「principle」





英国貴族、ロックフェラーとも親交の有った「白洲次郎」(以下敬称を省略する)をしても、日本語でどう表現して良いのかと言わしめた「principle(プリンシプル)と言う言葉がある。

 

一般的には原理、原則、基礎と訳されるが、道徳や真理、規範とも訳され、前者と後者は同じものではないにも関わらず、包括して概念される。

為に、「principle」は特定の何かを指せない言葉と言え、同様の言語で言うなら「自由」「平和」などもこうした概念に属し、社会と物理的原則、自然と言うものに対する考え方の二面性がある。

 

principle」の基本は誰もが納得する規範、ルールを守ると言う事なのかも知れないが、難しいのは「誰もが納得する」と言う部分であり、例えば1つの国家でルールとされ、誰もが知っている概念は、その国家内では絶対的なものであり、当然その概念は世界的ルールに及ぶものと概念される。

 

しかし現実の世界は多様な価値観、ルールが存在し、1つの国家のルールが全ての国家のそれに優先する事は有り得ない。

白洲次郎が日本語でどう訳して良いのかと迷ったのは、彼が活躍した第二次世界大戦前後の日本には、1つの国家としての「principle」が強すぎて、世界的な「principle」を日本が理解できない状況に有った為とも言える。

 

彼は武士道が残っていた日本では、こうした「principle」が残っていたとしているが、およそ封建制度は世界のどの国家も経験してきた汎用性のある仕組みだった。

それゆえ洋の東西を問わず、ここで概念される「principle」には汎用性が有り、同一フレーム中の概念が多くなる。

 

これが歪められた第二次世界大戦中の日本では失われていた上に、敗戦と言う現実に拠ってか他国から自己否定が求められた。

この時に世界的なフレームを知っていた白洲は、統一的「principle」に基いて行動する。

 

「日本は戦争に敗けたのであって、アメリカの奴隷になったのではない」

「戦争が終わったのだから、戦勝国と敗戦国はもはや同等のテーブルに着かねばならない、どこの世界に戦勝国の言葉で演説する馬鹿がいる・・・」

まさにそれまでの国際社会の規範だった、誇り高い英国の「principle」そのものと言える。

 

白洲は同時に日本は長い間戦争を引きずるだろうとも言っているが、その言葉の検証は我々の今の日本を見れば明白だ。

彼は日本がこの「principle」を誤るだろう事を見越していたし、事実敗戦と言うダメージを大きく捉えた日本は萎縮し、以後戦争や敗戦と言う一時の結果の影に隠れ、諦め続け、逃げてきた。

 

その付けが今、隣国の小さな「principle」を暴走させ、第二次世界大戦後失われた英国の「principle」は、不完全な形でもアメリカに拠って継承されたが、それもトランプ大統領の出現に拠って失われ、世界は今小さな「principle」がひしめく戦国時代となった。

 

日本は今こそ引きずってきた敗戦に真っ向から立ち向かい、白洲が言っていた「primciple」、それもグローバルな「principle」を築くチャンスを迎えている。

英国の誇り高き「principle」も、日本の武士道が持つ「principle」も、今でも世界の中で薄く弱くかも知れないが残っている。

 

遠からず終わるトランプ政権の後、アメリカ国民と共に、また統一的「principle」を伝統として持っている英国、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどの国家と共に手を携えて、小さな「principle」を統一するを目指す時が来ている。

 

誇り高き偉大な「principle」とは敵の立場の者でも認める「principle」だ。

発祥国である中国で失われた古典哲学思想、それを今に残して来た日本だ、きっとできる。

 

それが無くなった時は探すのではなく、自分がそれを目指さなければならない。

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「虫がいない・・・」



2019815日、この日台風10号が西日本、四国から島根を抜けて日本海へと到達、更に円を描くようなコースを取って北海道付近へと向かった。

 

この台風はここ10年ほどでは少し珍しい台風で、その主力が「雨」の台風だった。

台風の規模からすれば、最大瞬間風速が60mと言うパターンも有りそうな大型の台風、半径500kmにも及ぶ強風圏を持ちながら、通過地点では風の被害が殆どなかった。

 

