2019/02/28
yahooブログサービス終了に関して
西暦2019年2月28日、17時、yahooブログサービスの終了が告知された。
数年前から何となく行き場を失っている感がしていたyahooブログゆえ、サービスの打ち切りはある意味正しい流れのように思える。
せっかく始めた「楽如」シリーズだったが、徐々にサービスが限定されていく環境では、この場での記事投稿継続に意味を見出せないゆえ、「楽如」の執筆もここまでとさせて頂く。
猶、以後はword pressの自社サイトに継続して執筆投稿を行い、yahoo記事も期日までに全て同サイトに移行され、本サイト記事の幾ばくかはドイツ語、フランス語に翻訳され、オンデマンド形式で書籍となっているものも存在するが、希望者は有料にて領布される(ただし、海外からの送付になるので価格は高く、お勧めは出来ない)
ちなみに日本語の書籍はオンデマンドでも書籍化する予定はないものの、地震に関する資料集積は、第二改訂版の予定が有る。
引き続き記事の閲覧を希望される方は、秘匿コメント、或いはゲストブックでご連絡頂ければ、移行するサイトを開示する。
本サイトで紹介しても良いが移行予定サイトは自社サイトでもある為、ある種の宣伝となる可能性があり、yahooブログ規定に抵触する恐れが有る為、公開は辞退させて頂いた。
また、私的に交流を保ちたいと思われる方は、こちらもコメント、ゲストブックで秘匿メールにてご連絡頂ければ、こちらの連絡先を開示するが、この場合希望者自身の連絡先開示を条件とはしない。
世界はむかしからそうだったが、広いようで意外に狭い。
今、私とすれ違った人が、或いはあのアバターの、あの人だったかも知れない・・・。
そう思うと楽しいではないか・・・。
yahooブログの投稿はこれを最後とする。
方々、10年の長きに渡り、記事を読んで頂いた事に深く感謝する。
皆さんに会えた事は今生最高の幸せでした。
有り難うございました。
お元気にてお過ごしください。
やはり最後はこの曲かな・・・・(笑)
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2019/02/28
心・第七節「等価交換」
文章を書く時、私などはよく「人間は」とか、「我々は」、或いは「人類は」と言う冠頭詞を用いるが、これは本来有り得ない。
自分が見ている景色で有る以上、全体の事を考えようが小さな事を考えようが、それは自分の範囲を出ない、全て「私は」なのである。
で、早速「我々は」だが、通常の暮らしに措いて自分が完全に一人だと思えるときは少ない。
親や兄弟がいて妻や夫、子供や会社の同僚、町内会の人、或いは道ですれ違う他人でと言う形であっても、何らかの関連性の中で生きている。
それゆえ自分が一人で有る事を認識する事は少ないが、何かの加減で人から裏切られたりした時、孤独を感じる事になる。基本的にはこの状態を「空」と呼べるが、血は水よりも濃い事は確かであり、その意味ではあらゆる人に裏切られても、最後は親兄弟、親友や恋人などは信じている事になる。
そしてこれが有るから人は人を信じようとする事をやめない。
が、命がかかったときはどうなるか、その時は親兄弟、恋人と言ってもどうなるかは解らない。
人間は基本的には独立した容積であり、裏切られて当たり前、攻撃されて当たり前なのであり、われわれが描いている信や愛、希望の本質は存在しない、「空」なのであり、ここに描かれた「家族」、親や子という関係こそが「虚」の始まりとも言える。
だからこうして始まった社会と言うものは「虚」なのであり、人の世はこうした「虚」のやり取りで成り立っているが、実際に命が懸かった時は自分は絶対裏切らないと平素思っていても、その時体がどう動くかはその場に立たらねば解らない。
一方、他者から施しを受けた時、何某かの心の引け目を感じる事になるが、これも親兄弟から始まって行く事になる。
これに鑑みるなら第三者に対しては猶の事になるが、この根底にも「空」が潜んでる。
自分の意思決定に干渉される事を恐れる、これの狭義が「自由」と言う事になるが、人間はこうして親兄弟から始まる関係を信じながら、真逆の「独立した個体」の状態を保持しようとしていて、この基準が何も力関係の誤差が生じない状態、「空」なのである。
