「本物と偽者」



the brilliant green - LIKE YESTERDAY・・・・

1997年、「the brilliant green」のリードボーカルとしてメジャーデビューした、後の「Tommy february」「Tommy heavenly」のボーカリスト「川瀬智子」(現在は奥田智子)はこう言っていた。

「口パクでやらせてくれたら最高のパフォーマンスになるんだけどね、まっ、それが許されればだけど・・・」

ファッションとパフォーマンスに指向が存在していた彼女らしい言葉だが、実際にも「the brilliant green」が生出演したテレビ番組では明確に口パクでのパフォーマンスが存在し、彼女はわざと音源と口の動きをずらしていたり、「Tommy february」のミュージックビデオでは、自身が歌っている画像を流しながら、その途中でサボっている場面を織り込んでもいる。

昨今偽装、偽装と喧しい世の中だが、アーティストのコンサートでも本人が歌っていなくて音源が別に存在した場合、コンサートに参加したファンは「裏切られた」と思ってしまう事になるかも知れないが、飛び散る汗や参加者が一体となる感動は結構な事としても、しかし下手な歌を聴いているよりは録音で綺麗な音源を聞きながら、そしてパフォーマンスに集中できる事の良さ、完成度の高さは私も肯定できるものだった。

「良ければそれが最高・・・」
この削ぎ落とされた感性は「生で歌う」と言う事を中心に、両極端に分かれる拘りを軽く流して行くような余裕が有る。
本物、偽物と言う定義が一種くだらないもののようにも見えてくるのである。

奥田俊作と松井亮は当時既に京都のバンドで歌っていた川瀬智子に一目惚れする。
「俺達の楽曲を歌う者は彼女しかいない・・・」

奥田等は頻繁に彼女が歌っている場へ足を運び、やがて「the brilliant green」を結成、奥田の作る軽くてメロディアスな楽曲は、川瀬智子の声を通して世紀末の世に切ない感動を呼び起こして行った。

我々はよく本物、偽者と言う区別をするが、実は本物は存在しない。
与えられた事象を本人が本物と思っているだけであり、発生する事象は虚でも実でもなく、唯の存在でしかない。



「心」や「誠実」が存在する時代に人々は「心」を求めない。
現代社会のように「心」や「誠実」の無い時代だからこそ、それが求められ、それに人々は縛れられ小さな虚に向かって行き、与える者もまたこの小さな虚を恐れ、やがて全てが狂って行く。

川瀬智子が複雑な事を考えていたかと言えばさに有らず、奥田俊作がコンサートでコテコテなファン関係を求めていたかと言えば、これも違う。
楽曲と言う大きな視点と、ファッション、パフォーマンスなどが総合的に垣根を越えていたからこそ、その途中が省略され、感性の一致点を見たと言えるのではないか・・・。

こうして全くこだわりの無い彼らが作った歌を聴き、私も含めて当時の人々は自身の「心」を見ていた。

「心」を求める者は「心」に遠く、これを求めない者に「心」は近い。
「思う者は遠く、思わない者は近い」とはこうした意味である。

少し早いがクリスマスに似合いそうな彼らの楽曲を、プレゼントさせて頂いた。






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「マニエリスム」

生物が持つ価値判定の出自は「危険」である可能性が高く、この点で言うなら環境の中に多数存在するもの、現状で安定しているものは「安全」である事から、ここに緊急性を求めるようには構造されていない。

数の少ないもの、特殊なもの、動くものに対して最初に反応する。

そして人類のように社会が形成され、生存に関する不安が極めて少ない環境が現れると、その当初危険察知機能だった特殊検出傾向は一定の価値観に変質して行く。
人間の価値観、芸術的思考が常に劣勢、数の少ないもの、現状とは異なるものに向かうのはこうした背景を持つ為と考えられ、この意味に措いて芸術と危険、堕落は表裏一体のものと言う事が出来る。

また人間の感覚は生存に関する不安が縮小されると、それまでの最大の価値観だった生きると言う命題が特殊性から開放され感覚的に希薄なり、社会志向として意味の有る物事から意味の無い物事へと価値観を向かわせる。

イタリア語で「Manierismo」と言う言葉が有る。

発音上は「マニエリスモ」だが、フランス語や英語では「マニエリスム」と発音する為、一般的には「マニエリスム」と呼ばれるこの言葉の語源はイタリア語の「maniera」(マニエラ)であり、後にはマニアやマナーと言った言葉に分かれていくが、本来の意味は「マニュアル」(手順・手法、形式)である。

16世紀中頃、15世紀から16世紀前半に活躍したレオナルド・ダビンチやラファエロ、ミケランジェロなどを頂点と考え、これをあらゆる芸術、技術の手本とする動きが出てくるが、これをマニエラと言い、こうした絶対的な美術様式の確立に対して従う者と反発する者が時代ごとに起こってくる。

