周易法・第四節「攻出内宴」

人と会うに自分の家や事業所に相手を迎えるか、自身が相手のところに出向くか、と言う話だが、戦争をするなら自国で決戦となれば民は路頭に迷い、勝っても国内は疲弊する。

対して攻めてきた方はどうなるかと言えば、勝てば新たに国を一つ得、負けても既存で持っている領土は傷む事がない。
更に際どい争いをすればするほど、守っていた相手国も疲弊する事から、負けて撤退してもすぐに相手が報復に出る可能性も低い。

それゆえ基本的に戦争に措ける本土決戦は、予めの不利、敗北の可能性、弱小劣勢の風気が在るのだが、いつも自身より弱い相手との戦争とは限らず、他国を決戦場として攻めるには、既存領土の防衛と攻める為の軍備、攻めている軍が要する糧秣の手配が必要な事から、通常は攻める相手国の2倍以上の国力が無ければ攻められない。

いつも自国が他国を攻められる状態とは限らず、多くの弱小国家は必然的に敵に攻められ、不本意ながらも本土決戦に挑まなければならない事態を迎える事になるが、この場合に必要な事は「情報」であり、先に攻めてくると言う情報を掴めば、それより先に自国が他国の周辺領土で待ち伏せ、敵軍が自国に入る前に、他国を無理やり戦場にしてしまう事ができる。

やむなく本土決戦となる場合、人口を一箇所に集めてはならない。

たった一箇所を攻撃したら殲滅できる状態は避け、場合に拠っては攻めてきている相手国の防備の方が手薄なら、本土を棄てて敵の領土を奪取し、それに慌てて兵が戻って来るところを敵国領土で迎え撃ち、適当に戦って自国に帰る、或いは相手が大国の場合、周辺主要都市の一部を攻め、そこを自国と宣言して、これに激怒して戻って来たら、それより先に逃げて本土に帰還する。

または敵の敵は味方とは限らないが、期限の限定で同盟が結べれれば、出来るだけ多くの国を戦争に巻き込めば自国敗戦の可能性は低くなり、日本のような島国では海を使う。

攻められてきたら舟で海に避難し、敵国が本土に上陸したら袋叩きにする事が出来るが、あくまでも本土に執着していると、必ず負ける。

日本の近代防衛概念である専守防衛と言う概念は、古代から戦術上最も避けなければならない戦法、敗戦法とも言え、日露戦争では先に旅順を攻め、ロシアの国家権威であるバルチック艦隊を海で撃破し、本土決戦に至らせなかったことが勝因であり、蒙古襲来の折もこれと同じだが、守りに徹した為国内は疲弊、以後北条政権は衰退していく。

このように戦争では自国を戦場としてはならない事は、市場原理でもビジネスでも同じ事が言え、人と会うにも自身が出向く事で、少なくとも時間やスケジュールをより多く自分に引き寄せる効果が得られ、これだけでも自分が有利になる。
これが「攻出」であり小さな者、弱小な者ほど、怠惰は禁物である。

ただし、宴などは自身が出向くと罠や待ち伏せの危険がある事、さらには権威による優位性の関係から自分が他者を招くほうが有利となる。
古来より戦争よりは交渉で妥結する方が金はかからず、その宴を主催する事で盟主、或いは準盟主の仮想が発生し、これが有事の際には多くの者を巻き込める環境を作る。

そもそも宴などから得られる利は無く、これに出向くなど全く時間の無駄とも言え、親睦など宴が終わった瞬間から忘れられる、ついでに自分が動かされると言う事は、力関係に措ける優劣にも繋がり易い。
出来れば宴は参加するのではなく、それを利用する立場に立つ事が望まれる。

これが「内宴」と言うものの考え方である。

ビジネスでは人を待つより自分が動け、
宴は広さ(回数)ではなく、深さだ。

戦争の代わりに開くのが宴である事を忘れるな・・・。


スポンサーサイト



周易法・第三節「占籤」

周易が現存する書物の中で一番古いとされるのは、その以前に書物と言う形で残されているものが無いからだが、現実には「殷」(商)の時代に骨を焼いて占う方法は確立されていて、その前の「夏王朝」では十干の概念が確立していたとも言われている。

周易は爻(ぎょう)と陰陽に拠って現され、この三列のものを八卦、六列のものを易卦と言うが、八卦は0から始まり7で終わり、易卦も0から始まって63で終わる。

二進法の拡大倍数、或いは全て2、4、8の倍数である事から、「円」が想定されている事は間違いなく、この事から方角や季節と言った循環の思想が見て取れるものの、爻と陰陽の組み合わせである易卦、占籤に順番は無かった。

つまり円や循環の思想は後年、多くの人々に拠って付け加えられたものであり、周易と言う浮遊する自由事象を縛り付けたものの正体は「儒」の思想と思われるが、「儒」の思想は封建制度と同時期に発生し、封建制度を安定させるために発展していく過程で、「現実」と言う事象に多くの意味を持たせ過ぎた。