そして関係性を「空」にする為、貰ったものは同等のものを返そうとし、それが物の場合も有れば、「気持ち」の場合もあり、「命がけの心」の時も有る。
こんなやり取りをしているのが「社会」なのであり、この意味では「等価定理」は物理学用語や経済理論以前の、人間の基本と言う事ができる。
この世のあらゆる事は夢のようなものだ、だから釈迦やナザレの男の言う「母はその産道を通っただけ」と言う話は確かにその通りだ。
が、その何も無いところに自分の体を痛めて産んだ子ならばこその執着、これこそが「虚」の始まりなのであり、これを蔑ろにしては「人」は成り立たない。
何も無い所から関係を見つけ、何も無いところに意味を見出し、それを信じる。
これこそが人と社会の営みなのであり、希望なのである。
神や仏になりたいのなら「空」もまた良かろう・・・
しかしその前に現実の肉体を持ち、何らかの社会に拠って生かされているなら、例え醜くても良い、食う事を躊躇うな、好きなものは好きと言い、信じる者は疑うな。
その上で等価交換を初めから期待するな。
自身は何の見返りもなくとも、裏切られても嘆くな。
「空」は「虚」の最後の砦なのであり、だからこそ「空」と「虚」は切り離されて考えてはならないのである。
自分が見ている景色で有る以上、全体の事を考えようが小さな事を考えようが、それは自分の範囲を出ない、全て「私は」なのである。
で、早速「我々は」だが、通常の暮らしに措いて自分が完全に一人だと思えるときは少ない。
親や兄弟がいて妻や夫、子供や会社の同僚、町内会の人、或いは道ですれ違う他人でと言う形であっても、何らかの関連性の中で生きている。
それゆえ自分が一人で有る事を認識する事は少ないが、何かの加減で人から裏切られたりした時、孤独を感じる事になる。基本的にはこの状態を「空」と呼べるが、血は水よりも濃い事は確かであり、その意味ではあらゆる人に裏切られても、最後は親兄弟、親友や恋人などは信じている事になる。
そしてこれが有るから人は人を信じようとする事をやめない。
が、命がかかったときはどうなるか、その時は親兄弟、恋人と言ってもどうなるかは解らない。
人間は基本的には独立した容積であり、裏切られて当たり前、攻撃されて当たり前なのであり、われわれが描いている信や愛、希望の本質は存在しない、「空」なのであり、ここに描かれた「家族」、親や子という関係こそが「虚」の始まりとも言える。
だからこうして始まった社会と言うものは「虚」なのであり、人の世はこうした「虚」のやり取りで成り立っているが、実際に命が懸かった時は自分は絶対裏切らないと平素思っていても、その時体がどう動くかはその場に立たらねば解らない。
一方、他者から施しを受けた時、何某かの心の引け目を感じる事になるが、これも親兄弟から始まって行く事になる。
これに鑑みるなら第三者に対しては猶の事になるが、この根底にも「空」が潜んでる。
自分の意思決定に干渉される事を恐れる、これの狭義が「自由」と言う事になるが、人間はこうして親兄弟から始まる関係を信じながら、真逆の「独立した個体」の状態を保持しようとしていて、この基準が何も力関係の誤差が生じない状態、「空」なのである。
そして関係性を「空」にする為、貰ったものは同等のものを返そうとし、それが物の場合も有れば、「気持ち」の場合もあり、「命がけの心」の時も有る。
こんなやり取りをしているのが「社会」なのであり、この意味では「等価定理」は物理学用語や経済理論以前の、人間の基本と言う事ができる。
この世のあらゆる事は夢のようなものだ、だから釈迦やナザレの男の言う「母はその産道を通っただけ」と言う話は確かにその通りだ。
が、その何も無いところに自分の体を痛めて産んだ子ならばこその執着、これこそが「虚」の始まりなのであり、これを蔑ろにしては「人」は成り立たない。
何も無い所から関係を見つけ、何も無いところに意味を見出し、それを信じる。
これこそが人と社会の営みなのであり、希望なのである。
神や仏になりたいのなら「空」もまた良かろう・・・
しかしその前に現実の肉体を持ち、何らかの社会に拠って生かされているなら、例え醜くても良い、食う事を躊躇うな、好きなものは好きと言い、信じる者は疑うな。
その上で等価交換を初めから期待するな。
