「足の1本も・・・」



銀河鉄道の夜 one night 歌詞付・・・・・

着る日の無い、カジュアルジャケット、ヤフオク買い・・・・。(字余り)

まだ一度もやった事がないサラリーマン川柳と言うものをやってみた。

勿論、私は農民と家内制手工業なのでサラリーマンではないが、忙しいにも拘わらず深夜や早朝、ヤフーオークションを眺めながら、「おっ、これは春に良いな、これは夏に着たら良さげでは無いか・・・」などと思い、1000円、1500の中古ジャケットを買い、「んー、このパーツはあの修理に使える、この機材はあれに良いな・・・」と思い描き、750円、1020円と言うジャンク機材を買っていたりする。

で、めでたくオークションで買うことが出来て、ジャケットに袖を通してみて、春の日差しの中をそれを着てどこかへ行っている事を思い描くのだが、そのどこかはぜんぜん具体的ではない。

何か絵本の中のような情景なのであり、女性で言うなら白馬に乗った王子様が現れたにも拘わらず、肝心のその顔が思い描かれていないのに似たりか・・・。

またジャンク機材から部品を取り出し、眠い目をこすりながらハンダゴテを持ち、で、直ったそのコンポーネントで何を聞いているのかと言えば、一度試聴して、後は何も聴いていない。

レベルアップした沢山のパソコンで何をしているのかと言えば、早朝ブログコメントを確認し、ヤフオクの落札価格を10分ほど見ているだけ、と言う有様である。

ジーンズは5本、10本と言う単位になり、革のパンツも3本から7本になった。
ジャケットも既に10着を超えているが、それらを着る機会は極めて少ない。
精々が父親を病院に連れて行く時に着るか、或いは家内の薬でも取りに行く時に着るしか、着る時間そのものが無い訳である。

買う時に思い描いていた場面などは永遠に訪れないにも拘わらず、それを思い描いて物を買い、使う事がないにも拘らず、いつか使おうと思って機材を修理している訳だ・・・。

午前5時14分、早朝の仕事を終えて部屋戻った私は、やたらと増えた音響機器やパソコンを眺めながら思った。
「俺は何をやっているんだ・・・」

そう言えばむかし、この地方のローカルFM局の女性アナウンサーで結構エキセントリックな人がいて、彼女がこんな事を言っていたのを思い出した・・・。

「白馬に乗った王子様が現れたら、馬から引きずり降ろして殴りつけて動けないようにして、それから縛り付けて逃げられないようにしないと・・・、足の1本くらい折っておいた方がいいかも知れない」
「見てるだけだと逃げられちゃうんだよ、そして誰か他の女に取られちゃうんだよ・・・」

どこかで彼女の魂の叫びのような迫力が有ったが、夢で有ってもこのリアリティは大切かも知れない・・・・。

さてみんなの朝食の支度だ・・・。
今日も頑張ろうかな・・・。





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特集「住民投票の意義」

流し素麺を食べている時、上に座している者は下に座している者の事を考えて、自分が掬う素麺を遠慮する、この考えが神の概念に由来していた古代日本、しかしやがて力は正義なりと言う時代、「俺が、私が先に来て座っているのだ、好きなだけ掬って何が悪い」と言う時代に変遷し、やがて力、武力がこの調整を果たして行く時代へと移り変わった。

すなわち武力は上に座する者と下に座する者と言う意見の対立に対し、その力の権威を客観性に求めて行く事になるのだが、この客観性の訴求は「調整」に由来したものであり、この事から政治の本質は「調整」と言う事が出来る。

しかし日本は太平洋戦争に敗北しアメリカ合衆国に拠って自由貿易、資本主義の国家へと仲間入りした時点で、国内の主力産業であった農林水産業は事実上価格競争に追いつかず崩壊し、この時点で日本の地方経済も崩壊した為、工業に拠って得た収益をこれらに還付する形態の経済へと陥落した。

つまり日本の地方経済は社会主義的計画経済、中央から助成される金で経済を動かす仕組みにならざるを得なかったのだが、この事は何を意味していたかと言えば、本来は「調整」であるはずの政治、地方行政が事業主体と移り変わって行ったのであり、ここに地方行政は社会主義と全体主義が入り混じったような行政支配社会となって行ったのである。

