「民主主義」



FINAL FANTASY 9 メインテーマ・・・・・・

「民衆は統治者とはなり得ない」

我々一般大衆と言う存在は常に意識されない既存統治状態を無視して物事を考えている。
現状で為されている政体の政策は全てが悪とはなり得ず、またそうした不完全な統治で有っても統治と言う事実に拠って為されている他国との関係、平和、戦争どちらにしても既存の確保が在って現状を比較している。

すなわち民衆の言う民主主義とはあらゆる点に措いて比較を始まりとする為に「創造」が無い。
正義も平和も自由も平等も、あらゆるものが現状に措いて被っている恩恵を0として、その恩恵に浴せない状態をマイナス、不足していると考え、この対角線上に正義や自由、平等の概念が築かれている。

私は家族に病人が多い為、よく病院から出された処方箋を以って薬局へ行き、そこで薬が処方されるのを待っている時があるのだが、ここでは自分より後に入ってきた者の薬が自分より先に処方された、順番が飛ばされたのは納得が行かないと、薬剤師に詰め寄る者の光景が時々見られる。

確かに自身は薬局が定めたルール、システムを守っているにも拘わらず、それを薬局自身が恣意的にしてしまっては、ルールを守った者は面白くは無いだろう。
しかしこの場合、薬局の恣意性は順番を飛ばされた者の推定であり、もしかしたら先に処方箋が出されていて、用事を済ませて薬を取りに来ているかも知れない。

或いは高齢者でバスの時間に間に合わない人の為にはかられた、薬局の善意かも知れないのだが、こうした情報の全てを順番を飛ばされたと思った者が全て把握する事は出来ない。

根本的には組織の一部として動いている薬剤師ですら、会社や他の薬剤師の判断、来ている客の事情の全ては理解できず、人の判断と言うものはその時に出現してきた状況と、自分の環境から来る推理形態に拠って為されて行く。

そしてこの場合、順番を飛ばされた者は何をしに薬局に来ているかと言えば、薬を処方してもらう為に来ているので有って、この点で言えば彼のみが他者と比較して高額な薬を買っているわけではなく、医療保険制度で公平な規則に従った薬価を支払い、そして順番が飛ばされたとしても薬を処方して貰えなかった訳ではない。

つまり、順番を飛ばされた者は薬を処方してもらうと言う目的は達成され、しかも薬価に付いても既存で平等性は確保されているにも拘らず、唯それを貰う順番が前後した事に付き問題を全体に影響させて考えてしまっているのである。

その上で自身が理不尽な目に遭ったと考える者は、周囲の人々の情報の全てを知って判断している訳ではなく、自分が知る範囲に措いて不平等、不正義を考えているが、本来の目的である薬を貰うと言う点に措いて大きな平等も目的も達成されている事を認識できない。

民主主義の本質はこうしたところに有り、民衆の描く民主主義とは個人の民主主義で有り、時代や環境、その個人の事情に拠って異なるものの中に絶対性や平等を見ていて、必ず範囲が存在する。

この範囲を広げる為には人間や社会の情勢を広く知る事が求められ、為により多くの人間が情報を提供し合う努力が必要になるが、前出の薬局の話ではないが人の理解とは情報の範囲に拠って閉鎖性を持ち、一度閉鎖された範囲は対立になる。

よしんば範囲が広がったとしても、その範囲は自身と環境が似ている者、つまり考え方が良く似ていると錯誤している者同士の範囲を超える事が無い。
民主制のdemocracyが古代ギリシャでは「衆愚政治」を意味していた事は周知の沙汰だが、これはフランス革命でも実証された歴史的な事実である。

個人が持つ範囲はどれだけ大きな知識を蓄えようが全体を把握する事は出来ず、こうした中で少し広めの視野を持つ者が集積しても、その民主主義はその集団の民主主義でしかなく、しかもこうした狭義の民主主義は他の民主主義を理解する努力を初めから持たず、比較から発生する為に目的が既存の破壊に留まるしか無い。

ビジョンを持たないのである。

現況の不満の解消、不平等や不正義の解消から始まる民主主義は目標が比較対象の殲滅であり、その比較対象が為している現状の維持に関する努力が評価できない事から、全体の把握を初めから拒否した状態にある。

