「空気振動観測情報」

2018年2月27日午前8時41分、同日同時刻8時42分30秒、能登半島で合計3回の空気振動を観測した。

同日の天気はうす曇ながら風は無く、雷雲の発生は全く無い。
また同時刻前後10分以内に飛行機や戦闘用ジェット機の通過は観測されていない。

8時41分の振動は細かな震動が長く続いた感じであり、42分の振動では西の空から単発の遠い距離からのドンと言う音と、破砕音が近づいて来るような音が聞こえ、この音に関しては大きな地震が起こった後に起こる余震時に聞こえる音に近い。

可能性としては隕石の大気圏突入が最も大きな確率を持つが、通常隕石突入時の音や振動は1回の場合が多く、これが隕石突入振動でなければ、1週間以内に能登半島を中心として半径400kmから500kmの遠隔地にある火山噴火の可能性があり、次に2日以内に北海道釧路地方で震度4から5クラスの地震発生の確率が統計上存在する。

火山付近の方は特に異常が無いか確認して、注意して頂ければと思います。
特に小さな地震が続いている、何故か気温が高い、普段は見かけない山中の動物が里に出てきている。

或いは発光現象、地面から空に向かう雷、井戸の水位変化、通常発生しない時間帯での濃霧の発生、どこからとも無くドンと言う音が続く場合は、いつでも避難できる用意が必要と思われます。

また晴れた日の風の無い時に発生する地震は比較的大きな規模のものが多くなるので、くれぐれも周囲に異常な現象が発生していないか、注意してお過ごしください。

追加情報 2018年2月27日17時11分

同日午後3時15分、かなり大きな衝撃の空気震動が発生。

天気は曇り、西南西の風5m。雷の発生は確認されず、前後10分に飛行機やジェット機の通過も確認されていない。
火山噴火の可能性が高まったものと思われる。

噴火する火山の最も顕著な前兆は火山性微動であり、小さな地震が連続している地域では警戒が必要であり、この他にも震度1や2の微震回数が通常より多くなったと感じる地域では警戒が必要。

空気震動、火山性微動が始まってから噴火に至るまでは、早ければ2日、遅くても1週間の間には火山噴火の可能性が高い。



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仁・第十四節「しきい値」

地球が氷河期に向かう過程には地軸傾斜値のぶれが関係しているとされているが、これが一定の効果を発揮するには、その他の条件が含まれ、総体的な数値を超えた時に決定的になると言われている。

また電波の数値が小さくて届かない時、これに他の雑音でも良いが、大きな電波数値を足して目的距離まで到達させることが出来、さらには人間の神経回路でも内容は問わす、一定の数値を超えると電気信号が発生する仕組みが多用されている。

このように内容を問わす、一定の数値を超えると発現する効果を「しきい値効果」と言い、一般的人類社会は理論崇拝主義的な傾向を持ち、結果に措ける原因の特定を1つ、或いは少数に絞って考えてしまう傾向に有るが、この世界の現実は何か1つだけの原因で動いている事は有り得ない。

世界は「しきい値」効果で動いている可能性が高いのである。

人間の感情の構造は「束」になっていて、例えば怒りの感情の増幅にはその他の喜びや嬉しいと言う感情も含まれていて、ここでの整合性をめぐって、ストレスとなった喜びの感情なども足されて怒りの感情が発現し、これは一種の情報処理能力の限界点でも有る。

反対に瞬間的に嬉しい時は、過去の如何なる苦しみや悲しみすら、それを喜びや嬉しさに添加して嬉しさを増幅させている。

そしてこうした感情の情報が限界を迎えると、今度は反対側の小さな感情を探し始める。

喜びを増幅しようとして求める部分が飽和し、入ってくる情報がなくなると、更に求めようとして悲しみや怒りの感情に辿り着き、今度はそこを増幅してしまう。

文化価値面の反転性、「価値反転性の競合」も同様の原理であり、この傾向は生態維持に関係していると推察され、危険回避のプログラムが働く為と考えられる(個人的見解)

またこうして世界で発現する効果の多くが「しきい値効果」で有るなら、たまさか今発現している善も、それは善悪、普通が入り乱れて発現しているものであり、その瞬間に死滅するならこれを完成と呼べるが、以後も生き続けるなら、今の善も延びていく善悪の束の一瞬にしか過ぎず、結果から言えば「何を見ているか」「何を見たいか」と言う事だけである。

