「でも、中国の人民長く共産党に支配受けていて、逆らう勇気ない・・・」
「徐さん、あなたはその先の希望を探しに来たのですね」

「暴動が希望有るか・・・」
「希望にするか絶望にするかはその民族次第かもしれません」
「先生、有り難うある、私、今は答えが出せないが、きっと希望見つけるある」
「その時は私と中国人民助けてくれる有るか」
「私が中国の人を助けるなど、そんな力は有りません」
「ですが、できる限りの事をさせて頂きましょう」
「先生、有り難うある、有り難うある」

徐は何度も何度も久世山に頭を下げて帰って行った。

「徐さん、深い悲しみが希望に変わって行きましたね、希望って、それを思ったときから始まるのかもしれませんね・・・」

帰りしな、緑子は孫嶺威と徐黄王を見送りながら、孫の意識に語りかけていた。

「緑子さん、有り難う・・・」
「私達はどうやら道をみつけました・・・」

孫嶺威は後姿にありながら、緑子に深々とおじぎをしていた・・・。

「なるほど、そう言う訳だったのですか・・・・」
事の次第を久世山から聞いた緒長と吉田は深いため息をついたが、緒長にしてみればそれと沖縄独立の関係が今ひとつ解らない。
納得行かない顔をしている緒長に、久世山は言葉を重ねた。

「例えば中国が崩壊すると日本も韓国も唯では済まない」
「経済的な面もそうだが、中国には数え切れないほどの核兵器が有り、よしんば中国は何とか自国で管理出来たとしても、北朝鮮にある14発ほどの核兵器はどうなるだろうか」
「中国から物資が入って来なくなった場合、体制が崩壊する時、最も危険なのが日本になる」

「じゃが日本が何かしようとしても反日ではどうしようもなく、黙っていると被害は受ける」
「この場合、間接的に中国を助ける為に日本は自国をちぎって、このちぎった部分が動いてアジアの調整役を行うと言う方法がある」
「それが沖縄と言う事ですか・・・」
「そうじゃ、沖縄なら独立すれば中国も韓国も受け入れ易い、また日本からの独立によって中国の暴動に道を付ける事が出来るかも知れない」

「徐さんの話だと暴動は共産党と言う蓋に押されて道を失っている」
「ここに沖縄の独立と言う事実が現れれば、暴動は沖縄と言う漠然とした目標を持つようになる」
「中国はもしかしたら4つか5つくらいの大まかな民族的独立国家を形成し、これらが集まって新生中国と言う形になるかも知れん」
「少なくとも徐さんの頭にはその考えが有るような気がする」
「沖縄が起爆剤になると言う事ですね」

「そうじゃ、唯黙っていたらアジア全体がどうにもならなくなるとしたら、それを沖縄の独立によって何とか和らげる事が出来るとしたら、沖縄の独立は単に日本から冷遇されて仕方なくでは無く、アジアの明日を見据えたアジアの中心としての意義を持つのではないか」

「アジア全体が混乱していて沖縄だけが無事では済まない」
「アジア全体の利益がまた沖縄の利益で有るとしたら、ここはアジア全体の利益を考えた行動が良いのではないかな・・・」
「確かに、そのとおりです・・・」
「でも私に、この沖縄にそれが出来るんでしょうか・・・」
「出来るかどうかではなく、やらなければ明日を失うなら、やるしかないのではないか・・・」

にわかには信じられない話で緒長と吉田は昼前まで久世山と話し込んでいたが、この後中国崩壊が事実なのかどうか、また久世山の話を聞いて、徐がどのような考えを持っているのか確かめるべく、翌々日の午後、緒長は吉田を伴って中国上海に飛ぶ。
那覇から上海までの距離は812km、那覇から東京までの距離が1560kmほどだから、那覇空港から東京へ向かう、およそ半分の時間で到着する距離に沖縄と上海は位置している。

国家と言う思想は現実の距離を近付けもするが、遠ざけもする・・






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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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