「咎(とが)と凶」



Michel Sardou - La maladie d'amour live 2013・・・・・

私の住んでいる所で古くは使われたものの、今は全く使われなくなった言葉で「とが」と言う言葉が存在した。

「とが」は実に複雑な概念で、漢字一文字で現す事は出来ないが、「狂」「突」「鋭」「凶」「禍」「危」「尖」「咎」などの意味の総称ながら、「咎」と「凶」、それに「尖」などにウェートが少し傾いた言葉だった。

「咎」(とが)と「凶」(きょう)は元々近い概念の言葉で、表裏、内外の関係に有り、「咎」は内、「凶」は外からの禍を意味し、古くは「病気」なども同義だった。
ただ、「咎」は内と外が曖昧な部分が有り、外からそうなるように仕向けられた結果の「禍」と言う側面を持っている。

「咎」の物理的な形は「禍々しい」と言う状態を指すが、ここでは漠然とその状態になった原因が、凶などの全く偶然、或いは天の采配でもたらさせた結果と言う形ではなく、そこに人為的なものが連想される言葉と言える。
それゆえ「咎」は単体で使われることは少なく、「咎になる」とか「咎にするつもりか」と言う具合に使われる場面が殆どで、状態を指す言葉と言うよりは、その状態になる原因をも包括した使い方が一般的だった。

例えば理由も無く猫や犬をいじめていると、「止めておけ、とがになるぞ」と大人が戒め、病人のその病気を責める、或いは困っている人を更に追い込むなどの行動、敢えて相手が錯誤し易い話をして致命的な状況に追い込むなどの行動も、やはり「とがにするつもりか」と戒められたのである。

また本人がそれ以上どうしようもない状況で、更に他者から罵声を浴びせられるなどの場合「やめてくれ、とがになる」と訴えた場合も有ったかも知れない。
つまり「とが」(ここでは咎が一番近いので、この漢字を充当したが)とはその本人に取っての「凶」であり、「狂」に繋がる他者の言葉や行動であり、この中には他者の「幸福」も含まれる。

離婚協議中で子供の親権を巡って泥沼の裁判を闘っている者の前で、綺麗な妻と子供の画像を待ち受け画面にしたスマホを、これ見よがしに見せる、飢えている人の前で旨そうに豪華な食事をしているなどの行為、更には仲間はずれ、伝えなければ成らない情報を故意に伝えず、自分と仲の良い者にだけ伝え、それに拠って情報を得られなかった者が窮地に立たされる状況など、「とが」はあらゆる場面で存在する。

そして「とが」は確かに自身に拠って他者が陥る「凶」や「狂」だが、人に決定的な恨みや失望感を与えるとどうなるか、もしそれで報復された場合、自身は致命的な報復を受けるだろうし、その行為によって自身の品性や人間性も問われる。
犬や猫の場合でも、そうした理不尽ないじめが続けば、やがて人を見れば咬むか爪で引っかく事になるだろう。

封建社会だった日本では比較的古くから、こうして他者を理不尽な目に遭わせる場面が多かった。
その結果が1938年(昭和13年)5月21日に発生した岡山県苫田郡西加茂村の村民虐殺事件(30名死亡、3名重体)、いわゆる「津山事件」(詳細はウキぺディア等を参照)等に代表される惨殺事件の発生である。

人を「とが」にしない事は、最終的に自身守る術であり、社会を守る術だった。
津山事件のような惨殺はその以前の歴史でも何度も発生し、それ以降の今日でも時々発生している。
ここまでの事にならなくても、集団で誰か一人をいじめた場合、その本人はやがて全員を殺すか自分が死ぬかの選択をしなければならない状態に追い込まれ、結果がどちらになってもいじめた者もまた大きな禍を手にする。

「とが」は相手の「凶」「狂」だが、その「凶」や「狂」は自身に向かう「危」であり、言葉や行動、或いは無知の善意、制御しない自身の幸福などに拠って、これが自身に向かう事を恐れ、戒める自身を忘れた者に対する第三者の戒めだった。

従って「とが」はそれを行っている者が使わない言葉で、その理不尽、無神経な行為を被る者と、その事が危ういと気付く当事者以外の第三者の概念であり、言葉だった。

現在の日本では「とがになる」と言う言葉は全く聞かれなくなった。
スマホ待ち受け画面には現実はその通りかどうかは分からないが、幸福な家庭の在り様が映し出され、ブログ記事には豊かな料理の写真が溢れているが、近年起こる惨殺事件はその惨殺具合が深さを増している。

