「鳶(とび)の泣く朝」

一般的に「鳥がなく」と言う言語の漢字表記は「鳴く」だが、我々が「うたう」と発音した時、「歌う」と「謳う」も同じ発音をしながら、意味は違える。

鳥もまた「鳴く」時と「泣く」場面が存在し、これの違いは「鳴く」が意思伝達や対象範囲を持っているのに対し、「泣く」は対象範囲が定められていない、若しくは意思伝達ではなく、固体の感情そのものである点にある。

 

そして人間は「鳥が鳴く」に関しては多くの理解を持っているが、「泣く」場面に関しての造詣は意外と浅い。

今夜は「鳥が泣く」時に関して、私が祖母から聞いた話を記しておこうか・・・。

 

2019年6月29日、午前7時12分から8時10分くらいまで、天気は雨で勿論空には鳶(とび)など飛んではいない状況で、山の中から繰り返し鳶の「ピーヒョロロロロ」と言う鳴き声が聞こえてきた。

 

しかもその声は若干上ずっていて、ずっと鳴き続けたままだったので、これは「鳴いている」のではなく「泣いている」に違いないとすぐに気付いた。

 

あれは私が小学4年生の、やはり同じような梅雨の時期だった・・・。

その日の朝、向かいの山で鳶がずっと泣き続け、空には姿が見えない。

いつもの鳶の鳴き声ではないと思った私は、炭焼きで家には両親がいなかったので、祖母を呼んできて、なぜこんな日に鳶が鳴いているのかを尋ねたものだった。

その鳶の「泣き声」は明確に「鳴き声」ではなかった。

 

「おお・・・、鳶が死ぬんや・・・」

「大荒れになるぞ・・・・」

祖母は鳶の泣き声を聞きながら、空を見上げ、明日の朝までには家に戻るよう、両親がいる炭焼き山まで伝えに行って来い、そう言ったのだった。

 

「鳶(とんび)が死ぬのか・・・」

「ああ、オレが小さい時にお爺じがそう言うとった」

不安そうに尋ねる私を振り返る事もなく、相変わらず厳しい顔で空を見上げる祖母は、天気が荒れるから早く両親に伝えに行くよう私に言うと、一度山に向かって手を合わせた。

 

両親が炭焼きをしている山までは家から3kmほどだったが、小雨の中、あの大きな鳶が死を目前に泣き続ける姿を思うと、なぜか涙が止まらず、山道を急いだものだった。

 

それから数時間後、山からは鳶の泣き声が聞こえなくなり、雨はどんどん激しくなって、翌日には下流の地域で冠水した地域が出てきて、家の近くの崖でも山が崩れ、道路が塞がれるところが出てきたのだった。

 

あの時と同じ泣き声だ、間違いない・・・。

「鳶よ、死んで行くか・・・」

私は昔祖母がそうしたように、山に向かって手を合わせ、「生きるは大変な事だっただろう、ご苦労だった・・・」

そう心の中で呟いて、田の水口(水が入るところ)を塞ぎ、水戸(水を排するところを)を開けようと軽トラに乗り込んだが、水管理を終えて家に帰り着く少し前には、あれだけ必死に泣いていた鳶の声はもう聞こえなくなっていた。

 

明けて6月30日、未明からの激しい雨は明るくなる頃には川を茶褐色の濁流に変え、

大雨洪水警報と避難勧告が出た。

だが、近くの避難所は私の家より下流に有り、その場所は冠水し易い。

 

様子を見に行ったら、避難所近くは既に川の水が護岸コンクリートの最上部まで来ていて、近くの住民達が遠くから「どうにもならない」と眺めていた。

 

幸いにもそれから数時間後には雨が上がり、今度は風が強くなってきたものの、下流の冠水の危険性が有った地域の水も引き始め、大雨洪水警報と避難勧告は解除された。

 

おかしなものだなと思う。

朝方、必死で鳴く鳶の声が、彼が死ぬ時だと誰も確かめた者はいなかっただろう、ましてやそれ以後天気が荒れるなど、本来は何の因果もないかも知れない。

 

私にしても今回を含めても2回しか経験がない事だが、これ以後、やはり朝方鳶が必死で泣く声を聞いたら、その鳶は死ぬものと信じて疑わないだろうし、きっと荒れた天気に備えるだろうと思う。

 

たまさか子供はもう成人しているから近くにはいないが、もし子供が幼くて、遠き過去の私と同じように尋ねたとしたら、祖母から聞いた話として、私も彼に同じ話をしたに違いない・・・。

 

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「嵐が来る、力が集まらない」

ワルシャワ条約機構軍、旧ソビエト軍の中で最先端の軍事兵器開発、極秘実験を行う施設を多く擁していたのがレニングラード軍管区だが、この中で1958年から1983年頃まで、正式名称は残されていないが「共産党通信技術局レニングラード通信所」と言う組織が存在した。

 

その詳細はソビエト連邦の崩壊と共に、ロシア軍に受け継がれたとされているが、レニングラード通信局は別にも存在する事から、この機関は非公開機関だったと言う事になる。

主に超能力の軍事転用研究がなされていた経緯があり、1948年までは2室を使うだけの小さな機関だったが、1955年には中規模の建設施設を丸ごと使用する機関になっていた。

 

ここでの研究者はソビエト科学アカデミーには所属できず、科学アカデミーから引き抜かれる時は、同アカデミー会員資格の返上を求められた。

この背景はソビエト科学アカデミーの建前上の独立を担保する為だったと言われているが、こうした建前上の形式は以後も随所に現れてくる。

つまり情報戦略を併設していたと言う事である。

 

