2016/09/28
「家は人が住んでなんぼのもの・・・」
Christina Aguilera - Hurt・・・・
理想と現実の狭間で理想を捨てきれなかったと言うか、どうしても人間の情に逆らえなかった私が、勤めていた会社を辞めたのは20代の中ほどの事だったが、そうして悶々としていた時、知人の知人と言う関係の人から、住宅販売会社の展示家屋の案内要員をやらないかと言う話が持ち込まれた。
三連休の期間だけの仕事だったが、それでも山の中でくすぶっているよりはマシだろうと二つ返事だった私は、こうして住宅販売会社のエセ社員をやる事になった。
そして当日、くだんの会社に出向いてみると私以外にもう一人、私と年の近い女性がいて、展示場で客から「夫婦ですか」と聞かれたら否定するなと言われ、2人で展示家屋の中で客の案内をする事になったが、初めは誰も来なくて暇を持て余し、彼女と喋っていたら、彼女もまたこの期間だけのアルバイトと言う事が分かり、一瞬2人のアマチュアで大丈夫なんだろうかと不安になったものだった。
しかし、やがて展示場には多くの客が訪れ、それに必死になって対応していた私達の前に、午後になって現れたその会社の販売主任は私たちを見てこう言ったものだった。
「お~、お前等ちゃんと仕事している顔になったな」
その言葉に思わず隣にいた女性の顔を見ると、今朝まで少し自信なさそうに見えた彼女が、どこかで輝いているように見えた。
多分、私もそうだっただろう。
「でも、なぜ本物の夫婦でもない私たちが夫婦で大丈夫なんでしょうか・・・」
私はニヤニヤ笑っている主任に今朝から引っかかっていた疑問を尋ねた。
「馬鹿だな、本物の夫婦じゃないから良いんじゃないか・・・」
「本物の夫婦だと距離感が近くて、そこを客は嫉妬する、だがお前等は全く知らない者同士で、互いのそれぞれを気遣う、これが客には嫌味にならなくて適度な幸福感に見えんだ」
「それにお前等のそれぞれの事情は聞いて知っている」
「お前等ならきっと何も説明できなくても家は売れると思ってたんだ」
「でも、まあ、本当の理由は面倒だからかな・・・、客に夫婦ではない事を説明させる時間が勿体無いし、いえ違いますと言えば何となく壁ができるだろう」
「それに、お前等イイ感じじゃないか、いっその事結婚してうちの会社で働いたらどうだ、新居は安くしておくぞ」
主任はそう言って相変わらずどこからどこまでが本心で、どこからが営業か分からないニヤニヤ笑いをしていた。
でもこの主任の本当の凄さ、会社で販売成績ナンバー1の実力を知ったのは次の日だった。
実は私たちエセ夫婦は連休2日目の段階で、4組の家族を相談申し込みに持ち込み、その内ボルボに乗った医者の娘と若い夫婦からは申し込みの署名を取り付けていた。
だが、残りの2組は私たちだけでは返事ができず、翌日に主任の対応を待つしかなかったのだが、一組は自動車販売会社の社員家族で、美男美女の夫婦、それに小学生と中学生の子供がいる家族、そしてもう一組は母親と娘で、今にも契約したいと言われたのだが、これは私が保留した。
父親が存在しながら、その姿が見えなかったからである。
連休2日目、昨日の間に連絡しておいた事も有って、主任は私たちと一緒に展示場の案内をしながら、これら4組の家族を待っていた。
この間にもどんどん見込み客は増えて行くが、それに私たちエセ夫婦が対応し、主任はやがてやってきたこれら4組の申し込み希望家族と、詰めの話をしていた。
3連休の期間中私たちアルバイト夫婦が受け付けた申し込みは13件、その内実際に契約前段階にまで至った案件は6組だった。
だが、何故かこの中に自動車販売会社の社員家族が入っていなかった事から、私は最終日が終わった夕方、主任にその事を尋ねた。
善良そうで身なりもしっかりしていて、話も実にそつが無く、綺麗な奥さんと可愛い子供の、本当に幸福そうな家族だったが、この家族の申し込みは主任が断っていた。
その理由が知りたかった。
私としては断るのは資金計画が難しそうな母親と娘の家族の方だと思っていたからである。
「お前があの2組を保留したのは中々するどい」
「しかしあの自動車屋の営業は値引きを持ちかけ、それにこれから車でも付き合いをして欲しいと言ってきた」
「こんな住宅販売の利益など1千万に対して百万くらいしかない、1棟契約して車を買っていたら利益など吹っ飛んでしまう」
「それにあの男は同じ条件で他の住宅会社へも行っているだろうし、多分女房以外に女もいるだろうな・・・」
「夫婦の距離感はお前等とそう変わらない」
「あんなに幸せそうにしていてもですか・・・。
「ああ、見かけが幸せすぎる、お前等が傍から見たら幸せそうに見えるのと同じだ」
「お前等は結婚していないから分からんかも知らんが、本物の夫婦はいつも幸せそうにはできない」
「特にこうした家などと言う大きな買い物では全て笑って終わる事など絶対無いんだ」
「ではあの母親と娘の話はどうして申し込みにしたんですか・・・」
「あの母親と娘は両方とも看護婦だ、だからローンは簡単に組める」
「ただ、問題は親父(おやじ)だ」
「失業中で女房と娘に頭が上がらない、でもそれでも一家の親父だ、ここに話を通さないで契約はできない」
「ホテルの従業員だが仕事を紹介した」
「えー、そんな事までするんですか・・・」
主任の話に私の隣で缶コーヒーを飲んでいた女性が驚いたように声をあげた。
「ああ、俺達は家さへ売れればどうでもいいんだが、それから後その家族が壊れて誰も住まなくなったり、競売にかけられるんではこの小さな町では飯を食っていくことができない」
「家は人が住んで何ぼのもんだからな・・・」
アルバイト最終日の夕方、私たち3人はこうして缶コーヒーを飲んで、それぞれの家に帰った。
それから1週間くらい後、私のところへは東京に本社がある大手商社の部長から誘いがかかり、このとき私は真っ先にくだんの主任に電話で相談した。
「おまえ、こんな田舎で一生終わるつもりか、・・・」が、彼の言葉だった。
今でも時々、このアルバイト最終日の夕方、展示家屋の畳の間で、3人で缶コーヒーを飲んだ時の事を鮮明に思い出す事が有る。
そして「家は人が住んでなんぼのもんだからな・・・」と言う主任の言葉は、どこかでその後の私を決定的に変えたような気がする。
50km以上も離れた町の事だったので、主任とは電話で相談したのが最後になってしまったが、存命なら70歳を超えているだろうか・・・。
「こんな田舎で終わるつもりか・・・」はもしかしたら体裁の良い断りだったかも知れない、そう言う怪しさを兼ね備えた人だったが、同時に「お前はこんなところで終わる男ではないぞ」と言ってくれていると信じさせてくれる人でも有った。
そして私は後者を今も信じている、主任と言う人はそう言う人だと、私が信じているのだ・・・・。
会いたい気もするが、まだどこかで胸を張って彼に会うことができない自分が存在する。
その事がもどかしい・・・・。