元々占籤に少しの意味が与えられていたものの、その意味の方が重くなり、周易が記された易経は、始めは数ページしかない本に色んな知識人が書き込みを行い、それが凡そ完成したのが前漢時代、さらに派生に拠って歪められて行く過程を危惧したのが曹氏だったと言えるのかも知れない。

それゆえ、これは古くから伝えられているとされるものでも、実は比較的後年に創作されたものである可能性が存在し、それらしいものほど可能性が高い。
戦国末期に出てくる三十六計の兵法なども、易経を名乗ってはいるが、その内容は稚拙であり、戦いの果てに辿り着いた「戦わずして勝つ」の孫武とは雲泥以上の俗的劣勢が有る。

周易は後年の兵法、儒教思想の元となるものと考えられるが、こうした兵法や儒教の思想を突き詰めると、やがてそこに現実の事象の持つ重みを知る事になる。

この世界は人の為に動いている訳では無い事、事象に優劣は無く、優劣は全て人の事情である事、天はそれを敬う者のみを救う訳ではない事、理不尽である事、また無慈悲なものである事、天運に定まりが無い事、無常である事。

殷の時代から凡そ存在した現実事象の現し、「占い」はやがて思想を付け加え拡大し、季節や方角、人の運や生き方にまで影響を与えるようになり、この運にどう対処するかと言うところから兵法や儒教が発生して行くが、これを真剣に突き詰めた結果が、奇しくも「無常」と「何も無い」を知る事になる訳である。

多くの人間は兵法と言えば崇高に考え、占籤と聞けば「そんないい加減な・・・」と思うかも知れない。
だが6000年も前から人々は占籤を引き続け、今に至っても多くの者が朝に占星術の占いを見て一喜一憂し、結婚や子供を祈願し続けるのは何故か・・・。

自身の味方をしてくれるとは限らない、行いが正しければ結果が良いとも決まっていない、人の事情など意に介さない、無慈悲で無常・・・。
それゆえに人は占籤を引くのであって、自身をこの世に問うた時、最大限の努力をしていれば理不尽に対しても納得が出来る。

この理不尽に対する「納得」の方法が兵法や儒教と言った思想と言うものなのかも知れない。

それゆえに孫子も孔子も周易と言う因と果に措ける狭間の、人として出来る最大限を目指した者たちではなかったか、そんな事を思うのである。



周易法・第二節「秩序の発生」


1本の道は「窮」と言う現実は、2本の道で敵に選択の余地を持たせて攻めるを生み、その2本の道で待ち伏せするには、片方の道に焚き火と言う「虚」を生じせしめた。

やがてこうした事が繰り返されると、敵を読むに次々と法則のような物が発生し、この法則は原則自軍消耗を抑え、敵軍の消耗を目的とする事から、相互に兵士の消耗を抑える効果を生じ、やがてこの事が争いと言うものが何なのかを思わせるようになる。
その争いに相互が理解し合える秩序が発生して行く。

愚かな者の争い、粗暴な者の争いとは弱者の争いに似て、目的が感情や欲望の成就の上に結果が予め決められていない。
必要以上に相手を痛めつけ、際限なく欲望を満たそうとして行くが、これが連鎖して行くと最後は全滅に近い状態で傷を負った1人、一民族が残る事になり、ここでも欲望だけで争えば、ラッキョウを剥いた最後と同じものが残る。
簡単に言うなら「何も残らない」

それゆえこうした粗暴な争いを制御するものが秩序、一般的には「兵法」と現され、この秩序こそが粗暴な者を抑制するが、一方で欲望のみの暴力に一番弱いのも「秩序」であり、秩序は発生した直後は力を持つが、それが長く続くと「優しく」なって行き、この優しさは欲望や凶暴が根底の者には対抗できなくなっていく。

欲望は本能であり、優しさは社会上の便宜だからである。

周易は兵法ではないが、楚王編纂周易には既にこうした現実に対する対処法が記され、これが「斉」の田氏一族の中ではある程度秩序化されていた。
この流れを受けたのが孫武であり、彼が記した孫子兵法をまとめたのが「魏」の「曹操」である。

また孔子は予め「私は周の礼」を目指すと言っており、彼らは共に紀元前1000年の「周」の流れ、厳密に言うなら周易は発生と結果を現し、この途中の当代に合致した細かな法則を築こうとしたのが孫武、孔子だったと言える。

元々「易」の始まりは「トカゲ」の表皮の色であり、時と場に拠って何色にでもなるその有り様から「無常」が導き出され、ここで言う「無常」は日本人が考えるような「観」ではない。
善にして悪、喜にして哀、究極的には絶望にして希望とも言えるもので、これらが同時に折り重なった姿を現している。

つまり「何もない」と言う事なのだが、この「何もない」は全てが存在している結果として何もないと言う事なのだ。
それゆえこの途中はその時々、状況に拠って作っていかねばならない、或いは自然に道が定まっていくのだが、その道が次の瞬間にも通用するとは決まっていない。

