信・第九節「連と環」

数珠(じゅず)は実に良くできた「形」だと思う・・・。

一つずつ「個」の球と言う独立が為された上で、それが連続しながら最終的には「環」が形成され、この「環」が千変万化する。
とても位相幾何学的な概念と言える。

「信」はその状況だけを考えるなら個々の事案は独立しているが、その一つ々々が全体に影響を及ぼし、全体が一つの「信」に反映される「連性」状態に在り、これは「過去」「現在」「未来」に措ける「信」の整合性に拠って担保される。

「連」の概念は深く、前後とその中心である「今」の関係に措いて、「今」とその前後は略(ほぼ)同じでありながら、しかし完全に一致している事を条件にしていない。

この意味では数珠のように完全に同じものが並んでいる状態のみを概念しない。

むしろ「前後」と言う「今」を基点にした直近では略同じだが、「連」の端では「今」より大きく変化している事を予想させるものでありながら、全体的には調和が取れている状態を概念させ、独立した「個」と同じ空間を占める事ができない為、連なった「信」の一つ々々はそれぞれが異なった環境に存在し、この異なった環境と整合性を築く過程で「信」は少しずつ変質する。

「信」の広がりは「点」の連続と言う線状的延びと、その点が延びて行った周囲の環境への溶融と言う「平面的」な性質を持ち、視覚的に表現するなら画用紙に描かれた1本の線であり、この両端は鉛筆の色が薄く、端末には画用紙の白色だが、線の中心付近は鉛筆の色が濃い状態と考えても良いだろう。

つまり「信」は「今」それに関わった者、これは本人、他者を問わず「今」それを考えた者に拠って過去の「信」も未来の「信」も影響を受けると言う事であり、過ぎ去った過去は確定したものと考えがちだが、実は過去も未来も「今」が創っている。

10年も前の話になるが、私の知人が転職して宅急便の配送の仕事を始めた時、中々趣深い事を言っていた。
それまでいつも利用していた小さなスーパーマーケットの奥さんは、いつも笑顔で平身低頭、支払いをする時には「お仕事大変ですね」と声をかけてくれ、彼はとても良い人だなと思っていた。

しかし転職して配達物を届けに行った時、その奥さんは彼の顔を見て認識しながら、「ああ、そこに置いといて」と言って奥に入って行き、また言葉遣いもとてもぞんざいなものだった事から彼はとても落胆していた。
彼がそれまで描いていたスーパーの奥さんに対する「信」は見事に砕け散った。

「信」など初めから無かったのであり、彼は自身の理想をスーパーの奥さんに投影していたに過ぎなかったのだが、「信」の本質など所詮はこうしたものであり、スーパーの奥さんのまずさは「心」や「感情」に従った為であり、これが「形」に従っているなら、相手の立場に拠って対応が変化する事は無かっただろう。

職業の貴賎は無く、商いをする者は世の中全員が「客」であると言う社会的原則が感情に優先していれば、以後も客となる者を失わずに済んだだろうし、彼の「信」は過去も未来も変わらなかっただろうが、たまたま感情的に油断してしまったスーパーの奥さんの「信」は、たった1回の言葉や行動で過去も未来も変えてしまった。

「信」の連性とはこうした事であり、整合性とは正誤を指しているのではなく、前後の関係に措ける落差の少ない事を言う。
地位や貧富と言う状況に対処する為には「適合」が必要だが、適合する事と流される事は異なる。

「信」に措ける感情と形の関係は、形に拠って「感情」を豊かにする事であり、前出のスーパーの奥さんの話で言うなら彼女の在り様は「普通」であり、自身が「客」である為に受けられていた恩恵は、立場が逆転すれば受けられない事は当然であり、「信」は「連」である事が望まれるが、そうでないからと言って責められるべきものでは無い。

こうした場合、相手に「信」が無かった事を思うのではなく、自身が「信」に甘えていた事を思い、そして自らは「信」の「連」に努める潔さが「連」を「環」とする道に繋がるものと私は思っている。






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信・第八節「救い」

地に走る1m幅の道を踏み外す者はいないが、地上50mにある1m幅の板を渡るなら、多くの人間は渡れないか、或いは幾人かはその板を踏み外して落下する。

同じ1m幅なのだが、その道がどこに在るかに拠って人間は恐れ、その恐れが1m幅の道を10cmに縮め、人の足を竦めさせる。
我々の目の前に広がっている現実は変わらないが、それが何処に在るか、つまりは環境や状況に拠って現実は常に歪められ、この歪みは「そう見える」以上、決して夢幻とはならならない。
人間の視覚や情報の分析能力は予め相対的なものなのである。

