「服従と反動」



宇多田ヒカル - 誰かの願いが叶うころ・・・・・

「personality」(パーソナリティ)、一般的には人格と言う概念が充当されるが、語源はギリシャ悲劇の「仮面」に由来し、ラテン語では「persona」(ペルソナ)と記された。

後年「役者」から「役割」、そして現代のような人間の特徴や行動的パターンなどを指すようになったものの、これの正確な概念は「形」である。

人間は同じ状況、同じ現実が出現しても、その反応には統一性が無い。
悲しい映画を観ても皆が涙するとは限らず、或る者は無表情、また或る者は笑うかも知れない。
だがその一方で、同じ個人が示す状況や現実に対する反応には一定の統一性が存在し、気楽な人はどの場面でも気楽に物事を考えるし、深刻な人はどこまで行っても深刻に物事を考える。

パーソナリティとは、このように個人が持つ行動的特徴が社会に措いてどのような役割を果たすかを、総合的に概念しようとするものだが、同様の言葉に「character」(性格)と言う表現が存在するものの、性格の概念は知能が除外され、善悪などの社会道徳的判断を指すものであり、この範囲を出てしまうものを正確に評価できない。

社会道徳的判断に拠ってマイナス、つまりは悪と見做されたものが、現実には存在しない完全客観性の概念に触れると、マイナスにならない場合も存在する為で、パーソナリティはこうした概念を包括する。

人格の形成は生物学的遺伝要因と、社会環境に拠るバイオプログラムに拠って形成されるが、動物などが持つ本能を基盤とする行動様式はリスクが高く、競争が激化するパターンを持つ為、人間は遺伝情報とバイオプログラムに拠ってパーソナリティを獲得し、一定の行動様式を身に着ける事に拠って、本能単体のリスクを回避し、自然界に適応する形を作ったのではないかと考えられている。

またこのパーソナリティ、人格の発展過程では「modeling」(モデリング)と言う過程が存在し、例えば言語を覚えるなどは、親や環境を模倣する事で自身の能力とする形が有り、モデリングには観察学習、反応促進効果、制止・脱制止効果などのパターンが有り、モデルを観察する事で無駄な動きや失敗を少なくしたり、或いは憧れたり尊敬する人と同じような意見、行動をするようになる、これも人格形成には欠かせない要因なのである。

更にこうしたパーソナリティの分岐形式には二通りの方向が有り、その一つは「compliance」(コンプライアンス)、もう一つは「reactance」(リアクタンス)と呼ばれるが、コンプライアンスは現代でこそ法的な意味で使われているが、この語源は「承諾」とか「従順」と言う意味で、1970年代まではどちらかと言えば医学用語だった。

つまりここでは医師や看護士と言った、患者にとっては絶対的な存在に対する「服従」の意味が在ったのであり、これに対して例えば同じ労働でも、強制されてやらなければならない労働と、自らが計画を立ててやる労働では、どうしても強制された労働には力が入らず、自分が進んでやる労働には力が入る。

或いは結婚を夢見たカップルが周囲の反対を受けた時、どこかではいやが上にも燃え上がってしまう場合が有るが、これらは自由と言う概念に拠る「反動」であり、自身の行動上の自由が阻害されたと感じるからである。

リアクタンスとはこのように、行動のみならず感情や思想、考え方など自身が絶対的な選択権を持っていると信じている事柄に対し、自由が脅かされたと感じたときに発生する回復の為のリアクションであり、脅威を受けている自由を取り戻そうとする場合、リアクタンスへの傾斜角度は大きくなる。

一方こうした自由に対する脅威の中にコンプライアンス(服従)や妥協が存在するが、この場合でもリアクタンスは大きく傾斜しながら、どこかでは自由を捨てて妥協したり、服従を容認しようと言う角度へも傾斜が始まる。
この意味に措いてコンプライアンスとリアクタンスは同じものと言う事が出来るかも知れない。

人間の服従がなぜ発生するのか、このメカニズムは詳しくは解っていないが、コンプライアンスのメカニズムにはリアクタンスが大きく働いていることは確かなようで、もう一つ考えられる要因は社会である可能性が高い。