死の中でも最も苦しい死である餓死によって多くの子供が死に、いじめによって少年少女が死んでいく。
なるほど「とが」と言う言葉が死滅した理由が垣間見えるような気がする。


2016年11月22日午前6時11分に発生した福島県沿岸震源の地震に関して・・・・。
日本海溝そのものが動いた東日本大地震のような大きな地震では、その後発生する同一地域の地震は数十年の単位で続く事になるが、日本の気象庁の概念、規定ではこれらを全て「余震」としか表現できない。

しかし、これらは名目上そう呼ばれているだけで、「余震」と言う表現は防災上の意識を微妙に軽くする。

結果として比較的大きな地震を頂点として、その前後数ヶ月に発生した地震を前震、余震と概念する方が現実の防災上の意識、警戒の質を落とさない事になる。
今回の地震も余震となるか、何かの前震と成るかは後に発生する地震の規模によって違ってくる可能性も残っている。

現在の段階でも日本列島の北半分では非地震計設置地点で不明な振動が発生している。
福島県だけではなく、日本海側の北半分でも或いは比較的大きな地震が発生する可能性は否定できない。
余震と言う言葉に頼らず、これらの地域は少なくとも1週間は注意しながら暮らす必要が有る。





スポンサーサイト



「株価主義社会」



Sarah & Amelia Brightman - Moment Of Peace・・・・・

およそ思考を持つあらゆる生物脳の思考分布パターンは逆べき分布で存在し、その時発生する現実の事象に対して大きな抵抗を持たずに集中する。

この過程で思考モジュールは全モジュール内から関連性の有るものを集め、それを不完全な形で記憶として組み立て、それらを総合して事象の解析に当たるが、これらの「過去」の組み合わせから得ようとするパターンは、事実上眼前の事象に対する予測駆動に相当し、ここでは未来の概念の無い事実上の未来が存在する。

この意味では生物の眼前の事象に対する事実上の非概念的未来は、一度それが始まると加速的に発展し、やがては現実の事象を追い越して非意識的未来によって現在を生きる事になっていく。

経済でこれを考えるなら、等価の取引は現物取引の即事決済だが、物々交換や労働の変則的等価交換などがこれが相当し、貨幣や紙幣の対価決済は等価自由決済と言う形になり、ここでは既に非意識的未来が存在する。
つまり紙幣や貨幣によって対価を受けた者が、未来に自由意志で他の物品に交換が可能だからであり、経済的未来移行の第一段階がここに有る。

そしてこうして貨幣や紙幣などの自由決済が発展してくると、例えば今は持っていないが、3日後に貨幣や紙幣の対価を受け取る事が決定している場合で、今どうしても必要となる物が発生した場合、自由裁量決済の紙幣や貨幣を蓄積した者から期限を定めて借りると言う発想が出始め、これも一度回転が始まると加速的に発展するが、紙幣や貨幣が既に未来決済と言う不確定に近い状態である事から、その上に不確定な自身が得るべき未来に措ける自由決済通貨を担保にした場合、その不確定性は2×2の混沌になって行く。

更にこうした貸借は自身が持つ未来裁量の通貨を、現在の時点で消費させる事を拡大させ、結果として貸借の発展は個人が持つ未来裁量権をどんどん蝕んで行くが、この不確定性にリスク総量を計算し、そこから一定の負担割合額を算定し、不確定性を担保しながら利益を得る仕組みが「保険」である。

一方、こうした他者の貸借に対して賭けを行い、そこでの勝敗によって利益を得る仕組みが「株」の原型となり、ここまで来るには初期の貨幣や通貨に拠る経済的未来移行の段階から、「貸借」「貸借の利便性」「保険」「株式」と言う具合で、既に3ないしは4のレベルを超えて不確定性が発展し、その程度は1レベルごとに乗数加算の不確定になって行く。

株式経済の発展は不確定性とリスクを増大させ、ここでは不確定性やリスクの追求と言う側面が発生し、これが発展していくと繊細な不確定性やリスクに対応する為、脳の過去パターンに拠る未来予測駆動は加速的繊細性に堕ちて行き、やがて破綻する。

脳が限界を超えて未来を予測しようとし始め、ここでは本来右か左か判断できない事象までも、左右どちらかに暫定的決定が図られる事になり、こうした傾向の者が増えていくと社会全体が同じ傾向を示すようになる。