そしてここで看板娘を務めたのが「ninerl sergyevna kuragina(二ネル・セルゲイエフナ・クラギナ)(1926~1990)と言う女性で、彼女は念動力、透視力の分野で数々の実験結果を残し、これに拠って旧ソビエト連邦の超能力研究は世界的に最先端とされて行った。

 

特に透視実験の成功率、遠隔操作実験の成功率は100%と言われ、隔絶した空間から離れた所に有る物質の移動では、中央から端まで1m以上距離のあるテーブルの上に措かれた金属板が、滑るように落ちて行ったと言われている。

 

また同様に有機体の制御実験も行われ、ここではカエルとネズミの心臓をクラギナが離れた場所から停止させる実験が行われたが、カエルはこれで心臓が停止して死に、ネズミは苦しそうになったものの、死には至らなかった。

 

だがこうした実験を知って慌てたのは北大西洋条約機構加盟各国、アメリカ合衆国だった。

放って置けばいつかソビエトの超能力者に拠って合衆国大統領の心臓がとめられかねない。

遅ればせながら1970年にはアメリカで「スターゲイト・プロジェクト」が発足する事になり、ここでは心理戦略も併設される。

 

この背景はソビエトが情報戦略を併設していた事と無関係ではなく、超能力本体の研究と、「それをどう使うか」と言う研究が為されていたと言う事である。

簡単に言えば「虚」と「実」を効率的に使う研究もされていたと言う事である。

 

実際にはソビエトの超能力研究は軍事転用する程には至っていなかった。

しかしカエルを殺す実験をすれば、他国は必要以上に恐れる事になるが、生きているカエルの心臓を止めたように見せるくらいの事は、映像操作でどうとでもなる、或いは映像操作だったかも知れない。

それゆえ政府や軍とは一定の距離を持った組織の担保が必要となる訳で、この役割をソビエト科学アカデミーが負っていた。

 

共産党通信技術局員と科学アカデミー会員は分離されている事で、実験には科学アカデミー会員科学者が立ち会って確認する方法が採られるが、現実には大きく軍や政府の圧力が加わっている可能性も否定できなかった。

 

どこからどこまでが「虚」で、どこからが「実」が曖昧になり、本来は小さなものが大きく見え、現実は大きなものが小さく見えてしまう事になる。

超能力の実験と効果の研究とはこうした意味だったのである。

 

ソビエトは社会主義を標榜していた事から、ここでは先進的合理主義が国家思想の担保になる。

核開発など最先端科学技術には科学アカデミーが積極的に参加し、超能力開発には表立って参加できなかった。

超能力研究に手を出せば合理的思想や科学との矛盾が発生するからである。

 

科学アカデミーは超能力を否定する事で、現実には進展していない超能力研究が大きく見える効果を演出し、同様の原理でクラギナはソビエト機関紙プラウダでウラジミール・リボフからも「詐欺」だと告発される。

 

ここでも機関紙プラウダは政府から独立している事を表現しながら、その多くはモスクワの指示通りに記事を書いている事は、国内外の全てが知るところであり、では事の真偽はどうなるかと言えば、偽か本物かが益々解らなくなるのであり、モスクワは否定する事で世界を疑心暗鬼に巻き込んだのである。

 

ソビエトの外交政策が1960年前後から巧妙になって行く背景には、こうした超能力研究の付加価値を学習する事に拠って得られた背景も持っていて、こうしたやり方はそれから以降ソビエトの常套手段になって行く訳である。

 

ちなみにクラギナの談話に拠れば、彼女の特殊能力は母親から譲り受けたものであると話していて、クラギナが実験施設に収容されたのは30代後半と見られているが、その時の母親の生死はどこにも記録が残っておらず、以降も母親に関しては一切の詳細が消えている。

 

またクラギナが超能力を使う時には、30分から数時間の精神統一、或いは瞑想の時間を必要としたが、この時低気圧の接近があったり、暴風や大雨が有ると、「力が集まらない・・・」と苦慮していたと言われている。

 

クラギナはその特殊能力と国家的付加価値ゆえに国内外から誹謗中傷を受け、ことにアメリカは自国以上に進展している科学分野の研究にはデリケートだった事から、アメリカ国内の科学偏重主義化学者等からひどい攻撃も受けていた。

 

ソビエト成立に寄与した科学者とクラギナが不倫関係に有って、それでデータが改ざんされて成立している超能力と糾弾したのは、アメリカの「マーティン・ガードナー」だった。

後に名誉は復活されたが、クラギナは自身が持つ特殊能力の為に、穏やかで平穏な暮らしをする事も適わず、63歳の一生を終える。

 

晩年、ソビエトが崩壊し、病の為に開放されたクラギナを訪ねた科学者に拠ると、彼女は既に言葉は話せなかったが、科学者の方を見て、かすかに微笑んでいたとされている。

 

1960年から1980年の間、核兵器に匹敵するほどの兵器と同等の効力を示したninerl sergyevna kuragina」、一人の女性で有っても世界を動かしたり、これを震撼させる時がある事を、私は絶対忘れない。

 

そして「虚」と「実」を操るは、外交に措いて最上級の手法であり、これが日常的に使われていた世界と、今の世界を比してみれば、何ともその薄さが寂しい。

 

もし生きている間にもう一度サンクトペテルブルグを旅することが有ったら、彼女の墓に一輪の花を供え、その苦難を慰め、ソビエトとアメリカと言う2大国を10年に渡って右往左往させた在り様を称えたいものだ・・・。

 

「迷信の重み」




残念ながら如何にも薄い研究発表の印象が拭い去れない。

大学と言う一種社会と隔絶された機関内で、生活維持の努力数値が低い者達の組織研究とは、こうもチャチなものかと落胆する。

 

