利・第四節「未来」

基本的に今と言う時系列とそこから先に来る時系列は交われず、過ぎ去った時系列とも交われない。

だが人間の脳は必ずしも現実を現実として反映する情報処理媒体ではない為、脳の描いている眼前の現実は紙に書いた絵と同じ、今風の言葉で言うなら「仮想」と言える。

未来と言う現実は今では無いから未来なのであり、過去もまた今では無いから過去なのだが、人間はこれを情報として捉えるため、今と言う時系列で仮想された、或いは粉飾されたものを同一時間軸で描いていて、未来は今の時間軸では消費できない。

簡単な例を言うなら、自動車が欲しいと思って金を貯めている人に取って自動車は未来になるが、これをクレジットで買うと金銭的には未来を先食いした事になり、この代償は極めて大きい。

少ない給料から爪に火を灯す思いで金を貯めている者は未来の消費の為に富を蓄えているのであり、これは確かに「未来」だ。

しかしこれをクレジット、または割賦で買うと、その時点で未来は今と言う時間軸で完結し、その時点から返済と言う義務、責任を負うのであり、こうして未来を先食いするとその時点で未来は失われ、ラテン語の自由の解釈で言うなら「自由」を失う事になる。

もっとも、利は時に対して敏感であり、この意味では「時の利」と言うものも確実に存在する。
しかし間違えてならないのは「時の利」と「期限の利益」は同義では無く、むしろ間逆のもので有る事を理解する必要が有る。

時の利は利だが、期限に利益は無い。
期限はむしろ負債に対する猶予であり、予め「負」のものに利益など始めから在ろうはずも無い。

期限の利益は金銭かそれに拠って金銭利益の拡大が発生する場合のみ利益となるが、物品購入、消費されて無くなるものに費やされた場合、消費対価で有る事から、それに費やされた費用は消失する。

消費には初めから利益は無く、せいぜいが「負」を清算する、つまり生きていく為に必要最低限のものを得るか、或いは個人的嗜好と言う非統一価値観に拠って「利益を感じている」だけであり、感じただけの利益の現実は「負」と言うことになる。

時の利、拡大性の期限の利益とは「投資」の事であり、これを個人の消費と同一に考えてはならない。
春にジャガイモ1個を植えれば、夏にはジャガイモが7個になった。
この時ジャガイモ1個の対価が収穫されたジャガイモ2個だった場合、何も無かったところから春から夏と言う期限の間にジャガイモを5個にした。

これは利益、まさしく時の利益であり、期限の利益と言える。

しかし車をクレジットで買っても、そこから利益は出せるのはタクシー会社か、運送業を生業にする者だけであり、個人が得るものは「負債」である。

時の利とは「未来」の事であり、車を買うために金を貯めている者は、万一不測の事態が発生した場合、本来の目的を変更する事が可能であり、一方クレジットで買った者は変更が出来ない。

未来とはこうした変更が可能な事、不測の事態が含まれていると言う不確定な部分と、縛られていない「自由」を差すのである。

先はどうなるか解らない事は「未来」の重要な要素であり、これが確定している者に取って「未来」は無いのであり、その未来を今に消費した者は未来も失い、ついでに負債をも背負って気分的に満足している事になる。

そしてこうした未来を先食いする民衆が蔓延すると、あらゆる場面で未来、つまり時の利を減らして行く事になり、借金だけを一生懸命払っている社会が発生してくる。

「今得られないなから未来なのであり、その為に頑張っているから希望なのである」
未来を今の時点で遣い続けた世界経済が停滞しているのは、当然と言えば当然の事である。
消費は美徳でも何でも無い。

お姐さんの所で呑んでしまった酒代の付けを払う為に働くのと、仕事をして旨い酒を呑むのでは労働効率はもとより、酒の味も結構な違いが出るだろう。

世の中はとは色んな立場の、さまざまな状況の人がいて需要や供給、或いは権力者や被権力者と言った相対が生まれる。
皆が供給者では需要は無くなり、皆が権力者では権力は存在できない。

経済と言う一括り(ひとくくり)で全員が世の中を見ていては、それが成り立つはずもない・・・。




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利・第三節「禍」(わざわい)

社会に措ける自己と他者の関係、これには正と負が存在するが、「利」はこのどちらをも包括するもので、有利で有るか不利であるかと言うような話の根底は、「社会」がもたらす比較等価概念であり、必ずしも現実が繁栄される訳ではない。