つまり大きさゆえに風の勢力が平均劣勢となった台風、この場合は雨の被害が出やすい「雨台風」となるが、少なくともこの10年、こうした傾向の台風は皆無だったと記憶している。

尤もそれ以前には4年に1度くらいはこうした台風も確認されていたが、これに鑑みるなら一時的に気象傾向が20年前くらいの秩序に戻っていたのかも知れない。

 

ただし、人の記憶と言うものは情報の量に拠って過去を遠くする傾向が有る為、20年前の正常は現在の異常となって、感じられたかも知れないが・・・。

 

そしてこの台風が直接起因かは不明だが、2019815日、もう1点、特に記録しておかねばならない事象の発生が有った。

 

同日昼の最高気温が40度を記録した石川県、前日には新潟県が40度以上の気温を観測していたが、フェーン現象で軒並み気温が上昇した日本海側の数箇所、石川県能登地方、富山県西部、新潟県南西部の一部地域、とても狭い地域だが、住民の間に若干の不安が広がっていた。

 

同日午後4時以降、虫の姿が消えたのである。

夏の炎天下では虫の数は少なくなるが、それでも夕方4時以降は多くの吸血虫、「うるり」「あぶ」「蚊」などの吸血虫が沢山出てきて、農作業中の人が刺される事になるが、

この日は夕方から外で殆どの吸血虫がいなくなり、これには流石に住民も不安を覚えたのである。

 

いつもなら夕方6時、水管理の為に山の付近の田んぼに行けば、何十匹と言う「うるり」に執拗な攻撃を受けるが、それが全くいなかったとする男性、外にいれば沢山の大きなシマ蚊に刺される時期にも拘わらず、それすらも姿が見えなかったと言う女性、

多くの人が虫のいるはずの時間帯に虫がいない事を不思議に感じたのである。

 

殆どの人がその地域で50年、60年と生きてきた人達なのだが、その彼らをして「こんな事は初めてだ」と言わしめたこの現象、同日は台風10号が日本海を通過する為フェーン現象、高温が原因かとも思えたが、太陽が翳ってからの気温は32度前後、決して低い気温ではないが、この気温であれば虫は活動範囲である。

 

この現象は夕方4時頃から始まり、同日21時まで続いた模様で、その後蚊の出現から通常の状態に戻ったようである。

 

原因としては台風の接近による何らかの危険察知、雨が降る事に対応した可能性が1番大きいが、それでもこれだけでは虫がいなくなる理由にはならない。

もう1つは高い気温だが、これも昼間こそ40度だったものの、夕方5時の気温は32度だった。

これくらいの気温を理由にして虫がサボることなど有り得ない。

 

この現象を報告してくれた殆どの人が、「台風のせいですかね・・・」と言いながら、納得はしていない様子だった。

つまり台風の先に何か、良からぬものが待っているのではないかと言う事なのだが、具体的に言えば、彼らは生まれて始めての現象に、漠然と地震を恐れているようでも有ったと言う事だ。

 

だが、これで数日後に地震が発生したとしても、こうして虫がいなくなる現象がそれに起因するかどうかは分からない。

なぜなら地震が発生する前でも、虫が殆どいなくなると言う現象は少ないからで、むしろ虫はもっと違ったものに対応している可能性の方が高く、そのもっと違ったものが何かは、解らない・・・。

「終戦記念日寄稿文」



19291024日、ニューヨーク・ウォール街から始まった世界大恐慌、これに拠って英国は第1次世界大戦後の国際的資本主義の指導権を奪われ、国際社会は英国の持つ伝統的秩序概念、道徳観念を失って行った。

 

一方こうした経済危機は最も豊かな国と、最も貧しい国に1番大きく影響し、為に空前の繁栄を誇っていたアメリカと、第1次世界大戦で莫大な負債を負ったドイツ、この2国がそれぞれ分極的に異なった道を模索し始める。

 

アメリカでは1933年に1300万人の失業者を抱え、この段階で国内総生産、GNP192910月以前の50%を切る状況にまで経済が収縮し、原理的には資本経済とは一定の距離が存在するであろう、農業生産までもが深刻な恐慌に陥っていた。

 