今良いからと言って、それが本当に良い事なのかは解らない。
今悪い状況だからと言って、それが本当に悪いのかも解らない。
常に先に行って変化し、死の瞬間までこれは連続し、死滅してしまえば猶の事解らなくなってしまう。
つまり永遠に解らないのである。

良い状況に溺れてはならず、悪い状況に慣れ親しんでもならない。
悪い状況にも良い状況にも等しく危機は訪れる。
今小さなものを馬鹿にし、大きなものを求めても、何が自身を救ってくれるかは、その時にならねば解らず、その救いすらもその先に行かねば良かったか悪かったかは解らない。

小さな子猫が自身を救ってくれる時も有れば、国家と言う大きな力に拠って殺される事も有る。
自身に取って邪魔で有る、或いは人間に取って有害な生物であるからと言って、それが不必要なわけではない。

むしろそうしたものも含めてこの世界は成り立っているのであり、ましてや人間同士、たまさか喧嘩した、敵だからと言ってそれらが死滅すれば良いと言うものではない。
そうした存在が有って、今の自分が成り立っているのである。

敵が多い人間とは本当の敵に出会っていない。
敵に死滅して欲しい、敵の不幸が嬉しいなどは、自身そのものがまだ「敵」を持つ素養に達していない・・・。


仁・第十三節「利の救い」

人間が為した事、仕事などの対価は一般的な社会が醸成した価値から自己判定して認識されるものだが、この意味において「付加価値」なるものは結果利益であり、しかもそれが自身のところに戻ってくるとは限らない浮遊利益、非確定型利益と言え、これを現在の時点で計算するは愚かである。

我々は「利益」だ「金」と言えばどうも卑しく、「拝金主義」だの「心が無い」などと思いがちだが、純粋な「利益」や「金」は「欲」を糾し(ただし)、拝金主義を遠ざける。

仕事が達成された、或いは目的が達成された時、これは一種の清算の時期であり、時間系列からすると、その目的が自身誕生の事由ならともかく、その後も人生が連続するなら終わった時点でプラスマイナス0となる。

が、どうしてもこの事で賞賛も浴びたいし、褒められれば嬉しい。
尚且つそこから評価を受けて次のステップに繋がる可能性もあり、他から認められるは社会から認められると言う事でもある。


しかし、よく考えてみれば自分が為した事の対価は初めから決まっていて、本当はそれ以上でもそれ以下でもない。

これに対して余分な事を思うは欲が深く、自身が為したことは梅干1個にも関わらず、それを元にご飯が5杯も6杯も食べられる事を思ってしまうは、期待と現実の結果との乖離を大きくする。
つまり欲が深い者は必ず失望や絶望も味わう事になる。

何かに成功した時、そこで賞賛や他者の評価も得るし、或いは権威も得られるかも知れない。

しかし「利益」を考えるならこれらは「金」にはならない。
褒められて嬉しくなっても「金」にはならないから、これを他者に譲り、自身は純粋な利益、つまりは目的の達成だけを得ておけばどうなるか・・・。

形としては成功を人に譲り陰になるが、このことで仲間からの信頼は大きくなり、自分は表に出なくて済む。

そして人から謙虚で実直なように見える。
「人からそう見える」は社会的に「そうだ」と言う事である。

自身の対価以上のものを望まない事は確定利益を増やすと言う事であり、たとえ賞賛にしても、その為に多くの人間との関係を維持しようとすれば「利益」は失われ、この意味で目的のない賞賛や評価の保持は非難を集めるにも等しい不利益となる。

孫子が言う「過ぎたるは猶、及ばざるが如し」は「彼を知り己を知れば百戦危うからず」と同じ事である。
自身が使える以上に多くの人や物、人の場合は善意や恩恵で有っても、これを多く求める事は自身を危うくする。

また自身が為した事の対価を正確に量るは、己を知る事であり、社会的概念である対価を超えてそれを求めない姿は「仁」の形ともなり得る。

利益と言うものは、これを正しく計ることが出来れば、「仁」を易くする。
10里の道を歩いて行く事は難儀だが、自動車で移動すれば容易い。
「利益」はこの自動車に同じであり、使い方を誤らねば「仁」の道を易く事ができるが、目的地へ付いたらそれを降りねばならない。

