「地震の音」

関東大震災では地震発生以降多くの研究が為され、様々な証言が資料として残されたが、この中で地震が発生する前の異常現象として一番報告が多かったのは「異常な色の太陽」で、その次が「音」だった。

毎晩大砲を撃つようなドーン、ドーンと言う音が鳴り響き、同じような現象の記録は安政江戸地震発生の際、商家に残された記録の中にも見て取ることが出来るが、この地震が発生する前に聞こえる音は実に千差万別で、早いものだと数ヶ月前から始まり地震発生直前まで、多様なバリエーションを持っている。

ドーン、ドーンと言う音は比較的一般的な「音」であり、これは地震発生一週間前間から前日にかけて聞こえる場合が多く、地震の規模も震度4ぐらいの規模から聞こえる時が有り、更には震源から離れた地域でも聞こえる場合が有るが、音から音の間隔が等間隔である事が特徴かも知れない。

また「ゴー」と言う音や「ドドド・・・」と言う音が聞こえる場合は、地震発生まで数ヶ月の場合と、当日発生するかのどちらかと言うケースが多く、この音は比較的長く続きながら、時々止まって不定期のケースが多く、地震の規模は殆どの場合強震以上となっているが、「ザザザ・・・」と言う波のような音の場合も有る。

更には地震発生直前に、まるで鼓を打ったような「ポン」と言う音がしたと言う、江戸時代の記録がたった1件だけ残っていたが、当初私はこれは何かの偶然で地震と音が重なったものと思っていた。
しかし2年前に静岡県の方から同じ問い合わせを受けた事から、地震発生直前にはこうした音の発生も有り得るのではないかと思う。

類例として過去の大きな地震の際、拍子木で木の床を打ったような「カシーン」と言う音がして地震が始まったと言う記録は比較的多く、本震前の初期微動なども通常「音」として聞こえると言うよりは、電気信号の脳内変換異常、つまり感覚として聞こえていると言うのが正しいかも知れず、この場合は音が聞こえる人と聞こえない人に別れ、聞こえる人の数は圧倒的に少ないが、遠くで何千人もの人がざわついているような、或いは木の葉がゆすられてザワザワしているような音として聞こえる。

更に本震も実体音は無いが、これも電気信号を通せば聞く事が出来る。
つまり電話などを使っていれば「ザー」と言う雑音、または強い雨が降っているような音として変換される。

携帯電話等で通話中にこうした音が聞こえた時は、直後に大きな地震発生の可能性が有る。

また家のどこかの隅から時々ミシッと言う音が聞こえてくる場合、これは地震発生まで1ヶ月以内に多く現れる現象で、毎日、或いは3日に1度大体同じような時間帯でこうした音が発生する場合は、その地域が強震以上の震源近くの可能性が高くなり、家の隅からドーンと言う衝撃音が毎日、または数日措きに聞こえる場合も同様である。

これ以外にも最近ではLEDの発達で少なくなったが、蛍光灯のサイクル音が大きく聞こえる場合、家電製品の使用音が大きく聞こえる場合、微弱モーター音が大きくなる場合や、プーンと言う何かが作動したとき聞こえるような音がする場合は、翌日か直後に大きな地震が発生する可能性がある。

そしてドーン、ドーンと言う音は、殆どの強震以上の地震で事前現象として発生している可能性が高く、古来より暑い年、雷の多い年は大きな地震が起こるとも言われている。

ちなみに5月30日の小笠原諸島の地震のように、震源が200kmを超える深い位置に有る場合、地表までの距離は震源が深くなればなる程、表面上の距離の影響を受けない。
震源からの距離は表面距離に関係なく等距離に近ずく為、日本全体のどこが揺れが大きくなるかの予想が出来ず、余震も数年間続く場合が有り、同様の例は京都の400km越える震源のケースや、1980年代の北海道でも存在している。

決して異常なケースではなく、むしろ震源が深い地震の特徴と言うことが出来、この場合は震源から遠く離れた地域で揺れが大きくなる場合が有るが、こうした地震の前後5年程は他の地震や火山活動が頻発傾向に有る。

天と地と大地の下は一つのものである。
地上が乱れる時は天が乱れ、大地の下もまた然り。
刹那的な日本の地下深く、もしかしたら我々が予想も出来ない何かが既に始まってるのかも知れない。





