「さば味噌煮定食」



山本潤子竹田の子守唄.flv・・・・・・

30年近く前、どう言ういきさつでそうなったのかは解らないが、最先端のデザインと伝統をコラボレーションしたものを創りたいと言うデザイナーから連絡が入り、そして私は東京へ打ち合わせの為に赴いた時があった。

そのデザイナーは当時新進気鋭のかなり知名度の高い人だったが、私よりは少し上の30代前半の人で、長い髪にジーンズにTシャツ、それに少し暗いグレーのジャケットで、顎鬚を生やした細身の男性だった。

とても人当たりが良くて、私の仕事に関する要望も許容範囲が広く、事務所での打ち合わせは3時間ほどで殆ど終わってしまったが、遠く能登から出向いてきた私に気を遣ってくれたのか、打ち合わせが終わったら「食事にでも行きませんか」と言われ、私は喜んでこれに同意した。

そして彼と2人で外に出たのだが、どうやら彼が私を連れて行きたかった店はその日休業だったらしく、彼は苦笑いをしてまた歩き始めたが、やがて1時近くになり付近に田舎者の私が喜びそうな店も無く、仕方なく近くに見える本当に普通の下町の食堂と言う感じの店の前に立ち、「ここでも良いですか」と言う彼に、私は「大丈夫です」と答えた。

そして中に入った私達だったが、そのデザイナーは私に「何にしますか」と尋ね、私はもしかしたらおごりかも知れないと思って650円の「さば味噌煮定食」を選択したら、彼も同じものを頼んだのを見て、「ああ、この人もいつも時間が無い人なんだな」と、漠然とそう言う事を思ったものだった。

でもそうした時間の無い人が、年下の私の為に食事の時間を割いてくれた事が私は嬉しかったし、彼の為であれば報酬如何に拘わらず全力で仕事をしなければと思った。

やがて「さば味噌煮定食」がテーブルに運ばれ、私達は割り箸を割って食事を始めたが、その店には棚の上に14型の小さなテレビが置いてあり、こんな時間にと思ったが何かの歌謡番組が放送されていた。

2人とも黙って食事をしていたが、そんな時テレビから「竹田の子守唄」が流れてきて、当時ユーロビートで「行け行けドンドン」の時代には相当流行遅れの曲に、このデザイナーはどんな反応をするのだろうと思って彼に目を向けたら、彼は箸を持ったまま食事の手を止め、下を向いたまま黙って聞いていた。

もしかしたら彼は泣いていたのかも知れなかった・・・。

私は彼を邪魔しないように竹田の子守唄の演奏が終わるのを待って彼に声をかけた。
「この曲は好きですか・・・」
「あっ、いやそうでも・・・」
彼は私に何かが見透かされる事を恐れたのか、一度肯定しそうになって、次にそれを否定した。

「私も暫く前には上野に住んでた時が有って、そんな時この竹田の子守唄とか、高橋竹山とかを聞くと、暗くてダサくて大嫌いなんだけども、何故か逃れらないところがありました」
「どこかで故郷の事を思い出してしまうんですね・・・」

私は黙ったままの彼にそう語りかけた。

竹田の子守唄は部落差別の厳しい環境を歌ったものだったが、確か「赤い鳥」と言うグループがこの楽曲を出したとき、一時放送が自粛された時期が有りながらも、多くのアーティスト達に「この楽曲にだけはどうしても勝てない」と言わしめた名曲だった。

これを聞くとどんなに浮かれた場面に在ろうとも、私は故郷の父母や祖父母が働いている姿を思い出したものだった。

私は部落出身ではないが、この楽曲に出てくる風景は田舎の私の暮らしとそう大きく変わるものではなく、今でもこの楽曲を聴いていると、驕った自分が本当は何者なのかと言うところへ引き戻され、現実の前に流され続けて来たその姿を恥ずかしく思うのである。