そして幅が1mでもただの道なら平気なのは、そこから落ちる事が無いからであり、地上50mの板は落ちる可能性、落ちたら間違いなく死ぬだろうから恐れるのであり、ここに「死」の恐れが無い故に道を踏み外さす、「死」の恐れが有るから道を踏み外すと言うことが出てくる事になる。

「信」は「心」ではなく、元々事を為すが故に求められる道、方法から生まれたものであり、環境や状況、時に拠って歪められた道を元の姿に正す、又は地上50mの板を地上に近付ける為の知恵であり、地上50mなら足は竦むが、その板が地上1mの高さなら落ちても死ぬ事が無い、そう思えば50mの高さよりよりは心安んじて渡ることができる。

逆にただの平坦な道でも環境や状況に拠って自身が地上5mにしてしまう、或いは地上50mの板にしてしまえば、そこを彷徨っている限り50mの高さは「現実」になる。

これが「疑」であり、「虚」と「実」はこの様に入り乱れ、どちらも眼前の事象を歪め、この歪みを「力」とするのが「信」と言えるのかも知れない。

約束が守られるか否かを常に疑えば、その疑っている間は不安にさいなまれ、それに拠って結果が変わる訳でもないのに、自身が眼前の事象に対して為さねばならない事を止め、不安ゆえに他の道を地上50mの板にする事すら有り得る。

恋人を疑えば際限は無く、それは破局を前提としてしまう。
しかし破局を避けようとするなら、「信」はそれを助け、悪戯に「疑」を集めさせる事を止め自身を救い、その事が相対する者に仮に「疑」が存在したとしても、やがてそれを改めさせる。

一方「疑」に拠って求められた「信」の本質は契約、又は「義務」となり、それを支えるものは「信」の対価交換に陥る事になる。
やがては対価のやり取りとなり、道で言うなら10mも幅が有った道を少しずつ狭め、最後は10cm幅の危うい高さの板となり、どちらかが対価に応じる事ができなくなって、誰かが板を踏み外して終わる。

「信」は愚かであってはならない。
が、同時に愚かでなければ成立しない。

その始まりに自身を問い、状況と現実に鑑みてどれを「虚」とし、何を「実」にするかを定めるは知恵、その後は愚かで有る事を要し、こうした愚かさは強さであり、その強さは現実の「疑」すらも「虚」とし、自身の愚かさと言う強い「虚」は「疑」を「信」に変えさせる力を持つ。

疑えばただの平坦な道を地上50mの板にし、信じれば地上50mの板は平坦な道になる。
だが結果は平坦な道を踏み外しても転ぶ程度であり、地上50mの板から落ちれば死ぬ。
それゆえ「信」の最大は一生に一度のものなのであり、命がけなのである。

「信」が最も困難なのは「自身」であり、多くの者が感じる自身への「信」はうぬぼれであり、自分を信じられない者こそが一番自分を信じているのかも知れない・・・。





信・第七節「離間の計」

結束された国家、組織、または個人同士の関係を計略を用いて仲たがい、疑惑の泥沼に陥れ、結束関係や友好関係を崩壊させる計略を「離間の計」(りかんのけい)と言うが、おおよそ兵法と名が付くものには全て登場するこの計略の歴史はとても古い。

「孫子兵法」の遥か以前、楚王編纂周易には基礎卦として登場している事から、古くからオーソドックスな計略として存在したものと考えられ、この計略は基本的に攻撃対象者本人ではなく、その周囲と言う「社会」に疑惑を与え、「形」に押し込めて攻撃対象者を封じる策略と言え、混乱期にはもっとも有効に働くことから、現代のような情報が溢れかえって混乱している時代にこそ効力が大きな策略と言える。

「信」の多くは「形」や「状況」である事から、この形や状況を操作してやれば「信」は「疑」に変化して行く。

ここでは事の真実などは意味を持たず、春秋戦国時代の中国でもこうした離間の計に拠って形に押し込められ、敗れていった軍師や将軍はそれが策略である事を知りながら、策に陥る状況を防ぐ事ができなかった自身の非力を省みながら死んで行った。

ここに真実や事実などが策略に勝る、或いは真実や心が有れば必ず勝つなど、敗れて行く者ですら思う事はなかった。
「離間の計」を知り、これに陥った者は自身の「真」が認められなかった事を悔しがったのではなく、「形」に押し込められていく自身の力のなさを悔やんだのであり、真実と「形」の関係では常に「形」が力を持つ事は、現代に措いても何ら変わる事はない。