自身は何の見返りもなくとも、裏切られても嘆くな。
「空」は「虚」の最後の砦なのであり、だからこそ「空」と「虚」は切り離されて考えてはならないのである。
2019/02/21
「心」第六節「空と虚」
前節でも少し出てきたがインド古典哲学に措ける「アーカーシャ」の意味は「虚空」であり、ここから真実や実を求めるなら「アーカーシャ」は分離して行く。
人の生きるに意味は無く、この世界の実態は何も無い。
それゆえ「空」の概念とは「ただの穴」、そこには何も無い事を意味し、確かにこれは真実と言える。
しかし現実はどうかと言えば、その何もない「空」にはあらゆるものが見えている訳であり、目の前にいる人は泣きもすれば笑いもし、手を触れればぬくもりがある。
「虚」の始まりは残骸などが地面から突き出ている様子を形にしたものとも言われているが、その一方でこれから始まる何か、姿形のはっきりしないものを指すとも言われている。
これから先変化するか、変化し終えたものと言う事になるが、為に本質ではない何かは真実とはなり難い。
2019/02/20
心・第五節「akashic records」
「akashic records」は「アカシック・レコード」と発音するが、名称こそサンスクリット語の「アーカーシャ」が入っているものの、この概念の発生は近代の後半、19世紀頃の事であり、簡単に言えばこの宇宙にはその発生から終わりまでの全てが記録された「意識の場」が在り、いわば全ての運命が漂っている所が存在すると言う概念である。
これは東洋哲学に措ける「一にして全」「色即是空」とほぼ同じ考え方とも言えるが、西欧ではこれを理論的に組み立てた考え方が発生し、あらゆる人間の意識はここに繋がっていて、その個々の人間の意識がまたこのアカシックレコードを形成すると考えられた。
基本的に「禅」の思想に同じであり、この事からアカシックレコードの概念もまた、その基本はインド哲学を取り入れたものだと言えるかも知れないが、理論的に細部まで組み立てられた為、現在では占星術、占い、神秘主義、精神論、宇宙論にまで入り込んでいる概念になっているが、これがアカシックレコードと言う名称の概念である事を自覚する者は少ない。
因果律、運命論に関して、東洋では「心」と「体」は切り離せないものとして考えられたが、一方でこうして理論化が進んでしまった欧米では意識と体を切り離して考える傾向が始まってきた。
その結晶とも言えるのが「エドガー・ケーシー」「フロイト」や「ユング」などが提唱した「自覚できない自我」「無意識下の意識」であり、この考え方には完全否定できない部分も存在する。
人間の体は容積や体積を持っていて、時間経過と共に劣化する。
しかし「脳」が形成する意識は容積や体積が初めから存在せず、この意味では人間の構造は有限物質の中に、無限に近い意識が存在する量子力学的な側面が在る。
イギリスの数学者「ロジャー・ペンローズ」や「スチュワート・ハメロフ」などは意識はニューロンを最小単位で発生するのではなく、もっと漠然とした発生の仕方をしていると言う「orch OR理論」を展開し、これに対して科学界は認めていないものの、否定も出来ていない。
我々が「個」と概念する、その「個」とはやはり何かの集積や「場」で在るとするなら、この2人の説は否定できない。
電気信号が絶対最小単位で出来ている事を世界は立証できないからだ。
その上で例えば大豆の一粒々々は物理的に分離しているが、これが集まると「場」を形成し、器物に入れてこれを下に落せば、ある種の流体を形成し、こうした現象は他の物質や有機体でも同じ現象が発生する。
人間の体は細胞で出来でいるが、この細胞がただの集まりで納まっていなからこそ、「人間」なのである。
集積すれば変質する現象は物理学の基礎的な原則でもあり、個人々々の意識単位が集まれば、元の意識単位とは違った特性を示すようになり、こうしたものが更に多く集まれば、その最小単位が持っていた小さな特性ではない、大きな特性の変移が始まることは原則とも言える。
また「心」と「体」を一つと考える「禅」の思想だが、冒頭で出てきたサンスクリット語の「アーカーシャ」は、ある種の「空間」を意味するが、これの元は「虚」と「空」が同一視されていた形跡が在り、後に仏教用語でも「アーカーシャ」は「空間」を意味するようになったものの、仏教のそれはあらゆるものが通り過ぎた「空」であり、この「空」は「シャーニャ」と呼ばれ、「アーカーシャ」が持つ「虚」と同一ではない。