かのデザイナーもおそらく部落出身ではなかったと記憶しているが、新進気鋭のデザイナーと言う立場が、もしかしたら肯定しかかって否定した在り様に現れたのかも知れない。
だが人目もはばからずに楽曲に聴き入る姿に、彼のこれまでと自身を重ねた私が有り、コラボレーションは無事成功したが、それから暫くして彼の名前は消えて行った。

デザイナーと言う回転の速い流れの中で生き残って行くのは大変な事で、彼もまたそうした流れの中に在る事を当時から知っていたのかも知れない。

私は竹田の子守唄を聴いて涙を流す人間の事は好きだ。
でもそれ以上に、その涙を人に見られまいとする人間の事がもっと好きだ。
誰よりもその人間を信じる事ができる。

彼もまたどこかで時にはこの「竹田の子守唄」を聴いているだろうか・・・。
そしてそのおり、故郷を思い、涙を流せる人で有り続けてくれているだろうか・・・。
出来れば死ぬまでにもう一度彼と一緒に仕事がしたいものだ・・・。

竹田の子守唄は遠い昔には私に故郷を思い出させてくれたが、今は故郷に在る私には、彼を思い出す楽曲になった。

彼もまた私の故郷になったのだろう・・・。





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「株の適正価格」



大いなる旅路 / 小椋佳・・・・・

この世界のあらゆる物質、生命を含めてその価値を問うなら、全てのものは価値が存在しない。

我々が思う価値とは人間社会の物質的、精神的需要に拠って成立し、この需要は普遍性と汎用性を持ちながら時と場、そして人の事情に拠って多くの例外、いや全てが例外に拠って構成されている。

それゆえ我々の世界で価値に措ける「適正」、平均値は存在しても、その平均値そのものと時系列上の安定性は現実には有り得ない。

あらゆる物質、人間も含めた生物の価値は0から100まで有るとしたら、この内0と100を排除した区間を彷徨っているのが普遍的な価値の在り様と言え、適正な価値と言うものは存在せず、発生してきた結果、現実は全て適正と看做すのが正確な理解と言える。

株価に措ける適性な価値もまた、こうした人間社会の原理から逃れる事は出来ず、日経平均株価が20000円でも8000円でも、全てその時の価格は「適正価値」である。

社会や人間の需要と供給の関係、世界情勢、該当国の政策と国力と言う、世界のあらゆる状況や人間の需要がパズルのピースとなって、瞬間々々の画像を構成し、これが常に変化して行く。

この中ではあらゆる事が時間系列上に並ぶ事象でしかなく、この事象は現実には止められないが人間はどうしてもこれを自身の事情に拠って止めたがる。

そこで自分が最も希望とする事象の場面を「適正」と考え、常にこれが正常な状態と考え易いが、そもそもあらゆる事象は時間経過と共に変化して行くのが正しい在り様と言え、これを止めて考える事自体、その考えが整合性を持っていない。

日経平均株価に措ける適性価格など初めから無いのであり、適正価格言う個人の欲望の集積が招く妄想とも言えるかも知れない。

また国際社会は株価を経済の重点事項と考え、各国とも株価と通貨取引こそが経済のような考え方を持っているが、株も通貨も取引の一つの形態に過ぎない。

もし株取引の秩序が完全に崩壊しても人間は次の方法を必ず考え出す。
株価が0になったとしても日本国民が明日から食うにも困るかと言えば、絶対そうはならない。
「景気」と言う亡霊を恐れ、本来恐れ無くても良い事を恐れているだけである。

人間が生きて行く過程に措いて、株価などが占める重要性はさしたるものも無い程度の事で有り、これを生死に関わる重要性にしてしまった者たちだけがそれを恐れるのであり、世界中の大多数を占める一般庶民は有史以来常に底辺の最低限の暮らししかしておらず、この最低限の暮らしの者に取って株価変動の影響は少ない。

