2019/10/26
タブロイド記事
ここだけの話、しかも私の私見でしかないが、此度即位された天皇はおそらく安倍普三と言う内閣総理大臣を快くは思っていないだろう。
いや、天皇だけでなく、上皇様は天皇以上に、さらに快く思っていないと思う。
上皇様が天皇ご在位のおり、憲法改正に付いては慎重に、国民のコンセンサスを大切にと幾度もお言葉を述べられているが、安倍晋三総理はこれを全く無視し、改憲の方向へとひた走った。
天皇家の憲法遵守の精神は、太平洋戦争を経験してきた昭和天皇、上皇様の心の中に深く突き刺さっていて、こうした伝統的な精神が天皇家には流れている。
政府がどう在れ、天皇家が憲法を守る立場から逸脱する事は考えられない話でもあるのだ。
それゆえ上皇様が自身の健康に不安を持ち、そこから公務に支障が出る事を心配し、政府にこの状況に対する解決策を求めたのは、ご自身の健康上の理由であっても、天皇と言う立場を憲法上の整合性に乗せて、国民の代表である政府に方針を求めたのだが、安倍晋三総理は、これを無視した。
上皇様は自身の健康上の理由ですら憲法に抵触しないようにとお考えだった事は明白であり、しかしこれに対して政府は全くの無視で憲法改正の方向へとひた走り、仕方なく天皇家と日本国憲法の調和を少し乱す事にはなるが、ご退位をご自身で表明する事になった訳である。
これに一番慌てたのが安倍内閣だった。
まさかそんな手を使ってくるとは思わなかった内閣は、急遽諮問機関を作ってどうすれば良いか対応を協議し、あらためて皇室範典に則った方向性を探る事になり、ここで初めて日本国憲法が天皇家に取ってどれほど重いものかを知る事になる。
ここに至るまで安倍内閣は天皇家の事など考えてもいなかった訳で、この背景には、ここで天皇が存命中にその座を降りるとなれば、明治憲法以降前例が無く、その方法を政府が法案として出さねばならない。
ただでさえ風当たりの強い憲法改正の前に、皇室範典まで政府が法案を出して行くとなれば、向かい風はさらに勢いを増す。
放って置けばその内崩御されて、政府が法案を出す必要も無くなるとしたら、それが良いと言う姿勢は見え々々だった。
自身が進める憲法改正の為に国民感情を忖度し、ために日本国憲法を厳密に遵守した天皇の要請は無視されたのである。
この事を知った上皇様は、或いは安倍総理の愚かさぶりと無神経さ、天皇家を軽く見ている事を悲しく思われた事だろう。
安倍総理には驕りが在り、象徴天皇と言う何の力も無い天皇家など、さほどの事も無いと考えていた、その考え方が上皇様には透けて見えた訳である。
そして令和と言う新しい元号が決まって、皇太子が新しい天皇に即位する「即位の礼」の終盤、安倍総理は改憲を政治信条とまですると言っていたその舌で、新天皇を前にして「日本国憲法を遵守し、天皇家のいや栄(いやさか)を・・・と言う訳である。
どこまでこの国を、人を馬鹿にすれば気が済むのか・・・・。
新天皇は表情を変えなかったが、安倍晋三と言う人間をどう思っただろうか。
こうした者からでも万歳三唱を受けなければならない、そして無表情でいなければならない天皇と言う立場の大きさを、重さを慮らずにはいられない。
私は決して何が何でも護憲と言う考え方ではなく、憲法の改正はいずれ必要とも考えている。
しかしこうして天皇家すら蔑ろにする男がそれを口にすべきではないと思う。
総理や議員としてだけではなく、人間として信用できない者に憲法改正などと言って貰いたくない。
新天皇の最後のお言葉は「希望いたします」で締めくくられた。
私はちょっとだけ目が潤んだ。
昭和天皇も年賀の挨拶で、最後の締めくくりは国民皆の幸福を祈りますではなく、「希望します」と締めくくられていた。
祈るなどと言う抹香くさい言葉ではなく、未来を示す希望と言う言葉が嬉しかったものだ。
以来、私も締めくくりの言葉では、決して祈るを使わず、「希望します」を使わせて頂いて来たものだった。
その希望と言う言葉が新天皇から発せられた事で、昭和天皇の精神は脈々と受け継がれている事が感じられて、とても嬉しかった。
令和と言う代が希望のある代となりますように・・・。