「空」には何も存在しないが、「虚」にはそれに見える存在が有るからである。
従って「虚」は空っぽな事を意味してはいないと言う事なのである。
おかしなものだが、心と体を一つと考える仏教でも最後になれば一つが分離して考えられて行くのであり、元々インドでは一つだったものが「アカシック・レコード」で「心」と「体」が分離して行った経緯と同じ道を辿っている感じがする。
これは何故か、「禅」の思想が仏教発生よりも後で有る事、つまりは仏教よりは理論重視になっていると言う事かも知れない。
そして「アカシック・レコード」はおそらく存在しない。
量子力学的な考え方からすると、その漠然性、曖昧な部分が包括されて、初めて全体の姿を知ることが出来る。
これを理論的に分離して考えると、小さな事は見えても本質は見えないかも知れない。
心を細かく割って行っても最後には何も残らない。
あらゆるものが雑多に含まれて、これらは一つ々々は別のものだが、それらが集まった状態を最小単位とするしかない。
「アカシック・レコード」の「アーカーシャ」、古代インドの哲人達はそれゆえ「心」と「体」を分離しなかったのではないか、「空」と「虚」を分離しなかったのではないか・・・。
2019/02/18
「憧れのウェブライター」・2
「そして女を社員やパートにしておくと、アフェリエイトの報酬は会社に入ってくる」
「その半分を天引きして残りを支払う形だが、これだと大した報酬にはならない」
「しかし女たちは人が集まって、いくらかの金になる現実に出会えば、頑張れば何とかなるかも知れないと思うようになる」
「自分には才能があると思わせる訳だ」
「が、実はこれが限度だ、一定数のファンを集めると、それ以降は付き合いが大変になり、やがて対応しきれなくなり、これまでファンだった者が少しずつ敵に回るようになる」
「やっかみや僻み(ひがみ)も出てくるからな」
「そしたら、どうするんですか」
「決まっているだろう、新しい女を採用してまた同じ事を繰り返すんだ」
「何か、昔の生命保険の営業みたいですね」
「新人ともてはやされ、親戚縁者や友人を勧誘させて、その人脈が切れたら自然にいられなくなるみたいな・・・」
「まっ、そう言う事だな」
「インターネットの発展は、ある意味そうした営業から需要と供給と言う純粋な営業への憧れだったが、最後に行けば同じにしかならない」
「パンフレットがインターネットになっただけで、それを使っているのは人間だからな、結局何も変わらないのさ」
「でも、それだったらシニアと言う手も有るんじゃないですか」
「山田、お前は年寄りと言う者を知らんな」
「確かに団塊の世代やその少し下の年代は活字で育っているから、文章能力は高い人間が多い」
「だから厄介なんだ、俺達が相手をしなければならない相手は一般のチャラくて馬鹿な女と男だ」
「ここに思想重視の高尚な文章では、それは1000人に一人は反応するかも知れんが、一般的には面倒なだけだ」
「高齢者の方が金は持ってんじゃないですか?」
「高齢者は金は有っても使わない」
「あらゆるものが終わっているからな、山田、うちでも下着のアフェリエイトをやっているよな」
「はい、3社ほどやっています」
「買うのは誰だ、60過ぎのオバはんか?」
「いえ、やはり40歳以下が多いと思います」
「可愛い下着や派手な下着が必要なのは、これから男を手に入れなければならない年代、その手に入れたものを手放したくないと思って頑張れる年代までだ」
「60過ぎて必要なのは尿漏れパットパンツなんだよ」
「金が有る事イコール消費ではなくて、問題は必要か否かと言う事だ、ここを間違えるな」
「それに高齢者の連携は規模が小さくて不安定だ」
「会社に所属していた時は大きな人脈でも、それは数ヶ月後には全く無くなる」
「老いの先は短くて、常に焦りが有るから他者との協調は長くは続かない」
「こんなやつらにアフェリエイトをやらせたら、俺達が破滅なんだよ」
「しかし、何か恐ろしい世の中ですよね」
「会社の事なんか全く知らない、編集長も僕も見たことすらないのに、社員やパートになりたいって言ってきて、僕らも会った事もない女で業績を上げる訳ですから・・・」