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「大きな正義の後ろの隠れて」



さよなら夏の日(山下達郎) Classical Guitar Solo・・・・・

もう30年近くも前の事になるが、私が一時期勤務していた大手企業は、一般作業の作業員を人材派遣会社から求めていた時期があった。

しかし当時の人材派遣会社は今と違って、殆ど江戸時代の「口利き屋」のようなもので、大概の派遣社員は事情を抱えた人が多く、家族と連絡の取れないもの、夜逃げした者、或いは一般社会で普通に会社へ勤務できない人が多かった。

そんな中で私が同郷だと知った人材派遣会社の社員2名が、ある日私に声をかけたのだが、彼等は一様に自分の過去を気にしていて、一緒に働いている人にそれを話すべきか否か、またどう人と接して良いかが解らないと言う事だった。

2名とも私よりは遥かに年上の人だったが、一人は殺人を犯し服役が終った人、もう一人は暴力団同士の抗争に巻き込まれ、自分の組が解散させられた暴力団の元組長だった。

彼等は「自分達の事は恐いですか」と私に尋ねたが、私は彼らの中に誠実さや謙虚さを感じた事から、「恐いとは思わない」と答え、ついでに「この会社は仕事さへしてくれたら人の過去は問わない」
「あなた方は今は法的な責任を何も背負っていないのだから、堂々と過ごせば良いし、誰に臆する必要も無い」
そう、答えた記憶が有り、彼等は私の言葉に一挙に嬉しそうな表情になった。

だが結局それから1ヶ月後、一人は近くの食堂で働いていたウェートレスと一緒に行方不明になり、もう一人は宝くじを買いに行くからと言って仲間から金を集め、戻って来なかった。

この時代よく有る話で、結局彼等は彼等を見る周囲の評価通りの結末しか招く事は無かったのかも知れないが、私は彼等から自分達の過去について相談を受けて以降、彼等が自分で言うならともかく、私の口からは他の誰にも彼等の過去を話す事はしなかった。

同郷と言うだけの僅かな繋がりでも頼るしかなかった彼等、誰からも信じてもらえない彼等、そう言う結果しか招く事の出来ない彼等を、心の底のどこかでは自分だけでも信じてやりたかったのかも知れない。

行方不明なってから、特に金を持ち逃げされた人たちの不満は、彼等の批判となって私の耳にも入ってきて、勿論私はその時皆に同調して「あいつ等は元暴力団、殺人犯だったんだよ」と言う事も出来た。
そしてそれを話してしまったからと言って、彼等が私に報復すると言う事態も起こるはずも無かっただろう。

だが、私はどうしても本人がいないところで、その人間の悪口を言うその自分自身の姿が許せなかった。
もはや言うても詮無き事を言って、その時の周囲と同調するより、守れるものなら例え裏切られたとしても、彼等に自分の「信」を示してやりたかった。
いや、彼等のためではなく、自分の為にそうしたかったのだろう。

医師や弁護士、或いは公務員などもそうだが、自分が知り得た個人の情報を第三者に漏洩させる事は「守秘義務」に違反する事になり、こうした事は本当は「法」の以前に人として初めから制約を受けているものである為、民間の個人同士でもこれに準じた制約は「信」の一つとして存在する。

別の言い方をすれば小さな正義と大きな正義の衝突、小さな自由と大きな自由の衝突と言っても良いか・・・。

親しい友人、また家族が理由が有って犯罪を犯し逃走したが後に帰ってきた来た場合、我々はすぐにこれを警察に連絡できるか否か、そしてこれが夫婦や恋人同士だった時、なんの躊躇も無く騙して引き止め警察に連絡した場合、警察は勿論捜査に協力した事を感謝するだろうが、同時にこの夫婦や恋人同士には人間的「信」が無かった、そう言う関係の哀れさも感じる事になる。

「法」は大義であり大きな正義だが、それを唯守っただけでは人としての「信」を得る事は難しく、この大きな正義の中でどれだけ自分と言う小さな正義を反映できるか、反映させたかによって「信」と「不信」に別れ、これが法の外、民事の個人同士の約束の場合、更に小さな正義の重要性は高まる。

第三者が知らない情報を人から打ち明けられた者は、例えばその話の中で隠蔽や虚偽が有ったとしても、これをして悪と看做し世間に公表する事は、必要の無い大きな正義を使った自己保身、或いは守るべき小さな正義を放棄して、大きな正義の影に隠れた売名行為に同じかも知れない。

人から相談をされた者は、法に違反していなければ例え申告者に虚偽が有ったとしても、これをして第三者が知り得ない情報を元に社会正義を訴える事は、決して社会正義ではなく、小さな正義を自分で裏切った事にしかならないような気がする。