切迫性の自己暗示と言うべきものだが、金銭が世を支配する社会では、レベル4くらいまで来ていると、個人は過去も未来も既に使い果たしていて、ここでの決済の不備は過去も未来も失ってしまう事を意味する。
それゆえ、これが至上命題になって脳の逆べき分布状態が、常に金銭的問題に集中してくる結果、本来そこに存在しないものまでもが見えてくる事になり、これが蔓延すると社会は現実を見る事無く、予測駆動だけで動いていく傾向を発生させる。

現実の事象を判断する能力を失い、自身の希望、そう有って欲しいと言う願いが社会を動かし、これはこれで願いが叶う社会と言うのは理想的な事だが、現実の事象とは軋轢を起こす。
更にここで絶望感を持つならまだ救いは有るが、金銭的切迫が本能を超えた命題になっている状態では、ここでの絶望感は「死」を意味する事から、全く希望の無い事象でもそこに希望を求めて予測駆動を行っていく。

これが今回アメリカ合衆国時期大統領選挙で、トランプ氏が次期大統領に決定した後大幅下落し、翌日にはすっかり株価を元に戻した日本や世界の株価市場の原理だと私は思う。

次期大統領に決定した直後のトランプ氏は人生最大の喜びの時期にあり、この場面ではどれだけでも寛容になれるだろうし、来る者は大歓迎だろう。

当然の事だが、これをして今後の全てを計ってしまう、それまで横暴だ粗暴だと批判していたトランプ氏に対し、次期大統領になる事が決まった瞬間から手の平を返したような好評価を観て、そこで上がっていく株式価格の不確定性、不安定性はもはや情緒不安定と自己暗示に拠る妄想に近い。

自分が見たいものを観る、聞きたい事だけを聞く、そしてその通りに社会が動いていく事はとても危険な事であり、常に現実の事象は厳しいものであり、ここを無視して劣化の上に劣化を重ねて、そこに次から次へと節操も無く希望を重ねていく社会は破綻以下の社会だ。

発展した金銭貸借社会、情報社会はそれぞれの個人を追い込み、溢れる情報は自分に都合の良い情報だけを集められる社会を生み、この事が厳しい現実ゆえに更に深い現実逃避を生じせしめ、それに拠って浮ついた社会が大きく動いて行く、私はこの事に限りない恐ろしさを感じる。



合衆国の選択」

辞職も有れば弾劾手続きも有る、しかしアメリカ合衆国大統領の任期中で辞職した大統領は唯一人、「リチャード・ニクソン」だけである。

それも弾劾手続きが進んで、やむなく辞任に追い込まれたと言うのが正しく、その他任期を全うできなかった大統領は病死か暗殺に拠る死亡であり、合衆国大統領の座は途中で降りる時は「死」しかないと言う大変厳しい権力の座と言える。

合衆国はもとより世界中の多くが予想した民主党候補、ヒラリー・クリントン女史の合衆国次期大統領は、蓋を開けてみれば過激な発言で恐れられていた、共和党候補ドナルド・トランプ氏の善戦により夢と潰え、ここに世界の現状継続の気運は合衆国国民に拠って否定された結果となった。

この背景を考えるなら、合衆国の実情は政府が発表している統計上の景気の回復と、実際の国民生活の改善速度が一致していないと言う事である。
つまり農村部を初め、白人中、低所得層がもはやリベラルを維持できないところまで追い込まれていたと言うべきもので、この点では日本でも同様の傾向が有るが、合衆国の国民はこのまま現状からジリ貧を迎えるよりは、変革、動きを求めたと言う事である。

しかも注目すべきは過激、問題発言のトランプ氏が勝利したと言う事は、合衆国国民がもはや体裁、品位などと言う悠長な事を言っていられないと言う事を示したもので、これは一種合衆国国民の賭けである。

民主党クリントン候補の政策は現状維持継続だった事から、国際的には唯でさえ危うい世界経済に鑑みるなら合衆国の経済不安は回避すべきものであり、また合衆国でも現状で利益を出している者、或いは仕方なくでもこれを容認している者はクリントンを次期大統領に望んだ。

つまり世界と、合衆国でも少数の受益者がクリントン候補の勝利を望んでいたと言う事で有って、これでは声にならない声を聞く事はできず、世界と合衆国の事前予想は希望であって予測にはなっていなかったと言う事である。
安易な統計上の発表にすがり、現実の庶民の暮らしを省みなかった軽率さが招いた予想で、世界的にも各国が自国の都合の良いようにしか見ていなかった結果とも言える。