2019年6月26日、東海大学と静岡県立大学の合同研究チームに拠って、平成23年までに発生した336の地震に付いて、記録文献や新聞記事から深海魚と大地震の関係を調査したが、結果は適合すると判断された事例は1件にとどまり、地震の前には深海魚が出てくると言う言い伝えは「迷信」であると断定した。

 

これは深海魚が現れて1ヶ月以内に、半径100kmの範囲でM6以上の地震が発生したか否か、と言う研究だが、その問題点は調査がすべて残された文書資料のみであること、現地取材や、例えば過去の古い文献に残された資料が予め無視されている点、さらには期限設定が伝承期限の内半分を無視している。

 

元々深海魚と大地震の関係はグレーか白に近いグレーであり、この点では一種の注意喚起作用と考えた方が良い伝承だった。

この伝承の地震発生までの期限は5日から1年以内を中心とする、言い換えれば基本が幅を持った数値と言える。

 

30日以内と言うのは平均数値の40%弱くらいしかカバーしていない範囲での判断であり、例えば東日本大地震前の日本海では2年間に渡って深海魚が打ち上げられ続け、これ以降も日本は1年に1回以上M6以上の地震に被災し、深海魚はこの期間ずっと各地で打ち上げられ続けている。

 

深海魚と大地震の因果関係伝承は、本来が30日以内とか半径100km以内とか言う、局所、直近関係現象ではなく、期限は5日から数年、範囲は力学的に日本海側か太平洋側か半々の確率関係と言うものであり、深海魚が打ち上げられた地点だけではなく、そろそろ地盤に力が加わってきたから注意しろよ・・・、と言う事なのである。

 

これを30日以内、100km以内、336の地震、文書資料調査では、琵琶湖の真ん中に10㎡を限定し、この範囲を調べて琵琶湖の生物の全てを断定したようなものにしかならない。

 

元々深海魚と大地震の因果関係伝承は30日以内とか、100kmとか言う範囲の伝承ではないのであり、これを勝手に限定して資料調査だけでは、予め否定と言う結果が存在し、それに向けて条件や資料が集められたにも等しい。

 

この世界の事象は単独で存在することは出来ない。

それゆえあらゆるものが関係して一つの事象が現れ、その事象が他にも無関係ではいられないものなのであり、非線形常微分方程式や位相幾何学がなぜ必要かと言うと、地球や宇宙は有理数では現せず、常に変化して行く中で見て行かねばならないからだ。

 

つまり数値で断定する事が困難なものだと言う事なのであり、こうした基本的な畏れを持たない考え方はとても範囲が狭く、小学生が作った壁新聞の方がまだ見るべきものが存在するかも知れない。

 

大学と言う研究機関は権威に頼り過ぎているのではないか・・・。

学問の権威とは自身を偉く考えることではなく、あらゆる可能性を畏れ、それを深く追求する姿に拠ってしか保たれない。

 

1000年間、あらゆる地域であらゆる人が「もしかしたらそうではないか・・・」と考え続けた事を、わずか数年か数ヶ月で、数十人が調べて「迷信です」と断定する事の傲慢さを今一度省みる事をお勧めする。

 

深海魚と言う、通常は浅い海に現れれば命の危険に晒される生物が、それを押して打ち上げられるのだから、地震に限らず彼らの周囲に何らかの変化が出てきた事は間違いなく、その変化はあらゆる事象と無関係ではいられない。

 

深海魚が打ち上げられた、何か起こるのではないか・・・、と不安を覚える事は間違いではないと私は思う。

これでこの先は安泰だと考える方がどうかしていると言え、大学の研究機関は後者だと発表した事になる・・・。

 

「個人の衆愚」

現代社会は「自己」と「他」の入り乱れが激しく、為に本来は自己が決定すべきことを「他」に拠って強制される事案が既に一般的になってきている。

 

例えば誠意などは当事者が自分の意思で示すべきもので、他者がこれを求めるは「自己判断」や「自己心情表現」に対する越権行為とも言え、これに倣うなら「謹慎」などの「慎み」も、自身が社会に対して示す姿を原初とするなら、現代のそれはまるで本人が決めるべき事を「社会」が強要するかの様な危うさを持つ。

 

こうした傾向は江戸時代中期頃に一般的になって行く背景を持つが、権威が「神」から「権力者」に移行するを始まりとし、現代に措いては民主主義至上から「権威が散逸」し、粉々になって個人に分散された「個人の衆愚」(この表現はおかしいが、ほかに妥当な言語が見つからない)の集合が「圧力的権威」となって来ている。

 

昨今喧しいお笑い芸人の闇営業問題などを考えるに、当事者でもない者がどうして「それは許せない」と思えるのか、また長い期間コンビを組んできた「相方」に対し、いとも簡単に批判する側に回れる、その心情の方が私には危険に見える。

 

元々社会とは個人と社会が車輪の両輪となって構成されるものであり、この中で個人は如何なる方策で社会と自身を調和させるかと言う、努力に拠って発展変化する。

これが予め何の躊躇もなく社会側に偏っていては、人間は社会の中で自己感情を表現しにくい社会を作ってしまう。

 

自身の幼なじみが反社会勢力に所属していたとして、ではだからと言って幼なじみと言う現実を蔑ろにし、自身も社会から攻撃される事を恐れ、「友情」や当人から受けた恩を間単に裏切って良いのか否か。

 

ここを簡単に社会に傾き、皆と一緒に攻撃するのでは、その個人の「信」もまた疑われる。

それゆえ個人の「信」は社会との妥協点や、その「信」をどう社会と調和させて行くのかと言った「努力」を必要とするのであって、ここを避けて考える者は、最終的に自己を社会の中で表現する能力を失う。