大きな正義の根本は小さな正義の集積であり、小さな正義を蔑ろにした大きな正義は正義とはなり得ないかも知れない。
また正義とは個人の思想、社会の思想でしかなく、ここで問われているものは他との比較ではない。
自分がどうなのかと言う事なのである。

昨今のインターネット事情に鑑みるに、情報を得る事の恐さ、必要以外の事を知る恐さを思う。
自分自身が勘違いした大きな正義に惑わされ、小さな正義を蔑ろにする誘惑がゴロゴロ転がっているような気がする・・・。









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「超規則性数」



【ひぐらしのなく頃に】you [extended trance mix short ver.]【トランスアレンジ】

数字の1から2の間隔は1と言う数字の倍、1と同等のものが加わって形成されるが、2から3の間隔は全体の3分の1が加わって形成され、4に至っては3に全体の4分の1が加わっただけで成立する。

このように数字は1が加わって行くだけで、その間隔はどんどん狭まり、数式としては分母分の1づつ加速的に間隔が狭くなって行き、これらが連続すると○兆分の1、○京分の1と言う具合に、数字が増えるごとに間隔は限りなく0に近付いて行くが、現代の数学体系、理論物理学の体系が予想する範囲では数字列の最終が予想できず、従って数字の間隔がどれだけ狭くなっても、間隔が0になることが許されていない。

同様に0から1の間隔を考える時、「無」が1と言う「有」になるそのきっかけは何かと言う最初の値は、数字が無限に並んで行ったその結果の間隔と等しいと予想されるが、人類はこの両方とも数値の予想ができていない。

数列に1を加える毎に、前の数列と1を加えた数列の間隔は0から1の間をどんどん0方向に動いていくが、この動きは数列が小さい時は大きく、数列が増えて行く度にブレーキがかかっていく。

つまり数字から数字の間隔は数字が増えていく最初、1の時に動きが最大になり、それから以降は進み具合が遅くなる。

始まった瞬間からブレーキがかかっていて、そのブレーキは終わりに近付けば近付く程強くなって行き、0で停止するが、その0に最も近い数列と0の間には宇宙の創造、或いは宇宙の消滅と同じ様な理解し難い「理不尽」が横たわっている。

この事から「1」や「0」は本当に特殊な数であり、超法規的数字と言う事が出来るが、こうして観ていくと単純に1から始まってそれに1を足して行くだけでも、そこに進行方向や流れが始まり、一方その進行方向とは逆からの流れも生じて来る、つまり結果から流れてくるものも垣間見えてくるような気がするのである。

もしかしたら我々は「0」の中を「1」を求めて彷徨っているのかも知れない・・・。

初夏の陽射しは僅かな眩暈と共に、少しだけ私を不思議な空間に導いてくれたのかも知れない・・・・。

或いは少しおかしくなって来たか・・・(笑)





「死者の場」



Sarah Brightman ft Fernando Lima Pasion・・・・・・

黄泉の国と言うと我々は一般的に地面の下、地下を概念し易いが、古事記の記述から日本を創世したイザナギ、イザナミの両神の内、イザナミ神が死に、それをいとおしく思うイザナギ神が黄泉の国にイザナミを訪ねたおり、腐食して醜い姿となったイザナミと、黄泉の国の醜女達に追われ逃げて来たところが「坂本」となっている。

「坂本」とはこれから坂を上るにしても下るにしても坂の下方向であり、逃げてきたイザナギと言う表現から、彼がこれから逃げるなら坂本に辿り着くと言う表現は整合性を持たず、従ってイザナギは坂を逃げてきて坂の下に辿り着く事になる。

つまりイザナギは地面の底から逃げて坂を上がってきたのではなく、坂の上から下へ逃げ降りてきたのである。
この事から古事記に観る黄泉の国は我々が暮らす土地(平地)に比して高い場所に在る事になる。

黄泉と言う言葉の「黄」は古代中国の陰陽五行思想の「土」を体し、古代中国では地下に死者の存在する場が有ると考えられたが、「ヨミ」と言う大和言葉に漢字の黄泉が充当された為、本来存在した黄泉の概念は変遷し曖昧になる。

日本に措ける最も古い黄泉の概念は地下を流れる泉、若しくは水である。

日本書紀にも同じような死者の国として「根の国」と言う表現が出てくるが、「根」とは終って帰る場の意味を持ち、太陽の沈む方向を示していて、日本で「根」が付く地名は「島根県」である。

