「ため息」

少し前の事になるが、日曜日の午後3時くらいだっただろうか、村の共益事業である沿線道路側帯の草刈を終え、軽トラックの荷台に草刈機を乗せて家へ帰ろうとしていた時の事だった。

後ろから凄いスピードで走ってくる、白い日産リーフがバックミラーの視界に入ってきた。

そして前方少し離れたところを1トンほどのトラックが走っていたのだが、その距離は明らかに私の軽トラックを追い越すだけの距離は無く、私は多分諦めるだろうと思っていたら、何を考えたのかその日産リーフは無理に私の軽トラックを追い越そうとして右側に出てしまい、これでは正面衝突が避けられないと思った私は運転していた軽トラックを急制動して止めた。

しかしトラックはもうすぐ近くにまで迫っていて日産リーフは急ブレーキをかけ、トラックも急ブレーキで停車、もう数センチで衝突する寸前、2台の車も停車した。

一瞬何もかもが止まった感じになったが、次の瞬間、この事態に血相を変えて出てきたのはトッラクを運転していた若い、多分建設関係だろうと思われる、あんちゃん(若い男性)だった。

「おまえ、どこを見て運転してるんだ」と、日産リーフの運転手の胸倉を掴もうとしていたが、そのリーフの運転手は「警察を呼ぶぞ」と逆に脅していた。

「面白い、何なら俺が警察を呼んでやろうか・・・・」

私はこの場面で殴られるかも知れないリーフの運転手ではなく、若いあんちゃんを守る為に自分も車を降りて、2人の間に割って入った。

「この状態で警察を呼べば、誰が悪いかは一目瞭然だ、しかも俺もあんちゃんもお前が追い越し禁止区間で無理やり追い越しした事を証言してやる」
「どうする、それでも警察を呼ぶか・・・」

私は若い建設作業員を制止しながら、その白髪のリーフの運転手をにらんだ。
それでもどうしても我慢できない若い建設作業員は「何が何でも一発殴らなければ気がすまない」と粋がっていたが、「こんなクズの為に捕まるつもりか、俺はこの男ではなく、お前を助けようとして来たんだ」と言うと、ようやく腕の力を抜いた。

「パチンコで負けて、台には金をつぎ込んでいるんだ、早く家に帰って金を取ってこないと台を取られてしまう、俺は急いでいるんだ」

私とあんちゃんが話している横で、リーフの運転手はまた怒鳴り始めたが、この言葉に愕然としたのは私もあんちゃんも同じだっただろう。

「お前、パチンコの為に命を懸けるつもりか・・・」
「結構な年齢に見えるが、歳はいくつだ」
思わず尋ねた私たちは次の瞬間更に愕然とする事になる。
「82歳だ」

私に取っては父親と同年代、あんちゃんに取っては祖父の年齢だった。
私は村の共益事業で草刈をしてきた帰り、あんちゃんも近所の人に頼まれた仕事をするために資材を買って帰る途中だった。

その仕事をしている息子、孫の世代に働きもせずにギャンブルに興じ、その挙句自身の無謀に拠って迷惑までかけているのだった。

私もあんちゃんも流石に開いた口がふさがらない状態になった。

「おまえ、自分が恥ずかしくないか・・・」
私は静かにその高齢者に問いかけた。

しかし彼は「俺は急いでいる、帰さないのなら警察を呼ぶぞ」といきまいていた。

「警察を呼んで、こいつの免許証は取り上げた方が良いかも知れんな・・・」

私はいきまく高齢運転手につぶやき、あんちゃんに携帯電話を貸してくれるよう頼んだが、その様子を見ていた高齢運転手は、今度は一転して勘弁してくれ、早く帰らないと大変なんだと懇願する有様だった。

結局私たちはため息混じりに、そのリーフの運転手を帰し、自身らも家路に帰ったのだが、帰り際、「昔は若い者が無謀を起こして、年寄りがそれを止めたものだが、今は年寄りが無謀を起こして若い者がそれを止めなければならない時代になったんだな・・・」とつぶやく私に、そのトラックを運転していたあんちゃんは少し笑いながら、手を上げて去って行った。

宇都宮の自爆自殺事件に鑑み、同じような危険は自身らのすぐ隣に、次の瞬間にも存在し得る事を思わずにはいられない・・・。






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「基礎生産力」



森高千里 『渡良瀬橋』 (PV)・・・・・

財政の概念は、古くは朝廷を維持する経費に由来するが、この朝廷維持経費の中のかなりの部分は「力」、つまり軍事費用に充当される為、朝廷成立と同時期に軍事費用の中でも最も重要な「糧秣」(りょうまつ)を中心に考えられる傾向があった。