この世界にスピード違反を一度もした事が無く、一度の嘘も付いた事が無い、法を犯した事が無く、人を裏切った事もない。
悪しき事を一度も考えたことは無いと言う者が在れば、その者こそが大きな嘘つきか、或いはもはや人ではない。

薬局の話に出てくるように、我々は人の事情の全てを知る事もなく、唯出現する事実が自身の信じる手続きに即さない事に対して怒り、こうした自身の在り様を省みる事も無く、更に他者が自身を理解しない事を不満に思うのであり、それゆえ民主主義と衆愚政治が「democracy」と言う言葉で同義となるのである。

民主主義は一般的に近代的な考え方と思われがちだが、完全民主制である直接選挙の概念は実は古典概念である。
しかし間接選挙制では君主政治や寡頭政治と大きな違いが無くなり、民衆の意見は反映されにくい。

そこで発生して来るのが「半民主主義」、民衆が干渉できる程度の間接民主主義の概念であり、これとて完全民主主義を目指すなら途中の過程のように見えるが、多くの者がが理想とする完全民主主義は、実はとても古典的な、古代には最低であるとされた政治体制である事を覚えて置くと良いだろう。

民衆が行う政治とは大きな目標を蔑ろにし、正義や自由平等と言った手続き主体のリンチ、恐怖政治に陥り易い。





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「semi-direct-democracy」



La Ronde Lunaire - Origa
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫の為に、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こる事のないやうにする事を決意し、ここに主権が国民に存する事を宣言し、この憲法を確定する」

これは日本国憲法の前文だが、これによると予め政府と言う組織は戦争の惨禍を起し易い、或いはその惨禍に最も近いところに在る事が前提とされている印象が有り、これは日本国憲法第98条の規定を見ても同じ印象が有る。

つまるところ日本国憲法は政府と言う存在を抑制する、またもっと極端な言い方をすれば仮想敵としている要件を持ち、憲法の精神が国民主権に有るなら、この国民主権を危うくする存在の近隣に政府が有る、若しくは政府とはそうなり易い組織である事が前提とされている。

太平洋戦争終結から間もなく、アメリカの憲法制度調査委員会の報告では日本の内閣制度、内閣総理性の矛盾点が指摘されたが、議会制民主主義の手本はイギリスに有り、これをあからさまに否定する事は出来なかった。

しかし、アメリカの憲法制度調査委員会は日本の議会制民主主義に措ける内閣、内閣総理大臣選定方式は極めて民主主義を具現しにくい制度である事を報告し、この制度は民主主義を長く維持できない事を指摘していた。

日本の議院内閣制、総理制度は民主主義を長く維持できず、いずれ国民主権を侵す存在となり得る事を前提として日本国憲法の草案を修正した経緯を持つ。

日本国憲法はその憲法の精神を侵す者が政府である事を出発点として、政府の権限を抑制する方向で草案された。

それゆえ政府、内閣を形成した与党内閣は常に日本国憲法の制約を受け、これを排除しようと憲法改正の声が上がってくるのはある種の必然でも有る。

日本国憲法第98条を具体的に判断する組織は最高裁判所だが、この裁判所で違憲の判断が出た場合、言葉で言い逃れる事は出来ても完全に無視、若しくは否定すると98条の「憲法に違反した法令、国の行為は全て無効となる」が必ず引っかかって来る。

98条を担保する強制権がどこに在るかと言えば、その存在は国民主権に逃げているから具体的な措置が有る訳ではないが、世論、次回選挙などに拠って国民は98条を主張する事になる。

またこうした意味では国民の代表である国会は常に政府の政策に対し、国民を代表してそれを審議する権利と義務を負っているが、政府を形成するものが与党議員である場合は政府と国会が融合した状態を発生させ、行政(内閣)立法(国会)司法(裁判所)と言う三権の分立構成の内、行政と立法が融合した状態に陥り易く、これを日本国民の国民性が許容し易い事をアメリカの憲法制度調査委員会は指摘していたのである。

アメリカは合衆国だった事から、その州法には半直接民主制が多く存在していた。

民主制度には直接民主主義と間接民主主義が存在するが、国民の代表が議会を形成する以上、国民は代表を通して選挙でしか自身の意思を主張できず、この事は国民自らが権利を行使すると言う、民主主義の原則とは本来相容れない要素を持っている。