 

つまりそんな事をしていれば、やがて自分が信じる事や思っている事を何も言えなくなり、結果として社会の中で疎外感や圧迫感しか感じない、或いは自分のそうした行動が自分自身を窮屈に縛って行く社会主義、全体主義になって行くのである。

 

闇営業は褒められたことではない。

だがしかし、生まれてから死ぬまで一度も法を犯さずに済む人間はいない。

程度の問題なのであり、しかもこうした闇営業に拠って、それを見ている視聴者が如何なる不利益を被るのかと言えば、何も被害は被らない。

 

簡単に言えば闇営業はそれを規定する社会、または会社の規定と闇営業を行った者との関係なのであり、これを第三者が何を許せないと考えるのか、それを良く考えた方が良い。

 

民主主義に拠って散逸した権威のかけらを振りかざし、所詮は自身と社会の軋轢、或いは僻みや嫉妬、個人的怨嗟などを「社会正義」にすり替え、必要以上の制裁を求めるは、衆愚の準リンチとも言える所業であり、長じてはフランス革命後の「恐怖政治」、隣組で相互監視を標準化した日本の第二次世界大戦中のシステムと同じである。

 

友が社会的正義に外れた事をした時、私なら彼に代わって許しを請い、どうか寛容な処分をとお願いするだろう。

これは友の為でもあるが、自分の為にもそうする。

予め社会の反応を忖度し、容赦なくそれまでの友や相方を攻撃するは、「あの男の友や相方の概念は何と薄いものなのだろう」としか思われない。

 

この瞬間で終わってしまうのならともかく、それ以後も自分も他者も生きて行く状況で、社会の中に自身の心情や立場をどれだけ織り込んで行けるかの努力は、最終的には社会偏重を防ぎ、自分の信用を高めるに等しい。
自分の立場や人気の下落を恐れ社会を忖度し、いとも簡単に友や相方を攻撃する側に回るは、原理的に闇営業をしてしまった者達と、その弱さに措いて同じ事と言える。

 

また生命維持、緊急事態に関する状況を除き、利害関係が無い場合、立場上の無関心を貫徹する自己統制は、社会正義などに熱を上げて他者を攻撃するより、多くの社会的自由を担保する結果となる事も付け加えておこうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「周期予測教」

この世界のあらゆる秩序は混沌に向う性質を持ち、これにも一定の秩序が存在します。

つまり物事が壊れて行く時も、必ず一定の法則が存在すると言う事で、数字に表すと「4・669201609・・・」となりますが、これを第一ファイゲンバウム定数と呼びます。

ファイゲンバウム定数は第一と第二が有りますが、一般的に第一ファイゲンバウム定数を「収束の比」と呼び、これは株価や金融商品の価格などに今も応用されるものですが、一方で地震発生後の余震の傾向も同じ「比」から壊れて行くとされています。

 

この法則はカオスが始まる前に示される値ですから、ある種の運命論的数値でもあると言え、考えように拠っては地震予知とも言えるのですが、最初の数値が無ければ発生しません。

つまり本震が無ければ余震は計りようが無く、ここでは余震の傾向を考える時、本震を一つの秩序とし、これが壊れて行く事を現実的に見れば「収束の比」と考える事が出来る訳です。

地震と言うエネルギー秩序が壊れて行く、これが私達人間に取っては地震が収まっていく、地震が収束して行く事と同義になり、この意味では余震はある程度の予測が出来る訳ですが、例えば震源が深いと余震は長い期間連続して分散し、震源が浅ければ余震は比較的震源付近の時間帯に集まり易いと言う傾向は、長く見積もってもここ50年ほどに構築された統計的予測です。

 

しかしファイゲンバウム定数は「Mitchell jay Feigenbaum(1944年~)に拠って、どちらかと言うと図形から数値に達した行ったように、現実の事象を理論数学に置き換え、そこから純粋な数学に渡る理論を構築した事に鑑みるなら、統計から法則に達する画期的な事も世の中に存在すると言う事を示しています。

 

つまり現実の事象を集め、それを眺める事でも、もしかしたらこの世界の底辺に潜む動かし難いものを見つける事ができるかも知れないと言う事です。

そしてこの観点から考えると現在の大学、及び民間の地震予知研究は大きな見誤りをしている恐れが有ります。

 

日本の研究機関で多く用いられている周期予測、これは南海地震の予測などがそうですが、こうした研究が本格的に進んだのは終戦後10年以上経過した時期からです。

歴史的には長く見積もっても80年程の期間に構築された非常に浅いものです。

この期間に過去のデータも集められて今日の周期予測が確立した訳ですが、その集められたデータはこの80年ほどを中心にして古くなる、関数分布系で言うなら周辺に行けば行くほど、少ない粒を集めて構築されています。

歴史上の出来事は全てが記録される訳では有りませんから、例えば500年前から510年前の10年間に2回大きな地震が発生し、この内1つの地震が記録されねば、そうしたデータを集積して集められた統計はどんどん精度を失う事になり、1000年前の平安時代の記録には、南紀白浜の漁村を3年前に旅した公家が、今年来たら松の木共々漁村がなくなっていると記していて、しかもその表現は「確かあそこに松があって村が有ったはずだが・・・」と言う表現で終わっています。

こうした事を考えるなら、現在我々が信じている周期予測のデータは地層学と言う推測学問と、正確なデータがここ500年ほどの中で計られていると考えるべきかも知れません。