むしろ社会が成熟して行くと、現実とは遠くなって行き、夢や希望の部分が増加して来る事になり、人心が夢を渡り歩くような傾向が出てくる。

適切な例かどうかは解らないが食堂に入って天丼を注文したとしよう。

しかし隣席客が食べている天ぷら蕎麦を見ていたら、そちらの方が美味しそうに見えて来て、その当初どうしても食べたいとまで思っていた天丼に対する感動が薄れ、実際に天丼が運ばれてくる頃には「しまった・・・」とさへ思ってしまう、そう言う傾向が増加してくる。

夢や希望が自由に描ける社会と言うものは、一見それに満ちているように見えて、実は一つ々々の夢や希望を薄くし、その薄くなった分を補おうとして次を求める為、現実には夢や希望が枯渇したものとなる。

この意味では「餓鬼」の概念に同じで、やがてこうして膨らんだ概念は飽和状態になり、今度は遠くに在った現実が「恐れ」として近づいて来る事になる。

日本人の多くはこの先に良くないことが待っている事を、心のどこかでは既に感じているはずである。

痛みに耐えかねて打った金融緩和と言うモルヒネは、痛みを止めることにはなるが体の回復を遅らせ、既に内容はボロボロの状態になりながら止めれば激痛に襲われ、でもいつまでも続けていれば死は必定の状態で動きが取れない。

その上にアメリカ、北朝鮮、韓国、中国、ロシアの独裁政権の脅威が迫っていて、北はカムチャッカ、南は南西諸島付近で巨大地震、若しくは南西諸島では大規模火山噴火の兆候が出てきている。

日本の経済は2020年の第32回東京オリンピック夏季大会に向けて、期待を全て集めているのだが、巨大災害が無くてもこのオリンピックが終われば景気が失速する事、独裁政権の影響はオリンピック開催に大きな日陰を作る事、加えて巨大災害の嫌な予感を多くの日本国民は肌で感じているはずである。

オリンピックと言う祭りのおかげで気は紛らされているものの、その後の厳しい現実は容易に想像が付く。
それゆえ先のことは知った事ではない、今は祭りを楽しもうと言う気持ちは決して非難され得べきものではない。

また備えようとして備える事が出来る事情の者も少ないはずであり、解っていてもどうしようもなく流されているのが今の日本と日本人と言える。

近い将来、ここ5年の内に日本はアメリカなどの同盟国、周辺諸国の援助を受けなければならない時期を迎える可能性が有る。
それは災害と、社会に措ける災害で有る政治的混乱のどちらか、或いは同時発生に拠って始まるが、元々これらが複合し易いのは、近づいて来る災害に対する人心の予感集積による社会不安が、政治的混乱を引き起こすからとも言われている。

だが悲しむ無かれ・・・。
日本は夢の時代の終焉に今存在し、これが終われば現実の時代を迎える。

それは厳しい世界だが、本来は滅びなければならなかった者が滅び、生き残るべき者が生き残る社会であり、夢や希望の完全消失は次の深くて強い夢や希望の始まりでも有る。

災害や混乱は厳しい現実をもたらすが、その厳しさは人間が自身で判断できなかった事を天が代わって行うものであり、この意味ではその厳しさこそが最も深い慈愛と言える・・・。


利・第二節「槍の先」

人の世、生き物の世界に措いて、実は「利」は存在しない。

生き物に取って最小限度にして最大限の「利」は生きている事であり、我々が「利」としているものとはある種の「隙間」、或いは社会と言うものが担保する幻想と言えるかも知れない。

我々は太陽光と地球環境と言う膨大なエネルギーの中に在って、個人に取っては無制限に近い周囲の余剰を持っている。

つまり自身に比して膨大過ぎる隙間を持っているのだが、やっている事は生まれて死ぬだけの話であり、子孫を多く持ったとしても、多くの物質や資産を蓄えようとも死は免れず、個人的実質利益は存在しない。その生きている期間に増やしたもの、集めたものを価値として見させてくれのは「社会」である。

例えば自身の子供が生まれて嬉しく思うのは、もしかしたら昆虫から始まって存在する概念かも知れないが、厳しく現実を見るなら自身と子供には何の関係もない。

唯の固体同士なのだが、これを嬉しく思うのは生物界が持つ社会性、子孫を多く残せばその生物種は他より有利になると言う物理的、生物学的な法則の存在に比例したものかも知れない。