「第一、年齢だって本当かどうか解らないし、場合に拠っては男のなりすましだって有るかも知れない」
「そんなのはどうでも良いんだよ」
「結局世の中がそうだと認めれば、本当にそうかどうかなんか俺達には関係が無い」
「逆に世の中が認めなければ本当の女だったとしても偽者より価値は無いと言う事だ」
「これでもまだ成功の秘訣とか言って、数十万のセミナーを売らないだけでも、うちは善良だと思うがな」
「おい、またエントリーシートが届いたぞ」
「今度はどうだ」
「女、40歳独身です」
「ほい、採用」
「山田、今夜は焼肉でも行くか」
「そうっすね、何か笑いが止まらない感じっすね」
「馬鹿やろう、言葉に気をつけろ、わが社は社員、パートの皆さんと共に発展していく会社なんだぞ、クスッ・・・」
この話はフィクションであり、登場人物、その他あらゆる名称、また話の内容に付いても現実には有り得ない事でして、この点をご了承ください。(クスッ)
2019/02/18
「憧れのウェブライター」・1
「編集長、すみません、何か解らないんですが、求人のエントリーシートが届きました」
「おっそうか、で男か女か?」
「女です」
「年齢(とし)はいくつだ」
「27歳、シングルマザーらしいです」
「そうか、じゃ採用の通知を送っとけ」
「え~、それだけで採用ですか、てか、そもそもうちの会社求人出してましたっけ」
「あ~、ずっと前から出してある」
「うち、そんなに仕事がありましたっけ?」
「馬鹿だなお前は、無いから求人出してあるんじゃないか」
「あっ、またエントリーシートのメイルが届きました」
「歳は?」
「42歳やはりシングルマザーですね」
「はい、採用」
「編集長、そんなんで採用していいんですか、やばい女だったらどうするんですか」
「まあ、そこそこ若い女なら何でも良いんだよ」
「で、一体何人採用するんですか」
「45歳以下、女は全て採用」
「そんな・・・」
「まあいい、俺はメシ行ってくるから、お前は今言った基準で全て採用通知をメイルしておけ、頼むぞ」
そう言って出て行った編集長を見送った山田君、若干の不安から会社が出していると言う求人を確認してみた。
[ウエブライター募集中]
[出社不要、自宅でブログを書いて企業の広告をするだけの仕事です。
1件当たりの報酬は3000円から10000円、月収30万円も夢ではありません。
文章に自信の無い方も歓迎、シニア応援、男女問わず活躍しています]
確かにうちは企業の広告が一括して集まっている広告プロバイダーから広告を引き受けてアフェリエイトを貼り付け、その成功報酬で利益を得ているが、こんなに多くの人間を一挙に採用してやっていけるのか、そもそもうちの会社の業績は余り良くない・・・。
やがて食事を終えた編集長が帰ってきた。
「山田、その後どうだ・・・」
「いえ、今のところ2件しか応募はありません」
「しかし、さっき求人広告を見ましたが、あれだと男性やシニアの応募も届きそうなものですが、それはないんですね」
「山田、それに気付いたところは見事だが、実は仕掛けがある」
「えっ、どんな仕掛けですか」
「エントリーシートに50歳以上とか、男とか打ち込めば、何回やってもエラーが出るようにしてあんだ、どうやら上手く機能しているらしいな」
「でも広告では男女問わず、シニア歓迎でしたよ」
「そうしておかなければ、女だけ募集じゃ男女雇用機会均等法に引っかかるし、そもそも怪しくなる」
「ここは一般的な法を守る会社だと言う見せ掛けは必要だ」
「でもそんな事をしてばれたら大変じゃないですか」
「いいんだよ、どうせ家にいて何か金にならないかを探している連中だ、誰も確かめになんか来ないよ」
「でも、何故シングルマザーが無条件採用なんですか」
「自分の女にでもするつもりとか・・・」
「山田、だからお前は業績が伸びないんじゃないか、女は道具、消耗品なんだよ」
「いいか、アフェリエイトで稼ぐ時は人を呼ばねば話にならん」
「その意味では女が開いているサイトには人が集まり易い」
「だが、頭の弱い女子高生だとそれ以後の男の関係とかでどうなるか解らない、暴走されても困るしな」
「ところがシングルマザーは一度男には懲りている、比較的安定していて、しかも子供の為だったら結構必死にやるんだ」