春秋戦国時代に孫子兵法が認められ、孔子の礼の評価が低かった原因は何故か・・・。
孫武はその時のその状況のトカゲの表皮の色を見て対処したからであり、これに対して孔子はトカゲの色の中に何が真実なのかを探そうとしたからだ。

刻々と変化するトカゲの表皮の何色が本当の色かは定める事が出来ない。
全てが真実であり、その真実は次の瞬間には変化する。
結果として現れてくる現実に対処する者は真実に近くなり、そこで真実を探そうとした者は真実から遠くなって行く。

世の理想が現実の生活から乖離して行くのはその為であり、平和や自由、平等、幸福などはいつの時代も天上の事でしかないが、一方で厳しい毎日の現実の中からでも、好きな女や男が目の前に現れ、2人で子を為し、友や仲間なども出来ていく。

小さいながらも現実と言う正体のない所から、自分なりの秩序を作っていく。
遠近の差は有ってもいつかは必ず失われ、次の瞬間には泡と消えるかも知れないが、これもまた天上の秩序と同じものだ・・・。

そしてこれをして人の「希望」と、私は呼ぶ・・・。




周易法・第一節「道を選ぶ詭」




「人を待ち伏せるに1本道は危うい」

常に人から命を狙われている者は1本道を警戒する。
それゆえ1本道で人を襲う時は兵力、個人で言うところの人数が対等なら、襲う側も反撃を受ける可能性が高い為、枝分かれした2本道の1本を選択させる方が、人を襲うには適している。

軍が敵兵を待ち伏せする場合、敵兵は選択の余地のない1本道は窮となり、予めこうした道は避けられるか、警戒される。

そして2本の枝分かれした分岐点を敵兵が選べる場合、ここで自身らが選んだと言う事が、選択の無い1本道よりは自信や安心感を生み、これを襲うは1本道で襲うより自軍兵士の消耗を少なくする可能性に繋がる。

だが問題はどうやって敵兵を自軍が待ち伏せしている道に誘い込むかだが、この第一手が片方の道に、如何にも待ち伏せしている事を窺わせるような土煙、或いは兵士が火を焚いて待っているような煙を上げておく方法であり、こうしておけばそこには兵が潜んでいると思わせる事になり、敵兵はもう1本の道を選択する事になる。

そして次の段階ではどうなるかと言うと、どこの世界に誰が見ても敵が待っている事が明白になるような土煙、焚き火の煙を上げている馬鹿がいるだろうか、「これは罠だ」、煙が上がっている方が安全な道だと考えるようになり、この上を行く時は一方の道に煙を上げておきながら猶、煙が上がっていない道で待ち伏せる事になる。

つまりは相手の見識や能力に拠って虚が実になり、実が虚になって行くのだが、相手が何枚上かを読むかは、ひとえにその相手がどれだけの経験を積んでいるかに拠って定まり、ここでは一度使った手を二度使う馬鹿もいないと考えるなら、二度目に同じ手を使うのも一枚上の手になり、これが延々続いて行くと、2本の道の片方に煙を焚こうが焚くまいが同じ事になって行く。

2本の道のどちらにも煙を焚かずに、どちらか片方の道で待ち伏せしている事に同じになって行くので有る。
一番初手の愚かな将軍が煙を見て、その道を避ける事と、その何十倍もの経験をしている将軍が採る戦法はほぼ同じものになって行く。

「真の良策は愚作に見える」
愚かな策が簡単に通っていく時には、半分の確率で誰かの凄まじい策が進行している事を警戒しなければならない。
愚かに見えながら、自身が思い通りにならない時は、その愚かに見える者を警戒しなければならないのであり、孫子は同じ道は二度通れないと記したが、これを知るなら同じ道を続けて二度通りながら、決してこれは同じ道では無いのである。

また逃げる者は早く、待っている者は遅い。
相手が逃げていく時、その逃げ足が遅い時は待ち伏せされている可能性が有り、逃げ足が遅い者を追いかけてはならないが、この上を行く者は待ち伏せしている事を匂わせながら、敵に追われないように画策している訳であり、同じ逃げ足が遅くとも、その真意がどこに有るかは相手の能力次第に拠ってしか測れない。

「彼を知り、己を知る」はまた、彼から自分がどう見られているか、自分が彼をどこまで歪曲せずに見る事が出来る人間か、そこを問われている訳であり、これらはビジネス、政治の世界でも、芸術の世界でも同じ事と言え、以前にこれは有効だったから、また今度も使おうと思うは愚策、これが愚策である事を知って猶、それを使うは同じにして異なる道・・・。

