「異常地震?」



2019年7月28日、3時31分に発生した中規模地震、関東から東北までの広い範囲で震度3から4を記録した地震に付いて、報道では「異常地震」としているものが多いが、その理由は震源が三重県沖にも拘わらず、揺れが関東、東北で発生した為そうした表現になっているものと思われる。

 

が、元々地震そのものが通常に対する異常と言えるし、こうした異常が日常茶飯事になっている日本の現状に鑑みるなら、不用意に「異常」と言う言葉が出てくる事に対し、一種の無知、稚拙さを感じてしまう。

 

震源の浅い地震、深さが50km以下の地震の場合、その震動は同心円、あの雨が降ってきた時に水滴が落ちて波紋が広がって行く形、のように広がって行くが、例えば360kmを超えるような深い震源地震の場合は、その真上が一番大きな揺れになる方が少ない。

 

原理は簡単で、丸いケーキを6つに切った時、中心付近はほぼ点になるが、ケーキの一番外側では距離が出るのと同じで、逆に切ったケーキの外側、ちょうど真ん中に振動が出る確率の方が少ない。

 

また岩盤や地殻の運動方向に拠って、震動は常に誤差を持って地表に伝わる。

すなわち震源が360kmを超えるような地震の場合、三重県が震源で関東や東北で中規模の地震は「普通」なのである。

 

ここ8年以内でも京都の下460km震源で北海道が震度4と言うケースも有ったが、そもそも日本の地震は震源の深い地震より、震源の浅い地震が圧倒的に多い。

 

この事から震源の深さが360km以上の地震は震源の浅い地震より相対的に発生頻度が少なく、そのほとんどは震源の真上が一番大きな揺れとはなっていない。

それで「異常」と言う言葉が使われると、民衆の不安感が煽られる結果となってしまう。

 

事実を正確に伝えるべき報道の情報ソースの浅さと、稚拙さが「異常」と言う表現から滲み出ている。

 

ちなみに震源が深い場合の余震傾向は、震源が浅い地震より直後の余震発生回数が少ない。

代わりに数年後に同規模の余震が発生する確率が有り、震源の深さが400kmともなると、4年後に余震が発生し、その規模は本震よりも大きい場合がある。

 

震源が深い地震は深さに拠る伝播距離が出るため、大規模地震となるパターンは少ないが、今までに記録は無いものの、プレートの端の崩落、或いはマントル流の部分変動の場合、日本の半分が震度5以上の震動を受ける可能性が完全否定できない。

 

更に震源の深さが200km前後の地震の場合、その余震は本震よりも大きくなる傾向に有り、余震発生は本震の後2年後と言うケースが多くなる。

 

この事から震源の深さと余震発生時期には、一定の関係式が疑われ、震源の浅い地震の破壊波の伝播は、地表に住む生物に取って平面の同心円上の伝播と考えて差し支えないが、震源の深い地震の場合は球体状の伝播形を基本として、これが歪んでいるか、球が欠損した状態のモデルを想定する必要がある。

 

結果として多くの壁面に破壊波がぶつかった状態となる為、地震波は時間経過と共に細かくなる。

震源の深さが浅い地震の場合はこの逆で、平面状を震動が伝わるので、こちらは地震波の伝播形式は時間経過と共に長くなる。

 

本震が終わって数時間後に超高層ビルがゆっくり揺れるのは震源の浅い地震であり、この場合例えば60階建てのビルでは揺れ幅が1mを超えるケースも出てくるが、震源の深さが400kmを超える地震の場合は本震以後、細かい揺れを観測するケースが多い。

 

最後に木造建築物が一番破損しやすい地震の破壊波速度は、1秒から1・9秒の揺れであり、大きな地震で地域ごとに被害に差が出るのは、こうした破壊波の速度に拠っても差が出ている可能性が有る。

震度6強でも破壊波速度1・5秒の地域は倒壊などの被害が大きくなり、逆に1秒以下だと地震の規模は大きくても、倒壊家屋は少なくなる可能性がある。

 

氷室京介、カッコいいな・・・()

 

スポンサーサイト



「貿易理論の流れ」



国債の等価理論でも知られる英国の経済学者、デヴィッド・リカード(1772~1823)が提唱した「比較優位理論」(theory of comparative advantage)、別名「国際分業の原理」はアメリカの経済学者ポール・サミュエルソンに拠って、弁護士と秘書の役割分担モデルで解説されているが、ここでは「個」(一国)の能力が全体(世界)の中での能力に一致しない事が示されている。

