タブロイド記事



ここだけの話、しかも私の私見でしかないが、此度即位された天皇はおそらく安倍普三と言う内閣総理大臣を快くは思っていないだろう。
いや、天皇だけでなく、上皇様は天皇以上に、さらに快く思っていないと思う。

上皇様が天皇ご在位のおり、憲法改正に付いては慎重に、国民のコンセンサスを大切にと幾度もお言葉を述べられているが、安倍晋三総理はこれを全く無視し、改憲の方向へとひた走った。

天皇家の憲法遵守の精神は、太平洋戦争を経験してきた昭和天皇、上皇様の心の中に深く突き刺さっていて、こうした伝統的な精神が天皇家には流れている。
政府がどう在れ、天皇家が憲法を守る立場から逸脱する事は考えられない話でもあるのだ。

それゆえ上皇様が自身の健康に不安を持ち、そこから公務に支障が出る事を心配し、政府にこの状況に対する解決策を求めたのは、ご自身の健康上の理由であっても、天皇と言う立場を憲法上の整合性に乗せて、国民の代表である政府に方針を求めたのだが、安倍晋三総理は、これを無視した。

上皇様は自身の健康上の理由ですら憲法に抵触しないようにとお考えだった事は明白であり、しかしこれに対して政府は全くの無視で憲法改正の方向へとひた走り、仕方なく天皇家と日本国憲法の調和を少し乱す事にはなるが、ご退位をご自身で表明する事になった訳である。

これに一番慌てたのが安倍内閣だった。
まさかそんな手を使ってくるとは思わなかった内閣は、急遽諮問機関を作ってどうすれば良いか対応を協議し、あらためて皇室範典に則った方向性を探る事になり、ここで初めて日本国憲法が天皇家に取ってどれほど重いものかを知る事になる。

ここに至るまで安倍内閣は天皇家の事など考えてもいなかった訳で、この背景には、ここで天皇が存命中にその座を降りるとなれば、明治憲法以降前例が無く、その方法を政府が法案として出さねばならない。
ただでさえ風当たりの強い憲法改正の前に、皇室範典まで政府が法案を出して行くとなれば、向かい風はさらに勢いを増す。
放って置けばその内崩御されて、政府が法案を出す必要も無くなるとしたら、それが良いと言う姿勢は見え々々だった。
自身が進める憲法改正の為に国民感情を忖度し、ために日本国憲法を厳密に遵守した天皇の要請は無視されたのである。

この事を知った上皇様は、或いは安倍総理の愚かさぶりと無神経さ、天皇家を軽く見ている事を悲しく思われた事だろう。
安倍総理には驕りが在り、象徴天皇と言う何の力も無い天皇家など、さほどの事も無いと考えていた、その考え方が上皇様には透けて見えた訳である。

そして令和と言う新しい元号が決まって、皇太子が新しい天皇に即位する「即位の礼」の終盤、安倍総理は改憲を政治信条とまですると言っていたその舌で、新天皇を前にして「日本国憲法を遵守し、天皇家のいや栄(いやさか)を・・・と言う訳である。
どこまでこの国を、人を馬鹿にすれば気が済むのか・・・・。

新天皇は表情を変えなかったが、安倍晋三と言う人間をどう思っただろうか。
こうした者からでも万歳三唱を受けなければならない、そして無表情でいなければならない天皇と言う立場の大きさを、重さを慮らずにはいられない。

私は決して何が何でも護憲と言う考え方ではなく、憲法の改正はいずれ必要とも考えている。
しかしこうして天皇家すら蔑ろにする男がそれを口にすべきではないと思う。
総理や議員としてだけではなく、人間として信用できない者に憲法改正などと言って貰いたくない。

新天皇の最後のお言葉は「希望いたします」で締めくくられた。
私はちょっとだけ目が潤んだ。
昭和天皇も年賀の挨拶で、最後の締めくくりは国民皆の幸福を祈りますではなく、「希望します」と締めくくられていた。

祈るなどと言う抹香くさい言葉ではなく、未来を示す希望と言う言葉が嬉しかったものだ。
以来、私も締めくくりの言葉では、決して祈るを使わず、「希望します」を使わせて頂いて来たものだった。
その希望と言う言葉が新天皇から発せられた事で、昭和天皇の精神は脈々と受け継がれている事が感じられて、とても嬉しかった。

令和と言う代が希望のある代となりますように・・・。
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「たまには絵を描いてみた・・・」

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来客までに30分ほど時間があったので、たまには絵でも描いてみようか思いましたが、
いかんせん、空いた時間でフリーハンドではこの結果でした。
ちゃんとやらねばダメですね(笑)

「能登半島、中越、釧路地方の方はご注意ください」

2019年10月23日、午前8時06分、石川県能登北部地方の局地的な地域で、弱いが数秒間続く震動が2回発生し、同日午前8時17分にも小さな震動が1回観測された。

この震動は4秒ほど続いた事、小さな地鳴り音を伴っていたが、同地付近気象庁の観測地点では観測されていない。
ただし、直後から10分以内に飛行機やジェット機の通過は無く、8時06分の震動観測時間が2回とも同じ長さだった事から火球、若しくは隕石突入の可能性は低い。

この事から空気震動音では無いと考えられ、弱いが確かに地震だった事、しかもそれが今日1日終わった時点で何回になるかは解らない為、現在も進行形である可能性が高く、こうした正体不明の震動の場合、過去には翌日に能登半島地震、18時間後に中越沖地震が発生したケースと、やはり同日中に北海道釧路地方に大きな地震が発生した事が記録に残っている。

正体不明の震動観測に措ける、これらの大きな地震発生確率は、全統計上の2%でしかない為、明確な因果関係は存在しないかも知れませんが、能登半島と新潟県中越付近、北海道釧路地方にお住まいの方は、暫く注意してお過ごし頂ければと思います。

