2017/05/24
「田植え花」
Dido - Thank You・・・・・
「暦」(こよみ)の概念は大まかには4つ有る。
一つはその発音の如く一日々々を読む事を意味するが、二つ目には天体の運行から今を測る事、三つ目は何事も周期が有る事から、一つの事象が発生した時に措ける「他の事象」との関係、そして四つ目には「凶事」「好事」の占いであり、これらを総合すると暦とは過去の周期から今を知り、未来を測る事を意味している。
しかし暦に措ける天体の運行は絶対的なものだが、実際に発生する災害や天候の不順などは必ずしもこれに連動しない。
古代、メソポタミアなどではこうした天道と一致しない不順に関し、不順を基盤をした他の事象の発生を集め、ここに変則的な周期予測を求めた事が知られている。
つまり歪んだものには歪んだなりの規則性を求めて行ったのであり、この事は現代社会、特に現代農業の概念には重要な指針となるべきもののような気がする。
山陰、北陸、東北や北海道の一部では「田植え花」と言うものが存在し、この花が咲くとそろそろ田植えをしても大丈夫だと言う伝承が残っている花が有る。
「たにうつぎ」と言う桜とつつじが混じったような形の濃いピンク色の花だが、これは基本的に「霜」を警戒しての事であり、「たにうつぎ」が咲く頃になればもう霜の心配は無くなると言う意味だった。
同様に白い花をつける「うつぎ」の花も同じ時期に花を付ける事から、「卯の花(うつぎ)が咲いた、そろそろ田植えを始めるか・・・」と言う話が出てくるのだが、こうした植物の花が開花するする時期は、大まかには天道の知らしめる時期の範囲に在りながら、広域では必ずしも統一される現実が無い。
山陰と東北では「たにうつぎ」が咲く時期は異なり、例え同じ都道府県内であっても、標高差に拠っては開花時期が同じにはならない。
だが、農協や農林総合事務所などは何月何日から田植えをして、施肥は某月某日からと言う指導をしている為、日本の農業はどこか非常にせっかちな状態になっている。
田植え花の咲く頃に・・・と言うのはメソポタミアの歪んだものには歪んだなりの規則性であり、大まかな理想は天道だが、この天道は平均値であり、平均値は全てが誤差であるものの中間、つまり現実には一度も一致する事象がないものである。
「たにうつぎ」は最も眼前の事象を反映したものであり、こうした確かな事象を無視して理想である人間の統計を用いるは、まるで天候すら人間が支配できるかの如く在り様で、この傾向は多分1980年代のバブル崩壊以降激しさを増したように思うが、挙句の果ては災害はコントロールできる、必ず防ぐ事が出来る、放射能はもうコントロールできていると言うような風潮である。
そして言葉はどんどん軽くなり、「沈む陽は私が戻してみせる」の様相がまかり通る昨今、今一度自然が織り成す極めて現実的な事象を落ち着いて眺めて見ては如何だろうか・・・。
ネットやテレビ、マスメディアの情報は「平均値」の情報である。
一方、「たにうつぎ」は平均値を構成する歪みの一つ、今知ら示す確かな未来の情報である。
農事に拘わらずこの事を忘れてはならないだろう。
ちなみに「たにうつぎ」は基本的に縁起の良い花ではないとされている。
遠くから見ると濃いピンクの色は「火」に見えることから「火事花」とも呼ばれ、家に持ち込む事を禁忌としている花であり、木の中が空洞ではないが、柔らかい繊維で出来ている為に「虚」ともされていて、虚は「ふくべ」(瓢箪)に同じである。
中が空洞、若しくは芯の弱いものは、その中に「魔」がさすとされる事から、身の回りには措かない方が良く、こうして時期や場所に拠って使い分けられる花は、その時期や場所を間違えると「ふくべに遭う」(禍に遭う)事になり、同様の事例では「盆花」なども、お盆に飾られるを本旨として、それ以外に飾っていると良い感じにはならないかも知れない。
その時その場で必要なものこそが天道であり、必要のない時に必要ではない場に存在するは禍をもたらす。
この意味では言葉で天道を嵩に着て、時期と場を弁えない物事は、後日必ず禍となる。
今はもう亡き村の古老は、「藤の花が咲いたら田植え・・・・」と教えてくれた。
当時私は人よりひどく田植えが遅れていた為、慰めてくれたものと思っていたが、「藤の花が咲いたら田植え・・・・」
まさにその通りだった。
山肌のあちこちが綺麗な紫色に輝いた中での田植えは、まるで最大限の天の祝福を受けているようなものだ・・・。