本来は流し素麺と言う自由経済の事業主と上に座る者、下に座る者との調整を政治と呼ぶのだが、こうした日本の地方経済崩壊の在り様は、行政が流し素麺のオヤジをやっているに等しい形を発生させ、ここに対立を生じせしめた時は、流し素麺の全てを支配する形になってしまったのである。

行政はもはや政治に必要な「客観性」、「調整」と言う能力を失い、ここに事業主体、言い換えれば対立の一方の当事者となってしまっているのであり、この現状はバブル経済の崩壊、その後現実的問題となってきた少子高齢化に拠ってさらに増長され、力を失い、経済の全てを行政に支配された民衆は言葉を失った「沈黙」へと陥り、この沈黙を民主主義と錯誤した地方行政、地方議会は、やがて支配の根拠となっていた中央の財政出動が減少すると、支配体制が崩壊し始め、ここにキリシタン弾圧時のような「踏み絵」に拠って民衆を区別するような形になって行き、これは日本のどこでも同じ状態である。

石川県輪島市では門前町大釜地区が限界集落から消滅集落へと進行し、ここにこの地区の住民は集落維持を断念し、産業廃棄物処理施設建設業者に村を売却する方向へと動いて行った。
実に現実的な判断では有るが、しかしこの契約は川の下流にすむ住人には全く知らされておらず、世界農業遺産の指定も受けた奥能登地区のあちこちから反対の声が上がった。

これに対し、選挙も控えていた輪島市議会は市民の声を恐れ、2006年、2011年の2回に渡って施設建設反対の意見書を採択しているが、何故か2016年6月、この産業廃棄物修理施設の排水を意識した公共下水道接続に関する議案を可決する。

産業廃棄物処理施設建設に反対しながら、その施設が流す排水の接続許可が可決された訳で、これでは産業廃棄物処理施設建設は賛成なのか反対なのか、議会の方向性が見えないまま、輪島市議会はその後何の説明も行わなかった。
つまり、議会は議会制民主主義の基本である、質疑応答に拠る審議に拠って、議論を通して民衆に理解を得ると言う、議会制民主主義の本質を放棄したのである。

流石にこうした事態に疑問を感じた市議会の一部会派と輪島市民は、以前から処理施設建設に反対していた市民組織を中心にして住民投票に拠る市民参加を訴え、集まった署名は住民投票に必要な有権者数の6分の1をはるかに超える、必要数の倍近い署名が集まった。

ここに輪島市では産業廃棄物処理施設を巡る住民投票が成立したのだが、何故か奇妙な事が起こって来る。

以前、住民投票条例を作ったのは私だと豪語していた輪島市長は「住民投票に行かない事も選択肢の一つだ」と発言するのであり、これに対して地方新聞は「邪道」だと書いているが、輪島市議会でも「議会の決定こそが議会制民主主義だ」と言う無茶苦茶な発言が飛び出すのであり、1月に年頭集会が有る各地区でも、用もないのに市議会議員が現れ、住民投票に行かないようにと発言していた地域が存在した。

議会は産業処理施設建設反対を撤回しないまま、いつの間にか賛成の方向になっていた事を説明しない状態で、住民投票は有権者の半数の投票が無ければ成立しない事から、「住民投票には行かないでくれ」と言った訳である。

確かに有権者数の半分が投票に行かなくても、要件が満たされない住民投票は非成立となる。
しかし住民投票に行かない事と産業廃物処理施設建設賛成とは同義ではない。
これが反対の立場で市民が住民投票に行かないでくれと運動すれば、議会や市長は民主主義、権利の蹂躙だと騒ぐだろう。
その事を忘れている。

産業廃棄物処理施設反対は一つの動議であり、住民投票は輪島市が制定した市民の権利であり、ここに住民投票に行く事を制限する様な発言は日本が批准している国連憲章の精神に真っ向から対立するものである。
産業廃棄物建設に賛成すも反対するも住民投票で決すればよいので有って、棄権を推奨するは、市議会議員選挙にも行かないでくれと頼んでいるも同じなのである。

輪島市市議会の今回の態度の背景には、いずれは施設建設は決まっていたが、市民の手前反対しておき、やがて時期を見て適当な理由をつけて建設してしまえば良いだろうとと言う考えがあったように思うが、その際先に排水の確保を行おうと隣接する志賀町に産業廃棄物処理施設の排水を打診したが、志賀町は住民上げてこれに反対した。