 

弁護士事務所で書類作成能力が秘書より高い弁護士と、女性秘書が書類を作成するのでは、どちらが多くの財をもたらすかと言えば、女性秘書の方が多くの財をもたらす。

 

この場合弁護士は、弁護と言う書類作成以上の収益を止めて書類を作成するため、かかる収益以上の弁護に拠って得られる収益を時間放棄する事になり、相殺すると損失になる。

 

拠り収益性の高い弁護を弁護士が行い、彼よりは劣るかも知れないが、女性秘書が書類を作成する方が相互に利益を出す事になる。

従ってこの場合、書類作成能力では女性秘書が比較優位性を持ち、弁護士が書類作成能力が高いことを「絶対優位性」と言い、国際社会の貿易に関しては「比較優位性」に拠って、それぞれの国家の貿易形態が決まって来て、世界的な秩序を形成すると考えられて来た。

 

これを発展拡大してモデル理論としたのはスウェーデンの経済学者エリィ・ヘクシャーであり、さらにスウェーデンの経済学者バーティル・オリーンは国際分業と言うモデルにまで発展させ、この理論を「ヘクシャー・オリーンの定理」と言う。

 

すなわちその国の輸出、輸入の形態は、資本に比べて多くの労働力を有する国は労働力を財とする輸出が多くなり、労働力に比して資本の大きな国は資本を財とする輸出の割合が多くなると言う予想だが、一定レベルまで貿易が拡大してくると、この理論にはパラドックスが発生してくる。

 

アメリカの経済学者ワシリー・レオンチェフはアメリカの輸出統計を検証し、ここから世界最大の資本大国であるアメリカの輸出が、輸入と相対して実は労働力を多く使用した形態となっている事を発見し、この意味では「比較優位論」や「ヘクシャー・オリーンの定理」は矛盾してくる。

 

これをレオンチェフ・パラドックスと言って、戦後の国際貿易理論は、このパラドックスをどう解釈するかを悩む事になったのだが、簡単な事だ。

時間軸と共にその国家の産業構造が変化する為に、こうした理論には位相幾何学的な概念が必要だっただけの事だ。

 

弁護士は老いて引退し、頑張った女性秘書が弁護士を目指し、そこへ秘書として入って来たのは司法試験を合格した若者、と言う人間の変化を見なければ簡単にパラドックスが訪れる。

この意味ではケインズの経済論も同じ事だ。

 

大英帝国と植民地の関係が変わらなければ「比較優位論」は成立する。

しかし現在、植民地などと言う立場の国家が存在せず、国際社会は弁護士事務所の話で言えば、弁護士の数が多くなり、秘書より下の者が少なくなってきている。

 

相対的に世界は労働を用いる輸出が少なく、資本を用いる輸出が多くなり、それゆえ対立も多くなるのであり、こうした中から出てくるのが「戦略的貿易政策」だったが、1992年から93年、この理論に傾倒したアメリカ、クリントン大統領の政策は当時GDPの10%前後しかないアメリカの輸出を対称とした為、その他の要因に拠って簡単に消し飛んだ。

 

僅か数パーセントを得る為に国家政策を動かし、それが費やされただけに終わった事に鑑みるなら、あまり効率の良い話ではなかった。

 

しかしその後ヨーロッパから出てくる資本の買収進出に関して、表面では動かなかったが影で国家が動き、こうした民間買収進出を助長する傾向は、経済に国家や政府が干渉するのは当たり前の風潮を生み、今日に至っては、例えば中国企業などを見ていると、中国政府系企業が海外大手企業に発注を行い、それに向けて企業が資材調達を始めた頃にキャンセルする。

 

そこへ中国資本がTOB(買収)を仕掛けるなど、政策的インサイダー取引がまかり通る時代となっている。

もはや貿易にルールなど無い、戦国時代なのであり、周易ではこうした時代に以下の事を気を付けよと言っている。

 

前から太鼓を叩いて威嚇してくるは敵に満たない。

敵は後ろの闇に息を殺して潜んでいる。

 

 

「統計上の危機」




地震に措ける余震の収束傾向はファイゲンバウム定数に約39%ほどが一致するが、これを折れ線グラフに変換して裏返すと、経済の中でテクニカル分析、アノマリー予測(傾向から株価の先を判断する方法)が上下して行く指数を折れ線グラフに変換したものと48%でほぼ一致する傾向が在り、この事から株式指標と地震には、科学的根拠以前に現実の一致点が存在する。

