2019/06/30
「鳶(とび)の泣く朝」
一般的に「鳥がなく」と言う言語の漢字表記は「鳴く」だが、我々が「うたう」と発音した時、「歌う」と「謳う」も同じ発音をしながら、意味は違える。
鳥もまた「鳴く」時と「泣く」場面が存在し、これの違いは「鳴く」が意思伝達や対象範囲を持っているのに対し、「泣く」は対象範囲が定められていない、若しくは意思伝達ではなく、固体の感情そのものである点にある。
そして人間は「鳥が鳴く」に関しては多くの理解を持っているが、「泣く」場面に関しての造詣は意外と浅い。
今夜は「鳥が泣く」時に関して、私が祖母から聞いた話を記しておこうか・・・。
2019年6月29日、午前7時12分から8時10分くらいまで、天気は雨で勿論空には鳶(とび)など飛んではいない状況で、山の中から繰り返し鳶の「ピーヒョロロロロ」と言う鳴き声が聞こえてきた。
しかもその声は若干上ずっていて、ずっと鳴き続けたままだったので、これは「鳴いている」のではなく「泣いている」に違いないとすぐに気付いた。
あれは私が小学4年生の、やはり同じような梅雨の時期だった・・・。
その日の朝、向かいの山で鳶がずっと泣き続け、空には姿が見えない。
いつもの鳶の鳴き声ではないと思った私は、炭焼きで家には両親がいなかったので、祖母を呼んできて、なぜこんな日に鳶が鳴いているのかを尋ねたものだった。
その鳶の「泣き声」は明確に「鳴き声」ではなかった。
「おお・・・、鳶が死ぬんや・・・」
「大荒れになるぞ・・・・」
祖母は鳶の泣き声を聞きながら、空を見上げ、明日の朝までには家に戻るよう、両親がいる炭焼き山まで伝えに行って来い、そう言ったのだった。
「鳶(とんび)が死ぬのか・・・」
「ああ、オレが小さい時にお爺じがそう言うとった」
不安そうに尋ねる私を振り返る事もなく、相変わらず厳しい顔で空を見上げる祖母は、天気が荒れるから早く両親に伝えに行くよう私に言うと、一度山に向かって手を合わせた。
両親が炭焼きをしている山までは家から3kmほどだったが、小雨の中、あの大きな鳶が死を目前に泣き続ける姿を思うと、なぜか涙が止まらず、山道を急いだものだった。
それから数時間後、山からは鳶の泣き声が聞こえなくなり、雨はどんどん激しくなって、翌日には下流の地域で冠水した地域が出てきて、家の近くの崖でも山が崩れ、道路が塞がれるところが出てきたのだった。
あの時と同じ泣き声だ、間違いない・・・。
「鳶よ、死んで行くか・・・」
私は昔祖母がそうしたように、山に向かって手を合わせ、「生きるは大変な事だっただろう、ご苦労だった・・・」
そう心の中で呟いて、田の水口(水が入るところ)を塞ぎ、水戸(水を排するところを)を開けようと軽トラに乗り込んだが、水管理を終えて家に帰り着く少し前には、あれだけ必死に泣いていた鳶の声はもう聞こえなくなっていた。
明けて6月30日、未明からの激しい雨は明るくなる頃には川を茶褐色の濁流に変え、
大雨洪水警報と避難勧告が出た。
だが、近くの避難所は私の家より下流に有り、その場所は冠水し易い。
様子を見に行ったら、避難所近くは既に川の水が護岸コンクリートの最上部まで来ていて、近くの住民達が遠くから「どうにもならない」と眺めていた。
幸いにもそれから数時間後には雨が上がり、今度は風が強くなってきたものの、下流の冠水の危険性が有った地域の水も引き始め、大雨洪水警報と避難勧告は解除された。
おかしなものだなと思う。
朝方、必死で鳴く鳶の声が、彼が死ぬ時だと誰も確かめた者はいなかっただろう、ましてやそれ以後天気が荒れるなど、本来は何の因果もないかも知れない。
私にしても今回を含めても2回しか経験がない事だが、これ以後、やはり朝方鳶が必死で泣く声を聞いたら、その鳶は死ぬものと信じて疑わないだろうし、きっと荒れた天気に備えるだろうと思う。
たまさか子供はもう成人しているから近くにはいないが、もし子供が幼くて、遠き過去の私と同じように尋ねたとしたら、祖母から聞いた話として、私も彼に同じ話をしたに違いない・・・。