その上で地球表層の歴史は何十億年と言う単位のスケールを持っています。

僅かに500年ほどのデータを寄せ集め、ここ80年ほどで確立された周期予測の傾向を秩序と考えるなら、ファイゲンバウムが成立する間もない状態とも言えます。

日本の周期予測の傾向は、自分がそう信じたいものを寄せ集めた、若しくはそう見たいが為に集められたデータに拠る、一つの宗教のようなものと言えるかも知れません。

それゆえこの周期予測は簡単に外れていく。

関東大地震などは60年から80年とされていながら、未だに発生していない。

東海地震も同様なら、30年ほど前には南海地震は100年ほどの周期とされていた事を考えるなら、その周期的時期は2035年であるにも拘わらず、10年も前からずっと今すぐにでも発生すると騒いでいる。

2011年の東日本大地震で周期が早まったと考える事は間違いでは無いかも知れない。

しかし最初にこれを唱えた者、それを信じている者は何を根拠に南海地震が早まったと言っているのかが理解できない。

ただ一つ言える事は、2011年の東日本大地震は、少なくともここ80年で作られた周期予測を破壊したことは事実であり、今となっては過去の周期予測は予測ではなく「信者」の領域に留まるものでしかないように見える。

 

ファイゲンバウムの定数はある意味この世界の法則と言え、これに拠って余震の傾向を知る事は科学だが、周期予測は普遍法則の外に在って、一つの気休め、言い換えればやはり宗教でしかないと言う事になる。

地震から身を守る方法は1つしかない。

直近に発生する自然現象の変化と言う「現実」を見逃さず、しっかり対処する以外に方法はないと私は思う。

「山形県沖地震に関して」

2019年6月18日22時22分、山形県沖でM6,8最大震度6強の地震が発生し、これに拠って新潟県、山形県、能登半島、佐渡に津波注意報が発令された。

(地震発生時震源付近の天気は晴れ若しくは曇り、東の風1m、気温19度)

この地方の地震は1833年12月7日に発生した「庄内沖地震」(M7,5)最大震度7、及び1964年6月16日に発生した「新潟地震」(M7,5)最大震度6(推定)、並びに2007年7月16日に発生した「新潟中越沖地震」(M6,8)最大震度6強、をほぼ一体とする震源域であり、日本海東縁変動帯の最も活動が大きな地域でもある。

断層としては衝突境界型とも言われているが、地図上の視覚的な部分では日本海湾岸付近を南北に沿った形に見えながら、それぞれの断層は短く東西に走ったものが連続し、これの行き着く先が阪神淡路大震災の震源域を南の限界点としている可能性があり、この意味では「善光寺地震」1847年5月8日発生(M7,4)、「三条地震」1828年12月18日発生(M6,9)も、広義では同一断層帯と考える事も出来る。

この地域は90年から100年前後で地震の活性時期と停滞時期を持っていたが、こうした傾向は2011年に発生した東日本大地震以降、統計上の周期が失われている可能性が高い。
 

また同震源帯での地震発生率は200年で10回程と考えられており、平均値では20年に1回、M6,5からM7,5の地震が発生している事になるが、あくまでも平均値であり、40年間何も無くて、2日続けて大きな地震が発生する可能性を妨げるものではない。
 

今回の地震の震源の深さは約10kmと浅く、こうした場合の余震は本震動直後付近に集中する傾向が有り、余震は数年と言う単位で続く可能性は低いが、同規模の地震が比較的時間を置かずに発生する可能性が有り、震源となった山形県沖は勿論、同一震源帯の近い地域、佐渡ヶ島、新潟中越沖、新潟三条市付近、山形県庄内の沿岸、能登半島、秋田県沖などでM6からM7前後の地震発生に注意する必要がある。
 

こうした連動地震が発生する場合は凡そ5ヶ月以内と推定されるが、比較的余震が早く収まった時は警戒する必要が有り、本震動を超えない規模の余震は2ヶ月ほど続く事になる。 

ちなみにこの地震との因果関係は不明だが、能登半島では昼間一旦23度まで気温が上昇し、気圧配置と昼夜の時間帯変化から、夕方18時頃から19度に気温が下がる模様と見られていたものの、逆に19時から気温上昇に転じ、20時には23度まで気温が上昇し、蒸し暑い状況となっていた事を記録しておく。

最後に、2007年第一次安倍内閣の時、年金記録問題で茫然自失となっていた所へ中越沖地震(最大震度6強)が発生、今また年金2000万円問題で右往左往の第二次安倍内閣で山形沖に最大震度6強の地震発生である。

何となく嫌な因縁を感じてしまうのは私だけだろうか・・・。

「詐欺メールにご注意下さい」

現在のところ主にWord pressを使用している個人や機関に発生しているものと見られますが、脅迫メールが届く事案が発生しています。

ここ数日妙な日本語のアカウント確認依頼のメールが届いていたのですが、2019年6月18日、ついに結構シャレた文面の脅迫状が届き、びっくりするよりも中々人間の心理を上手く付いた文面に感心する事しきりです。

 

まあ、多少表現がおかしい部分はともかくとして、どこかで哀愁に満ちたアンニュイな文面には感心しました。

しかし、Word pressを使っているクラスの者に対し、アカウントもパスワードもアクセス先も全て乗っ取って、トロイの木馬を使ったなど、こんな話は通らない。

しかも要求金額が小さすぎる「$499」と言う、まるでスーパーの値札のような金額の付け方には慎み深さを感じる()

支払いにBitcoinsだけが使えると言うのもどこかで矛盾している。

この手の詐欺の乗せられるクラスではBitcoinsは使えず、Bitcoinsを使えるクラスの者は騙されない。とてもよく出来たメールだと思う()