ドイツに至っては大銀行が次々倒産し、やはり国内総生産、GNP192910月を100とした指数で48にまで落ち込み、イギリスでも工業生産が停滞し国際収支は大幅に悪化、結果として金本位体制が停止、この時期まで世界の通貨と謳われていたポンドの権威はここに消失した。

 

またこうした中でドイツから賠償金を受け取る側だったフランスでも、賠償金で余剰益が残る状態とはならず、賠償金は深い穴に吸い込まれるように消えて行った。

国内総生産は40%も落ち込んでいた。

 

このような状況に世界各国が採った方策は、合理化と賃金の切り下げで有った為、世界中で労働運動、社会主義運動が激化する。

今日我々がこうした歴史から学ぶ事が有るとするなら、経済の収縮と貧困こそが社会主義、共産主義の母体である事を学んでおかねばならないだろう。

 

話を元に戻そう。

世界恐慌以後の数年はこうして世界経済が秩序を失ったが、この中で政治政策として世界各国が採った方法は、アメリカの「ニューディール」政策型、ドイツのファシズム化の2つに分かれ、1932年、世界恐慌の真っ只中で大統領に就任したアメリカのルーズベルトは、国家の統制力と資金を最大限に利用して生産、流通をコントロールし、労働者、農民、生活困窮者に一定の保護を与え、これに拠って恐慌と国民の間に芽生え始める階級意識を抑制して行った。

 

つまり資本主義の中に部分的社会主義経済を投入する事で、資本主義を維持しようと考えたのだが、その後の現実は中南米市場の独占、反共産主義への危機感を経済の根底に据えた、軍事独占資本主義化への道に繋がって行ったのである。

 

またドイツでは経済危機の中で没落した中間意識層の不満が集積し、これに言葉巧みに取り入ったナチス(国家社会主義労働党)が、ドイツ国民の大多数を占める中間層を掌握した形となり、自由主義経済の敵とも言える共産主義、労度運動などを恐れた独占資本は、ナチスと言う力と暴力そものになってしまったのである。

 

1933年、権力を掌握したナチスは社会主義、民主主義を徹底的に弾圧し、1党独裁の全体主義国家を形成して行ったが、これは裏を返せば独占資本擁護体制だったとも言えるのである。

 

このように第2次世界大戦前の国際社会は経済的に2分化して行ったのだが、資本主義国家の多くは国家権力の統制力を拠り所として経済危機を克服しようとし、その結果がアメリカ型とドイツ型に分かれて行ったのであり、この分岐点となったものは資本蓄積の大小、民主主義的伝統の蓄積度合いに拠るものであり、当時の日本は資本蓄積の脆弱さと民主主義的伝統の浅さから、ドイツ型に傾いて行った訳である。

 

また独占資本とは当初自由競争だったものが、少しずつ資本集積が始まり、やがてその集積した資本が体制を維持しようとし始めた時から資本は独占化に向かい、更に大きくなった体制を維持しようと、権力の選択を始める。

この時の権力とは統制を始めようとしている国家権力、利益、それに暴力であり、いずれも大きくなった集積資本ゆえに、これらの権力に屈し、独占資本体制の維持を謀る。

 

だがニューディール後のアメリカを見れば分かるように、独占資本が体制を維持し、利益を求めれば「軍事」が1番安定した収益となって行く。

ここに貧困から全体主義に依存した独占資本は必ず衝突し、「戦争」となる。

 

戦争とは2極化した独占資本の衝突なのであり、この現実は今も何ら変わっていない。

現在の国際情勢に鑑みるなら、演じる役者は変わっても、何ら変わらない独占資本と国家統制経済、暴力、それに依存するしか明日の見えない民衆なのであり、第2次世界大戦が終結して、はや74年、我々は一体何をしていたのだろうと思わざるを得ない。

 

私は戦争を体験した世代ではない。

だがこの8月、夏と言う季節が華やかな季節で在りながら、何かが悲しく見える。

このどこまでも広がった青い空が、理由もなく悲しい。

 

若きみそらで空に、海に、異国で散って行った者、原爆で、空襲で炎に焼かれて死んで行った者、飢えて苦しみながら、それでも夫や息子達を案じた母達に、どこかで申し訳ない気持ちになる。

 