その結果良くも悪くもあらゆる比較の対象として存在してくる事から一つの思想、傾向として区分されてくるが、ここで出てくるマニエリスムは基本的に15世紀から16世紀の完成された都市感覚、停滞した時代を背景に持つ為、あらゆる方向で意味の有る事から無意味に向かっている時期、意味の無いものに社会が向かっている時期の感覚であるとも言える。

時代が実用性から非実用性、日常から非日常性に向かっていた時代だったと言う事であり、元々こうした劣勢、堕落と親和性を持つ芸術が発展し易い環境、天才の条件である特殊性、劣勢が評価され易い時代背景が醸成されていたと言う事である。

我々は一般的に天才と言うと何か特殊な絶対的な能力のように考えるが、本来生物は危険を背景とするそれぞれの環境に影響を受けた特殊性を獲得していて、言い換えれば全ての人間はどこかの分野で何がしかの特殊性を有している。

規模の大小、方向性は有るものの、全ての人間は役に立つか否かは別にして天才であるとも言えるのである。

唯、そうした特殊性を他者がどう評価するかと言う点だが、ここでその特殊性を次の何かに繋げる者が存在するか否か、その時代や社会がそれを必要とするか否かで、独立して存在している特殊性が汎用的価値を持つかどうかが決まってくる。

天才とはその存在の以前に社会や他者が特殊性をどう評価するか、どう評価したかと言う分岐点を持ち、これに拠って天才と劣化に別れて行くと言う事である。

後一点、「記録」と言う行為が有り、例えばダビンチなどは徹底したメモ魔だった。

彼は子供の頃から興味が有るものをスケッチしていて、後世彼が考案したとされるアイディアの中には、実は14世紀の「コンラッド・キーザー」が考案した軍事機材に類似しているものが有り、15世紀にはヨーロッパで広く流布されていたコンラッドの技術が、スケッチに残して置いた為にダビンチの発明と考えられて来た可能性が有る。

また同じようにダビンチより10年ほど先に生まれ、全ての意味で天才と謳われた「フランチェスコ・ディ・ジョルジオ」もダビンチが影響を受けた者の一人で、ラウレンティアーナ図書館に保管されていたジョルジオのノートの中には、長い間それがダビンチのものと考えられてきたものが存在したが、これはジョルジオのノートにダビンチが書き込みをしていたものだった。

筆跡に拠って区別されたのだが、ダビンチはジョルジオのノートを手に入れ、それに書き込みをしていて、このジョルジオのアイディアの中にダビンチが発明したとされる大方の発明が既に出現しているのである。

天才とはこうしたものであり、後に汎用的価値の大きくなる者はその以前の天才をも含めて大きくなるが、天才は自身以前の天才に影響は受けても崇拝はしない。
しかし自身の才がその以前の天才とは別に在る事を認識せず、以前の天才と同じ分野を目指していて及ばない者は以前の天才を崇拝する。

ミケランジェロの弟子「Giorgio Vasari」(ジョルジオ・ヴァザーリ)は勿論才能も有ったが、彼はルネサンス後期に在ってミケランジェロやダビンチ、ラファエロなどを手本として踏襲し、その彼の記録能力と政治力などに拠ってマニエリスムが完成する。

これはひとえにジョルジオの才がミケランジェロやダビンチに及ばない事がジョルジオ自身に拠って認識されていた為である。

一方元々同じ分野で才の有るダビンチの書き込みは無邪気なものとなり、その以前の天才のアイディアに対して「自分ならこうする」と言う思いが発生し、それを何の躊躇も無く書き込む為、以前の天才と同一空間に立つ事になり、ここにその発見や発明がその以前の天才のものか、そこに書き込んだ者に拠って為されたものかが判別不能となる。

つまり天才とは是非を問わず、その才の無い者に拠ってしか認められないと言う事である。

世界の発明の多くは突然現れるのではなく、その背景には多くの、時代に認められてこなかった特殊性の歴史が潜んでいる。

天才とはその突起であり、一つの結果である。
認められない時代にも挑戦し続ける特殊性が存在して始めて、天才が生まれるものなのではないか、そう私は思う。

ちなみに私の才能はとてもひどい方向音痴だが、これでは何の役にも立たないか・・・。




「椀の深さ」



ZARD 「負けないで」 cover by EMILY RETAKE・・・・・・

日本で「わん」と言う言語を統一的概念で漢字の表記を起すと「椀」と言う文字が最初に表記される。

これは日本の「わん」が一般的に漆器などの木製品を主流としてきた為だが、勿論陶器などの碗も長い歴史を以って存在し続けてきたが、一般的な、一番大きな存在感を持って日本に存在していたのが木製椀だったと言う事である。

「わん」と言う言語はその作られている素材に拠って漢字の表記が異なり、木製のものは「椀」、陶器や磁器、ガラスを素材とするものは「碗」、金属で作られているものは「鋺」と表記されるが、この形の起源は両手で落ちてくる水を受ける動作を起源に持ち、従って自らの命を繋ぐ液体、或いは準液体をこぼさないように「おし戴く」事を表している。