ただ、多くの人からは同じに見える・・・。




利・第十一節「人の怒りを買って逃げる」

「蟷螂、蝉を窺い、黄雀後ろに在り」

紀元前500年付付近に発生した「呉」の国の諺(ことわざ)だが、蟷螂(カマキリ)が蝉(セミ)を襲うとしているその時、蟷螂の後ろでは雀(すずめ)が蟷螂を狙っている。

背後に利する者を知れ、傲慢な動きは危うい、または三者の均衡は誰か一人が動けば、一番大きな者が利する、そしてもう一つ、この中で一番動きの遅い羽は蟷螂であり、弱者は強者に対して全てが劣っているとは限らず、雀もまた人間が狙っていれば一番の危機を迎えている事になり、人間もまさにその瞬間命が尽きれば蝉に遠く及ばない。

この諺は群雄割拠して小国が乱立している状況の中で、自国がどの位置を占めているかを知る事を指しているが、自身の位置を知るには当事者となっていては見えない。
この場合延長線上に在る意味として、混乱期には遠くに離れて物を見る事を一つの方法論として説いているのかも知れない。

組織では、派閥抗争に負けて左遷された事を嘆く者も多いが、実は抗争などの混乱期には、そこから離れている事は「利」であり、特に抗争がナンバー1とナンバー2の間で始まった時、ナンバー3以下の立場の者は平社員より現実的立場が悪くなる。
蟷螂の羽が一番遅い事に同じなのである。

また抗争がナンバー1と3位以下の連合で始まった時は、ナンバー2が蟷螂になる。
この場合もナンバー1が圧倒的な力を持つ場合は、ナンバー2は3位以下の連合に呼応してはならない。
適度な失敗をするか、或いは効果的なのはナンバー1に「正論」を進言するのである。

「正論」と言うのは常に現実には即さないが美しく、魅力的なものであり、言われた者に取っては一番厳しい現実が突きつけられる結果となり、抗争が終わった段階でナンバー1が勝っていれば、冷静になって来た時それが自身のためで有る事に気が付き、3位以下が勝った時は、それが間接的な3位以下の支持であったと錯誤させるからである。

そして混乱期の収拾と言うものは強権に拠ってしか為されない。
つまり独裁かこれに近い形でしか混乱を収拾することが出来ず、この形は独裁に拠って混乱が収拾されると、今度は独裁を妨げとして行く事になる。

どちらが勝っても負けても、長くは続かないのであり、その次こそが安定した組織を築く事になるのであり、ここでは抗争時、その抗争のどちらかに勢力を傾けていてはならない。
しかも混乱場所からは早めに離れていないと、遅くなればなるほど逃げにくくなり、命の危険、組織で言えば解雇と言う事になり易い。

自分がナンバー1になれるなら、これを目指さない者は完全敗者となる。
だからこの時は知力の限りを尽くして徹底的に闘わねばならないが、遠く空の上から見て自身の羽が実は遅い事を知ったなら、早めにそこを立ち去り力を温存していると、抗争の決着が付いたその次に自身が必要とされる時がやってくる。

元々「利」は混乱期にも平時も存在し、それゆえ商いを行う者は「利」が有る所を躊躇してはならないが、いつも自身が何にも属さずに暮らすことは難しい。
必ずどちらか側かには傾いているのが現実で、この場合抗争に巻き込まれない方策は、早めに人の怒りを買って飛ばされるを最上とする。

耳に心地よい事を言って去った者は、いずれ人を裏切らなければならない日がやってくる。


「余震に備える」・2

大きな地震、余震の場合は2階にいるなら、慌てて窓から飛び降りてはならない。

出来るだけ小さい部屋へ移動するか、或いは家の中心に向かうようにする事が肝要で、
1階でもこうした電線が張り巡らされている状態で、家が接近している地域ではむやみに外へ出ようとすると、落下物で被災する確率が高くなる。

トイレや風呂場など狭い部屋へ移動する事が肝要になるが、木造の古い家の場合、背後に崖がある場合などは、家から出る方が大きな被災に遭遇しない可能性が高くなる。

更に余震に備える対策としては、家に在宅の場合は必ず部屋の戸を開けておくことで、これは大きな余震が発生すると瞬間的に戸が開かなくなる為、既に大きな地震に被災している家屋では、倒壊の確率も高く、玄関まで全て戸を開けて置くのが理想的である。

集合住宅の場合、これもやはり広い面積の部屋は天上落下の可能性が高い為、姿勢を低くして通路などに出るしか方法が無く、外壁に近いところへは避難してはならない。

また本震動が終わったら速やかに外に出て広場などに避難することが大切であり、これは長周期震動で崩壊する可能性が出てくるからである。

大地震の場合は、殆どのケースで停電とガスや水の供給が止り、カードの決済も不能になる可能性が高い。
従って貴重品や防災グッズの中には余裕が有れば、100ドルくらいの外貨、数万円の現金なども入れておくと良く、新聞紙などは常にストックを持っておく事が望まれる。

そして地震は暖かい時だけに来るとは限らず、寒冷期、12月から3月に発生し、支援などが間に合わない時は、倒壊した木造家屋などを燃やして火を起こし、そこで集団で避難することが望まれ、これは上空からの目標としても有効であり、寒冷期であればと言う条件付だが、万一火災になってもそれに拠る死者は凍死者総計よりは間違いなく少なくなるからである。