確かに民主党クリントン候補が次期大統領となったしても、合衆国の飛躍的な発展は望めなかった。
ジリ貧になると判断した合衆国国民の判断は間違っていない。
しかし、トランプ候補には経済政策や思想と言うものが無く、この点では全てが未知数、混沌であり、合衆国国民はジリ貧で沈んでいくより、混沌に拠る変化に賭けた。

FRB(合衆国連邦準備制度)のイエレン議長は、これで合衆国国民が統計上の発表を信じてはおらず、実情は悪いと言う事を認識しただろう。
合衆国の利上げは、これで少なくとも2017年1月20日以降、トランプ大統領の方針が発表されるまで保留される。

また具体的な経済、政策方針の見えない、或いは全く無いのかも知れないがトランプ次期大統領と言う事実は国際的な混乱を招く事になり、これまでの同氏の発言を見ても世界は戦々恐々となって行くが、一方で合衆国大統領の座は一つの色を持っていて、経験の無い者がこの座に付くには「色」に一度入らないと座れない。

初めから大統領の器だった者など一人も存在しない。
大統領と言う地位が大統領を作って行くのであり、この意味ではトランプ氏の過激さは大統領と言う椅子によって希釈される。
おそらく彼が発表する施政方針は、これまでの方針が少し過激になった程度のものにしかならず、現実でもその程度しか動かす事はできない。

当初に発表される方針は1年半後には全て達成不可能になる可能性が高く、ここで失望した合衆国国民は、もしかしたら民主党時代より更に深い、ジリ貧以上の状態に追い込まれる可能性があり、日本などが心配している安全保障条約の不安定化も、基地費用負担の増大と言う金銭的解決方法が取られるが、これは何も今に始まったことではなく、この70年間ずっと続いてきたアメリカの方針であり、それが少し程度が深くなって、要求される場面が増えるだけの事である。

またトランプ氏の根底は「利益」である事から、基本的に合衆国は中国市場への関心を高め、この点では合衆国と中国の関係は一時的に近寄っていく為、日本は一時的に疎外感を感じる場面が出てくるが、これも長くは続かない。
中国共産党の保身重視はいずれ強硬なトランプ大統領と反目関係に陥る。

また経済でも、合衆国大統領選に措けるトランプ氏の勝利はアメリカ経済の実態が改善されていない事を示していて、この中で採れる経済政策は消極策が主流となるが、積極策の場合は「戦争」と言う形が出てくる。

これはブッシュ・ジュニアがそうだったが、当時副大統領だったゴア氏が大統領になっていた場合、イラク戦争は無かっただろう。
だが、現状を考えるなら、合衆国は積極策を採れない。

結局ジリ貧の経済対策に多少色が付いた程度のもので落ち着く事になり、一番恐いのはこうした事態に迎える合衆国国民の失望感だ。

冒頭にも述べたように合衆国大統領が途中でその座を降りる時は「死」であると言う事だ。
日本はこの1年半、黙って合衆国を見ている事しかできない。
トランプ氏のような強硬な白人合衆国大統領は偉そうな口の利き方をする者を嫌う。

敗戦国の首相風情が、共に手を取り合って国際社会に貢献などと言う発言は控える事だ。
暫くは「アメリカ様」と言う態度で凌がないと不利な状況に追い込まれる。
耐える時は耐えなければならない。

合衆国国民が自国の国歌に恥じない選択をしたのかどうか、その結果が出るのは1年半後になるが、その結果は限りなく厳しい予感がする・・・。





「経済災害」



To Zanarkand - Final Fantasy X (Violin) Taylor Davis・・・・・・


「負けた時にその負けを少なく抑える事は、勝つ事以上に難しい」

孫子兵法に鑑みるなら、負けた時の撤退は迅速勝つ静かに、そして追って来る敵に伏兵を置きながら、攻撃も残して撤退する事になるが、そもそも勝てない戦はしない事が定道と言える。

この意味ではインフレによって経済が活性化するなどと言う、半ば狂気の作戦を今日まで継続し続けてきた日本国民の心底こそ如何なものかだったが、それでもこのお祭りを信じて今日まで戦ってきてしまった以上、私は当初からこう言っていたなどと言う話は無意味だ。