815日は終戦記念日ゆえ、戦争で亡くなった人たちに感謝と敬意を捧げ、本文を寄稿する。

「全体主義」





「ファッション」と「ファッショ」、1字違いでこうも劇的に異なる言語も珍しいが、ラテン語を見ればこれらの発生過程に違いが見える。

「ファッション」は「物つくり」であり、「ファッショ」は「束」「結束」を始まりとしている。

 

従って「ファッショ」自体はそれほど悪いことでは無いのだが、これを決定的に嫌悪の対象とさせてしまったのは第一次世界大戦後のヨーロッパ、ドイツとイタリアと言う事になる。

ムッソリーニとヒトラーがこれを悪用した為にイメージは悪くなったが、当時の世界観からすれば保護主義、ブロック経済もこれに順ずるものではなかったかと言う気がする。

 

日本ではファッショの事を全体主義と訳するが、ファッショと全体主義は本来異なる。

ファッショは下からの結束を意味し、全体主義は上からの結束を意味する。

結果は同じなのだが、必ずしも同義とは言えず、これを同じにしてしまったのは第二次世界大戦中の日本、イタリア、ドイツの三国同盟であり、これで本来は異なる概念が、三国以外の諸外国には同義と概念されてしまう事になった訳である。

 

全体主義の恐ろしさは意見、思想の統制、これを国民相互に監視させる仕組みであり、どちらかと言えばこの状態は劣勢にある時の精神性統一と言う事が出来る。

挙国一致、難局を乗り切るためなら多少の事実には目を瞑っても、同じ方向を向いて努力しようと言う事であり、小さな団体から始まって国家レベルまで簡単に陥る可能性の高い状態でもある。

 

多数決は少数意見を多数意見の中にどう反映させるかが本来の意義だが、予め多数意見が少数意見を封殺するなら、これを専横と言い、この専横を専横と言わせない事を全体主義と言う。

 

不太平洋戦争の少し前、日本はアメリカから石油、金属など軍事物資の殆どを輸入していながら、その事を無視して国際社会の軍縮協定を、日本に対する嫌がらせと判断したのは、判断ではなく、そう言う方向へ持ってしくか当時の政府は道が無かったからである。

 

日露戦争で多額の負債を負ってしまった日本経済、その後関東大震災や世界恐慌の荒波に、経済は破綻状態に追い込まれ、この批判は当然政府に向かうはずのものだったが、政府はこれを回避しようと国民の関心をアメリカへ向かわせ、何もかもアメリカのせいだと宣伝して行く。

 

更にこうした考え方に反対する意見は徹底的に弾圧される状態を作った。

226事件、515事件などは間違いなく軍の暴走だが、これらも相乗効果として国民やリベラルの言論を封殺して行き、その先に太平洋戦争が待っていた。

 

今の韓国を見ていると、当時の日本の姿に良く似ている。

韓国政府は自身らが引き起こした経済失政をごまかし、反日に向かわせる事で失政に対する国民からの糾弾から逃れ、こうした方向一色に絞って言論統制、国民の相互監視をコントロールしている。
つまり韓国政府はファッショ状態に在ると言え、本来ならこれに軍関係の話が重なってはならないところだったが、いとも簡単に日米韓の安全保障条約にまで言及してしまった。

 

原理的には226事件、515事件を政府が起こしてしまったと同じ意味を持つのであり、日本に対する韓国政府の表現はもはや戦争である。

こうした言葉を使いながら、朝鮮半島の平和などは大きく矛盾するが、これすらも考えられないほど韓国政府は危機的状況の全体主義に陥っている。

 

世界経済第10以下の国の経済が世界経済に与える影響など軽微なものであり、それを世界経済の中心的な役割を負っていると自負する事の愚かさすら気付かず、国民を扇動する韓国政府は、もはや韓国国民の敵と言っても良いくらいのもので、国際社会は韓国政権が韓国国民を解放するよう、圧力を加えなければならないレベルかも知れない。

 

また日本が恵国待遇から通常手続きに戻す事が決議された日、北朝鮮がミサイルを発射しているが、これなどは北朝鮮を使って韓国が軍事挑発を行っていると判断されても致し方ない状況であり、その独裁政権による国民の窮状を憂い、国際社会が包囲網を敷いている北朝鮮と共闘の疑いが在る場合、日本、アメリカ、韓国の三国安全保障協定は、事実上韓国に拠って蔑ろにされている状態でもある。