それで仕方なく輪島市議会は強引に輪島市の下水道に接続を許可する議案を可決したのかも知れない。

輪島市の財政は能登半島地震の前に、既に崩壊寸前とも噂されていた。
それが震災に拠って震災復興費用で何とか今まで繋いでこれたものの、このままでは財政の破綻が眼前に迫っている、いや既に破綻が始まっているかも知れない。

ここに産業廃棄物処理施設を受け入れれば国から150億円とも言われる補助金が舞い込み、トラック1台当たり75000円の金が入ってくる事になる。
これで市長在任中は財政破綻は免れる、次の市議会選挙前の財政破綻は免れると考えるのは無理からぬ事だが、現実にはこうした施設を受け入れてもやがていつかの破綻は免れない。

基本的に財政が苦しいのなら、こうした理由だから産業廃棄物処理施設を受け入れたいのですが、どうですかと市民に意見を求め、市民も財政が苦しいのなら自分たちだけの事を言っていても仕方ない、ではこうした安全基準だけは満たしてくださいよ、などと言う話し合いが必要だった。

だが既に追い込まれた財政は行政も議会すらも利害関係の一方の当事者に追い込んでいた。
ここに議会や行政は一方の当事者となって民衆と対立しまった事で調整に関する客観性、総合的に言えば権威を消失している。

日本人は「多数決」と言うものの原則を全く理解していない。
「多数決」は勝った者が何をしても良いと言う原則ではない。
今般の輪島市の住民投票にしても、賛成が多数になっても反対が多数になっても、勝ったほうが負けたほうの意見を全く聞かずに事を進めれば、それは「専横」と言うものである。

多数決に勝った方は全ての権利を得て、負けた方は完全に否定されるなら、負けた方には「死ね」と言っているか、或いは出て行けと言っているも等しい。
これではただでさえ人口が減っていく過疎地域は一気に半分の人口を失うか、或いは半分の人口の協力が得られなくなる。

本来なら協力して事に当たっても乗り切れない難局に向かって仲間割れしているのでは、眼前の厳しい現実は更なる民衆の沈黙を増長し、その地域は黙ったまま消失して行くだろう。

多数意見となった者達は、その多数であるが故に少数意見と協議し、共に難局に対峙していく事が多数決の原則と言うものであり、この協議や少数意見との議論こそが議会制民主主義の根幹である。

怠惰と現実を先送りしているEUは停滞し、イギリスはEUを離脱したが、これはどちらもアリストテレスの言う民主制から生まれる衆愚であり、アメリカも今回大統領選挙で民主制が行き過ぎて民主制から派生する独裁に近い状態となった。
バランスの保たれた民主主義は世界的にも失われれつつ有る。

この中で奥能登と言う過疎の小さな地域、世界農業遺産に指定された地域が、民主主義の原則、多数決の原則を今一度住民全員で示すなら、それは太陽の光に一瞬きらめく、大海の底に沈んでいる1粒の砂金の光にも等しく世界に映るだろう。
輪島市に在住する人は、産業廃棄物処理施設建設賛成も反対の者も2月19日には是非住民投票へ参加し、投票と言う市民権利に拠って賛否を決して欲しい。

そして賛否が決したら、多数意見の者は少数意見となった者達と協議し、少数意見に納得してもらう努力と、少数意見をどう反映するかを話し合って、先に待っている奥能登の過疎と人口減少問題に対峙して欲しい。

住民投票をただの対立と専横にしてしまうか、未来の希望にするかは市民の皆さんの手にかかっています。

輪島市をどうか宜しく頼みます・・・。





「立っている者は親でも・・・」

コタツに寝そべりテレビを見ていると、ふと母親がお茶でも入れるのだろうか、コタツから出て台所へ向かった。

「お母さん、台所へ行くならミカンも持ってきて・・・・」と言う娘・・・。

一瞬「むっ」とした母親だったが、「はいはい、立っている者は親でも使えね・・・」
母親はそう言うと仕方なさ無そうな顔をして、台所へ向かう・・・。

良く有る日常の光景だが、アジアの儒教国家では基本的に自分より目上の者、特に親などは猶の事自身の怠惰のために使ってはならないが、この「立っている者は親でも使え」と言う発想はそう新しい概念ではない。