「そして世の女達はこうした姿に共感し、男もまた応援したいとか言って、スケベ心からどんどん集まってくる。
「うちは一応コスメとか健康食品の広告が主だが、実はこうして女のところに集まってくる男に拠ってアフェリエイト効果が出ているんだ」
「憧れのウェブライター」・2に続く・・・・。
2019/02/12
「心」第四節「情報統合の詭弱性」
神農は後世「三皇五帝」の「炎帝」と同一視されているが、これは原初ローカルだった神農神話が後に炎帝神話に取り込まれたものと考えられ、その後「炎帝」が行った治世と言うものは、「周易」の「卦」や「益」から引用されている可能性が高く、こうした経緯で「神農」は時代ごとに進化を遂げてきたとも言える。
が、しかしその基本である薬と毒を見分けると言う行為は、自身の体を犠牲にしてそれが確かめられた事に価値が有り、それゆえ「神」とされた事を重く考えねばならない。
生きて行く事は「命がけ」で有る事、現実の事象から有益なものを探す事は、「命がけ」であるからこそ大きいと言う事を忘れてはならない。
現在世界的な傾向に有る通貨のペーパーレス化だが、通貨を市場に供給する為の費用、ペーパーレスに拠って情報を管理保護する費用を比較するなら、その経費は通貨現物印刷よりペーパーレス管理費用の方が5倍以上の経費を必要とする。
これは情報保護範囲の拡大に関係していて、通貨管理だけなら現物の1点だが、ペーパーレス管理では個人の情報と言う分野まで管理範囲が広がる為であり、尚且つこうした部分が民間に移行して行く事は何を意味するかと言えば、それまで中央銀行や政府が税から負担していた通貨管理費用が民間に流出すると言う事である。
それまで政府が負担していたものを、今度は消費者と言う大衆が負担しなければならなくなる事を意味し、しかもその経費は従来の5倍以上であり、これを消費者が製品購入時に負担して行く形になる訳である。
尚且つこうした通貨のペーパーレスは消費者の動向が既に情報となり、この情報はより大きな者に集まって行く。
ここから資本の市場独占が生じ、現実にもアマゾンやアリババと言った消費を集めた組織が情報も集め、更に拡大していく形が発生し始めている。
おしなべて企業は情報管理には万全をきすると言うが、これまでのどれだけの個人情報流出事件が発生していた事か、その現実は言葉とは全く対比するものとしか言いようが無く、もっと恐ろしいのが冒頭の「神農」の側面である。
人間の視覚は常に見たいものだけを見てはいない。
聴覚は常に聞きたいものだけを聴くことが出来ない。
車の騒音が有り、工事の音が有り、その他多くの人間が周囲で会話している中から、自分は相手の話を聞いているのであり、多くの景色が有るからこそ、自分の好きな景色と言う状況が出てくる。
紙幣ペーパーレスはこうした部分で情報が最適化する事を目指すものであり、ここでは最終的には必要の無い情報は提供されず、無駄は少なくなる。
しかし、これは人間が持つ「比較」と言う二次本能、選択と言う自己決定、自己責任の放棄に繋がって行く。
砂漠に1つだけ赤い花があれば目立つが、一面赤い花だらけで、それが延々続けばどうなるか、毎日夢のよう景色が続けばどうなるか、最後は廃人のようになって無感動、無関心、孤立化し、結果として長期的には消費は減少する。
最大効率を目指すことは大切だが、人の心まで最大効率を目指すと心は壊れる。
また我々は経済を活性化する為に生きているのではなく、生きる為に生きているのであり、道具に支配されているようでは、その行き着く先は見えている。
紙幣のペーパーレス自体は悪い事ではない、しかしこれには必ず情報と言うものが大きく関与する。
この分離方法を考えないと、人類はおそらく無気力になり出生率低下、景気低迷に拍車をかける事になるだろう。
2019/02/02
「心」第三節「仁と心」
我々は一般的に「心」と言うと、その善良なる部分、美しい部分を考えがちだが、人として恐れなければ為らない事態を思うなら「心が死んだ」事を指して危機と思わねばならず、鑑みるなら心が死ねば生きる意欲すらも失われる事になる。
心は必ずしも善良なるもののみで出来ていはいない。
むしろ善悪が入り乱れた状態を「心」と言い、ではここで善悪を計っているものは何かと言えば、社会である。