 

これなどはアメリカ、日本のみならず、国連決議違反の疑いが有り、国際社会から糾弾され得べき現実と言える。

 

昭和20年8月6日は広島に原子爆弾が投下され、人々が阿鼻叫喚の中で亡くなって行った日である。

全体主義、ファッショが何をもたらすか、韓国政府には歪んだ歴史とファッショにすがるのではなく、歴史を正しく学び、今の時代に生かして貰いたいものだと思う・・・。

 

挙国一致、戦争など以っての他である。

 

「政治家と権力」




歴史的現実に鑑みるなら、「政治家」とは「官僚制」と「デマゴーク」(扇動家)から発生したものと見ることが出来る。

 

王制、帝政に於ける封建諸侯などの伝統的な有力者と君主の力のバランスは逆転し易く、為に君主が権力を温存するには、自分の手足となる官僚を設ける必要が出てくる。

官僚は自身らの勢力拡大の為、有力封建諸侯から少しずつ官職を奪い、自身らと同じ身分のものを登用し、これが結果として人々の政治参加に対する道を拡大させる事になった。

 

この意味では軍部も官僚制の一つであり、こうした軍を含む官僚制が国家の独立、統一の為の重要な手段となったが、一方で近世の自由都市(日本で言うなら近世の堺など)のデマゴークは庶民の支持を後ろ盾として、下から権力に参加して行く事になるが、この時の条件は「井戸塀政治家」と言う事になる。

 

資材を投げ打って国事に参加し、邸宅は売リ払われ、残っているのは井戸と塀のみと言う高潔な在り様を指し、こうした姿は現在でも私欲のない模範的政治家としてもてはやさせるが、実は前近代的な理想論である。

 

つまりは金持ちしか政治に参加できない時代だからこそ、資財を投げ打ってまで国事に参加する事の高潔さが出てくるのであって、初めから投げ打つ資財の無い者でも国事に参加することが出来る現代民主主義に、こうした姿を求めること自体が既に矛盾となる。

 

一般に政治家と言えば選挙に拠って選ばれた者を指すことになるが、その意味ではこれから選挙に出ようとする意思のある者も政治家と言え、国家、地方行政の高度な意思決定に参加する官僚なども政治家と言う事になる。

これ以外にも革命やクーデターに拠って、政権を奪取した軍人も政治家と言えるが、この場合は互選に拠る政治家である。

 

また我々は政治家と言えば「井戸塀政治家」を念頭に考える、或いは高潔、清廉潔白、人間性の有無に拠って適正を測る事が多いが、既存で政治家で有る者、高級官僚、政治を目指す者、革命の指導者などは全て政治家であり、政治家の要件として「井戸塀政治家」が定められていない。

 

有能かどうか、人間性の有無を政治家の要件とするのは庶民の希望であり、一部では権力欲に走る政治家、これを「ポリティシャン」と呼ぶが、この傾向を悪とし、理想を重視する政治家、これを「ステーツマン」と呼び、善と見做す傾向が見られるが、政治家には理想と権力の両方が必要である。

 

尚こうして政治家が求める権力の最大は国家主権だが、この発想の原点は絶対君主制に有り、宗教界、諸侯などの権力と対抗する概念で始まったものであり、理論的な武器だったものを国民主権と調和させたものである。

 

戦後の日本などは天皇と言う君主の存在と、国民主権が共存した形となっている。

つまり政体と主権は分離して考えられるようになったのであり、現代社会で主権が武器となる場面は国際関係がもっぱらとなる。

 

ここでは国家主権が絶対的なものとして考えられるが、それは主に国内だけの概念であり、現実には世界のどの国も主権など持っていない。

条約に拠る制限、国際機関などの圧力、世界世論、貿易などの相互依存に拠って、完全に独立した絶対主権などは有り得ない。

 

国際間の主権の絶対性は主権国家間の対等性の主張として出現し、この場合の主権とは「対等」を目標とするものであり、国家主権と言う大きな概念を担保するものではない。

プロフィール

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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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