「利」と「仁」の関係はそう言うものかも知れない。

人間が多くの人や物を集めたがるのは、「未来」と言う概念が有るからだが、空を飛ぶ雀が稲穂をくわえ過ぎると飛べなくなる。
ましてや稲穂が積まれている場を見つければそこから移動しなくても食べる事には困らない。
しかし、肥え太った雀は飛び立つ事に遅れ、あっけなく外敵に捕食される。

人間の本来は「生きている」であり、あらゆる人や物は全てこの為にある。
富や利益、社会はその為の方策であり、これに留まると「地」に縛られる。
ましてや過分な人間関係や物に囲まれてはあらゆる動きが封殺される。

また人間はこの「生きる」に拠って地に縛り付けられる時もある。
家族や妻や夫、子供、親兄弟や会社、貧困や病などは利益の反対側の縛りになるが、「孫子」の「彼を知れば・・・」と言う事は知られねば敵の百戦が危ういと言う事である。

今、苦境に有る者は、現実に地道に耐えながら、現状にそぐわぬ過ぎたる利益、「欲」や「対比に拠る絶望」に屈する事無く、自身の正しい利益を量れ。
自身が日陰、表に出れない、認めて貰えないと言う事は、裏を返せば百戦を助ける大軍を手中にしているに等しい。

そして「生きる事」、「挑戦する事」、空を飛ぶ事を忘れるな・・・。



緊急特集「魚類の打ち上げと地震」

2018年1月末に青森県上北郡横浜町、陸奥湾の沿岸に大量の鰯(いわし)が打ち上げられていると言う現象が発生している。
その量は膨大で砂浜を埋め尽くすように鰯が散乱している。

こうした魚類の大量打ち上げ、若しくは大量の川遡上は大きな地震との関連が古くから言い伝えられ、関東大地震ではやはり鰯が大量に川を遡上し、それを漁っている最中に地震が発生している。

魚類の異常行動には諸因がある。
大きな地震の前にも魚類の異常行動は確認され、この場合は深海魚から始まって鰯(いわし)、鰻(うなぎ)、鱈(たら)、鰡(ぼら)、河豚(ふぐ)、鯛(たい)、海老(えび)などが海岸に打ち上げられる、若しくは海での大量死、川への遡上と言う形が現れる。

1896年6月15日に発生した「三陸地震」では、その3ヶ月前から大量の鰻(うなぎ)が三陸海岸一帯に打ち上げられ、1933年の「三陸地震」では岩手県の漁村で大量の鮑(あわび)が打ち上げられ、海岸を埋め尽くす程の海草が沿岸を漂い、その3日後に地震が発生している。

また1993年に発生した北海道南西沖地震では、2ヶ月前からヒラメが大漁になり、その漁獲量は例年の5倍に達していた。
1983年5月26日発生、日本海中部地震では十三湖付近でカワハギが大漁になり、役場の有線放送で無料提供が呼びかけられていた、その日の正午に大地震が発生している。

2007年3月25日発生、能登半島地震では震源となった輪島市門前町と、少し離れた海岸で3月に入って2回、河豚(ふぐ)の一種である「ハリセンボン」が大量に死滅して打ち上げられている。

これらの現象は必ずしも地震発生に起因するとは限らない。
むしろ海水温や海の時化(しけ)、水中の酸素濃度など、諸因の可能性の方が大きいかも知れないが、大きな地震が発生する直前や少し前にも同様の事が発生する。

その確率は地震が発生するか否かの確率50%の30%くらいで、15・15%ほどの確率を持つ。
さらにこうした魚類の異常行動の他に通常とは変わった現象が重なる場合は、その付近一帯のどこかを震源とする大きな地震発生の恐れが有る。

青森県上北郡横浜町の鰯(いわし)の大量打ち上がりと同様の現象は、ロシアのサハリンでも発生している模様である事から、もしかしたらオホーツク海のどこかを震源とする大きな規模の地震発生を否定する事が出来ない。

魚類の打ち上がりだけで判断するのは危険だが、北海道、東北に在住の方は、魚類が打ち上がった時は、その原因が地震と言う場合も有る事を、頭の片隅に入れておいて頂ければと思う・・・。

追加記録・

2018年2月2日、9時47分前後、能登半島の一部、富山県の一部では2度の大きな「空気振動」を観測した。

同時間に飛行機、軍用機の通過音は観測されておらず、天候は晴天、風速は1m以下。
統計上は半径300kmから500kmの遠隔地点での火山噴火の確率が高い。
噴火発生までの時間は3時間から5日以内、平均では2日後となっている。


プロフィール

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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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