離間の計は、実は社会と個人の関係に措いて、もっとも早くから成立した計略と言え、これは社会が成立した直後から存在できた事だろう。

始まりは個人同士、或いは親族やその周辺が持つ基礎的な比較心理であり、妬みや恨みが人間の基礎的な心理である事から、親子、兄弟、夫婦、友の関係が壊れるに端を発している。

貰った饅頭が1個少なくても何かを思ってしまう人間は、現実にこれが目の前で繰り広げられなくても、他者の言葉に拠って格差が錯誤させられ、さらにこうした話が複数化すれば、真実など簡単に見失う。

付き合っている彼氏は、彼女がいる前では決して他の女と手を繋いで歩く事はないだろう。
しかし彼女が見ていないところでは解らない。

他者から他の女と歩いていたと告げられても1人目は、「そんな事はない、妹でも見間違えたのだろう」と自己を納得させるかも知れないが、さらにもう1人まったく別の人から同じ話を聞けば一挙に「疑」に傾いて行く。
これは偶然が2つ以上重なると、そこに「神」や「必然」を見てしまう人間心理の逆回しであり、こうした「疑」は社会の基礎「家族」から既に存在する。

それゆえ人間が最初に会得する計略と言え、人の歴史の始まりから存在し、今もって自身の周囲に日常的に存在する計略だと言う事である。

離間の計を防ぐ事はとても難しい・・・。
だがもしこうした策略をはじき返すものがあるとするなら、以下のような言葉かも知れない・・・。

「あなた・・・・」

これは南極観測隊員の夫に送られた、妻の手紙、しかもこれしか書かれていなかった。

離間の計は言うに及ばす、大概の策略はこの言葉の前に沈んで行くだろう。
もし例え計略から逃れられなくても、その後の多くの計略を未然にはじくだろうと私は思う、いや、そう信じていると言うべきかも知れない・・・。

が、同時にこれすらも自分の目で確かめたもので無い以上、離間の計の逆回しであるかも知れない事を思う、我が心の哀れさを恥じずにはいられない・・・・。






「つつがなくお過ごしですか」

日本語で「つつがなくお過ごしですか」と言う言葉を漢字表記するなら、「恙無く」と書く事になるが、「恙」は「つつ」の当て字の可能性が高い。

「恙」は「義」の解説にも出て来たように「羊」であり、揃っていて美しいに同じだが、この事から問題なく事が進む事、障害がなかった事を意味するものの、平仮名表記の「つつ」は表音言語であり、「つつ」のように同じ発音が連続する表音の本来の意味は「支え」(つかえ)や、現在この言葉を使って良いのか解らないが「どもり音」と言う。

「多々」「そそ」「つつ」などのような発音は、これ自体がそもそも動いていた事象が軽く1回止まって動いた事を指していて、「つつ」は古くは獣(けもの)、主に「狢」(むじな)とか「狸」を半包括していたが、「獣」の包括した意味は「化物」、つまり正体の解らない禍(わざわい)を含めていて、これを視覚的に表記するなら「穴」や「空洞」と言う事になる。

同音連続発音の本来の概念は「・」であり、一呼吸、一瞬の隙間、歩いていてちょっと石ころに躓いた程度の事を意味していて、「つ」と言う発音の原初は「留まり」、水溜りなど何かがそこに複数集まっている状態を指す「陽」であり、「た行」の殆どがその後に「句点」や「読点」が来易い発音で、しかもこれは「さ行」のそれよりは強い。

「つ」で現される状態は明るい太陽の下の溜まり、水などがその後方角を変える為に集まっている場を示し、これ自体はさほどの事ではなく普通の事象だが、この間に「・」が入って二度続くと「・」は「穴」として考えられ、しかもこの穴は小さいが深さや中の広さは解らない。

丁度「瓢箪」(ひょうたん)のようなもので、それ自体は明るい陽の下の「物」だが、中の空洞は小さくても暗く、闇は実際の限度を持ちながら視覚的には無限に見える、或いは感じる事になり、瓢箪の別名は「ふくべ」と言い、「べ」は肯定しながらの「総称亜」(現実の一歩手前)であり、それゆえ「ふくべ」は自身が疫病神になる事態をも指していた。

が、「つつ」はこうした悪いものの原因が内と外で入り乱れている状態の中で、どちらかと言えば「外因」に重きを置いた「禍」であり、この意味では厄病神のように常に自身の身辺に存在する「厄」と言うよりは「憑」(つきもの)や「運」に傾いた「禍」とも言える。