この事から出雲地方を「黄泉」とする考え方が出てくるが、これは大和政権に措ける力の関係から発生してきたもので、聖徳太子の「日沈む国の天子にいたす」と同じような流れと考えられているが、一方黄泉の国の概念には「圏外」の概念が有り、日常に対する非日常、秩序に対する非秩序、統治外の概念が有り、平地に隣接する非秩序は「山」である。

死者を葬る場として我々が暮らす平地の下、「谷」にこれを投げ入れる事はしにくい。
しかし通常暮らしている場にそれらを葬ると場としての制限が増える事になり、非生活圏の少し高い場、近くの山がこれに最も適していたといたと言う事なのではないだろうか。

平安京でも京都盆地に対する嵐山などは「魔界」であり、日本各地に昭和30年代まで残っていた村落の火葬場は生活圏に隣接する山の中腹などに設けられ、そして山は恐れられた。

またイザナギはイザナミに会う為「根の堅州国」と言う所へ入り、そこから逃げ帰っている事になるが、黄泉の国と「根の国」は同一のものか、或いは別のものかと言う議論は諸説あるものの、「根の堅州国」と言う表現に在るように「根」は多くの国の総称であり、黄泉は「黄泉の国」である。
この事から「根の国」の概念の方が黄泉の国の概念より広さを感じ、黄泉は地下の泉をも指している。

地下の泉とは「生まれるものの基」であり、これとそれぞれの地域に存在した「非生活圏」の概念、死者の国が融合して「黄泉の国」が発生してきたと考えるべきなのかも知れない。

実際の黄泉の国はかなり狭い地域を指していた可能性が有り、例えば安来市造山古墳に見るように、鳥取県米子市夜見町(よみまち)から島根県松江市東出雲町黄泉比良坂(伊賦夜坂)までの地域が黄泉の国だった可能性も有り、主要地域に対して僻地性の高い場を黄泉の国として限定していたとも考えられるのである。

現在も残る黄泉比良坂(伊賦夜坂)、黄泉の国までの半分の道のりがこの坂だとされているが、平地に隣接する山を限定して死者を埋葬する思想習慣がそれぞれの地域に存在し、こうした地域に黄泉と言う漢字が充当されたものの、「根の国」に始まって日本の神の概念は平面思想であり、こうした中に黄泉に対する中国古典思想である「地下思想」が融合し、いつしか黄泉の国は漠然化した概念になってしまったが、基本的に黄泉の国は「彼方の地」である「根の国」の一部で、人界に隣接している地と言う事になる。

ちなみに黄泉の国には統一思想が感じられず、この意味では旧約聖書の「シェオル」、新約聖書の「ハデス」のように単なる死者のいる場所と言う概念に近いが、面白いのは死者が最終決定ではない点に有る。

「ハデス」にしろ「シェオル」にせよ「黄泉」にしても「その先」が在るのであり、死者の位置に関する決定が未来に先送りされている事である。

古事記や日本書紀、日本神話に観る死者のその後に対する関心は薄い。

これが「魂」の思想へと本格的に繋がるのは日本に仏教が伝来し、輪廻転生思想が伝わってからと言う事になるが、欧米の宗教観でも日本の宗教観でも、死者のその後に人間社会と相対する整合性が付けられるのは国家が形成され、そこで経済が発展してきた時期と符合する。

死後の世界の創造は現実世界の豊かさに比例して進んでいく。

しかし天国にせよ地獄にせよ極楽にせよ、或いは幽霊となって彷徨うにせよ、そうした「場」は創造できても、我々は死者が今どこに存在しているのかを知る事はできない。

死者を入れる箱は創造できていても、死者そのものの創造が出来ておらず、それぞれの宗教観によって死後の恐怖が蔓延しながら、死後は更に混乱している状態と言えるかも知れない。

北欧神話の中には大地が望まなくても落とされた精液で子を為す記述が出てくる。

原因に対する結果の考え方として、そこに意味が有ろうと無かろうと、理不尽で有ろうとも結果が生じ、そこから世界が動いていく話が出てくるが、日本神話などに見られる死者のその後の曖昧性は、先の解らない未来に対し、その現実を最も良く現しているのかも知れない。

解らない事を無理に解ろうとし、それを人間が自身の範囲で整合性を付けようとした時から死者の世界は混乱し始め、如いては生きる事の混乱が始まるのである。







プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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