 

ここ直近のデータを元にしても、2015年から今年5月までの地震発生規模、回数を全て記録したデータ指標と株式相場の変動指数は54%くらいの一致点が見られる。

勿論これは実際の災害に拠って動いた株式指標もあるのだが、面白いのはテクニカル・アノマリーが少し先を動いているケースも存在する事だ。

 

つまり多くの投資家達や投資専門会社、経済ジャーナリスト達がその先に抱く株価変動感は、偶然にもそれと前後する大きな地震にも相対している傾向を持つと言う事だ。

ただしここで言う変動とは上下如何を問わない、平均株価急上昇と暴落傾向のどちらにでも地震発生の確率が付きまとう点にあり、このピークを大きな地震発生時期に合わせると、フラクタル性「自己相似性」、或いは連動相対性を持ちながらデータの指標が同じ形で動いている事が多い。

 

2008年のリーマンショック時、2007年から既に国際市場は漠然と不安感を持っていた。

これで世界資本は避難先を求めて日本円が上昇し、日本経済は海外輸出の低迷と、銀行などの貸し剥がし傾向に拠って2010年にはテクニカル・アノマリーマインドが大幅に下がって行き、翌年には東日本大地震が発生し、それ以降も2014年には消費税増税と言う具合で、株価は細かい上下繰り返しながら上昇したが、こうした上下に連動して大きな地震が前後している。

 

2016年後期からその上昇機運は細かな変動へと収束し、2018年5月にテクニカル・アノマリー上昇マインドは下降に転じてきた。

つまり株価市場と関係者の中から日本株がピークを過ぎて下落に転じると考える者が多くなっていると言う事であり、この推移を裏返して2011年に重ねると、今後日本経済はリーマンショックと同等、若しくはそれ以上の壊滅的なダメージを受ける恐れが出ている。

 

2019年10月には第二段の消費税増税、2020年には東京オリンピックと、良くも悪くも平常ではない上下が連続する日本経済、どうやら消費税増税が始まる10月頃からその兆候は現れ、オリンピック開催期間中期には最大限の触れ幅が訪れる事になるのではないか。

 

統計上の一つの傾向として、日本経済の壊滅的打撃に対して警鐘を鳴らしておくと共に、これと前後する東日本大震災級の災害に対しても警鐘を鳴らしておく。

 

テクニカル分析もアノマリーも統計の一つの手法、どう処理し、どう判断するかと言う問題なのだが、純粋な統計と言うのは先や未来を予測せず、理由や原因を問わない。

天罰も人為も同じ事象が発生すれば等しく1つと数えられる。

この現実に対する誠実さゆえに一定の信頼も発生するのであり、これをどう判断するかは人間の仕事であり、私たち個人々々がどう考えるかと言う事だ・・・。

また、この話は私が思っている事の為、恣意的にデータを重ねた可能性を完全否定できないし、統計上の事がその通りになるとも決まってはいない。

その意味では、迷信の領域を出ないが、過去多くの人間に拠って株価の指標と大地震の関連性が指摘し続けられて来たのも事実である。


いずれにしても2020年は日本国民が相当厳しい現実に直面する恐れが有る。

一つの「果」の為、多くの偶然と言う「因」が集まり始めている・・・。

 

天は恵みも禍(わざわい)もたらさない。

それを恵みとするか禍とするかは、ひとえに人間の英知と努力に拠る分岐点でしかなく、この現実は有史以来変わらぬ大原則と言える。

楽如第十章「心」第九節「餓鬼」



我々が「餓鬼」と言って概念するのは、食べるものが無くて必死になっている様かもしれないが、本来餓鬼の概念は「姿」ではなく「心」に在る。

 

餓鬼の状態と言うのは食べ物が山のように積まれていても、まだ欲しい、まだ足りないと体の奥から焚きつけられる、その心に在り、以前に味わった困窮や飢餓に対する恐怖心、猜疑心が、飢餓を脱していても気付かないどころか、どれだけ集めても不安で不安で仕方ない状態を言う。

 

これは一種の非常事態に対する、現代用語で言えば「トラウマ」なのだが、同様の場面は社会生活に於けるあらゆる部分に存在し、金もそうなら友人、名誉、知名度、愛情や誠意、心ですら飢えればそれを集めようと必死になる。