周易の中では眼前の現実と社会的観念のバランスを、その易を見た者、知る者の判断に委ねている時があるが、全体として周易に関して言えば「現実」に重きが置かれている。
その状況に対する最短を好しとしていて、誰もがそれを判断出来る状況なら、社会的道徳観念に現実が優先されるを、消極的肯定している部分が有り、この意味では後に発生してくる孔子などの原理主義儒教とは若干の違いがある。

周易は現実を見る事であり、ここに社会的道徳観念との整合性を規定していない。
その分現実と社会的観念の関係が曖昧なのであって、状況に拠る変化を許すが、これを「禮」に縛ったのが孔子であり、このおかげで人間は道を得るに至ったも、どこかでは心が引き裂かれる思いも得るに至ったのである。

時を経て現代、白か黒か、プラスかマイナスか、或いは善か悪か、と言う両極端な価値判断しか出来なくなった国際社会は、「禮」に拠って現実を縛った孔子よりさらに原理主義を深めている側面が有り、この事は現実との乖離をもまた深め、あらゆる人の動きは両極端な判断の中で、上まで昇って来ないところでの枝分かれを許し、これが混乱となり、また社会を硬直させたものとしてしまう。

「立っている者は親でも使え」、こう言う良き言葉が残っているにも拘わらず、日本の高齢化社会は現実を見ていない。
「親」、つまりは高齢者を使えば良いのである。

高齢者イコール引退組、扶養しなければならない、社会的負担、などと言う考え方は50年も前の考え方であり、今では80歳でも元気で働き、この年齢でも彼氏、彼女と言う関係も成立する時代である。
この現実を一括して「高齢者」としてしまい、社会的負担と考えるから先が重くなるのである。

高齢者でも起業できるシステム、金融から企業から全て現実に存在する高齢者と言う労働力を用いないのは、そこに牡丹餅が落ちているのに踏みつけて、掃除する手間が大変だと騒いでいるようなものだ。

農業を例に取るなら、アメリカ型の集約営農形式は、その資本や補助金が農業から工業や金融へと基礎資本が流れているに等しい。
これは徳川吉宗の農業改革の失敗と同じで、グローバルシステムを農業にも適応していくと、基本的には農業資本が金融や流通、機械生産などの工業に流れて行ってしまい、最終的に農家はそれまで持っていた物まで失って行き、気が付けばどうにもならない事になる。

日本の農業政策である集約営農の方向は、ある意味「現実」を見ていない。
経済や人口が収縮して行く中で現実との整合性を考えるなら、あらゆるものを少し前の状態に戻せば良いのであって、収縮の度合いに応じて社会を不便利にして行く、大きなものは細分化する方向に持っていく事が肝要になる。

グローバル、集約大規模化は国際競争に参加する事を意味するが、ここでの成功は1つか2つであり、この1つか2つが稼ぎ出す収益をグローバル化に拠って敗者となってしまった部分、人たちに還元する社会では多くの人が足手まといにされてしまう。

しかし、国際的な動きとは別に、合併や再編に拠って集約に向かう方向とは反対を目指す事に拠る損失は、集約経済に措ける「足手まとい」が発生する損失よりも小さい。

いわゆる勝った負けたではなく、現実の生活を重視するなら、働ける者が全て働き、この収益に拠って働けない者共々生き残って行く方向を考えるべきだろうと思う。

1台1千万円もするトラクターを使って、これまた1台1千万円の最先端のコンバインを使っていたのでは、農家が得るべき資本や補助金が全て機械製作メーカーや金融機関に吸い取られているようなものである。

現役の仕事を引退した者の中には田舎で余生を送りたいと思う者も多い。
また田舎でも高額な機械を買わずに済んで、融資も受けられるなら小規模でも農業を続けて行ける労働力は沢山ある。
これが農協では融資は70歳までと決められ、これを過ぎれば機械が買えずに農業を辞めてしまう事になる。

農業機械も大型最先端ではなく、スマホなどでも有るように、最低限の機能で安くと言う事を考える方向、小型化して価格を抑えた、例えば50万円の超小型トラクターやコンバインなどが開発され、これに対して年齢制限の無い融資と補助が加われば、小規模の集まりに拠って細かいところまで全て農地が利用される道が開けるだろう。

付近には高齢向けの超熟女パブや、昭和レトロな「スナック」なども有っても良い。
若い者、女性だけが客のような今の在り様の中に、こうして高齢者層の社会が混じって行く方向が必要だと思う。
これに拠って年金の支給額減少の痛みを抑え、またこうした方向であれば、年金支給額と言うまやかしの農業保護政策も使える。