しかし、Word pressは結構大学などや個人の研究者も使っている事から、関連先にこのメールが届いた場合は絶対金を送ってはならない事を注意喚起しておきます。
以下が其の原文です。

 

「あなたに悪い知らせがあります。あなたのアカウントは他の人によって使われています」〔ハッカーアタック〕

こんにちは! 
私はあなたに悪い知らせがあります。 
2019年6月02日 - この日、私はあなたのオペレーティングシステムをハッキングし、あなたのアカウント○○○○)にフルアクセスできました。 
それはどうだった: 
その日接続していたルータのソフトウェアには、脆弱性が存在しました。 
私は最初にこのルータをハックし、その上に悪質なコードを置いた。 
インターネットに接続すると、私のトロイの木馬はあなたのデバイスのオペレーティングシステムにインストールされました。 
その後、私はあなたのディスクの完全なデータを保存しました(私はすべてあなたのアドレス帳、サイトの閲覧履歴、すべてのファイル、電話番号、あなたのすべての連絡先のアドレス)を持っています。 
あなたのデバイスをロックしたかったのです。ロックを解除するために、私はお金がほしいと思った。 
しかし、私はあなたが定期的に訪れるサイトを見ました, そしてあなたのお気に入りのリソースから大きなショックを受けました。 
私は大人のためのサイトについて話しています。 
私は言う - あなたは大きな変態です。 無限のファンタジー! 
その後、アイデアが私の頭に浮かんだ。 
私はあなたが楽しんでいる親密なウェブサイトのスクリーンショットを作った (私はあなたの喜びについて話しています、あなたは理解していますか?). 
その後、私はあなたの喜びの写真を作った (あなたのデバイスのカメラを使って). すべてが素晴らしくなった! 
あなたの親戚、友人、同僚にこの写真を見せたくないと強く信じています。 
私は$499が私の沈黙のために非常に小さいと思う。 
それに、私はあなたに多くの時間を費やしました! 
私はBitcoinsだけを受け入れる。 
私のBTCウォレット:  1Ns8nLfVG3WWdvbw44aeTXydU3KTqGcDkf 
Bitcoinウォレットを補充する方法がわからないのですか? 
どの検索エンジンでも、「btc walletにお金を送る方法」と書いてください。 
クレジットカードに送金するよりも簡単です! 
お支払いの場合は、ちょうど2日以上(正確には50時間)をご提供します。 
心配しないで、タイマーはこの手紙を開いた瞬間に始まります。はい、はい。それはすでに始まっています! 
支払い後、私のウイルスと汚れた写真は自動的に自己破壊されます。 
私はあなたから指定された金額を受け取っていない場合、あなたのデバイスはブロックされ、あなたのすべての連絡先は、あなたの "喜び"と写真を受信します。 
私はあなたが賢明であることを望みます。 
- 私のウイルスを見つけて破壊しようとしないでください! (すべてのデータはすでにリモートサーバーにアップロードされています) - 私に連絡しようとしないでください(これは実現可能ではありません、私はあなたのアカウントからメールを送りました) 
- 様々なセキュリティサービスはあなたを助けません。 あなたのデータは既にリモートサーバー上にあるので、ディスクのフォーマットやデバイスの破壊は役に立ちません。 
P.S. 私は支払い後にあなたに再び邪魔をしないことを保証します。 
これはハッカーの名誉のコードです。 
これからは、良いアンチウィルスを使用し、定期的に更新することをお勧めします(1日に数回)! 
私に怒らないでください、誰もが自分の仕事をしています。 
お別れ。  


以上のようなメールが届いたら、迷うことなく破棄して下さい。

心配しなくても、パスワードを使い回ししていなければ、情報が漏れている事も、自分が見ていたアダルトサイトを編集される事も有りませんし、それが親戚や知り合いに拡散される事も有りません。

どうぞお気をつけ下さい。

「聖火は時々消えている」

2020年東京オリンピック競技大会は目前に迫っているが、この正式な名称は第32回オリンピック競技大会夏期大会と言い、開催回数は近代オリンピック、1896年に開催されたギリシャ大会を1回として数えられていく。

もともとは緊張する国際情勢の中でスポーツを通して国家間相互の親善と理解を深める事を目標としたが、こうした目標が実現した大会は実のところ少ない。

国家の威信であったり、商業主義が主体となり、この商業主義も1984年のロサンジェルス大会をピークとして、以後は緩い下降線を辿り、1997年に入札された2004年度のオリンピック大会入札参加国は12カ国だったが、2010年頃からは2、3カ国の入札で競われているのが現状である。

また1989年、それまでの東西冷戦と言う国際情勢がソビエトの崩壊で取り除かれ、政治的対立は少なくなったものの、今度は経済偏重主義、つまり利益のために開催を目指す方向性が発生し、ここからオリンピック委員会の腐敗も進行していく事になったが、現在ではこうした利益偏重主義も開催に伴う膨大な経費に拠って、成立しない状態となっている。

こうした中で2020年に開催される東京オリンピックだが、実は前回日本で開催された1964年の東京オリンピック大会で、聖火に付いての語られぬエピソードが1996年、イギリスのタイムス紙に拠って公表されている。

これは1996年の大会、アトランタオリンピックで発生した珍事を事実上希釈する効果になったが、同大会でアメリカ国内をリレーされていた聖火が、途中で走者の転倒に拠って消えてしまい、伴走していた車の社内に種火が搭載されていた為、すぐに聖火は復活したものの、一時現場の関係者、それを報道していた取材陣が真っ青になった事が知られている。

