2017/07/29
社会・第六節「仮想の三角形」
Steve - Canon Rock・・・・・
「ピタゴラスの定理」の中で整数比率が成立するものは、文明の早い段階でこれが知られていたが、人間の視覚認識も遠近を「三角形」で認識していて、ために絵画や写真の構図の原則は「三角形」になるが、直角三角形を回転させて、そこを斜めに切り取ると「パラボラ形」になり、この外周は恒星を回る惑星の軌道と関係が深く・・・(危ない、話がどんどん逸れて行くか)
生物数の種類別区分を捕食関係で現すと、ほぼ「三角形」になり、これを「生物ピラミッド」と言うが、高さの2倍の底辺の三角形構造と推定されているものの、人間の権力や資本力、調整能力などの総合を区分すると、これもほぼ三角形になるが、現代のそれは底辺が高さの6倍ほど、自然界ピラミッドが極端に押しつぶされた形と推定される。
古代に措ける人間のピラミッドは戦争や災害などに拠って調整され、結果として自然界ピラミッドを維持していたが、この三角形の構造に上から圧力をかけ続けてきたのが「平等」と「自由」だった。
平等はピラミッドの否定であり、この理想とするは生物が横一線に1つずつ並ぶ形となるが、これでは捕食が成立しない。
生物生存の基本である「弱肉強食」が成立しなくなるが、人間社会もまた同様で、全員が横一線では人類の一人一人が同じ面積で自給自足となるか、或いは全員が狩猟で暮らす社会となり、これでも環境やその個人の能力に拠って農作物の収穫量、狩猟する獲物の数に大小が出現し、その規模が小さければ小さいほど格差は大きくなっていく。
つまり生物的に平等な社会は極端な「格差社会」となるのであり、人間社会の平等思想とは生物学的平等に相反する「平等」と言え、為に人間界で使われる平等は調整機能の一種であり、全く同じ力の個人の利益が対立した時、これを調整できるのはそれら2つの個人の力以上の力を擁する者でしか為し得ない。
「平等」の為に「権力」「格差」が発生するのである。
この、それら2つの個人の力以上の者の初期は腕力(暴力)であり、次は「富の集積」となるが、現代社会はこうした暴力や富の集積から全員で「力」を選出し、その者に「力」の代理を委任する形を採用している。
これが代理権限民主主義だが、そもそもこうした代理人を選出する過程で、予め環境や能力に偏りが在ることから、本質的には「暴力」「連続権限」「資本力」が「力」になっている構造は変わらない。
権力者の下に公務員やそれに順ずる機能が存在し、これらは資本で動き、底辺の民衆から資本原資を集めるが、この構図だと底辺の数が多くなれば多くなる程集まる資本原資は大きくなる。
「国家は人」とはこう言う意味でもあるのだが、こうして発展していくと底辺が長くて高さが短い三角形が出現し、数の多い底辺は皆が不幸を望む事など有り得ない。
しかし、現実は底辺の数が増加するに従って、底辺の個人々々は貧しくなり、これに対して見かけ上の「権利」を与えるのが「自由」や「平等」の思想であり、ここでは現実の三角形の上に見かけ上、底辺の極めて狭い三角形、若しくは横一線の構造体を重ねて見せてしまう形が取られていく。
生物捕食関係図の三角形がまるで正方形、直線一本になっているかのような錯誤を民衆に与え、この事が社会思想と現実の乖離に繋がり、増加した底辺、仮想の底辺の狭い三角形を錯誤した、実際は長い底辺は上位者が集められる資本原資を減少させ、これが逆に底辺に流出して行くようになる。
為に資本原資は自身を保護する為に民衆との関係を薄くして保護を計り、この事が民衆が受ける恩恵を減少させ、民衆側に在る中小企業の設備投資が抑制されたり、倒産の増加、過疎の進行、小規模小売店の廃業等に繋がっている。
つまり経済は貧しくなり過ぎた民衆と維持できなくなった仮想の三角形から逃げて、少しでもチャンスのある株式相場で飽和している状態になっているのであり、この最大の原因は底辺が広がった三角形の構造にあるのだが、改善策は一旦の破滅、若しくは巨大災害に拠る壊滅しかないかも知れず、ある意味巨大災害と言う最大の理不尽は、最も人間に対して平等な解決となるのかも知れない・・・・。
注、ただしこうした考え方は理趣経と同じで、使い方を誤ると社会に大きな害悪を及ぼす。
くれぐれもカルト教関係者と、自身が傲慢かつ卑怯である事を知らない者が参照してはならない。(自分が一番参照してはならないかも知れない・・・笑)