おそらく個人の単位から始まるのだろうが、社会に絶望感や閉塞感、虚脱感が蔓延すると、これに拠って影響を受けた環境の中に個人が存在する事になり、ここでは予めコンプライアンスが優位に立っている事から、リアクタンスはマイナス方向に傾斜し易くなる。

つまり予めすべて妥協の方向にしか動かないのであり、この傾向は俗に言う不景気の時にはコンプライアンスに個人が傾き、好景気の時にはリアクタンスに個人が傾く傾向を見ても理解できるかのかも知れない。

そしてコンプライアンスとリアクタンスは同じものだから、こうしてコンプライアンス(服従)が蔓延すると、どこかではリアクタンスが暴走を始める部分が否定できない。
社会的には水を打ったように平板な状態に在りながら、インターネット端末での個人の発言は年々過激さを増してきているように感じる。

コンプライアンスもリアクタンスも人間に取っては必要不可欠なものだが、これがどちらかに傾くと、一緒にもう一つも傾き、そして奈落の底に落ちていく、或いは二つとも淀んで腐って行くような、今の社会がそんな状態に有るような気がする。

もしかしたらコンプライアンスもリアクタンスも、その発生源は「不安」、つまり「未来」の概念に起因しているのかも知れない・・・・。






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「どこに来るかは分からない」



愛はかげろうのように/シャーリーン(歌詞付)・・・・

絶対と言う事は言えないが、一般的に事前に発生する中小規模地震から巨大地震の発生を予測する場合、一番確率が高いのは小規模(震度1から3の地震)地震が短期に集中する傾向に有る時、例を挙げると24時間以内に同じ地域で震度1や震度2クラスの地震が10回以上発生する場合は直後から36時間以内に震度5以上の地震が発生する確率は高い。

また震度4、震度3と言った中規模地震がやはり同じ震源で24時間中に3回以上発生する場合は、小規模地震が頻発する事例に次ぐ巨大地震発生確率を持ち、最も災害が起き易い巨大地震の場合、事前の小規模地震、前震が無い場合や、有っても本震より発生時期が15日以上離れているケースも存在する。

唯、こうした事前地震全体に言える事として、発生している震源がほぼ同じ地域で有ると言う点に注目すべきで、地震が発生している震源域が半径75km以上離れた地域で頻発している場合では巨大地震発生の時期も、発生地域も特定する事は出来ない。

震源域が離れた地域を震源として中小規模地震が頻発する場合は、日本全体が地殻エネルギーの圧力を受けている可能性が高く、この場合はいつ、どこでと言う事が予測できない。

全く離れた地域で巨大地震が発生する可能性の方が大きく、しかも時期も特定できない。

7月14日前後から中小規模地震が複数回発生している関東、東海の地震に付いては、どちらかと言えばこのケースと言え、発生する複数回の中規模地震をして関東に巨大地震発生を予測する事は適当ではない。

尤もこれをして巨大地震が来ない事を保証するものではなく、巨大地震との関連性に措いて、今回の中規模地震発生との関連性は薄いと言う事であり、統計的な事を言えば、このケースでは、これまで地震が発生していない地域で大きな地震が発生する可能性が有る事になる。

巨大地震を事前の地震活動から予測する場合、小さな地震が同じ震源付近で頻発している事、中規模の地震がやはり同じ地域で短い間に複数回発生している事、この2点に注意すべきだろうと思う。
分散している震源域は、その地域の巨大地震の前兆とは言い切れない。

巨大地震の予測に関してはこうした事前の中小規模前震活動と併せ、宏観予測法も取り入れると、より地震の予測には役立つかも知れない。

以下、記載しておくので、これらを参考に、災害は誰も責任を負う事は出来ない、全て自分の責任に措いて自分が行動しなければならないと言う事を忘れずに、注意しながら日々の暮らしを全うする事を願うものです。

携帯が繋がりにくくなる、或いは雑音が入る。(この現象をNTTや携帯会社に問い合わせても回答はしないが、付近に自分と同じ事になっている者がいないかどうかを確かめる)

パソコンや端末機器の無線機能が時々寸断する、或いは繋がりにくくなる。(この場合は雷雲の接近でも同様の事が有るので、気象情報も参照する)

蛍光灯や照明が1秒以下の単位で4回以上瞬間停電する。(電力会社に問い合わせても回答はしないが、携帯と同様、付近に同じ事を言っている者が在る場合は、要注意)