為にイニシアチブ(国民発案)とレファレンダム(国民表決)の規定を設けていたのだが、イニシアチブとは一定数の国民が発議した法案に対して議会の審議を義務とする制度、一方レファレンダムは議会が可決した立法に付いて国民の賛否を問い、その結果を最終決定とする制度を言い、これはアメリカやスイス連邦では古くから存在している当たり前の制度だった。

しかし第二次世界大戦前後ではこうした考え方は国際的に一般化していなかった。

まして民主主義に初めて接した如くの太平洋戦後の日本に鑑みるなら、この制度は少し早いと判断された経緯が存在したかも知れない。

イタリアは1947年、憲法にイニシアチブとレファレンダムを追加、1958年にはフランスが同様にこの2つの半直接民主制度を導入、その後世界各国の多くがこの半直接民主制度を導入したが、日本の憲法は政府を仮想敵としながら、その善性を信じる曖昧なままとなっている。

イニシアチブとレファレンダムと言う半直接民主制度は、基本的に議会(立法)に対する国民主権の介入であり、立法の権限を国民が直接議会と分有する事で、他の行政(政府)や司法に対して立法の独立を明確にする効果が有り、国民が立法を通して能動的な国家機関の一部となる事をも意味している。

また同義では財政も同じ事が言え、国家財政の最終責任者は政府ではなく、その効果は実損を含めて全て国民が責任を負わなければならない。

この事から財政もまた、民主主義に鑑みるなら国民の代表である国会が厳しく審議しなければならないが、やはり与党が内閣を形成していた場合は国会と内閣は融合してしまい国民の意思が反映されない。

日本人の多くが政治に関心を失うのは、それに直接参加する機会を失っているからに他ならない。

自衛隊の派遣法などと言う端則を巡って為される憲法改正ではなく、国民が政治に直接参加する機会を設け、国家の運営が国民と常に一体である為に憲法改正の道を開くなら、日本国憲法第98条は必要が無くなる。

政府はこれに拠って国民主権を担保し、国民と対立するのではなく、国民と手を取り合って、助け合って日本国の繁栄を築く事が出来るのでは無いだろうか・・・。




「階段落ち」

「あっ」と思った瞬間だった。

滑った靴下に拠って階段の端から足が外れ、宙を舞った私の体は勢い良く長い階段をすべり落ち、最後に待っているコンクリートの土間にしこたま腰を打ちつけて止まった。

数年に一度は経験する「階段落ち」だが、私の仕事場は2階にあって、そこには長い木の階段がかけられているが、木製の階段は使っている内に適度な光沢なども出てきて、とても良い滑り具合になっている。
それで数年に一度は派手な「階段落ち」をやってしまうが、落ちる瞬間「これはまずいぞ」と思いながら落ちて行って、最後コンクリートの土間に体を打ち付けると、大体30分は痛さで起き上がれない。

やっと体が動くようになって、這うようにもう一度階段を上がった私が、擦りむいた両肘の裏側に絆創膏(ばんそうこう)を貼っていると、そこへまずい事に代表が出勤してきて、彼女は私の姿を見るなり、「またやったんですか?」と尋ね、私は「な~に、大したことは無かった」と答えた。

「私はね、その内親方(私の事)がいつかあっと言いながら階段から落ちて死ぬんじゃないかと、いつもそう思ってますよ」
そう言う代表に私は10年に1度の事だ、そんな頻繁に落ちている訳ではないと反論するが・・・。

「何を言ってるんですか、少なくとも年に2、3回は落ちてますよ」
「えっ、そんなに落ちてるか・・・」
「当たり前ですよ、覚えてないだけですよ」

と言う展開になって行く。

そして彼女曰く
「階段から落ちて死んだなんて、そんなふざけた死に方では、葬式に来た人はみんな怒りますよ」
と、続く事になる。

確かに家の実情もそうだが仕事も長い企画が進み、今階段から落ちて死んだなんて言うと「あのヤロー、なめた死に方しやがって」と言う事になりかねない。
彼らの怒っている顔が目に浮かぶようだ・・・。