景気が良かろうが悪かろうが庶民の暮らしなどそう大きく変化する事は無いので有り、どんな状況もそれが長く続く事もないのである。

国際的な景気低迷をみんなで嘆く必要は無い。

企業は株価ではなく、地道な生産と販売活動をおろそかにする事無く、民衆もまた景気と言う亡霊に踊らされずに質素倹約に努め、動ける者はどんな仕事でも良い働いて蓄財の道を歩むなら、株価の低迷などそよ風のような心地よさでしか無くなるだろう。

また日本のマイナス金利だが、ここまでやっても日本の円が下がらないのは、世界情勢が日本より悪い為で、しかもこの状態はそう間単に改善されない。
だが一方こうした状態は日本がどれだけ円を印刷してもその価値が下がりにくい事を意味している。

これは有史以来人類文明で初めてのチャンスのように私は見える。
日本はこれを上手く使えばこれまでの世界経済の秩序を壊し、新しい世界的な経済秩序を築く事が出来る可能性を持っているように思える。

ヤフーブログ以外の方が昨日のコメントに関し、これが読めないとのご意見が数件寄せられた為、昨日のコメントを記事にさせて頂いた。

尚、今日は日本全国「暴風雨」に警戒して頂きたく、お願い申し上げます。




「意匠遠近法」



お前だけが  風 エレキバージョン・・・・・


遠近法の種類はその消失点の数で分類するなら大まかには3種、理論的には無限に存在する事になるが、ここで言う消失点とは例えば車のヘッドライトの光点は2つだが、遠くに有る場合はこの光点が一つに見え、理論的にはいつかの距離には見えなくなる点を持つ、この点の事を消失点と言い、消失点が1つで描かれたものを「一点透視図」消失点が2つのものを「二点透視図」と言い、3点の消失点を持つものを「三点透視図」と言う。

これらは幾何学的な理論遠近法だが、この理論は紀元前のギリシャで既に登場し、ヨーロッパで再び脚光を浴びたのは14世紀の建築設計様式だった。
その後100年と言う単位を置かずにこの幾何学的遠近法は絵画の世界で重用されるようになり、絵画の世界に一つの法則をもたらす事になった。

そしてこうした技法と同じように、色彩の濃度に拠って遠近を現す視覚上の遠近感表現方法が「空気遠近法」であり、この技法は近くのものは鮮明に見え、遠くのものはぼやけて見える人間の視覚特性を利用した遠近法であり、例えば日本の水墨画などの技法にはこうした様式が多用されている。

更にこうした「空気遠近法」の中に色彩に拠って遠近を表現する「色彩遠近法」が存在し、地球で暮らしていると空気の色は透明だが、宇宙空間に浮かぶ地球の大気は「青色」である。
この事から遠くの物体は薄い青の色でも遠近感を出す事が可能で、こうした原理を「色彩遠近法」と呼ぶ。

一方こうした遠近法の基礎的理論の解明を人間の目と、光の関係から考えたものが「円錐図法」であり、人間の目の形状から視点に投影される光の形は「円錐形」になる事が11世紀には発見されていた。

これが簡単な理論に置き換えられたのは15世紀の事であり、投影面の座標を「感覚」ではなく公式に拠って導く事が出来るようになった。
そして18世紀後半から19世紀初頭、日本の「東洲斎写楽」を初めて目にしたヨーロッパの画家達は驚愕する。

ヨーロッパの幾何学的理論遠近法が絵画の画面を0とすると、その奥行きに付いて考えられたもので有ったのに対し、写楽を初めとする日本の浮世絵は0の画面から手前側、つまり見る人の側に出てきていたのである。

人間の手は意外に大きくて、広げれば顔の大半に届いてしまうものだが、写楽の手は少し小さい。

顔と手の位置では若干手が前に出るはずだから、それでなくても顔との比率は幾何学遠近法では手が大きくなる。
しかしこの手を苦しいまでに歪め、そして顔の表情を前面に出した描写は、逆に人物が浮き出るほどの情感を画面から発していたのである。