空や太陽が紫、或いは真っ赤に見える、夕日の色が異常に赤いか、ピンク色に見える。(低気圧の接近でも同様の事が有るので気象条件に注意)

星がいつもより近くに見える。

天気が良くて気温が高く、風が無い状態、どことなく不快で周囲を尖ったもので囲まれているような圧迫感を感じる。(プラスイオンの不快感)

雷雲や飛行機、花火などの影響が考えられないにも拘らず発生する「ドーン」と言う、遠くで大砲を撃っているような周期音が続く。

街中至る所で犬が遠吠えをしている。

夜間にカラスが何度も鳴いている。

単品種の魚が大量に川を遡上してくる。

晴天の夜空に音もなく雷のような光が定期的に発生している。

地面からゴーと言う音が聞こえる。

金魚が水槽から飛び出す。

普段より音が大きく聞こえる。

いつもは受信できないFM放送が聴こえる、または放送に波が来るような雑音が入る。

過去の腰痛などが突然痛み出す。(低気圧の接近でも同じ事が有るので、気象条件に注意)

早朝の太陽を蛇が囲むようにして発生している黒や赤い雲。(原因は不明乍ら、巨大地震の発生記録には時々この現象が出てきている)

月が黒に近いほど赤く見える。(水蒸気の発生も同様の事が有るので気象条件に注意)

夜空に赤いオーロラ上の光が出たり消えたりしている。

湧き水などが出ない、或いは雨も降らないのに濁る。

浜辺を大量のカニが移動する。

海の波がどことなく重くなったような動きに見える。

普段釣れない魚が大量に釣れる。

日常生活では以上の事が気になったら、自身以外の人にも同じ事が無いか、またこうした少しおかしいなと思う現象が幾つか重複する場合、光に関するものは直後から数日以内、音に関するものは1週間以内、動物の異常行動は直後から2日以内、魚の遡上は3日以内、その他深海魚の打ち上がりや、釣りなどでの大漁は1か月をめどに注意する用心深さは大切かも知れません。

関東、東海のみならず、今の日本はどこに巨大地震が発生しても不思議はない状態と言えます。
皆さまどうかお気を付けてお過ごしください。

 




「トルコ共和国の憂鬱」



カノンロック バイオリンバージョン・・・・

我々日本人がヨーロッパやアフリカと言った、国家が属する地域的区分で「トルコ共和国」をどの地域と見做すかだが、現行日本の地理教育的認識では大半が「中東」に編入しているものの、この地理的区分は非常に曖昧な属性的表現となっている。

トルコはヨーロッパ南部、アジア西部、東部中東と言うヨーロッパ、アジア、中東の中心に存在し、こうした周辺地域と政治的には一致しても宗教的には一致せず、宗教的一致が存在すれば政治や思想が一致しない中道国家(政教分離が思想のみならず現実的効果を発揮する国家)であり、この上に同じイスラムでも非アラブ系経済協力機構(ECO)に参加するなど、周辺諸国とはその半分を分かち合い、残りの半分は対立要因となる状況の国内統治、外交政策を取っている。

こうした傾向はオスマン帝国時代にも見られた傾向で、他民族支配の要諦として民族的自由を認めた緩い支配に拠って帝国を維持する方法で有り、こうした内政的実績を周辺諸国に対しても反映させた形が「中道政策」と言え、これに拠って国内的にも矛盾を抱える事になる。

トルコ人の多くは自身の国家がどのブロックに属するかと問われれば、ヨーロッパに属すると答えるだろう・・・。
だがヨーロッパ諸国でも隣接する国家や北ヨーロッパ諸国は必ずしも同じ意識ではなく、むしろイスラムと言う点では中東やアジアとしての認識が強く、日本でもトルコをヨーロッパと意識する人間は極めて少数派となるに違いない。

この意識の差がトルコのEU加盟を阻んでいるのであり、周辺諸国に取っては敵の要素も有り、味方の要素も有る国家としてのもどかしさと言うか、トルコの意識と周辺諸国の意識のずれをトルコが認識できない事が多くの危うさに繋がっている。