昨夜は父親が腹痛を訴えて緊急入院、そして今は自分が階段落ちとは少しついていない・・・。
おまけにつまらぬ場面を見つかって代表からチクチク言われ、普通ならこれで意気消沈となるのだが、絆創膏を貼り終えた私は何故か機嫌が良かったりする。

それは何故か・・・。
元々強い凶男の私は大体こうしてついていない時の方に、その後に良い方向へ向かう判断をする傾向が有り、ついでにこうした時には金銭的なツキが有る。

階段から落ちて数時間後、参加している団体から余剰金が発生したとの事で10万円が舞い込み、やはり共益事業の積み立てが補助金が出る事になって還付、こちらは20数万円が即日入金された。

背中も腰も足も肘も痛いが、守銭奴の私としてはこうした事の嬉しさの方が自身の体の痛みに勝る。
どこかでは命より金だと言う部分を棄てきれず、しかも悪い事が有ると少しだけ未来に希望を抱いてしまうのは、こうした背景が有るからかも知れない。

それにしても昨日訪れた農機具店の店主の話ではないが、12月のこの暖かさはやはり少しおかしい・・・。
どうしても能登半島地震の時の事を思い出してしまう。

12月25日に雪が降ってから1月、2月と暖かくて全く雪が降らず、2月後半になってやっと雪が降ったかと思ったら、3月には震度6強の地震が発生した。
阪神淡路大震災の時もそうだったが、関東大震災を予言した小玉呑象(こだま・どんしょう)が言うように「地震の前には温暖なものなり」はある意味説得力を持っている。

日本の気候はこの後12月17日くらいから一時的に冬の気候になるが、その以後はまた暖冬傾向で有り、エルニーニョ現象と言う事が出来る。
地震は決してエルニーニョ現象に併発するものではないが、そのエルニーニョ現象もどこまでが基本範囲なのか、どこからがエルニーニョを超えた異常なのかが明確にならない。

日本各地で「何かおかしい」と言う声が聞かれる昨今、今の連続が未来なら、おかしいと思える今の連続の先には間違いなく「何かおかしい事」が待っていると思わねばならない。

唯、気にかかるのは「何かおかしい」と言う声が日本各地から聞かれる事で、この意味では先に待っている「何かおかしな事」とは日本全土に及ぶものかも知れない恐れが有る。

ちなみに「地震の前には温暖なものなり」にはもう一つ注意点が有る。
それは温暖な気候の、その温暖な感じが収束して平年値に戻ったところで巨大地震が発生する傾向に有る事で、この温暖から平年値に戻って地震が発生する間の時間はランダムであり、特定の傾向を持たない。

温暖な気候が収まった翌日の場合も有れば、1ヶ月後の場合も有り、こうした傾向から巨大地震が発生するまでには、更に多くの「何かおかしい」が積み重なって行く。

ちなみに中規模の地震は雨の日でも発生するが、巨大地震が発生する直前の気候は「晴れて風が無い」が状態が多く、場合に拠っては例え嵐の最中でも巨大地震の場合は、その嵐を一時的に停止させて発生する場合が有る。



「通貨の自主性」

通貨制度に措ける流通過程には通貨を支払った者、受け取った者双方にその行為を為すまでの経費がかかり、通貨が移動する場合には移動経費が必ず必要になる。

銀行が扱っている主力商品が通貨である事に鑑みるなら、銀行の収益は通貨の移動手数料に拠って発生していて、例えば自身が取引する銀行の建物施設、行員の給与などは認識、非認識を問わず、その銀行を通して通貨を移動させた者たちの損益、未来に被るべき利益の一部を原資とした投資利益に拠って維持され、この投資が循環して自身の為す職業に薄く利益が再配分される。

一方国家や地方に拠って徴収された税も同様に移動に関する経費がかかるが、国家は基本的に事業収益を為していない事から、徴収された税の償還方法は国債の発行を含めて、未来に措ける増税となる。

この為、よく言われる「きめ細かい税制」と言う在り様は「税制の煩雑化」を意味し、通貨移動の経費が徴収された税や配布される還付金の中から差し引かれない限り、税制の煩雑化に拠る損失分が更に増税される、若しくはその経費分を税の徴収者以外の者が負担しなければならない。