2016年11月1日に発表された日本銀行の金融政策決定会議で、ついにインフレターゲット達成を2018年頃としたが、これでは2018年に任期の切れる黒田日本銀行総裁が言葉を担保できない。
つまり、この発表は2%のインフレターゲットの達成は無期限に延長される、或いはその内消滅、または方針の転換が図られると言う事である。

アベノミクスは失敗したと言う事だ。
当然この経済政策を主眼として首班指名後総理となった安部総理と、これを容認した議会の責任は衆議院解散、若しくは内閣総辞職に相当する重大な失敗だが、それ以上に深刻なのは「撤退する」とは言えない撤退が始まると言う事で、失敗して我先に逃げてしまえば敵に追われて殲滅の憂き目に遭う。

それゆえ撤退を気付かれずに撤退しなければならないが、その方法が日本銀行、政府共に失敗を認めずに、唯時期が少しずれただけだと言いながら、時々消極的な緩和を行って自然に不景気になっていく時期を待つ、或いは国際的な金融不安の時期を待つ政策になる。

この政策では撤退や失敗の言葉は禁句であり、マスコミや報道には政策の転換ではなく、少しの修正だと言う事を徹底させ、そして経済政策の失敗が落ち着く先、撤退して逃げていく安全圏は茹で蛙状に容認されて行った「不景気」なのである。

ずるずるとジリ貧な状態が続き、やがて「仕方なかったよね」と言う時が来るのを待つ、これが今回の経済政策の失敗の落ち着く先と言えるのであり、この結果がどうなるかと言えば、火を用いた作戦で失敗すれば、その火までもが敵の利するところとなる。

今度はあれほど望んだインフレーションがいとも簡単にやってくる事になる。
しかもそれは辺りの野山を焼いた大火事になって日本国民を追い立てるかも知れない。
制御できないインフレーションが発生するのであり、大量に保有された事が明白な通貨は価値を失い、「円」は暴落し国債に拠る資金の調達金利は上昇、しかし国の借金が多すぎてインフレーションに気付いた時には通貨抑制が間に合わず、大幅に買い取った国債がそれを邪魔する。

しかし一方で少子高齢化によって生産が間に合わない食料品を除く工業生産品は進行するインフレーションと、高齢化社会に拠る約20%の消費自然滅失によってデフレーションを起し、利益を確保しなければならない企業は次々海外市場へと追いやられ、日本は空洞化した上に、これまで負けが込んできた博打のツケを払わされる事になる訳である。

金融緩和政策、マイナス金利の状態は世界的な傾向だが、この政策は非常時に於ける暫定的な措置であり、少しおかしな事をしますが、それは短期間ですよと言う条件が付くものである。
これを長く継続すると、その継続している期間は元の状態に戻れない事を意味し、更に継続していると元の秩序を壊してしまう。
破綻してしまうまで元の状態には戻らない事になる。

11月1日の黒田日本銀行総裁のターゲット達成延期発表は、撤退と言えない黒田総裁の曖昧な撤退発言であり、撤退に際して如何なる策が有るのかを示さない限り、日本が逃げ込む先は「恐慌」と言う事になるかも知れず、どう読み取っても黒田総裁や安部総理にプランがある様には見えない。

彼等の頭の中にあるのは自分が批判される事を回避する事で、その意味では世界的な経済の沈降と言う半ば日本国民に取っては災害とも言える状態を待ち、経済政策の失敗は自身らの責務ではなく、世界的な影響でしたと言える時期を待つと言う事なのかも知れない。

この10年で日本は多くの災害や震災に被災した。
そしてこうした災害は破綻寸前の地方財政にとっては更なる災難と言う逃れ道になり、その後それらの地方行政区首長の首は繋がったかも知れないが、数年後被災した全ての地域では過疎が進み、事実上その行政区の経済は破綻している、或いは既に人口減少に歯止めがかからない状態になっている。

黒田総裁と安部総理が取れる次の経済政策は自身らが攻撃されないように保身する事だけになるだろう。
民衆は苦しい撤退を強いられる事になる。
倹約して紙幣は価値の有る品物に替え、家族が結束して生き残れるように備える必要が有る。

日本はこうした政府に拠る経済災害と国際的な経済変動と言う災害、そにオリンピックと言う散財を引き受け、更に気象災害や関東大地震、東海、南海大地震と言う自然災害を目前にしている。
嵐の前の静けさはそう長くは続かない・・・・。


プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

月別アーカイブ