そして1964年の東京オリンピック、この時は日本に入る以前、タイから空輸された聖火は香港市庁舎の中央中庭に置かれていたが、夜半過ぎに通過した低気圧に拠って発生した強風の為、この聖火は消えてしまう。
これに慌てたのは聖火の管理を任されていた香港ボクシングチームの選手達で、これはまずいと言う事になり、慌てて持っていたマッチで聖火の火を付け直してしまう。

勿論種火は他に用意されていたのだが、そんなことは知らない香港ボクシングチームの選手達、黙っていればそれまでだったものの、翌日選手の一人がこの事実を仲の良かった女性ウエイターに話してしまい、ここから話は発覚、騒然となる。
だが、聖火は既に飛行機で東京に運ばれてしまっている。

事の真偽を調査した香港オリンピック委員会は、関係者にこの話は無かった事にするよう指示し、真実は闇の中に葬られたかに見えた。
東京ではギリシャから運ばれたと称する火が大きな点火台にともされ、それを有り難がって見ていた日本人の影で、「ああ、あれは俺のマッチの火だ」と言う者が存在していたのである。

だが、現実には聖火が消える珍事は結構頻繁に発生していて、ソチオリンピックの時に代表されるような「ライターの火」は珍しい事ではなく、聖火台への点火の失敗も含めると何も問題が無かった大会の方が少ない。

面白いのは1964年の出来事が何故1996年にタイムズ紙から出るのかと言う点であり、アトランタオリンピック聖火が消えてしまう珍事の前後と言うタイミングであり、事の真意は解らないが何とも趣が深い。

自由と博愛、平和の精神、そして現在では利益と経済活性化の火と言った方が良いか、これは結構頻繁に消えている・・・。

2020年、東京オリンピックの火は無事で有って欲しいものだが・・・。




「仲介者の資質」



イランの政治体制は共和制だが、我々が概念する一般的なヨーロッパ型共和制とは異なる。

アメリカ合衆国に見える州の独立的部分が表面上は小さいように見えて、実は合衆国の州よりは各々の内部結束率が高く、規模は小さくても「村社会」のそれ自体が国家概念よりも強いかも知れない。 

つまりそれぞれの地域の長老達が寄り集まって共和制を布いているのであり、必ずしも一枚岩ではないのである。

こうした状況で行われた2019年6月12日、13日の安倍総理のイラン訪問は全くの勘違い訪問であり、自分の立場も弁えない安倍総理が合衆国とイランの仲介と言う、本来その任を全うできる能力の無い者が舞い上がってしまった事に拠る、混乱を露呈する結果となった。 

同年6月13日に発生したホルムズ海峡での日本船舶への砲弾攻撃は、元々こうした事態が日常茶飯事の地域である事に鑑みるなら、偶然と言う可能性も無い訳ではないが、一番高い可能性として考えられるのが、イランの村社会集合共和制と、必ずしも一枚岩ではないイランの実情がもたらしたものと言えるかも知れない。 

安倍総理はトランプ大統領と個人的に深い関係を築いたように考えているかも知れないが、現実は「犬」にも及んではいない。

完全イエスマンに徹しているだけなのであり、この様な者が仲介に立ったとしても、合衆国のトランプ大統領の一言で簡単にひっくり返ってしまい、安倍総理はこれを制止する事が出来ない。 

つまりイランに取って安倍総理との交渉は無意味なのであり、加えてトランプ大統領の秩序の無さ、こうした傾向をイスラム社会は一番嫌うし、信用しない。 

考えてみれば東西冷戦状況の国際社会が終焉して以降、世界的な混乱は全て合衆国が引き金になっているのであり、この状況でも取り合えず建前は守ろうとした歴代合衆国大統領と比して、トランプ大統領はこうした建前すらかなぐり棄てた無法者なのである。 

イランの最高指導者ハメネイ師の言葉の方が国際的整合性を持っているし、妥当とも言える。

北朝鮮とは訳のわからない雪解けをズルズルと続け、イランには前大統領の時は合意した交渉をトランプ大統領が反故にした。

一体どう理解すれば良いのか見当が付かないのはイランだけではない。 

そこへのこのこと、私が仲介しますよと言ってきても、「お前アホか?」と言うのが正直なところだろう。

それでも世界でただ一国、合衆国と戦争をした国である日本に、形だけでも会ってくれたイラン最高首脳部には感謝するべきだろうし、砲撃された船舶の救援に向ってくれた現実にも感謝すべきだろう。 

トランプ大統領が合衆国大統領の椅子に在る間、世界は不安定な状況から逃れる事はできない。

世界は「麻疹」(はしか)にかかったものとして諦めるしかなく、この期間は逆らわずに過ごす事は間違いでは無い。 

しかし、それで機嫌が良いからと言って自分の力を過信すると、扇子で小姓に頭を叩かれる明智光秀になってしまう事を忘れてはならないし、現実的にも安部総理が総理在任期間中に日本にもたらしたものは「空白の日本」と「財政破綻」、それに「言葉を蔑ろにした」だけである。

個人が愚かなのは仕方が無い。

しかしそれに拠って日本が世界の失望を買ったり、予期せぬアクシデントを誘発したりする事は許されない。

饒舌な詭弁で国会や国民を封じ込める事は出来ても、同じ事が世界と言うステージでは全く通用しない事を学ぶべきだろう・・・。

形だけを見ていると日本の安倍総理は、韓国の文在寅大統領と同じような勘違いをしているようにしか見えない。

仲裁や調停とはまさに政治の本質そのものであり、ここで求められる仲裁者の要貞は、政治力、権威、経済、軍事力、思想的鋭角性、そのどれかに措いて対立する両者を僅かでも上回る力、若しくは対立する両者を上回る情念と覚悟なのであり、これが無い者が対立の間に入れば、仲裁者は対立している両者から攻撃を受けるか、或いは混乱を更に深めるだけになる。