 

人がどう思っているか気になって仕方ない、噂話が気になる、人から反応が無ければ自分は疎外されていると考える、これらも立派な「餓鬼」の領域だが、それを言うならこのインターネット情報の社会は「餓鬼」そのもの、言わば「餓鬼世界」と言えるかも知れない。

 

飢えで恐ろしいのは、食べれない事に拠る身体的苦しみも然る事ながら、それまでの自己が崩壊する事にあり、裕福であれば賽銭箱に賽銭を投げ込むが、飢えればその賽銭箱から金を盗み良心の呵責も無くなる、若しくは何も考えていなくても盗むかも知れない。

 

これが餓鬼の怖さであり、社会が持つ良心とかモラルと言ったものを盗む、或いは何も考えられなくなり、この状況が改善されても一度枠を壊した自分の心は、元の枠には戻れないのであり、いつまでも「くれ、くれ」「まだ無いのか」と求め続ける事に拠って周囲を腐食させて行くのである。

 

選民思想などはこうした餓鬼の大規模なものだが、これの始まりは「困窮」や「飢餓」に在って、古くは流浪したユダヤ人、ローマ帝国から追われたキリスト教など、困窮した状況から民族の崇高さや特殊性を考えるようになる。

これは間違いなく「平常時に侵食した非常事態の心」の延長線上のものであり、餓鬼そのものだ。

 

近代から現代の移行時には、やはり第一次世界大戦で困窮したドイツが餓鬼に堕ち、当時金融を支配していたユダヤ系民族の弾圧を行った。

ナチス発展の温床となったのはドイツ国民の困窮であったし、同様の事は日露戦争の費用償還に苦しんだ日本政府が、国民の不満を外に向けようとして加速した富国強兵に拠る太平洋戦争も同じであり、現在の韓国と日本の経済戦争も原理的には韓国政府の困窮に始まっている。

 

更に人種差別を平然と口にしたアメリカ合衆国のトランプ大統領などは、最先端の「餓鬼」であり、これを許していると言う事は合衆国の経済が良くない、白人層の貧困が始まっている事を意味し、危険な事を言えば中国の「習近平」よりも遥かに危ない。

 

中国は国内情勢がまだ不安定な要素を持っているだけに「習近平」には限度が存在するが、合衆国大統領の権限は実務的に強大であり、これに鑑みるならトランプ大統領の人種差別発言、下院議員個人への攻撃などは、ある種ナチスのユダヤ人迫害と同等の性質を持っている。

 

近代から現在に至るまでの中で、ナチスのヒトラーに次ぐ、或いは同等の危険性を持っている。

インターネットに拠って築かれた「餓鬼社会」が「餓鬼の総大将」を選択して行くのは時代の流れかも知れないが、合衆国の大統領は合衆国国民で無ければ選択できない。

 

合衆国国民には非常事態で枠を壊した人間より、枠を壊さずに生きている人間の数が多いことを祈るしかないが、このままトランプ大統領の治世が続くなら、神社の賽銭箱から賽銭が盗まれるだけでは済まない。

 

賽銭箱も神社も炎上、と言う事になり兼ねない。

楽如第十章「心」第八節「大道を行く」



遅い田植えをした為、畦の草刈も遅れてしまったが、一昨日、長くなった畦の草を刈っていて、ついでに近くの土手も刈って綺麗にしようと思い近づいたら、バタバタと大きな羽音がして草薮の中から鴨が飛び立って行った。

 

これはもしやと思い、その鴨が飛び立った藪に近づいてみると、巣には9個の卵が並んでいた。

きっと父親の代なら、夜は鴨のゆで卵だった事だろうが、鴨は農家の天敵でもあり、田植えを終えた直後の苗を荒らし、田に十円禿が出来てしまう為、昔なら鴨の卵を見つけると家に持ち帰り、食べてしまうのが標準の対応だった。

 

しかし、本来なら鴨が卵を抱く頃には草刈をしない。

もっと早くに草刈をする為、鴨は草の残った安全な場に巣を作ることになる。

ここに、天敵と言えども彼らが卵を抱くを妨げない、弱い慈悲の慣習が見えたりもする。

 

そして私の草刈が後10日も遅ければどうかと言うと、卵から孵ったヒナの首を草刈機で切っていく事になる訳である。

「驚かしてすまなかったな、土手の草は残しておくから許せ・・・」

私はその土手を迂回して、次の土手から草刈を続けた。

 