1924年に欧米型の発展を目指したトルコは、イスラムで有りながらイスラムの支配を排した政教分離政策を推進したが、こうしたイスラム社会での民主主義は極めて厳しい民主制となりながら、人権や女性の地位、民族自決に関しては、それと民主制は分離すると言う矛盾した社会を構成してしまった。

また潜在的にはこうしたトルコ政府の欧米化に反対するイスラム勢力は、民主制との区別を明確にする為にも、より原理主義的傾向を強め、これを抑制する方法として民主主義の徹底が起こって来る。

トルコの三権分立の分立は、おそらく欧米や日本より遥かに厳格なものと言え、イスラムの保守主義勢力の政治的台頭が出て来ると、これを解決する方法が軍のクーデターと言う歴史を持っていて、1960年、1980年の2回のクーデターでもイスラム保守派の台頭を抑制するためにクーデターが発生したものと考えられている。

しかしこの2回のクーデターに拠ってトルコ軍は安定しない政府の上の機関としての要素を手に入れてしまい、これを担保するものが民主主義を標榜する国民と言う形になって行った。
それゆえ2016年7月15日に発生したトルコ軍のクーデターでは、軍が国民を射撃した事に対する国民の衝撃と非難が大きかった訳で、トルコ軍のクーデターを担保するものは国民の意思だったにも拘らず、それを裏切った軍のクーデターを国民は許せるはずもなかったのである。

しかしこうしてトルコ軍がクーデターで2つに割れた事実に鑑みるなら、民主主義を推進する勢力とイスラム保守派の潜在的対立は、既に軍にまで及んでいるものとみられ、これまでは司法、行政、立法にそれぞれ傀儡してきた両勢力は、そこから軍にまで影響力を及ぼし始めたと言う事なのだろう。

1980年のクーデター以降、若干軍の権限が強くなり、一部では国民の主権が制限される状態で、大統領や内閣の権限も弱まっていた。
これを2010年にエルドアン大統領が国民投票を実施して改正に成功、結果として軍の権限が制限を受ける状態の中で、イスラム保守派の台頭が存在し、軍内部も色々な矛盾が発生して来た事が、今回のトルコのクーデターの原因ではないかと考えられる。

オスマン帝国の領土は広大で、この帝国跡国家の中ではイラン、イラク、トルコがイスラム国家で有りながら欧米型発展を目指したが、1979年2月「ムハマンド・レザー・シャー」(パーレビ)国王がイスラム革命に拠って失脚、イランは現在のように厳然たるイスラム政治国家に戻り、イラクもまた2003年サダム・フセイン政権の崩壊に拠って混乱が始まり、イスラム化に向かっている。

同様に他の中東諸国もイスラム教と王制を保持したまま、或いはリビアのように独裁形式で資本主義経済の波に呑まれた結果が、2013年から2016年の現在まで続く中東の春と言う混乱、イスラム国の台頭と言う形で表れている。

この意味ではトルコ共和国はヨーロッパに取って最後の壁と言うべき性質を持つが、2016年7月のクーデターは、これまで民主主義を支える存在だったトルコ軍が分裂の様相を呈した事により、ヨーロッパ諸国に大きな動揺を与えた事は間違いないだろう。

イランもイラクもトルコも他民族国家で、クルド人問題などの民族運動を抱え、欧米型発展を目指したイスラム教国家であり、この内イランはイスラム主導国家体制に戻り、イラクも混乱の末イスラムが台頭し始めている。

トルコのクーデターは、今回はどうにか収拾が付いたのかも知れないが、このクーデターが何かの始まりである可能性は決して低いものではない。
トルコ国民の信任を権威とするトルコ軍は、これまで民主主義の守護者だったが、民主主義を標榜する民衆に対する攻撃は、既にトルコの何か大切なものが壊れ始めている事を示しているような気がしてならない・・・。





「人面瘡」



夏影 -summer lights (C60 Studio Nocturne)・・・・・

「ご主人様、止めてください」
「良いではないか、悪いようにはしないぞ」
「あーれー」
「むふふふふ・・・・」

と言う訳で女房に隠れて下働きの女に手を付けてしまった反物問屋の庄左エ門、やがて女と関係を続ける中で、今度は女から女房にばらすと脅され金を要求されるようになる。
婿入りの立場で女房に浮気がばれるのは如何にもまずい、かと言ってだんだん図々しくなる女の言う事を聞いているのも厳しい・・・。