この事は日々街角で発生している一般人の喧嘩から始まって原理は同じなのである。

楽如枝書「名刺は刺では無い」

名刺の起源を中国後漢時代の「刺」に求める向きも有るが、「刺」の本来は平面に槍や鉾を突き立てる意味があり、忙しい身分の者のスケジュールに槍を入れる事を意味している。

 

本来は会って口頭で伝えるのが筋だが、それがままならない相手に、自分の存在と言うよりはむしろ、自身が仕えるか所属している組織の長、或いは上官からの用向きを伝える為の下策用法でもある。

簡単に言えば、「取り合えず来ましたよ」以上の効用は初めから存在していなかった。

 

この意味に措いて、現代我々が概念する名刺の用法は紋章やエンブレムに近く、例えば江戸時代の法被などは、これを着ているだけでどこの組織に所属しているかが明白なのであり、知名度の在る家の法被を着ていれば金を借りる事も出来た。

 

更には平安時代、ここでは「歌」を送る事で挨拶代わりと言う場合も存在した。

つまり今日我々が「名刺代わり」としているものが本来の名刺の姿なのであり、自分を代表する書付けの事を意味している。

たまさか「名刺」と名前が付いているからと言って、後漢時代の略式用法に起源の全てを求めるのは危うい。

 

まず名刺は原則「手渡し」で有る事が望まれ、間違っても留守宅の廊下やポストに置いてくるなどの所作はしてはならない。

名刺は自身の代理と言う側面が有り、これを不用意な場に残すは、それだけで自分は価値が無い事を示しているようなものだ。

 

そしてこうした事を考えると、後漢時代の「刺」とは概念を異なえる事が理解できるかもしれない。

公印証書に順ずる身分証明なのであり、首からぶら下げている身分証明書は1枚で有る事から、複製して皆に配る事は出来ない。

これに順ずる概念として考えねば、自身をおろそかにするだけでは済まず、相手までもおろそかに考える事になる。

 

名刺は必ず本人に手渡しする事が理想であり、留守の時に残すのはメモ用紙であり、ここに自分の名前と用向きを書き記し、再度来訪する旨を伝えるのが正しい。

この時、名刺の裏にメモを残す者もいるが、これでは名刺がメモ用紙に降格した事になる。

 

そして本人に会って名刺を渡すおり、始めての挨拶の時は深くお辞儀をする。

これは相手に敬意を示す効用も然る事ながら、相手が常に安全とは限らない事から、足元を見る為である。

 

自分に危害を加える恐れがある者は必ず、どちらか利き腕の反対側の足を僅かに引く、これを見逃さない為であり、もっと言えば靴が汚れている、或いは趣味の悪い靴下を履いているなどの情報を収集する為でも在る。

 

自分に危害を加えるような者はまだ見込みがあるが、靴や靴下が怠惰な者、或いは必要以上に派手な者は、一緒に仕事をすると必ず自分の差障りになる時が出てくる。

サンダル履きなど以ての外である。

 

名刺を渡す時は両手でこれを差し出し、所属する会社と自分の名前を告げる。

時々「こう言う者ですが」と言う者が存在するが、これでは余りにも傲慢な在り様なる為、決してやってはならない。

 

相手から名刺を貰う場合、「有り難うございます」と言い、立って話すしかないなら右手で持ちながら話を進め、座って話す場合はテーブルなどの上に置いて話を進めるが、飲み物などが置かれた近くには置かず、飲み物が出された場合は、その反対側に移動して措く。

 

つまり飲み物が出ていないときは利き腕の側に置き、飲み物などが出されたときは、利き腕の反対側に移動しておくと、相手の名刺が尊重されている事を示せるのである。

 

用件は手短に、自分の嗜好などは語ってはならず、宗教、政治、スポーツなどの話は自分からはしてはならないし、これを安易に語る相手はフレンドリーなのではなく、「無能」かも知れない、或いは自身が重要では無いと判断され、役目済ましの担当の可能性すら有り得るが、自分は最大限の注意を払っているにも拘わらず、相手が不遜な態度の時も、これを見下してはならない。

 

有能な者は無駄話などしない。

どうしても初対面の者と話が弾めば舞い上がってしまうが、こうした場合でも自分は舞いあがらないように節度を保っている事が肝要なのであり、本当に有能な者は、会話よりもむしろ、自分のそうした部分を見ていると思った方が良い。

 

最後には会う機会を作ってくれた事に礼を言い、名刺はこのおり一度押し頂いて自身の名刺入れにしまう。

大切な事は一挙に親しくなってしまわない事であり、今更言うまでも無いが自分が相手から名刺を受け取る場合、その会社がどんなに小さな会社でも、怪しげな会社でも不遜な態度は慎むべきで、尊重しておけば、その相手が常にその会社のその部署にいるとは限らない。

 

将来努力して大きな存在となるかも知れない事を恐れて置く事は大切であり、もしそうした時期が訪れるなら、一番苦しい時期に自分に不遜な扱いをしなかった事を忘れはしないはずである。

 

頂いた名刺の裏にはその人間の年齢、出身学歴、家族構成、誕生日など解ってきた情報を随時書き込み、それを時間が有る時はは見て措く事が肝要であり、パソコンの中にデータとしてしまっているだけなら、棚の上に放置して埃が溜まっているのと何も変わらない。

 

情報は使ってこそ価値があるのであり、それを持っているだけでは、全く意味が無い・・・。

名刺は「刺」ではなく、一番最初の情報と言う事なのである。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
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