「椀」の基本はその行為に有り、器物の材料はこれに対する「従」である事から素材ごとに漢字表記が異なるのである。

これと比較して西洋の皿などは、種類はあっても言語表記は統一表記言語が一つ、または皿の深さに拠って表記言語が異なる。
つまり西洋の皿は素材ではなく形に拠る区別が為されている。

中国や日本の「椀」は基本的に液体かそれに近い状態を根底に概念されているが、皿は固形物を受け取る形をその始まりとしていて、例えば干し肉などを受け取る時、人間の両手は水を受け取る時ほど深さを求めない、両手を広げた状態でも受け取る事が出来る、或いは布を広げてその上に乗せてもらうと言う形になる。

それゆえここから中国や日本では液体食文化、欧米では狩猟に拠る肉などの固形食文化が根底に有る事がうかがい知れるのである。

また現段階で日本で一番多く使われている椀の素材は陶器であり、この点で言うなら椀の漢字表記が「碗」とならねばならないが、一番大きな統一概念が「椀」で有り続けている理由は、日本に措ける陶磁器製の碗の普及が明治以降の鉄道などの流通網に拠って為されたからで、それ以前は木製の漆器の椀の価値観が大きかったからである。

陶器などの器物は本質的には運搬に適さない。
重い事、運んでいる途中で割れてしまうリスクが有り、この為に各地域で生産されその地域で消費される事を基本としてきたが、その美術的価値が権力者に拠って認められた場合などは膨大な費用を要して運搬される事になり、ここに産地が依存する形態が発生すると、権力者の変遷に拠って産地が興亡して行く。

つまり陶器の場合は産地に拠って区別が可能だったが、木製品の漆器の場合は、勿論産地に拠っての区別も存在しながら、その使われている「漆」と言う素材に対する理解が余りにも一般化していない為、産地に拠る区別の上に「漆」に統一された全国的概念が存在し続けてきた。

「漆」と言う余りにも扱いにくい素材ゆえに一般的理解が曖昧になり、この曖昧さをして「漆器」と言う大まかな概念が発生し、それが安定した価値観が長かった為に、現在も漢字表記の統一概念が「椀」となっているのである。

日本文化は大陸文化を一流とする。
安土桃山時代に日本の造形、美意識、色彩感覚の全てが出揃うが、これらは全て中国大陸文化が朝鮮半島を経由してもたらされ、ここでは大陸文化こそが主であり、それが日本で発展した形態は「亜」と言う感覚が持たれた。

そして中国大陸では既に生産素材の難易性から漆器が衰退し、容易素材の陶磁器生産が発展した事から日本に入ってくる造形や色彩感覚はまず陶器から始まり、それを漆器が模倣する形態が発生してくる。

一方日本の政治形態は平安貴族支配から武家支配の封建制度に移行し、ここで発生してくる儒教的儀礼偏重主義は懐古重視を根底とする事から儀式祭礼用には、それ以前の文化である漆器が重用され、この文化形態は封建制度の終了時期、第二次世界大戦前まで連続する事になる。

一般的に封建制度は鎌倉幕府や徳川幕府などに代表される武家制度だが、こうした制度はそれが終了しても民族的意識から駆逐されるには時間がかかり、少なくとも日本が封建思想文化から開放されるには50年から70年の歳月を要し、この決定的だったものが太平洋戦争の敗戦と言う事になる。

中国大陸、または世界を見回しても日本の椀の形ほど深く両手で水を受ける食器形は少ない。
日本の椀を深くしたものは封建制度の権威の大きさだったかも知れないが、「椀」の形は或る種日本独特の形であり、この形の価値観が長く継続された来たものが、朱塗りの漆の椀だった。

それゆえ現在では既にこうした感覚も廃れてしまったかも知れないが、「わん」と言えば「椀」なのである。


ちなみに茶碗と言えば茶道の抹茶碗の事を言うとする者も在るが、これは事の正確性に欠ける。
茶が日本に入って来ていた時期は、文献からも律令制度時代には確認されている。
この事から茶碗は律令制度国家時には存在していたと見るべきで、後に日本で茶の湯文化が成立してくるのは古くても鎌倉時期である。

この事から茶碗と言えば茶を飲む碗の全ての総称であり、茶道のみが茶碗の主流を主張する事は適切ではない。

そしてこれは諸説解釈が有るが、昔の塗り師の中には漆を塗る前の木地の段階の碗を粗雑に扱った者がいた。
これは何故か・・・。
彼らは音を聴いていたのであり、粗雑に放り投げるように椀を重ねていく事で、割れている椀を探していたのだった。

またこの程度で割れる椀ならば、使っていれば遠からずその椀は割れてしまい、それを見過ごして漆を塗ってしまえば、完成してから割れたのでは補修しても強度を得る事は出来ない。
割れるものは一番最初にまず割って、それを漆でくっつけて紗を張って補強しておけば後に割れる事は無い、最も安定した強度を持つ椀となるからである。

事の初めに優しいものは、それが持つ本質的「劣」を見逃す。
「劣」は早くに陽の光に晒されれば「強」に転ずる。





プロフィール

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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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