「仕方ない、殺すか・・・」
で、女を殺して離れた山の中に埋めたが、どうやら事の次第は発覚する事無く時が過ぎたある日、股の付近に腫物ができてきて、それはどんどん大きくなり、やがて人間の顔のようになってくる。

口と思しき部分からは時々誰かが呟くような声が出てきて、試しにそこへ飯を入れてみると、その腫物の顔は飯を食べ、酒を入れるとそれも飲んだ。
そして次第に何か食べさせないと自分の呼吸が苦しくなり、腫物の顔は「いいのか、女を殺した事をばらすぞ」と庄左エ門を脅し始めるのである・・・。

これが「人面瘡」(じんめんそう)である。

慶長から元禄の初め、江戸時代初期と言う事になるが、京都出身の僧「浅井了意」が記した「伽婢子」の九巻に出て来る「人面瘡」が一番広く知られる記録となるが、平安時代前期から既に伝承としては発生していた「人面瘡」、現代解釈では皮膚硬化症の一種、或いは化膿した皮膚の表面が人間の顔に見えたものとされている。

そして江戸時代には浅井了意を初めとして、この「人面瘡」をモチーフにした奇譚、怪談が数多く書かれ、一つの奇譚区分が形成されるに至ったが、その背景は幕府に拠る色恋沙汰話の締め付けを怪談噺にして逃れた経緯が一つ、もう一つは幕府の統制主義に拠って発生する理不尽、つまりは幕府の政策による理不尽を怪談噺に拠って仕返しする、憂さを昇華する意味合いが存在したものと考えられている。

それゆえ「人面瘡」は殺された女や身分の賤しい者が祟り、それに拠ってその殺した側の人間、または親族の体に人間の顔が現れ、食べ物を食べたり、言葉を話したり、時には毒を吐き出して人を罵倒するなどの話が多いのであり、この傾向は平安時代から既に始まっていたが、平安の「人面瘡」にはもう少し範囲の広がりが存在する。

恨む側の方の範囲が人間だけに特定されていないのであり、例えば鹿などの獣、虫までもが理不尽な目に遭った時の祟りとして、体にその獣や虫の顔が浮かび上がらせる伝承が存在するのである。

尤もこうした伝承の多くは平安時代の記録ではなく、平安期に存在したとされる話の伝承が江戸末期から昭和初期に記録されたものが多い為、必ずしも平安時代を正確に反映しているとは言い難いが、それでもこうして祟りの方向が女だけではなく、生物一般に及んでいた事に鑑みるなら、平安時代には原形儒教、道教の影響が多少残っていた事が覗い知れる。

だが面白いのはこうした「人面瘡」の話は平安時代から既に存在し、近代の明治、現代の昭和前期まで話として時々出現して来た事で有り、推定ではあるがその2割ほどが「人面瘡」の浮かび上がった疾患部位が男性の股の近辺と言う点である。

つまりどの時代を通しても女の恨みは深く、また男は女に恨みを抱かせる事をし易いと言う事なのかも知れない。

また世界的には2000年以降も各地でこうした「人面瘡」の話が出現して来ているが、何も顔が浮かび上がるのは人間だけではなく、古くは中国で椿の木の幹に人間の顔が浮かび上がった記録が有り、馬や鹿の体にも人間の顔が浮かび上がった記録も残っている。

更には人間に浮かび上がる顔も、必ずしも人間ばかりとは限らず、カエルや蛇などの爬虫類から蛾の斑紋、狐や猪、牛などが人間の体に浮かび上がった伝説も残っていて、人間の顔が人間の体に浮かび上がった時の、その浮かび上がった顔面の男女比率は僅かに男が多い。

女の恨みでも「人面瘡」として浮かび上がる顔は男の顔と言うケースが少しだけ多いからだが、これが昭和初期の話になって来ると、例えばカエルに小便をかけた少年の体にカエルの顔が浮かび上がってきたと言う話が出て来るのであり、もう少し進んでバブル経済の頃には若干ニュアンスは異なるが、鯉の顔が人間の顔のように見える「人面魚」、或いは胴体は犬で顔が中年の男性の顔と言う「人面犬」などの都市伝説に及んで行ったとも考えられるのである。