それゆえ我々が「利」と考えるものの本質は、個人が生きている期間にどれだけ多くのエネルギーをを集めたかと言う事で在り、余剰を多く集めれば当然余剰が周囲に少なくなる個体も発生する事になり、これを貧富の差、格差と人間社会は表現する。

だがこの宇宙に平均値である空間は存在せず、ランダムな不均衡こそが平均である。

つまり地域に拠って予め格差が出るのは自然の理であり、この中で余りエネルギーが多くない地域では、例えば一握りの麦でも大きな価値を持つが、エネルギーが多い地域では松坂牛のステーキを食べたとしても、そんなには価値は感じられないだろう。

「利」の概念は変動性不確定なものであり、何が「利」となるかはその時代ごと、地域ごとの社会に拠って変化し、「利」と人間の幸福感は一致しない。

幸福行きの切符の内、7割ほどは「利」の印鑑が押して有るかも知れないが、それに乗って辿り着く場は幸福とは限らない。

むしろ「利」の深まりと幸福は反比例の関係式かも知れず、最大の幸福感はエネルギーの小さな場、小さな状況に存在し、幸福の効果がもっとも薄いのは、もっともエネルギーの多い状況、多い場となるかも知れない。

そして「利」の発音上の景色は先が尖った「槍」(やり)の切っ先のようなものでも有り、これは周囲、既存に対する鮮明な差異と言う事になる。

言い換えれば周囲と同じ事をしていては「利」は集められず、常に鋭い切っ先になって進んで行かないと、既存の「利」は「利」にならなくなって行くと言う事である。

この意味では資本主義の命題が「拡大」に有る事と、生物の本能が弱肉強食で有る事は統一的法則性を持っている。

等価物品交換、物品為替、貸借、個人約束手形、小規模通貨、通貨、為替、資本投資、株式投資、クレジット、そして今度は仮想通貨と言う具合に「利」の形はどんどん変化して行く。

しかしこれは社会と言う個人の集積が担保するから価値になるのであり、一定以上に拡散すると「利」は薄くなり、ここから「利」が得られにくくなると、社会はこれを疑い始め、それをやがて幻想にしてしまう。

人間の社会にインフレーションとデフレーションが存在し、好景気と不景気、バブルとそれの崩壊が繰り返されるのは、鋭い切っ先「利」が常に周囲との差異を求めて先に進んで行くからである。





第八章・利・第一節「和」

「利」の起源は「禾」(のぎへん)、解り易く言うなら「穀物」の事だが、これと鍬(くわ)や鋤(すき)の象形合字と言われている。

が、ここで出てくる鍬や鋤は中世以降の形と同じものではなく、「り」と言う発音は「闇を切り裂き、少し周囲とは低い温度が伝わって行く様相を差し、基本的には邪気を祓う音でもある。

一方これとは別に鋭利な様相を現してもいて、「刀」と「和」の省略形の合字とも言われていて、おそらく「り」と言う発音は古くから存在し、それに「禾」と鍬や鋤の象形が組み合わさったものが割り振られたと考えられるが、もう一つ、古くは「利」の概念の二面性が存在した可能性が有る。

我々は平和な時を利と考えるが、そもそも戦乱が多い時代にはそれが平時になり、では平和である事が全て利に繋がるかと言えばそうではない。
逆に戦乱時だから全てが不利益になるとも限っていない。
「利」は平和な時も戦乱時にも存在する。

この現実に鑑みるなら、利と平和を統一的に考える現代社会の考え方は「現実」には即していない。
むしろその時代や状況に拠って「利」が変化して行くのが現実的であり、この意味で言うなら古代の「利」の概念の方が現代社会より現実的と言うことが出来、それだけぎりぎりの所を生きていたと言う事である。

もっとも「刀」と「和」だから、戦を避ける事を「利」とすると言う側面も有るが、こうしたぬるい考え方は比較的落ち着いた、新しい(と言っても2000年も前の事になる)考えた方であり、「和」の本質は「なごむ」「なじむ」であり、この意味からすると「刀」となごむ事になる。

つまり、戦争は必ずしも全ての人が忌み嫌う状況ではなかったと言う事である。
もっと言うなら「戦争」は利だったと言う事である。

利はその発音上からも感じる事はできるが、鋭さと速度を必要とする。
これはどう言うことかと言えば、周囲との差を示していて、元々速さや鋭い事が既に「利」と言う事であり、もう一つは「禾」に鍬や鋤である「穀物」、言い換えれば「大きさ」も既に初めから利と言う事である。