中国古代王朝、例えば「周」の没落から始まった春秋戦国時代中期以降からは、群雄割拠の状態から殆どの事が軍事に関する概念に切り替わり、糧秣、食料は通貨と同意義に換算されるようになり、この概念は以後2000年以上続く事になる。

財政を考える上で通貨の本質を考えるなら、それが現在であれば「金」に対する交換レートとなるが、同じように糧秣、食料も通貨の交換レートだった歴史は、つい最近まで成立していた。

最も近いところでは、1980年代、スウェーデンのポップミュージックユニット「ABBA」が現在のロシアでコンサートで開催したおりの対価は、困窮する同国家通貨での決算ができず、大量の食料に拠って決算された背景を持つ。

そしてこのように糧秣、食料を通貨に置き換え、軍事方面から見てみると財政の仕組みや傾向がどう言う方向性を持つものかが理解し易くなる。

通貨は基本的に国民が働いた対価であり、この意味に於いて国家はその対価以上の通貨を発行できない。
この仕組みは食料に換算すると解かり易いが、行政、立法、司法の三権を独占する朝廷や王政と言えども、食料の生産は農民、民衆が生産する石高と言う現実の上限を持つ。

従ってこの上限の中でやりくりはできるが、現実に生産される以上の食料は存在しようもない。
旱魃やイナゴ被害に拠っても安定せず、この意味では軍事的に食料がどこに在るのかが重要になり、これが民衆の手に多く存在しているのでは軍事糧秣が不安定になる。

戦争につぐ戦争の中ではどれだけ糧秣が有っても多いと言う事は無い。
方や一般大衆が備蓄する食糧は、それが現実に食べられるまでは、通貨と同じように意味を為さない。
軍事的には民衆に多くの食料が眠っているのでは「非効率」と「財政融通の縮小」と言う事になる訳であり、できるだけ民衆の手元に食料を置かせない、つまりは税に拠って搾り取る事で軍事糧秣を安定させ、それをして国家の安寧がはかられる。

この意味では為政者に取っての理想は「国民は死なない程度に生かしておく」のが一番理想で、軍事も経済も政治も基本的には同じ事で有るから、財政のこうした方向性は時代や政治思想が変わっても本質は変化しない。
ある種の人間の「業」、本能に近い基礎的な社会システムなのである。

世界中の国家がデフレーションを嫌い、インフレーションを求めるのは、こうした人間の「業」、人間が持つ社会的基礎システムに由来し、デフレーションは国民の側に食料が分散されている状態であり、この状態では政府や為政者は思い切って戦争、経済対策も同じ事だが、これを行えない。

それゆえ増税と共に、インフレーションに拠って国民の蓄財を政府に集める方向性を好む。
もっとも国家の始まりは一つの家族の単位から始まるから、こうした傾向は個人や家族の単位から既に競争概念なのだが、簡単に言えば、個人や家族が溜め込むものを少なくして、これをより多く社会に流通させる事をして財物の「効率性」を高める事を意図する。

朝廷や王政に代わって民主主義が闊歩する現在、集められる財物は民衆の暮らしを安定させる為と言う名目を持つが、これは名目が軍事糧秣から「民主主義」に変わっただけで、一般大衆は増税と自身が蓄財した財物が徴収されるだけと言う、古代から続く仕組みと全く同じである。

通貨は国民が働いた対価、現在ならGDPを上限として考えられなければならないが、例えば古代でも食料の備蓄がどれくらい在るのかは民衆が知る事は無く、自然災害のありように拠っても変化し、それを具体的に認識する事は困難だった。

また来年の食糧生産を見込んだ予算なども存在し、この意味では財政は上限が存在しながら、その幅が年代を追うごとに不透明になって行き、現在の世界経済のように「予想」によって投資される株式経済では、通貨と言う仮想の上に更にもう一つ仮想が乗った状態で、既に限界すら誰も理解できない状態になっている。

しかし世界中の人々によって生産されるものは上限が存在し、食料も限界が存在する。
仮想の上に乗った仮想と、世界が持つ限界と言う存在はいつか必ず衝突する。
日本などは既に高齢化で殆ど全ての端末生産現場では生産が減少し、これを機械化と他国労働力によって補っているが、その実態は華々しい国家的基礎生産力の低下が発生しているのであり、これらが財政の不透明化によって成り立っている状態である。