奇妙な現象だが、その昔平安時代の言い伝えと言われる話の中には必ずしも女の恨みと関連付けされない「人面瘡」や、特に何かの因果関係を持たずして発生する「人面瘡 」の話が存在する点で、この意味では昭和以降の傾向、つまりは恨みや特定の因果関係を持たない「人面現象」と近いのである。

道教、儒教に取り込まれて行った仏教、その仏教がやがて儒教を絞った形で取り入れ、この儒教がやはり仏教を絞って行く過程が日本には存在し、儒教と仏教の概念は歴史が浅くなるに従って概念が小さくなって行き、今日の日本では儒教、仏教の原始形概念は失われている。

この失われた状態と原始儒教の時代が同じ傾向を発生させている事は大変興味深いところと言える。

そしてもう一つ言える事は、フラクタル同調であり、例えば蛇のクネクネした形は川の流れに似ていたり、人間の手とどことなく近い植物の葉が有ったり、ダイコンやゴボウの奇形には人間の下半身を思わせるものが存在するのは「自己相似性」と言う原理に拠るものと考えられていて、同じ原子や分子で構成され、地球と言う同じ環境の中で発生するものは、大まかには似た形になり易いと言う事である。

人間は生活していく中で、毎日あらゆる顔との遭遇で生きている。
この為、3つの点が存在すれば比較的容易に自分が知る何某かの顔に関連付けてしまう傾向に有り、これに自然界が持つ自己相似性が重なる事から、自然の事象でも顔の図形はポピュラーな形なのである。

人面は天空の雲でも出現例が多く、樹木や板の木目、紙のシミ、水、「人面瘡」などの化膿した傷口など、あらゆる場に自然の状態でも出現し易い形なのであり、この自然出現率は、例えば真四角や真円などの幾何学形の出現率の数億倍の確率を持つかも知れない。

ちなみに「浅井了意」の記述に拠れば、「人面瘡」の治療には結構な金がかかる事になっている・・・。



「白日夢」



もういちど教えてほしい HD再編集版 ユリアーナシャノー ガメラ3邪神覚醒・・・・

第二次世界大戦中のイギリス首相「SirWinston Leonard Spencer-Churchill」(ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル)は「民主主義は最低だ、だが人類はこれ以上の方法を持たない」と言っていたが、全く同感だ。

民主主義は確かに最低だ。
だがその一方例えば完全な方法を100とするなら、人類全体の妥協点を探った場合、限界が10までだったら民主主義はこの10かも知れない。

長い年月試行錯誤を繰り返して苦労に苦労を重ねて築き上げてきたものである事もまた事実である。

そして民主主義は一つの思想であり、その本質は形を持たない。
言うならば「心得」(こころえ)程度のものであり、実際の運用や施行などの手法はその該当年代や民衆の意識に拠って変遷するのが妥当かと思うが、ここで民主主義を固定的、絶対的なものと考えるなら現実の運用は未来永劫変化できず、為に現実の大衆意識と乖離する。

また民主主義に限らず、あらゆる思想は長く続けていると現実の前に例外を増やし、本来の意義を拡大させ、思想の濃度を希釈する。
つまり思想を形骸化して失わせる方向へと動く為、機械の部品のように一定の時期が来たらナットを締めなおしたり、或いは部品の交換、もっと言えば新製品に買い換える作業が必要になってくるが、人類と言う生き物はどうも民主主義だの平和、自由、平等と言う事になると、この形すら見えないものを絶対的と思い込んで、部品の交換や新製品の買い替えは考えないようだ。

日本の公職選挙法の基礎は太平洋戦争前の制度にGHQが細則を付け加えた程度のもので、よしんば太平戦争終結後を新法としても、既に施行から70年が経過している。
もはや日本の民主主義は手続き重視の形骸となってきていて、現行の選挙制度では国民の意思を反映できない状況になってきている。

2016年7月10日投票日の参議院銀選挙に措ける国民の関心は極めて低く、本来なら憲法改正、経済対策、行財政改革、少子高齢化、災害対策復興など多くの議論を要する争点が存在しながら、立候補者の大方は与野党含めて月並な「国民の生活重視」を訴え、それも面倒なら候補者の名前が連呼されるだけ、地域に拠っては候補者も政党関係者も来ない、どの党の誰が立候補しているかすら、住民の大半が知らない状況が出てきている。