推測の範囲を出ないものではあるが、古代に措ける平和のイメージと現代社会の平和のイメージには、少し違いが存在したのではないかと思われる。
戦を避けて降伏、或いは和睦した時に得られる国富の喪失軽減の概念は「人」が中心になって来ないと成立しない。

民衆を国富と看做してこそ、人命が失われなかった事を利とすることが出来るが、人命が軽いと和睦に拠って国富喪失軽減の効果は発揮されない。

つまり古代に措いて戦争を避けるは、ある種徹底抗戦して敗北したと同義だったのではないかと言う事であり、結果からすると支配する者の規模が小さかったと言うことでは無いかと思われる。

統治に措ける高度な支配は支配権限の分散に有り、大帝国を築くときは、思想宗教の自由や既存統治システムを有る程度容認していかないと、成立しない事は古代ギリシャ帝国、マケドニアのアレキサンダー、モンゴルのチンギスハンなどを見れば明白であり、ここに至って「人」は国富となる。

しかし国家規模が小さいと支配体制は強化され、収穫よりも略奪が容易な傾向を持つ。
それは規模の同じ様な勢力が多く存在すれば、略奪で国家が維持出来るからであり、この意味では和睦や平和が利となるのは大帝国か、それに近い大きさの支配が無ければ出現しにくかったと言う側面がある。

「和」と「利」はとても近い。

もしかしたら古代には同義だったかも知れないが、これに鑑みるなら我々が描いている「和」など非常に浅いものであり、ぬるいとしか言いようが無い。




仁・第十五節「先は解らない」

中世日本で後の日本千年に及び、世界の中の日本、日本人観に影響を与えた唯一の為政者、北条時宗(1251~1284)。

第二次世界大戦に措ける「神風特攻隊」に観ても解るように、20世紀の初期、中期日本で大きく拠り所とされた為、敗戦と共に相対的評価を下げられてしまったが、彼が及ぼした影響は群雄割拠する国内規模の英雄や期間に措けるスケールと言う点では、日本屈指のものであり、当時の世界でモンゴル大帝国を事実上「撃破」した唯一の国だった。

大帝国に対して徹底抗戦を決めた後、国内の御家人、家臣達を運命共同体に引き込み、防御壁を築いて6月から8月まで元寇の上陸を阻む。
そこへ運良く台風が接近し、にわか造りのモンゴル船は皆沈んでしまう。

この事を「運」、「神風」に大きなウェートを与えてしまった背景には、この後の北条政権衰退に原因が有り、元寇を退けるは防御であり、ここに恩賞を与えられなかった北条政権に対する憤懣は、やがて足利尊氏に集約される事になるが、この運、神風は唯漠然と天がもたらしたものではなく、そこまで努力して粘った北条時宗ゆえに、天がそれを味方したと言うべきものだった。

18歳にして執権に就任した時宗は、北条政権が最も安定していた時期の執権であり、ここに完成した帝王学が形成されていた。
それを幼い頃から認識していた時宗の行動は、若干24歳にして既に帝王学のセオリー通りに動いて行き、元寇には徹底抗戦となり、それは31歳の「弘安の役」でも変わらない。

また時宗はこの時期多かった中国大陸渡来僧、高麗からの逃亡者、弘安の役では以前に捕らえた蒙古の将軍を殺していない事から、世界情勢と敵の分析も行っていたとみられ、防塁壁の戦法は敵を知り、己を知った実に現実的戦略だった。

しかし惜しむらくは、こうした情報と安定した政権の力を重んじる余りに、古来より軍事の最重要案件である「天候」を計算していなかった点であり、天候の重要性は現代に措いても変わらず、軍事、一般社会に措いても、人類が常に最重要案件としなければならない案件である。

もしかしたら時宗は天候を計算に入れていたかも知れない可能性すら有り、もし北条政権がその後も安定していたなら、例えこれが計算されていなかったとしても歴史書は、これを時宗の功績としただろう事も考えられるが、残念がなら蒙古撃退の後、北条一門は衰退していく。

ここに北条氏の功績は否定傾向になって行き、相対的に「運」「神風」の功績が過大評価されていってしまうのであり、その後も島国である事から外敵の直接的侵略の少なかった日本は江戸時代に200年以上も世界的治外法権の幸運を向かえ、ここに日本は神に守られた国、「神国」であるとの幻想が完成されて行ってしまう事になる。