また国民も、こうした経済の収縮、人工収縮は現実的には時代が少し戻る事を認識し、多少の不便を受け入れ、食べる物も質を落として行くと言った現実的認識が必要になる。

既に国際企業は日本の高齢化社会ビジネスモデルを狙っている。
トヨタの代わりに補聴器メーカーが安くて高性能な機材を展示した支店を田舎に開店する、或いは歯科医師の診断の必要の無い歯茎接着面柔軟素材の「入れ歯」メーカーの代理店が洋服店の代わりに進出する。

送迎付き低価格理髪店、急がない物なら「ゆっくり到着する宅急便、この配達員が75歳と言うのも良いだろう・・・。

立っている者は親でも使え・・・。
今この現実を直視するなら、高齢者を無駄にしてはならない。

高齢社会ビジネス経済、モデルをその総本山である日本が海外貿易にうつつを抜かして見逃せば、気が付かない間に宝の山をごっそり海外の企業に持って行かれる事だろう。

日本の行政システム、金融システムに措ける規約は戦後の高度経済成長時代に作られ、バブル経済の崩壊時に修正されたものだが、この修正には年齢制限などの修正が為されていなかった。
しかし、1円でも利益を出す者を生産者、労働力と見做すなら、既に60歳から80歳くらいまでは非労働生産ではない。

若い者だけが金を借りられるのではなく、高齢者も事業が起こしたければこれが可能な社会こそが公平な社会だろうし、少なくともアパートが借りられないようなシステムは時代遅れだろう。
高齢者は資本的に優遇されているかも知れないが、生きがいには優遇されておらず、何もしなくて食べている事が幸せな訳でもない。

高齢化社会をチャンスとするか、或いは問題としてしまうかの分岐点は、その眼前の現実を見るか否かにかかっていて、それに拠って全く違う景色になってしまうだろう・・・。

親をどう上手く使うかだ・・・・(笑)




「フィボナッチ数列」

日本で言うところの「ねずみ算」は、ヨーロッパでは「うさぎ算」と言うが、この数列を初めてヨーロッパにもたらしたのは「レオナルド・フィボナッチ」(Lonardo-Fibonacci)、本名「レオナルド・ダ・ピサ」と言う、1100後半から1200年前半に活躍したヨーロッパ屈指の天才数学者である。

彼はその著書「算盤の書」の中でアラビア数学を紹介しているが、この中でうさぎの出生率に関する数学的な解析を行っていて、それに拠ると最初1つがいの未成熟なつがいが1ヵ月後に成熟するとして、2ヵ月後から毎月1つがいの子うさぎを生むとすると、その数は1・1・2・3・5・8・13と増えて行き、1年後の12ヶ月では233のうさぎのつがいが発生する。

尚且つこの数列は1+1=2・1+2=3・2+3=5と言う具合に、一番新しい数は二つ前の数列と一つ前の数列項目を足したものになって行く。
で、この数列の任意の数と、そこから一つ前の数列の比を見ていくと、1/1=1・2/1=2・3/2=1.5・5/3=1.667と言う具合で、最終的には(1+√5)の2分の1、つまりギリシャで最も崇高とされた「黄金比」に近づいて行くのである。

この「うさぎ算」に拠る数列の事を「算盤の書」の著者であるL・フィボナッチに敬意を表して「フィボナッチ数列」と言うが、この数列はインドでは6世紀に既に見つかっていたとされ、例えばフィボナッチ数列から求められていく数を1辺とする正方形を描いて行っても、黄金分割比と同じような、カタツムリの殻の模様状の渦巻きを描く事になり、このピラミッド上の数列は松ぽっくりの形状や、向日葵の種の配列にほぼ同じになる。

更に松ぽっくりの1枚々々を三角形として見たとき、この三角形のピラミッドの両辺に1を置き、これらを足して行くと、最終的には(X+1)8の展開が方程式に拠る展開の必要なく、視覚的に既に現れてくるのであり、この図形をパスカルの三角形と言うが、11世紀中頃の中国の文献に、この図形と同じものが既に出てきていて、同じ細かい三角形の集合ピラミッドを直線で斜めに過る(よぎる)のが、これまたフィボナッチ数列なのである。

このフィボナッチ数列がなぜ存在するのかは解っていない。
しかし自然界、数学の世界でふらっと現れてくるところを見ると、何か基本的な数列なのだろうと言う事は間違いない。