尤も税が所得税などの直接税に拠って成立しているなら、国家が起す財政の出動は投資と同じ意味を持つが、これが間接税などに転落している場合、国家の債権利子の支払い、社会保障費用、または国家威信に関するイベント、オリンピックなどがこれに該当するが、こうした予め目的が定められたものの為に徴収された税は社会投資とはならず、その支出された税に措ける経費は将来の増税に拠ってでしか償還されない。

「間接税」は基本的に現在、未来を含めた「後始末」の為の税である事から、ここから通貨が移動した事に拠って発生する投資効果、利益は発生せず、増税若しくは民間や国家の下部組織である地域行政がこの負担を被るのみの、損失しか発生しない税である。

良く消費税増税の前には駆け込み消費が発生するので、景気には影響しないと言う経済学者が存在するが、駆け込み需要がその後に発生する売り上げの低迷による損失を超える事は有り得ず、また自動販売機やスーパーのレジなどは消費税増税に拠って機種変更やシステムの改変が必要になり、この為に機械メーカーなどの需要増が景気に好影響をもたらすとする者も存在するが、こうした者が経済を語る資格はない。

企業がシステム改変に拠って支払った金額が全額償還されてもプラスマイナス0であり、支払いを受けた機械メーカーから徴収される所得税は所得の一部であり、企業が払った全額が徴収される訳ではないから、こうしたところから集められる所得税は経済を動かす規模にはならず、増益となった機械メーカーもその後の所得税増税の為に利益を蓄える方向性しか持たない。

企業は消費税増税と共に、国家が集める通貨の移動に関する経費をこうして負担している事になり、これに還付や軽減税率還付等が為される場合、通貨移動に関する経費は還付された金額の額面が少なければ原資を超えて「損失」を発生させる。

つまり、軽減税率で3万円を低所後者層に支給する場合、国家や地方行政、民間が支払った金額の合計は軽減税率で還付された金額の合計を超えている場合が発生する。
その上で還付財源が無く、他の税を増税して財源を作る場合、この他の税に関わる通通貨移動分経費がかかり、結果として還付に拠って発生するものは「その効果を超えた損失」となる。

通貨移動で最も効率が良い方策は「移動をしない」事である。

この為通貨決済でよい効率を保つのは「相殺」に拠る決済であり、これよりもっと有効なのは「通貨の自主性」と言う事になる。

税を集めてそれで投資を行い、更に大きな利益を発生させて市場に還元するなら、税制は国民の利するものとなるが、集められた金が全て損失になり、更にその償還や経費がまた増税に拠ってまかなわれる税制は、もはや税制の意味を持っていない。

消費税増税でも10%に上げて、低所得者層に一定の金額を還付する経済効果と、ならば低所得者層の事を配慮して9%に抑えましたと言うのとでは、後者の方が国家国民全体の損失は少なくなり、予め10%だったものが1%下がったと言う事は、雰囲気として国民全体に税が軽減された印象を与える事もできる。

増税して還付を行うのはマイナスにマイナスを重ねる最低の策であり、通貨は移動しないほど全体に措ける相対的原資価値を失わない。

国家と言うものが事業で利益を上げる組織でない以上、一度集めてそれを国民に配分する方式は、通貨の移動にかかる経費を増やすだけであり、この点に措いて通貨は出来るだけ多く初めから民衆の手元から移動しない事が最も効率の良い、通貨移動の在り様と言える。

解り易く言うなら、税制で集めて能力のない者が無駄遣いしていてはいけない。

国家や国民の繁栄を思うなら、金は出来るだけ集めずに民衆の手元に残れるようにするのが一番効率が良い、税は出来るだけ数を少なくし、更に出来るだけ集めない事が国家や国民に為にも、通貨の為にも最も効率の良い方法だと言う事である。

国家や国民が疲弊した時行う政策は2000年前から同じである。
税を減らし役人の数を減らす事が、最善にして他に方法の無い唯一の方法なのである。







「小さな傘」

Trans-Pacific-Partnersip(環太平洋パートナーシップ)、所謂TPPの始まりは「環太平洋戦略的経済連携協定」(Ecornomic-Partnersip-Agreement)、EPAであり、ニュージーランド、シンガポール、チリ、ブルネイの4カ国自由貿易協定が原則の拡大会議となっている。