草薮が無ければ卵は1日と持たずにカラスや蛇にやられてしまう。

仲良くは出来ない者同志だが、だからと言って生まれてくる子を妨げて良いものでもない。

 

この世界には大きな道が付いていて、ここを通っていると周囲との調和を崩さない、そんなものが在る様な気がする。

 

私が通常通りの時期に草刈をしていれば、鴨は草が刈られていない所に巣を作り、安全に卵を孵して子を為すことが出来る。

しかし、草刈が少し遅れた為、鴨の卵は危機に瀕し、これがもっと遅れるとヒナの首が切られてしまう事になる訳である。

 

通常通りの時期に通常通りの事をしていれば、少なくとも鴨の子を殺生する事は無いのであり、こうした事に鑑みるなら「大きな道」を堂々と通るは、森羅万象の調和を乱さない事に通じるものと言え、力を失えば大きな道を通れなくなり、周囲に災いをもたらす事になる。

 

周易や孫子で「同じ道は通れない」「先は解らない」とするは、実はこうした大きな道を通れる力を維持する事が難しいと言う側面を示していて、自分が気を付けていたとしても、誰か他の者に力が無ければ、その災いを自身が被る事になり、この世は全て力の有る者だけで構成されてはいない。

 

むしろ多くの力の無き者に拠って構成されている為、大きな道は常に「虚」になり易く、言い換えれば大きな道は「一人で行く」しかないと言う事なのかも知れない。

力無き者と組めば、その力無き者の力が上限となり、反対に自分より力の有る者と組めば自身が脅かされる。

 

「大きな道」はこうして漠然と見れば誰にも共通する事でありながら、現実にはそれぞれの道でも有り、自身以外通る事のない道とも言え、狭義で解釈するなら「秩序」もその一つだが、これを如何に守れるかが力であり、力が無ければ簡単に特殊が現れて壊れて行く。

 

そしてこれは決して守る事を意味しているのではなく、攻める時、自分が何かを為す時に周囲に対して行う注意、若しくは配慮と言うものであり、これが無ければ周囲の多くの命を奪い、例え事が成就したとしても心は地獄となる。

 

天の利、地の利、時の利、人の利、これが全て揃う事は難しいが、長い期間をかけて醸成された慣習やモラル、考え方には初めからこうした「利」に対して、最も近くを通れる様な形を持っている。

 

変革や新たな道を切り開く時でも、これらを使わねばその道は険しいものになる。

 

草刈が遅れた私は力を失った者と言う事だが、こうした者が気を付けなければならない事は、他の大きな道を通っている者を妨げない事であり、これをしてかろうじて大きな道の端にしがみ付くことが出来るのかも知れない・・・。

 

いつか大きな道を正々堂々と歩きたいものだな・・・。


※ 本文は個人宛に連絡を差し上げた文章から、自身が記録に留める意味で記事にさせて頂いたものです。

「WTO上級委員会」




国連を初めとする、第二次世界大戦以降に発足、再編成された世界機関の多くは既に腐敗が進んでいる。

 

1995年、GATT・ウルグアイラウンドの合意に拠って、GATTが拡大された形で発足したWTO(世界貿易機関)だが、近年この機関の整合性の無さと紛争解決能力に措いて、世界各国から多くの疑問が投げかけられている。

 

世界の多くの国で既に安全基準を満たしているとされていた、福島県など日本の8県から水揚げされる水産資源に関し、韓国が出した禁輸措置を認める裁定を出したWTO上級委員会の決定に付いて、2019年5月15日にはその経緯が明らかになったが、第一審となる小委員会では、韓国の措置はWTOの協定違反とされたものの、その後の上級審に相当する上級委員会の裁定は、一審の審査を不十分として破棄し、しかも韓国のWTO協定違反に付いてはなんらの裁定も行わなかった。

 

つまり結論を出していない中で、一審が破棄されたと言う事実が先行して、日本の敗訴と言う形になった訳であり、これに関しては2019年4月26日のDSB「紛争解決機関」会合に措いて、日本も裁定に対して抗議をしているが、世界各国の反応も日本と同様だった。

 

「パネル(小委員会)で科学的根拠に基づき判断された結果が軽視され、何ら紛争解決の判断がなされていない」(日本)

「上級委員会の判断は遺憾だ」(アメリカ)