「つつ」に一番近い漢字は「支え」(つかえ)であり、「支え」は結果の内の片方の表現であり、「支障」「支持」に鑑みるなら本来自己が他に及ぼした干渉は支障にも支持にもなり得る。

また瓢箪のようにそれ自体は有用な物でありながら小さな穴が在る、「支持」の中に小さな「支障」が存在する場合と言う具合に、およそ人の行う事は先に行って禍福どちらに転ぶかは解らないが、少なくとも自己に多くの原因が感じられる禍と言うよりは、「他」の要因や避けられない事に拠って禍となったものを「つつ」と発音したのが始まりと考えられる。

その上で漢字の「恙無く」を考えるなら、これは「支」の内の片方、美しい方向しか表現していない事になり、予めの否定が先に表現された慌て者漢字でも有り、「つつ」と言う表音言語の半分しか表現できていない事になり、我々日本人はこうした事を私が行った解説に拠らずとも、どこかで感覚として漠然と理解している。

それゆえ「恙無く」と言う漢字よりも「つつがなく」と言う平仮名の方が、何となく多くの事を思える、結果として多くの思いが伝わるのかも知れない・・・。

深まった秋には「つつがなくお過ごしか・・・」と言う言葉が嬉しい・・・。

信・第六節「友」

「義」と同様に欠けた状態でも成立するもの、「礼」や「信」を含めて、これらの最上級には「命」そのものが存在し、しかし自身の誇りや現存する状態を全て捨てるつもりなら「どうでも良い」ものには「完全」と言う事が有り得ない。

一人の人間は物質的な体積や容積だけで構成されてはおらず、例えば周囲に存在する友人、或いは家族両親を見れば凡そその本人の傾向が見えてくるように、個人を構成するものはその周囲の状態、究極的には社会と言う事になるが、もっと言えば好きな女性のどの部分が好きかと言う話になった時、「顔」「胸」「足」と言う事になっても、人間としての1セットが揃ってる事が前提で有るように、「信」もまた単独で存在できない。

「信」には「輪郭」が在り、「これまでどうだったか」と言う部分と「他の事柄での評価」に拠って深さや広さが計られ、ここに真実や事実の必要性は薄く、「信」の深さと広さは相反する。

妻子が帰省している最中、かつて好意を寄せ合った女、女性の場合なら夫が出張中の男でも良いが、それが困窮した姿で現れ、一夜の宿を頼んだとするなら、「信」の広さ、社会的立場を尊重するなら断らねばならず、かつての誼(よしみ)を重んじるなら受け入れる事になり、この場合は例え友をベッドに寝かせ、自分はソファで寝ていたとしても発覚した時は「一緒に寝ていました」と言うだけの覚悟が必要になる。

一晩同じ部屋で男女が過ごせば、男女が為す全ての事柄が有ったと「他」や「社会」は認識するのであり、ここに事実や真実の入り込む余地は無く、発覚した時の否定は逆効果であり、否定してこれを担保しようと考え強硬策に出た時は「社会」対「自身」と言う対立構造を構築してしまう。

過ぎ去った関係や困窮した者と言う事象は周囲を試す側面を持っている。

尋ねて来られた者に取ってはかつて「愛している」と言った言葉が試されるのであり、夫や妻はその時自分が選んだ人間に対する「信」が試され、そもそもかつての関係を頼らざるを得ない時、頼る者の「信」が最初に問われるのであり、これは男女の関係に限らず、あらゆる事柄に付いて同じである。.

「困ったときはいつでも来いよ」と言う言葉は酒の席の約束に同じだが、もし全く「信」を得られていない人が「信」を構築するなら、まず酒の席でのどうでも良い約束から履行する事で半分の「信」は得られ、世の中に自身の行動の半分に「信」が得られている者は多くは無い。

群雄割拠の戦国時代の軍師の「信」が丁度半分の「信」であり、これは社会に対する「信」だが、「信」の最も深いところは個人対個人に在り、極めて危うく軽い約束の履行に措ける「信」と、一度失しなわれた「信」が復活した時の「信」が一番大きくて深い。

女を泊めた男、男を泊めた女があらゆる誹謗中傷に耐え、それを夫や妻が完全な「信」で支えるなら、社会はやがてそこに真実を見ようとし、そこから言葉ではなく行動で真実が推測されるなら、一度失った「信」は絶大な力を持って帰ってくる。