TPPに参加している日本ではその関心の高さから、こうした協定がまるで国際的な潮流のように感じるかも知れないが、これは実質アジアのブロック経済政策の意味合いを持つ。
台頭してくる中国の相対的発言力を恐れたアメリカは、中国の権益拡大阻止の観点からこうしたローカル自由貿易協定に参加し、自国の権益確保を図った。

更にこうしたローカル協定に日本を巻き込んだ背景には、どうにも理解できない日本の流通制度の煩雑性、過剰なまでの細かい基準に拠って守られている日本の貿易障壁、これをTPPに拠って撤廃させる目的が有ったが、もう一つ重大な意味合いが存在していた。
それは経済制度に拠る中国共産党の攻撃である。

経済的に台頭してくる中国の経済は共産党が支配する統制経済である為、自由貿易協定に参加する為には自由貿易協定に順ずるフレームに参加する必要が出てくる。
自由貿易の原則は公平で公開された基準を必要とし、この意味では共産党支配経済が自由貿易協定に参加する為には共産党支配経済の脱却、会計制度の公開が必要になってくる。

つまり中国がTPPに参加するには共産主義を辞めてしまわない限り不可能なのであり、アメリカは自由貿易協定に拠って中国の思想崩壊とアジア経済からの締め出しを画策し、尚且つTPP全参加国の合計国内総生産(GDP)の90%を日本とアメリカで占めながら、発足4カ国の拡大会議と言う立場を守っている。

TPP参加国全体総生産の90%を独占する日本とアメリカと言う性質は、実質上日本とアメリカの2国間FTA(貿易協定)に等しいが、これがTPP発足当初のローカル協定と言う傘の下に入っている。
初めから傘より大きな人間が2人も小さな傘に入ったおかげで傘が大きくなり、でもこの傘の持ち主は元の人のものですよ、と言う事なのである。

アメリカ国防総省戦略会議(仮称・正式名称は非公開)は合衆国の国家戦略に措ける経済分野の戦略に関連してTPPは有益である事をレポートしているし、場合に拠っては当初の発足4カ国の背後には初めから合衆国の影が存在していた可能性がある。
アメリカ日本が主導したのでは当然中国は反発するし、アジア戦略と取られかねない、しかし第三国のローカル協定に対して中国は反発できない。

これが小さな傘に入った大きな協定なのである。

中国は共産党支配体制を辞めない限りTPPに参加できない。
そこで内政不干渉が原則のIMF(国際通貨基金)での地位向上を目指したが、 確かに通貨では国際市場に中国の通貨「元」を認めさせる事は成功したものの、ここでも内政は不干渉だが会計手続き上での透明性や公開を巡っていずれ中国は共産党支配経済を放棄するか、或いはそれを守って対立するかの選択が訪れる。

また中国主導の「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)の設立も、こうしたTPPの影響の大きさに比例して実現したものである。
当初合衆国は日本のTPP入りには消極的だった。

包括協議はまずまとまらないだろうとの思惑からだったが、実際は「甘利明」経済担当相の岩の隙間を這う清水のような粘り強さだった。

中国がAIIBの設立を急いだ背景には、日本のTPP包括協議合意に向けた速度を意識したものでも有ったのだが、こうして発足したAIIBは腐敗と汚職の温床である中国共産党支配である。
中国人民元の価値はいずれの時期かに拠って確実に共産党自身が崩壊させる時期がやってくる。

AIIBの発行する債券の格付けは「無」であり、これは何を意味するかと言えばリターンはおろかリスクも全て闇の中と言う事である。

全て中国共産党支配と言う人民元を担保するものは全く無い状態で、誰がその債権を引き受けるのかと言う問題は、中国が統制経済から脱却するか、それとも中国が全世界を支配するかのどちらかの選択しか最終合意が無い話なのである。

