「O futuro」


かつて夢みたものは、それが叶ったのではない。

それらはみな、辿り着いたら崩れ去った・・・。

夢を一つずつ瓦礫にしながら、今もその崩れ去ったものの上に立つ。




あの山の向こうに何が在るのか見たい・・・。

いつもそう思っていた。

蒼天を行く一塊の雲となって山を越えてみたかった。

いつしか語るべき未来より、語ろうとしたがる過去が大きくなっていた。



だが、私は見たい・・・。

この先に何が在るのか、誰が待っているのか・・・。

それが知りたい。

だから、求めるのでは無く、私が行く・・・。







2016 old passion












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「秋に想う・BWV156」


毎年新米を買ってくれる人の中に、どんな値段になろうが、如何なる品質になろうが関係なく、私から米を買ってくれる人がいる。

「おれが生きている間は必ずあんたから米を買う」と言われると、どこかで何かが恐ろしくも有るが、これ以上に有り難い言葉もまた無い。
彼らは皆高齢になってしまったが、いずれも昔父母の同僚だった人たち、或いは父母の幼なじみの人たちだ・・・。

「あんたの親には随分と世話になった、値段も何も関係ない、あんたからしか米は買わない」、そう言って口をキッと結ぶ彼らに、私はいつも心の中で手を合わせている。

もう8年目になるか、父親が半身麻痺になり、母親はこれと自らの病気を苦に自殺し、以後ずっと介護を続けながら来たが、家内も心臓が悪く、何もかもが自分に集中し、時々寝ている父親を眺めながら、この世から全ての人間が消え、自分一人だけなら良いのに、と思う事が有る。

だが、「あんたからしか米は買わない」と言う人たちを思うに付け、父親はこうして体が動かなくても仕事をしているに等しく、しかも私では築けないような強い関係の仕事をして、そのおかげで私は米を買って頂いている。

考えてみれば親が残してくれた最強の財産と言え、家や家財はいつかは壊れるし、土地も困窮すれば人手に渡るかも知れない。
しかし、彼らはどうだ、彼らの命がある限り「絶対」と言える存在なのであり、これ以上心強いものは他にはない。

私は若い頃、もっと大きな事が出来ると思っていた。
もっと美しく大きなものを求めていた。
が、現実には醜い事ばかりになってしまい、気が付けばもうすぐ還暦に近い年齢、既に結果が出たとも言える年代になって、未だにその日その日を何とかするのが精一杯の状態でしかない。

また全て自分の力で生きて来たと思っていた時期も合ったが、こうして考えてみると祖父母、父母が残してくれたものに拠って、影で支えられてきた部分も多かったのではないかと思う。
幾世代に渡って家の名前に財産を蓄えてきてくれたおかげで、私は何とかなってきたのかも知れない。

振り返って、自分が子供たちに財産と言えるような、強固な人との関係を持てたのかを考えると、本当にこれまで何もして来れなかった事に気付く・・・。
薄ら寒い限りである。

「ばあちゃん、米を買ってくれるのは本当に有り難いと思っている」
「だけど、近所にも米を作っている人がおるんやから、そこの付き合いも大事やぞ」

そう言う私に、「そんなことは解っとるが、おれが生きとる間は、あんたからしか米は買わん」と、私を見返す老婆に、米を下ろして軽トラに戻って、暫く頭を上げる事ができない自分がいる。

美しく大きなもの・・・、
くだんの婆ちゃんのような人がいる限り、美しく大きなものが何なのかは解らないが、どこかでそれを信じることが出来る。

自分の生き方が全て間違いと言うわけではなかったと、そう信じる事が出来る・・・。




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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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