民主主義は結構な事だが、箱に腐った林檎しか入っていなければ、どれを取っても腐食してどろどろになった果肉で手が汚れるだけである。
民主主義の前にその材料すら揃っていない状態では民主主義など成立しようもない。
民主主義と言う本質が抜け落ちた「手続き」、餡が入っていないアンパン状態が今回の参議院選挙と言うことが出きるだろう。

この改善策は2つ、まず一つ目は定数至上主義の廃止だが、予め定数が決定していると上位当選者の獲得票に拠っては低い獲得票で民意の多数決の原則から外れた者が当選する確率が出てくる為、例えば有効投票数を立候補者の数で割って、その平均得票数を割り出し、これに満たない者は全て落選とする方式を採ると、定員に及ばない場合が出てくるが、こうしておけばもう少し立候補者とそれを選出する地域の真剣味は増すだろう。

また比例代表は基本的に廃止すべきだ。
政党政治は民主主義にはならないし、これに伴って政党助成金制度も廃止すれば国民負担は軽くなり、手続きも簡略化できる。

そしてもう一つは選出型選挙の見直しであり、排除型選挙を実施すれば投票率は格段に向上する。
国政選挙の立候補資格は戦後大幅に改善されたとは言うものの、それでも供託金の300万円を用意しなければならない実情に鑑みるなら、戦前の一定の税を納付していなければ立候補資格が無い形態とそう大きな変化が無い。

この供託金を10万円にまで引き下げ、25歳以上であれば誰でも立候補出来るようにして、今までの公職選挙法を緩和する。
10万円の供託金は当落の有無に関係なく返還せず、これをテレビの政見放送に充当し、ネット活動の規制も無くし、一件が300円以内なら候補者の名前や写真が入った景品の配布や、戸別訪問も出来るようにすれば頑張る候補者はきっと頑張るだろう。

その上で選挙ポスターの掲示板は廃止する。
あんなものを見て候補者を選ぶなど時代遅れも甚だしく、有権者は誰かを選ぶのではなく、この者だけはだめだと言う候補者の名前の下に丸を付け、これは複数可能にして措けば良く、やはり有効投票数の平均以上の排除票を獲得した候補者は落選と言う形にしておけば、もう少し民意は反映されるだろう。

そしてこの場合も定員割れは発生するが、必要の無い者まで定員と言う恩恵に浴して国会議員を続け、国費でこれを養うなど、この日本の実体経済では既に許されないのでは無いだろうか・・・。

人間は他者の良い部分を探すより悪い部分を探すに長けている。
それゆえ自然な状態なら選出という形態は数が少なくなり、これを定員と言う枠で保護すると、この時点で民意は干渉を受けた事になる。

自然な状態で排除選挙法を実施するなら、自然に排除される方が多くなる事から、何もしなくても最低限しか選ばれない。
これは一種の規制緩和による選挙制度の改革だが、一つ言える事は、規制緩和とは既存に行政が持っている権益が分散されて個人に帰ってくる事を意味する。

民主主義だから良い政治になるとは限らない事、民衆が政治意識を持たないと、手にした規制緩和は民衆の側に重い責任となって帰ってくる事を忘れてはならないだろう・・・。

草刈を終えて昼寝をしていたら、ちょっと白日夢を見てしまったらしい・・・・(笑)



「パズル」

少し前の事だが、田の水を見て家に帰ろうと県道を歩いていたら、もうすぐ家に着こうかと言うところで、道の真ん中に蛇が横たわっていて動こうとしない、遠くからは自動車のエンジン音が聞こえてきて、と言う状況に遭遇した。

体長60㎝ほど、シマヘビにしてはまだ若い、「今ここにいては死んでしまうぞ、せっかく生まれてきたんだから、もう少しこの世を楽しめ・・・」
私は心の中でそう呟くと蛇を掴んで近くの土手に逃がした・・・。

そして蛇を逃がした後で、「しまった、ここは家の近くだ、もしかしたら納屋のツバメたちがやられるかも・・・・」と思ったが、既に蛇は土手の藪の中に姿を消してしまっていた。