アメリカ合衆国は中国との直接的軍事衝突のリスクを考え、経済に拠って中国の開放を目指してきたのであり、その一環がTPPだった側面を持っている。

日本のTPP参加は経済の相対性、自国農産物などと自動車などの輸出収益の比較から輸出尊重に動かざるを得ない事情に因を持つが、世界的な視野ではアジアが経済的にブロック化する事を阻止し、そして中国を追い詰めるアメリカの戦略でも有る事を理解しなければならず、この意味では日本の積極的なTPP包括合意に向けた努力は、自由主義経済に措いて大きな意味を持っていると言える。

来年から田んぼの耕作面積を大幅に減らす事にした私のところへ、珍しく中山間地水田補助金事業の会長がやってきて来た。
「環境の為にも、里山保全の意味でも、若い人には田んぼをしていて欲しいのだが」

と言う事だったが、年金を貰って補助金で米を作る。
一体いつの時代に環境や自然の為に米を作った時代が有っただろう。
生活の為、生きていく為にみんな米を作ってきたのではなかったのか、環境の為に米を作れるほど私は優雅ではない。
「日本の農業を壊すのはTPPでも政府でもない、お前らだ」

そう言いたかったが、私は黙って下を向き、そして「やって行けないので・・・」と答えた・・・。






「天意と景色」



Sia - Chandelier (Official Video)・・・・・

必ずしも全てが符合する訳ではないが、歴史的には世界的な視野でも国家や民族が大きな変化を起す時、その前後には気候の寒冷化、若しくは温暖化が存在し、これに並立して火山活動や地震活動が活発化する傾向に有り、この気象と地殻活動の変化をどちらが主としてどちらを従とするかの区別は難しい。

我々は一般的に社会システムが変化して行く過程を国家の成熟度、政治的、経済的変化、或いは豊かさに拠る慢心等の要因として考え易いが、例えば日本の縄文時代は温暖化傾向に有り、この温暖化から気候が寒冷化に向かう過程と前後して縄文文化は弥生文化へと変遷し、やがて中世には温暖化へと向かい、この過程では平安貴族社会から武士の封建制度が発生してくる事になる。

更には近世、江戸時代にはまた寒冷化に向かう事になるが、ここでもその寒冷化が最も深まった19世紀半ばに徳川幕府は大政奉還し、近代の明治政府に移行する。

そしてここから緩やかな寒冷化の緩和が始まり、やがてこの寒冷化が温暖化に向かう過程、1940年前後には太平洋戦争が横たわる事になるが、このいずれの時期でも、少なくとも記録に残っている範囲では気候が激化し、南海地震や東南海地震、関東地震が発生し、富士山が噴火している。

尤も富士山の噴火に関しては1854年を最後にマグマが噴出するような噴火は起していないが、中世以降の富士山の噴火傾向として100年くらいの周期と、300年から400年くらいの大きな周期が漠然と見て取れ、1854年の噴火も火の手は確認されたものの、実際の噴火活動は100年周期クラスの小規模なものだった。

この意味では富士山のマグマ噴出クラスの噴火活動周期の最新記録は1707年、宝永大噴火と言う事になり、次の周期に達していない可能性が出てくる。
300年周期なら2007年、400年周期なら2107年と言う事になるが、どの周期も正確に400年を待ってはいない。

200年の後半、300年の前半での発生は勿論周期の範囲と言う事になる。

そして一つ言える事が有るとするなら、こうした火山噴火や巨大地震、社会システムの変化の前には間違いなく気象の激化、異常気象の増加、気象の局地性と集中性が出てくる事であり、これに鑑みるなら気象の激化や局地性、針の先のような局在激性気象が出現した時には気象が寒冷化か温暖化に向かう変化の兆しと言え、火山噴火や巨大地震の発生に備えると共に、社会システムが変化して行く過渡期に来ている事を認識する必要が有るのかも知れない。

今夜はこうした気象の変化と激化、自然災害と社会システムの崩壊が重なった最も顕著な事例、日本の歴史上唯一の天皇に対する直接クーデター、平将門の乱が発生した時期を参考に、僅かばかりだが気候と天意と言うものも少し考えて見たい。

中国大陸や朝鮮半島との関係が安定期を迎えた律令国家晩期の日本は、海外との交戦の必要度の薄さから軍隊機構を縮小して行ったが、これにより天皇制は権威は有ってもそれを担保するものが失われ、地方から始まって官僚機構が腐敗、統制が取れない状態のまま平安京では優雅な貴族文化が花開いていた。