ちなみに北海道胆振地方の地震では大規模な山崩れが発生し、これは直近の豪雨や地質の影響とする専門家も多いが、そのような地質なら豪雨の時に何らかの兆候は出ているはずで、因果関係を問うのは本来筋違いである。
むしろ陸地地震、内陸地震での震源付近は地質がどうこう、雨がどうこうに関係なく山崩れは発生するものと考えるのが適切であり、こうした細かい諸因まで原因に入れると、あらゆる事が「想定外」になってしまう。


更に液状化現象だが、大きな地震の場合は全ての平地で発生すると考えるべきで、液状化現象が発生しない箇所など存在しないと考えておくべきだろうと思う。

地下水脈、地下水は移動性のもので、どこかで少なくなれば高いところから低いところへ移動する。
為に地下水が多い場所はいつもそうだとは限らず、少ないところもそれが常在安定しているものではない事を忘れてはならない。
それを全て人間が予測できるほど自然の摂理は甘いものではない。

また此度近畿地方の台風被害、北海道の地震被災を通して日本人は電気の供給が絶対ではない事を認識する事になり、結果として携帯やスマートフォンの電源、金銭預け払い機(ATM)の電源などに付いて、家庭用の小形発電機の必要性を認識したのではないか・・・。

以後は家電メーカー等の動きとして、こうした国民生活上の必需品の道が見えているのではないかと思えるし、その先には自力発電自動車などの概念が横たわれば、災害で死んで行った人たちの死もまた無駄にはならなかった事になりはしないか・・・。

それと科学的地震予知が不可能となった今、宏観に拠る前兆現象予知にもう少し力を入れるべきでは無いかと思う。
これでも今の確率で言えば大きな地震の3回に1回は的中させられる可能性が有ると思う。
無論、失われる物質的被害は食い止める事はできない、が、少なくとも地震で命を失う人の3人に1人でも救うことが出来る。

専門家も占い師ももはや同一レベルであり、共に予知などできていない。

広い範囲を1ヶ月以内、しかも震度4クラスの地震でも当たったと騒ぐようでは、現状の日本の地震発生率からすれば、外すほうが難しいと言えるような予知であり、北海道で地震があればその付近を考えるが、では熊本が2年連続で大きな地震に遭遇したか、大阪が翌年も大きな震災を被ったか・・・。

先の東日本大地震で残った断層が動いたと言う専門家が、次に指摘しているのが北関東だが、現実に起こってくる微震は和歌山、瀬戸内海、能登半島だ・・・。
専門家と言われる者たちは、どうして従来の力学的地勢学的な法則が壊れてしまっている事が理解できないのか、それが不思議だ。
理論では無く、もっと目の前の現実を見ろ。

尊い命、かけがえの無い命を失った者たちの無念を、また暫くして忘れてしまって同じ事を繰り返しては彼らに申し訳が無い。
例え災害で有っても、そこから次に何かを繋げる努力をする事でしか、我々日本人は彼らの死に報いる事が出来ないのではないか、そう思う。



「余震に備える」・1

地震が発生すると、大方の報道や一般大衆の口からは「充分お気を付けください」と言う言葉が出てくる事になるが、では一体どう気を付けたら良いのかと言う具体策は出て来ない。

まずP波の説明から始めるが、これは本震動波より1・7倍早く伝わってくる為、実際に揺れるより早くに「音」や「雰囲気」で伝わってくる事になり、大方の能動生物、昆虫から犬、猫、大型生物の象に至るまで確実に捉えることが出来ている。

カエルやカジカは一挙に鳴くのを辞め、猫やネズミはP波を捉えると家から出ようと大騒ぎを始め、犬は突然吠え始めるか、遠吠えをを始め、鳥の類もバタバタと騒ぎ始める。

蛾などではいっせいにむやみやたらと飛び始める事があり、金魚なども動きが激しくなるか、或いは水槽から飛び出る事もあり、非能動種が大勢を占める植物でも蘭(らん)やススキなどは不自然な動きをする場合がある。

では人間はどうなのかと言うと、約13%の人がP波を捉えられるとされているが、この場合は遠くで多くの木の葉がザワザワ揺れている音、若しくはやはり遠くで大勢の人が騒いでいるような音として感じていて、これ以外は風が吹いてくる音か飛行機が飛んでいるような音として感じている。

だがこれが就寝中の場合はどうなるかと言うと、90%以上の人がP波を捉えていると言われていて、体調が万全なら4秒以内に目が醒める事になる。
が、この時何故目が醒めたかのか、そもそも目が醒めている事を自覚すまでに2秒かかり、震源に近い場合はP波到着直後に本震動S波が始まる為に間に合わないのである。

この点は気象庁の緊急地震速報と原理は全く同じだが、他の動物が瞬間的に目を醒ます能力と同じものが人間にも備わっていて、この場合は「音」で目を醒ます事が知られている。