「現行の紛争解決制度は内在する欠点がある」(EU)

「韓国の禁輸措置とWTOの整合性を上級委員会は何ら判断しなかった」「満足する判断が得られなかった事は遺憾だ」(カナダ)

「わが国が派遣した専門委員に拠る調査の結果、サウジアラビア国は禁輸措置を解除した」「日本の水産資源は安全だ」(サウジアラビア)

 

その他ブラジル、ペルーも日本の立場を支持し、韓国の主張を支持する国は無かった。

実にDSB(紛争解決機関)で発言した大半となる、10ヶ国が韓国の禁輸措置に疑問を呈したのだが、WTO上級委員会はその後も何らの判断もしていない。

 

ではこのWTO上級委員会とはどう言う組織かと言うと、国際貿易に於ける紛争処理の最高判断機関であり、上級委員は通常7名となっているが、ここ5年ほどは審議の遅れが著しく、アメリカなどは既に2017年から任期切れの委員再任拒否、補充委員選任拒否を行っていて、現在ではインドの委員1名、アメリカ合衆国の委員1名、中華人民協和国の委員1名と言う具合で、たった3名しか存在していない。

 

この内中華人民協和国以外、アメリカとインドの委員は2019年12月で任期切れとなり、これ以後はWTO紛争解決最高機関上級委員が1名となり、機能しない事になるのである。

7名に対し、その半分に満たない3名での判断の有効性もどうかと思うが、EUの発言に見られる内在する欠点と言う表現は実にこの機関の問題を明確に表現していると思われる。

 

そして2019年7月10、日本が韓国に対して報復措置として輸出制限をしていると、韓国がWTO理事会に議案提出を行う旨発表したが、WTOとしては苦しいところだろう。

 

前回の福島県産を初めとする日本の水産資源では、偏狭が疑われるような判断で国際社会の批判を浴びた上、またぞろ韓国と日本である。

しかも今回の日本は恵国待遇を通常待遇に戻すだけで、輸出を規制しているわけではなく、場合に拠っては日米安全保障条約上の項目も含んでくる。

 

これをたった3人のWTO上級委員が判断するとなると、国連安全保障理事会すらも3人で裁定するケースが出てくる事になるが、道理でアメリカが上級委員の選任を拒否する訳だ・・・()

 

ちなみにDSB(紛争解決機関)での各国の発言は非公開であり、通常は各国代表の発言の内容を公表することに対して許可が出るケースは少ないが、日本の水産資源に対する禁輸措置裁定に対する発言の公表に関して、発言した国の全てが日本側の公表許可申請に承諾している。

 

WTOも正念場だ・・・・。

 

「戦争に措ける捕虜と文民の扱い」



1864年ジュネーブ条約成立、これは主に陸戦に於ける傷病兵の保護を目的とした。

1899年にはこの陸戦に於けると言う条項が拡大し、海戦に於いても同様の保護条約が成立する。

1906年には陸戦の条文が拡大し、1907年には海戦の条項も拡大する。

 

日本はこうしたジュネーブ条約拡大に対し、数年遅れでは有るが加盟し、特に日露戦争時のロシア兵捕虜に対する人道的処遇は国際社会から大きな評価を得る。

実際、日露戦争勝利と言う結果よりも、こうした日本の人道的成熟度が、その後日本が列強と肩を並べるに際し、大きな力ともなったのである。

 

その後第一次世界大戦終結の世界は新しい秩序を求め、ここにジュネーブ条約も第二段階を迎える事になり、条約の数は膨大なものとなったが、拡大要旨は捕虜と文民に対する身分の保証などに関する条項が増設され、日本はこの条約にも参加するが、捕虜の処遇に関する条項(総数97条)には加盟しなかった。

 

ここから第二次世界大戦では、日本はジュネーブ条約に批准していないとの認識が為されるが、大切なのは批准したか否かではなく、そうした人道的な精神がその国家に存在するか否かと言う事であり、この点では当時の世界各国押しなべてジュネーブ条約の精神は失われていたと考えられるべきだろう。

 

日本が次にジュネーブ条約に批准するのは1953年になるが、これは1949年に改定された条約に、サンフランシスコ講和条約の拘束に拠って無条件に加盟することが求められたものであり、為に以後日本でのジュネーブ条約に関する啓蒙は非常に消極的なものとなる。

 