ちなみに経済、資本主義などの発展モデルは基本的にこのフィボナッチ数列に近い図形を形成し、資本主義が始まった段階にその終わりを考える者はいない。
この事から経済は無限連鎖講に近いものなのかも知れない。

が、数学と違って現実の地球と人の数は有限である。
その終わりが来るのは必然と言うものだ・・・。







「小さき物が道を塞ぐ」

任意の空間、その広さはどれだけでも良いが、頭に何も無い真っ白な平面を思い浮かべたら、そこにどこでも良いまず最初に水の入ったコップを置く・・・。
それから30インチくらいのテレビを置き、モバイルノートも置いてみよう・・・。

また本棚や机、暖房器具なども置いて行くと、大体の人間はこれらの物を自分の周囲を完全に塞ぐようには置かない。
必ずそこから移動するための通路、これは複数の場合もあるが、物が多いと1本になるものの、最低一箇所は通って出れる道を作って行く。

そしてこの過程で物が多いと、一番最初に置いた水の入ったコップを見ながら、見ていない状況、或いは水の入ったコップの事を忘れてしまう状況が発生する。
この原因はその表面積が他の物に比べて小さい事、また一番最初に置いているからであり、最初に置いた時はそのコップしかなくて、周囲は全て空いた空間になっていたからである。

その結果周囲に高さの有る物が置かれると、最初に水の入ったコップを置いた事を忘れ、そこを通路としてしまうのであり、当然コップは蹴飛ばされ、水は周囲に飛び散る事になる。

またコップの次に物を置くとき、コップとその置かれるものの距離関係は次に置かれるものがどれだけ大きな物でも、水の入ったコップと同等の意識が働く。
テレビもコップも一つの物として対等に扱われるのだが、物が増えるに従って水の入ったコップは小さく意識され、最終的には忘れられる。

無かった事になって行くのだが、このように考えると、人間が思う「道」も似たような部分が有り、一番最初の何も無い真っ白な空間は全てが道であり、物を置く場だったが、ここに実際に自分で物を置いて行くと、そこに細い道が出来上がってしまい、尚且つ道はそこしかなくなるのであり、更には一番最初何も考えずに置いた水の入ったコップを蹴飛ばすのである。

水の入ったコップとは、今現在のどが渇いたから飲もうと考えた物だったが、しかしこれは道には全く関係が無い。
だが、あれもこれもと思っている内に、周囲には高さのある機材や物が溢れ、やがてそこから外に向かうときには1本の道しかなくなっていて、全く意識せずに置いたコップがその道を塞いでいたのである。

我々が求める道とは、或いは希望とは何だろうかと考えると、こうして色んな考え方が周囲に高く積まれて行って、そこに開いた1本の通路のようなものかも知れない事を思わずにはいられない。
そしてその道は一番最初、何も考えずに置いた小さな物に拠って実は塞がれ易い、或いは立ち止まらざるを得ない事になるのかも知れない。

希望も絶望も基本的には「今」のものであり、現実にはそれ以降自分が周囲に何を集めるかに拠って、つまり環境に拠って千変万化する。
色んな物を集めると初めは全てが道だった広い空間は、たった1本になってしまい、しかもそこしか通れなくなる。

一番最初、喉を潤すために置いた水の入ったコップしかない真っ白な空間、実はこの時が一番広い道を手にしているのかも知れない、最近そんな事を思うのである・・・。

私は幼い頃から良い夢を見たことが無かった。
いつも何か恐ろしい者に追われ、崖から意を決して飛び降りる夢が多かった。
今もそうかも知れない。

だが、いつも追われて逃げている先には何某かの光が有って、そこにも誰かがいたのだが、つい最近この追ってくる恐ろしい者と、その先にいる者が何か解ったような気がした。

髪を振り乱して恐ろしい形相で追いかけてくる者は自分だった。
そしてその先の光の中の穏やかな者も自分だったが、これは「虚」だ。
追いかけてくる恐ろしい者と、逃げている自分がそれぞれ半分ずつの自分だろうと思う。
いつか、「虚」を含めたこの三者が一つに重なった時、私は多分死ぬのではないかと言う気がする。

それゆえ、私はいつも必死で何かから逃げ続けなければならないのだろうと思う。

埒も無い、戯言(たわごと)だった(笑)




プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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