しかし845年に生まれた菅原道真が19歳の時、864年には富士山が現在の青木が原を形成したとされる貞観の大噴火を起し、この少し以前から存在した天候不順と地震の多発、それに気象の激化で農業生産は極めて深刻な状況となっていたが、平安の都ではこうした庶民の貧しい暮らしを省みる事も無く税を取り立て、花鳥風月をめで、恋の歌が詠まれる雅な暮らしが続いていた。

903年、菅原道真は左遷された大宰府で永眠、平将門は940年、37歳で流れ矢に当たって死亡しているとされる事から、奇しくも菅原道真が没した年に誕生している事になる。

この事から平将門が天皇に反旗を翻し、自身を新皇(新たな天皇)と名乗った、その担保を菅原道真に求めたか、或いは菅原道真を担保とする為に誕生年が操作されたかは解らないが、903年に菅原道真が没して以降政敵の「藤原時平」が死亡、朝廷では子供や孫などが次々死亡し、930年には朝議中「清涼殿」に落雷、多くの高官が死傷した事も有って、菅原道真の祟りを恐れる朝廷に取って、新皇の担保が菅原道真と言う在り様はただならぬ事態だった。

この時期、おそらく平安期の温暖化はかなり進み、これに拠って気象が激化傾向に入り、ついで富士山が活発に噴火活動を始める。

高温は各地に疫病を発生させ、天候不順から農作物は不作になり、そこへ東国蝦夷など半ば奴婢のようにしか考えていなかった平安京は無慈悲に課税し、その徴収は統制の取れていない国司官僚に付託、国司は場合に拠っては通常税の2倍、3倍と言う税を徴収して私服を肥やしていた。

937年、富士山が再度噴火、これに拠って関東は農業生産に甚大な被害を被るが、朝廷側の課税は減税措置も無く関東では農地を棄てる民衆が続出し、こうした人々が姻戚中で権益抗争の最中に在った平将門の人柄を慕って集まって来ていた。

将門は自分を頼って来る者を決して見捨てる事が出来なかった。
それゆえ彼は怒涛の先端に在って自らを新皇と名乗らざるを得ない状況に追い詰められて行ったが、おそらく新皇を名乗った時期から既に自身の死期を予見していたに違いない。

940年2月、農作業が始まる事から兵達を村に返していた将門は、僅か400の兵で朝廷編成軍4000と渡り合い、おりからの北風を味方に弓矢でこれを撃退する。
しかし勝ったと思った瞬間、北風が一瞬逆に入れ替わり、油断していた将門は敵陣から流れてきた矢を額に受け馬上から落ちる。

この様子は1976年NHK大河ドラマの「風と雲と虹と」でも描かれていたが、大河ドラマでは矢を射た者が特定されているような表現がなされていたが、現実には風に乗った1本の矢であり、後世戦を前に兵士を村に返す事を失策とする意見も有るが、困った者は女子供、農民まで救おうとした平将門のこうした優しさこそ力の源であり、人々が苦難にあえぐ時どこかで将門に救いを求める、国家の最後の担保としての将門には、勝つ為に自分を慕う者達を犠牲にする事は出来なかった。

これだからこそ将門なのである。

そしてこうした心優しき善の者がどうして1本の流れ矢に倒れるのか・・・。
「将門記」には花が開くその瞬間落ちたかの如く、燦然と輝く月が昇り始めたその時、雲が月を隠すように・・・と記されている。

天意は意味を持たない。
その時々で善で有るか悪で有るかを問わず、先に通じるものである。
平将門がもし天皇に打ち勝っても、彼が開くのはやはり自身をトップとする天皇制である。

だが将門が討ち死にし、それを討った方の子孫が平清盛で有る事を考えるなら、その清盛と縁の深い織田信長がやはり天皇制を否定しようと試みる事を考えるなら、最初に後の何かが在って、そこに将門の役割が有った様に見え、もしかしたら将門は死の直前にそれを全て知ったかも知れない。

天意は流れ行く川の水面の煌き、風に揺れるススキの穂・・・。
私は時々天意とはこの毎日の気候、景色なのでは無いかと、そんな事を思うのである。





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