ヨーロッパの画家達は写楽などの日本の浮世絵から理論ではなく現実にどう見えるかと言う、「人の遠近法」或いは目的を持った遠近法「意匠遠近法」を感じ取っていた。

理論や物理は確かに道理としては大切だが、実際の人間は道理の通りではない。
これは物質的にも行動的にも一致しない。
これを正面から感覚として取り込んだ近世日本の浮世絵の出発点は「商業美術」だったと言う点に尽きる。

大衆と言うある種の「うごめき」が持つ嗜好は理論ではない。
そこで何が売れて行くかと言う事を考えるなら目的が存在し、その目的の為に描かれる絵は欧米絵画の「自然の理の追求」に対する「人の現実の追求」と言える。

浮世絵が発生してくる下地は日本の宗教観に由来する。
過去社寺やその絵師たちに拠って描かれた絵や版画は神社仏閣をお参りした際、帰りの道すがら一般的に売られていた。

大衆はこうした神仏の絵や版画を買って帰り家の家宝とした経緯が有り、この絵や版画にその後発生してきた浮世絵の人物に対する感覚的遠近法を見て取る事が出来る。

またこうした日本の意匠遠近法は漫画の世界にも独特の影響を及ぼし、日本の漫画は太平洋戦争後暫くは欧米の近代遠近法やデフォルメを用いてたが、やがてそのデフォルメは現実を飛び出す程ダイナミックになり、遠近法の観点からもさまざまな画法を確立して行った。

日本のアニメが今日世界を席巻するのは唯の偶然ではなく、こうした古くから続く日本独特の「人遠近法」「意匠遠近法」と言う、意識されない感覚に拠るものを背景に持っているからかも知れない。

ちなみにこの「意匠遠近法」は私の考え方、解釈では有るが、現代の商業美術には実に多く用いられている。
身近なところで言えば、自動車のパンフレットなどで、写真では車が立った人間の高さを超えているが、実際に納車された車は自分の背丈を超えていない・・・。

これなどは自動車の比率を拡大し、モデルなどの人間の比率を小さくして自動車をアピールする意匠を持ち、例えばビールなどのコマーシャルでも、実際の人間の手の比率より缶ビールの大きさが拡大されてアピールされ、現実の色彩にはない鮮やかな色彩に拠って遠近法を出している場合もある。

つまり現代の遠近法は、15世紀ヨーロッパ絵画が画面を0として考えられたのに対し、その0から色彩的も映像的にも手前に飛び出す遠近法となっているのであり、こうした世界的な商業美術の先駆者が日本の浮世絵だったと言う事が出来るのかも知れない。

ヨーロッパで車が生産され始めた頃、高級車の意匠遠近法、アピール点は「エレガント」だった。
しかし昨今日本の自動車の高級意匠遠近法は「威圧感」になっていて、これはトヨタの高級自動車のコマーシャルをはじめ、多くの日本メーカーのコマーシャルが同じ傾向にある。

強さとは優しさであり、その優しさは強さを誇らないところに在る。
「威圧感」とは弱き者、愚か者が描く高級感かと思うが・・・・。










「未来」



Queen + L・パヴァロッティ Too Much Love Will Kill You・・・・・

かつて夢みたものは、それが叶ったのではない。

それらはみな、辿り着いたら崩れ去った・・・。

夢を一つずつ瓦礫にしながら、今もその崩れ去ったものの上に立つ。

あの山の向こうに何が在るのか見たい・・・。

いつもそう思っていた。

蒼天を行く一塊の雲となって山を越えてみたかった。

いつしか語るべき未来より、語ろうとしたがる過去が大きくなっていた。

 

だが、私は見たい・・・。

この先に何が在るのか、誰が待っているのか・・・。

それが知りたい。

だから、求めるのでは無く、私が行く・・・。









プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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