一週間後くらいだろうか、昼間、納屋の二階を仕事場にしている私は、階下でツバメ達が警戒している時に発する激しい鳴き声に階下の様子を見に行くと、なんでこんな所にと思わずにいられないドアのすぐ上に巣をかけていたツバメの、その巣を囲むように蛇が巻き付き、4羽いたヒナの内1羽は呑まれたのだろう、蛇の腹が大きく膨らんで、もう1羽は足が巣に引っかかって宙吊り状態、もう1羽は巣から落ちて近くに置いてある肥料の袋のそばで震えていたのだった。

「ああ、やはりやられてしまった・・・」
私は蛇を逃がした事を後悔しながら、蛇の首を掴んで巣から離し、今度は土手ではなく反対側の田んぼの方へ行ってもう一度逃がした。

長さと言い、模様と言い、私が1週間前に助けた蛇だった。
蛇を殺す事はたやすい・・・。
だが自身の一時の感情や価値観で一度決めた事を動かすのは、どうも自分が許せない。

蛇を逃がした後、宙吊りになっているヒナと土間に落ちてしまったヒナを巣に戻した私は、他のツバメの親たちが出入りしている窓から遠かった為、このツバメ達の為に少し開けていた渡り廊下の戸を閉め、もう蛇が入って来れないようにした。

だがそれから4日後の事だろうか、また昼過ぎくらいにツバメ達の警戒する鳴き声がこだまする・・・。
行ってみると2羽残っていたヒナの内1羽が既に半分ほど蛇に呑まれた状態、そしてもう1羽は行方不明だった。

やはり同じ蛇だった。
しかも閉めていた戸は開いた状態だったが、右半身が動かない父親が杖をつき乍らもリハビリのために外へ歩きに行って帰ったおり、やはり出入り口の窓から遠いこの巣を不憫に思い、近くの戸を開けていたのだった。

私はもうダメかも知れないなと思ったが、それでも蛇の頭を掴むと、どうにか半分呑み込まれたヒナは助け出す事が出来、蛇ももう一度田んぼ側の土手に逃がして家に帰ってきて、ふと下を見るともう1羽のヒナが今度は肥料の空き袋の陰で震えていた。

「良かった、お前も何とかなったか・・・」
指にしがみつくそのヒナも巣に戻そうとしたら、何とこの前2羽呑まれてしまったと思っていたが、どうやらもう1羽が巣の底に潜んでいて助かっていたらしく、小さな巣には3羽のヒナが不安そうな顔をしていたのだった。

私は何となく、ツバメ1羽が儲かったような気がした・・・。

またくだんの蛇もまだ未熟と言えば未熟だ。
鳥を襲う時は自身の天敵も少なくなり、鳥も寝ている夜に襲うものだ・・・。
それを昼間から襲う、その経験の無さに若さを感じてしまう・・・。

そしてこんな時、私は自身存在の罪と恐ろしさを思う・・・。
良かれと思って為した事でも、それが他の何かに対しては禍となる事も有り、この結末の全貌を全て知る事は出来ない。

自分が為した事「因」の結末「果」のすべては自身が見る事の出来るものが全てとは限らず、むしろ自身が知る事が出来るものの方が少ない。

にも拘らず、その瞬間自分が良い事をした思う満足感の為に、それまで動いていて、その先もそうなるだろう事を自身が動かして変えていく事、その責任を全て自身が負う事も出来ず、何か自身以外の者が責を負う結果となるを心底恐れ、こうした人間の在り様が複雑に絡み合ったこの世を恐れる。

時々自分がいなければ、この世はその存在しない分だけ円滑、或いはまともに動いて行くのではないかと思う時が有る。
存在の罪悪を思う時が有る。

しかし全ての生き物はこうして功罪を絡み合わせて存在し、あらゆる場に隙間なく、まるでパズルのようにはめ込まれて、欠けた破片が出ればその分他の者が時を置かず待っていたように隙間を埋める・・・。

後1週間、この期間さへ何とかなれば、あの巣のツバメ達は大空に飛び立つ事が出来る。

若い蛇の命を惜しんだ結果が1羽のヒナを殺し、他のヒナも危険に巻き込んでしまった。
せめて残りのヒナだけでも何とか飛び立たせてやらねばと思う・・・。

天意を動かした者は、それを背負わねばならないような、そんな気がする。







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この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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