早朝に発生した阪神淡路大震災の記録には「雉の鳴き声」「犬の鳴き声」「猫の鳴き声」「カラスの鳴き声」で目を醒ました人が多く、この鳴き声の直後に地震が発生してくる。
しかも、この時の鳴き声がとてつもなく大きな鳴き声で、それでびっくりして目を醒ましているのである。

これは音響レンズ効果(私見用語)と言い、脳が緊急時に音を大きく感じさせる効果によるものと推察され、こうした事に注意していても大きな余震を事前察知して少しでも安全な部屋に避難できる確率が高くなる。

また大きな地震の場合、その地震のP波を感じることが出来る人は全体の13%だが、ここでも異常に大きなP波に拠って脳が忘れていた感覚を覚醒させる効果が発生するものと思われ、大きな地震が発生した地域の人は、以後全て正確にP波を捉えられるようになる。

ただし、震度1くらいの地震から聞こえるようになる為、P波のゴーと言う音が聞こえたからと言って大きな余震が来るとは決まっていない。

むしろ本震後のP波の音はそれが聞こえても確実に本震以下の震れと言える。

大きな地震が発生して以降、余震の度に事前に「ゴー」と言う音が聞こえるようになるのはその為で有り、これと就寝中に働く危機回避本能に拠る覚醒効果が相まって、大きな地震直後からずっと眠れなくなると言う状態が発生して来る。
音響レンズ効果はP波の音を増幅させ、寝ている時ほどその音は現実より大きく聞こえるのである。

そしてこうしたP波の音と、実際に大きな地震が発生する前の「地鳴り音」との差異だが、決定的なのはP波は移動音と言う事である。
遠くから自身に向かって近づいて来るか、或いは右から左など、その音が移動しているように聞こえるのがP波であり、「地鳴り音」は定点定置音である。

しかも「地鳴り」は大きな地震を経験した事が無い人でも、その場に立てば全員が聞こえるのが特徴であり、この音は実に多様性があり、江戸時代の記録と、平成に入って静岡県の人の報告によれば鼓を打ったような「ポンッ」と言う音から、風のような音、ゴジラが地底で吠えているような音、花火のような音、拍子木を打ったような「カシーン」と言う音まで存在するものの、基本はその場に行かなければ聞くことが出来ない音と言う事になる。





「北海道南部地震に関して・2」

北海道南部地震で震源付近の厚真町(あつまちょう)で発生した広範囲、大規模な土砂崩れに関して、役に立つかどうかは解らないが、今後の参考までに地震に拠って引き起こされる奇妙な現象に付いて、幾つか事例を上げておく。

昭和51年(1976年)6月16日に発生した山梨県東部を震源とする地震では、三島、河口湖、東京で震度4を観測したものの、この地震に拠る被害は皆無に思われた。

しかし神奈川県津久井町青根と言うところで2軒の民家の屋根瓦が全て落ちてしまう現象が発生し、ここでは住民が大したゆれを感じなかったにも関わらず、屋根瓦が全て落ちてしまったのである。

だが、この2軒の家の隣の家では僅かにふすまが揺れた程度で、被害が起こっておらず、この村に通じる道では一定方向の雑木が根から抜けたようになって倒れていた。

ちなみにこの地震の2ヶ月前、4月6日頃から10日以上、神奈川県丹沢の奥地では毎晩キーン、キーンと言う音が定期的に2時間、5秒間隔で続き、その音源の発生源がどこなのかすら、特定できなかった。

専門家はトラツグミの鳴き声と評したが、現実に録音された音は金属的な音であり、朝日テレビのアフタヌーンショーでも取り上げられたこの現象音を聴く限り、トラツグミでは済まされないものが有った。(日本地震予知クラブ記録資料より参照)

また昭和53年(1978年)1月14日に発生した伊豆大島近海地震はM7・0の大地震だが、ここでも各地で山崩れが発生し、河津町見高入谷(かわずちょう・みたかいりや)では高さ200m、幅80mに渡って山が崩落し、反対側の山へ土砂が10mの高さまで乗り上げていたが、不思議な事に、この山の手前には小川が流れていながら、その小川には土砂が入っていなかったのである。

同様の事例は明治24年に発生した濃尾地震(M8・4)の記録資料にも残っており、愛知県西春井郡西枇杷町下小田井と言うところでは幅20m、高さ40mほどの竹薮が、向かって右側を流れている川を飛び越えて、ごっそりと30m近く横に飛ばされていたのである。(市原信治著・濃尾地震と根尾谷断層より参照)

このように海域地震ではない内陸地震や陸地地震では震動が伝わる過程で方向性が有り、その方向に並列する場合と、直角に対面する場合では、同じ地域でも被害に大きな差が出てくる事が知られていて、此度の北海道南部地震でも、厚真町の山崩れには一定の方向が大きく崩れているようにも見える。