1977年には2つの追加議定書が策定されるも、日本はこれに批准しておらず、1999年の第27回赤十字会議でも、引き続き検討するとしたままになっている。

 

この背景を考えるに、日本国憲法第9条が重要なポイントなっており、そもそも戦争を放棄した国家では捕虜は有り得ない。

こうした原則から捕虜の定義を認めると、戦争の定義も認めざるを得ないと言う間接矛盾が発生し、こうした考え方をしている間はジュネーブ条約は人事でしかないのである。

 

我々は戦争と言う状況を武力闘争のみに限定して考えるが、戦争に措ける武力闘争は方法の一つでしかない。

為に経済や言論、政治的対立でも発生してくるのが、文民、一般市民に対する虐待や差別であり、武力闘争に関してはジュネーブ条約がこれを保護し、経済や政治的戦争状態でこれを保護するのが国連憲章だが、これらは本質的に同義と考えられるべきものだ。

 

現在日本が行っている韓国に対する貿易に関する恵国待遇の停止と、安全保障上の輸出品目に関する通常手続き復帰は、日本が取るべき方策としては正しい。

日本を常に敵視してきた韓国に対し、こちらが恵国待遇を維持する事は、国際法の概念からも整合性が無い。

 

これに拠って事実上原材料の調達が難しくなり、国内主要産業の生産体制が大きなダメージを受ける韓国では、既に日本に対する言葉での攻撃、インターネットを通した侮蔑発言、韓国国内の日本企業への嫌がらせ、日本製品の不買運動が始まっているが、同様の事を日本国民が行ってはならない。

 

経済の戦争ゆえ、これに拠って日本国内の韓国人や韓国企業への嫌がらせ、または言論の弾圧、芸能関係者の活動制限や差別を行うはジュネーブ条約の精神に反する。

 

戦争に措ける文民の身分は、その自由と安全の保障に関して、該当国家国民と同等の権利を有する。

これを保障してこその「大国」であり、過去数千年の東洋史でも敵を殲滅、捕虜を虐殺するは蛮行と貞観され、これを為した国家は長くは続かない。

 

たまさか敵対している国家の捕虜や一般市民を虐げるは、恥ずべき行為であり、これを行っている韓国と、こうした中でも在留する日本国内の韓国人に対する身分の保障がしっかりしている日本では、周辺諸国、世界の見る目が違ってくる。

 

捕虜や一般市民を虐げる軍を擁する国家は、基本的に弱小である事を宣伝しているようなものであり、強国の軍は統制が取れていて、敵国の一般市民に対しても人としての権利を侵さないものである。

 

ジュネーブ条約はその条約が在るから守らなければならないのではなく、予め人としてまず心得ておかねばならないものなのであり、感情に任せて相手が自分と同じ人である事を忘れてはならない。

 

韓国と同じように統制を失ったのでは、日本も三等国家に堕ちてしまう。

この秩序を失った世界であればこそ、たった1国でも人道と言う精神を武器にする国家が在るべきだし、日本にはその歴史と資格が在る。

 

日、出ずる国の戦は一味違うと世界に知らしめる良い機会だ。

そこでチンピラのような事をやっていては、ならない。

「アルベール・アノトーの秘訣」



初めに大言を豪語すると賛成意見は少数になり、反対意見が多くなるが、ここで沈黙を守ると反対意見に対する反対の意見が発生して来る。

反対意見の反対は事実上賛成意見と同義だから、この状態にまで持ち込めば、当初賛同など得られるはずも無かった大言に対する世論の意見は賛否が拮抗する事になる。

 

その上で実際に政策を強行すると、民衆は反対行動を諦めてしまう。

これが「アルベルト・アノトーの秘訣」と言われる外交、内務政策上の手法だが、「アルベルト・アノトー」と言う人物が存在するわけでは無い。

「アルベール・ド・ブロイ」「ガブリエル・アノトー」と言う1800年代後期の前者が政治家、後者が外務卿で、彼らが好んで使った政治手法だった事から、この2人の名前を取って「アルベール・アノトーの秘訣」と呼ばれている。

 

この手法のポイントは「沈黙の時間」に有り、民衆の弱い疑心暗鬼を用いる方法とも言え、現実には遥か古代から存在する政治手法だが、対象者を民衆にまで拡大した用法としては、近代のそれは古典用法とは少し異なる。

 