「仁」の章に出てきたかと思うが、「仁」の始まりは医学用語とされている部分が在り、この時の「仁」は痛みを感じることが出来る事を指していた。
してその痛みとは何か、傷付いた事で有り、病に冒された事で有り、解りやすく言えば本来の機能が果たせない、或いはそれ以前の通常より劣化した状態を言い、これを「痛い」と感じる事を指している。
ここからが大切なところだが、「仁」は「痛みを感じる事が出来る」は曲解されやすいが、必ずしも痛みを感じる元凶、病や傷を否定していない事であり、基本的には痛みを痛いと正確に感じる事を指しているのである。
つまり「仁」に措ける深遠なる部分は現状の否定ではないのであり、それが以前と何が違うかを理解する事を指すのであり、言わば「通常どうあるか」と言う基準が無ければ「通常」と何が差異となるかは解らず、この通常を司るものは「社会」である。
「仁」は社会が持つ定規であり、我々は感情と言うものを考える時も、どこかでこれを社会と分離して何か本能的、精神的なものとしがちだが、例えば5人いて皆には饅頭が3個与えられ、自分が1個しか与えられなかった時感じる怒りは、予め人は平等で有る事が普通、人間の力は皆が同じと初めから決められている為に発生する。
だが人の世は理不尽で不平等なもの、また力こそが正義だと思っていれば饅頭の数くらいで怒る事すらも無い。
「喜怒哀楽」の感情は全てこの人の世が持つ「通常」や「概念」を基準に発生し、「仁」の持つ痛みとはその社会が当代に持つ定規、この内自身が何を悪と考え、何を善と考えたかの分岐点で、悪、若しくは自分が正しいと思う反対側に傾いた時に感じる「痛み」、「心の痛み」を仁と言うのである。
尚且つ「仁」に措ける痛みの程度は指定されていない。
その痛みを強く感じるか、弱く感じるかまでもは定められず、痛みの程度は個人に付託され、為に悪の最下層から善の善なる者にまで、全てに及んで「仁」は存在する。
そして「仁」を多くの人に理解させるなら、そこには言葉や結果と言う形が必要になるが、これの本来は無意味である。
「仁」は人に示すものではなく、自分の痛みであり、同様の曲解は「心」に措いても発生する。
すなわち「形」に「心」を見てはいけない。
力を持って脅せば人は言う事を聞く、金を渡せば何だってやってくれる、美形が甘い言葉を囁けば鼻の下は長くもなろう。
しかしだからと言って「心」がそうだとは限らない。
武力をして脅されれば言う事は聞いても、そのいつかは恨みを晴らされる時がやってくる。
金にものを言わせれば誰もが笑顔でやってくるが、本当は誰からも慕われていないかも知れない。
異性の色香も然り、「慣れ」や「老い」に拠って簡単に失われる。
結果や行動、言葉は「心」ではない。
それを言うなら「感情」であり、この感情が状況や事象をどう判断するのか、何を思ったかと言う事をして「心」と言え、状況に対処した言葉や行動はこれに一致しない。そしてこうした「心」を作っているものもまた「社会」と言う関係になる。
三国志で諸葛孔明が敵を7度捕らえて7度解放し、屈服させる話が出てくるが、これより以前の孫子では敵に勝つ方策、負けない事しか出てこない。
だが孫子の少し後、「斉」に仕えた「晏嬰」(あんえい)と言う者が桃を使って2人の武将に羞恥心を気付かせ、殺し合いをさせる逸話が出てくる。
この流れを見るなら、「神」「武」「人」と言う時代の流れが見えてくるのであり、社会がどう移り変わって行ったのかを漠然と感じる事が出来るのかも知れない。
「仁」も「心」も決して滅び去る事は無い。
人がいて、この世の在る限り決してなくならない。
だが、人がここから善の善なる者のみを見続けようとするなら、いつのどの時代でも「仁」も「心」も失われたと思うだろう。
痛みの程度は個人に付託されている。
悪の最下層から善の善なる者まであまねく「仁」は存在し、この「仁」の体となるのが「心」なのではないか、そう思うのである。
プロフィール
Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。
[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」
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