内陸地震では相対する両方向からの圧力である場合が多い為、震動の方向性は一定方向のみとは限らない。

直後に反対側からの震動が伝わった場合、家屋などの比較的面積の狭い状態は「点」となるが、山脈や山などは「面」としての性質も持つ事から、意外な震動を受けるケースが考えられる。

山肌をむしり取って、向かいの山に貼り付けるような力の加わり方も記録されているのだから、同じ方向の土砂が大規模に崩れる事も充分有り得る。
決して不思議な事ではなく、過去にも事例が有りながら、忘れられているだけと言う可能性がある。

またエネルギーの一元化は経済的効率には望ましいが、統一的一元化エネルギーはその統一こそが一瞬にして全てを崩壊させる原因となる。
この事はエコキュートなるものが出現して来た当初から警告されてきた事だが、電気のみに頼るエネルギーの一元化政策よりも、エネルギーも多様性を持っていた方が、危機に関しては有効となる。

今後の再建には是非ともこうした考え方も取り入れて貰いたいと切望する。

北海道と近畿で電気が来ない地域の方々の不安と不都合は察するに余りあるものがあり、どうか暗闇では一人にならないように、家族、近所、仲間たちと一緒に過ごして、朝を迎えるようにして頂きたいと、それを心から願う・・・。


「北海道南部地震に関して」

震源の深さが40kmほどの地震の場合、余震は喘息の咳のような発生の仕方をするケースが多い。

震度1から3ほどの余震が10分以内に2、3回発生し、それよりは10分ほど長い間隔を以って、数分おきに余震が複数回発生する形を繰り返し、震度6強が本震の場合は最大で震度5強の地震が1週間以内に2回、震度4クラスの余震は4回から6回発生し、平均して発生して来る地震の震度は1が多いものの、震源の浅い地震よりは震度2から3ほどの余震が比較的が多くなる。

この常に余震が続く傾向は短くても3日ほどは収まらない。
2日ほどは1時間に7回程の余震が発生する傾向が続き、その後間隔は少しずつ長くなるものの、3時間から半日ほど余震が無い状態になると、今度は震度の大きな余震が発生し易くなる。

余震傾向が安定化するには2年ほどの歳月を要し、最初の1週間は常に揺れていると感じるほど余震は頻発し、やがて余震の間隔は広がってくるが、少し落ち着いてきたかなと感じるられるには3ヶ月ほどの時間が必要になる。

こうした地震の場合、本震の時は聞こえなかったかも知れないが、余震発生前にはゴーと言う風のが吹いているような音が聞こえてくるようになる。
ただし、この音で発生する余震の強さを測る事は出来ない。

音が聞こえてきて直後に揺れる場合も、音が聞こえ始めてから数秒経過してから揺れ始める場合も、これは実際の震源からの距離に関係するものであり、地震の規模を特定するには至らない。

また地震の揺れには方向が有り、縦と横のような関係で同じ地域でも構造物の様式に拠っては揺れの感じ方が異なる。
大きな余震の場合は、早ければ40秒前くらいに猫が家から出ようと慌て、犬なども全く脈絡も無く遠吠えを始める事がある。
或いは文鳥やカナリアなどの鳥が騒ぎ始めるなどは要注意の可能性がある。

またこれに伴って発生する他の地震の可能性は、同じ北海道とは限らない。
日本全体が押された状態で蓄積されているエネルギーの解放は日本全国均等に存在し、次は全く離れた地域でやはり震度6クラスの地震が発生する事になる。

北海道地方の方は、出来るだけ一人にならないように、こうした時ほど家族が一致団結して恐怖を克服してください。
また急激な気候の変化、朝晩は急激に気温が下がる場合があるので、お子さんや高齢者の様子には常に注意してください。

依然震度5強、震度6クラスの余震が発生する確率は高く、1週間以内は特に注意が必要です。
でもこれは永遠に続くものではなく、必ず終わりの来るものであり、発生したと言う事は終わりに向かっている事を思ってください。




利・第十節「対立は半分の利」




戦争で大声を上げて突進してくる兵、若しくは喧嘩なら威嚇の言葉が多く勢い良くこちらに向かって来る者は弱い。

抜刀術や合気道の武術は基本的に「受け手」なのだが、攻守の本質は同じ、「受け手」が即時「攻め手」に変じる事から、勢い良く突っ込んでくる者は、その途中を予測して決めてしまう為、進路の変更が難しい。
そして勢い良く突っ込んでくる相手に体を合わせれば、その相手の勢いに拠って相手は倒れる。

血相を変えて走ってくる者に足一本引っ掛ければ、相手はその勢いで地面に叩きつけられ、体を交わして背中を合わせれば、相手の勢いが背負い投げをやらせてくれる。
それゆえ自分の力を他者に使われて自身が倒されない為には、勢い良く突進してはならない。
孫子の言う最初は処女の如くとは、こうした事を言っているのである。