通貨や株式は無限の可能性を持っているかのように見えるが、軍事糧秣の事を考えると良い。
食料の生産、それ以外の全ての物品もまた人間が作っているのであり、その人間には限りが存在するのである。

今年もまた3枚の田がイノシシによってあらされてしまったが、大きな粒が一つの穂に120粒も付いた、一番良い米ができた田から順に荒らされて行った。
弱肉強食は生物の本質であり、「天からの預かりものなれば、その天の采配によって起こった事に対し抗う(あらがう)事はできない」

私は見事に荒らされた田を眺めながら「あの者ども、中々派手にやってくれたな・・・」と、笑うしか無かった・・・。
仔細な事だが、これが今の日本の現実であり、軍の糧秣の事を考えるなら、この事は経済や政治も全く同じ、同じ景色のように見える。

さて、遅れていた稲刈りも終わった・・・。
明日からはこれも遅れている仕事を頑張らねば・・・。

「金じゃ、金じゃ・・・・」(笑)




「ミンミン蝉の鳴く頃に・・・」



Elvis Costello 'She'・・・・

ぎらつく太陽、歩くと逃げていく舗装の水・・・。

頭上の小枝からはそれに追い討ちをかけるように「ミーン・ミンミンミンミ~」とけたたましい勢いで蝉が鳴く・・・。
何とも夏らしい風情だが、実はこのミ~ンミンミンと鳴く蝉、「ミンミン蝉」は意外と暑さは苦手だとも言われている。

それゆえ極端に夏の暑い地域には生息数が少なく、また湿度にも弱い事から、分布は山林の中と都市部周辺に多いとされているが、一方こうした環境の変化に個体を変化させて生息域を拡大する性質を持ち、この為同じ「ミンミン蝉」でも地域によって微妙にその個体の様相は違っている。

ミンミン蝉の個体変化、遺伝上の変化は他の蝉に比べると環境変化に適合し易い性質を持っているのだが、昆虫には良く見られる傾向で、色や形、大きさなどが環境によって変化し、固体統一形態ではない。
考え易く言うなら、人間でも住んでいる地域によって体型や髪、目の色、肌の色が異なるのと同じ事である。

ただ一様に涼しい夏の気候を好む事から、ミンミン蝉は北海道にも生息するが、西日本には東日本ほどの生息域が無い為、例えば山口県の人などにはミンミン蝉と夏が結び付かない、と言う場合も有るかも知れない。

ミンミン蝉は7月から9月頃までに発生するが、北に行く程早く発生は止まり、暑い地域ほど遅くまで発生する。

例えば北海道の気候に適合するミンミン蝉は、首都圏周辺の環境なら11月くらいまで生息する事が可能だが、実際には首都圏周辺での生息期間は9月中ごろまでである。

これは「遺伝情報の甘え」と言うシステムで、環境の厳しいところではギリギリまでその能力を伸ばすが、環境が豊かだと遺伝情報はその良い部分、美味しい部分を先取りして一杯になるからであり、このシステムは生物個体が一箇所に集中して自滅する事を防ぐ為のものでは無いか、或いは一つの種が長く繁殖する事を制御するシステムでは無いかとも考えられていて、当然の事だが人間も同じ性質を持っている。

気候的、理論的には11月でも首都圏周辺ならミンミン蝉は生息できるが、9月中ごろ過ぎには「ミ~ンミンミン」と言う声が聞こえなくなるのは、こうした生物システムの為であり、これに拠ってミンミン蝉の生息地域ごとの生息期間が定まっているものと考えられている。

が、しかし・・・。
私の住んでいる地域では10月4日、今朝も「ミ~ンミンミン」と言う蝉の鳴き声が聞こえてきている。

生まれてこの方9月初め過ぎにミンミン蝉の鳴き声を聞いた事は一度も無かったが、しかも当地は海抜90mの地域で、朝夕は気温が10度台前半まで下がるこの状態で、1匹なら何かの間違いと言う事もあるだろうが、あちこちから聞こえて来るのは如何なものなのだろう・・・。

もしかしたら電動の蝉が鳴いているではないか、このまま11月まで鳴き続けたら、絶対何か起こる・・・。
いや、今の段階でも充分おかしい・・・。
村人達は一様に不安そうに話しているが、まあ、先の事など誰も分かるはずも無い。

取りあえずこの事を記録しておこうと思う。




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この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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