尚、晴天で風が止まった状態で揺れ始める場合、その地震は大きくなる可能性が有り、
鳥などが普段より多く飛んでいる場合は30分以内、猫がどうしても家から出たがる時には、40秒以内に地震が発生する可能性があります。

理由のわからない犬の遠吠え、飼っている金魚の水槽からの飛び出し、晴天時の落雷のような光、遠くからこちらへ近付いて来るような地鳴り音、通信機器の不具合、原子力発電所付近の怪光、1秒以内の停電が何度も頻発する場合、FM放送の電波障害が頻繁に出てくる時は、直後から地震が発生する可能性があります。

98%はその他正体不明の震動の一つと思われますが、2%は0ではないので、一応の注意をお願いするものです。

「胡坐から正座へ」



日本の伝統的な座り姿勢「正座」は実に合理的な姿勢であり、基本的に立った姿勢から座る、座った姿勢から立つにしても、手を床に付ける事なく、誰もが容易に所作できる。

正座の基本行儀は、立った姿勢から座る時、利き腕の反対側の足を半歩引き、次に片膝を付いた状態から、利き腕側の脚を折り込んで座るを倣いとし、通常を右利きとするなら、左足を引く事から始まり、座った姿勢から立つ時はこの逆の脚側から所作を始める。

左足を半歩引いて片膝を付いた状態から、今度は右膝を引き、両膝を床に付けた上で座り、立つ時はまずつま先を起こし、右膝を上げた片膝状態から立って、左足を前に出して揃える。

座ったり立ったりする時、なぜ手を床に付けてはならないかと言うと、「隙」(すき)が出来るからで、この「隙」は勿論敵に備える為だが、「隙」と言うものの考え方には自然に調和しない、無理が見えると言う側面も持っている。

つまり体に油断がかかっている分だけ、周囲の静寂や景色との違和感が出るからであり、もう一つ、いきなり両膝を床に付けて正座すると、両膝の力の支点が宙に浮いている瞬間が出る。
自身の体をコントロールできない可能性がある瞬間を作るは、万一自身の前を何かが横切った時、バランスを崩す事になる。
床に手を付いて座ったり、立ったりするのと同様の「隙」が出来る訳であり、この原理は胡坐(あぐら)座りでも同じである。

ただし茶道の席や女性の場合、片膝を付いていたのでは着物の裾から脚が見えてしまう為、両足を揃えた状態、若しくは片足を引いたとしても、その引きは僅かなものとし、基本は手を付く事を推奨していないが、軽く手で体を支えるを強く禁じてはいない。

これは、茶道の場合はそれが「もてなしの席」である事から、「場」の統一性が重視される為で有り、女性の場合は片膝を付いて脚の奥が見えてしまう「恥」よりも、両膝を揃える「隙」が選択されると言う事である。
女の隙を狙って攻撃を仕掛けるを禁じる、社会的合意が形成されているからであり、つまり「正座」は武家社会の発展と共に形成されてきたものと言う事になる。

元々日本の伝統的な座り方は「胡坐」(あぐら)座りであり、古くはモンゴル、匈奴、殷(商)から伝播されたものと言われているが、この座り方は屋外で座る時に適していて、これが正座に移行していく背景には、女性の地位の向上と、普段座る場の安定度の向上と言う2つの側面がある。

平安時代までは女性も胡坐座りが一般的だったが、これだと腰巻(こしまき)と言う1枚布だけの下着では、場合に拠っては性器が見えてしまう。
情事の他は男性と女性が同じ部屋でいることの少ない、平安時代ならこれでも良いが、それ以外でも男女が同じ場にいることが増えて来た鎌倉期ともなると、これではまずいし、大体そう言う事では気が散ってしまう。

武家社会と言う厳格な社会的合意と女性の進出、これが胡坐座りから正座へと移行して行く一つの原動力となったが、一方日本の家屋も平安期から見ると、鎌倉期には随分充実してくる。
床板は安定し、敷物や畳なども出てきて、より高度な意匠表現形態が実現可能となった事から、現実より形が重視されて行く事になった。

正座は胡坐よりも占有面積が狭い。
これは何を意味するかと言えば、社会的に人が集まる「場」に、以前より多くの人が集まるようになったと言う事であり、胡坐と言う古典性は粗野、或いは非礼となって行くのは、主従関係の輪郭が明確になって来たと言う事でもある。
朝廷貴族政治から封建社会への移行、胡坐から正座の移行は、これに一致している。

最後に胡坐座りの日本に措ける作法は、狂言などの座り方を一つの形とする。
座る時は、まず左足を軽く引き、次に両肘を上げゆっくり座って行き、立つ時も最初に両肘を上げ、そこからゆっくり立ち上がるが、これは言うに易く実際にやってみると中々出来ない。

柔軟な筋肉と体力が無いと難しく、為に古くは胡坐の所作でその人の「力」が測られたのであり、手を付かねば起き上がれないようになるを「老い」の一つの基準、或いは「弱さ」の基準とした側面があるが、胡坐座りの姿勢で攻撃を受けた時、一番早い危険回避動作は体を寝かせて転がる事である。

また正座に措ける危険回避行動の基準は片膝を付いた状態を「正」とし、悪戯に斬られる面積を増やさない事を第一とする。
更に後ろから敵が来る場合は前に転がるが、基本的に敵の刀の一番の「隙」は、その刀を持つ手の内側にある。

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Author:old passion
この世に余り例のない出来事、事件、または失われつつ有る文化伝承を記録して行けたらと思います。

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「保勘平宏観地震予測資料編纂室」
「The Times of Reditus」

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