北条時宗は18歳で執権になり、32歳で病没する期間全て、元寇と戦っている。

文字通り元寇から日本の危機を救う為に生まれてきたと言っても過言ではなく、その彼を徹底抗戦に向かわせたものは、日本がそれまでに築いていた国家意識、組織としての政権意識であり、北条氏の徹底抗戦と、6月から8月までの2ヶ月間、必死の防衛が無ければ神風の以前に日本は侵略されていた。

もっとも、この時期に大帝国の侵略を受けていれば、グローバリゼーションと言う観点からすれば、明治維新や第二次世界大戦敗戦の遥か以前に日本は国際化し、今とは違った世界で、違った日本を形成していた可能性もある。

しかし、日本と言う国家は時宗を通して、それまでの日本を守る事を方向とし、ここで大きく膨らんでしまった神の概念は、第二次世界大戦での根拠とまでなって行ってしまった。

「運」や「神風」と言うなら、これを言うのであり、たまさか接近した台風は神風ではない。

人の努力が「神風」にしたものであり、こうした気候を甘く見ていたのはモンゴル大帝国も同じであり、権力の安定や力は日本、蒙古相互に気候を油断させ、日本が勝ったのは攻められていた状況、海上戦と言う形を守り切ったからであり、立場が違えばその反対に動く事もある。

自身の力を信じれば気候を甘く考えてしまうが、その油断のおかげで救われる時も有れば滅ぼされる事もあり、そこで勝利した事がどの時代にどう働くかは先に行かねば解らない。

古代の日本の神の概念は「無常」「無作為」であり、これを人の都合の良いように「救い」や「守護」の概念に置き換えられていくその原点は中世の元寇の役にあり、唯この時はどちらにも道は開かれていた。

北条時宗は、その時代の危機を救ったのであり、ここから神国となるか、現実に生きるかはその後の日本人が選択した道である。
が、神風は天が吹かせるのではない。

それを神風とするか、大きな災難とするかはひとえに人の努力に拠って決まり、人に完全は無く、それゆえに努力がどう働くかは、その時も未来も読み通せない。

「仁」もまたこれに同じである。

「畦が切れる」

この表題を見て解る者は雪国の者、米を作った事の有る者に相違ない。
おそらく俳句の季語には載っていないだろうが、百姓かこれを出自にするか、その地で育まれた者の、春の季語である。

田に雪が降り積もると、畦の部分だけは田の中よりは高い事から、暖かくなって雪が解け出すと、畦の部分だけが先に雪が解けてくる。
白い雪原に始めは1本、その角が繋がって2本の交差した土の部分が顔を出し、やがてそれは田の形どおりの輪郭になって白一色の世界に形をもたらす。

この状態を「畦が切れてきた」と言うのであり、長い冬がようやく終わりを告げた事を意味していた。
私の住んでいる地域は豪雪地帯であり、冬には厚い雪に閉ざされる。

11月の嵐に始まって、2月か3月の嵐に拠って冬は終わるが、こうしてそれまではどこまでも続いていた雪景色の中に、高い部分から白い色が切れ、やがてそこには「つくし」や「フキノトウ」が飛び跳ねるように生え、暫くすると蓬なども広がって、気が付けば辺り一面色んな緑が繁茂する大地になって行く。

この春の喜びは、その雪の深さが有って解るものなのかも知れない・・・。

「おお、畦が切れてきたな・・・」
「種籾を見とかにゃなるめー」

嵐が去って暖かくなった日差しの中、私が子供の頃は、多くの村人がこの「畦が切れる」を見て田畑の用意を始めねばと、話していたものである。
穏やかな日差しは人々の顔を優しく、嬉しそうな顔にし、子供たちもまたおおはしゃぎだった。

いつまでも寒かった今冬も、やっと終わった。
あちこちで切れてきた畦を前に、長い事見れなかった穏やかな太陽の光はまぶしく、私の顔は少し悲しげ見えるか、それとも笑っているように見えるか・・・。

何が有っても必ず春はやってくる。
いかに絶望に打ちひしがれようと、どんなに辛い事が有ろうと、全く関係なく季節は移ろい、生まれてくるべきものは我先を争うように生まれてくる。

何と、大きく有り難いものなのだろう。

顔を出してきた畦を眺めながら、遠い昔、子供の頃を思い出していた私は、いつの間にか隣に来て座っている猫に「畦が切れた」「春が来たぞ」と話しかける。

猫は少し眩しそうな顔をこちらに向け、声を出さずに一声だけ啼いた・・・。



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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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