酒の上での冗談かと思ったら次の日にそれが履行されているなら、そこにはある種「契約」よりも確かな何かを感じることだろう。

深さの「信」と広さの「信」は多くの場合同時にやって来て、ここで深さの「信」を裏切って広さの「信」を取っても、その後の自身は後悔にさいなまれ、深さの「信」を取るなら広さの「信」、社会に措ける現状は失われるかも知れず、ここでどちらを選択するかに正解も誤りも無いが、深さの「信」を失った者の広さの「信」は大きな何かが欠ける事になる。

そしてこうした事柄は社会全体もまた認識している事であり、それゆえ「困った時はいつでも来て」と言われれば言われるほど、そこを訪ねることは出来なくなる。

困窮した時孤独になる者は正しい。
「困った時はいつでも・・・」は「来るなと同じ事であり、行った時は必ず広さの「信」に拠って自身は裏切られる。

ただ本当の友はどうだろうか・・・。
きっと全てを捨てても助けてくれるかも知れない、だがそれを失わせる事は出来ないゆえ、これを頼る事は出来ない。
同じ頼れないにしても行って帰るほど違うが、果たして自身の為に全てを捨てる覚悟のある「友」と言うのは存在しているだろうか。

「信」の基本は「友」なのである・・・。


信・第五節「疑」

およそ文字の初源は事象や「形」を現す事に端があり、やがてその形として成立した文字に感情や社会通念が当てはめられる傾向と、当てはめられた文字が社会に拠って意味変質して行く両方向の傾向を持つ。

「信」が重要視されてくるのは春秋戦国時代からで、それ以前の「信」の概念は現在我々が考える形とは異なる。

「五常」(ごじょう)では一番最後、「八貞」(はってい)でも「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」と言う具合に「信」は下から三番目に位置する事に鑑みるなら、この順序は社会が必要として行った「形」の順序と言う側面、力や権力が擁護される為に必要な順列と言う見方も出来る。

「大儀」が優先され個人の徳は最後の方に位置するのは、時の社会権力が必要とする、必要として行った順序の結果であり、この世界に正義が叫ばれる時は正義が失われている時であり、愛が叫ばれるときは愛が失われている時である事に鑑みるなら、こうした五常の徳の順列は、社会が発展するに従って失って行った徳の順序だったと言う事である。

「信」が重要視され始めた春秋戦国時代、例えば戦(いくさ)の勝敗は天の定めるところとされた「周代」では戦に形が在り、これを冒すは禁忌とされたものが多く存在したが、人質、人質の殺傷、使者に対する儀礼、使者の身分の保証、使者の拘束、使者の殺傷と言う順序で禁忌は破られる事が常在するようになった。

こうしてそれまでの儀礼や慣習が壊れて行った先の春秋戦国時代末期に「信」は一番重要視されて行く。

つまり「信」とは「疑」の事なのであり、昇る陽を疑う者は無く、朝が来ない事を恐れる者はいないように、それが当然の如く為されるもの、或いはそれが為されなかったとしても異議、不満を唱えられないものに対して「信」は存在せず、この形の一歩手前までが「信」の最上級となる。

「信」は「疑」をどう処理するかと言う事なのであり、ここで「疑」をそもそも人として恥ずかしい事とする概念が1つ、目的の為に「疑」を払拭させる概念がもう1つ、これらに拠って相互が必要以上に苦しみ、或いは悩み、他の事象に対する判断を誤らない為のものであり、「信」は結果と、自身がその期間「疑」の行動を取らなかった事に拠って完成する。

それゆえ「信」は「心」と「形」が有るなら「形」の方に傾いていて、「形」に拠って「心」が担保される。
「信」の本質は「形」であり、従ってそこに心情が無くても「形」が有れば「信」は成立し、形と心情(言語や意匠)が一致しなければ「信」は難しく、ここに形の無い「信」は春秋戦国時代以前の「信」の概念に近い。

日本でも古くは「神の国」の時代、悪事や罪は地上に散在する「穢れ」のまとわりに拠って発生すると考えられ、その人自身は「無」或いは「虚」の側面が有った。
ここでは「疑」そのものが人と一定の距離を持って「他」の概念が有ったが、やがて人の力であれも出来る、これも出来るとなって行った時から、その「人」の部分に巣食う光と闇の幅に拠って「疑」が重なって行った。

「神の国」の時代から「人の国」になっていく過程で「疑」が発生し、これに拠って現代の「信」もまた求められた。
しかし「信」の初源、それはとても小さなものだったが、人全てをそれぞれの独立した「無」や「虚」として侵さない、その姿に在ったのではないか、そんな事を思うのである。




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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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