現代に至っては「炎上商法」がそれに該当するが、さすがに情報通信技術の発展に拠り、近代の「アルベール・アノトー」よりは「沈黙の時間」が非常に短縮されている。

それゆえ効果も中途半端な結果に終わるケースが多くなり、中途半端さで言えばアメリカ合衆国の「トランプ大統領」などは「沈黙の時間」に自身が耐えられない為、あらゆる事が混乱につながって行く、若しくはフェイクになって行く為、信頼は急降下する。

 

同様な件で言えば、やはり合衆国の「キム・カーダシアン」氏の「きもの」商標登録事件も同じ事だが、こちらは予め炎上に拠る宣伝効果を狙った可能性も高く、その意味では炎上商法は成立した可能性がある。

 

日本の伝統産業界、日本人はまんまと一杯食わされたのだが、「アルベール・アノトー」の中間過程を利用したものが「炎上商法」であり、「アノトー」も「ブロイ」もまさか混乱が宣伝になる時代が来るとは思ってみなかった事だろう。

 

この手法を使う側のポイントは「沈黙の時間」だが、もっとも効率の良い防御策もまた「沈黙」である。

本来が他者の反応を力に変換する手法で有る為、その対象者が何も反応しないと手法を使った側が疑心暗鬼に落ちて行く事になり、やがて我慢が仕切れなくなると「本性」が現れて来て、自ら墓穴を掘る。

 

若しくは「あわ良くば」と言う半フェイク手法には、こちらも半フェイクを使うと、相手の疑心暗鬼はさらに拡大する。

日米安保条約の片道条約は基本的に合衆国が望んだことだったのだが、これを正せと言われたら、「解りました」と言って、集団自衛権の行使承諾事項と、最高指揮権を総理に一任する法案の策定に取り掛かれば良い。

当然日本国憲法9条の廃止法案も提出する事になるが、その上で対等条約にしますよと言えば、合衆国のみならず中国や韓国なども黙ってはいられなくなるが、「いや、大統領のご命令なので・・・」と言っておけばどうにもならなくなる。

 

中国には「習さん、日本は本当は集団的自衛権など欲しくはないんですよ、何とかしてもらえませんか」などと言って、アメリカと中国の対立を煽り、激化する韓国との軋轢はそれをさらに強化する。

これで世界は大混乱になり、やがてトランプ大統領や韓国大統領はコントロールを失い、北朝鮮政策も頓挫する。
トランプ大統領のやっている事はただの政治ショーにしか過ぎない。

 

この機会を利用して日本は極東の中で力を温存し、トランプ大統領の首を飛ばし、結局もとのシステムに戻させる方向で主導権を握って行く。

えげつない方法ではあるが、こうした契機を利用して自衛隊を日本軍に昇格させる道も出来て行く訳である。

 

安保条約はまだ破棄されておらず、合衆国大統領の発言は常に半フェイクだ。

ここで中東までの海路の安全を自国でまかなう事や、周辺諸国に対抗できるだけの軍装備を持つなどの議論はナンセンスだ。

最短でも10年はかかり、その費用を算出する事すら難しい話を今やっていても間に合わない。

一番金が金がかからずもとの鞘に戻す方法は、不平等条約を対等条約にする法案を提出する方法だ。

 

国会などどうせ大した法案を審議していないのだから、半フェイク法案を提出するぐらいのことは唯みたいなものだ。

相手の口車には口車で返す、丁度ジョークにはジョークで返す、そんなセンスも外交には必要であり、年金や経済政策で国民を騙すより、こんな形で国民を騙すなら騙された国民も「やってくれたな・・・」で笑ってくれるのではないか・・・。

 

共産党や野党の激しい攻撃、国民の反発までも最終目標の為に利用する。

事の成就の為ではなく、それを頓挫させる事で目的を達成させる用法は、例を挙げるなら株式取引で上昇銘柄で利益を出すのではなく、下落して行く時に利益を出すに同じで有り、「アルベルト・アノトーの秘訣」の最上級手法と言える。

 

だが、現在の安倍政権ではこうした世界や国民までも巻き込んだ茶番を、とぼけ通す事は難しいかな・・・()

 

状況や相手に拠って先は千変万化し、同じ道は次には通れない。

敵の策を見抜けば、これを自分が使うことが出来る。

(周易法、孫子、どちらに措いても基本中の基本策である)

 

 

 

プロフィール

old passion

Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

[このサイトは以下の分科通信欄の機能を包括しています]
「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

月別アーカイブ