稀代の政治家や軍師は味方の扱いより敵の扱い方が上手く、味方しか遣えない者はやがて敵を増やし、敵を良く遣う者はやがて味方を増やす。
古来より政治、外交の基本中の基本ともいえる策略の要貞、奇しくもこれは民主主義の多数決の原理に同じと言える。

つまり民主主義の原理と政治、外交、軍事の原理は同じだと言う事であり、民主主義の多数決を決戦と言う、勢い良く突進して来る形でしか遣えない者はやがて滅び、受け手に回って相手の力を使う者は後に危機を脱する。

他国から今まさに侵攻を受ける状況に有る国家で、和睦か徹底抗戦かで意見が二つに割れ、多数決で和睦に決したとしようか。
そして以後、徹底抗戦を主張した者を冷遇し、或いは死罪にして粛清した場合、侵攻してくる国が初めから和睦など認めない方針だった場合はどうなるか・・・。

本来なら、「ならば致し方ない」城を枕に討ち死にするまで・・・。
と、一致団結して国家防衛に当たれたものが、半分近くの徹底抗戦派は既に粛清されている。
敵国は侵攻する国の半分を既に倒してしまっている事になるのである。

人間は2人以上になると、絶対互いの思いは一致せず、これは男女の関係でも永遠に続くものではない。
そして2人が3人以上になれば必ず派閥が起き、この派閥が外を知らなければその中で抗争を起こすが、外から10人が連携した団体が出てきた場合、己たちの器の本質を知る事になり、上には必ず上が在る。

会社経営でも組織運営でも、政治でも同じ事だが、同じ組織内で派閥が出来るのは人間の「業」であり、これを避けることは出来ない。
しかしこの組織内で揉めていては他者を利するだけになる。

組織内に存在する派閥間の意思決定は多数決しかないかも知れない。

だがこれから先が多数決の本質なのであり、勢い良く突っ込んでしまうと、万一その多数決で決まった事が上手く行かなかった場合、今度は自身らが追い詰められて行く事になり、この恐怖から失敗すらも認めずに隠して行くと、やがて太平洋戦争時の大本営のような事になる。

昭和と呼ばれた時代、例えば大企業には経営陣の中に労働組合の代表もまた取締役として入っている事が多かった。
政治でも自民党内の派閥で対立する派閥が在れば、自派閥が総理総裁選で勝利しても、対立派閥にも閣僚の席を用意して調整が図られたものだった。

これはどう言うことかと言えば、「敵」を引き込むと言う事だったのだが、こうしておけば万一自分が政策に失敗しても、その後の対策では結束して事に当たれるが、多数決で負けた方を徹底的に粛清してしまっていれば、もはや打つ手はなくなり、民衆や社員に失敗ではないと虚偽を続けなければならなくなり、やがてこうした事から溜まって大きくなった破局が訪れる。

また、対立派閥を残しておく事で少数意見に対して配慮も必要になり、結果としてバランスの良い政治体系が発生して来る。
これを対立する者全てを粛清して行く社会、政治は4000年も続く兵法の大系と、民主主義の根幹を蔑ろにする者と言え、国家を危うくする元凶と言える。

今の日本のあらゆる人間関係は上から下まで「対立」ばかり・・・。
「対立」と言うコミュニケーションも大切な事であるが、これを「受け手」で捉えて力とする者がいない。
力の使い方が平面的で単純、尚且つ誰も先へ行っての目標地点を持っていない。

こうした者が増え、彼らが跋扈する国家の命運は決まっている。
今の日本がそれであり、言葉で表すなら全ての物事の上に「虚」が存在している。

弱い者、老いた者、劣勢な者、或いは敵は邪魔者ではない。
有用な場で使えば、皆が利を生む大切な存在なのであり、これを邪魔者、負担などとだけ考える者は予め半分の利を放棄しているに同じ、しかもいつかの時点で半分を敵にしてしまう事になるのである。

宮本武蔵は敵の持っている武器の数も読む事を勧めているが、敵が持っている武器だからと言って敵しか使えない訳ではない。
それはたまさか敵の手にあるだけで、誰が使うかは決まっていないのであり、これは自身にも同じ事が言える。
たまたま自分が持っていると言うだけの事であり、自分がすべて使えるかどうかは決まっていない。

この延長線上に互いの体が在り、相手の体だから全て相手の為に利するとは決まっておらず、自身の体だからと言って全て自身に利する為に動けるかどうかは解っていない。

全ては相手と自分の総量の内、自分がどれだけを占められるかと言う事であり、何をしてどうなれば完結するのか、その完結が自身と他にどれほどの事になるのか、それが肝要なのである。

人の生きるに、本質的な「利」は存在しない。
生きる為の事は「利」ではなく、しかし生きている事が利の究極でもある。

これに鑑みるなら「利」は死生観に始まりを持ち、糾すとするなら必ず「生」と「死」に行き着き、この「生」と「死」はそれを見ようとする者、考えようとする者程、本質から遠ざかる・・・。





プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

月別アーカイブ